しぶけんの不定期日記00−1


資格試験

夏休みは授業が無いので研究の推進には最適な時期である。といっても、朝から晩まで研究ばかりではさすがに厭きてしまい効率が悪いので、気分転換を兼ねて資格試験の勉強をすることにした。

最初に準備したのは、放射線取扱主任者(第二種、一般)で専門領域なので楽勝かと思いきや、試験範囲の半分は法令なので(あと半分が放射線物理と放射線化学)それなりの勉強が必要だった。5年分もやると法令の出題にもパターンがあることが分かるようになるので、記憶の効率も上がってきた。教科書を丹念に読み込まなくても、実際に出題された過去問題をどんどん解けば自然と身に付くという感じだった。試験会場の東洋大学に行くと、受験人数が予想以上に多く若い人が多いので意外だった。おそらくX線に関する看護学校の学生さんだろう。

時間が余ったので、情報処理の資格も取った。最初は、第二種か初級シスアドが一般的なのでシスアドから受けることにした。午前試験と午後試験が一冊になっている参考書(技術評論社)を購入して勉強していった。試験会場は成蹊大学だった。数値処理が日常茶飯事の割には、きちんと表計算の勉強をしたことが無かったので参考になった(今まで絶対参照も知らなかった)。

来年は、修論を書かなければいけないので忙しいだろうが、余裕があれば『危険物取扱主任者(甲/乙種)』、『放射線取扱主任者(第一種)』、『英検(準一級)』などを受けてみよう。(受験で日曜日にお寺に行けなくなるのが最大の問題)

2000/11/11


留学生

インドネシアから10月入学で修士の学生が留学して来た。研究室で一番暇そうだった(?)ためか、私がチューターとして彼の担当をすることになった。バンドン工科大学の推薦付きの国費留学生(ようするに日本の文部省が全額出すということ)なので、かなり優秀な人物と予想されたが、日本語は全く話せないということだった。ちなみに、前にインドネシアから来た留学生の某氏は帰国して、すぐ科学技術省のようなところの事務次官になったそうだ。

10月の初旬は彼の対応でてんてこ舞いだった。来日、初日は成田に迎えに行き、学校に連れて来て入学の手続きと、奨学金の手続き。用意した宿舎は外国人だけでは利用できないということで一緒に宿泊。二日目は、市役所に連れて行き外国人登録と国民健康保険の加入。不動産屋に行って賃貸契約と入居の手伝い(家具の購入など)。三日目は、D銀とS銀の口座の開設と、定期券の購入および大量の書類の作成・・・結局、諸手続きが全部完了するのに丸二週間掛かった。

全部同行して通訳をしていたが、出費に関する事項も多かったので一つ一つの説明するのが大変だった(特に火災保険の重要性、敷金制度など)。一応、アルバイト代として4万円ほど戴けるそうだが、まあ何事も経験だと思うことにしよう。

2000/10/10


富士山頂

8月の最後の2日間で富士山に登ってきた。きっかけは、ネットで新宿から富士山五合目までの直通バスが出ていることを知ったことで、前から時間と体力のあるうちに富士山を登ってみたいと思っていたので、早速『富士山とその周辺を歩く』(山と渓谷社)を参考に計画を立てた。8月末には、多くの山小屋とバスが休みに入ってしまうようだったので、急ぎの計画でかなり行き当たりばったりになってしまった。

30日
4:30に起床して勤行・食事、
6:30に出発して平日のラッシュに揉まれながら新宿駅西口の高速バスターミナルに到着。2日前に電話したら既に富士山直行バスは満席だったので、
8:10発の『富士急行中央高速バス 富士五湖線山口湖行き』に乗り、
9:55、河口湖駅で下車(\1,700)。リュックを背負って駅前で乗り換えバスを探していると、いかにも客引き風のおじさんが、「富士山行くんでしょう?宿は予約したのかな?」などと話し掛けてくる。吉田登山口の山小屋ならどの山小屋でも使えるチケット(素泊まり)だというので\5,000で購入。天気予報は午後から芳しくないとのことだったので、雨が降り出したところで一泊にしよう。

