福留 孝介

夢貫の天才 〜幼き日の夢をバットに託して〜

 幼き日の夢を現実のものとする。そんなことができる人間は本当に少ないと思う。たとえば、その夢が将来の職業についてだったとする。夢が実現できなかった場合、その理由を考えたら、まずほとんどは実力が追いつかなかった、ということになるだろう。男の子ならばパイロット、プロ野球選手、お医者さん……(昔は誰もが認めるヒーロー的な職業が憧れの的だったが、最近では大工さんのように身近でありながら確かな技術を必要とされる職業に「格好イイ」の対象は移ってきたようだ)。やはり、夢に思い描くだけあって、その実現には高いハードルが待っている。

 ならば実力的にも充分であれば、夢はかなうのだろうか? 本来ならば、その分野で実力を発揮すればするほど、夢の実現への近道になるはずだ。しかし数年前までのプロ野球界は違った。その元凶は逆指名制度ができる前のドラフトにある。実力があればあるほど競合球団の数は増え、選手の希望球団が1つであった場合、そこに入団できる確率はどんどん低くなっていく。その後、少しは改善されたが現在も、高校生にだけは逆指名権のないドラフト。

 福留幸介選手は、まさにその制度に飲み込まれた。史上最大8球団からのドラフト1位指名を受けた福留選手は、その中に意中の中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツが含まれていたものの、抽選の結果、近鉄バッファーローズに交渉権を獲得された。そう、「された」のである。もちろん近鉄は堂々と指名し、抽選にも勝ったわけだから、どこにも責める点はない。責めるべきは、やはり制度の問題だ。
 福留選手はこの年、近鉄に入団することなく、ノンプロの道へとスパイクの足を進めた。それは他ならない、3年後に意中の球団に逆指名で入団するためだ。もしかするとこの3年間が大きなブランクになるかもしれないリスクを背負いながらも、幼き日の夢に向かい邁進することを誓ったのだ。
 ドラフトでは、高校3年生に将来(進路)を自分の意志で決めさせるのは酷であるという理由で、高校生の逆指名権を認めていない。しかし、それは反対ではないだろうか。意中の球団に指名されなかった時、「このまま数年待ち、逆指名可能な次のドラフトを待つ」か、それとも「同じ野球なのだから指名してくれた球団にお世話になる」か、という究極の選択を弱冠18歳の一少年に背負わせることのほうが、より酷である、と僕は思う。

 不公平をなくすためのドラフトのはずが、不公平だらけである。もっともそれは球団間の不公平をなくす、という意味だから、それを強くするほど、選手にとって不公平感が増す、という構図は理解できる。ただし、球団、選手、双方にとって公平な道を探ることは決して不可能ではない。今の状態で留まっていてはいけない。
 まずは、高校生だけに逆指名権を与えないよりは、指名対象選手全員に逆指名権を与えるほうが明らかに公平に近づく。でも厳密には、ドラフト1位選手のみ逆指名権が活きる、という形にしたほうが良い。そうすれば、選手はより高い実力を具えていくことにのみ集中できる。そして2位以下であれば、逆に球団に有利にする。そう、ここはプロ野球界。競争の世界なのだ。だから成功すれば栄誉と多額の報酬を得ることができる。その分、そこまで達しなかった選手には厳しいのは当然である。それは自業自得なのだから。

 逆指名権の持つ意味はもう1つある。それは責任である。意中の球団に入ることができたら、成功するかは本人の努力しだいだ(もちろん、環境の良し悪し、人間関係など様々な要素は絡んでくるが……)。そう、言い訳ができないのである。この言い訳ができない状況を作ることが重要だ。自分の思いをかなえてもらった以上は、その分、ファンに夢を与える義務と、大いなる責任が、その選手には生ずる。非常にバランスがとれている。選手と球団、ファンそれぞれに平等であることが何より大切だ。そのための最大値を探ることがドラフト制度の最も優れた改善策になるのではないだろうか。

 何より成功の鍵で、「やる気」ほど大切なものはない。選手にはできるだけ希望球団に入ってもらいたいと思う理由はそこにある。プロとしてスタートを切る時、意中の球団で野球道を歩み始めるのと、そうでないのとでは、選手のモチベーションは天と地の差がある。いくら高い実力を持った選手であっても、後者であればそれが発揮できる可能性は半減、いや、もっと低くなってしまうだろう。こんなにもったいないことはない。素晴らしいプレーを見せてなんぼのプロ野球選手である。はじめから不利な状況に追いやる必要なんてどこにもないはずだ。

