大白法

昭和49年11月16日号


主な記事

<1〜4面>




御法主日達上人猊下御説法 『本尊供養御書』

※妙信講(顕正会)の「殴り込み事件」とその処分に関す御言葉を含む


宝浄寺創立10周年記念本堂改築落成式の砌
昭和49年10月19日 東京都大田区


 ただ今、当寺におきまして十周年記念法要をなされるのに当たり、あちらこちらを改修せられまして、実に立派に新築した寺の如くになって、誠に驚いた次第でございます。此の法要に私も参りまして、御報恩の為に、ただ今拝読の御書につきまして、少々申し上げたいと思います。

この宛名の南条平七郎という方は、今まで分かっておりませんでした。何処の方か、南条というからにはおそらく上野の南条時光さんの親戚の方ということは、大体は分かっておりますが、どの記録を見ても、解釈本を見ても、何処の人か分からなかったのでありますが、南条家の事ですから、何とかして調べたいと思って、あちこちに手を回して調べたら遂に分かりました。

これは、日興上人の弟子分帳に「駿河国富士上方成出郷給主南条平七郎母尼者、越後房弟子也」(歴全1−93ページ)という言葉がございまして、成出郷という所が分からなかったのでございます。段々、調べてもらった所が、富士宮の浅間神社の文書に、成出郷が出てきました。これは富士宮の小泉という所の一部分でございまして、その東南方約500m位のところだという事が分かりました。そして、日興上人が北山の重須へ隠居なされた時に、上野の法華衆、それから重須の法華衆、それから小泉の法華衆とがあります。その小泉の法華衆の頭かと思われるのでございます。

その方が、南条時光さんと同じように、大聖人様に御供養申し上げたのでございましょう。これは、建治2年12月という、もう年の瀬が迫った時に、御本尊の御供養として、僧膳料というのは、僧侶に御本尊様に回向してもらう為に、僧にお膳を差し上げるという意味の僧膳料でございます。で、米一駄すなわち2俵、また蹲鴟すなわち里芋2俵を馬に積んで、身延の大聖人のもとへ差し上げた事でございます。これに対して、大聖人が簡単だけれども、暮れですから、使いも急いで帰るから簡単にしたためるというので、この簡単なるお手紙をお書きになったのでしょう。

 (中略)

 今日申し上げたいと思うのは、この法華経の文字は、6万9千384文字の一字一字を、普遍の人は唯の黒い文字と思うけれども、仏の御眼には、即ち仏であるとご覧になるのです。

 それはそうです。この御本尊様をご覧んなさい。我々が見れば、金箔がはってある御題目と思うでしょう。これが違うんですね。よその信心のない人は御本尊を見れば、なんだ字で書いた本尊だとか、彫った御本尊だとか、唯それだけにしか見られない。我々はこの御本尊を拝むという所に、御本尊の文字が、大聖入様の仰しゃる通り皆な金色の仏である。この文字一字一字全部が仏である。それを我々は信心して、我々の即身成仏の本懐を願うのである。だから、信心のある人と、ない人と見方が全然違うんです。そこが大事なところでございますね。

 今、御本尊というのは、三大秘法の御本尊と申します。三大秘法というと本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目てございます。その三大秘法の中心は何か。この本門の本尊である。なぜならば、本門の戒壇といっても、この御本尊を安置する処が、戒壇なのである。又本門の題目といっても、この御本尊を信じてお題目を唱えるところが、本門の題目である。結局中心は本尊である。本尊がなければ三大秘法といっても出て来ない。だから本尊を一大秘法と申します。三大秘法が大事だけれども、その中心は一大秘法の南無妙法蓮華経の本尊であります。


