大白法

昭和47年5月16日号


主な記事

<1・2面>

<3・4面>




正本堂の意義について日達上人猊下より訓諭


さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はここに五箇年を経て、その壮大なる雄姿を顕わし、本年十月、落成慶讃の大法要を迎うるに至る。

日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明(せんめい)し、もって後代の誠証(じょうしょう)となす。

正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。

即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。

然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。

宗門の緇素(しそ)よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成慶讃に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。

右訓諭す。

昭和四十七年四月二十八日

日蓮正宗管長 細井日達




正本堂の意義についての御法主上人猊下御説法


唯今、教学部長から「正本堂は一期弘法抄の意義を含む現時に於ける事の戒壇である」と、定義を公表致しました。これについて、もう少し詳しく私の見解を述べてみたいと思うのでございます。

その解釈は、「正本堂は広宣流布の暁に、一期弘法抄に於ける本門寺の戒壇たるべき大殿堂である。現在は未だ謗法の人が多い故に安置の本門戒壇の大御本尊は公開しない。この本門戒壇の大御本尊安置の処は即ち、事の戒壇である」―――これは先程、昭和40年2月16日の私が申しました言葉の意味とピタリ合っておるわけで、それを判り易く要約すれば、こうなるのでございます。このなかの「一弘弘法抄の意義を含む」という事について、もう少し述べたいと思うのでございます。


まず、この解釈に当って二方面から考えてみたいと思います。第一は、世間儀典的。第二は、出世間内感的。

大体儀典的というのは、儀式礼興と考えて下さればいいんです。まず、一期弘法抄に、「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(新編1675ページ)と、仰せになっており、また、三大秘法抄には、「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持もちて」(新編1595ページ)云云と、こう説かれております。

これを先ず、第一の世間儀典的に考えますと、この「国主」とは誰を指すかということが問題になってきておるのであります。勿論、大聖人様の時代、また大聖人様の御書において、国主とは京都の天皇も指しておりますし、或いはまた、鎌倉幕府の北条家を指しておる場合もございます。で、今、この国主と申して、三秘抄並びに一期弘法抄の国主或いは王という言葉は、直ちに日本の天皇陛下と断定することができるでありましょうか。なかなかそう断定できないはずであります。

ある人は、三秘抄に「勅宣並に御教書を」という言葉があるから“天皇”だと、こう即座に考える人があります。しかし、本来、この勅宣という言葉は日本だけの言葉ではなく、即ち中国から来た言葉で、中国の皇帝に対して、皆、勅宣という言葉を使うのでありまして、この勅宣という、言葉があるからして、日本の天皇だと断定することはできないのであります。

また、大聖人様は「仏勅」とこう申します。仏の言葉を仏勅と申しております。或は開目抄に宝塔品の三箇の大衆唱慕のところに第一勅宣という言葉をお使いになっております。仏の言葉をもっても勅宣という。必ずしも勅宣という言葉は、日本の天皇陛下だけだと、こう断定するのは、ちょっと早すぎるのではないかと思います。又、三秘抄の王という言葉をもって、日本の天皇と断定しているのは、結局は明治時代、勿論大正昭和の初めにかけてもですけれども、国立戒壇という考えの上からこういう言葉が出たものと思います。

ところが、我が宗では真実をいうと、古来から広宣流布の時の国王は転輪聖王である。しかも転輪聖王の内の最高の金輪聖王である。こう相伝しておるのでございます。皆様、それを忘れておるかも知れませんが、既に昔からそういうことを相伝しておる。しかし、明治時代以後、それを忘却しておる人が多くなったのでございます。それ故に、直ちに明治時代においては、国立という観念から、この一期弘法抄や、三秘抄における王は天皇だと、こう断定してしまったのであります。この考えは、日本が世界を統一するんだという考えのもとから、天皇が転輪聖王だという考えが起ったものではないかと思われるのであります。

ところが、御書を拝しますと、王というのは一国の王というのではなく、より高次元の意味で使われております。北条家に対しては、「僅か小島の主に恐れては閻魔法王の責めを如何せん」(種々御振舞御書、新編1057ページ)という御書もございます。この島の長がどうして、一閻浮提広布の時の転輸聖王といえまししょうか。なかなか簡単にはいえないと思うのであります。

これについて、先程さしあげた―――堀猊下が、日恭上人伝補という、日恭上人の伝を少し書いております。それにこういうことが出ております。

印度の世界創造説は全世界中の各史に勝れて優大な結構であり、又其に伴ふて世界に間出す転輪聖王の時代と世界と徳力と威力と宝力と眷属との説が又頗(すこぶ)る雄大であって、其中に期待する大王は未だ吾等の知る世界の歴史には出現してをらぬ。

広宣流布の時の大王は未だ出て来ない。

唯僅に、彼の阿育王が世界の四分の一を領せる鉄輪王に擬してあるばかりである。仏教では此四輪王の徳力等を菩薩の四十位に対当してあるが、別して大聖人は此中の最大の金輪王の出現を広宣流布の時と云はれている程に、流溢の広宣は吾人の想像も及ばぬ程の雄大さであるが、小胆、躁急の吾人はこれを待ちかねて致って小規模に満足せんとしてる。(乃至)金輪王には自然の大威徳あって往かず戦わず居ながらにして全須弥界四州の国王人民が信伏する。

と、こう出ております。だから、実際に広宣流布した暁の国王が天皇だとか、或いは、我々の人民の支配者だと、即座に決定するということは難しい。もっと大きな大理想のもとの転輪聖王を求めておる。

