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2018年の読書 / 2019.01.01

 2018年は人生で2度目となる10万円超の本代を投じ、100冊を超える本を楽しみました。読み終えた本の感想を日記に書いているので、主立ったところをまとめてみます。

 年初に読んだのは、太陽系を舞台にした土木建設SF小説「星を創る者たち」(谷甲州/河出文庫)。星の話は子供の頃から好きですが、関心があるのは宇宙開発よりも天文学のほうだったので、宇宙における巨大構造物の建設という視点が新鮮でした。(ネタバレ、反転で表示)最終章はまさかの展開。直前の12月にNHK「100分de名著」を視聴して、新訳の「ソラリス」(スタニスワフ・レム/沼野充義(訳)/ハヤカワ文庫)を読んでいたためもあり、異なる文明との接触で何が起きるのか考えてみたり。「我々は急ぎすぎているのかもしれない」という述懐あるいは問い掛けが印象に残りました。

 谷甲州が面白いということで、「航空宇宙軍史・完全版」(谷甲州/ハヤカワ文庫)全5巻を一気に読了。太陽系とその近傍に進出した人類同士の戦争を、ワープなどの超科学を用いず、今ある技術の延長で描く様がリアルかつ新鮮で、夢中になりました。「新・航空宇宙軍史」として続編が出始めており、新作が待ち遠しいです。

 また、ハヤカワ文庫の「美しいタイトルのSF小説」というシリーズから、「たったひとつの冴えたやりかた」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/浅倉久志(訳))、「天の光はすべて星」(フレドリック・ブラウン/田中融二(訳))など。海外の古典的名作だそうですが、恥ずかしながら知りませんでした。よく見掛ける「たったひとつの~」という成句は、もしかして、これが原典でしょうか。

 シリーズといえば、新聞の書評で知った「江戸川乱歩作品集」(岩波文庫)全3巻を読了。妄執に囚われた人間の恐ろしさ。乱歩はほとんど読んだことがありませんでしたが、読み進めていた頃、寝ていて金縛りに遭いましたよ。

 怖い本なら、「山の霊異記」(安曇潤平/角川文庫)も面白い。山の怪異譚ですが、悪意を感じる怪異よりは、山での孤独や、家族への思いが多く描かれ、山への畏敬の念が心に響きます。また、山の不思議をまとめた「山怪」など、山と渓谷社の黒い本も楽しみにしています。

 「四人組がいた。」(髙村薫/文春文庫)も、ある意味で山の怪異小説でしょうか。愉快、痛快、奇々怪々。文明批判もあるでしょうけれど、大いに笑わせてもらいました。

 「旅先のオバケ」(椎名誠/集英社)は、表題のお化けに関することは最初の章だけで、海外の宿泊先で遭遇した出来事や、日本人には理解しがたい習慣が中心。小説ではなく旅行記で、同じ著者の「あやしい探検隊」シリーズとはまた違った趣向でした。ちなみに私は金縛り体質なのか、年に数回ほど掛かりますが、初めての旅先でキてしまうのが何といっても怖い。ずっと以前、三重県のある街に泊まったときは、妙に広すぎる一人部屋を不思議に思いつつ寝付いたところ、うなされて金縛り状態に。何とか起きると未明の3時頃でしたが、廊下からほかの泊まり客(?)のザワザワする声が。ほとぼりが冷めるのを待ち、チェックイン時に前払いで会計を済ませていたのを幸い、深夜は無人になるフロントに鍵を置いて、そそくさと宿を立ちました。

 シリーズの完結した小説としては、「あずかりやさん」(大山淳子/ポプラ文庫)と「活版印刷三日月堂」(ほしおさなえ/ポプラ文庫)。前者はオルゴールの流転の話が私好みと言ったら、ひねくれ者だとバレてしまうかも。想いは伝わらず、裏切られ、見捨てられ、けれどもそれは幸せへの道かもしれないのが、生きることの妙味かと。後者は街の印刷所を舞台に、活版印刷が人々を繋いでいく物語。世の中から受け取った物事を、書物の形にして世の中へお返しする。書物は時空を超えた誰かへのロングパスなのです。

 私の趣味のひとつ、鉄道のシリーズものでは、「完全版 南蛮阿房列車」(阿川弘之/中公文庫)。鉄道紀行の名作「阿房列車」(内田百閒)の海外版と言えます。再読を重ねている「新編 南蛮阿房列車」に掲載されていなかった作品を合わせて上下2巻に。私は海外旅行の経験がなく、今後も行かないと思うので、こうして誰かの書いた旅行記を読ませてもらうのが楽しみです。

