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パエストカ 〜小旅行〜

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ホリデーヨコハマ号乗車記

鎌倉〜大船〜鶴見〜府中本町〜大宮 (横須賀線・東海道本線・武蔵野線) 1989年(平成元年)11月26日(日)

 10月号の時刻表で、「ホリデーヨコハマ号」という列車を見付けました。朝に小山を発ち、午後に鎌倉から帰る臨時列車です。ヨコハマ博の時、小山・横浜間に運転されていた列車の延長版で、休日に2往復運転。最近の行楽臨の例に洩れず、この列車も面白いコースを行くので、早速乗ってみることにしました。

 11月26日(日)。東海道本線と横須賀線を乗り継いで、鎌倉へ。ホームで待っていると、12時48分、165系電車の6両編成が、ゆっくり入線してきました。前面に、海にヨットを配したヘッドマークを付けています。塗装は緑とオレンジのいわゆる湘南色。165系は急行型と呼ばれる長距離列車向けの車両で、車内には4人1ボックスの座席が並んでいます。座席のモケットはオリジナルの濃紺から、赤系のチェック模様に張り替えられていました。

 それにしても、なんと乗客の少ないことでしょう。駅に案内らしい掲示は見当たらず、ホームの床面にはチョークで「ホリデー号」と書かれているだけ。12時51分の発車時、乗車率は25%ほどに過ぎませんでした。

 次の北鎌倉で、下りのホリデー号とすれ違います。向こうの車内を覗くと、家族連れの姿がちらほら。どうやら、我が上りのホリデー号は、12時51分という発車時刻のために損をしているようです。第一、今日は快晴のポカポカ陽気。この列車が目的で乗っているのでもなければ、全国区の有名観光地・鎌倉から昼過ぎに帰るなど、あまりにもったいないでしょう。

 大船に着くと、少なかった乗客がだいぶ降りてしまい、代わって、同じくらいの人が乗ってきました。ここまでは普通の横須賀線と変わりないみたいですが、ホリデー号は大船から大宮まで快速運転。鉄道ファンにとっては、いよいよ興味深い区間の始まりです。

 私は当初、列車はこのまま横須賀線の上り線を通って新鶴見信号場に至り、それから武蔵野線に入って、大宮方面へ向かうのだろうと思っていました。しかし予想に反して、列車は戸塚の手前で東海道本線の上り線へ。13時14分、横浜に着くと、ほとんどの乗客が降りて、車内はガラガラに空いてしまいました。

 横浜では特急「踊り子8号」を先に通し、13時20分に発車。そのまま東海道本線を走り続けます。進行左側に光る横須賀線の線路を眺めつつ、いったいどうするつもりかと訝るうち、生麦付近に差し掛かりました。進行右側には横浜羽沢経由の東海道貨物線が、高島線の上下線に割り込むように、地下から現れます。すると、列車は速度を落とし、東海道本線の下り線を通って、貨物線へ渡ってしまいました。昼下がりとはいえ列車密度の高い、それも天下の大幹線を横切るとは、なんと大胆なダイヤでしょう。

 13時27分、鶴見でいったん停車。左に京浜東北線のホームが見えますが、こちらは貨物線で、ホームが無いため、客扱いは行われません。30秒ほどで発車すると、列車は品川と鶴見を結ぶ品鶴貨物線に入りました。緩い上り勾配の鉄橋で鶴見川を渡り、続いて、東海道本線と京浜東北線を乗り越します。そのまま左へカーブすると、さらに上を横須賀線の高架橋が跨いでいきました。旅客駅としては小規模な鶴見ですが、生麦から鶴見川鉄橋にかけては線路の離合集散が目まぐるしく、首都圏でも屈指の大分岐点といえます。

 地上に降りた列車は、新鶴見操車場跡の西側の縁を北上しはじめました。右手には草むす広大な敷地が続き、その向こうの線路を、横須賀線の上り列車が競うように併走しています。やがて線路跡がまとまり、13時34分、全長5382メートルの小杉トンネルへ進入。左へカーブを切って、進路を西に変えました。いよいよ待望の武蔵野南線です。

