しぶけんの不定期日記01−1


車椅子の天才

ケンブリッジ大(英国)のスティーブン・ホーキング教授の講演が安田講堂で行われた。先着2000名ということだったので開演30分前に列に並んだら、締め切りの直前だった。ちなみに東大にはこれ以上大きなホールはない。一人で見に行ったところ、ちょうど二階席正面のNHKカメラの左斜め後ろが空いていたので、特等席で聴講することができた。

講演の内容は、氏が提唱しているブレイン(我々の体験している四次元空間は高次元空間に漂う膜のようなものだという表現)についての基礎講義で、他の次元は小さく『まるまって』いるため体験できないが、我々が住む世界のようなブレインは極めて近い距離で隣接しており、エネルギーはブレイン間を移動できないが、重力波はブレイン間を移動できるということであった。質問の時間があれば、我々の体験している実効的な重力定数が高次元空間ではどのように修正されるのか聞いてみたかった。本来はクーロン力並みに大きい力であるが、例えば重力線のようなものが高次元に発散していると考えればいいのかとも思ったが、今ひとつ掴み切れなかった。

氏は人口音声を使って講義するのだが、機械のくせに妙に滑らかな発音をするので、慣れるまで聞き取り難かった。もう、60近い年齢というのは初めて知った。

2001/12/01


御大会

今年も御大会の任務をさせていただいた。二大法要などは、日にちが固定のため平日になることも多く、学生である私のところにしばしば任務のお話しが回って来るが、非常に有り難いことである。特に、今年は御影堂場内の整理をさせていただいたので、全ての法要を間近で拝見することができた。特に特に、初日の御説法と三々九度では、「茶番」(杯等を新六僧の方に渡す役)の御僧侶の横に座らせていただいたので、本当に素晴らしかった。三々九度は、テレビ中継で見ているとついうとうとしてしまうが、生で拝見するとその場の緊張感がひしひしと伝わって来て心地よかった。新六僧の一人は、去年まで本行寺で在勤されていた舟橋良本さんだった。また、御影堂横の滝の音が(悠久の時の流れを表すかのような)良い演出になっており、何で水が流れているのかわかったような気がした。

今年は、天気もよく、暖かで、紅葉は去年より遅いようであったが、立宗750年を翌年に控えての清々しい大法要であった。御説法は、猊下様が御登座以来少しづつ進められてきた寿量品の最後の部分であった。

2001/11/28


大阪

陽電子の研究発表のために、10月11日まら13日まで、京都大学の原子炉実験所へ行ってきた。京都大学といっても同施設は大阪府南部にあって、和歌山県との境にあたるような場所だった。しかし、敷地は東京大学の原子力研究施設に比べて広大なもので羨ましかった。

新人だったためか、講演の順番は開会の辞の直後の第一番目で、とても緊張したが集中して聴いてもらえたのでよかったと思う。東京大学の総合文化研究科の方から共同研究の申し出をいただき、テーマと人脈を広げる意味でも有意義であった。

宿泊は同施設の附属宿舎(1泊1000円)を利用したが、これは東大の方がすこしマシなような気がした。どうして、こういう宿舎って相部屋なんだろうか。勤行がしずらいので困る。復路は、ユニバーサルシティー駅から、夜行バスで東京に帰った。学割が使えて6890円だった。新幹線の半分で済む。

ちなみに、USJのお薦めアトラクションは、(1)バック・トゥー・ザ・フューチャー、(2)ターミネーター2:3D、(3)ジュラシックパークの順。ジョーズは期待はずれ。

2001/10/15


島崎総代さんの御葬儀

本行寺の総代で、連合会総務部長の島崎さんが10月3日にお亡くなりになられた。お寺でも、本山の方でも島崎さんの体調を気遣う話しは何度か伺っていたが、本人は倒れてでもやらなければならないことがあると家族に言って、全国のを廻られていた。僧俗指導会での印象は、委員長さんが折伏、副委員長さんが育成、島崎さんが御供養で連合会の指導三本柱という感じであったが、立宗750年を明年に控えてその一本を失ったことは、残念であった。進行性の胃癌であられたそうだが、最後に全国を廻ったときには、胃が受け付けずに何も食べられないこともしばしばであったそうだ。しかし、自分の映ったビデオを見て、これなら誰も病気に気付くまいと安心されていたという。普段から、人前で話しをするときには必ず録音をして、後で反省されていたそうだ。

