しぶけんの不定期日記04−1


白馬に乗って
乗馬

12月17〜18日の研究室旅行は、幹事の企画で乗馬だった。もちろん初体験。まず、高い。視線が高くなり、視野が広くなる。次に、ただ座っているだけでは駄目で、馬の歩行にリズムを合わせて自分も脚を鐙に踏ん張って腰を上下しなくてはならない。そうしないとお尻が痛いし、馬の方も背中が痛いのかもしれない。

インストラクターの方から、「何かスポーツをされているのですか?」と煽てられたが、むしろ楽器をやっているのでリズム感の問題ではないかと思う。

2004/12/21


御大会

今年の御大会は輸送班として参加させて頂いた。主に御影堂西側の入場を担当したので、海外の御信徒との接触が多かった。その中で、申し状奉読と唱題が終わった際に隣に座っていた方から、見たこともない外国語の文字の経本を見せられて、最初は何を質問されているのか全く見当もつかなかったが、後ろの方のページなので、何座の御観念をするのかという趣旨だと思って、二・三・五と指の本数で合図したところ当たっていたようだった。

私などは、何か頭を下げていれば、そのうち磬が三回なって題目三唱という意識だったが、海外信徒の真摯な態度には本当に反省させられた。(※ただし、御観念は導師が代表して行うものであり、個々人が思い思いに念じるのは座を乱すことになるのだが、あくまで求道心という意味で。)

2004/12/01


楽天

仙台の球団オーナーに決まって一躍話題の企業だが、このところ忙しくて買い物に行く時間がないため利用頻度が増えてきた。基本的には、実物を確かめてから購入する主義だが、規格品など買うものが決まっている場合には、ネット通販で済ませてしまう。各店舗で送料込みの価格を比較できるのも便利である。

プリンターのインク:これは型番が決まっているので、単純に販売価格のみを比較してお店を選んだところ、普段利用している新宿のPC量販店よりも安くなった。私の機種では、『インクショップ』(http://www.rakuten.co.jp/ink-shop/)が最安値だった。

香水:新しく選び直す場合は、店頭で香りを試すが、今はCHANELのALLURE HOMMEが気に入っていて、とりあえずは変えるつもりがないので通販で済ませた。『Beauty Cat』(http://www.rakuten.co.jp/b-cat/)が安かった。もちろん、品質に問題はない。

下着:輸送班のズボンは白なので、雨で濡れた場合のことを考えて白の下着が推奨されている。しかし、ブリーフ派の人はよいにしても、トランクス派の人などには、男物の白い下着というのは意外と入手できないのである。私は、グンゼのボクサーパンツ(http://www.bodywild.com/)を愛用しているが、白色は女性用しか販売されていない。そこで、楽天で検索してみたところ、ほぼ希望通りの任務用下着を見つけることができた。今までで、これが一番便利だったかも。

防災用品:最近、国内外で地震が頻発しているが、私の部屋では明らかに本棚が一番危険なので、耐震器具を探してみた。すると定番は『マグニチュード7』という、いわゆる伸縮する「つっかえ棒」の製品で、『zakkaz』(http://www.rakuten.ne.jp/gold/zakkaz/)が一番安かった。

2004/11/21


司会

幼稚園の頃からの親友に頼まれて、はじめて結婚式の司会を引き受けた。ご両人と一緒にウェディングプランナーとの打ち合わせにも参加したので、色々と参考になった。新婦が美術の先生ということで、いわゆる結婚式場ではなくホールを装飾してのオリジナル・ウェディングだったので、司会台本も分単位で綿密に作成した。

いざ、原稿を書き始めてみると、かなりの難航だった。例えば、司会者の立場としては、親族と参列者の間では親族側に立つことになるので、両家の関係者は呼び捨てる。では、媒酌人に対する言葉遣いはどうなるのかというと難しい。そこで、あわててマニュアル本を買い漁って一通り目を通した。その中では『披露宴の司会・進行 秘訣と実例』(古川精一著、学習研究社)が最も役に立った。