 13時49分、小杉トンネルを出て梶ヶ谷貨物ターミナルを通過。すぐに生田トンネルへ入ります。長さ10359メートルという長大なトンネルで、武蔵野南線とは貨物列車専用の地下鉄かと納得しました。旅客化の計画もあると聞きますが、果たして、いつになることやら。今のところは、こういう変わった列車でなければ通れない、謎の鉄道です。

 東京都に入り、第二稲城トンネルの中で進路を北に取ると、列車は断続する闇から解放され、多摩川の上に躍り出ました。進行右側にやや低く、南武線の鉄橋が並んでいます。南武線の電車でこの鉄橋を通るたび、いつかあの線に乗れたらと、眩しく見上げてきたものですが、それがついに現実のものとなりました。

 13時50分、府中本町を通過。南武線と武蔵野線の接続駅で、駅の格から見れば、停車すべきところです。しかし、武蔵野線の電車が発着するホームは、この列車が通る貨物線には接しておらず、停車しようにもできません。

 武蔵野線は、山手貨物線の過密ダイヤを緩和するために計画されたバイパス路線で、貨物列車を最優先に設計されました。東京から放射状に伸びる東海道、中央、東北、常磐、総武の各線を結び、首都圏の貨物輸送の大動脈として、重要な位置を占めています。これまで通ってきた「武蔵野南線」もその一部で、通常、府中本町までは貨物列車しか走っていないため、そう読んで区別しています。

 13時55分、中央本線と交差する西国分寺に着きました。横浜以来、久々の停車駅です。以後は新秋津、東所沢、北朝霞と、いずれもわずかな乗降があるのみ。列車は東京都から埼玉県に入り、荒川を長さ1290メートルの下路トラス鉄橋で渡っていきます。

 14時17分、西浦和を通過。武蔵野線の本線と分かれて、東北本線との連絡線に入りました。与野トンネルをくぐると、赤茶けた広大な敷地の大宮操車場跡に出ます。やがて左から東北新幹線の大高架橋が近付き、定刻通りの14時25分、大宮駅の11番線に滑り込みました。

 大半が席を立ち、代わって数人が乗車。大宮からは東北本線の各駅停車になるので、私はここで下車します。観光列車の装いを解いた「ホリデーヨコハマ号」は、終着の小山を目指して、ホームを離れていきました。


九州旅行

JR九州 1990年(平成2年)4月28日(土)〜5月4日(金)

 小旅行と大旅行をどこで区分するかは人それぞれでしょうけれど、1週間に及ぶ旅行なら、日本人的感覚では長旅だと思います。それも海外ではなく、国内の旅行に多くの日数をあてるとなれば、かなり贅沢なことと言えるでしょう。私はこれまでに何度か、そうした規模の大きな国内旅行をしてきましたが、計画を立てる上で最も苦心したのが1990年春の九州旅行でした。

 私の旅は基本的に鉄道のみを利用した旅行なので、北海道や九州へ渡るには一日がかりで本州を縦断します。「なんと退屈な」と思われてしまいそうですが、そこは私も鉄道ファンの端くれ。新幹線はあの速度感がたまらなく魅力的ですし、東海道本線や東北本線にも長大幹線ならではの見所が多く、何度通っても興味は尽きません。

 秋葉原レポートからも分かるように、私は「メモ魔」でして、その特性は旅先でも遺憾なく発揮されます。印象を記したメモの幾つかは、「北紀行」「深雪」などの紀行文として結実しました。しかし、いつも文章化できるとは限らず、1990年の九州旅行では、詳細な記録を残していながら、形を成すには至っていません。もったいないなぁと思っていましたが、先日、九州新幹線部分開業の報に接し、古い記録を少し漁ってみたので、列車乗り継ぎの実行程を中心に、印象や出来事を軽く書いてみることにしました。

