大白法

号外 昭和54年4月3日号


主な記事

<表・裏面>


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御法主日達上人猊下御言葉 妙観会の砌


本日は、第18回妙観会を催しましたところ、寺務の多忙であるにもかかわらず、地方の遠い所から大勢御参集下さり、又総監、教学部長もわざわざ登山して御参集下さいまして、まことに有り難うございます。

最近ことに学会と宗門との間に色々いきさつがございます。決して我々宗門としては、学会をつぶそうとか、学会をどうこうしようという、そういう心でやっておるのではなくして、長い間において学会が、宗門の法義の上において間違ってきてしまった、それを指摘して何とか直して、昔の純粋なる信心のもとに立ち直ってもらいたい、と思うが故でございます。

なるほど長い間学会は、よく宗門のために尽くして下さいました。その功績は大きいのであります。しかし、功績が大きいからといって、教義が間違い、宗門から逸脱してしまえば、これは何にも役に立ちません。ただそういうふうに間違いを起こしてもらいたくないが故に、ただいまのように色々のことを指摘して、学会を何とかして立て直してもらいたいと思ってやっておるのであります。

若い人達が結束して、結束といえば語弊が有りますが、とにかくそういうような形になって、学会の間違ったことを指摘しているというのは、せっかくの功績を、長い間宗門に尽くした功績を無にさせたくないが故にやっておるのであります。ただおもしろ半分、あるいは自分の檀徒を増やすがために、とやかく言うのではありません。そのことを一般の寺院の方々にも了承していただきたい。又学会の会員、あるいは檀徒になった方、あるいは法華講の人々も、それを了承してもらいたいと思うのであります。

今後も間違ったことが有れば、どんどん指摘します。今でも、色々間違ったことが内事部で分かれば、内事部においてどんどん質問をするというように、盛んにやっております。そうしてこそ、はじめて大聖人の弟子・檀那として、日蓮正宗がもり立っていくのではないか、と私は考えております。

なるほど学会では、「池田会長本仏などということを言った覚えは無い、学会ではそういうことは無い」と、こう言っております。しかしながら考えてみますと、一番初めは昭和50年前後でしたか、『火の国』という小冊子を学会のある一部の人で作った。その本に明らかに「会長が仏様である」ということを述べておりました。又、もっと古くは、最近分かったのですけれども、既に昭和38、9年ごろから「会長が仏だ」という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった。

なぜ知らなかったかというと、あの時分はよく地方のブロックに行って、学会の若い人、あるいは教授になった人、あるいは教授補という人が御書の講義をして歩いております。その内のある地方に行って、こういうことを言っておるんです。これは最近分かったことで、私もびっくりしておるんでございます。

そのことは『曽谷殿御返事』に「是には総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず」(全集1055頁)これはだれでもよく引用する御文であります。

その解釈に、「総とは一往血脈相承なり、再往は池田会長で、信心の大師匠である」と、こういう解釈をしておる。それはもう昭和38、9年のことです。こんなことを我々は少しも知らない。そのような地方のブロックヘ、若い人が教授と称して行って、こういうことを一生懸命に言って、会員の頭に入れてしまった。

総別二義の意義ということは、そんなところにもっていくもんじゃない。一往だとか再往だとかという言葉を使って、我々の言う仏教用語をうまく利用して、とにかく一往は血脈相承だと言う。何で総が血脈相承か、おかしくてしようがない。又「再往は池田会長で、信心の大師匠」だと言う。そういうところから、「池田会長が血脈相承を承(う)けている。学会に血脈が有る」などと言い出してしまう

あるいは『新池御書』に、「何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし」(全集1440頁)という御文があります。

その解釈に、「これにつけて七百年前は大聖人、現在でいえば会長池田先生」、こう解釈している。「此の経の心をしれる僧」は大聖人、現在においては池田会長であると言う。それでは結局、池田会長は現在における大聖人ではないか。そういうことを昭和38、9年のころにブロックでやっておったんです。

それを、我々は愚にして知らなかった。まことに残念であります。昭和38、9年のころからもう既に16、7年に及ぶ。その間に積み重ねてきた教義の間違いというものは、一朝一夕に直そうといっても中々できない。だから今この紛争が起きておるんです。これはどうしても、僧侶は腹を決めて、教義の間違ったところをしっかりと指摘し、又自分もしっかりと指導していかなければならない。