しかし、最も重要なのは新郎・新婦の意を汲んで、どういう結婚式にしたいのかというヴィジョンを共有することである。特に、式中の両人には発言権がないので、雰囲気を代理しなくてはならない。また、新婦が入信してからまだ日が浅いという点でも、特に慎重を要した。

当日は天気にも恵まれ、またマリナーズのイチロー選手の大リーグ安打記録の更新もあり、良き結婚日和だった。信心に反対気味だった新婦の御両親が満足して帰られたということで、肩の荷が降りたが、丸二日間ぐらい動けなかった。

2004/10/10


仙台

今年の秋の応用物理学会は東北学院大学が会場だったので、はじめて仙台に行った。

9月1日、前日に切符を買っておけばよかったのだが、「はやて」が「のぞみ」と同じく全席指定と知ってあせる。運良く出たキャンセルのおかげで、大宮から乗車することができた。仙台へは1時間30分ほどで到着してしまう。仙台駅西口から徒歩3分ぐらいのライブラリーホテルに宿泊。近い、安い、綺麗、ADSL使えるで良かった。特に、今回はPCを持参してMS−PPTでの発表だったので、ホテルでネットができるのは便利だった。出張用PCは、シャープのPC-CV50Fという、スタイル重視のモバイルを愛用中。

駅前のホテルにロッカー感覚で荷物を預けて会場へ。昼食は駅でさっそく牛タンカレーを食べる。旅先の食事は女性客の比率で見当をつけるが、まろやかな味でまぁまぁだった。初日は、ワイドギャップ半導体のシンポジウムを見たが、4日間でこれが一番の収穫だった。帰りは地下鉄を2駅手前で降りて、ラーメン国技場へ。ちょうど入れ換え後で、調べていた店がなかったが、とりあえず天童らーめんを食べた。競争のある場所では、宣伝や飾り付けが華美でない方が、味で勝負している気がする。

2日目は、午前中に自分の発表があった。3人の方から質問があったが、それぞれ3問ぐらいずつ聞いてくるので、持ち時間は完全にオーバーしていたが、進行役の座長も気にしていない様子だった。午後は、東北大学に就職した先輩と合流。仙台駅に戻って、駅前のメトロポリタンホテルでバイキングの昼食をとった。牛タン、お寿司など、大きなホテルのレストランに行けばその土地の名物が得な値段で楽しめたりする。その後、先輩の新しい研究室を拝見させて頂いた。建物は結構古かった。夜は、お魚のおいしいお店でご馳走してもらった。

3日目は、昨晩ネットで住所を調べた日浄寺へ参詣。仙台のホテルと、会場の東北学院大学の間に位置して都合がよかった。地下鉄の北仙台駅から歩いて数分。つまり、仙台駅から10分とかからない至便な立地。午前中は、大学のPCルームで自分の論文の英訳作業を行って、午後は東北大学の福田研の発表を聞いた。福田先生はベンチャー企業家としても有名で、色々と参考になった。質問をしたら、福田研の助手の方から名刺をいただいた。

会場で、以前お世話になった京都大学の某先生と会ったので、夜は一緒にお食事&飲みに行く。昔の苦労話や、考えている新しい実験についてお伺いできて有意義だった。

4日目(土曜日)は、面白い発表がなかったので、東京に帰る前にホテルに荷物を預けて観光へ。塩竃から船で松島へ行く。島々を遊覧したら、後は寺院ぐらいしか見るところがないので、2時間30分程度で仙台へ戻れた。仙台駅の牛タン通りで夕食。「利休」は大行列で新幹線に間に合いそうもないので、「喜助」の牛タン定食にした。まいう。東京で牛タンというと、丸くて薄くてレモン汁を付けて食べるものだが、本場の牛タンは全然違った。東京に出店すれば儲かると思うのだが。

2004/09/09


夏期講習会登山(3)

フェイク520号より、

F> また、日顕は、六月六日の第二期の講義でも興味深い発言をした。日顕自身の「死期」について
F> である。「あの〜、うあ〜、この〜、阿部〜、日顕っていう人間、私もいずれ死にますよ、その
F> うちに。意外に早いかも知んないです。アハッ。それがね、今生きてるけど、死んじゃったらど
F> こ行ったんだろって、皆さん方、どこ探したって、日顕、もう見つけることできない」

F> 日顕は一体、何処で野垂れ死にするつもりなのか?猫は自らの死期を悟ると、人目につかない場
F> 所へ行って死ぬというが、猫以下の「法師の皮を著たる畜生」の日顕も、人目につかない青木ヶ
F> 原樹海の辺りで死ぬつもりなのか?

