おもちつき 十二月二十九日のたけの子会は年さいごのたけの子会でまいねんと同じようにおもちつきでした。おもちつきは十一時からなのでゆっくりいけました。かいかんについてからおだい目をしておもちつきが始まりました。まずお米をといでからせいろにいれました。むし上がったせいろを少しふってうすにいれました。せいろを少しふってから、うすにいれることはしりませんでした。なんでふっていれるのかと思いました。
次にうすの米をつぶしていました。どうしてつぶすのかとお母さんに聞いたら、つぶしておかないとお米がまわりにとんでしまうからだそうです。次にやっとおもちをつきはじめました。おもちをつきはじめるのに時間がずいぶんかかるんだと思いました。
こんどはぼくたちのつくばんです。ならんだじゅんばんがきました。大人の人みたいにはうまくいかなかったけれど去年よりはうまくつけました。お母さんがついたおもちを手でちぎってあんこもちなどにわける人だったので「ぼくたちのおもちどうだった。」と聞いたら、「おとなの人たちのついたのは、なめらかだったけれど、子供たちのは、お米がのこっていてあらかった。」といっていました。
ぼくはからみおもちを4こ食べました。とてもたのしかったです。また来年もやりたいと思います。
1985/12/29
日蓮大聖人と三大秘法の御本尊 大聖人様はこの南無妙法蓮華経をおしえて下さるためにお生まれされたそうです。でもその経を正しくつたえないといけません。少しでもまちがえてしまうとたいへんだと思います。まちがえておぼえた人がひろめてしまうとみんなまちがえておぼえてしまうからです。そしてまちがえておぼえた人がじゃしゅうになってしまいます。こうなってしまっては、世の中で一番大切なほとけ様のおしえてをつたえていくことができません。
ほとけ様のおしえがなくなるとせいかつの元になる衣食住がだめになってしまいます。きるものがなくてはこごえてしんでしまいます。たべ物がなければうえてしんでしまいます。すむ所がなければこれもしんでしまいます。こうなると物のとりあいなどがおきてけんかになって、しまいにはせんそうになってしまいます。そしていつも強い者が勝ってしまいます。そして弱い者はぐちの生活ばかりになります。しかし強い者もじゅみょうがつきてしんでしまうため、せんそうがおきます。
大聖人様のおしえでは心の中にだれでも仏性があるが、それはよわく三大秘法の御本尊様にお題目をあげると仏性が大きくなって人のリーダーにもなっていけます。ぼくは千べんもあげてると足がいたくなるので、もう少しあげるようにしたいです。
1985/12/15
どくしょ ぞうをください このお話はせんそうのためににげだすとたいへんなのでどうぶつをころしてしまいました。そしてせんそうが終わってから子どもたちがどうぶつをかえせ、ぞうをかえせとどりょくするお話しです。
四十年ほど前日本はアメリカをはじめいろいろな国とせんそうをしていました。そしてとうとう日本はまけてしまいました。ぼくはせんそうなんてこわいものをしなければいいのにと思いました。この本の主人公なっちゃんは六年生の時、小学校に入る前に一度つれていってもらったことのあるどうぶつえんに行きたくなりました。だけどお父さんはただだまっているだけでした。どうぶつはきりんやぶたなどおとなしいどうぶつい外は殺されてしまったからです。人間だけでなくどうぶつのいのちもうばうなんてせんそうはざんこくなんだなあと思いました。そしてどうしてこんなことをしたのかと思いました。
なっちゃんは、ある日すみだ川に行ってみました。大ぜいの人がとびこみそのままなくなった川です。うちのお父さんもこの川にとびこみそばにいかだがあったおかげでたすかりました。そのころ日本の町には子ども議会がつくられていました。子ども議会ではぞうがみたいでいっぱいでした。ところが名古屋にぞうが二とういることがわかりました。それで代表で子ども議会の議長とふく議長のなっちゃんがぞうをかりにいくことになりました。
二人は名古屋につくと名古屋の子ども議会に東京にぞうをかしてくれるようにたのみましたがだめでした。名古屋のどうぶつえんのえんちょうさんは、「なかのよい二頭をはなすわけにはいかないんだよ。」といってだめでした。次に名古屋の市長さんの所に行きましたがだめでした。でもよくこんなゆうきがあるなと思いました。
