しぶけんの不定期日記99−2


本行寺支部、平成11年度折伏誓願目標達成

本行寺支部では、「出陣の年」に当たり、昨年度の折伏誓願目標170世帯に対して、本年度は250世帯を掲げて邁進してきた。しかし、前半はほぼ昨年並みのペースで進んだため、8月の終わり時点で約半分の124世帯を残すこととなった。

12月は、支部伝統の折伏座談会を連続して開催し、残り43世帯の折伏成就を目指した。ここで誓願を破るようなことがあれば、本行寺支部が築き上げてきた信用が失われると激が飛ぶ。ついに大晦日までかかって、最後の6世帯を達成することができた。これで正月を祝うことができる。

1999/12/31 21:00


インテリマウス

最初にパソコンを買ったときから、3年ほど使っていたマウスの調子がわるくなってきた。ドラッグしている間に途中で何時の間にかダウンしてしまい、ファイルが迷子になったりしていた。今日、ビッグカメラのパソコン館にいったら、マイクロソフトのインテリマウスが半額以下になっていたので買ってきた。何でワゴンセールなのか店員に聞いたら、メーカーの補償がないんですといっていたが、帰って来てインストールしたら、なんのことはない、英語バージョンだった。「インテリ」とかいう生意気な名前が付いているだけあって、ウィンドウズと連携して色々な機能がついていて、さすがに単なるホイールマウスではない。マウスの走行距離計などという意味不明なカウンターがあるのも笑える。(ちなみに現在67メートル)

1999/11/29 23:00


御大会式

今年はちょうど土日に重なったので、申込者が多いだろうなと思って駄目元でお願いしたらOKが出た。今回で三度目になる。初めての年はあいにくの雨天であったが、正本堂を破却して奉安殿に御遷座申し上げてからは連続してお天気に恵まれており、今回も文字通り雲ひとつ無い晴天で、黒の礼服にはホカホカの陽気であった。御開扉は2回目の右側最前列で、最初仏様の見えるところだった。

お虫払い法要はメイン会場が広い客殿であるが、御大会は御影堂で600人ほどしか入れないため、テレビ中継で見ることが多い。今回生で見ることができたのは、「行列」と「布教公演」だけだった。今まで本会場でみることができたのはあと「申し状奉読」と「お華くづし」である。次回は、是非とも「御説法」か「三々九度」か「お練り」を拝見したい。

海外は16箇国から600人ほどの方が御登山されていた。富士がとても美しく青空に映えていた。暖冬のためか、紅葉は例年ほどではなかったものの、やはり美しかった。ところで、塔中の南之坊の桜がちらほら咲いていたのに登山された方はお気づきになりましたでしょうか。(門の右の鶴丸の上あたり)

1999/11/23 23:00


SF研事件

信濃町・富士宮研究所(通称SF研)のホームページ公開が停止された。SF研は、東京都江東区在住の学会員S氏らが参加する掲示板サイトであった。

ところが、11月13日に特定の個人A氏に対する誹謗中傷・名誉毀損・本名経歴暴露問題に対する関係者の抗議により、同サイトが公開停止に追い込まれた。また一連の事件をめぐって、SF研は正規の手続きを踏んで開設されたサイトではなかったという事実が指摘されている。同サイトのドメインは"whiteangel.acf.co.jp"であったが、このドメインを所有する食品会社は創価学会とは何の関係もなく、また企業経営者も創価学会員ではなかったということである。詳しくは、富士宮・信濃町研究所(通称FS研)の研究員・波木井坊氏の投稿を転載する。


☆ ☆ 以下引用 ☆ ☆


ACFドメインのシステム管理者との話合いによりSF研は今夜中に 削除が決定しました。
Sunday, 14-Nov-1999 05:26:04

Message:
210.141.2.65 writes:

SF研で昨夜未明から続いていた、アルフさんへの誹謗中傷、名誉毀損問題で、私、波
木井坊竜尊は、ACFドメインを管理しているシステム管理者と話し合いをして、今夜
中にSF研のドメイン名、ホワイトエンジェルへのルーテイングの解除とDNSサーバ
の登録削除を実行することを確認致しました。