 鉄道全行程5596.9キロ(実キロ)、所要時間165時間58分(うち鉄道乗車97時間18分)。JR九州の乗り残し区間完乗が、この旅の目的です。旅行記と言えるようなものではありませんが、列車に乗ること自体が目的の旅とはどんなものなのか、その一例をご紹介できるでしょう。それにしても、我ながら無茶をしたものだと苦笑せざるを得ない、複雑怪奇な旅程ではあります。

1日目 1990.04.28(土) 東海道本線・山陽本線

東京1140→(快速「アクティ」 113系電車)→1312熱海1315→(普通 115系電車)→1433静岡1434→(普通 113系電車)→1546浜松1547→(普通 113系電車)→1621豊橋1624→(新快速 311系電車)→1734岐阜1759→(急行「たかやま」 気動車)→1954京都2132→(快速「ムーンライト九州」 14系客車)(車中泊)

2日目 1990.04.29(日) 山陽本線・鹿児島本線・久大本線・日豊本線・三角線

(車中泊)→0551門司0554→(普通 423系電車)→0721博多0747→(急行「由布1号」 気動車)→1122別府1259→(急行「火の山4号」 気動車)→1609熊本1723→(普通 気動車)→1816三角1821→(普通 気動車)→1915熊本(宿泊)

3日目 1990.04.30(月) 鹿児島本線・日豊本線・日南線・鹿児島交通(バス)・吉都線・肥薩線・日豊本線

熊本0645→(特急「有明1号」 485系電車)→0922西鹿児島0938→(特急「にちりん36号」 485系電車)→1143宮崎1210→(快速「日南マリーン」 気動車)→1422志布志1501→(鹿児島交通 バス)→1628都城1659→(普通 気動車)→1829吉松1857→(普通 気動車)→1951隼人2100→(急行「日南」 12系・24系客車)(車中泊)

4日目 1990.05.01(火) 日豊本線・筑豊本線・久大本線・日田彦山線・鹿児島本線・筑豊本線・後藤寺線・篠栗線・香椎線・篠栗線

(車中泊)→0530小倉0537→(普通 811系電車)→0601折尾0638→(普通 50系客車)→0808原田0822→(普通 415系電車)→0834鳥栖0858→(普通 気動車)→1004夜明1008→(快速「日田」 気動車)→1158小倉1203→(普通 811系電車)→1217門司港1220→(快速 811系電車)→1257黒崎1258→(普通 気動車)→1310中間1320→(普通 気動車)→1326折尾1350→(普通 気動車)→1406若松1410→(普通 気動車)→1453直方1519→(普通 気動車)→1536新飯塚1604→(普通 気動車)→1630田川後藤寺1647→(普通 気動車)→1711新飯塚1718→(普通 気動車)→1804長者原1816→(普通 気動車)→1833宇美1847→(普通 気動車)→1918香椎1926→(普通「アクアエキスプレス」 気動車)→1948西戸崎1954→(普通「アクアエキスプレス」 気動車)→2017香椎2020→(普通 気動車)→2033長者原2036→(普通 気動車)2045吉塚2047→(普通 423系電車)→2050博多(宿泊)

5日目 1990.05.02(水) 鹿児島本線・日豊本線・指宿枕崎線・鹿児島本線

博多0724→(特急「にちりん7号」)→1322宮崎1325→(普通 475系電車)→1558西鹿児島1633→(普通 気動車)→1915枕崎1942→(普通 気動車)→2217西鹿児島2310→(特急「桜島」 14系客車)(車中泊)