10:10の登山バスで富士スバルラインを登る(\1,700)。
10:35、一合目(標高1,405M)。
10:42、二合目(1,590M)。
10:46、三合目(1780M)。
10:55、四合目(2,045M)。どんどん高度が上がる。
11:02、五合目(2,305M)到着。三号目付近で一時霧に包まれたが、五合目では晴れていたので安心。五合目はちょっとした観光地の雰囲気で、土産物屋などが建ち並ぶ。五目うどん(\800)を食べ、特にお守りなどの謗法色もなさそうなので八角形の金剛杖(\1,000)を買って、
11:20河口湖・吉田口からジャージ姿で登山開始(富士登山のルートは主に4つで、吉田口五号目は比較的高度の高いスタート)。金剛杖は雰囲気重視で買ったが、実用的にも助けられた。

12:10、六合目登山センター(2390M)で指導員から注意書きと略地図を貰う。天候はやや回復してきたが、少し頭痛と目まいがした。
13:10、七合目(2,700M)に到着。金剛杖はスタンプ帳にもなっていて、要所要所で焼印を押してもらえる(ただし各\200)。新宿駅でチケットの買い方を聞かれたアメリカ人のJessy(※必ずSは二つ書くこと)さんと再会、世間話をしてガムをもらう。
14:50、八合目『太子館』(3,100M)。
16:00、太陽が富士山に沈んで寒くなってくる。セーターをジャージの中に着る。
16:30、本八号(3,360M)の『トモエ館』に到着。チケットに食事代を添えて宿泊を申し込む。平日なので、予約は不要だったが、ここから上の山小屋は全部休みに入っていたので、結構な混雑だった。

17:00、夕食(カレーライス\1,000)。
17:30、就寝。ほとんど雑魚寝状態。ただし、突き当たりの二人分のスペースを一人で使ってよいと言われたので、私は快適だった。気持ちよく起きるとまだ18:30だった。また一時間たって、起きると弱い高山病の頭痛も治っていた。体が高度に順応したのだろう。外に出ると、下界の街の明かりがとても綺麗で山中湖もよく見えた。

31日
2:30、起床。勤行してから登頂の為の着替え。ジャージの中に、シャツを二枚、カイロ、セーター。外にセパレートのレインコート上下。外は冬の寒さで、イメージ的には初登山の時の三門警備ないし丑寅客殿場外(股引や長袖シャツを持っていけばよかったかも)。朝食は持参したゼリータイプ食品で済ませ、山小屋の朝食(弁当)はストック。

3:30、登頂開始。天気は霧。
5:00途中から、豪雨暴風になるも何とか無事に吉田口山頂に到着。御来光は見られなかった。猛烈に寒い。山頂の山小屋もやっていないし、天候の回復も見込めないようだ。「JTB1号車の方下山しまーす」という声が聞こえるので、やはり体力を奪われないうちに下りてしまうのが安全なのだろう。お鉢周りをして、総本山を眺めてみたかったが、この暴風では不可能なので諦める。

5:20、下山を開始。寒いので山頂に20分しかいられなかった。火口の焼印が欲しかったのだが・・・。
6:00、トモエ館に帰着。インスタントラーメン(\700)を食べて休憩。一瞬、太陽の輪郭が見えて明るくなったが、一瞬のことだった。私は霧のうちに山頂に行ってしまったが、今から登る人は風雨が強いので諦めた人も多いようだった。
6:40、再度下山を開始。
7:50、七合目トイレ。下山道は山小屋が一つもないので、単調な風景。といっても雨で周りは何も見えないが。
9:05、五合目に帰る。昨日と違って、今日の五合目は霧だった。14:00に予約した新宿直通のバス(\2,600)をキャンセルして、
10:50のバスで下山(\1,700)。
11:40、富士急行河口湖駅に到着。
12:11、富士急行で大月に向かう(\1,100)。中央高速河口湖線から見えるローカル線なので一度乗ってみたかった。
13:10、大月駅に到着。
13:27、JR中央線で八王子に向かう(\960)。
14:17、八王子駅に到着。
15:00、帰宅。