御通夜と本葬儀で警備と場内整理をさせていただいた。相は、通夜の前後と出棺のときで、三度拝見させていただいたが、本当に色が白くて半眼半口で微笑まれており、素晴らしかった。布教区の御僧侶をはじめ、宗会議長さんや海外部長も見えられ、壮大で厳粛な御葬儀だった。本行寺の本堂を葬儀に使うのは、私の経験では初めてのことだったが、御本尊様と導師と遺体と参詣者の配置など、通常とは全く違う構成だったが、おそらく僧礼なのだろう。

晩年というと、今までは何かほのぼのとしたイメージを持っていたが、最後の最後まで広布の最前線で力を振り絞って指揮を執られ、後事を託して霊山へ旅立たれた大先輩の姿を拝見して認識を新たにした。島崎さんが全国で訴えてきた御供養の推進は、いよいよ12月中に最終回の受付があり、奉安堂も第二次リフトアップが行われて上棟式を迎える。

2001/10/12


札幌&小樽

日本原子力学会2001年秋の大会(於北海道大学)にて、ペロブスカイト型有機無機ハイブリッド化合物をシンチレーターへ適用することによって得られる効果について報告を行った。参加者からの質問は、結晶の大きさはどれくらいか(大面積は可能か)、低速な成分は存在するのかなど具体的な要件が多く、実用化に向けての関心が伺われた。京都大学の神野氏からは、シンチレーターの明るさを評価するためには、W値(一対の電子・正孔対を生成するのに費やされるエネルギー)を実験的に決定するべきであるとの助言があった。また座長を務めていた近大の鶴田氏からは、期待できると思いますので頑張って下さいとの励ましの言葉をいただいた。応用物理学会よりも専門的な討論が多く、特にシンチレーターの性能評価という点で参加者の層が厚いように感じられた。今後はシンチレーターの報告に関しては、応物学会と原子力学会をその発表の要旨に応じて、適宜使い分けるのがよいかと思われる。

9月19日6:45、調布駅から羽田直行バスで空港へ。1400円かかるが荷物を抱えて電車の乗換えをしなくて良いので○。7:50空港に着く。9:00定刻JASで新千歳空港へ。実は飛行機に乗るのも、本州から出るのも初めて。12:00札幌駅に着く。コインロッカーに荷物をあずけて、『るるぶ札幌小樽富良野』を参考に、らーめん青竜の『さっぽろらーめん』(850円)を食べる。バターが溶け出すにしたがって、ジャガイモやアスパラなどの味が深まっていっておいしかった。北口より徒歩で北大へ。学会への参加登録(4000円)を済ます、学生料金なのに高い。夕方、北大を観光して(ポプラ並木、クラーク像など)、夕の勤行は地下鉄南北線(200円)で日正寺さんへ参詣。北34条駅の地図にも大きく出ているので発見は容易だった。水曜日は唱題会ということなので、唱題会も参加した。徒歩で札幌へ戻る。一時間ほどかかるので、素直に地下鉄を利用した方がよい。ホテルは駅の西にある京王プラザホテル札幌を利用(京王観光のパッケージツアー、3泊4日で57500円、飛行機代込み)。22階建ての18階にあるシングルルームで、北大のキャンパスと市街地を一望できるお部屋で夜景がきれいだった。

20日、起床して部屋で勤行(こういう防音のよいホテルは気が楽)。朝食がツアーに付いているので、最上階のレストランAMBROSIAで眺望を楽しみながらフランス料理をいただく(といっても、朝だからハムエッグだけど)。発表は明日なので、今日は学会の雰囲気と競合する技術を偵察。昼は、北大の銀杏並木から出てすぐのそば切りさか田で『小海老山かけそば』(冷やし・大盛、900円)を食べる。夜は日正寺で勤行してから、ジンギスカンを食べたいと思ってすすき野駅に出たが、どうも夜は周辺が風俗街のようなので(一人の観光客なんてカモだもんね。ほら客引きが寄って来ちゃったよ。無視しているのにしつこくワンブロック以上も付いてくるなっつーの。もう折伏するぞコラ!)、目的をたぬき通りに変更。らーめん初代一国堂本店で『正油らーめん』(700円)を食べる。売り切れでうわさの『えびワンタンメン』は食べられなかったが、こってりした豚骨スープが美味しかった。みやげ物屋のたぬきやで物色。結局、定番の『白い恋人』を購入(我ながら単純)。しかし、なんでこのお菓子はたくさん買っても少しも単価が下がらないんだろう。寝るにはまだ早いので、水着をかりてホテルのプールでのんびり水泳(25メートル×10本×3クール)。泳ぐなんて3年ぶりだけど、まだそれほど体力も落ちていないかな?4人しかいなかったのでコースをまるまる使用できた(1500円)。