中間報告

1、SF研運用のウエブマシンは、当該ドメイン管理者はどのようなサイトであるか全
  く認識がなかった。

その理由
 (1)友人から居酒屋で飲んでいる時にウエブサイトの設置を持ちかけられて、どの
    ようなサイトの内容かもしらずに当該ドメイン内のLAN内に接続。ルーテイ
    ングをかける。

 (2)当該ドメイン管理者の宗教はプロセスタントと、ホワイトエンジェル(SF研)
    が学会サイトであることを知らなかった。

 (3)SF研のウエブサイトは、当該同ドメイン、同セグメント内からのアクセス拒
    否がなされており、当該ドメインシステム管理者は、ホワイトエンジェル(S
    F研)がどのような内容で運営されているか確認できず、またSF研管理人も
    報告の義務を怠っていた。

SF研の管理者は、実はACFドメイン管理者にウエブサイトがどのような内容でその
サイトが運営されいるのか、全く教えていない。

ごく一般的に専用線の使用料や、サーバの場所レンタル、電気代や管理費等、普通の相
場では月額10万以上は費用がかかる。

これをほとんどタダ同然で運用し、同ドメインからの管理者からはアクセス制限をかけ
て見せないでおいて、対外的には、誹謗中傷・名誉毀損・著しい人権侵害がおこなって
いたのが、SF研の実体であった。

こういうのを世の中ではなんと言うのだろうか。こういう人のことを盗人(ぬすっと)
と言うのである。

波木井坊竜尊

☆ ☆ 引用ここまで ☆ ☆


なお、SF研はサーバーを移転し管理者を交代して存続する模様。

1999/11/15 14:30


※旧SF件閉鎖事件の詳細については、当事者(S氏ら)の間で現在も論議が継続されており、事件の事実関係が明らかになり次第、このニュースは更新される可能性があります。また、関係者より引用を忠実にとの指摘を受け、これに基づき、下記の日時において不備を修正いたしました。

1999/12/31 21:00


大 学 院

今年の夏休みは大学院入試の勉強でほとんど明け暮れてしまった。うちの学科は外部の国公私立大学から受験する方も多いので気が抜けない。英語はそこそこ自信もあったので、『大学院別入試問題と解法【数学】』(サイエンス社)を使って数学の勉強ばかりしていた。受験でもなければ、こうやって全ての分野を復習するなどということはなかっただろう。

滑り止めに受けた、新領域創生科学研究科(6倍〜)環境学専攻はすぐに内々定が出た。数学が課されない上に、英語まで長文読解関連(3問)のみだった。いよいよ本番の工学科(〜2倍)システム量子工学専攻。数学は6問中3問の選択式。線形代数の証明問題は簡単だったが、空間図形が厄介だった。複素積分(留数定理)の方にしとけばよかった。英語は5問で、英文和訳が2問に和文英訳が3問だった。和文英訳は、最近は英々辞典と睨めっこしながら色々書かせていただいているだけあって、そこそこ得意になってきた。専門は7分野から2分野の選択式で、『電磁気学』と『化学熱力学』を解いた。無事に第一志望の研究室に内定。御祈念して下さった方々ありがとうございました。

どちらに進学しようか、少し悩んだけれども、『メディア環境学』のテーマの方は、とても関心のある分野だけれども、研究をしようと思えば先生がいなくても研究できるし、『放射線化学』のテーマの方は取り組んでみたい研究内容も見つかったところなので、新領域創生科の方は丁重にお断りして工学科の方に進学することにした。

