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ひとことStory |
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るうなの個人的感想 |
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こんな一節がありました。 |
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閉ざされた心との対話 心理療法の現場から** |
河合隼雄 |
講談社 |
カウンセリングってこんなことやってるの! |
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心理療法士たちと河合隼雄がカウンセリングの現場で実際に扱ったケースについて話す対談集。私のようにカウンセリングというものがどんなことをするのか知らず(カウチに寝そべって催眠術を受けて過去を告白させられるようなイメージ?)、どうも胡散臭いように感じている者にとっては、手法についても、治療の経過についても意外の連続の本。うむむぅ、深い!こんな大変なお仕事をされている心理療法士さんたちを心から尊敬してしまいます。河合先生の語り口はそんな心理療法士さんたちを褒め倒して慰撫して(カウンセリングして)いる感じ。ところで、箱庭療法セットというのは、どんなパーツが揃っているのか、ドールハウス、ジオラマ好きの私にとっては大いにそそられるところである。私も何か抱えきれない悩みがあれば、カウンセリング行ってみるんだけどなぁ。下巻は秋に刊行される由。 |
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何回か会っていると話しぶりからも暴力的な衝動がすごく強い子だということがわかってきたんですが、先生たちからすると、いつもオドオドしているから暴力をふるわれてしまう弱々しい子というイメージだったんです。それが、私に対しては目を輝かせて自分の暴力衝動について話すんです。人を殴りたくてたまらないけど、学校では殴ると損だから、かわりに殴らせているんだと。(p20)
その子の場合は、おなかに丸いかたまりみたいなものがいつもあって、それが強くなると食べてしまうとわかってきたんです。それをどこかに置いておくことはできないか」と言ったら、「足もとに置くぐらいだったらできる」と言う。そして、本人がイメージの中で、そのかたまりを足もとに置くんです。(略)「じゃあ、足もとに置いてみよう」と言ったら、「はい、置きました」。ところが、その子が言うには、「足もとに置いたら、愛着がわいてきた」と。/ほう、それはおもしろい。/はじめは、そんなものは捨ててしまいたいと思っていたわけですが、足もとに置いたら妙に愛着がわいてきたので、その子はそれをリュックに入れて背負ったんです。すると、「わりとぐあいがいい」と言うんですね。そういうことをやって、面接以外のときでも、モヤモヤしたら、そのかたまりをリュックに入れて背負うという想像を自分からやったそうです。それでだんだん過食症状が薄れていきました。(p52)
ノイローゼの症状などに対して、すぐに「原因を明らかにする」というので、過去のことを根掘り葉掘り聴いたりする人がある。それによって問題を余計に複雑にし、治りにくくすることが多い。それに反して、徳田さんは「治療者というのは全部わかってはいけないんじゃないか」と言う。心の中のいちばん大切な部分は、手をふれずにそっとしておこうという根本姿勢がそこにある。私もこれに賛成である。自分は心理学者だから、人の心はすべてわかる。だからのあなたの場合はこうすればいいのですなどというのは、偽物であるし、危険性も高い。(p60)
そういうときに、医療者はたいてい相手を慰めますよね。「そんなことはない。あなたのせいではないんですよ」って。でも、慰めたらそこで終ってしまうわけです。だから、そこで慰めてしまわないで、そのまんま受けとめるようにすると、あちらも、もう一度、自分の中にフィードバックできるみたいですね。/そこが大事なところで、慰めるというと、いかにも励ましているようだけど、じつは話を終らせているんですよ。「もうそれ以上言いなさんな」という信号みたいなものでね。相手の言うことを受けとめるというのは、こっちも聴いたまま抱えていなければならないから、たしかに大変だけど、相手にしたら、すごく違うと思いますよ。(p71) |