これは、「切り文」の典型。前後の流れを切り取って、話しの筋が読者には分からないようにした上で、日顕上人の仰る事が意味不明だと批判している。

これは空諦のうち、分析的に空を感じる(析空)修行について述べたものである。例えば、デカルトが「我思フ故ニ我有リ」と言ったように、衆生は一般的に「我」の存在にとらわれてしまう。しかし冷静に考えてみれば、髪の毛一本を引っこ抜いてこれが自分かといえば違う、またある部分の体細胞を一個持ってきてこれが自分かといえばそれも違う。このようにして、分析を繰り返すと何処にも自分の本体というべきものは無いのだと悟るのが、小乗の初歩的な教えであり、無常・苦・無我・不浄の観念である。

更に分かりやすく述べれば、誰だって一生の最期には死を迎えて、生命が法界に冥伏することになる。そのことを御説明されるにあたり、一例として、御自身の事を仰られたのであるが、フェイクは話しの流れを隠蔽した上で、「青木ヶ原樹海で野垂れ死に」などと、実に下品で卑しい命をもって茶化しているのである。著者の鬱積した惨めな境涯が思いやられるとともに、このような文章を読んで喜ぶ人がいるとしたら、これまた実に情けない。仏性は日蓮正宗の方が正しいと知っているために、それを必死に打ち消そうとする反動的な願望によって、このような文章が書かれるのでしょう。


フェイク526号より、

F> 「妙の字は若い女の乱れ髪」 日顕、夏期講習会でセクハラ説法

これは御妙判に「妙とは不可思議・言語道断・心行所滅なり」と示されている通りです。日顕上人が上人が紹介された歌は、「妙の字は・少(わか)い女の・乱れ髪・結うに結われず・解くに解かれず」で、江戸時代頃ものではないかと思われます。

妙の字は、女偏に少と書きますが、これを少(わか)い女(おんな)と読んで「髪」と掛けています。そして、下の句で「その心」(不可思議)を「言うに言われず、説くに説かれず」と受けています。中々軽妙で、日寛上人にも好物であられた「十六芹」に関するウィットが伝わっていますが、学会スパイ氏は「若い」と書いている時点で、洒落の壷(オチ)が分かっていません。

「乱れ髪」で何を一人で想像しているのか理解しかねますが(※例えば「髪結いの乱れ髪」といえば、「紺屋の白袴」と同義)、セクハラ説法などと興奮する前に、もう少し教学と教養のある方を潜り込ませて欲しいものです。フェイクは編集室を含めてよほど人材に恵まれていないのでしょう。


フェイク527号より、

F> 日顕の与太話に講員は辟易
F> 予定より一万人も少ない講習会の参加者
F> 「奈良の大仏は仏の悟りと功徳の象徴」?

F> 最後に日顕の与太話とは、どんなものか、一部を忠実に再現してみると――
F> 「華厳経というのはねえ、あんな〜、非常に高い法門でねえアノ〜、その象徴が、アノ〜、奈良の
F> 大仏さんなんです。あれは、そのような非常に深い仏の悟りと功徳を、あの大きな形で表している
F> わけです、ねえ。みんな行って見て来て構わない。あれはそういう大きな仏様なんです」

これは、華厳経を説明された部分からの切り文。華厳経は釈尊成道後に説かれた教えで、声聞衆はちんぷんかんぷんで仏様が何を仰っているか分からなかったとされています。これは、衆生の気根を推し量る目的で、権大乗経という比較的高度な教えを直ちに説かれたためです。もちろん、実大乗である法華経には劣ります。

一方、その場に居合わせた高位の菩薩だけは内容を理解することができ、仏様のお悟りの深さ広さを感じることができたのです。勿論、末法の衆生が華厳経を読んでも、菩薩衆のように大きな法身如来を感じることはないので、形だけ大きな仏像を造っても意味はありません。ただし、文化財としての価値はありますから、見てきても構わないし、別に見なくてもよいということです。