それには、僧侶は宗門の宗学をきちんと身に付けていかなければならない。もちろん一般仏教というものをしっかり身につけて、そしてしっかり寺を守り、信徒を指導していかなければならない。昔みたいに、御利益が有るとか無いとか、そんな枝葉のことを言っているのではない。又そういうことで指導しておる僧侶も有るやに聞いておりますが、そんなくだらないことを言ってはいけない。根本の仏教学というものをしっかり身に付けて頂きたい。

昔は仏教学というものは、立正あたりでは中学のときから教えておりました。立正中学では『立正安国論』の講義なんかもやっておりました。もっとも今は大学に行かなければ、そんな講義なんか無いけれども。だから昔の人は一般仏教ということは、はっきり頭に入っていますが、今はそうはいかない。だからこれからでも大学へ行って、そういう講義が有れば、何宗によらず仏教学というものを腹に据えて、そして更に本宗の教学を、その上にきちんと身に付けて頂きたい。

どこまでも、たとえ会長(※池田大作)であろうが副会長であろうが、間違ったことを言ったならば、どんどん指摘していかなければ、これからは日蓮正宗の僧侶ではない、ということを覚悟していって頂きたい。いやしくも妙観会に籍を置く者は、その精神でやって頂きたい。ただ上っ面の、けんかをするなとそういうもんではなくして、根本はここに有る、という精神でやって頂きたいと思います。

又、学会が昔よく宗門に尽くしてくれたその恩に報いるためにやるのである。“白烏の恩を黒烏に報ずべし”、まったその通りである。我々はどこまでも正しい法をもって人を導き、人々に教えて、宗門を守っていこうという精神を妙観会の若い人は心に染めて頂きたい。

これからは皆様方の宗門となっていく。どうかそのつもりで更に一層勉強し、一層信心を深めて宗門を守って頂きたい。今回はそれを皆様にお願いして今日の挨拶とします。ありがとうこざいました。




法華講連合会 総講頭・池田大作に辞任を勧告


昭和54年3月31日、日蓮正宗法華講連合会緊急理事会において左の如く決議致しました。


決 議

「池田大作氏はその責に耐えないことを自覚し、日蓮正宗法華講総講頭を辞任されるよう勧告致します」


理 由

近年創価学会におきましては、日蓮正宗教義からの逸脱が多くみられ、宗門からの厳しい御指摘により、昨年11月7日全国教師総会(併・創価学会代表幹部会)を日蓮正宗総本山大石寺大講堂において開催し、日蓮正宗教義からの逸脱を詫び、誤りの訂正を約束されました。

法華講連合会におきましても、機関紙「大白法」青年部機関誌「慧燈」及び有志の手による「蓮華八十七号の正しい読み方資料」等により、貴会の教義上の誤り、歪曲を指摘し、貴会が一日も早く教義上の逸脱を訂正し、立ち直られんことを祈り微力ながらも尽力して参りました。

しかるに、数か月を経過した現在、何ら今日まで教義の誤りの修正を会員に徹底して知らせることもなく、未だに宗門を騒がせ、その収拾がなされないのみか、学会幹部による最近の言動をみるとき、一向に教義上の逸脱に対する反省がなされていないのが現状であるので、このままの状態では謗法であるとみなさざるを得ません。

御法主上人猊下は当日のお言葉の中で「今日、私が申し上げたことを、ここに確認された学会の路線が正しく実現されるということの上で、これまでのさわぎについてはすべて此処に終止符をつけて」云云、と仰せられており、御法主上人猊下の御心に添った路線が正しく実現される方向を未だに示さないことは誠に遺憾であります。

如何なる時、如何なる場合においても、御法主上人猊下の御言葉を仏の金言として受け入れていくことが古来日蓮正宗信者の道であります。

御法主上人視下の御心をないがしろにすることは、もはや信者の道を逸脱していると申せます。この点に大いに眼を向け、心を留め深く思いを致すべきであります。

また、当日貴殿は「これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗門をお騒がせし、また、その収拾にあたっても不本意ながら十分な手を尽せなかったことは、総講頭の立場にある身としてこの席で深くおわびいたします」と発言されておりますが、これまでの誤りは創価学会としての誤りであり、私達法華講員には何等関知しないところであります。