21日、発表本番の日。朝御飯は、22階のみやまで和定食をいただく。講演の教室に入ると、中沢先生、高橋先生など知った顔があるので少し安心。講演も無事に済んだので、夕方から札幌市内を観光することにする。近場に有名なスポットがあるので、精神的な緊張をした後に遠出をしなくて済むので楽。赤レンガ庁舎や、時計台を観光。ちょうど17:00の時報を聞くことができた。通り向かいのマックで、時計台を眺めながら月見バーガーでおやつ(500円)。18:00部屋に戻って勤行。ちょうどお腹も減ったので、地下のレストラン鮨橘で『特選鮨と三色丼(イクラ・ウニ・カニ)のセット』(2500円)を食べる。お口の中で全部溶けちゃって最高。どっと疲れが出てきたので、缶ウィスキーを飲んで早寝してしまう。

22日、飛行機代をけちって夜遅くの便にしたので(朝の便は満席だった、昼間は高い<なんと14500円も違う!>。明日はお彼岸だから早く帰りたいんだけど)、チェックアウトして小樽を見てくることにする。昨日の雨は止んだが急激に寒くなった。気温が一桁しかない。とりあえず風邪を引くので秋ものの上着を購入(4900円)。小樽運河はとても綺麗で、これだけで小樽に来てよかったと思った。今回は観光ではないのでいつもカメラは家に置いて来たが、ちょっと残念。レンタル画材セットとかがもしあれば、写生をしたい気分。14:00観光船でオタモイ海岸の絶壁を見に行った(2050円)。風が非常に冷たく、また外海の波が高くて大揺れだった。幸い乗り物酔いは全くしないタイプ(にぶいだけ?)なので、開放感に浸りつつ英気を取り戻した。16:30昼食兼夕食は小樽らーめん問屋の『豚角煮らーめん』(800円)を食べた。体が冷えていたのもあってか、このラーメンが一番美味しかったような気がする。日正寺で夜の勤行をして滞在の無事をお礼申し上げてから新千戌空港へ。21:40定刻離陸。23:35のモノレールで品川へ。東京駅で24:19の中央線各駅停車に乗り継いで25:40帰宅。

2001/09/24


総本山で任務者研修会

明年の法華講30万総登山に向けて、9月14日の晩から16日まで、総本山で行われた輸送・整理・救護の任務者研修会に参加させていただいた。60回余の法要を一定の技術の水準で運営するために、各任務者には特定の役割(籍)が分担されており、私の場合は場内の核(コア)メンバーとして、主に奉安殿や客殿の会場内に着任するということで、今回は場内の任務に集中した研修を受けさせていただいた。

30万登山には、御高齢の方、普段ほとんど登山されない方、創価学会から脱会されたばかりの方など多様な参詣者が予想され、総本山内の勝手や地理に不案内な方も多いので注意するようにとのことであった。客殿では、散華が行われるため行道僧の通路を残して参詣者に着席していただくため、普段の御講義や丑寅勤行とは異なりかなり複雑な入場となりそうだった。

全ての会の法要を無事成功させるためには、任務者一同が単なる表面的な技術の取得ばかりではなく、日頃の自行化他の信行で「信頼される態度」「好感を持たれる言語」「機敏な動作」の任務三原則を培って、満を持して明年の『法礎建立の年』を迎えたい。

