わが信行の記 83 (小学校一年)


おもちつき

十二月二十九日、十一時から本行寺かいかんでおもちつきとかきぞめのれんしゅうがありました。おかあさんといもうとのゆうこといきました。十分前についたけど、もうおもちつきがはじまっていました。上で三しょうしてから下へおりていきました。おかあさんはおもちをおさらにのせてお寺のきんじょにくばるのをてつだいましたが、ぼくたちはなにもすることがないので二かいでふざけたりしましたがとぎどき下へいきました。

そのうちにおもちができてならんでおもちをもらいました。きなこをあんこが入っていました。きなこにあんこ3こたべました。小さなきねで子どもたちもつきましたが、ぼくはやりませんでした。でもいもうとはやりました。

おかあさんがおさらをあらいにいっていなかったのでそれからすこしさがしました。それから小さなおそなえをつくりました。つきたてのおもちにさわるのははじめてです。だいの上にこなをいっぱいしいて、おもちをすこしづつわけてくれました。さいしょは、くるくるまわして、ぺちゃんこにして、りょう手でりょうわきをおさえてかたちよくしました。こんどはすこし大きいおもちがきました。そしてさっきとおなじようにつくりました。でこぼこだけどできました。そして、かみでつつんでごむをかけました。いもうとのほうをみると、めちゃくちゃにやっていたのでつくってあげました。でも、さいしょめちゃくちゃにやったのですごくでこぼこにできました。ふくがまっしろになってしましました。そして外でこなをおとして、手をあらいました。

それから上にあがってかきぞめのれんしゅうをしました。おかあさんがきたので「どこにいってたの」とききました。おかあさんは「三がいでおさらをあらっていたの。」といって、ぼくといもうとがおそなえをつくったというのでかみをあけてみてとてもびっくりしていました。子どもたちによいけいけんをさせていただいたとかんげきしていました。

うちにかえっておそなえをごほんぞんさまにおそなえしました。よるごはんのあとでさとうじょうゆをかけてたべました。おかあさんのちいさかった時、つきたてのおもちを、こうやってたべたそうです。おいしくなさそうでしたが、たべたらおいしかったです。

1984/12/29


こうきょ一しゅう

ぼくは東京えきのそとへ出たことははじめてでした。こうきょは一周五・五キロだそうです。とちゅういろいろなのがあるので、ぼくは「おかあさんあれのしゃしんとって」となんかいもいいました。だけどおかあさんはあんまりとってくれなかったのに、二じゅうばしのところはなんまいもなんまいもとりました。とちゅうやなぎがあったのでとどくところにとびつきました。こうきょ半しゅうするまえにすこしつかれてきてしまいました。

こうきょ一しゅうのとき、となりはしの原くんでした。時々後ろの人がおいこしました。でもすごくいろいろなところにこう番があったり、おまわりさんがいたりします。ほどうの下のおほりまで二十メートルぐらいのところがたくさんつづいているところもありました。そこのおほりにははくちょうがいました。それをおかあさんがしゃしんにとりました。いろいろなところに門があります。こんどは二じゅうばしです。そこでしゃしんを四まいとりました。五分ぐらいたってまたしっぱつしました。

その日女子国さいまらそんの日なので、がい人の人とか日本人がしょっちゅう来たので「右によって、こんどは左。」となんかいもちゅういがありました。しゅっぱつして二時間くらいたってこうきょ一周がおわりました。でもはじめてのこうきょ一周でした。

かえりにきっぷを先生がかってくださいました。でもふじかいかんについてからこてきのれんしゅうがありましたので、つかれてしましました。いもうとはねつがあったのでこられませんでしたがこんどはつれていってやりたいと思います。

1983/11/20


しょてんぜん神のしゅごについて

11月13日のたけの子会でこうとうさんはみんなに学校が楽しいということはどういうことか聞かれました。友だちがいることとべんきょうがわかることと、おにいさんたちが答えました。みんなの中でいじめられっこがいるかと聞かれましたがだれもいませんでした。そうだろうとこうとうさんはにっこりされましたが、それはなぜかということをおしえてくれました。

しっかりとだい目をとなえる人を、しゅごする人がしょてんぜん神で、その中で一番力のあるかたが大ぼん天王、たいしゃく天王。このかたがたに昼夜にまもられている。だから学校へ行ってもいじめっ子にいじめられないんだよ。いじられっ子はほうぼうの子なのでまもられない。だい目をあげる子はしょ天ぜん神とほとけさまのやくそくでまもられている。朝東天にむかってまず方べん品、自がげをあげるのは、昼夜においてまもってくれているから、朝目がさめたらありがとうとおれいをいう。そしてだい目をあげるからしょ天ぜん神が力をます。あげないと力がおとろえてまもりきれない。そしてそれからご本ぞんさまにむかってごほう恩のためにごん行をする。いやしくごりやくをいただくためではないといわれました。

ぼくのくみはときどきけんかをすれけど、いじめこもいじめられっこもいません。キックベースのしあいをほかのくみにもうしこみにぼくがいき、オーケーというと小玉くんにつたえます。小玉くんはぼくのくみで一番うまい人です。三くみにはうまい人がいっぱいいるけどぼくらの二くみはかちました。一くみ、四くみにもかちました。それはくらすがまとまっているからだよ、それもごほんぞんさまのおかげだよとおかあさんがいいました。

1983/11/13


お盆のお話

きょうはおぼんの日です。明治五年に、こよみがかわって、あたらしいこよみになりました。けれどもせいかつの方は、かえることがすぐにはできないので、おぼんもあたらしいこよみでは七月十五日ですが、ふるいこよみの方の日づけ(八月十五日)で、ちほうのほうはおこなわれている方がさかんだそうです。それはのうかの人のしごとが一だんらくしてほっとするころだからだそうです。おかあさんのいなかのあおもりの方も、おぼんのころはよそのとちでくらしている人たちもかえっておぼんをするので、とてもにぎやかだそうです。

