正棋会は1966年(昭和41年)10月頃、中西弘次氏(左:写真)の呼びかけで有
志数名が集まりスタ−トした。はじめは数名総当たりのリ−グ戦だったが、人数が増え
るに従い現在のとおり、5局指しの形式が定着してきた。

1967年(昭和42年)の会員は以下のとおり。当時は中西弘次氏の自宅に
て例会を行った。

(当時の会員)中西弘次、小林正美、山崎康雄、近成憲一、長谷興民、藤目昌義、
中平貴将、下田順一、小田仁作、神吉信行、前田敏、古田隆行、
高井三郎、米田丈彦、大石功、井上真司、岡本茂雄、小島英之

第一回例会はこの年の1月ということになっている。
(下表:18人の総当たりリ−グ戦を一年がかりで実施。上位4名で(小林正美、長谷興民、
    中西弘次、山崎康雄ト−ナメントの結果第一回優勝者は長谷興民氏と決まる。)



   
写真左から小林正美、山崎康雄、長谷興民各氏

この当時、1年に4回のリ−グ戦で総当たりリ−グ戦を行った。1ヶ月の会費は300円
(現在は2500円)。会場も「クラブ青柳」「妙法寺」「正蓮寺」と転々。
第1回優勝者は長谷興民、2位中西弘次、3位小林正美、4位山崎康雄。
初代会長は中西弘次、会計は山崎康雄(第二代:現在の会長)
この年、沖元二氏アマ名人に。のちに正棋会へ参加することになる。



1968:2ヶ月に1回開催、その例会で優勝を決定。と金クラブを主に活用。朝、席主が
来ず、外で待つことしばしばあり。
(主な新規参加者:沖元二、津金貞雄



1969:6月から現在の会場である「京橋クラブ」を拠点とする。例会参加時のみ会費
600円。賞金総額7000円。沖元二氏、2度目のアマ名人に。長谷興民氏、
赤旗名人に。
武本義雄



1970:11月、枚岡山荘にて泊まりがけの大会始まる。以後毎年開催。
三原正雄




1971:7月、枚岡山荘。小林正美氏、赤旗名人に。この頃から、沖元二アマ名人、
長谷興民赤旗名人、小林正美赤旗名人は
「大阪三強」と呼ばれ、正棋会が全国的に有名
となる。










1972:7月、枚岡山荘
(辻清治、池田正仁、三阪将敏、松井浩一、山崎陽一)


写真中央は東京から来てくれた関則可(せき
のりよし)さん(当時のアマ名人)


1973:7月、枚岡山荘。このときからはがきで
例会日を通知するようになった。
担当は三阪氏。(室井哲哉)


1974:11月より会費1000円に

1975:1ヶ月に1回開催に。11月、枚岡山荘。
(加賀敬治、穂積秀雄、天野昭、呉清市、西治一、吉野春久)

1976:1月、第一回正棋会王将戦開催される。沖元二氏王将位に。
第一回朝日アマ名人に63歳の大田学氏
(丸尾隆啓、小出起久夫、三好国晶、田渕博、吉原清治)

この頃、正棋会が「サンデ−毎日」誌に話題として取り上げられる。
題名は「われら仲間’76」で、「王将の魅力にひかれてタイトル獲得
50以上を誇る正棋会」ということで。


当時の写真:

左端に長谷興民氏、小林正美氏、
中央は沖元二氏、沖氏と小林氏の
間にいるのが中西弘次氏。











そのときのサンデ−毎日記事全文:

 夢中になり出すと親の死に目にも会えないといわれるあやしい魔力が将棋には
ある。わが「正棋会」は頭脳的ゲ−ムである将棋がメシよりも好きだと自負す
る、大阪を中心とした近県の天狗たちの会である。
 発足はいまから10年前。アマ名人戦大阪代表を目指し、その雄途半ばにして
急逝した一青年(畠山安弘氏)の将棋仲間が彼の無念さをしのび追悼将棋会を開
きその席で彼の遺志を継ぎ目的を達成するため同好会を結成したもの。発足後わ
ずか20人たらずだった会員も百余を誇るアマ将棋最高水準をいく精鋭の集いと
なったが、発展の要素の第一は発足当時に全国アマ名人を生んだことで、しかも
至難の二期獲得したことだろう。正棋会の名はこれによって全国に知名度を高め
府県代表を目指す愛好者が続々と参加して日ごろの腕をみがく絶好の同好会とし
て発展している。
 そして現在に至って会員の活躍が目立ち、個人戦団体戦のタイトル(全国アマ
名人、赤旗全国名人、東西ベスト1、全国強豪広島大会、読売杯、勤労者個人、
団体戦、各県名人多数)の獲得数は50を越している。
 今年は10周年にあたり佐藤春男氏のご厚意で7月京橋クラブで盛大な記念大
会を開き、これからの会員相互の親睦と棋力向上を目指し、広くはアマ棋界発展
のため努力することを誓いあった。今後はアマ棋戦での活躍もさることながら、
各地同好会との交流も深め、アマ棋界発展に人力していきたい。(中西弘次)


1977:南芳一少年、正棋会にしばしば参加し、アマ名人クラスを苦しめる。
8月、日本アマチュア将棋連盟が結成され、将棋ジャ−ナル創刊号が発行され
る。当時のアマ連を創設したのは東京の関則可氏。

第一回読売日本一決定戦開催される。東京の木村実氏が優勝、80万円を
獲得。正棋会からは小林正美氏が3位、沖元二、中西弘次氏がベスト8で惜敗
(浜初雄、堀田博万、日置修、石川由男、福田久雄、山田行雄)

1978:1月より会費1500円。第1回レ−ティング大会開催、巽映治氏優勝。
6月より正棋会レ−ティング採用、ここから全対戦記録あり。
9月枚岡山荘。
(武江栄太郎)

 


写真左が沖元二さん(当時43才)、中央が野山知敬
さん(当時21才)若いですね!





以下は「例会結果」とともに「主な出来事」として正棋会の歴史を継続記載。