東京大学工学系研究科の英訳問題の例:[平成8年度第5問][平成9年度第4問][平成10年度第4問][平成11年度第5問

1999/10/01 22:00


停 電

日韓サッカーのいいところなのに、突然停電した。すぐに回復するものと思っていたが、なかなか復旧しない。こうなると、テレビ・パソコンが動かないのはもちろんのこと、読書もできない、何にもできない。うちはマンションなので水道までが止まってしまった。外に出てみると、かなり広い停電のようで、北は駅までずーっと真っ暗だった。みんな家から出てくるのが習性のようで、しばらく近所のおばちゃんとおしゃべりして、愚痴を言いあってからそれぞれ家に引っ込む。

まだ寝るには早いので、とりあえず携帯で明日の班会の参加者を確認して、ローソクを点けて唱題していたら40分ほどで電気がついた。2000年1月1日は果たしてこうなるのだろうか?なんか擬似体験したような気分だ。やっぱり懐中電灯が一番役に立つ。次にラジオ。そして水の備えは必須。

1999/09/27 9:20


Microsoft Windows 98 SECOND EDITION

Windows95を使いつづけてきたが、Windows98の『第二版』が出たのでこれを期にアップデートした。アカデミックパッケージだと7000円もしないのでとても安い。第二版では、Internet Explorer 5.0がOSに完全に統合された。

帰宅して早速セットアップすると、「このCD-ROMには新しいバージョンのWindowsが入っています」だって。何を今更・・・って感じ。更新作業は30分程で何事もなく終了。IE.4が最近不安定になってきて、少し困っていたけれどそれも解消されたので今はとっても快適。

1999/09/11 19:30


強行採決

創価学会の二代会長は常々「政治を監視せよ」と言っていたそうであるが、今国会で審理が尽くされないままに懸念法案が次々通過している。自公協力(公明党の賛成)によって通過した主な法案と、これから成立する可能性のある法案を列挙すると、

以前は、公明党は自民党に何か弱みを握られているのではないかとの憶測が流れていたが、最近は単に生き残りに必死なんだろうとの見方が有力。政府が靖国神社にまで手をつけるというのは、派兵による新たな“御霊”を祭る準備か。

1999/08/10 17:00


法輪講

以前、韓国で最大の仏教団体が闘争騒ぎを起こしたかと思ったら、こんどは中国で七千万人の会員を有するという法輪講が非合法化されたという。何か、世紀末の亜細亜で宗教事情が喧しい。

ある新聞記事によると、気功には武術気功(太極拳など)と医療気功があり、医療気功は健康増進を図る「内功」(鍛錬)と、患者に気を送って治療する「外功」に分けられる。また、「内功」はさらに、『静功』(座禅)・『動功』(ゆっくりとした動作を伴う)・『あんま功』(叩く、摩る)の三つに分類できるそうだ。

法輪功は「動功」の一派であるが、創始者の李洪志氏は「仏家の一門」を自認しているらしい。その目的は、「宇宙の最高の特性は『真・善・忍』であり、修練によってこれと合致し一体となること」だそうだ。某新興宗教団体の教義とどこか似ているような・・・。

1999/08/09 22:00


英語実用技能検定

ふと思い立って英検を受けた。英検は中学生のときに5級を受けて以来なので、ほぼ10年ぶりだった。最初は準1級からチャレンジのつもりだったが、久しぶりなので2級にした(どの級を受けるかに制約はない)。

会場に入ると、着席は自由だった。テープレコーダーの周りの、ヒアリング問題の聞きやすそうな席から順に埋まっていた。圧倒的に女性が多い。工学部のようなところはほとんど男子校状態なので、どうも慣れない雰囲気。ちらほら社会人のような方やおばさんもいたが、受験生の平均年齢は私よりも一つ二つ下だなという感じだった。小学生らしい子もいた。

何も勉強せずに行ったが、出題は懐かしい『センター試験』にレベルも形式も似ていた。そういえば、あの頃が一番英語は出来たような気がする。少なくとも我武者羅に覚えた単語は使わないので頭から抜けてしまった。科学論文は日常的に読んで(読まされて)いるが、小説のように細やかな心理描写など決して出てこないので必然的に読解が偏ってしまう。一次試験は61/70点で楽勝(合格ライン39点)だった。

