平成アマ最強戦・そのいきさつ


平成元年3月、正棋会の幹部は居酒屋で内密にある相談を始めた。
幹部とは、武本義雄(理事)、山崎康雄(会長)、沖元二(理事)
野山知敬(幹事)の各氏である。




武本が口火を切った。
「読売日本一戦がアマ竜王戦になってしもた。百万円の大会がのう
なってしもて、おもろないわ。」




山崎が続ける。
「読売は迫力ある大会やった。八ヶ岳もおもろかったし、アマ強豪が
一堂に介する熱気があった。
今の大会は優等生の大会みたいでおもろない。」


武本はいきなり大声をあげた。
「百万円の大会やろうや!誰もやらへんから、わしらがやるんや!」

沖が思わずさえぎった。
「ちょ、ちょっと待てや。大会ゆうてそんなん、大変
やで。第一、金がいるやないか。優勝百万やったら全部
で250万ぐらいいるで。正棋会にそんな金ないで。」




武本はすぐ返した。
「わしが出す!アマチュアのためやったらそれぐらいの金なんか
惜しいことない。わしが金ぐらいだしたるわい!」



野山が口を開いた。
「おもしろい。やりましょうや。武本さん以外にも正棋会有志でなんぼ
か出したらええやんか。全国から集めようや。関東の連中は強いでえ。
関西だけで将棋指しとったら井の中のかわずになるだけや。
全国クラスの将棋と対戦できるんや。優勝百万、北から南まで全国の強豪
を集めるんや!」


武本は満面の笑みになった。
「そうや!全国の強豪を大阪に集めるんや!アマ将棋界の
祭典や。それを正棋会で実現するんや。大会の名前はアマ
チュアチャンピオン戦や。」



野山が続いた。
「そうや。お祭りや。盛大なお祭りや。けど、名称はグランドチャン
ピオンと混同せんように、アマチュア最強戦でどうやろ。」


武本は二杯目のビ−ルに手をかけた。
「平成元年や。平成元年アマ最強戦や。これで決まりや!!」

かくして平成アマ最強戦を開催するという、正棋会の意志は固まった。
賞金などの運営費はほとんどが武本氏の出費であったが、正棋会の仲間
にもこの話に乗って十万円単位で寄付してくれる面々が何人か出てきた。
また、武本氏のはからいで団鬼六先生にもご協力いただくことも決まった。

そして春の内に具体的な話がどんどん進んでいった。
会場は大阪らしく、通天閣のすぐ近くにある天王殿。ここなら畳に座って
200人ぐらい対局できる大広間がある。また、大会の前夜には豪華料理を
そろえた前夜祭も行い、アマチュアの祭典として一層の盛り上がりをつける
ための準備も整った。





賞金は優勝80万円、2位30万円、ベスト16(1万円)まで。
目標の百万円には及ばなかったが、当時最高額の賞金大会となった。
宣伝は将棋ジャ−ナル。当時の社長は矢口勝久氏。3ヶ月前からまる
まる1ペ−ジに「全国のアマ強豪来たれ!」の開催案内が掲載され、
受付が始まった。ついにリ−チ!もうおりられない。


さて、受付は始まったものの正棋会運営役の不安はつのるばかりで
あった。
「交通費、宿泊費はもちろん自前。はたして全国から強豪が集まって
くるのだろうか」
そんな心配をよそに申し込みは増え続け、第1回は154人の参加者
を数えた。
なかでも関東の29人を筆頭に中部14人、中四国/九州15人という遠方から
の参加者がうれしかった。もちろんアマ超一流の面々ばかりである。

いよいよ大会当日。武本氏のあいさつ、山崎正棋会
会長のあいさつ、そして団鬼六氏のあいさつ。

「大阪、通天閣、将棋、全国のアマ強豪が集う祭典を
よう実現してくれはりました。けど、80万円の賞金、
なんでこんな中途半端やろ。百万円にすりゃええのに」
大爆笑のなか、対局開始!記念すべき平成アマ最強戦の
はじまりである。






平成元年8月14日、第一回の熱戦の幕は閉じた。優勝は正棋会の
若手、中村知義。決勝で元朝日アマ名人のベテラン、東京の中村千尋
氏を破って堂々たる優勝であった。





(以後、第4回(平成4年度)よりアマ連に主催を引き継いだが、運営は正棋
会が行っている。年々参加者は増え続け、平成9年度はなんと248人を数え、
第一回から100人近い増加を示すほど活性化し、夏の祭典として定着した。
尚、この大会はアマチュア全国大会のひとつであり、優勝者はグランドチャン
ピオン戦の出場資格を得ることになっている。)