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王妃の離婚** |
佐藤賢一 |
集英社 |
王と王妃の離婚裁判はお品が悪いざます |
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ルイ12世に離婚を申し立てられた王妃ジャンヌの弁護を図らずも引き受ける羽目になった主人公の田舎弁護士が、形勢不利の裁判をどう戦うかという西洋中世法廷サスペンス。当時このような離婚裁判が王と王妃の間で行われたということがまず新鮮な驚きで、しかも、教会裁判なのだが、検察、弁護人、判事が揃っており、証人尋問、反対尋問など、形式的には現代と変わらないところが意外だ(本当かどうか知らないけど)。カトリックなのに離婚できるの?と思う訳だが、争点が結構興味深くて(笑わせられる)、ラテン語が挟まれる所など、いかにもそれらしくて、西洋史研究者である著者の真骨頂だ。しかし、である。『傭兵ビエール』同様、人物造形や話の展開がどうも下世話で軽い。結末も安易だ(アベラールとエロイーズが出てきては、オチも見えてしまう)。大体、貴族の娘で王妃の侍女のベリンダの言葉使いは、品がなさ過ぎてこれじゃまるきり下町の長屋育ちの娘じゃないか?直木賞受賞は、新分野開拓賞らしいけど、これなら、大時代的なセリフ回し、丁々発止の弁論対決、劇的な展開、お色気シーンの描写、どれをとっても藤本ひとみの方が私には好み。 |
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あほらし屋の鐘が鳴る*** |
斎藤美奈子 |
朝日新聞社 |
喝破の達人と呼ばせて |
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斉藤美奈子のコラム(おやじ論、女性誌評、書評)集。相変わらずノリのいいカジュアルな語り口ながら、目のつけどころの斬新な社会批評は読んでいて実に愉快、爽快!様々な女性誌の浅薄な読者像を笑い、おやじの浅ましい魂胆を暴き、渇破に次ぐ渇破、いえてるーっ!の連続である。美奈子さま、絶好調。中野翠やナンシー関への言及も気になるところ。 |
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私の観察では、ハードボイルドの主人公はそもそも並みの人間ではありません。たとえば彼らは「だ・である調」で会話をする風変わりな習性をもっています。<「いい質問だ」私はいった。「実は事件当時、現場近くにいた。私は外野のひとりにすぎないんだが、近くに指紋を残した。ただ、いまは詳しい話をする時間がない。君の電話番号を聞いておく」>こんなゴルゴ13みたいなしゃべり方をする男が現実にいたら、「熱があるんじゃない?」と応じるか、身の危険を察知して早々に退散するのがふつうでしょう。ハードボイルドな社会ではしかし、だれもこれをヘンとも思わず暮らしています。(略)おわかりですか。ハードボイルドの国は「中年すぎた男の夢」をあられもなくテンコ盛りにした非現実的な世界。分別のあるおじさまがたがふと現実を忘れ、主人公に感情移入してウットリと夢見心地になるために建設された国なのですね。(略)ハードボイルドとは男性用のハーレクインロマンスなのだ、と考えれば疑問の半分は解決するでしょう。(p9-11)