何処が忠実に再現なのでしょうか。忠実というのは、前後の脈絡や発言者の真意が正確に伝わる場合をいうのです。フェイクなど、「忠実」という表現が最も似つかわしくない存在ではありませんか。


フェイク529号より、

F> 聞くに堪えない日顕のボケ説法、ニセ法主が「忘れた」「何だっけ?」を連発 、「私は欲が深い、
F> 修行しても駄目です」と

F> 一、(九識論の話で)七識は、エ〜、何だっけなあ?イ〜、何だっけなあ?忘れちゃった。まあ、
F> でえ〜、七識なんです。

F> 一、肉眼の上に天眼があるんです。持っている人もいる。外道の聖者も天眼があるんです。

F> 一、末法の人間は欲が深い。欲に囚われている人が多い。かく言う私もそうなんです(講員は笑い
F> ながら頷く)修行しても駄目です。

日顕上人は本当に明晰な方でいらっしゃって、一時間半の御講義においても、特に原稿を用意されなくても、御書や六巻抄、天台三大部など自由自在に引用されるのです。さすがに82歳でいらっしゃるので、時折、思い出すのに時間のかかることもありますが、側の御僧侶が最初の一句を申し上げれば、後の数行は立て板に水の如く流れるのです。ちなみに九期は任務で会場にいましたが、たしか七識は直ぐに御自分で思い出されていらっしゃいました。

天眼というのは、仏教に説かれる五眼のうち一つで、肉眼で見える範囲よりも遠くを見通す通力のことで、盂蘭盆経には神通第一の目健連が餓鬼道に墜ちた母を発見したと説かれています。ところが、末法の衆生は欲が深いので天界の修行をしても、このような六神通が身に付くことは稀であり、また御書に「利根と通力には依るべからず」とあるように、そのような利根を身につけて慢心すればかえって地獄に墜ちることになるで『駄目』なのです。

フェイクは、あたかも日顕上人が題目の信心修行しても駄目だと発言したかのように小細工を弄していますが、この怪文書ほど読者を馬鹿にしているのも珍しい。真実を知らない者が、読めば読むほど思考が狂うように設計されています。フェイクとは、偽物とか贋作という意味の英単語ですが、確かに魔の所為に相応しい表題というべきでしょう。

一時間半といえば、原稿用紙数十枚にも及ぶ分量です。その中で、このような捏造でしかイチャモンをつけられないのは、逆説的に如何に猊下の御講義が勝れているか明らかです。今年のフェイクを一通り読みましたが、正面から教学で対抗している箇所など一つもありませんでした。

2004/07/29


夏期講習会登山(2)

第1期は『四恩抄』の御文、第4期は『本尊抄』の御文について甚深の御講義を賜った。実は、『本尊抄』の御講義を拝聴しているときに、極めて初歩的な教学の基礎を間違ってとらえていたことに気がつき、目から鱗というよりは赤面の至りであった。

しばしば、御法門は標・釈・結の構成をもって冒頭に要点を示される。『本尊抄』の始まりは「摩訶止観第五に云く、『夫一心に十法界を具す。・・・」であるが、私は、今まで天台大師の釈を引かれて、理の一念三千から導入されているように考えていた。それは、「一心」を総じて一切衆生のものであるとのみ考えていたからであった。しかし、御法主上人猊下様の御講義で別して自受用身の一心であることを拝聴し、やはり冒頭から直ちに本尊の体相を示されていることが解った。帰宅してから文段を開いたらちゃんと全部書いてあって、「元意に准ぜば、応に観心本尊の依文」とあった。読んだことがあっても、猊下様の御指南を拝聴するなどの切欠がないと頭には入っていない。十界の聖衆が大聖人己心所具の十界であることは何度も耳にしていたが、やはり身についていなかった。