二次試験(別日程)は意外と喋れなくて冷や汗の合格だった。論題が『The Internet』(ディ・インターネット)だったのが助かった。Readingは、インターネットの利点と爆発的な普及についての文章で、読んだ後で内容に関する質問が2・3あった。Speakingは二コマ漫画で、一コマ目は青年が図書館に行ったところ閉館後でイタリアに関する資料が借りられなかった絵で、二コマ目はインターネットの使い方を覚えた後は時間を気にせずに調べ物ができるようになったという絵で、このストーリーの流れを説明せよというものだった。

最後に、「パソコンが便利になるにつれて、ますますパソコンの前に座る時間が長くなりますが、そのことについてどう思いますか?」と(英語で)質問があった。咄嗟に「まあ、パソコンは正確で速いから仕方ないんですよね」みたいに(英語で)答えたが、「適度に休憩をとるなど健康に気をつかう必要があると思います」とか、もうちょっと気の利いた事を言えばよかった。

1999/08/07 0:00


鼓笛隊合宿・少年部合宿

本年も鼓笛隊合宿が7/30・31・8/1の3日間に亘って行われた。私も法華講連合会ブラスバンドの隊員として御登山させていただいた。私は夏の総本山での合宿には、小学生のときから参加させていただいており、今年で14回目となった。

初日に御開扉を戴き、二日目は午前中に練習、午後に『鼓笛コンクール』、三日目は早朝の丑寅勤行と、午前の『法華講連合会少年部大会』が主な行事であった。年々規模が大きくなっているが、今年は登山者が余りに多くて広布坊に入りきらないために、添書の一般登山者は『鼓笛コンクール』を常来坊のテレビで観覧していただくこととなった。ブラスバンドのメンバーも、昨年の30名弱から50名強に増員され、そこそこバランスの取れた演奏が出来るようになった。『大白法』が写真付で募集広告を載せて下さったことと、法華講全体の発展の現われであろう。隊員が全国に散っているので、“ぶっつけ本番”の感は否めないが、信心根本に皆様の期待に添えるよう努力したい。

『鼓笛コンクール』は去年にも増してレベルの向上がみられた。今年で『鼓笛祭』をコンクールに変えて5年目となる。当初は、コンクールにして賞を与えることについては、ランク分けは差別である、みんな頑張ればそれでいいじゃないかという声もあった。しかし、5年が経過してみて明らかにいえることは、全体の技術の向上とこれに伴う充実により、多大な成果を収めたということである。仮諦の智恵というべきであろうか。また、子供の教育に当たってもプラスに作用していると考えられる。あの少年部の歌、『唱えてゆこう妙法を』の大合唱は、世間で懸念されるところの、子供の無気力・無感動とは対極の存在である。

コンクールの審査結果は、別表の通りである。最優秀賞は、非の打ち所がないほど曲を完璧に仕上げた西中国地方部が受賞した(初)。また特筆すべきは、富士地方部の銀賞である。今まで、銅賞以上はどうしても、楽器の編成バランスに有利な中編成・大編成の地方部に限られていたのであるが、今回はじめて前半(※演奏は構成人数順)から入賞が出た。この努力を大いに称えたい。

翌日の少年部大会の体験発表も良かった。宣行寺の渡辺さんは、級友の平川さんを折伏した体験を発表した。小4にして、地涌の菩薩の眷属の御徳を感じさせる体験発表だった。大宣寺の安川君(小6)は、自分の怪我の体験や父親の病気の体験から御本尊様のお力を確信し、御住職様のような御僧侶になるために得度試験を受る決意を語った。持経寺の?さん(小?)は、柳澤総講頭を迎えて初めて行われたお寺の折伏座談会で、今まで入信できなかったゆきこ叔母ちゃんが涙を流して、お母さんも泣いて御授戒を受けれたこと。後ろには御授戒を受ける人が一杯並んでいて不思議な光景だったことなど、子供の目から見た今の法華講の姿が語られていた。?寺の中野さんは、支部の『ひねもす唱題会』に参加して3時間半の唱題をしたこと。おじいちゃんが交通事故で入院したのですぐに折伏の手紙を書いて、おばあちゃんが入信できた体験を発表した。終わりに、御住職様の勉強会で覚えた御書を言いますというので、寒苦鳥の所か何かだろうと思ったら、総勘文抄の久遠本仏の御文だったのでたまげた(しかも長い)。法道院支部の安田君は鼓笛隊の体験を、?支部の朝田君は祖父の葬儀に発心して折伏を志したこと、久遠寺の山田君は無駄遣いをやめて、お小遣いの半分を御供養し、半分は両親にプレゼントを買うようになったことを発表した。