興味をそそられるのは、この業界の独特な言語センスです。彼らは自分たちを「釣り人」とすら呼びません。バスアングラー、バスフィッシャーマン、またはバサーが彼らの呼称。(略)バス釣りの専門誌を読みはじめると、私はおもしろくてやめられません。たとえば、「初夏から真夏に季節が変わるころ、バスは湖の深場に集まってくる」という文章があると仮定しましょう。これをアングラー流に翻訳すると、「アーリーサマーからミッドサマーにシーズンがシフトするころ、バスはレイクのディープエリアにラッシュしてくる」と、こうなります。(略)「人工障害物の陰に竿をふり入れて最初の一発をねらう。釣れない。水草が多い場所に舟を動かし、ルアーも換えてみる。感触はよくない。今日も釣果なしかと落胆しかけたとき、来た!四〇センチを超すけっこうでかい魚が釣れた」「マンメイド・ストラクチャーのシェードにキャストして、ファーストヒットをねらう。フックングしない。ウィードエリアにボートポジションをチェンジし、ルアーもローテーションして再キャスト。バッドフィーリング。今日もノーフィッシュかとブルーになりかけたとき、ヒット!四〇センチオーバーのグッドフィッシュをキャッチした」アングラーのナイスなセンスがアンダースタンドできましたでしょうか(p21)
アウトドアぶっていますが、かくしてバスフィッシングはパチンコみたいなレジャー産業の一種となった次第です。パチンコだから都会人も安心して遊べるわけね。キャッチ&リリース、釣った魚を放す彼らのルールも、魚を大自然に戻してあげるというより、パチンコ玉を使い回して出したり入れたりするのと、まあ同じでしょう。(p23)
端的に申し上げましょう。「ヴァンテーヌはファッション雑誌界の代ゼミです。河合塾、駿台予備校、なんでもいいが、ようするに学校じゃなくて予備校なわけ。あるいは正規の教科書じゃなくて、チャート式の学習参考書ですね。(p60-1)
「ミセス」は謎の多い雑誌です。この謎は、「ミセスという種はどこに棲息しているのか」に集約されるといってもいいでしょう。(略)ミセスというくらいで、彼女たちはダンナの収入で暮らしています。共働きはいけません。パート労働もいけません。そういう過酷な労働は、ミセスの最大の天敵です。ミセスは夜遊びや遠出はいけません。それどころか、ミセスは家事労働さえしてはいけないのです。(p108-9)
じじつ、テレビ・新聞のオリンピック報道は、戦時中の報道にそっくりだ、といってる人もいます。たとえば作家の小林信彦さんは、オリンピック報道の新聞の見出しは<少し文字を入れかえれば、そのまま、戦争中でも使える>と書いています(「週刊文春」98年2月26日号)。清水宏保選手が金メダルを獲得したときの<亡き父との二人三脚/挫折越え「天才」開花>は、戦時中なら<亡き友との二人三脚/死線越え「天才」帰還>だったろうし、里谷多英選手の<父の遺影胸に急斜面を一気>は<友の遺影胸に急降下爆撃へ>だというのです。(p236-7) |
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書物の王国7 人形* |
服部正編
種村季弘他 |
国書刊行会2100 |
古今東西生きてる人形の話 |
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タイムリーに雑誌「太陽」の人形特集があったので、四谷シモンやベルナール・フォーコンの人形の写真を眺めながら読むと興が乗った。なぜ人間は、禍々しさと畏怖を感じながらも、人形に魅せられ、生産し続けずにいられないのだろう。・・・って、『書物の王国 植物』でも同じようなこと書いたけど。偶像崇拝を禁じている宗教はエライな。正直言ってあまり印象に残る作品は少なかったけど、「マルスリーヌ」は、海外の洒脱な幻想譚(?)を読む快楽を堪能させてくれた。ところでダッチワイフを妻にしていたロシアの文豪って誰だっけ? |
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この小さい劇場が眼のなかにとびこんできたとき、直ちに私はこれをものにしたいという度外れの欲望を感じてしまったからだった。(略)金泥のはがれた刳り形の枠に囲まれた舞台は、奥行は浅く、背景は絵の描かれた布でサン=マルコ広場になっていた。そこにはバジリカ聖堂、鐘楼、図書館と行政官宮殿の角が見て取れた。これを背にして糸で吊り下げられた一ダースほどの登場人物が立っていた。(略)これらの登場人物はイタリアのコメディア、即ち昔のコメディア・デラルテの人物であり、《マスク》と呼ばれるものである。(略)そこにはパンタローネがいてお定まりの赤い羅紗の胴衣と黒羅紗の大きなローブを着ている。