6日目 1990.05.03(木) 福岡市営地下鉄・筑肥線・唐津線・長崎本線・佐世保線・大村線・長崎本線・鹿児島本線

(車中泊)→0537博多0630→(普通 103系電車)→0750唐津0758→(普通 気動車)→0801西唐津0814→(普通 気動車)→0919伊万里0927→(普通 気動車)→1015山本1017→(普通 気動車)→1109久保田1120→(普通 電車)→1129肥前山口1136→(特急「みどり7号」 485系電車)→1231佐世保1252→(普通 気動車)→1528長崎1628→(特急「ハイパーかもめ32号」 783系電車)→1824博多1857→(博多南線 0系電車)→1907博多南1936→(博多南線 0系電車)→1946博多2111→(快速「ムーンライト九州」 14系客車)(車中泊)

7日目 1990.05.04(金) 山陽本線・山陽新幹線・東海道新幹線

(車中泊)→0444岡山0600→(山陽・東海道新幹線「ひかり100号」 0系電車)→0938新横浜


航跡

川崎〜木更津 (マリンエキスプレス) 1997年(平成9年)12月16日(火)

 川崎と木更津を結ぶ東京湾アクアラインが12月18日に開業し、同日、この道路と並行するフェリー航路が廃止されます。生まれてからずっと川崎市、それも一番海側の川崎区に住んでいる私ですが、東京湾の対岸である千葉県側には特に用事が無いので、この航路を利用したことは一度もありません。

 身勝手なもので、今までは全然気にもしなかったのに、もう乗れなくなると思うと、乗っておかないと後悔しそうな気がしてきました。12月16日、昼前のNHKの天気予報を見ていたら、明日は天気が崩れると言っています。ちょうど仕事が一区切りついて、時間ができたところだったので、乗りに出掛けることにしました。

 いったん自宅からバスで川崎駅に出て、浮島行きのバスに乗り継ぎます。浮島というのは広い埋め立て地で、石油化学工場などがあり、その先のほうにフェリー乗り場があります。同じ川崎区ですが、川崎駅とフェリー乗り場はまったく反対側の端っこにあるので、バスで30分くらいもかかります。

 フェリー乗り場に着いて、窓口で木更津まで1050円の切符を買い、あまり広くない待合室に入ります。売店やそばスタンドがあり、椅子が並んでいますが、年月を経て、全体に古ぼけた感じが漂っています。なんだか侘びしいので、外へ出ました。

 ここからは廃止になる川崎・木更津航路のほか、宮崎県の日向市へ向かう九州航路も出ています。九州航路のフェリーは大型なので、船が接岸する埠頭は少し離れており、そちらへ向かう歩道橋が、木更津航路の狭い岸壁の上を越しています。フェリーを間近に見物できるので、そこへ上がってみました。

 浮島埠頭は多摩川の河口にあり、その対岸は羽田空港です。大きな旅客機が飛んできて、スローモーションのように着陸しました。あんな大きな物が、どうして空を飛んでいられるのか、仮に理屈では納得できたとしても、感覚では到底掴めるものではありません。私は生まれてこのかた、飛行機には一度も乗ったことがありませんが、できれば一生乗らずに済ませたいものだと常々思っています。

 九州航路の埠頭の向こうには海が広がり、新聞で見た川崎人工島の特徴のあるシルエットが霞んでいます。その手前に、これから乗船する木更津航路のフェリーが、こちらに向かって走ってくるのが見えました。小さな双胴船です。

 すぐ目の前にフェリーが接岸し、陸地と船が可動橋のようなもので接続されると、乗り込んでいたバイクが先頭を切って走り去り、続いて自動車や乗客が降りてきました。それを見届けて私も歩道橋を降り、切符を渡して乗船しました。

 14時40分、出港です。頭を陸地側に向けていた船は、いったんバックで離岸し、それから向きを変えて走り出しました。

 もう十年以上も前になりますが、私が初めて北海道へ渡る時に乗った国鉄の青函連絡船は、ボーーッという大きな汽笛を鳴らして、夜の青森桟橋をゆっくりと離れました。船内には「蛍の光」が流れ、青森駅の構内からは電気機関車のピィーーッという細い汽笛が追いすがるように聞こえてきて、ああ、遠くまで来たんだなと、しみじみ実感したものです。