鼓笛コンクールも、少年部大会も、子供たちの無限の可能性を感じさせられた。法華講の未来は明るい。

1999/08/03 20:00


30万総登山推進会議 (地方部 6/29)

[島崎委員]

島崎総務部長からは、奉安堂御供養の推進は連合会で行うとのお話があった。奉安堂は現在、敷石となる石材の選定などが行われており、本年中に設計を終えて来年春には起工式が行われる。規模は、75m×110m×67mということで、面積は客殿の約3倍、高さは約2倍となる。概要をまとめると右図の通り(※私が書いたもの)。御供養は、本年・来年(H12)・再来年(H13)の年末に、各支部毎に受け付けられる。


[石毛主事]

石毛大講頭からは、登山の30万人動員にあたって、まず(1)折伏誓願目標の達成、(2)家庭訪問、(3)新入信者の育成が大切であるとのお話があった。全国の本年度折伏推進状況については、3月まではやや低調で昨年の実績を若干下回る状況にあったが、5月度(月間1223世帯:+324)で挽回して昨年比プラスに転じたと発表があった。さらに、委員長を迎えての『折伏座談会』で、御住職のもとに大きな成果をあげた宝浄寺(鎌田)・法照寺(横須賀)・持経寺(川崎)・寿照寺(藤沢市)の成果について発表があった。またその支部の御講の参詣率が常に20%を超えるようでなければならないとのお話があった。


[総講頭・柳澤副主任委員]

信心とは生老病死を解決してゆくことであり、功徳信心ではいけない。今の人は生きる苦しみということに対して鈍くなってきているし、また天に護られるという感覚もない。生老病死は信心の前提であって、末法の衆生は生まれてくれば必ず不幸になってしまう。過去の宿業の故に、善縁に巡り会えず、巡り会ったとしても悪因の故に耳に逆らう。そこに末法の衆生を救ってくださる、仏様の御出現があるのであり、我々の信心は数を頼むのではなくて、天の加護をいただけるような信心をするのである。

そこに、力の一念で境涯を法界の三千に開くことができる。『当体義抄』の「三観・三諦即一身に顕はれ」ということが、60代も半ばを過ぎて、その表現するところがわかってきた。「其の人の所住の処は常寂光土なり」とは、家族・親戚のものが皆信心が強盛で、世の中がどう変化しようともビクともしない法楽の境涯である。そこに、自らの人生が事行の一念三千の信心であったということがよくわかる。みんなも、折伏にしっかり励んで、謗法罪障を消滅していくように。『妙法比丘尼御返事』にあるが、謗法は外見だけ払って済むのではない、心の中に巣くっている謗法を信心で打ち破りなさい。

※各内容は筆者のメモに基づく。いずれも要点のみ。

1999/07/24 13:30



お弁当

お山のお弁当が値上げされたが、おかずが多彩でよくなったともっぱらの評判。私も美味しくなったと思う。若者としては白飯の量をもう少し増やして欲しい気がする。帰りのパンセットも、意図不明な魚の薫製からソーセージに代わったが、これは賛成。総本山の一泊二日の宿泊料は3160円になりました。(御開扉御供養・寝具・食事込み)

