DUMKA

2020年の読書 / 2021.01.02

 今年使った本代は、紙の本と電子書籍を合わせて7万円あまり(約90冊)で、昨年の7割ほど。緊急事態宣言で書店が休業して未読本が尽き、それを機に既読本の再読が増えて、新規購入が減りました。ひと月程度とは言え、書店で未知の本との出会いがないと、読書の習慣にもこれだけ影響するようです。

 また、秋には初めてスマートフォンを導入。これまで携帯電話を持ったことが二度ありますが、ほとんど使わず数年で契約解除に至りました。でもスマホは天気予報や乗り換え案内が便利で、何より電子書籍を手軽に幾らでも読むことができ、今度こそ失敗せずに済みそうです。

歴史のこと

 今年最後に読み終えたのは、古代から江戸時代まで、日本史上の人物の実像を沢山の文献からあぶり出す「くそじじいとくそばばあの日本史」(大塚ひかり/ポプラ新書)。昔の人は短命だったというのは、現代日本に生きる私たちの思い込みに過ぎません。実際には長生きの人が結構いて、政治から芸術まで、あらゆる分野で影響力を振るっていました。歳に関わらず活躍の機会はあり、要は才覚。へこんでいては何も出来ないのです。

 近代史へ飛びますが、旧海軍の兵站を考察した「日本海軍ロジスティクスの戦い」(高森直史/光文社NF文庫)。最前線ばかりが戦場ではありません。ウォーターラインシリーズ(軍艦のプラモデル)を組み立て、子供向けに書かれた戦記物を読んでいた小学生の頃には、それらを支える兵站の重要さにまで目が行きませんでした。

古典のこと

 昨年から読んでいた「新源氏物語」(田辺聖子(訳)/新潮文庫)は、「霧ふかき宇治の恋」を含む全5巻を3月にかけて読了。元々「源氏物語」は最後の「夢浮橋」が続きの書けそうな終わりかたをしているためか(続くのも浮舟が気の毒な気がしますが)、夢から急に覚めたような読後感が残ります。面白かったけれど物足りなくて、部分的に読み返したり、関連する書物へ手を伸ばしたり。源氏物語の旅は長く、終わりがありません。

 そんなわけで、昨年の「私本・源氏物語」に続いて「新・私本源氏」「異本源氏物語」や、「源氏姉妹」(酒井順子/新潮文庫)といったパロディ、さらには「とりかえばや物語」(田辺聖子(訳)/文春文庫)まで楽しんだ後、「紫式部ひとり語り」(山本淳子/角川ソフィア文庫)を読みました。紫式部の自伝という形を取った、研究者による評伝で、こうした形の伝記はほかに読んだことがなく新鮮です。まるで紫式部が現代の小説家として、千年の時を超えて現れたかのよう。「源氏物語」のガイドブックとしても面白く、タイミング的にも有り難い本でした。

 古典というか、シンデレラや竹取物語など、有名な昔話や童話をSF化した「トランスヒューマンガンマ線バースト童話集」(三方行成/ハヤカワ文庫)は凄かった。オリオン座のベテルギウスが(宇宙的規模で)近々超新星爆発を起こすのではないかとメディアで話題に上り、広く知られるようになったのが、ガンマ線バースト(GRB: gamma-ray burst)という宇宙でも最大規模の爆発現象です。そのGRBが童話に割り込んでくる奇天烈さといったらなく、思わず笑いこけてしまいました。

山のこと

 ヒマラヤ奥地からの決死の脱出行を描く「遙かなり神々の座」(谷甲州/ハヤカワ文庫)。谷氏はSF小説で知りましたが、山岳小説も緻密な描写が魅力です。七千メートル峰の登頂経験を持つ著者だけに、高山の想像を絶する厳しさと、国境の山行の実際が克明に描かれ、山へ入ってからの高い緊張感に引っ張られて一気に読み通しました。紙の本が入手困難のため電子書籍で読みましたが、存在するはずの続篇「神々の座を超えて」は電子版すら無いようで残念です。

 今日とは装備も技術も比較にならない戦前に行われた、立教大学山岳部によるヒマラヤ未踏峰への挑戦「遠き雪嶺(上下巻)」(谷甲州/角川文庫)も電子版で読了。上巻は二・二六事件の頃で世間の目が厳しく資金集めに難航、下巻は現地の事情に戸惑いつつ奥地へ足を踏み入れていきます。