お鉢周りをしたい素人としては、御来光は山小屋で見て、明るくなってから山頂に登るという手もあった。今度は、是非8月上旬の天気の良い日に登ってみたい。八つの山頂のうち、最高点の剣が峰や、最も景色がいいとされる釈迦ガ岳などにも行ってみたい。

2000/09/06


鼓笛登山・少年部大会

小学校3年のときにはじめて鼓笛隊合宿に参加したのだから、浪人していた年を除いて、もうかれこれ15回目の鼓笛隊合宿である。私より鼓笛合宿のキャリアのある人は、たぶん少ないだろう。

ますます参加人数が増えたため総二坊を溢れてしまい、我々ブラスバンドと大阪地方部鼓笛隊は常来坊での合宿だった。大阪地方部は地元での度々の食中毒事件のため、合宿中の飲料水などを全て持参する徹底のしようだった。たしかにむこうでは死者も出ているのであるから、神経質になるのも止むを得ないだろう。

常来坊は中継会場にもなっており、一般の登山者は本会場の広布坊に入りきれないので、スクリーンで鼓笛コンクールを見ていただいた。去年の日記で、コンクールの受賞団体が大人数部隊に偏っていることが気になったと書いたが、今年は前半(小編成)と後半(大編成)からそれぞれ金・銀・銅の各賞が出る仕組みになっていたのでとてもよかった。一緒に合宿した大阪地方部の鼓笛隊が最優秀賞だった。本行寺の子供達が参加している東京第一地方部Aは銀賞でほっとした。

2000/09/04


ザ・ダイソー

駅前に有名な100円(105円)ショップが出来た。事務用品や家庭用品などなんでも100円で揃うばかりでなくて、眺めていて感心してしまうほどの品揃えで、こんなのが本当に100円でいいのか?と思ってしまう(※目覚し時計とか)。したがって、ついつい買いすぎてしまうのだが、衝動買いをしても決して無駄遣いにはならないのが100円ショップのよいところ。客層は女性2:男性1といったところだった。また、しばらくして行ってみたところラインナップが変わっていて、飽きさせないように出来ていた。

2000/09/04


お巡りさん

小学一年生の時は、小学校の近くの交番に遊びにいってお菓子を貰ったり(結構暇らしく?よく相手にしてもらった)、拾った小銭を届けて書類を書いて貰ったり(これは今にして思えば社会勉強になっている)したものだった。

それっきり、警察というのは全く御縁のないところだったが、気が付いたら定期入れがなかった。面倒くさいので鞄に仕舞わずにワイシャツのポケットに入れておいたら、自転車を漕いでいるうちに、駅と自宅の間のどこかで落としたらしい。翌朝、駅に行く途中で警察によってみると、無事に届けられていた。定期券には、プリペイドカードなども入っているのでかなりブルーだったが、親切な方が届けて下さったらしい。有り難うございます。

警察での手続きは予想に反して簡略で、ものの数分だった。身分証明書も落し物と一緒なんですが、と説明すると、スーツの名前を見せるだけで身分確認はOKだった。夜帰宅すると警視庁会計厚生課というところから『拾得物受理通知書』というのが届いていた。

2000/08/06


夏期講習会登山

今年の夏期講習会登山は、一期(任務)、四期(受講)、五期・七期・八期・十期(各任務)と参加させていただいた。今年の猊下様の御講義は如来寿量品だったので、そこだけでも全部参加させていただきたいほどだった。任務の時は運がよければ会場内任務者として受講できるが、周囲に気を配る必要があるので必ずしも集中はできない。

今年は、全体的に雨が多かったように思えるが、不思議なことに猊下様の御講義が行われる二日目の丑寅勤行の時間あたりから晴れることがほとんどだった。夏期講習会任務というと日焼けというイメージがあるが、今年は涼しいことが多く、任務回数が多い私としては体力的に去年より楽で助かった。登山者も気候としては過ごしやすかったのではないだろうか。台風3号接近のときはどうなることかと思ったが、千葉の方にそれたので、総本山は金曜の夜から雲が切れていた。土曜日の夜の星空は大変美しいものであった。