 まあこちらは船も小さく、木更津まで65分ですし、日常的に利用している人もいます。生活路線に演出は要らないでしょう。

 行きは昼間で、天気が良く、比較的暖かかったので、上部甲板に出ていました。暖かいといっても12月ですから、風はそれなりに冷たいですが、船に乗るのが珍しいので、あまり広くない甲板をあちこち歩き回り、周りを眺めていました。

 この航路にほぼ沿ったルートを取って、アクアラインが建設されたので、船からは川崎と木更津の人工島がよく見えます。行きは川崎人工島の東京側のすぐわきを通ったので、右舷から川崎人工島を眺めました。斜めにカットされた大小2本の円筒が、それぞれ反対側を向いて、少し傾いて立てられています。

 アクアラインは川崎から木更津人工島までがトンネルになっていますが、その中間にある川崎人工島の2本の円筒は、トンネルの換気塔の役割を果たしています。煙突みたいに穴が開いているのかと思っていましたが、そうではなく、斜めに切られた部分には蓋がしてあるので、いったいどこから空気を出し入れするのかと疑問に思いました。そういえばこの換気塔、遠目には海上にポンと置かれたアイロンのように見えます。

 この円い小さな島には「風の塔」という名前が付けられているそうです。シンプルで洒落たデザインとあいまって気に入りましたが、このフェリー航路が廃止されると、こんなに近くで見る機会は、もうなさそうです。

 アイロン島、もとい川崎人工島を過ぎると、前方の海上に、何やらごちゃごちゃした固まりが見えてきます。これが木更津人工島で、「海ほたる」という名前が付けられています。名前とは裏腹に、海から見るとお世辞にも美しいとは言えない建造物ですが、この島から周りを眺める分には関係ないので、それでも良いのでしょう。

 ここから木更津の陸地まで、アクアラインは海上に渡した長い橋になっています。明後日に迫った開業の関係でしょう、何台かの自動車が走っていました。

 木更津人工島を過ぎて、船は右へ舵を取り、浦賀水道側へと向かいます。どうするのかと思っていると、やがて前方に木更津港の長い防波堤が見えてきて、それをかわすためだと分かりました。

 防波堤の上に動いているものが見えるので、何かと目を凝らすと、釣りをする人たちでした。防波堤は所々切れているらしく、陸地から歩いていくことはできそうもありません。船で連れてきてもらうのかもしれませんが、この寒い中、こんな吹きっさらしの海の上にいるのは、私なら心細くて御免被りたいところです。

 船は防波堤の先端を左へ回り込んで、その奥にある木更津港の岸壁を目指します。海岸には工場やコンテナ埠頭といった、お馴染みの港湾風景が並んでいます。海上からもよく見える大きな工場なので、帰ってきてから地図で調べてみたところ、新日鐵の君津製鉄所でした。

 海から眺める港や工場は、いかにも人工的な、寒々とした風景ですが、海上を吹き渡る寒風ともよくマッチしていて、雰囲気としては悪くありません。私は小さい頃から工場のある風景がとても好きで、パイプが複雑に絡み合っていたり、煙突から煙が出ていたりするのを見ると、今でもわくわくします。列車の旅でも車窓に大きな工場が現れると、身を乗り出して眺めます。

 前方に航路をまたぐ巨大な歩道橋(?)が見え、それをくぐると木更津の市街地がもう目の前です。15時45分頃、船は速度を落として後ろ向きに接岸し、1時間余りの短い船旅は終わりました。

 ずっと甲板に出ていたので、身体はすっかり冷え切ってしまいました。このまま今の船で川崎へとんぼ返りしますが、帰路は客室で暖まりながら、暮れかけた窓の外を眺めようと思います。


入間へ

川崎〜品川〜大崎〜池袋 (東海道本線・山手線・湘南新宿ライン) 2003年(平成15年)12月18日(木)