 山のプロが遭遇した危難の数々を通して、山人への啓蒙の書とした「荻原編集長 危機一髪!」(荻原浩司/ヤマケイ新書)。険しさばかりが山の困難ではなく、危険生物や人自身の行動が生命を脅かすことも。最終章で山の怪異に触れていたのは、それまでの流れから意外でしたが、長く山に関わっていると、不思議な出来事に遭うこともあるのですね。

 山小屋の主人が宿泊客との炉端話に語った山の逸話集、「山小屋主人の炉端話」(工藤隆雄/ヤマケイ文庫)。山では下界の常識(あるいは思い込み)が通用しないことがあり、信じられないような出来事や、人が起こす奇跡を目の当たりにすると言います。そこへ常駐する人だからこそ知り得たことが沢山あり、この本に収められたのはほんの一部なのでしょう。

 山歩きと秘湯巡りの「山の朝霧 里の湯煙」(池内紀/ヤマケイ文庫)。かつてあった、のどかな山の風景。里に近い山道を歩き、疲れたらひなびた温泉宿に泊まる。難しいことは何もなく、シンプルな旅の楽しみに満ちています。

旅のこと

 今年よく聞いたのが「不要不急」という戦時中の標語のような言葉。それで、真っ先に思い出した「阿房列車」(内田百閒/新潮文庫)全3巻を再読しました。「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない」という、冒頭の有名な一節が、まさか今、現実になるとは。

 海外への個人旅行で遭いがちなトラブルを、本人の体験談で面白く読ませる「海外旅行なんて二度と行くかボケ!!」(さくら剛/わたしの旅ブックス)。海外旅行の経験がない私には、それは本当なのか?と思うほど、驚きの連続でした。外国って怖い…。

 著名芸能人のキューバ単独紀行、「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」(若林正恭/文春文庫)。テレビとは違う普通の人としてキューバやモンゴルを歩き、飾らない本当の姿をした人々と触れ合う。それが出来る勇気と行動力、本にしてしまう文章力に脱帽です。

鉄道のこと

 JR移行の後、大規模に行われた国鉄客車の廃車回送を追跡した「幽霊列車」(笹田昌宏/イカロス出版)。そういえば当時、川崎駅の側線に留置されていた旧型客車もいつの間にか消えていましたが、ああしてどこかへ運ばれ、解体されたのでしょう。走れる蒸気機関車と同様、客車も今や希少な観光資源ですし、もっと残っていればと惜しまれます。機関車に牽引されて走る客車には動力源がなく、旧型となれば冷房もないので、停車すると音を一切発しません。JRの初期まで残っていた長距離客車鈍行は、駅ごとに訪れる静寂のひとときも楽しみのひとつでした。

 その客車に関連して再読したのが「日本縦断客車鈍行の旅」(田中正恭/クラッセ)。もう決して出来ない、貴重な旅の記録です。私のような中年ばかりでなく、当時を知らない若い読者も、一緒に旅をしている気分に浸れるでしょう。

 旅と言えば、富士スバルラインの鉄道化が話題になったので、観光道路を鉄道へ転換する提言「夢の山岳鉄道」(宮脇俊三)を再読しました。著者の執筆動機が道路に対する復讐だったにせよ、鉄道への転換は環境面で有利。単行本が出た1993年以来、現実にはかすりもせず、道路が強すぎる日本では駄目かと思っていたので、富士登山鉄道は正夢になってほしいです。

 小説の中にも鉄道は走ります。

 実在する駅舎民宿、函館本線比羅夫駅を舞台にした「駅に泊まろう!」(豊田巧/光文社文庫)は、苦難に遭って弱り切った人を助け、新たな明日へ送り出す物語。説教じみたり押し付けがましかったりは一切なく、体当たりですが暑苦しくもありません。北海道の爽やかな大気を思わせる優しい小説で、シリーズ化してくれると嬉しいです。

 東京北郊へ延びる架空の私鉄を舞台に、日常に潜む謎を解き明かしていく「早房希美の謎解き急行」(山本巧次/双葉文庫)。東京の大手私鉄という設定が目を惹きました。ガチの犯罪から男女のすれ違いまで、鉄道はドラマチックな世界だと改めて思います。こちらも続きそうな話なので、シリーズ化してほしいですね。

 同じ著者による、ローカル線の存続を賭けてトレインジャックを敢行する「留萌本線、最後の事件 トンネルの向こうは真っ白」(山本巧次/ハヤカワ文庫)。あまりに道路に偏り、鉄道は新幹線と通勤電車だけで良いような風潮に、一矢報いた…かな?