参加した期では、各回とも御開扉名簿の人数で5000名弱という感じで、よく人は集まっているようだった。8期はやや少なかった。9期に行った人は6000名を越えていて大変だったと言っていた。一期はターミナルの任務があったが、昨年離脱騒動があった三次の善聴寺は、善聴寺支部さんも正義講支部さんもそれぞれバスを仕立てて大勢で登山して来たので安心した。先日大白法に善聴寺事務所が出来たと掲載されていたが、文字通り脱落者も無く、不心得な僧侶の一人芝居で終わったことは幸いである。

2000/08/06


比叡山

京都での育成活動の帰りに、車のレンタル時間が余ったので、初めて比叡山に行ってみた。車で延暦寺や山頂まで行けるようになっている。いわゆる山道を登っていくと、天気が良かったこともあり、琵琶湖の見晴らしがよくて産湯相承書の一節を思い出した。(さすがに、富士山までは見えないが)

信長の焼き討ちで、往時の建物は何ものこっていないのだが、根本中堂の付近などは想像していたほどは謗法臭くなかった。回廊式の建物を見るのは初めてだった。伝教大師の面影が残っている(といっても護摩を焚いたりしているが・・・)あたりは、まだ幾分まともで、そこから離れるにしたがって、ますます謗法まみれになってどうしようもないという雰囲気だった。

大聖人が御住まいになられたという定光院にも行ってみたが、特に見るべきものもなく、足跡を辿るということ以外の意味はなかった。明星池は無いようだった。

最後に一言、車の通行料が高すぎる。

2000/07/25


お経廻り

今年のお盆のお経廻りは7月7日で、所化の舟橋良本さんが家に見えた。父は余り熱心な信者ではないが、少なくともお経廻りの時には必ず参加して勤行するので、先祖供養の他にもその点が有り難い。やはり袈裟の利益なのだろう。所化さんと勤行をすると、普段御寺の本堂でマイクを通して聞く声と違い、本当に喉が鍛えられているということがよくわかる。

2000/07/15


136円

最近、マクドナルドの平日半額サービスがとてもありがたい。学校を終えてから、夜の会合に参加する場合など、昼飯の量が少なかったり時間が早かったりするとお腹が減ってしょうがない。かといって、食事をして500円ほど費やしてしまうのは、奉安堂の御供養に取り組んでいる身としてはもったいない。そこで助かるのがマクドナルドで、半額のハンバーガー二つ。これが税込み136円。ちなみに、チーズバーガー二個だと168円。偉いぞマクドナルド。

McDonald's Japanのページ (割引券あり)

2000/07/15


職人

東京大学本郷キャンパスの法文二号館に地下一階は小さな商店街になっており、そこにその時計店はあって、70代と思われる御老人が電池の交換をしてくれた。もう50年以上そこに店を構えているということだった。携帯型の電圧器をおもむろに取り出して、電池切れであることを示した後、新しい電池の電圧が十分であることを確認した。時計電池のパッケージには予め小さな穴が開いていて、指で電池に直接触れないで電圧を測定することが出来る。

電池を交換したあと、ベンジンで、以前駅前の安い時計店で電池を交換した時に付着したと考えられる指紋をふき取り、次に時計の隙間から進入した汗の油や、塵をきれいにして、最後に電池に日付を記入して蓋を閉じた。

この時計は、私が大学に入学した際に記念にいただいたものだが、機械部分に精度を高めるためのルビーが幾つも埋め込まれていて、非常に精巧な作りであることを説明してくれた。そんなに高級なものとは知らなかった。今度から、水を使うときは外すようにしよう。

その他、大学の歴史から、職人制度が何故崩壊したのかなどについて、色々教えていただいた。まさに、本郷キャンパスの主といったような方だった。惜しいかな、使い捨ての時代に消え行く運命の技術と精神である。時計の電池の交換に50分を要するというのは初めてのことであったが、2000円というのも納得の価格である。一度、違いを知ってしまうと、他の時計店には任せられなくなりそうだ。次回も、この御老人に電池の交換をお願いすることが出来るだろうか。