2001/09/18


名古屋

第62回応用物理学会学術講演会における口頭発表のために、9月10日から13日の日程で愛知工業大学(豊田市)へ出張した。ペロブスカイト型有機無機ハイブリッド化合物をシンチレーターへ適用することによって得られる効果に関して、はじめての外部発表を行った。講演に対しては、通常の討論時間である5分間では収まりきれない数の質問がよせられ、参加者の関心の高さが伺われた。当方の発表の主眼は発光の減衰時定数にあったが、東京大学の柴田氏らより発光の立ち上がりに関する質問が寄せられ、発光現象そのものだけでなく放射線によるエネルギー付与と緩和の機構に関しても興味を持たれているようであった。このことから今後、発光タイムプロファイルに関する実験の結果を学術論文へ投稿する際には、シンチレーション発光とチェレンコフ光の弁別を十分に行ったデータを示す必要があると思われるので、今後の実験の注意事項としたい。また、講演後に個人的に東芝のS氏より大変興味深い発表だったとの挨拶があった。応用物理学会では、光・エネルギー・放射線・半導体といった、幅広い分野からの質問や知見が得られるので、今後も適宜発表の機会を持ち関連情報の発信と収集に努めたい。

往復は、節約のため東名高速バスを使ったところ片道4060円(学割)と非常に安かったが、到着に6時間以上もかかってしまった。しかも、往路は台風16号の接近で乗ったバス(東京駅14:00発)が最終便になるというギリギリのラインだった。ホテルはインターネットで、駅から近い丸の内の東急インを取っておいたので濡れずにすんだ。台風は結局、9月11日に鎌倉に上陸し名古屋にはほとんど影響が無かった。2日目の晩は、ニューヨークでテロがありテレビに釘付となった。ブッシュ大統領は、「これはアメリカに対する宣戦布告だ」とか「新しいタイプの戦争だ」とか言っていたが、これはあくまで事件であり捜査と裁判によるべきところ、戦争に持ち込みたいがためのすり替えであるように思えた。3日目の晩は、平成10年に入信された方の育成に行った。妙通寺さんの御法難会に一緒に参詣する予定であったが、9月12日の晩には行われていなかったので、彼の寮で勤行をした。名古屋名物の『ひつまぶし』を御馳走になって東京に戻った。

2001/09/15


軽井沢

今、私が従事している研究は、科学技術振興事業団(JST)の戦略的基礎研究推進事業(CREST)のプロジェクトである『量子効果等の物理現象』の研究の一環として推進されている。その打ち合わせと今後の戦略の策定を目的として、振興事業団の方をお迎えして、8月20日から22日に軽井沢にある上智大学のセミナーハウスで研究推進状況の報告会を行った。

これには、研究領域統括である学習院大学の川路先生も参加して下さり、また東大(システム量子工学、マテリアル工学)、上智大(化学科、物理学科)、佐賀大(機能物質化学科)、東京工芸大(光工学科)から共同研究のメンバーが集まった。それぞれの現況として、基礎材料設計、物性・構造評価、プロセス・応用検討などの立場からそれぞれ報告があり、私も放射線検出についての報告を行った。私が、特許を既に二本書いている点が事務団の方にはご好評で、構想として述べた医学診断装置への適用についても出願するように強く勧められた。週に3回も徹夜して準備したかいはあったかな。

予定では2日間で報告会を終わって、3日目は自由行動日のはずだったが、あいにくの台風の接近で新幹線が止まる可能性が出てきたため、わざわざ軽井沢まで行って勉強だけして帰ってくる結果となった。唯一レジャーらしかったのは、2日目の休み時間に近くに出来たショッピングモールに行って香水を買っただけだった。帰りは、高崎からはじめて八高線に乗って景色を楽しんだ。結局、台風の影響はたいしたことがなかった。

2001/08/25


少年部大会

7月29日、総本山大石寺で第11回少年部大会が開かれた。僕はブラスバンドの隊員として、毎年参加させていただいているが。今年は付き添いの父母を含めて4600余名というかつてない大規模な集会となり、さしもの1000畳敷の広布坊本堂も人で一杯になっていた。一番楽しみにしているのは小学生の体験発表で、あまりの素晴らしい内容に毎年涙が出てしまう。今年の発表の中では、蓮成坊実修講支部・佐竹美奈(小学6年)さんが印象的で、その締めくくりの「ご本尊様ありがとうございました。」というのが衝撃的だった。大人の発表でしばしば「ご住職様どうもありがとうございました」のように、折伏成就でお世話になった方への謝辞などが述べられるが、子供が素直な信心によって御本尊様の功徳を感じてありのままに御本尊様へお礼を申し上げるという信心の原点に触れて心が洗われる思いだった。