その他、昔に比べてお山が変ったと思う点。

  1. 明るくなった。彼方此方に照明などの設備が整った。昔は、真っ暗な中、塔中の燈篭の明かりを頼りに丑寅勤行に向ったものだ。(防犯や安全の為には良くなったと思うが、個人的には昔の雰囲気も捨て難い)
  2. 水が飲めるようになった。昔は生水であり、一度沸かしたお湯(お茶)しか飲めなかった。子供のころはそれが嫌で、生水を飲んでいたが、ある年お腹を壊して懲りた。
  3. 冷暖房完備。昔のお山は夏は非常に蒸し暑く寝苦しかったし、冬の冷え込みは大変なものだった。海外信徒の登山などが増えたためか、いたる施設で空調が完備されている。

1999/07/14 23:30


第5回夏期講習会登山

今年の夏期講習会登山には、任務で3回、自分の受講で1回、合計4回登山をさせていただいた。今回は、毎回5500人近い登山者のようで、何度も3500人程度の回があった去年と比べて着実に参加者が増加している。広布坊や常来坊などの会場までもが宿泊に充てられていた。

一時限目の「日蓮正宗史(江戸前期)」では、第16世日就上人〜第29世日東上人の時代についてだった。中でも17世の日精上人と26世の日寛上人は傑出している。御講義を受けて気が付いたことは、私の所属寺院である本行寺は、そもそも日精上人が常泉寺(無本寺)住職であった本行坊日優を折伏し帰伏させたことに端を発するということであった。日精上人の御事蹟は、御影堂(および御影)・二天門・総門・常在寺・常泉寺・六壷の御本尊・客殿の御影・・・と極めて多岐にわたる。最近創価学会は誤った根拠に基づいて日精上人を批判しているが、よりによってこの御法主様を誹謗するとは(もちろん他の御法主ならというわけではないが)、身の程知らずにも度が過ぎる。ちなみに、日寛上人が入信・得度されたのも日精上人が再建された常在寺にて日精上人の御説法を拝聴したことに起因するのであり、日寛上人が法門を修められた「細草壇林」も日精上人の養母である敬台院の援助が大きい。

二時限目の「五重相対(権実相対・種脱相対)」は尾林広徳海外部長(第5期)の御講義がとてもよかった。下種の仏の無作三身には相手に驕慢の心を生じさせることで本未有善の衆生に逆縁を結ぶ益があるという『観心本尊抄文段』の御文では、仏様の深い慈悲の御境涯に感動した。

三時限目の「折伏の実践」では、やはり日寛上人の『報恩抄文段』の「邪法を退治するは即ちこれ報恩・・・正法を弘通するは即ちこれ謝徳」との御文が心に残った。第1期の石井信量御尊師は、空調の効いた会場で汗をボタボタ流しながらの迫真の御講義であった。特に私は、任務でビデオを撮影していたので気が付いたが、汗で袈裟に染みが出来る程であった。

翌日の猊下の御講義は、第1期は『宝塔品第十一』だった。宝塔品を境に、九界中心の一般論から180度展開して、仏様が色身の二法の本有の姿の上から仏界中心の絶対を説かれるという意義を伺い、法華経の全体観をまた一つ身に付けることができた(これは日蓮正宗の御法主の御講義以外では決して身に付かない)。第5期は『涌出品第十五』であった。ちょうど、日応上人の『日蓮本仏論』を班会で勉強した後だったので解りやすかった。四導師の意義、略開近顕遠の謂れ、妙法曼荼羅本尊の上の地涌の意義、末法の衆生と地涌の菩薩の境涯の関係についてなど甚深の御講義を賜った。第7期は『提婆達多品第十二』だった。かつて釈尊(壇王)の師(善縁)であった阿私仙人が、在世には悪逆の提婆達多として現れるところに、妙法の不思議を感じた。第3期は、『勧持品第十三』だった。メモを無くしてしまった。

任務は3回とも音響班だった。SU班と音響班は続くときは何度も続くらしい。猊下様を撮影するのはさすがに緊張する。(それが客殿大スクリーンに映り、総二坊などに中継される)

1999/07/07 0:30