 ディスカバリーから出ている「ぎゃくたま」というゲームがあり、「ツインズラプソディ」の古月拓海さんがシナリオを担当されているそうで、以前から気になっていました。昨年8月に発売された作品ですが、毎月40以上といわれる新作の波に押し流され、もはや新品での入手は困難。「まあ、中古なら時々見掛けるし、何より積みゲーが多い現状では、急がなくてもいいだろう」と、のんびり構えていたところ、このページの読者の方から、某所にて2000円で販売されているとの情報が寄せられました。

 そんなわけで、本日、川崎を15時09分の東海道本線・東京行きで出発。品川で15時23分の山手線・外回りに乗り換え、次の大崎で下車して、15時38分の湘南新宿ライン・宇都宮行きに乗り換えました。「電車でGO!」で馴染みがありますが、山手貨物線を旅客化したこの区間は、新宿以南を実際の列車で通ったことがありません。

 ここ数年というもの、東北・高崎線方面へ出掛ける機会がなかったので、E231系に乗るのも、記憶にある限りでは初めてです。乗り込んだのはセミクロスシートの車両で、混んでいるというほどではないものの、座席はさすがに塞がっていました。扉のわきに立って、目黒駅のホームを見上げたり、山手線の下を潜ったり、ちょっとばかり新鮮な眺めです。間近に見る原宿駅の宮廷ホームは、平成の御代に持て余している風で、うら寂しい感じ。昭和はだんだん遠くなっていきます。

 まだ15時台であるからか、新宿でも乗客はさして増えないまま、15時58分の池袋で下車。池袋には、同人界における巨大イベント会場のひとつ、サンシャインシティがありますが、忙しい日曜日に川崎から出向くのは難しく、数回しか行ったことがありません。ともあれ、ここで西武池袋線に乗り換えです。

池袋〜入間市 (西武池袋線)

 西が東武、東が西武という、よく分からない池袋駅。もっとも、方向音痴の私には、東も西もありません。人の流れに乗ってグルッと歩き、入間市まで36.8キロ・420円の切符を購入。馴染み深い東海道本線に当てはめると、品川〜大船間(39.7キロ・620円)にほぼ相当する距離です。

 自動改札を通って乗り込んだのは、16時13分の急行・飯能行き。神奈川県に住んでいると、西武の電車にはとんと縁がありません。鉄道ファンの私でさえ、西武には実に30年近くも乗っておらず、池袋線はもちろん初めて。クリームイエローというのか、明るい外装が目を惹き、車内もロングシートながら、座り心地は上々です。

 東長崎に江古田と、一部ゲーマーには聞こえた駅名が続き、ちょっと懐かしい雰囲気の駅前商店街を車窓から瞥見。それから高架へ上がって練馬を過ぎ、複々線になりました。どこの路線にしろ、高架橋からの眺めは余所余所しいものだなと思ううち、また複線に戻り、地上へ降りると、最初の停車駅、石神井公園です。窓の外は、街の灯と空の色が溶け合うトワイライト。ひばりヶ丘を出て、「めぞん一刻」の舞台として知られる東久留米を通過しました。

 次第に郊外の眺めになって、どこが都県境だったのか分からないまま、電車は埼玉県に。JR武蔵野線との連絡線と並んで、16時35分、西武王国とねこねこソフトの牙城・所沢のホームに進入しました。西武新宿線との接続駅で、沢山の人が乗ってきます。

 所沢からは各駅停車。駅ごとに乗客が減り、開いたドアから冷気が忍び込んで、車内が寒々としてきました。右に航空自衛隊の入間基地が見えているはずですが、もう暗くて分かりません。稲荷山公園を出て、夜景を見下ろしながら左に回り込み、16時52分、入間市に着きました。