 それで、先程、阿部教学部長が皆様に申し上げました通りに、事の戒壇について、ある一派の人はこれが国立戒壇だと云うことを非常に強情に云っております。

 事の戒壇とは何か、もちろんこのお寺に安置し奉っている御本尊様、御本尊様を安置し奉る処は即ち戒壇である。しかしこれは一応、本山の戒壇の大御本尊から拝す時は、これは義の戒壇とも云えるのであります。しかし、我々が実際、法を信心して皆さんここで亡くなられて、即身成仏なさるんでしたら、事の戒壇ではないですか。だから一応本山の戒壇の御本尊に対すれば、義の戒壇とは云えるんです。

 それで今、事の戒壇と云うのは何かと申しますれば、三大秘法にある通りに、一閻浮提の人が、懺悔滅罪する所であり、梵天・帝釈も来下して其処に踏み給いて、南無妙法蓮華経と信心する処が、事の戒壇であります。これを更に延長して、三大秘法抄にあるからと云って、「天皇が建ってくれなければ、それは事の戒壇ではない」と云うのは、それは行きすぎて、唯、言葉のあやに過ぎない。

 「国主この法を立てらるれば」という事は、皆信心しろということ。一閻浮提の人が、国主であろうが平民であろうがそんな事は関係なく、平等に信心をする。その広宣流布するところに、戒壇の御本尊の事の戒壇があるわけです。だから梵天・帝釈といっても、我々の目には見えない。天上界のどこかにある神様も皆そこ集まって、我々と一諸に、お題目を唱えるのが、事の戒壇であります。

 この仏法というものは、宗派というものは、布教が大事なんですね。布教なくして、宗派はある必要がない。何も、唯、自分が悟りを開いてどこか石の上へ腰掛けてありがたがって、天の一角をみて自分が仏だと思っているのはそれは宗教ではない。釈尊だって石の上に座って考えて悟ってからして、皆に教える。それでなくては宗教とは云えないでしょう。どこか道の上で考えて、この宇宙は水で出来たか、火で出来たかと考えて、西洋の哲学者にそういうのがある。それは哲学なんだ。哲学ならばそれでいいでしょう。しかし宗教として、共に苦しむ人を救って共に成仏するというのが、これが仏様の教え、即ち宗門、宗教である。それなくして、「事の戒壇でなくてはいけない」、「天皇が建てなければならない」と、理屈ばかり云っているのでは、それは事でない理に墜ちる。結局は理の戒壇になっってしまう。そんなことを云っていたのでは駄目だ。

 だから我々はある時代には、この国立戒壇ということも云った。明治時代には云いました。それは当時の布教において、そう云った方が皆に分かり易いので云ったので、それ以前の時代には云わない。明治の国家ができて天皇の勢力によって国が治まり、四十何年間、治まっていった。大正に及んでも治まっておった。天皇の威光によって建てられるのも結構である。だから一応そういう事も云ったけれども、今の時代はもう既に違う。

 先程の教学部長の話のように、既に違うのである。だから、今の時代に「国立でなければいけない」と云って、いくら頑張ったって出来やしない。何も出来なくなってしまう。それでは信心する事もできなくなってしまう。同じく地獄へ堕として何の役に立つか。だから、昭和45年5月3日、創価学会の総会の時に、私は宗門として公式決定の、「今後、国立戒壇ということは云いません」と皆さんにはっきり申し上げている。今後、それから後云いません。

 それを、ある元妙信講の人は、私が前に云ったから心が違うんだろう、前に云ったから今も同じだなんて、「云わない」と云っているのに、まだ同じ心だと云っているのだから、どうも困るんですね。

 まあ、その戒壇と云うことについての意義は、教学部長が、先年、2年ばかり前に『国立戒壇論の誤り』という本を出していますから、それを皆さんが読む必要はないのだけれども、暇があってどういうのか理屈を見たかったら読んだらいいでししょう。まあ明らかに国立戒壇というのは時代錯誤で、今はもう云わないということを説いております。とにかく時代によって布教の方法が変わる。しかし、本体は変わりはしない。この戒壇の本尊を中心にして説く所に、我々の唯布教の説き方があるのです。