赤面は次で、十界互具を間違えていた。文字通り十界に十界が具わるということであるが、単に自分の心に地獄乃至仏の十界が具わる、そして(何処かに居る)地獄の衆生にも餓鬼〜仏界が存し、仏様の御境涯にも地獄界〜菩薩界が具わっているから、それらを全部足していくと百界と思っていた。しかし良く考えると、これだけではある一刹那に、己心に具わる十界のうち一つが発動しているというだけで、例えば(人界×)十界×十如是×三世間=三百世間にしかならない。十界互具は初級の教学であるが、上の「一心」の御指南を承って気が付かなかったら、何時まで勘違いしていたのかと思うと怖い。やはり、猊下様の御指南を機会のあるかぎり、生で拝聴させていただかなくてはならない。

ここを間違えていたものだから、今までは「釈尊因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給ふ」という御文を拝する際に、果徳(仏界)が「譲り与え」られるというのはよいとして、因行の功徳も「譲り与え」られるということの意味が事の上で良く解らなかった。今回漸く、御本尊様の左右の十界の意義が少し解ったような気がした。

2004/06/20


夏期講習会登山(1)

破邪顕正の年の夏期講習会登山が始まった。平成21年の正義顕揚750年を目指しての第2回目になる。まず第1期に任務をさせていただき、第4期に受講させていただいた。

その講習で感じることは『立正安国論』を拝するには、善神と悪鬼(魔)の存在ということについての考えを改めなくてはならないということである。どちらの衆生も姿を見ることはできないので、仏法を守護する働き、あるいは成仏を妨げる働きというように、ともすれば目に見える“働き”の方を主体として解釈してしまっていた。つまり、法界に存在するそれぞれの働きが擬人化された存在として考えていたのである。

しかし、第一問答の有名な御文に「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」とあるのは、果たしてイメージなのか実相なのかと問うときに、やはり善神や悪鬼が我々の生活と重なり合って実在する衆生であるということを認識しなくては、『立正安国論』の御精神を正しく拝したことにはならないと反省した。

ところで、この災難の来由を地で行っているのは創価学会であろう。彼らは自主的に本尊を交換しているつもりであろうが、御戒壇様のお写しである大石寺の御本尊を失う姿は「聖人所を辞して還らず」であり、血脈法水と縁の無い(外見は日寛上人の書写であっても)ニセ本尊祭るのは「是を以て魔来たり鬼来たり」の姿であろう。その真実一人でも多くの心ある学会員に伝えることが、法華講員の勤めである。

2004/06/20


牛丼が無くなって(2)

豚肉、鶏肉と無くなって思うのであるが、やはりご飯をいただく前後の題目三唱は重要である。我々は、決して一人で生きているのではなくて、謗法の人を含めて多くの方にお世話になって生きているのであり、目の前の一食にも多くの手間がかかっているのである。日蓮正宗では勤行の最後に法界平等利益の回向をするが(ちなみに塔婆供養にもその意義がある)、一切衆生の恩が説かれる以上はそこに報いていく術を有するのが仏様の教えなのである。また、自らの血肉をもって我々の信行増進に資してくれる畜生等にも、一分の功徳を願うことは仏教徒として当然の心得と言えよう。今回の食肉騒動も、不知恩が蔓延る今の世の中に対する総罰と見るべきである。

2004/05/20


牛丼が無くなって

BSEで牛丼がなくなってしまった。研究室から徒歩の範囲では、深夜営業している外食産業が、■野家とオリジン弁当しかないので選択肢が更に狭まった。■野家も新メニューの開拓に取り組んでいるが、どれも今ひとつである。もっと頑張って欲しい。

【豚キムチ丼】は、要するにキムチの入った豚丼である。御存知の通り、キムチと豚肉は相性が良いので期待させる。ところが、それはあくまで加熱の段階で両者の出汁が混ざり合った場合に限られることを再認識させられる。これは単に、豚丼に冷たいキムチを添えただけの食べ物であって、豚とキムチの間に何の協調性もないのである。キムチ豚というのであれば、少なくとも一歩前の段階で混ぜなければ意味がない。半熟卵の支援を頼んでも、焼け石に水。

【鮭いくら丼】は、最初の一瞬だけ(意外といいじゃん!)安堵させてくれる。しかし、その安堵感はやがて絶望に変る。このメニューは、ご飯の上にイクラと鮭フレークが半々に敷き詰められたものであるが、そもそも御飯が熱いところが間違っている。イクラの新鮮なプチプチ感が味わえるのは最初の30秒だけで、温まったイクラはすぐに緊張感を失い、2分後にはドロドロの粘体となってしまうのである。有り得ない!