2000/06/14


献血

ゴールデンウィークは、普段会う機会の少ない相手に対する折伏のチャンスである。卒論の時にお世話になった大学院の先輩をお寺にお連れすることが出来たが、残念ながら入信には至らなかった。その前の日は立川で創価学会員の友人に会った。もう一年ぐらい御無沙汰していたが、彼が就職してからの話が聞けてよかった。彼は、現在の創価学会の路線が間違っていることについてはよく理解しているのだが、信心は組織ではなくて個人の見解に基づいて行っていけばよいという考え方なので時間がかかりそうだ。

立川の街をぶらぶらしながら色々な話をしていたら、たまたま献血ルームで提供者の募集をしていたので、参加することにした。成分献血なら負担が少ないと聞いていたので、初めてだからそれにして貰おうと思っていたのだが、受付の人が出来れば400mlにして欲しいというので、結局400mlの提供になった。待ち時間が30分ぐらいで、実際の採血時間は10分ぐらいだった。成分献血だと、もっと時間がかかったようだ。

最近は、臓器提供などの話題をあちこちで聞くが、日蓮正宗の信徒としてはどのように考えるべきなのだろうか?仮に自分が回復の見込みが無く臓器を提供するとしたら、もしも相手が信心強盛で折伏もバリバリ実行している人であったら、こちらから頼んでも貰ってもらいたいぐらいである。逆に、提供相手が謗法の人で、私が提供した臓器で永らえた命によって謗法行為や社会的な不法行為を行われるのは、まっぴら御免である。謗法の人でも、臓器提供が正法に縁する機会になるのなら本望だが、命に関わる問題に条件を付ける事は実際には難しいのかもしれない。

・・・などと考えてみたが、まあ献血ぐらいなら特に大袈裟に思わなくてもよいだろう。後で赤十字からの葉書で、血液の分析情報などが送られてくるので、自身の健康管理にもメリットはある。献血した後、少し疲れやすかったような気がするが、気のせいかもしれない。

2000/06/14


全国青年部大会

4月23日、総本山大石寺で法華講連合会の青年部の大会が開かれた。結集人数はなんと15,100人だった。人数的には、総登山会のときなどと同じであるが、集まった人間が全部青年部員というのは、壮観だし迫力や熱気がいつもと違っていた。いや、法華講も大きくなったなあというのが実感である。

メイン会場は、広布の広場で、地涌六万総会以来久しぶりに行われた。勿論、屋外の会場であるが、先に日程を決めておいて、法華講の青年部が大会を開くのであるから、雨など降るわけがないとの確信のもとに実行されていた。当日は、9時ごろに小雨がぱらついたが、大会が始まる10時には晴れてきて、4月にしては寧ろ暑いぐらいの日差しだった。

個人的には、この青年部大会に向かって、非常に大きな魔が働いているとの感触があり、慎重に慎重を期していた。お陰様で、大した事故もなく無事に御登山させていただくことが出来、また一つ罪障を消滅させていただいた。

2000/06/06


海外部マレーシア信徒交流会

今年の虫払大法要は任務だったので、ほとんど行事には参加することができなかった。東塔中からの列を客殿に誘導する際に、総坊から上がってきた海外登山者の列にぶつかってしまったので、日本人の方には待機していただいて、海外の方に先に通っていただいた。都合、海外登山者の流れを全部見送ることになったが、600人ほどと聞いていたが、後から後から続いて来るので、600人とはこんなに大勢になるのかと驚いた。

法要の後、マレーシアのメンバーが本行寺に見えられ交流会が持たれた。10年前だったら想像も着かないような出来事である。言語は主に中国語で、半数ぐらいは英語も話せるようだった。住職の法話を、通訳を介して真剣にメモしている姿には感動を覚えた。