おぼんはおしゃかさまのでしのもくれんが、けんどんのつみで死んでがき界におちてくるしんでいた、おかあさんのしょうだい女を、うらぼんの日におおぜいのおぼおさんにくようをすることでやっとすくうことができたという、おはなしからはじまったそうです。

みょうほけきょうに、くよういたてまつるくどくが法界にめぐりむいて、いっさいのくのうをぬきとってゆくのだそうです。そしておぼんや、おひがんにはおとうばをたててせんぞの人たちのくようをします。おとおばは、じぶんのおとうさんおかあさん、そしてじぶんんたちをまごとしてかわいがってくれたおじいさんおばあさんまでくようすることがたいせつだそうです。

うちは渋谷、おかあさんのいなかはすぎ山、あお森のおばあちゃんのいなかはわ田、ねりまのばあちゃんのいなかはかねこです。ぼくはねりまのおじいさんだけがなくなっていますが、おかあさんたちには八人のおじいさんおばあさんが、います。まい日の五ざのごきねんの時、四つのいえのなまえがなかなかおぼえられませんが、おぼえていきたいと思います。

1993/08/14


だいもくをとなえることのおはなし

にちれんだいしょうにんさまが、おうまれになってながいあいだ、いろいろなしゅうきょうがあって、どれがほんものかとべんきょうをされて、さんだいひほうのごほんぞんさまをあらわされました。そのごほんぞんさまがしょうほんどうにごあんちされている、ごほんぞんさまです。

ぼくはごんぎょうのとき、てがひざのうえにあったりゆびがまがってたりしておかしかったり、こえがはっきりしなかったり、ごほんぞんさまをみないでぼけっとしているのでしかられます。

ぼくが5さいのとき、すいみんぐのひ、ちゃんとやったら、およげなかったのにきゅうにおよげるようになりました。

ぼくのくみのともだちのこで、うえとしたどちらもしんぞうがわるいのです。そのこのうちにぼくのうちのごほんぞんさまににているのがあって、そのそばに、ふだがさんまいあったので、かえってから、おかあさんにそのこのうちをおしえました。

八月八日おかあさんにそのこのうちをおしえました。るすだったのでかえりかけたけど、一けんとなりがこうめいとうの○○○さんのおたくだったので、おたずねしてともだちのうちのことをきいたら、ぼくのみたとおり、にちれんしゅうでした。○○○さんで、さんざんしゃくぶくしてもきけなかったそうです。こどもがふたりともしんぞうがわるいのに、なんできがつかないのかなとおもいます。

1983/07/10


にっしょく

ちきゅうは、たいようのまわりをまわって、そのちきゅうのまわりを、つきがまわっています。つきがたいようとちきゅうのあいだにくると、にっしょくがおこります。

にっしょくは、かいきにっしょく、きんかんしょく、ぶぶんにっしょくがあります。たいようよりつきがちいさいと、きんかんしょくになります。きんのわのようになります。ぶぶんにっしょくはつきがたいようを一ぶぶんだけかくしたときです。

このあいだ、じゃわとうのかいきにっしょくがあって、てれびにうつったそうですが、ぼくは、みなかったのでざんねんでした。こうだんしゃのこどもからあずかんを見てやっとかきました。むずかしかったです。

1983/06/12


母の日

ははの日に、ぷれぜんとをあげようと思っていたけど、ぷれぜんとをあげるのをわすれていたら、あっというまにその日がすぎていました。あげたいものは、こずがいがずいぶんすくなかったので、十えんだけどきれいなおもちゃのゆびわを、みつけたので、それをあげたかったけど、どんどん日にちがすぎてしまいました。

一日早かったけどおばあちゃんのにゅういんしているびょういんへ行ってきました。おばあちゃんはとてもよろこんでいました。

1983/05/08


たけのこかいのえんそくのこと

ぼくは、とうぶどうぶつこうえんへ行くのがたのしみでした。とうぶどうぶつこうえん行くとき早くおきられるかしんぱいでした。ぼくはだいたいが六じ四十ぷんぐらいにおきていたからです。でもその日は五じ三十ぷんでした。でんしゃの中やとうぶどうぶつこうえんでとてもあつかったです。とてもあついし、つかれていたのでおべんとうがとてもおいしくたべられました。じゃぶじゃぶいけに入れなくてとてもざんねんでした。とくに水に足をいれるととてもつかれるからだそうです。

いえにかえってから一ばんきおくにのこったどうぶつはらくだでした。あとのどうぶつはぜんぜんきおくにのこらないで、ぜんぜんいえにかえってからおもいだせませんでした。ぼくはほんどうで三しょうしてからひろまでこうひいぎゅうにゅうをごちそうになったとき、とてもつかれていたのでおいしかったです。いえにかえってとてもつかれました。あついのにあいすもじゅうすもかわないでりょこうしたのはこんかいで一ばんはじめてでした。はんのおにいさん、こうとうさんありがとうございました。

1983/05/03


たけのこかいにでて 一年 しぶやけんご

ぼくは、さいしょ、さくぶんを5ページ書くとおもっていたので、たけのこかいに行くのをとてもいやがっていました。けれど一かい行ってみてなれました。でも3ページときいたとき、でもちょっとぼくはしんぱいでした。こんどもたけのこかいのえんそくのとき早くおきようとおもいます。

ぼくはのーとをもらったときうれしかったです。たけのこかい三つのやくそく、できないやくそくはしない、ちょぎょうをばりばりあげること、へんじはきちんと大きいこえですることをがんばろうとおもいます。

1983/04/10