(略)ブリゲッラは前進白衣で緑の飾り紐で華々しく際立たせられ、仮面には口鬚をつけ、腰に巾着と短剣をつけている。タルタリアは黄色い条の入った緑の羅紗をまとい、鼻に大きな青い眼鏡をのっけている。そこには真黒のスカラムーシュがいて、顔にはおしろいを塗り、口鬚をたて眉は絵の具で描いてある。それから真白のプルチネッロ、灰色のフェルト帽をかぶって黒い仮面をしている。そしてロザウラとジャコメッタ、そして青緑の条のはいったブラウスに緑っぽい絹のスカート姿のコラリーナ、更に上品なレリオは羽飾りと金モールとパンコールと丸襞だらけ。メゼティノがコロンビーナと一緒にいるし、そしてアルレッキーノだ。(略)一方彼らの中央にはケンタウロスがいて、髭もじゃの男の上半身を角製の蹄のついた馬体のうえで弓形にそらしている。(「マルスリーヌ」P72-3)(うー、主人公が感じる喉から手が出るほどの所有欲、わかるなぁ!せめて私にも見せて!小説の中の話なんだけど。)
彼の血統は、準男爵夫妻が知るかぎりでは、まったく平々凡々なものだった。ところが彼女のほうは、その母方をたどれば、いわばむかしからの男爵という蒸留酒の、とびきり上等のエキスに、捨てるのはなんとしても惜しい、モーンデヴィル家、モーハン家、サイウォード家、ヘヴレル家、カリフォード家、トルボット家、プランタジネット家、ヨーク家、ランカスター家等、その他の数多くの名門の血統を風味として加えたものから成り立っていた。(P118)
つまり、彼らは、周知のように、賢明な天が、そのような早まった結婚に対して運命と定めている下降線型の幸福の中にいたのだった。言いかえれば、最初の一週間は、神と天使のみの住む第七天に遊ぶ境地だった。それが二週間めになると第六天、三週間めには中庸天、四週間めには瞑想天・・・というふうに下降していった。思いを遂げたあとの恋人たちの心境は、ときどきこの南部ウェセックス野外考古学クラブの立派な現会長がご指摘になるように、地球の地質学的段階にたとえることができるのである。つまり、いちばんはじめは白熱した石灰、次は暖かい石灰、その次は冷えかかった燠、それから冷え冷えとした――いや、このたとえは、これ以上進めないことにしよう。(「彫像の呪い」P118-9)(この皮肉、いかにもイギリスだねぇ) |
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機長の一万日* |
田口美貴夫 |
講談社 |
読んでから乗るか乗ってから読むか |
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永年JALで機長を勤めた筆者によるコックピット裏話。基本的に、パイロットってこんなに大変でエライのさ、という自慢話なのだが、離着陸や飛行トラブルの話は臨場感があってなかなか恐い。実際のフライトで、しょっちゅうパイロットの進級テストや復帰テストが行われているとは知らなんだ。これを読むと飛行機に乗ったとき、パイロットに親近感を感じるが、キャリア年数がとっても気になる。とにかくシートベルトはずっと締めていよう。 |
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高々度を飛んでいる際に機長がトイレに行く場合は、副操縦士が操縦を担当するわけだが、いつ非常事態が起きないともかぎらないから、そのあいだ副操縦士は酸素マスクをかけることが法律で義務づけられている。副操縦士がトイレに行く時も同様で、そのあいだ機長は酸素マスクをかけていなくてはならない。(P49)
ならば、もしも同時に機長が左足のペダルを踏み、副操縦士は右足のペダルを踏むという、相反する操作をしたら、どうなるのだろう。あくまでも仮定としての話だ。そのときは、踏む力の強いほうが勝つ。操縦ホイールも同様である。(P50)
座席から放り出されるような衝撃があり、激しい勢いで機体が揺れだした。計器の針がぶるぶる震えて、どこを指しているのだか、正確に読み取ることができない。体の揺れで目の焦点を計器に合わせることすらできないほどだ。(略)ピカッと青白い稲妻が走って、一瞬あたりが明るくなり、その光景を照らし出した。なんと私たちは、垂直に切り立った巨大な積乱雲に右翼を突っ込んでいたのだった。(P119-120)