でも子供のしんけんさに国会がねがいをききいれてくれました。これだけでもすごいのに代表は知事さんにもアメリカぐんのせんりょうぐんの役所やぞうの国インドの大使かんまでいきました。子どもなのにすごいなあと思いました。とうとうぞうがくることになりました。自分たちでぞうをよべたと思うとその人たちはとてもうれしかったろうなと思います。
おかあさんにききましたが、この時日本にきたぞうのインディラが日本中を回って子供たちをよろこばせたそうですがお母さんも五才ぐらい時ぞうをはじめて見てぞうのバッヂを買ってもらってとてもうれしかったそうです。せんそうは人間ほか、命あるものの命をうばうこわいことだと思います。もう二度と、こないようにと思います。
1985/12/15
たけの子会と題目 たけの子会はふつうのあつまりでなく、日蓮正宗の信心の集まりで、もくてきはただ集まっただけでなく大人になってから広宣流布のおやくにたてる広布のじんざいになれるように今からちゃんとやらなければいけません。もしまえもってなにもやらなければ大人になってからすぐにはなにもできないし、おくれをとりもどすのはたいへんだとおもいます。そうならないには一、勤行をたくさんする。二、心がけのやさしい、ゆうきのある、こんなんにむかっていってもくじけない子。三、のうりょくのかいはつの三つだそうです。
もしも勤行をしなければしょてんぜんじんもぼくたちをまもりきれなくなり、まがはいってきます。そうしてさいごには大きなさいなんにあいます。次にゆうきがなくこんなんにぶつかったらすぐにくじける子は、大人になってから仕事もすぐにやめてしまうし、人からのしんらいもなくなりしゃくぶくもできなくなってしまいます。三にのうりょくのかいはつがわるければいい仕事にもつけないしいい大人にはなれません。この三つのうち一つだけを守れていてもだめ。二つでもだめです。ちゃんと三つできていなければ信心の広宣流布のおやくにたてません。それで学校でやっていることは三でたけの子会は一と二をとくにやっています。
こてきたいでそうかいの時のメンバーをきめる時がんばってなんどもれんしゅうをしました。テープといっしょにれんしゅうしました。そしてけんていにうかり、ぶじそうかいにでれました。ぼくは、あくびが出るクセがあるけどそうかいの時はきんちょうしてでませんでした。そしてぶじ三五回そうかいがおわりました。
家に帰ったらお母さんが「一つかべをのりこえたね。」といいました。ぼくは「うん」といってふとんにもぐりこみました。これからいろいろなことがむずかしくなるけど、かべをのりこえてがんばりたいと思います。
1985/11/10
お会式のこと お会式ということは、仏きょうの中ではお題目をとなえている集だんだけでやっているそうです。けれどもじゃしゅうは形だけやっているのです。わたしたちは大聖人さまがとなえる南無妙法蓮華経をとなえているからほとけになれる。けれどみんな頭の中でほとけというとなんかへんなものを考えている。ほとけになる=成仏とはわがみをしって仏になるということで、もともと自分の体は仏なんだそのことを大聖人様が出られてわたくしたちにおしえて下さった。
そのしゅぎょうは、妙法蓮華経如来様に南無すること。南無するということは一つしかない命をほとけさまにたてまつることだが、これは聖人のたちばでわたくしたちはそんなゆうきがないから、凡夫はいっしょうけんめい信心することをおちかいしてそれをもってごくようする。修行をしていくと、むくわれてくる。題目をとなえていたのをと中でやめることはほとけさまをうらぎったことになる。ごほんぞん様は、そのまま大聖人様のごとうたいである。
以上 作文書けなかったのでお母さんに教えてもらいました。
1985/10/13
敬老の日 9月15日は敬老の日です。ようじの時には、少年少女期のことを考える。少年少女の時には、青年のことを考える。青年になると壮年のことを考え、壮年になると老年のことを考えます。でも老年になったからって死のことばかり考えないで、こんどは子どものことを考えてあげなければいけないそうです。子どもは、老年の人がいつも子どものことを考えてくれているのだから、子供もおじいさん、おばあさんのことを、敬老の日だけでなく、毎日毎日考えてあげないといけないと思います。