【カレー丼】のキャッチフレーズは、「まったり」と「スパイシー」である。お蕎麦屋さんのカレー風なので「まったり」は認められるが、全然「スパイシー」ではない。しかも、具が玉葱だけというのはいただけない。もともと牛丼屋なんだから、何か肉ぐらい入れるべきではないのか。これで350円は高すぎる。学食カレーに完敗。

【マーボー丼】は、期待してなかったので、まぁこんなもんかという感じ。少し味付けが濃すぎるように感じた。これを食するときには、サイドメニューの御新香を頼んでクドサを中和した方がよい。普段はサラダを頼むのだが、こんなに御新香の必要性を感じたことは無かった。

何だかんだ文句をいいつつ、お金のない学生としては、週に一度くらいは行ってしまうのだが、あの牛丼の牛肉と生卵のハーモニーが懐かしいよぉ。

2004/04/20


春季総登山

例年、春季総登山はブラスバンドの隊員として御登山させていただいている。一日目に練習、二日目に総会が基本的なスケジュールであるが、全国のメンバーが一同に会する機会は余りないため、練習はとても貴重な時間である。

ところが、今年は一日目が第一回東京大学学生発明コンクールの表彰式に重なってしまった。最優秀賞受賞者として壇上での挨拶も求められていたので、儀礼上出席せざるを得なかった。マスコミの方もいらしていて、日刊○○新聞社さんと、日経◇◇誌さんから取材があった。着山は夜になってしまったが、猊下様の御書講義には滑り込みで間に合った。

総会は、全国の鼓笛隊の参加もあり盛り上がっていた。個人的には、地涌讃徳の合唱がなくてちょっと残念だった。六番まであるので、時間の関係で変更されたのだろう。二日間とも非常に天気が良く、特に一日目に着山した際には夕闇の中に富士山の稜線がまだクッキリと見えるので驚いた。

2004/04/02


体験発表

今月の広布推進会は青年対象だった。体験発表を仰せつかったので、インターネットでの近況をまとめたが、特異な折伏手法ではあるので理解を得られるのかどうか不安ではあった。下書きをまず本行寺の青年部会で発表して御住職に聞いていただき、原稿の最終版は柳沢副地方部長に推敲していただいた。支部外での発表では、導入部分が必要であるということで原稿がまた長くなってしまった。当日の発表時間は10分という説と、8分という説があったが、結局は10分ということだった。

当日は、登壇者の練習があるかもしれないと思って早目に行ったが、特に唱題行がはじまるまで何もなかった。体験/決意の発表者は3人ということで、私は題目三唱が終わって直ぐに登壇の準備をしていたが、実際には常在寺の女子部長、法道院の男子部長、私の順番ということになった(その後、地方部青年部長、地方部長、布教区担当教師、住職代表、支院長)。東京第一布教区のお坊さんは偉い方が多いので、さすがに緊張して少し咬んでしまった。400字/分のスピードで読んだので、聞いている人には少し(かなり?)速かったのでないかと思うが、何とか終了した。大きな舞台で体験発表をすると、だいたい魔が出てくるものなのでしばらくは体調などに十分気をつけよう。

2004/03/16


花粉症

3年前ぐらいに、花粉症になってしまった。私は気管支が弱いので、症状が悪化すると咳が止まらなくなる。しかし、重篤な人は熱まで出るそうなので、まだ軽い方なのかもしれない。それまでは、何ともなかったので花粉症の人は気の毒だと思っていたが、まさか自分が突然発症するとは。聞くところによると、花粉アレルギーが年々蓄積していって、あるレベルを超えた人から症状が出始めるのだという。

杉ばかり植林した人災だと思うが、花粉だけならまだマシで排気ガスなどの汚染物質が付着しているのが事態を悪化させているそうなので、ますます人災の感が深くなる。都市部では道路が舗装されていて、着地した花粉が再飛行してしまうことも問題だ。