で、教行証御書の終わりの方に、「已に地涌の大菩薩上行出でさせ給いぬ、結要の大法亦弘まらせ給うべし。日本・漢土・万国の一切衆生は金輸聖王の出現の先兆の優曇華に値へるなるべし」(新編1110ページ)こう説かれております。大聖人様が出現して、いよいよ広宣流布になる時には、この金輪聖王が出現するんだ。その為に、大聖人様がこうこうしておられるのは、金輪聖王の出現のためのお祝いの優曇華の華に値えるが如くであるということをおっしっやっております。

だから、これを見ても大聖人様のお考えは、広布の暁には金輪聖王が出現するのである。そして、戒壇を建立する。その時には、法主は我々の日目上人、一閻浮提の座主・日目上人の出現ということは、本宗の伝統的相伝であります。これを皆忘れて、簡単に三秘抄あるいは一期弘法抄の時の王様は天皇だということをいわれ、それで又、国立戒壇ということをいっておる。それを今、そういう考えを改めて、昔の仏教の精神に還らなければならないと思うのであります。


で、更にここで、今度は第二番目の出世間の内感的に考えていくと、王という言葉はどうであるかと、こう考えています。

そうすると御義口伝に、一番最後の厳王品のところには、この「王とは中道なり」(新編1792ページ)と仰せになりております。又、法門可被申様事に「仏は一閻浮提第一の賢王・聖師・賢父なり」(新編428ページ)と仰せになっております。ここにおいて仏の言葉を仏勅と申し、勅宣と申されておる。仏を賢王と申される故であります。

で、三秘抄・一期弘法抄の戒壇建立についてもし、世間儀典的な考えを以てするならば、広宣流布が完成した時には、転輪聖王が出現して建立するという事になる訳で、その金輪聖王は結局誰かといえば、御義口伝に、化城喩品の処に、「御義口伝に云く、本地身の仏は此の文を習ふなり。祖とは法界の異名なり。此は方便品の相性体の三如是を祖と云うなり。此の三如是より外に転輪聖王之れ無きなり。転輪とは生住異滅なり、聖王とは心法なり。此の三如是は三世の諸仏の父母なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、三世の諸仏の父母にして其祖転輪聖王なり。金・銀・銅・鉄とは、金は生、銀は白骨にして死なり。銅は老の相、鉄は病なり。此れ即ち開示悟入の四仏知見なり。三世常恒に生死生死とめぐるを転輪聖王と云うなり。此の転輪聖王の出現の時の輪宝とは、我等が吐く所の言語音声なり。此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり。爰を以て平等大慧とは云うなり」(新編1746ページ)と、こう仰せになっております。即ち結局は、金銀銅鉄の輪王は、我等大聖人の弟子檀那の南無妙法蓮華経を唱え奉る者の当体である、というべきであります。

故に出世間内感的における戒壇建立の相を論ずるならば、三秘抄の王法仏法等のお言葉は、大聖人の弟子檀那の南無妙法蓮華経の信心を離れては存在しないのであります。我等、弟子檀那の末法に南無妙法蓮華経と修行する行者の己心にある有徳王、覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿をそのまま以て未法濁悪の未来に移さん時、と申されたと拝すべきであります。

三秘抄に有徳王・覚徳比丘とあれば、じゃ有徳王とか覚徳比丘という人物はいつ出てきたか、又どういう人と同じ人があるのかといわれる時に、有徳王・覚徳比丘は涅槃経におけるところの釈尊己心の世界の人物である。

しからば今、末法において、我々大聖人の弟子檀那が南無妙法蓮華経と唱える、我々の己心においての有徳王・覚徳比丘の王仏冥合の姿こそ、我々の己心にあると考えなければならないのであります。これ実に、我々行者の昔の己心の姿を顕されていると拝すべきであって、その己心の上に勅宣並びに御教書がありうるのであります。

即ち、広宣流布への流溢の展開の上に霊山浄土に似たらん最勝の地、富士山天生ケ原即ち大石ケ原に戒壇建立があるべきでありましょう。故に、今回建立の正本堂こそ、今日における妙法広布の行者である大聖人の弟子檀那が建立せる、一期弘法抄の意味を含む本門事の戒壇であると申すべきであります。


又、日寛上人の事・義の戒壇について、もう一言加えて解釈するならば、寛尊は所化の弟子を教導する為に、戒壇を事義の二段に別けられ、三大秘法を六義にわけられて説かれておるのでありますが、詮ずるに、六義は本門戒壇の大御本尊を顕彰するためであって、本門戒壇の大御本尊は六義の正主である本門戒壇の大御本尊を顕わさんがために、六義に立て分けて説明せられたのに過ぎない。

たとえば、曽谷殿御返事に、「法華経は五味の主の如し」(新編1380ページ)と仰せになっております乳味、酪味、生蘇味等のその五味の主体であると申されておる。これは、五味は一代聖教で、一代聖教は法華経を説き現すので、一代聖教を説く主眼は法華経である。故に法華経は五味の中ではなく、五味の主体であるとの意味でございます。

今、この言葉を転用して本門戒壇の大御本尊安置の処を事の戒壇と申すのは、六義を超越した所謂独一円妙の事の戒壇であるからであります。「正本堂は一期弘法抄の意義を含む、現時に於ける事の戒壇である」と宣言する次第であります。



index