しかるに総講頭として詫びられたことは、その中に私達法華講員も含まれ全く不名誉にして残念至極であり、これ以上私達は池田総講頭の傘下にあることに忍びがたいものがあります。

この際貴殿には、現在に至るも創価学会の体質を変えることのできないことについて十分な責任を感じ、総講頭の責に耐えないことを理解すべきであります。

以上により、法華講連合会理事及び幹事全員の署名により貴殿の総講頭の辞任を勧告致します。


昭和五十四年三月三十一日

東京都墨田区吾妻橋一の十四番十一号

日蓮正宗法華講富士会館

日蓮正宗法華講連合会

委員長佐藤悦三郎[印]
理事(北海道地方部長)田中一雄[印]
理事(東北地方部長)大塚万九郎[印]
理事(東京地方部長)岩瀬正勝[印]
理事(東海地方部長)村松堅二[印]
理事(中部地方部長)清水賢[印]
理事(関西地方部長)中野功[印]
理事(四国地方部長)石井茂[印]
理事(九州地方部長)藤野與平[印]
幹事小島富五郎[印]
幹事松島晃靖[印]
幹事平沢幹男[印]
幹事渡部俊雄[印]
幹事住中信和[印]
幹事小山一郎[印]
幹事三宅忠雄[印]
幹事倉持治子[印]
幹事山本正雄[印]


東京都新宿区信濃町十八

創価学会本部内

日蓮正宗法華講総講頭

池田大作殿




総講頭辞任勧告に至るいきさつ


昭和54年3月31日東京・富士会館において、法華講連合会緊急理事会が全国の理事・幹事参集のもと開催され、別項のように池田大作氏に対し、日蓮正宗法華講総講頭辞任の勧告が佐藤委員長ほか理事・幹事連名のもとなされ、4月1日第444号書留証明郵便物として浅草郵便局より同氏あて発送された。

これは、創価学会が年とともに特に本門戒壇の大御本尊及び血脈付法の御法主上人猊下を軽視する態度が大きくあらわれ、昨年11月7日以後においても一向に学会幹部による教義上の逸脱に対する反省がなされていないのが現状で、このままの状態では、謗法であるとみなさざるを得ないため、池田大作氏には法華講総講頭としてその責に耐えないことを自覚し、総講頭を辞任するよう本人あて勧告したものである。

創価学会の教義の逸脱のきざしは既に昭和38、9年頃からであり(別項妙観会における御言葉)、特にそれが目立って大きくなって来たのは、正本堂完成直後からである。

御法主日達上入猊下は、昭和53年2月9日の時局懇談会において「昭和47年に正本堂が建立せられたその直後から、非常に学会の態度がおかしくなってきた。大変僧侶も馬鹿にするし、また教義上においても非常に変化が多いように思う。その都度、私も種々な時にそれを指摘して、そういうことはいけない、日蓮正宗の教義と違うと指摘してきたつもりでございます」と仰せられ、それ以前と大変学会内部の指導が違ってきている旨を御指南されているのである。

昭和49年4月には池田会長自身、大白蓮華」に「創価仏法の原点は、いうまでもなく戸田前会長の悟達にあります」と言い、日蓮正宗と異なる仏法を創価学会が創始し、大聖人の仏法を不要とするかのごとき認識を信徒に与え、また同年5月には「大白蓮華」に福島副会長は小説「人間革命」を通して師への帰命を叫んでいる。

小説「人間革命」には「この若い革命家の『妙法への帰命』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである」と。すなわち師への帰命とは、戸田・池田会長に南無し拝ませることであり、創価仏法と言い、帰命と言い、まさに池田会長が人の仏となるのである。