 悲運のドラフトといえば清原和博選手が筆頭に挙げられるだろう。もちろん江川卓投手も悲運だった。しかし指名後の生き方が違う。江川選手が頑なに他球団への入団を拒み、あのような方法で巨人に入ったのに比べ、清原選手はあれだけ巨人が好きでありながら、最後は「同じ野球なのだから指名してくれた球団にお世話になる」という意志を固め、西武ライオンズに入団し、なおかつ1年目からとてつもない成績を残した。
 「やる気」の話をしたばかりだ。読売ジャイアンツ入団しか考えていなかった清原選手が、モチベーションが極限まで下がり切ってしまう状態に置かれながら、天性の素質と強い精神力と弛まぬ努力で、高卒新人としては信じられないほどの活躍でファンを魅了したのである。
 この点は、最初のドラフト指名後の江川選手と全く異なる。しかし、江川選手を責めているのではない。彼の巨人に入りたかった気持ちと、清原選手のそれは同等であり、同時にこの2人はプロ野球史上まれにみる高い実力の持ち主であった。30年に1人という形容はみみっちすぎる。だからこそ、この2人には初めから意中の球団でプレイし、誰もが驚く成績を球史に燦然と輝かせてほしかった。それだけである。

 実力を持った人ほど、自分の好きな球団に入れるべきだ。

 そして清原選手は潔い。何年も待ち、FA制度というきちんとした形で巨人を選び、入団した。当時、「清原は阪神に入るべきだ」という声も聞かれたが、もし清原選手のファンであれば、その発言は言語道断であろう。彼の長年の巨人への思い、そしてその間ずっと球界の4番打者として安定した成績を残し、自分を育ててくれた西武球団への感謝の気持ちも持ちつづけた、一途な男の決断を、だれが否定、非難できよう。彼の巨人入りを肯定し、応援するのがファンのあり方だと思う。

 選手には旬がある。江川投手が、もし高校卒業時に巨人に入団していたら、どうなっていただろうか。200勝はおろか、300勝にまで手が届いたかもしれない。
 旬に関してもう1つ。複数球団に指名された時、意中の球団以外だったから入団を拒否した選手が、3、4年後に必ずしもその時の実力を継続しているとは限らない。もしかすると最初のドラフト順位より下がった位置で指名を受けることだって、……いや下手をするとどの球団からも使命を受けない可能性だってある。だからこそ旬は大切なのである。今、この時に入団すること、それが成功への大きなキーとなることは間違いない。

 福留選手の話に戻ろう。彼はノンプロの日本生命に在籍しながら、オリンピックも経験し、全日本でも主軸として大いに活躍した。まず、3年間のノルマ達成である。高校時代の実力を維持する、というノルマである。そして晴れて中日ドラゴンスへの入団を果たした。鉄の意志である。入団1年目から、星野監督は福留選手を使い続けた。あの立浪和義選手が高卒新人で開幕スタメンを果たしたように。ダブる。そう、福留選手は、幼き日、地元鹿児島のキャンプに訪れた当時新人の立浪選手の大ファンとなり、そこから彼を目標とし、天性の素質に加え努力を重ね、同じくPL学園に入学し、甲子園出場を果たしたのである。

 1999年、福留選手の1年目の成績は申し分なかった。しかも中日ドラゴンズはこの年、11年ぶりの優勝を果たした。くしくも11年前の優勝は立浪選手の1年目。1988年、星野ドラゴンズ初優勝の年である。しかしプロは甘くない。その後の福留選手は明らかに伸び悩んだ。
 しかし4年目の2002年、、松井秀喜選手の三冠王を阻止する形で首位打者に輝き、超一流打者への道を歩み始めた。今シーズンは打席に入っている姿に安定感がある。そして信頼されている。ファンからも選手からも。「こいつなら打ってくれるだろう」……昔の落合博満選手への絶対的な信頼感に近いものがある。

 今後も彼は数字を伸ばしていくだろう。2002年が福留選手にとって転機となった理由は、もう1つある。それは打撃面ではなく、守備に関してである。彼は高校時代から内野手としてならし、中日入団後は遊撃手、三塁手を経験した。それがいきなり外野手への転向である。……巧い。そして強い。天性の強肩が活かされた。ライトからホーム、もしくはサードへの送球で何度、走者を殺したことか。イチローに勝るとも劣らない強肩である。しかも内野手の時、送球のコントロールの悪さに悩まされてきた彼が、もっと遠い距離で正確無比な送球を見せる。野球とは不思議なスポーツである。この守備のリズムが、打撃にも確実に好影響を与えた。

 男には一気に伸びる瞬間がある。その予兆は誰もが持っているのである。ただそれを、その瞬間に着実にモノにできるかどうかで、結果には天と地の差が出てくる。それをできる人が天才と呼ばれ、その後も人々を心地良くさせていくのだ。福留孝介選手は、イチロー選手に負けない、バッティングの天才であり、安打製造の天才である。

孤高のドラゴン