1985/09/07
あそびについて ぼくは一年生の時と二年生の時木のぼりをみんなとしていました。なかまが15人ぐらいいました。ある日あしたのぼる木をぼくとせきやくんであぶなくないかとしらべていたら、せきやくんが足をふみはずしておちてしまいました。だけど下にあるタイヤの上に頭がのっかったので、たんこぶ一つですみました。次の日その木であそびました。女の子はなかまに3人入っています。
二年の時はだれかが「ただ木のぼりするのあきたからもっとおもしろくして。」といったので、木の上でボールのあてっこをしました。おには下におりてボールを木にのぼっている人にあてるゲームをやりました。木の上でおにごっこをやったりしました。
でもいまではクラスがえをしたので、今、木のぼりをしているのは一組のぼくと、三組のせきやくんと、一組の赤羽君と、四組のおしのみくんの四人です。この四はとても木のぼりがうまいので、すのすごくスリルがあるのをやっていますが、あたまをつかわないときけんをともなうのできょうつけたいと思います。
1985/08/11
盂蘭盆会 ぼくは盂蘭盆会のことをよくしりません。ただしっていることは、お盆の時にお寺へ行っておとうばをたて、ごんぎょうしてお焼香してついぜんくようすることです。ほうぼうの人はきゅうりやなすで馬や牛をつくったり、むかえ火をたいて精りょうをおむかえしたりするそうです。
日蓮正宗は常盆・常彼岸のせいしんで毎日のしんじんのくどくをもってついぜんくようしているので、そんなにとくべつなことはしません。本行寺のほっけこうの人は、お盆のころになるとお経まわりがあるので、お母さんはありがたいといっています。
盂蘭盆会の始まりは、おしゃかさまのでしで目蓮という人のお母さんが生きている時によくがふかくて、死んでからがき道におちてくるしんでいた。神通第一といわれた目蓮でも、がき道におちた母のしょうだい女をすくえなかった。そこで、おしゃかさまの所へとんでいき、どうか母をすくってくださいとおねがいした。おしゃかさまが7月中ばのうらぼんの日に聖僧をあまねくくようすれば、母をすくえるとおしえてくださった。このおしえのとおりにして母をくるしみからすくうことができた。だからけんどんにならないようにしなければならないと思います。
1985/07/14
心の話 心はどういうものなのかときかれました。ぼくもきかれましたが、ぼくにもどんなものかよくわかりませんでした。心というものはほとけさまがおしえてくれないかぎりわからないそうです。心の中は空のようにひろく、海のようにふかいそうです。心という世界はとても広いんだなと思いました。心に思ったことをやれば、その心はきえてしまうそうです。本当に心はふしぎだなと思いました。
二心(ふたごころ)の人は、一つの心はうそをつき、一つの心は正じきだそうです。ほとけさまのおしえるのは一つのこころ、正直でなければいけないそうです。うそは3/10のたけの子会でいわれたように、ほとけさまがいちばんきらうのはうそだそうです。だから心一つでないといけないと思います。
心がけのいい人は性分のよい人で、心がけのわるい人は性分のわるい人だそうです。ぐちとは人の心をよみとれないそうです。だからむくわれないそうです。そして大切なのは、正直ということがいつも心の中に入っていなければならないそうです。正直ということはとても大切だと思います。
1985/06/09
電気科学博物館 春の遠足は電気科学博物館にいきました。だけど少し早く着いたのでまだあいてなかったので少しまいってしまいました。いよいよ開きました。中をいろいろ見たけれど、とくにおもしろかったのは、かめの形のロボットのやつです。どうしてか手をたたくとよってきて、とてもおもしろいからです。最初はなかなかよってきませんでしたが、だんだんよってきたので、おもしろくなってきて、思わず「かめさんかめさんもっとおいで。」といってしまいました。
そのほかにも目のさっかくをりようしたものやいろいろありました。次におもしろかったのはテレビ電話です。あいての顔を見ながら話しをできるのでとてもおもしろいです。みんなの家にテレビ電話があったらいいなあと思いました。あとはまだいろいろありますが、とくにおもしろかったのはこの二つでした。