2001/08/16


続・夏期講習会

後半は第九期(7月20〜22日)、第十期(7月24〜26日)、少年部鼓笛隊登山(7月27〜29日)と任務をさせていただいた。法華講員の信行学の向上を目指して開催されてきた夏期講習会も、七回目に当たる本年で最後となり、またその最後の最後となる第九期と第十期に着任させていただいたことは、一つの節目として大切な思い出になることだろう。

今回は、第九期が輸送3班、第十期が輸送2班でいづれも場内の任務だった。去年の前半は音響班の割り当てが多かったが、その後はまれに本部班である時を除いて場外(特に警備)班の事が多かったので、明年の三十万登山はどうも場外の担当かなあと思っていたが、これでわからなくなってきた。場内は自分の任務の結果(ミス)が入場者の並び方で一目瞭然なので、非常に緊張する。特に、本来入るべき人数が会場に入りきらなかった場合には、責任重大であることはいうまでもない。

御法主日顕上人猊下の御講義は、二期とも本門の流通分の後半に関してであった。この辺は、普段余り耳にしない個所であるが、薬王、観音、妙音、普賢などの菩薩様の修行と功徳についての話しが多かった。その中で、薬王菩薩は自らの身を燃やしてその灯明を仏様に御供養して、現在の境涯を得られたという事であった。この話しに関連して思い出すのは『貧女の一灯』である。仏様への御供養を志した無一文の少女が、自分の髪を売って得た少量の油に火を燈して仏様に供養したところ、大風によって王様や長者の供養した灯明は忽ちにかき消されてしまったが、少女の灯火だけは何時までも消えることがなかったという説話である。

今、輸送整理救護(登山部)の任務者の他にブラスバンド(庶務部)でも茶髪を巡っての問題がある。結論としては、登山部の任務者にあっては年代等様々な登山者の方々に対して指示する立場にあること、ブラスバンドにあっては総会等のムードメーカーであって立宗750年に向かって法華講員を元気付ける立場にあることから、地元のお寺で日常の信行に励む際には個人の自由であり何ら信仰の妨げになるものではないが、総本山に登って任務者として御奉公する際には茶髪は禁止ということになっている。また、茶髪で登山した場合にはスプレーで黒く染め直すという対処も行われている。

個人的に聞くところによれば、水性のスプレーとはいえ染めれば必ず髪は痛むそうである。また、帰宅してから完全に落とすまでに6回から7回もシャンプーする必要があるそうである。また、雨に濡れると色落ちする場合もあるそうで、かなりの負担であることは確かなようである。とはいえ、やはり一度全体的な規律として定められている以上は守らなくては任務者全体が烏合の集と化してしまうし、それでは本来の役割が果たせないのである。

御奉公とは身の供養である。御供養である以上は決して強制ではないし、また強制であっては御供養(御奉公)の意味はない。今回、ブラスバンドの任務者のうち二名(男女各一)が最終的に演奏をしないということになってしまい、それについては個人の判断であるからとやかく言うつもりはないのであるが、女性の命である髪の毛を売って仏様に供養した少女の純粋な信心を思うとき、信心で受け止めて貰えなかったことは非常に残念であった。私としては、現在のメンバーの中で欠けてしまっても構わないう人は一人もいないと思っているので、是非次回は全てのパートが揃った演奏を猊下様に、また全国からの登山者に聴いていただきたいと願うものである。

また、妙音菩薩は過去において伎楽の供養等を為した功徳により現在の境涯を得、様々な衆生に対して33種類の身を現じて自在の教導をされるということであった。我々には衆生に応じて三十三身、あるいは三十四身というような化身を生じる力もないし、またそのような時代でもないが、やはり目上の方から安心し信頼され、目下の方から憧れの目で見られるという立場には、それに応じた言語、態度、動作が必要であり、その事は経験的にも明らかなことなのである。いよいよ三十万登山を控えて、任務者の研修なども活発に行われるようであるが、勧誡の二門など基本的なことをもう一度確認して、全国青年部一同、明年の本番に望みたいものである。

2001/07/30


夏期講習会

今年で最後となる夏期講習会が始まった。第一期に早速、受講者として御登山させていただき、第二期・第四期と任務をさせていただいた。前から不思議に思っているのだが、奇数の期が参加人数が多いのに対して、偶数の期は比較的参加人数が少ないのはなんでだろう。