昭和50年6月には、北風九州長は「ひのくに」で「久遠の師池田会長」と言っており、これは池田会長即大聖人ということになる。

このように一連の発言が創価学会々長および幹部によってなされているが、御法主上人猊下は昭和49年4月法華講連合会春季総登山会において「末法万年、尽未来際まで大聖人様の南無妙法蓮華経は、慈悲のために垂れ給うたのであります。ゆえに大聖人は末法尽未来際に至るまでの、久遠の仏様であります。それが我々の、日蓮正宗の教義であります。最近ある所では、新しい本仏が出来たようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とは言えません」と仰せられ、「大聖人様以外に本仏があるなどと言ったらばこれは大変なことである」と仰せられている。

特に昭和52年の元旦の会長あいさつ及び52年1月16日会長講演の「仏教史観を語る」の指導こそは、大々的に創価路線を引き始めたと言える。

すなわち「会館こそ現代の寺院」「在家の身であっても供養を受けられるという思想がある」「現代において創価学会は在家、出家の両方に通ずる役割を果たしている」とし、特に血脈相承について「血脈相承といえばよく既成宗教などにみられるように、神秘的に高僧から高僧へ、深遠甚深の儀式を踏まえて流れるものであると思われがちであります。……大聖人の仏法の本義はそんなところにあるのではない。我が己心の厳粛な信心のなかにこそあるといわれでいる」と歴代御法主上人猊下の唯授一人血脈相承を暗に否定している、そしてもはや「御本尊は全部同じである」とまで断言しているのである。

このような戒壇の大御本尊を軽視する考えは、上田副会長をして「登山は一生に一度でよい」とまで暴言を言わしむるに至っている。

以上は考えてみるまでもなく、謗法容認と断ぜざるを得ない。日蓮正宗は、700年来謗法厳誡を守ってきた。

御法主上人猊下は、「『願兼於業』ということがあるから、自分は謗法してもいいんだ、進んで謗法してもいいんだ、責任は自分にある。とんでもないことですね。『若し此の経を信ぜずして毀謗せば乃至其の人阿鼻獄に入らん』と、謗法ということは、正法の人の、正しい人の成仏の種か断ずることである。仏種を断ずることになる」と仰せられて謗法を厳誡し、正法流布に邁進することを願われている。

私達日蓮正宗法華講員は、本門戒壇の大御本尊と血脈付法の御法主上人猊下を根本とする態度を貫くことこそ、謗法厳誡に徹するものということができるのである。

このような創価学会の教義の逸脱に対し、宗内の青年御僧侶は全国的に立ち上がりをみせた結果、学会からの退会者相次ぎ、創価学会も徐々に後退せざるを得なくなり、53年6月30日聖教新聞の第4面に「教学上の基本問題について」と題して、宗門からの教義の誤りについての質問に対する解答が掲載されたのである。

しかし、その解答はいずれも極めて消極的で会長自身がその非を認めることはなかった。

遂に同年11月7日、創価学会創立48周年記念として代表幹部会が総本山において催され、池田会長をして「これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗内をお騒がせし、また、その収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身としてこの席で、深くおわびいたします」と言ううまでに至ったのである。

御法主上人猊下は当日のお言葉の中で「今日、私が申し上げたことを、ここに確認された学会の路線が正しく実現されるということの上で、これまでのさわぎについてはすべて此処に終止符をうけて云云」と仰せられており、学会の誤りが正しく修正され、かつ、末端会員まで徹底され、正しく正信に目覚めるということを前提として、これまでのさわぎに終止符をつけることを仰せられたものである。

しかるに数か月を経過した現在に至るも、何ら今までの教義の誤りの修正を会員に徹底して知らせることもなく、むしろ学会幹部の最近の言動をみるとき、一向に教義上の逸脱に対する反省がなされていないのが現状である。従って、このままの状態では、正に謗法であるとみなさざるを得ないのである。

また、総講頭が謝罪したといっても、創価学会の体質が従来通りである限り、私達法華講員としては、これまでの誤りは反省なきものとして創価学会の誤りとして認めるほかはなく、むしろ何ら関知せざる私達法華講員としては不名誉にして残念至極であり、これ以上池田総講の傘下にあることに忍びがたいものがある。

この際池田総講頭には、現在に至るも創価学会の体質を変えることのできないことについて十分な責任を感じ、総講頭の責に耐えないことを理解し、速やかに総講頭を辞任すべく、かくて前述のごとく3月31日の緊急理事会において総講頭辞任の勧告に及んだのである。



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