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千早赤阪村は、楠氏発祥の地で、楠公誕生地をはじめ、上赤坂城址、
下赤坂城址、その他幾十の城砦さては寄手塚身方塚、建水分神社、
と幾多の公の遺跡を集めています。
然も東には、悠然として雲表にそびえる金剛葛城の連山を望み、
その山谷より滴り落ちる清泉は、足谷川となり、千早川、東條川と
なって流れております。
山は高く、水は清く、春は封建塔の桜、夏は金剛葛城のつつじ、
秋は赤坂城址のみかん狩り、冬は金剛山麓の樹氷と四季の風光を
集めていて、大阪に残る自然の宝庫です。
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秋祭り(だんじり祭り) |
日時 |
平成14年10月第三土曜日、第四日曜日 |
場所 |
建水分神社、比叡の前 |
以前は10月16日17日にしていましたが、
今は10月の第三土曜日、第四日曜日となっています。
本宮の日には、ご神体がお神輿でお旅所の比叡の前に
うつされます。そこで、だんじりの宮入やにわかが奉納されます。
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楠公祭(なんこうさい) |
日時 |
4月25日 |
場所 |
楠公誕生地、建水分神社 |
楠正成公の誕生を祝うお祭りです。
午前は、楠公誕生地で奉納舞が行われます。
午後は、建水分神社で餅まきが行われます。
建水分神社には、色々なお店がでます。
地元では、このお祭りを「くすのきさん」と呼んでいます。
春の楽しみの一つです。 |
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下赤坂城址 |
元弘元年楠正成公が初めて勤王の兵を挙げ、知略の名将として
曠世の才幹を発揮されたところです。
森屋方面に坂道を下っていくと、楠園の農園が在ります。 |
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建水分神社と南木神社 |
建水分神社は楠家の産土神であり、
後醍醐天皇の勅命を受けて大楠公が再建しました。
本殿は、春日造の中殿と流造の左右両殿を
渡り廊下で結ぶという他に例のない形式です。
国の重要文化財です。
南木神社は、後醍醐天皇勅祭の大楠公を祀る最古の神社です。 |
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楠公誕生地 |
樟に囲まれて石碑が建てられています。
石碑には「楠公誕生地」と刻まれています。
この碑は大久保利通卿が書くはずでしたが、凶変で倒れられたので、
桃井春蔵さんが書かれました。
この桃井さんは、幕末三剣豪の一人、鏡心明智流の桃井春蔵です。
明治八年に誉田八幡の神主さんになられて、
境内の道場で剣術を教えておられました。
儒学に詳しく、能筆家であったので、
大久保卿の代わりにこの石碑を書く事になったそうです。
楠公誕生地は「道の駅ちはやあかさか」にもなっています。
となりには、郷土資料館があります。
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奉建塔 |
大楠公没後600年を記念して
建立されました。
菊水の紋章の下には、大楠公の旗印
「非理法権天」が刻まれています。
石塔の高さは大楠公戦死の
歳にちなみ43尺です。
辺りには沢山の桜があり、
春はとても綺麗です。
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このページでは、「くすのきまさしげ」を「楠正成」と書いております。
近頃「楠木正成」と書かれている文献も多く見ますが、
ここでは、くすのきの字を一字で楠としています。
それは、私が小さい頃からなれ親しんできた「楠公さん」は、
「楠正成」と表される事が多かったと記憶しているからです。
太平記や日本外史やその他の文章や
そこら辺にある史跡の説明書きやパンフレットなどなど。
いろんな所で「楠正成」を見たからです。
そう言うわけで、「くすのきまさしげ」は「楠正成」と
書く事にしております。
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