今、会長は世界中を回っております。それを日本と同じ様に世界に云うだけでは世界の人は相手にしてくれはしない。やはりその国にあう、人情にあう通りに布教をしていかなければならない。しかし、本体はちっとも変わってはいない。だから、外国人も総本山へ来て、戒壇の御本尊様を拝し奉る。そこが大事な事でございます。その枝葉の事にとらわれて、ぐずぐず云っておるという事は、誠に残念であります。

結局この、そういう事を幾ら云っても聞かない。だから遂にこの8月12日に、妙信講と云うのを解散を命じまして、日蓮正宗に無くしたんです。

そしたらそれが不服になって、大変人を集めて、創価学会へ殴り込みをした。まあ、どっかの暴力団みたいに殴り込みをなさって、大聖人様のこの御法難というものは、そんなものではないですね。自分から行くのではない。正しい法を持っていく。よその人がぶん殴ってくれるんです。そして仏こなる。何にも、妙信講の大将が偉いといったって自分が殴ったのでは、仏になれはしない。自分は正しいことを説いていればいいでしょう。それを自分の云う事(国立戒壇)を聞かないからっていって人をひっぱたいたり、殴り込みをしたのでは、これは単なる暴力団に過ぎないということになって誠に残念である。

 そういう人が、日蓮正宗の中にいれば世間の笑い物になるわけですね。我々が強く折伏して、人に勧めれば、すぐ暴力宗旨だなんて悪口を言うでしょう。それを自分から殴っていったら、これはこんな大きな暴力宗旨はありはしない。それは恐ろしいことです。だから、私はどこまでもそう云う講中を止めさせたんです。まあ不服に思うのは向うの勝手ですがね。

 また、妙信講は本部を造ってそこに、御本尊を安置しております。それは、妙縁寺というお寺、本所中之郷の妙縁寺の御本尊を宝物の御本尊を住職がうっかりしてしまって、以前に、「十万所帯の人を折伏するから、御本尊を借して下さい」と云うから、まだ、日蓮正宗の一団体であったから、住職が貸したのです。ところが、今度そういう風にして、宗門から破門されたから、今度は返してくれと住職が云ったら、いや一万所帯作ったら返しますからと云う。じゃあ謗法の信者を十万所帯作られたら、もっと大変な事になってしまう。早く返してもらってくれと云うのだけれども、仲々らちがあかないで、困ってしまう。

 とにかく、学会の人が、今、1,600万人あるようになっております。それに、法華講を加えれば、純心なる法華講と昔からの檀家を加えれば、まず1,700万近くになるでしょう。それに対して向こうは1万2千人だといっています。まあいえば一握りです。その人に翻弄されてですね、我々の、これだけの多くの人が、信者が翻弄されては仕方がない。困る。皆さんがしっかりした心を持って下さい。

 今までも、つい一月の間このお寺の前に来てビラをまいたり、本山へ来て大きな声でビラをまいたり、地方の寺へいってビラをまいておりますが、こちらがしっかりしておれば、こんなことは何でもない。唯、むこうが勝手に金を使うだけの事に過ぎない。それで、向こうは、私のことを逆宣伝して、私の本心と云う事が違うと宣伝する。それでは私は地獄へ落ちてしまう。そんなことはない。やっぱり云いません。ある時はそういう国立という事は云った事もあるけれども、もう今後云いません、と、私ははっきりと言っているのだから、嘘、偽りはない。私が云うのだから嘘はない。何と云われても、これは今時、国立戒壇などと云う時代ではないから、どうか皆さん、はっきり心において頂きたい。

 又、これはまったく申しにくい事だけれども、ある僧侶が、老僧が、この元妙信講へと荷担していった人があります。誠に残念である。これはこの今月の13日に、先程の妙縁寺の御本尊に於いて、元妙信講の会館で御会式御講をする。だからそれを聞いたから、その人が行くと云う事を大体想像がついたから、私はその人を本山へ呼んで行かないでくれ、と。それは宗門で一遍破門した所だから、破門した所へ荷担することは、これは謗法なんだ。本山の第9世日有上人の121カ条という、ちゃんと我々の修行する道を説かれているのがあります。それにも明らかに書いてあります。破門された人の所へ行ってはいけない。そうすると、共に謗法であるという事が書いてあります。