2000/05/10 1:00


卒業式

3月28日は卒業式だった。卒業生は3368人であるが、東大にはこの人数を収容できる施設が無いので、文系と理系を分けて、安田講堂で順番に行われた(もちろん父母は入れない)。15分前に到着すると、既に一階席は満員で二階席に上がることになった。しかし、座れたのはまだよかった方で、開始直前に入ってきた人は立ち見になった。下を眺めてみると、男性が多いのと、就職する人もいることがあると思うが、茶髪の頭はほとんど見当たらなかった。

蓮見総長の式辞は、例のごとく独特の言い回しであったが、特に駒場キャンパスにおける劣悪な教育環境についての率直な批判と、種々の改善策が講じられつつあるので卒業生として駒場の改革を暖かく見守って欲しいとの要望には共感を覚えた。また、一部の報道では東京大学に対して不当に低い評価が与えられているが、本学は多くの分野で世界の先端を切り開いており、諸君の在学中の東大の最大の成果はニュートリノの質量を発見したことであると述べた。

学位授与式では、各学部の代表者が総長から学位記を授与されたが、我らが工学部の代表は女子留学生で、20世紀最後の卒業式の、時代を感じさせる一幕であった。ちなみに、話題の『君が代』の斉唱や日の丸の掲揚はなかった。

2000/05/10 0:30


法華講連合会総会

下田判決の次の週末はちょうど、法華講連合会の春の登山会で約25,000人が御登山申し上げた。土曜日の夜には、御法主上人猊下様の講義があったが、事件や判決の件とは無関係に、純粋に御書についての御講義だった。また、法華講の方でもそれが至極当然といった雰囲気だった。御講義の後に、総講頭から挨拶があり、「いたしかゆし」のお話しがあった。

日曜日は午前2時30分の丑寅の勤行からはじまり、法華講連合会の総会は予定を20分早めて始められた。これは、途中に宗務院の渉外部長である秋元御尊師から、裁判についての報告が入ったためである。私は連合会ブラスバンドの隊員なので、毎年、総会の時は本会場の舞台の脇に座っているため、会場の雰囲気や登壇者の様子がよくわかるが、少なくとも、今回登山してきたメンバーは、かの不当判決をバネにして一層の信行に励むことだろう。

ブラスバンドについては、今回から『地涌讃徳』の伴奏のアレンジが大幅に変わった。今までは、単調に1番から6番を繰り返すだけだったが、新バージョンでは番ごとにすべて表現が異なり、また2番の後と4番の後には間奏が入る。いわゆるCD版に近いものになったが、弦楽器がないので木管パートの人たちは中々大変だったようだ。トランペットの役割は、1番から3番までは完全に裏方に回り、4番からメロディーとなり、最後の6番では強くリズムを刻んで全体を押し上げるといった感じである。

2000/04/11 23:30


シアトル事件判決

最近、法華講は順風満帆という感じなので、いい判決が出るのではないかと期待していたが、見事に裏切られた。当日の朝、天気予報を見ていると、低気圧も無いのに南関東に雲が立ち込めており、ちょうど関東上空に前線が停滞しているような天気図だったので不吉な予感がしていたのだが、残念なことに悪い方に的中してしまった。夕方から強い雨になり、これは天も怒るだろうと思った。

伊勢法印が真言で祈ったところ、雨が降り出した。そこで、門下が疑問に思って大聖人に質問したところ、少し待ちなさいとのお言葉があった。すると、雨は次第に嵐となり大風が吹き荒れて鎌倉中の建物を薙ぎ倒してしまった。今回も、7日して北海道の有珠山が噴火して麓の洞爺湖温泉に甚大な被害をもたらした。平成2年11月16日に池田大作が、学会問題の発端となるスピーチをした翌日に九州で普賢岳が噴火したことと符合している。ちなみに、有珠山の前回の噴火はちょうど昭和52年路線の時だったという。裁判は世法であるから不当な結果が出ることもあるが、現証は過つことがない。天がこのような不当な判決を支持するはずもないからである。

さらに、7日して小渕首相が脳梗塞で倒れてしまった。最近、御供養の貯金のために東大からお茶の水駅まで歩くことがあるが、順天堂大学病院の付近(裏口など)には常に報道陣が待機している。裁判官の異動などはどうやら総理大臣が司っているようだ。今回の裁判官の交代劇には背後に政治的な動きがあったのではないだろうか。果たして、反対尋問だけを聞いた裁判官に公平な心証が形成できるのだろうか。