 市の代表駅にしては寂しい駅前ですが、駅が中心部から離れていることは、家を出る前に見た地図で確認済み。ロータリーから延びる道を10分ほど歩き、目的地のショッピングセンター・サイオスに着いた頃は17時を回っていました。早速、3階のラオックスで「ぎゃくたま」を探したものの見当たらず、すでに売れてしまった様子。まあ、半ば遠足気分の乗り歩きでしたから、残念無念というほどのことはありません。狭く区切られたエロゲコーナーを一渡り眺めてから、さて帰ろうと、きびすを返しました。

入間市〜新秋津〜府中本町〜川崎 (西武池袋線・武蔵野線・南武線)

 帰りはパスネットを使うことにし、待つほどもなく来た17時27分の快速・池袋行きに乗車。20分ほど揺られて、17時47分の秋津で下車しました。私も鉄道ファンの端くれ。せっかく初めての土地へ来たのに、同じ路線で往復するような、もったいないことはしません。帰りは新秋津から府中本町へ武蔵野線で抜けて、長大トンネルと、103系の走行音を楽しもうという趣向です。

 西武の秋津駅とJRの新秋津駅は直結されておらず、少し離れています。連絡する道路は調べていませんでしたが、この時間は帰宅ラッシュの真っ最中。人の奔流に乗っていればいいので、心配は要りません。Suicaで改札を通り、掘り割りのホームへ降りて電車を待っていると、貨物列車通過のアナウンス。EF65の牽くコンテナ列車が、ホームをかすめていきました。

 今でこそ通勤客で混雑する武蔵野線ですが、もともとは都心部を通過する貨物列車を迂回させるため、バイパスとして計画された路線。1973年の府中本町〜新松戸間・開通当初は沿線の人口も少なく、野っ原に延々と続く高架橋を、今は亡き101系がカッ飛んでいたものです。(→武蔵野線開通から数年後の新松戸駅付近、画面の電車は総武流山電鉄)

 貨物列車が行った後、18時00分の府中本町行きに乗車しました。少し走って東村山トンネル(4381メートル)に進入。新秋津以南の武蔵野線は、東京近郊では珍しい長大トンネルが断続しており、次の新小平は東村山と新小平(2568メートル)の両トンネルに挟まれた、短い明かり区間に設けられています。余談ですが、新小平駅は1991年10月、台風による出水被害で線路が水没し、前後の駅間が2ヶ月ほど不通になったことがありました。(トンネルのデータは「勾配・曲線の旅 日本鉄道名所3 首都圏各線」(小学館・1987年刊)による)

 西国分寺でだいぶ降り、閑散としたまま、18時14分、府中本町に着きました。武蔵野線の線路は多摩川を渡った後、梶ヶ谷を経て新鶴見に至り、鶴見や浜川崎方面へ向かう貨物線へと連絡していますが、定期の旅客列車が運行されているのは府中本町まで。長さ10キロを超える生田トンネルがあるなど、興味深い路線なのですが、大宮〜鎌倉間を武蔵野線経由で結ぶ臨時列車でしか、乗客として通ることはできません。

 府中本町で本日の最終ランナー、18時26分の南武線・川崎行きに乗り継ぎ。南武線の北部区間は電車の本数が少なく、混雑しますが、今日は中野島で空席にありつけました。ちょくちょく往復している登戸以南は、すっかり夜ということもあり、持参の文庫本を読んで過ごします。終点の川崎に着いたのは、19時12分でした。

 それにしても、列車に乗るたび、駅に着くたびにウロウロ、キョロキョロ、メモメモでは、ほとんど不審人物かも。それも子供ならともかく、こちとら、いい歳こいたオッサンですからねぇ…。まあ、これが鉄道ファンの性(さが)というもの。この好奇心と行動力が、社会のどこかで役に立つこともあるでしょうから、どうか生暖かい目(?)で見守ってやって下さいね。


制作者・著者: 佐藤純一(サハロフ)
Produced and Written by Jun'ichi Sato (Sakharov) 2004, 2013.

記事の著作権は佐藤純一(サハロフ)が保有しています。無断転載を禁止します。
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