Saxophone について


Saxophoneの生い立ち

サクソフォーンの誕生

サクソフォーンという楽器はベルギーの楽器製造家(通称)アドルフ・サックス (Antoine-Joseph (Adolph) Sax 1814-1894)によって1842年に開発されました。特許の登録は、1846年3月21日。それまでの吹奏楽 (主に軍楽隊)では、トランペットなどの金管と、クラリネットなどの木管とで 構成されており、金管と木管の音がはっきり分かれて溶け込みませんでした。 そのため、その橋渡しをする役目の楽器がいくつか考案されました。その中の一つに サクソフォーンがあったのです。
アドルフ・サックスは、楽器製造会社とともに、出版社も 経営しており、文字どおり、サクソフォーンの最初の演奏家でしょう。1857年から1870年まで パリ国立音楽院において、教鞭をとり、パリ国立音楽院で最初のサクソフォーン科の教授に なっています。その後サクソフォーン科は、第一次世界大戦などの混乱の間に1870年に無くなってしまいました。

サクソフォーンを採り入れた作曲家

この新しく誕生したサクソフォーンは、アドルフ・サックスが、当時フランスに 住んでいたということもあって、フランスの多くの作曲家に気に入られました。 特にベルリオーズは、「高音域は柔らかく浸透力があり、中音域は深遠で印象的、 低音域は、充実した豊かな音を持っている」と絶賛しています。 しかし、ドイツ系の作曲家からは、まるで無視されてしまいました。 と、いうのも、サクソフォーンの音色が非常に情緒的で、作風に会わないのと この楽器の性質が、良く伝わっていなかったようです。
一方フランスでは、イベール、ビゼー、ラベルといった作曲家がこの楽器を用いた曲を作曲しました。特にイベールは、多くの曲を残しています。
他にも、東欧、ロシアにおいて、グラズノフをはじめとする作曲家が好んで使っています。

Jazzの影響

1870年にパリ国立音楽院のサクソフォーン科が閉鎖され、この楽器の運命が風前の灯火となったころ、 この楽器の運命を大きく変えたのは、Jazzでした。1920年ころアメリカで、 サクソフォーンがJazzにさかんに使用されるようになり、 その道の権威ポール・ホワイトマンに 「サクソフォーンは、Jazz音楽の王様である」と言わしめたのでした。 Jazzでサクソフォーンが使われるようになり、Jazz用の楽器として一般に 知れ渡るようになりました。

クラシック音楽でのサクソフォーン

一方、クラシック界でのサクソフォーンは、その間もフランスの軍楽隊を中心にして、発展していきました。Jazzでは、早くからこの楽器に地位が 認められていましたが、クラシックでは楽曲の少なさ、クラシック演奏者の 少なさで、なかなか認められませんでした。
しかし、1930年頃(サクソフォーンが誕生して、90年近く経過している)から、フランスの軍楽隊にいたマルセール・ミュールが 意欲的に活動を始めました。1942年には、パリ音楽院にサクソフォーン科が再び開設 され、その教授も努めました。(初代はアドルフ・サックスその人です)マルセール・ミュールは、演奏活動と共に 多くの楽曲をサクソフォーン、サクソフォーン四重奏用に編曲し、多くの教則本 も残しています。さらに、数多くの作曲家がミュールとその四重奏団のために 曲を書いています。
このマルセール・ミュールが居なければ、現在ほどクラシックサクソフォーンが 発展していなかったと言っても過言では無いでしょう。 今でも、その演奏は高く評価されており、最近残っている音源からCDがいくつか作られています。 現在では、フランス、日本、アメリカ等で数多くのクラシックサクソフォーン奏者がいます。特に最近は、クラシックサクソフォーンのCDも数多く出ており、 日本でも、数多くの奏者が活動しています。

サクソフォーンの種類

サクソフォーンで、現在製造されている楽器は、 それぞれ、音域は、2オクターブ半あり、すべて移調楽器です。(譜面はすべて その調で書かれています)
楽器の大きさは違うものの、運指はすべて同じです。
つまり、一番吹きやすいアルトサックスをマスターすれば、すべての楽器の演奏が 可能になります。 楽器の種類のうち、ソプラニーノ、バス、コントラバスについては、ほとんど用いられません。(たまにサクソフォーンのラージアンサンブルで使用されます) 特に、コントラバスは世界に数えるほどしか存在していません。 通常のサクソフォーン四重奏は、ソプラノ(アルト)、アルト、テナー、バリトンで構成されています。アルト2本の場合は、アメリカンスタイルと言われています。 この他にもアドルフ・サックスが楽器を開発した当時は、オーケストラ用にC管、F管のものも存在しました。しかし、オーケストラには席が与えられず、消え去ってしまいました。
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