太宰 治

美貌の天才 人間合格



 僕は、小説が好きです。書くのも読むのも好きなのです。どちらかというと純文学に惹かれます。
 日本の作家の中で、最も有名なのは夏目漱石でしょう。夏目漱石もファンです。
しかし最近は、それ以上に太宰治が好きです。
 もし、作家の中で、人間的にタイプが自分と似ているのは誰かと言ってもいいのなら、”それは、太宰治さんです”と僕は答えたいです。

 太宰治の作品で有名なものは、「走れメロス」や、「人間失格」でしょう。

 「走れメロス」は、童話として捉えられてもいますが、童話としてはあまりにも深い作品です。それを、童話として登場させたところに、太宰のセンスの良さと、底知れない純粋さを感じるのです。

 「人間失格」ほど、タイトルを見ただけで考えさせられる作品は、他にないでしょう。なんとも恐ろしく、なんとも深いタイトルです。太宰は、自分のことを書いたはずです。自分は人間失格だと。
 しかし、その答えは違っていました。彼こそが人間合格なのだと、僕は想います。

 彼は、モテました。それは、俳優のような美貌があったからでしょうか・・・もちろん、それはあるでしょう。ジャニーズ系を大人にした顔立ちといえば、ピッタリくるかもしれません。しかし、それだけがモテる要因とは言えません。それが通用するのは始めだけだからです。
 話は脱線しますが、ジャニーズの人たちが残っていけるのは、始めは予定通りにデビューさせられ、自動的な人気に支えられているのですが、徐々に力をつけていきながら、最後には充分な個性を発揮していく潜在能力が備わっているからです。

 太宰治も、もちろん持っていました・・・人間としての魅力を。

 彼の生き方は、危なっかしかった。安定とは、ほど遠い人生です。
 それはなぜかと言えば、あまりに純粋だったがゆえに、それをそのまま貫くことを許さない世の中と、真正面から何度もノーガードでぶち当たる人生だったからです。 
 しかし、魅力がありました。
 過去も現在も、一生を通じて純粋さを全うすることは、とてつもなく難しいですが、太宰はそれを、いとも簡単に、何の迷いもなく成し遂げてしまったのです。
 なんとうらやましい人生なんだろうと想います。

 同じ純粋さと危なっかしさを持っていた人を、もう一人だけ知っています。
詩人、中原中也、彼もまた天才でした。荒れた生活のエピソードも数多く残っているようですが、その裏には、家族への愛があったことを知っておきたいです。


 太宰治は、芥川龍之介を慕っていたといいます。
 自分の作品が芥川賞候補になり、そして落選したことに、彼は、計り知れないショックを感じたはずです。審査した人達は、言うまでもなく芥川龍之介、その人ではないのです。もし、龍之介が時代を超えて審査していてくれたら・・・
 かなわぬ現実は、もうなくさなくてはなりません。

グッド・バイ





夏目漱石

思考の天才 則天去私



 夏目漱石は、日本の文壇では最も有名で、かつ最も人気が高いですが、それだけ人々に認められるのには、やはり、それなりの理由があります。
 漱石はいつも悩んでいました。
 その内容は千差万別でしたが、そこには一貫したテーマがありました。

 それは、「人間はどう生きるか」です。

 人間は生きるに従って、自我が強くなり、エゴで固まっていきます。彼はその現実に悩み、逃れようとし、しかし答えは、なかなか彼の前に姿を現わしませんでした。

 時は、彼の晩年まで来ていました。彼は、最後に「則天去私」という境地にいたったのです。
 「則天去私」とは、自我(私)を去って、天に全てを任せる、
つまり”あるがままに、なすがままに”という境地です。

 これは、どこかで聴いた優しいメロディと一緒ではありませんか。
 そう、あのBEATLESの最高のバラード、”LET IT BE”が、
同じことを語りかけています。
 LET IT BEの直訳こそが、”あるがままに、なすがままに”なのです。

 BEATLESと夏目漱石は時代も違えば、国も言葉も違います。しかし、天才どうし、超一流どうしは、全てを超えて同じことを感じていたのです。
 じつは、LET IT BEも、BEATLESとして最後にたどり着いた曲なのです。 

則天去私