 もうひとつ、「東南アジア全鉄道制覇の旅 インドネシア・マレーシア・ベトナム・カンボジア編」(下川裕治/双葉文庫)も面白い、というか凄い。凄すぎる。前作「タイ・ミャンマー迷走編」の続きで、文字通り、東南アジア地域のすべての鉄道路線を乗り尽くそうという途方もない企画です。彼の地を走る鉄道の想像を絶する「緩さ」と、次々に起こる意味不明な出来事。翻弄され続ける著者が気の毒ですが、一方で、鉄道に本来期待されている「人や物を運ぶこと」が極めてシンプルに、何の疑問もなく日々行われていることに、日本の鉄道からは失われて久しい静かな感動を覚えます。

 今年読んだ鉄道もので一番好きになったのは、「日本縦断客車鈍行の旅」(田中正恭/クラッセ)。稚内から長崎まで、旧型客車を連ねた鈍行列車だけを乗り継いでいくというテーマを持った旅行記です。40年余り前の日本を著者と一緒に旅しているようで、こういう鉄道紀行を読みたいという長年の願いが叶えられました。私は昭和から平成の初期にかけて国鉄(JR)路線の8割に乗っており、高校時代には、山陰本線824列車(門司→福知山)に乗り通したのが自慢(?)です。けれど、この本を読んで「その手があったか!」と、出来たかもしれないことに気付かなかったのを、幼少期からの時刻表ファンとして悔しくも思いました。

 鉄道には一国の技術の集大成みたいなところがあり、実に様々な人々や物事が関わっていますが、その中で「文字」に着目したのが「駅の文字、電車の文字」(中西あきこ/成美堂出版)で、前作「されど鉄道文字」の続篇。これはもう、一種のフェティシズムではないでしょうか。何かを極限まで突き詰めると、一般の人には見えないものが見え、新しい世界の扉が開かれます。その向こう側に住むのが達人で、達人の頭の中を見せてくれる貴重な本です。

 鉄道の直接絡まない旅ですが、主として明治期の古い道を踏査する「廃道を歩く」(石井あつこ/洋泉社)も、ひとつの分野を突き詰めた凄い本。同じく廃道・廃線跡の探検記「山さ行がねが」(平沼義之/実業之日本社)シリーズの驚きがよみがえり、これからも何処かの藪を掻き分けて行くであろう著者の無事帰還を祈るばかりです。

 創作の旅ながら、ネットの書き込みで知った「旅のラゴス」(筒井康隆/新潮文庫)は、人生の分岐点に立つ転轍手のような、強烈な影響力を持つ小説でした。多感な十代の頃に読めば旅立ちの衝動に抗えず、二十代ならその行き先はきっと海外。この本に、若い頃に出会っておくべきだったのか、それとも出会わずに済んで良かったのか。なるほど、昔の人が小説を害毒のように恐れた理由が分かりました。

 「ロング・ロング・トレイル」(木村東吉/わたしの旅ブックス)は、長い距離を歩いたり走ったりする旅の記録。これもまた、旅への、ひいては人生への示唆に富む本です。旅に大切なのは、笑顔、謙虚、理解。どれも私には足りていないなぁと。

 生き方への影響なら、「アナキズム」(栗原康/岩波新書)には驚きました。岩波新書とは信じられない真っ黒なカバーにギョッとしますが、読み始めると平易に書かれた檄文に圧倒され、思想書は難解で取っ付きにくいという先入観が覆されます。アナキズムは無政府主義というより支配への拒否であり、自由とは誰からも支配されず、誰をも支配しないことだと、この本を通して理解しました。

 前年から読み始め、来年へ続いていくのは「謹訳 源氏物語」(紫式部/林望(訳)/祥伝社文庫)のシリーズ(全10巻予定)で、「源氏物語」の全篇を通読できそうなのは瀬戸内寂聴訳(全10巻)に続いて2度目。古文が読めないのは授業をしっかり受けなかったからとして、現代語訳でも登場人物の誰が誰だか分からず投げ出すことが無くなったのは、近年の新訳の大いに助かるところです。

 関連して「源氏物語の教え」(大塚ひかり/ちくまプリマー新書)、「源氏物語を反体制文学として読んでみる」(三田誠広/集英社新書)なども。前者は紫式部が当時の皇后の家庭教師役だったことから「源氏物語」を生き方の教科書と捉え、「あなたを人扱いしない者とは付き合うな」など、現代にも通ずる教えを引き出しています。後者は平安時代の権力構造を踏まえ、ラブロマンスなど枝葉に過ぎない歴史小説として「源氏物語」を捉えていて、それ自体が小説を読むような緊張感にあふれていました。

 ところで「源氏物語」には、ある重要な役どころで猫が登場します。猫は千年の昔から人の世に関わってきたことを知りますが、「それでも猫は出かけていく」(ハルノ宵子/幻冬舎文庫)に登場する猫たちの凄絶な生き方に触れると、現代を生きる猫たちは人間をどう思っているのかなぁと考え込みます。