まあそれはさておき、第四期ではアジアの某国テレビ局の取材があり、講習会や丑寅勤行の撮影があった。特派員の方のコンセプトとしては、仏教が歴史的に滅びてしまった某国において、仏教の回帰を望む声がある。750年の伝統を持つ日蓮正宗という宗派の教義では、インドから伝わった仏教が今度は日本から西へ帰ると説かれている。最近、アジア各国に広がりをみせている日蓮正宗の姿を総本山大石寺に訪ね、一時間番組のドキュメンタリーとしてまとめてみた・・・ということだそうだ。

インタビューを受けられた柳沢委員長からは、違う文化圏に所属する相手の質問(たとえば即身成仏とはどういうことか)に対して即座に、しかも分かり易く答える為には日頃の折伏の積み重ねが大事である旨のお話しがあった。

2001/06/15


ハンセン病

隔離政策の誤りを認め、小泉内閣が控訴を断念した。「らい病予防法」は平成8年4月1日に廃止されたが、それまでほとんど感染力がない遺伝病であるにも関わらず、危険な伝染病と誤解され終生隔離を前提とし、既婚者には優生手術まで強要するという人道無視の悪法であった。

「らい病予防法」の廃止運動に取り組まれた日蓮正宗の御僧侶がいっらっしゃる。静岡県御殿場市持妙寺の御住職・松藤欣道御尊師である。御尊師は昭和52年に国立療養所多磨全生園内に建立された日蓮正宗道場・蓮華堂の担任教師として信徒の教導に努められるとともに、患者に対する偏見の是正や差別の撤廃に尽くしてこられた。

ちょうど、知人より御尊師の著書『21世紀の豊かな生き方』(ISBN4-921207-00-3)を借りて読んでいたところだったので、嬉しいニュースだった。患者の方の体験発表などは、妙教45号(平成8年7月)に掲載されている。

2001/06/13


奉安堂の見学

今回の夏期講習会では建設中の奉安堂を見学することができます。時間は初日(土曜日)の11:30〜12:50です(総本山の都合により、変更・中止されることがあります)。見学への参加方法は以下の通り(御開扉が二回の場合)。

☆一回目の御開扉の方(難易度:低)

一回目の御開扉(11:30〜)の方は、御開扉終了後、御影堂の近辺を探せば自然と見学者の流れを見つけることが出来るでしょう。詳しくは付近の任務者に聞いて下さい。

☆二回目の御開扉の方(難易度:中)

二回目の御開扉(13:00〜)の方は、御開扉終了後には見学時間が終了してしまっているので要注意。まず、11:30まで(もしくは着山前)に昼御飯を済ませてしまい12:00ごろに御影堂に着けば見学することができます。見学後は速やかに(12:30ごろまでに)奉安殿前に並んで下さい。御開扉後は速やかに(14:25ごろまでに)各会場へ入場して下さい。

2001/06/09


続・北条時宗

東京江戸博物館で『北条時宗とその時代展』を見てきた。宗教的な観点から眺めると、ドラマでは時宗が大聖人様と運命的な出会いや交流があったように描かれているが、実際は無学祖元を招いて円覚寺を建立し禅宗を興隆させた人物とのイメージが強い。禅宗は不立文字を称する似非仏教であり、大聖人様は天魔の教えと喝破されている。元が宋を滅ぼした際に大陸から日本に大量に禅僧が流入してしまった。元寇は、特に二度目は御戒壇様の建立以後であったこともあり、本州への侵略は成し得なかったが、白法穏没よろしく詩・画・青磁などの芸術色を帯びた外道の侵入は許してしまった。

大聖人様に関する展示のコーナーは、堀の内妙法寺所蔵の弘安四年の真筆曼陀羅(右下に俗資光授与の授与書きあり、日興上人加筆か;勿論、御真筆であっても血脈の無い本尊であるので合掌してはならない)や『富木殿女房尼御前御書』(弘安二年、誕生寺蔵)などが公開されていた。

当時心配された三度目の元寇は現実化しなかったが、結局、鎌倉は遠からずして滅びてしまう。これは幕府の戦功に対する恩賞が滞ったせいで御家人の経済負担が報われなかったことによる主従基盤の弱体化が一因であるが、経済的な視点から眺めると鎌倉幕府の封建制度は新たな領土獲得がない防衛戦を想定しておらず、元寇によってそのシステムの致命的な欠陥が露呈したと考えられる。