ひととおりみおわってから、パンフレットをもらって、こうきょの東ぎょえんへおべんとうをたべるので行きました。行くとちゅう、おなかがすいたので、みんな「おなかすいた、はやくくいたい。」とか、「はらへった、どうろのまんなかでもいいから、くいたい。」などみんないっていました。ぼくもおなかがとてもすいたので、「まだつかないの。あとなん分ぐらいでつくのか、はやくたべたいよう。」といいました。
やっとつきました。みんなでしゃべりながらたのしくたべました。とてもおなかがすいていたのでとてもおいしくたべれました。それからたきの方へみんなでいって、たきの水のわかれている所に石で小ダムをつくってあそびました。とてもおもしろかったです。またかぞくで行きたいと思います。次の遠足はどこかなぁとたのしみです。
1985/05/03
かんそうげいかい 三年 渋谷 憲悟 もうあっというまに昭和六十年四月です。新一年生も入ってきました。新一年生を見ていると、ぼくの小さいころを思い出します。ぼくの小さいことたけのこかいに入るまえは、「たけの子会に入りたくない。」といってよくないことがありました。でもそのたびに、「だめ、なんどいえばわかるの」とおこられました。
でもたけの子会に入って三年生です。二年の間にいろいろありました。こうとうさんのお話では、たけの子会のやくそく、一、じゅりょうほんのちょうぎょうをばりばりあげられるようになる。一、できないやくそくはしない。一、よばれたら「はい。」と元気よくへんじをすることの三つです。他にも恩のお話、嘘をつかないことなどいろいろありました。遠足ではみうらはんとう、水元青年の家などほかにもこうきょ一しゅうなどありました。
六十年度かんどうげいかいでは、ぼくのいとこのいたるお兄さんもそつぎょうしました。ほかのみなさんも、中学に行ってもがんばってほしいです。少しさびしいけど、一年生がそつぎょうせいより多く入って来たのでよかったです。もう三年生、中学年です。また下の学年が一つふえましたが、もう中学年なので、しっかり下の学年をめんどう見ていきたいと思います。
1985/04/14
かめのおんがえし このかめのおんがえしは中国のお話だそうです。むかし、もうほうという男の子がいました。そのもうほうは、ある日りょうしにつかまっている白がめを見つけました。もうほうは、自分のふくと白がめをこうかんしてもらいました。ぼくはうらしまたろうのはなしにそっくりだなあと思いました。そしてある日、大きな川に白かめをはなしてやりました。
もうほうはおとなになりました。そのころは中国はわる者ばかりでした。もうほうも、いなかの大きなおしろをまもることになりました。だがまけて、おしろをとられ、かわっぷちにおいこまれてしまいました。もうほうのなかまたちは、つぎつぎとかわにとびこみ、おぼれていきました。もうほうもとびこみおぼれそうになりましたが、その時前たすけてやった白がめがせなかにもうほうをのっけていたのです。
どうぶつなどでも恩をわすれないのだから、恩をわすれるなんていう人は、かめよりだめなさいていな人だと思います。
1985/03/10
うそをいわないこと 今どのたけの子会は二年生さいごでした。お話しはうそを言わないことのお話しでした。ほとけさまはとてもうそをきらうそうです。守ることは五つあるそうですが、その中で一番大切なのはうそをいわないことだそうです。うそにもあるものをないように言ううそと、ないものをあるように言ううそと二つあるそうです。同じうその中でも、ないものをあるようにいうのはとてもたちがわるいそうです。人をたぶらかすというのは、ないものをあるようにいうことだそうです。だいじなことは頭がわるいとたぶらかされるから、これをよくおぼえておくことだそうです。
ぼくはときどきうそをついてしまいます。ぼくはうそをついたときばれなかったけど、なんかふあんな気がしました。そのふあんはどういうふあんか、わからないふあんでした。うそをとくすると思ってつく、ところがばれてしまうとしん用がなくなってそんをするそうです。ぼくはこんな話をなにかでききました。ある少年はおおかみがきたといってひつじかいをこまらせていました。あるときその少年がおおかみにおいまわされて「おおかみが来たたすけてくれ。」といいましたが、しんようがないのでだれもがまたうそだと思いたすけてくれなくて、少年はおおかみにくわれてしまいました。