 だから、どうか行かないでくれ、と言った。私はちゃんと対面所の机へ手をついて、衣を着、袈裟を着して頭を下げたんです。実際にどうか行かないでくれと、それなのに、その男はついに行ってしまった。行ってから今度は、宗務院や、私の悪口を言っておる。もう、たまりませんので15日にこの人を擯斥しまして、本宗の僧侶の籍を抜きました。抜きましたら、本宗の僧侶ではない。そしたら又、昨日・今日こっちの偉い能化の方々に、手紙をよこして、ああだこうだと理屈を云って来ましたけれども、これはもう宗旨が違う。本宗の僧侶でなければそんなのに答える必要はないと言っております。そういう人が、たった一人ですが出まして、もしそういう人を首にしなげれば、又真似して出たらば、これは大変な事になる。

 大聖人様は、城はやたら落ちるものではない。しかしその中に内応する人があると、城は危ないと。城者破城と云っておりますけれどね、城におるものが、敵に内通して必ず落ちる。どの城でもそうですね。昔、豊臣秀吉はよく城を落としたということは、内応させたのです。それで戦争をしないで落としていったんです。大きな堤も、蟻の穴から水が漏れると同じように、そういう人が気の毒だと思って放っておくと、結局宗門が危ない。又、皆さんが一つの団体になっている、和合僧団というものが破られてしまう。だから、気の毒だけれども、今の砂信講も解散を命じ、又その一人の僧も擯斥してしまった。辞めさせてしまった。

 それでも私は個人としては気の毒で堪えない。それ故に妙信講の人々は、妙信講というものを解散したけれども、それに所属している1万2千へがいるというから、本当にそれだけいるかいないかは、数えた訳ではないから分りませんけれども、それらの人が、個人個人が気の毒だから、どうか2ヶ月の間、10月12日までに、8月12日からですから2ケ月間は猶予するから、4つの寺、常泉寺、常在寺、妙光寺、それから蓮華寺、この4つのお寺へ申し出て、そこの所属になって下さいという事を、手紙で通知したんです。  こっちは大体わかった人のところへ通知をしたら、この通知がいけないと、又、怒り出した。だから個人個人が気の毒なんですね。そういう人の団体に入っているから、そうしたのです。その後、もう一度手紙を出したら又怒っている。もう出ませんけど。それでもだめだから、ついに学会本部へ殴り込みをかけたりなんかしたら、もうこれは堪まらない。

 その主な人を三十数名、今日、その所属の宗務支院長に命じて、除名の手続きをとってもらったのです。即ちこの宝浄寺にも十何人います。宝浄寺の支院長から今朝十何人出したはずです。先程、教学部長が言った通りに、本所の本行寺の高野永済支院長からも17名、千葉の支院長からも2名、それから埼玉から3名、それから群馬の支院長から1名か2名、とにかく三十余名を、今日、除名するという事に致しまして、誠に気の毒なようだけれども、これは止むを得ない。多くの人がその為に邪魔され、信心を妨害され、又、これからの広宣流布の為に妨害されるのでは、より以上の不幸であるからして、それだけ気の毒で、早く反省してもらいのを待つために除名した次第でございます。今後ともそういう人が出て、また色んな事をやるでしょう。あるいは、私なんか引っぱたかれるかもしれないけれども、そんな事はどうでもいいんです。個人個人が叩かれようが、殴られようが、そんな事は構わないけれども、とにかく、大聖人様の仏法の広宣流布を妨害するということは、これほど一大謗法はないはずだから、どうぞ皆さんも、しっかり心にとめてそれらに誘惑されないで、どうか信心に励まれん事をお願い致します。(題目三唱)



index