下田文男裁判長の名は、法華講員に記憶されたところであるが、先週下田文男裁判長の名前が週刊誌に登場している。ニュースでも報道されたが、警察の汚職に関する意外な判決についてである。捜査協力者に支払う礼金の領収書を偽造して警察の裏金にしていたことが内部告発で発覚したが、下田文男裁判長は領収書が偽造であることを認めた上で、「その偽造文書を警視庁が保管しているからといって、警視庁職員が偽造したとはいえない。捜査協力者などが偽名を書いたのかもしれない」などとして、警察を無罪にしている。ほとんど屁理屈である。スプリンクル氏が当夜陸軍に勤務していたにも関わらず、「軍務休職中であったという一事をもって、スプリンクルが本件事件の現場にいなかったということはできない」などとした、クロウ裁判判決と符合している。まったく、とんでもない裁判官をまわされたものだ、というのが率直な感想である。

2000/04/11 23:00


宣法寺落慶

ご住職の御供養で横浜に新しいお寺が完成し、本行寺から神奈川地区・川崎地区の二地区のメンバーが移籍した。JRから徒歩7分で土地も広く、立地は文句無しだ。

落慶の日は、御法主上人猊下をお迎えして入仏法要が行われた。私も警備をさせていただいたが、周辺が開発中なので、道路なども全て私有地になっており、また通り抜けも出来ないことから、警備はやりやすかった。嫌がらせにはかなり警戒していたが、彼らも周辺を車で回りながら写真を撮るのが精一杯だったようだ。思いがけず、午後の御親教は本堂で拝聴させていただくことができ、有難かった。

T君、H君など将来有望な学生が移籍して少し寂しいが、お互いそれぞれのお寺を盛り上げて頑張っていくのが使命だろう。

昨年、妙音のページを見て創価学会から脱会された方が、ちょうど神奈川にお住まいだったので、宣法寺落慶を機に九州の寺院から移籍してこられることになった。その方が折伏された方も含めて三世帯になるそうだ。宣法寺所属となる世帯数は必ずしも多いとは言えない状況なので、新たなメンバーが加わって心強いことだろう。

2000/03/16 23:40


卒論

うちの学科では、4年生の夏学期に「実験演習」なるミニ卒論を書いて、冬学期に本番の卒論を書くというシステムになっている。夏学期は石榑研究室で、光学非線形特性で有名なペロブスカイトという有機無機化合物について研究した。博士課程の方に教えていただいたが、グラフィックやフォントなど、女性ならではの細かい気配りがとても参考になった。

冬学期は、山脇研究室で材料表面の電子状態を反映する仕事関数について、中国人留学生のポストドクターの方に教えていただいた。中国語は教養で二年間やっていたが、四声を忘れていたのでほとんど通じなかった。したがって、会話は全て英語になったが、毎日駅前留学しているような気分だった。こちらは、研究員の待遇だったので、食費や交通費が出てありがたかった。

2000/03/16 23:20


写真裁判判決

12月6日の偽造写真裁判の判決言い渡しを見てきた。最初にテレビカメラが入ってきて、静止画像の撮影があり、カメラクルーが退場した後、開廷となった。判決は主文が読まれるのみで、三分程であっけなく終わってしまった。画像はTBS午後3時45分のニュースで使われたらしいが、見る機会はなかった。

賠償金額はかなり少ないものであったが、金額に具体的な根拠が無いのでやむをえないのかもしれない。池田大作個人の責任を認めた点は画期的だろう。また、後で判決文を入手してわかったことだが、創価学会の反社会性についてよく言及されており、これは値千金である。

残念なことに、謝罪広告は認められなかった。理由として、掲載されたのが創価学会の内部向けの機関紙で読者が限られることが挙げられていたが、それならば謝罪広告掲載の影響も同一の範囲に限られるはずであるから、むしろそう考えるならば謝罪広告を認めるのが適当ではないかと思った。

2000/03/16 23:30