 歳を取るにつれて神道や仏教への関心が強まるのか、書店巡りをしていたら、東京の御嶽山を舞台にした「神坐す山の物語」(浅田次郎/双葉文庫)が目に留まりました。亡くなった誰かは消えてしまうのではなく、神様のようになって、どこかから見守ってくれている。そう思えてくる小説です。

 神といえば、読書を通して日本哲学界の神に邂逅しました。「そしてだれも信じなくなった」(土屋賢二/文春文庫)が書店で偶然目に留まり、以来、ツチヤ本と呼称される一連の随筆集を、カバー裏の「土屋賢二の本」を遡る形で読み継いでいます。なぜ逆方向かというと、「そしてだれも~」に続いて最初の2巻「われ笑う~」を読んだものの、続く幾つかは現在入手が難しいと分かったので、取り敢えず店頭にあるものから買っていこうかと。

 さて、本読みにとって気掛かりなのは、本それ自体の重量ですが、ずばり「本で床は抜けるのか」(西牟田靖/中公文庫)を読んで、私は全く心配ないと安堵しました。それにしても、物書きとはかくも凄まじい本の収集家なのかと驚きます。蔵書一代。本の持つ魔性を垣間見る思いです。

 それと並行して、「活字と自活」(荻原魚雷/本の雑誌社)を読了。昭和の緩さが残る街を背景に、懐が寂しいながらも読書三昧の生活が綴られます。同時進行の複数読書が、本を巡る生き方を、書き手と読み手の両面から見せてくれました。

 今年最後、年をまたいで読んでいるのは、「樹木たちの知られざる生活」(ペーター・ヴォールレーベン/長谷川圭(訳)/ハヤカワノンフィクション文庫)。樹木にも誕生があり、子育てがあり、競争があり、助け合いがあり、生死をかけた闘いがあり、運不運があり、事故や病気があり、そして死があると、多くの例を挙げて説きます。この本を読み始めてから、散歩の途次に出会う木々を見る目も、これまでとは変わった気がします。

2018年のゲーム / 2019.01.01

 ゲームといっても18禁ゲームの話題です。悪しからず。

 2018年に購入、プレイした新作はわずか1本。「かりぐらし恋愛」(ASa Project)だけでした。前年の2017年も「はるるみなもに!」(クロシェット)など2本しかなく、時間と予算を読書に振り向けた結果、ここ数年はゲームをあまりプレイできていません。

 その貴重な1本「かりぐらし恋愛」は、アサプロらしく笑いがいっぱいで、どのルートも面白かったのですが、やはり大方の評価と同じく、新妻家の母娘が一番でした。ひよりは変顔担当にも関わらず、主要ヒロイン4人でも言動は意外に(失礼)まともでしっかり者。母親のみよりも浴室へ乱入とか無茶をしますが、長年にわたって和菓子屋兼甘味喫茶を切り盛りしつつ、ひよりを一人で育ててきた苦労人。何となく「Kanon」(Key)の水瀬母娘(秋子さんと名雪)を思い出させます。

 グータラお姉ちゃんの杏も、見ているだけなら面白い。おさななじみーズに朝食(食べると吐く)を作ったことを自慢して、「全然すごくなーい」と撃沈される杏姉。同じ姉キャラでも、完璧超人の誉れ高いタマ姉こと「ToHeart 2」(Leaf/Aquaplus)の向坂環とは対極に位置しています。

 この作品で上手いなと思ったのは、事情があって宿無しの主人公が、幼馴染みヒロイン4人の家を二日ごとに泊まり歩き、だんだん仲良くなっていくという設定。毎日ではなく、二日ごとというのがミソで、それぞれの家庭の事情を見通せるし、次へ移る際も名残惜しい感じが良く出ています。アサプロの作品はほかにも幾つかプレイしていますが、こういう人間関係の設定が毎回巧みです。

 また、間投詞など短い台詞が、時々声優さんの地声(?)になっているのが面白い。そういう演出だと分かっていても、不意打ちに負けて何度も吹き出しました。もうひとつ、エッチシーンでも笑いを取ろうとする姿勢こそ、アサプロの真骨頂でしょう。

 最も印象に残ったのは、サブヒロインの奈々子が「適当に生きてても誰かのルートに入れると思ったら大間違いだ」と力説する場面。変態生徒会長も賛同するとおり、人生は何が起きるか分からないので、程良く真面目に生きるべきなのです。

 さて、2019年はクロシェットの2年ぶりの新作「ココロネ=ペンデュラム!」が予定されています。クロシェットは大好きなブランドで、全作品を購入、プレイしており、時間のあるときは一部のシナリオを読み返していますが、今度はどんな作品を楽しめるのか、とても待ち遠しいです。

サハロフ(佐藤純一)