2001/05/22


北条時宗

今年のNHK大河ドラマは北条時宗である。最近は帰宅が24:00前後なので基本的にテレビは見ない生活だが、これだけは大聖人様の時代に焦点が当てられているのでビデオ録画で欠かさず見ることにしている。もっとも、謗法の企画による“日蓮”(奥田瑛二)の描写には元より期待はしていないので、人物関係と時代背景に注目をしている。

物語の前半は、なぜ大聖人様が時の執権北条長時(川崎麻世)ではなくて、最明寺入道(時頼:渡辺謙)に安国論を提出したのかということと、佐渡流罪時に自界叛逆として的中する二月騒動の時輔(渡部篤郎)と時宗(和泉元彌)の異母兄弟関係の二点を知りたかったが、ドラマがとても参考になった。一方で、伊豆流罪の際に狂死したと聞いている極楽寺重時(平幹二朗)が、武士らしい最期であったと称えられているというのは初耳だった。

後半は、ドラマで長時を暗殺した浪人の頼綱(北村一輝)が平氏に養子入りした後で、どのようにして『日本国の棟梁』とまで言わしめる権力基盤を握ったのかに注目したい。いうまでもなく、時代は帝から鎌倉将軍に政権が移動しているが、源将軍も三代で滅ぼされて本来補佐役であった執権が実権を握っている。しかしこの後、得宗家の執事に過ぎない内管令の平左衛門が、時宗の良き先輩格の安達泰盛(柳葉敏郎)を滅ぼして権力を手中に入れるのである。末法とはいえ、どういう経緯でここまで政治が混乱するのであろうか?

2001/05/11


危険物取扱者

春に博士三年だった先輩が卒業されて、地下の化学実験室を事実上自分だけで使うことになったので、これを機会に防災の勉強をして資格をとることにした。気をつけなくてはならないのは、まず火災(爆発を含む)と中毒であるが、今回取得した危険物取扱者は消防に関する国家資格である。主に、危険物の中では有機溶媒(アルコール・アセトンなど)であるから、乙種第四類だけでも十分であるが、折角なので全種取り扱える甲種を受験した。法令は例によって何Kg以上から危険物として扱うか(逆に言えばそれ以下の数量であれば危険物ではない)など丸暗記しなくてはならないので、結構面倒くさかった。良いテキストが手に入らなくて困ったが、当日に試験会場に初めて行ったら売っていたので、最初から行けばよかった。免状は都道府県知事からの交付なので石原慎太郎の名前が入っているのかなと期待したが、単に東京都知事と書いてあるだけだったのでつまらなかった。

2001/04/23


御虫払い

久しぶりに一般で参加させていただき、写真を撮ってきました。虫に『御』がつくのは慣例。さらに『おみえどう』は漢字で書くと御御影堂になる。

2001/04/09


ダイヤ改正

京王線のダイヤが改正された。通常、ダイヤ改正といってもどこが変わったのやら良くなったのやら不明な場合も多いが、今回は乗り継ぎや停車駅の見直し(準特急の新設)、23時以降の増発など嬉しいことばかり。また、昨年から運行されている都営新宿線の急行がそのまま京王線まで乗り入れることになり、お寺に通うのが便利になった。京王線は複々線化を諦めたので、大幅な改善は見込めないのかなと思っていたが、随分頭のいい人がいるんだなと感心するような出来栄えだと思う。女性専用車両も好評のようだ。

2001/04/10


国立国会図書館

また、文献の話しであるが、かなり古い論文やマイナーな学術雑誌だったりすると、霞ヶ関の国会図書館に行く必要がある。しかし、この図書館は使用者にとっては極めて効率が悪いので余り行きたくないところである。まず、図書はコード番号を調べて請求するが、本が届くまでに40分ほどかかる(しかも一度に二冊まで)。さらに、コピーは複写係りに頼まなくてはならないが、これにも数十分かかる(しかも一枚30円)。結局、ちょっとした調べ物で午前中が全部潰れたりする。利用者に秘書さん風の美人が多いのがせめてもの救い?