マスク去年、薬局でユニチャーム製の『超立体マスク』(左図)を見つけて愛用している。使い捨てで清潔だし、口の前に隙間が有るので呼吸が楽である。一度これを使用すると、もう普通の綿のマスクは使えない。去年のSARS問題で開発されたのかどうかは知らないが、新製品のお陰で助かってます。(最初はかなり目立つがそのうち普及するだろう)

ところで花粉の薬は市販品でもかなり強いように思う。よく風邪薬などに、服用した後は車の運転を控えるように注意書きされているが、別に眠くなったりすることはない。しかし、アレルギーの薬は一種の“麻痺”をさせるためか、眠くなるというよりも全身の感覚が鈍くなるように感じる。また、走ったりするとクラクラしたりもする。それで、今年は花粉の飛散量が少ないこともあり、薬を飲ずに乗り切ってみることにした。研究が仕事なので、一時的にせよ頭が完全に働かないというのは非常に痛いのである。

2004/03/03


御本尊送り

1月18日は、昨年入信した友人の御本尊送りとなった。同居の御家族の反対もあり、御本尊様を御安置するまでに丸一年かかるというはじめてのケースであったが、その間に5回の御登山(2月月例、春総、夏期講習、支部、初)に参加するなど本人の真面目な信行により就職・独立がかなって、御本尊様をお守りする生活ができるようになった。これで油断することなく、折伏に精進してもらいたい。

2004/01/20


年賀状

例年は信心関係用と、一般用の2種類を作成するのだが、年末年始に実験の準備が重なってしまい、とても忙しかったので一般(業務)用のみとなってしまった。

今年の絵柄はそのデータからで、私はシンチレータと呼ばれる医療用センサー材料の開発を行っているが、その応答時間特性を示したものである。ピコ秒とは、1秒の10の12乗分の1(1/100万のさらに1/100万)の時間を表す単位で、極めて応答速度が速いことを示している。実用化されれば、体外からの短時間スキャンで初期腫瘍(〜2mm)を発見・断層映像化できるようになる・・・はず。

2004/01/05


新年のご挨拶

立宗752年の新春、明けましておめでとうございます。読者の皆様のお蔭様をもちまして、妙音も早8年目を迎えることとなりました。その間、一般家庭にまでPCが普及し、インターネット情報の重要性が飛躍的に高まってまいりました。一方で玉石混交の弊害も指摘されておりますが、本サイトは年間5万強アクセスをいただくまでに成長させていただきました。これは、宗教に関するホームページとしては、常設掲示板を設置していないことを加味しますと、比較的高い水準であると考えられます。

さて、本年は宗門を挙げて『破邪顕正の年』と銘打ち、平成21年に控える『立正安国論正義顕揚750年』に向かっての、第2年目の取り組みとなっております。御法主日顕上人猊下は、昨年法華講一同に対して賜った安国論講義の中で、「立正」の二字に破邪・顕正の意義が篭められていることを御指南あそばされております。したがって、創価学会を筆頭とする外なる謗法と、十四誹謗抄に説かれる己心の魔とに対する破邪顕正こそ、「地涌倍増」の仏勅を実現する為の本年の信行における肝要と心得なくてはなりません。

「一年に一人が一人の折伏」を文字通り実行するならば、本来「地涌倍増」の所用時間は一年であるべきです。しかるに、現実として6年余の期間を賜ったのでありますから、万が一これが実現してこないようであれば、それは我々の怠慢であり、特に驕慢・懈怠・計我の3つの謗法によるものであると猛省すべきものであります。

我々は一昨年、御当代日顕上人猊下様の驥尾に附して、法華講30万総登山の大偉業を達成させていただくことができました。また、御戒壇様を御安置申し上げる奉安堂も、立派に完成しております。この大浄業に御奉公申し上げた功徳は実に膨大であり、とても凡夫の智慧が及ぶところではありません。ここに自身の境涯が変わっていることによって、折伏の縁も今までとは変わっているのだということを確信し、勇気を出して更なる下種活動に励んで参りましょう。

2004/01/02