善む畏三蔵という人はしんごんしゅうの元租だそうです。いん度の仏しゅう王の太子(むすこ)だそうです。13才の時から月氏七十カ国九万里歩き回りくろうして中国に入り、大日きょうと金ごうきょうとそしっちきょうをつたえた。だが、この三つのおきょうはほけきょうと同じおシャカさまのといたおきょうであるけれど、しんじつをあかさないひくいおしえで、中国にはすでに天台大しというバツグンな方が出げんしていて、ほけきょうをひろめていて、もうぜんむい三蔵がもっていったおしえはなんのやくにもたたなかった。
でもたいへんなくろうをしていんどから中ごくにもってきたのでうそをいうことにした。天台宗の一行あじゃりという人をだまして文をかかせた。「てんだいだいしはいんどに行ってないからわからない。いんどではほけきょうのことを大日きょうともいう。そして大日きょうからしんごんと印をぬいたのがほけきょうなんだ。だから大日きょうの方がすぐれている」と大うそをついた。
日本ではこうぼうだいしが中国にいってしんごんをべんきょうして日本にひろめた。こうぼうだいしはきぞくの家がらで、ぜんむいさんぞうは王さまの子どもでりっぱにみえるからみんなだまされた。見かけにだまされないちえがひつようだなと思いました。しんごんをしんじた玄宗皇帝は国をほろぼされ、日本では、じょう久の乱の時しんごんで、かじきとうをした三上皇がしまながしになった。
うそをいって人をたぶらかしても、けっきょくわるいげんしょうがおこる。日れん正しゅうは、うそをいわない人間をつくるので、ぼくもうそをつかない人になろうとどりょくします。
1985/03/10
りんだ王 二月十日のたけの子会はりんだ王という王さまのお話しでした。りんだ王は白馬のいななきをきくと元気がでてくるそうです。白馬は白鳥をみないとなかないそうです。だから王さまは、白鳥と白馬をかわいがっていました。なんで白馬のいななきをきくと王は元気がでてくるのか、なんで白馬は白鳥をみないと鳴かないのかなあと思いました。
でも、ある日はくちょうがにげてしまいました。きっとまちがったしゅうきょうをおがむ人がふえてきたからだろうなあと思いました。王さまは元気がなくなりびょう気になってしまいました。国にわるいびょうきもはやってしまいました。はやくわるいしゅうきょうをやめちゃえばいいのになあと思いました。
王さまは仏神にいのるしかないと考えました。まず外道がいのりました。白鳥は来ません。なんかよけい遠くへどんどんにげていきそうな気がぼくはしました。次は仏法のばんです。王さまの前へ馬みょうぼさつという人がよばれました。めみょうぼさつは、「白鳥をよびもどして白馬をなかせることはやさしいことです。国じゅうからまちがったひくいおしえをすてることです。」といいました。ぼくはまちがったおしえをすてて、正しいしゅうきょうをすればきっと白鳥はかえってくるなと思いました。
ぼくの思ったとおり白鳥がかえってきました。白馬がいなないて王さまが元気になり、みんなも元気になりました。みんな元気になって、まちがったしゅうきょうもなくなって、本当によかったなあと思いました。
1985/02/10
お正月のお話し (むりょうぎは一法より生ず) お正月は一年の始め月始め日の始めだからだいじにしなければいけないそうです。どうしてかというと、ゼロにはなにをかけてもゼロだからなにも生まれてこないけど、一からは二、三とどんどん出てくるから一をたいせつにしなきゃいけないそうです。
元旦でなくても二月一日や三月一日などもたいせつですが、一月一日が一番たいせつだそうです。それなのにスキーなどに行ったりするのはいけないそうです。だからお正月はかぞくそろってお正月をおいわいすることがたのしいことなのです。
お年玉をもらったり、どこかに行ったりするからたのしいのではなく、お正月がくるから家の中をきれいにして、新しい年をむかえるじゅんびををするとがんじつにすがすがしい。その気もちが、その一年がしあわせになるげんいんになっていくのです。
1985/01/13