機体の前方に空気の採り入れ口があり、そこからつねに外の新鮮な空気が圧縮器を通して入ってきている。そして客室後方の下のほうには、空気の出ていく穴があり、そこから少しずつ空気を抜いていくようになっている。この穴の開きぐあいを調節することによって、機内の気圧がコントロールされる。(略)巡航時では、三分間くらいですべての空気が入れ換わるくらいだという。(略)空港で飛行機を下から注意深く眺めていただければ、胴体の後ろの下のところに、煙草のヤニでべっとりとなっている部分があるのに気がつくことだろう。ここが、その穴のあるところだ。(P200-1)
そのままドシンと滑走路に接地した。けっこうな衝撃である。そのとたんに、外人機長が、「キャッ」と言った。よほどびっくりしたのだろう。外人とはいえ、男が「キャッ」と言うのを聞いたのは、このときが最初で最後である。(P227) |
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寺子屋式古文書手習い** |
吉田豊 |
柏書房 |
寺子屋の国語教育恐るべし |
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常々、浮世絵に書いてある文言や昔の手紙の字を見て、草書とはいえどうしてここまでさっぱり読めないんだろう、と思い、テレビの鑑定番組などで古文書をすらすら解読する人達をかっこいいなあと思っていたが、この本を読んで分かったことは、そもそも「かな」の字が今と全然違うんじゃないか!定年後に古文書解読の勉強を始めたと言う著者が、全くの初心者向けの入門書として、江戸時代の子供が寺子屋で学んだように基礎から覚えようというステップバイステップ方式で編んだこの本は、教材も借用証書や離縁状、義経の腰越状などとっつきやすく、興味深く読めるように工夫されており、親切なことに所々に要点整理もされていて、通読しただけで次は古文書解読に挑戦したくなるような親切な本だ。古文書では、正式な文書ほど楷書に近くて読みやすく、カジュアルな文書ほど字をくずして書くものだということは知らなかった。高校でも、活字化された古文読むより、この本を採用した方が、暗号解読みたいで楽しいし、実用的(何の?)じゃないか? |
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上 「一筆啓上奉り候」の宛先によるくずし方の例
右から極々上々、上々、同輩、下の上、下々、家来
左 かなの例
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吉
田
豊
先
生
か
ら
の
コ
メ
ン
ト
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(著者の吉田豊先生からメールを頂いてしまいました!ありがとうございます。2000年8月4日付)
吉田豊です。柏書房へ近日出版予定分の校正に来て、このページを見ました。私自身も近々ホームページを開設いたしますが、パソコン操作に慣れるまでは柏書房を借りて通信することとします。さて、いささか宣伝いたしますが、『寺子屋式 古文書手習い』をテキストとする講義の注文が入り、5月から始めております。早稲田大学のオープンカレッジです。続いてよみうり・日本テレビ文化センター(新宿)からも同主題での講座依頼を受け、現在併行して実施中です。学者でもない私ごときにお声をかけて頂き、定年後の現在に、現役時代以上の生き甲斐を感じております。現在、柏書房で準備中の本は、「チャレンジ江戸の古文書」シリーズの第3巻で『大奥激震録』です。今後ともよろしくお願いします。
以下は柏書房出版部からの「追而書(おってがき)」です。
吉田豊の本
『寺子屋式 古文書手習い』1998年12月刊、現在5刷
『江戸かな古文書入門』1995年3月刊、現在6刷
『チャレンジ江戸の古文書 街なか場末の大事件』1999年9月刊
『チャレンジ江戸の古文書 犬鷹大切物語』1999年9月刊
『チャレンジ江戸の古文書 大奥激震録』(近刊予定) |