地名のこと

 「ゆかいな珍名踏切」(朝日新書)、「ふしぎ地名巡り」(ポプラ文庫)、「地名崩壊」(角川新書)、「駅名学入門」(中公新書ラクレ)と、今尾恵介氏の著書を続けざまに読了。子供の頃に覚えた地名も平成の大合併で強制リセットされましたが、鉄道路線に沿った私の記憶など満鉄付属地みたいなもの。全国の地名を網羅するであろう著者の恨みはさぞや深いことでしょう。

 山手線に久しぶりの新駅が誕生し、その名前が話題になりました。それはさておき、個人的には駅名の改称が気になります。「紅葉山」から「新夕張」へは夕張支線の廃止を見れば仕方なかったにせよ、「龍ヶ森」が「安比高原」にされたのは旧名時代の想い出があるだけに残念でなりません。駅名は鉄道会社の商品…ですか。

 古い名前が次々に失われる中、一般に注目されないが故に、鉄橋、トンネルといった鉄道施設には、かつての地名が残っていたりします。特に踏切は名付け方に一定の決まりがないようで、不思議なほどに自由で面白く、まだまだ捨てたものではありません。

 住居表示などで地名には数字がつきもの。電話番号からマイナンバーまで、身の回りに数多ある番号の構造、経緯、背景を探る「番号は謎」(佐藤健太郎/新潮新書)。私たちを取り囲む番号の多さに驚くうち、それらに振り回される人間模様が見えてきます。マイナンバーへの著者の怒りは、フリーランスなら共感できるのではないでしょうか。

小説のこと

 「星をつなぐ手 桜風堂ものがたり」(村山早紀/PHP文芸文庫)。「桜風堂ものがたり」の続篇が出ているとは知らず、書店で偶然手に取りました。童話のような優しい物語で、誰もが温かい気持ちになれるでしょう。猫に始まり、猫に終わるのが、ぐっときます。大型書店が複数ある川崎に住む私には、本を自由に探して、好きなだけ買って読める、その有り難みが、コロナ禍で起きたことと合わせて、よく分かりました。最後の「それからのこと」で登場人物たちのその後を公開してしまったのは、もう続篇はないということでしょうか…。

 第2巻まで出ている「いらっしゃいませ・下町和菓子栗丸堂」(似鳥航一/メディアワークス文庫)を続けて読了。書物や音楽、映画は、時として人生の転轍手に成り得ます。それを和菓子でやってのける、このシリーズが復活。また新しい話を読めるようになり嬉しいです。

 「活版印刷三日月堂」(ほしおさなえ/ポプラ文庫)の続篇、「空色の冊子」に続いて「小さな折り紙」を読了。完結している本篇の合間や裏側を描いた作品で、あの話にはこんな背景があったのかと思いますが、もう少し早く読みたかったなと。

 印刷から紙繋がりで、同じ著者による「紙屋ふじさき記念館」(ほしおさなえ/角川文庫)。12月に第1巻「麻の葉のカード」を読了し、新年最初に第2巻「物語ペーパー」を読み始めました。昭和30年代生まれの私にとって、和紙を使った建具や、人の手で作られた調度の手触りは、幼い頃の記憶と切っても切れないものです。いつの間にか遠くへ行ってしまった和紙を、手許へ呼び戻すことは出来るのか。普段読んでいる本も、書いている日記のノートも洋紙ですし、和紙のために出来ることは何かあるのでしょうか。

 余談ですが、作品にシリーズ番号が振られていないため、第2巻から先に買ってしまい、翌日第1巻を買おうとするも品切れで、別の書店へ買いに行くという間抜けぶりを露呈。店頭で知らない本と出会うのは大きな楽しみですが、要するに衝動買いなので、こういう失敗もします。

01.03 追記(旅のこと)

サハロフ(佐藤純一)