2001/03/03


青年の折伏

最近、二名の高校生の折伏に関わらせていただいた。世の中が自信を失って見える中で、折伏の場において青年と正対して堂々と語り掛ける大人の存在は大きい。相手の若者の方も、この大人は信頼を置けるのかということは、しっかりと観察している。いづれも、壮年・婦人から、年代の近い方から話していただきたいとの依頼であったが、まあ私はほんのお手伝いでしょう。

2001/02/16


電子ジャーナル

学術論文を入手する場合、東大は専攻ごとに所蔵しているため、文献を求めてあちこちの建物を行ったり来たりする羽目になる(物工と応化が豊富な図書を所有している)。総合図書館に全部集めてくれれば、どれだけ手間が省けるかと思うが、図書は財産であるから簡単には統合できないのであろう(長い目で見れば重複購入が避けられるなどの利点があるはず)。こうして、非生産的な活動に半日が潰れたりしたものだったが、最近、電子化が推進され、1990年以降の学術論文(たとえばPhysical Reviewなど)はほとんどWebで検索&入手できるようになって、とても便利になった。うーん、インターネット様々。

2001/02/02


消防署

危険物取扱者試験の要綱を貰いに駅前の消防署に行った。よく考えてみたら消防署の中に入るなんて初めてだ。職員がみんな人のよさそうな方ばかりなので驚いた。やっぱり訓練を受けていた人間は出来が違うというのと、自分の職業に誇りを持って励んでいるということだろうか。職場環境としてはとてもよさそうだった。

甲種は、大学で化学に関する科目を15単位以上修めていることが受験資格(他の条件もある)で、恐らく自分は30単位ぐらいあるのではないかと思っていたが、システム量子工学科を卒業していれば化学に関する専門の分野を修めたことになるので、単位数は関係なく受験できることがわかった。成績証明書を集める手間が省ける(そういえば駒場は今どうなっているんだろう)ので助かる。時間的な余裕があったら受けてみよう。

2001/01/18


大江戸線

『どこでもドア』をキャッチフレーズに全線開通した都営地下鉄大江戸線ではあるが、やはり使い勝手はいま一つである。まず、地下深いので利用するのが億劫であり、それに加えて乗り換えが不便であることが多い。当初は、新宿から本行寺に向かう際に、蔵前で浅草線に乗り換えるルートに期待していたが、駅が接続していないので、地下鉄同士の乗換えなのにも関わらず一回地上に出なければならない挙句260メートルも歩かされ、かつ大通りの信号を渡る必要がある。将来的には開発されるのかもしれないと期待しているが、既に赤字路線化も見込まれているので無理かもしれない。欧米の都市の例を見ていると、地下鉄を掘るよりは、路面電車を復活させて自家用車の乗り入れを制限する方が効果的のような気もする。

ところで『パスネット』は何でJRでは使えないんだろう。

2001/01/12


折伏貫徹の年

昨年は、本サイトの閲覧をきっかけに日蓮正宗の信仰に帰依された方の縁の拡がりが、私の把握している範囲では14件に及び、大変有り難いことである。また、御協力いただいた妙音のスタッフの方々にもこの功徳が自然に回向されていることを信じるものである。

一つには日蓮正宗に深い縁を持った方々が、平成14年・立宗750年を明年に控えていよいよ御戒壇様の元に続々と集って来ていること。二つには、入信された方、勧誡を受けて日蓮正宗に復帰された方がの中で、直ぐに折伏を成就される姿が見られることが最近の特徴として挙げられる。

本年は、1月2日より早速折伏の孫が出来ていい感じである。極めて重要な時期の功徳を魔に持ち去られないように、生活の中に唱題の時間をとることを心がけることを第一としよう。

2001/01/06


お正月

1月1日は、本行寺の元朝勤行が6:30から。準備のために、朝2:45に家を出る。新宿に出てからの乗り継ぎはわりとスムーズで今年は定時(5:00)に遅刻しないですんだ。今年は暖かかっな元日だった。勤行・唱題の後、甘い御屠蘇をいただいて12:00帰宅。

1月3日は、法華講連合会の初登山会。東名高速道路の大渋滞を避けるために、御正月の登山だけは東京第一地方部の貸切団体列車での往復となる。お寺のメンバーはみんな良く知った家族のようなものだから、とってもいい雰囲気で楽しい。お昼は総二坊で車座になって食べた。このとき、地区の皆さんと一緒に食べることはとても重要(だって自分の家のおせち料理はもう食べ厭きた)。

2001/01/03