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岩佐先生

副会長 岩佐 英敏


(元 全日空勤務、 国際武道院評議委員)
創立二十五周年記念誌(平成七年十月二十九日)より抜粋

剣の道は終わりなき道

誠愛剣友会二十五周年記念を祝して、心より名誉会長先生、会長先生を始め諸兄先生方、 ご父兄の方々、後援会の皆様の益々の「いやさか」を申し上げます。 ここに一文を記し、私なりの剣道を修業している背景の一端を披瀝したい。 私はプロフェッショナルではないので、趣味の領域を踏み越せない点、ご理解いただける と思います。しかし楽しみと苦しみの連続であった「剣道」の道へのめり込み今日に至っ ているへっぽこ剣士の、告白を聞いていただけるのも、何かの参考になればとの思いで、 恥をしのんで書いてみます。

剣の修業は心の修業であり、これで完成したとの確かめようのない、終りのない道です。 一歩踏み出せば、戻りようのない前へ前へと歩むのみのこの道です。手取り足取り指導し て戴いた諸先生方の、あの顔この顔その姿遠く近くまぼろしの如く、今握る竹刀の中に、 よみ返ってくるのです。 苦しい稽古の汗を流した後の、剣交知愛の楽しい一とき、飲む程に楽し、語る程にうれし この道は例えようのない深い充実感を味わえるものである。 剣を交えて知る人の心、人の情、説明のいらない素顔が見えてくるのです。 遠く歩むこの道も、先人達の血の汗を流して切り拓いた道と理解すれば、大切に守り大事 に育てていくべき責務を感ずるのです。

この世に生を授け、生かされているこの生身の人間として、何か一つでも、ほんの少しで も恩返しのできるものを求めて、この武道の途にまよい込んでいました。 この道を歩むには、常に謙虚であれ、常に正直でなければ、すぐ迷路にまよい込んでしま う。あの道も、この道も、それぞれ研きに研かれた伝統を秘めた道ばかりです。 剣道は、業の理念と心ありようとか、車の両輪となり、進むには両輪相伴わなければなら ないのです。

業前の根元は、「足なり・腰なり・刀なり」と言い、「間合い・緩急・遅速」と言い、 「気・剣・体」の理念を学べと言い、観見の目付をわきまえよ、と言います。 「古語」に「剣は心なり」とあるように、この道は平坦にあらず、厳しく恐しい夜道を歩 むようなものと言います。 古流に「雲弘流一盃」と言うものであり、この流儀には、負けることなし、勝つことなし、 幸福もなければ不幸もなし、好きもなければ、嫌いもない、「思わず・求めず・願わず・ 貯えず・取らず・捨てず・唯性のまま一念を観ずれば」そこに広々とした世界があると言 う、天地一盃のものをいまここに。 この一刹那、この相打ち一つ、そこのところで人間を超越した世界を、体得したのである と言うのです。

中国の唐時代の人である「霊雲志勤禅師」と言うお方は、三十年修業して、あるとき、 「ときは春なり、桃華花の盛りなるを見て、忽然として悟道す」とあり次の詩を表してい る。

 

三十年来尋剣客。(三十年来剣客を尋ぬ)

幾回葉落又抽枝。(幾回か葉落ち又枝を抽く)

自従一見桃華後。(桃華を一見してより後)

直至如今更不疑。(直ちに如今に至りて更に疑わず)

 

と読み一瞬の間をおいて、一切の疑いが晴れたと言う。 心のありようの難しさを今更ながら、実感しているへっぽこ剣士のたわごとです。 ご一笑下さい。


竹刀

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