JK4CDE(柳井)が北京に赴任し、ここで無線を始めることになった発端は6年
くらい前の事です。
宇部市で無線をやっていた時にローカルの無線機屋から「中国人が一人来た」
と連絡がありました。研修で日本に来ているとの事でしたが、なんとその人(BZ1AC)は
私が勤めている会社の研修生だったのです。それから彼の研修期間中に中国語を少し習ったり、一緒に無線仲間とあそびに
行ったりしてローカル間で中国ブームが起きました。
(画像:中国無線運動協会(BY1PK併設)入口)
しばらくして私は宇部の勤務が終わり、無線局設備一式を売り払い1エリアに
戻ってきました。2年間は無線をまったくやっていませんでしたが突然、北京勤務がまわり
めぐってきました。しかもそこはあのBZ1ACが勤務しているところです。
中国では個人局は非常に少ないので巡り合えることはまれですがこれはラッキー。
さっそくBZ1ACに北京のクラブ局を紹介してもらい、BY1SKを中心に
BY1PK,BY1BJでオンエアしています。
クラブ局での運用なので、時間制限が有り思い切った運用が出来ないのがちょっと
残念です。
7K3GNL(捧)は、日本ではしばしば移動運用をしておりました。JA1KPL制作の
15エレメントツインループアンテナとローテーターを愛用し、周波数帯は430MHz
がほとんどでした。(画像:筑波山山麓での運用)
急に北京に赴任することになったので、中国での運用は
どのようにすれば可能なのかJARLに問い合わせたところ、あらかじめ許可をもらえば運用が
可能とのことでした。さっそく、赴任前のあわただしい中、中国の協会に申請をおこないました。
とりあえず許可があれば、あとは赴任して現地の様子がわかってから運用できれば
いいかなと思っていました。赴任後は出かける度に上を見上げていましたが、アンテナらしいのは
まったく見つかりませんでした。
その後、日本にいるHAM仲間からのメールで、北京で運用をしている方がいるので
相談してみてはとJK4CDE(柳井OM)の紹介がありました。
暫くして、柳井さんとコンタクトができましたので、早速BY1SKを紹介して頂きました。また
BY1PKの場所も案内して頂きました。
北京においてアマチュア無線の運用ができることもちろんですが、BY1SKの生徒さん、先生、館長さん
はじめ、皆さんと交流する機会が持てることを何よりも嬉しく思っております。
また、交流の輪がもっともっと広がることを楽しみにしております。
旧聞になりますが、我々(7K3GNL,JK4CDE)北京在住者が
時々遊びに行っている北京宣武区青少年科学技術館(BY1SK)に
昨年,日本の各局のご支援によりリグを1台寄付しました。その時の状況を紹介します。
私(JK4CDE)は以前よりここBY1SKに出入りしていましたが
学生は多いのにリグは1台でそれも往年の名器ドレークTR7が1台のみ、
壊れたら即QRTの状況を何とかしたと思いCQ誌に状況を投稿しました。
記事は予想に反してローカルトピックスに小さく掲載されただけでしたが
それを見つけてくれた7L3GFE(菅原健OM)がさっそく私に電話を
くれました。(画像:贈呈式の様子)
彼は北京に来た7K3GNL(捧OM)の友人であり北京のことに気
をつけていて私の記事に気が付いてくれたのです。
また私のEmailアドレスから私と同じ会社に勤務していることも判り
ました。7L3GFEはリグのことも心配してくれまして、彼が開局時に
使用していたTS120Vが今は空いているのでこれはどうだろうかとい
うことになりました。
但しこのTS120Vの本来の所有者はJA4OMX(陶山OM)で
陶山OMにも快諾して頂きこの話は決まりました。
98年11月に私JK4CDEはリグを引き取りに帰国、引き渡しを兼ね
て江戸川べりで7L3GFE局のローカルとも一緒に野外運用。
残念ながらJA−BY1SK間の記念QSOは出来ませんでした。
私はSWR計や資料、パーツなども購入して11月4日に北京戻り。
中国入国時に税関を通過するのがやっかいでしたが、なんとか手荷物とし
無事通過。
11月15日に青少年科学館への贈呈式を挙行。
日本側は7K3GNLさんと私、中国側は館長さん、担当の先生方、
区の外事局員、学生さんなど20人ほど参加。贈呈式後は昼食となり、
会館近くの料理屋(北京10大老舗の一つ)で中華料理を日本
の各局の分まで超満腹になるまでごちそうになりました。
TS120Vはオーバーホール済みで快調。
学生さんもこのリグを大変に気に入り、10W機にもかかわらずその後は
いつもこのTS120Vを使用しています。
BY1SKならびに7K3GNL/BY1SK、JK4CDE/BY1SKが
聞こえましたらコールして下さい。