大白法

昭和55年4月16日号


主な記事

<1・2面>

<3〜6面>


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総本山第67世日顕上人御代替式霊宝虫払大法会
奉告法要を御影堂で奉修


総本山第67世日顕上人猊下御代替並御霊宝虫払大法会が4月6日・7日の2日にわたり行われた。これには全国の御僧侶が出席されたのをはじめ、法華講からも佐藤委員長はじめ代表700名が参列し、この法要を奉祝した。

第1日目の6日は、御影堂での御代替奉告法要からはじめられ、大講堂での御代替祝賀会、御影堂での初転法輪、同じく御影堂での御代替慶祝講演会と進められた。第2日目の7日は、午前零時過ぎからの勤行衆会にはじまり、御影堂での日興上人御報恩御講、大客殿においての御霊宝虫払い、ならびに御真翰巻返しの儀がそれぞれ厳粛に執り行われた。また、午後からは、正本堂での御開扉につづいて、大講堂においては宗門秘宝の御生骨の御内拝が許され、謹んで拝観した。

三門

☆ 第1日目 ☆

4月6日、総本山大石寺の三門正面には、「代替式慶讃大法要」の文字がアーチと高札が掲げられていた。午後2時45分、御法主日顕上人猊下が襟立の法衣をまとわれ、大客殿から二天門を通り、御影堂へと御練りの行列が厳粛に進まれた。行列は裏向拝から御形堂へと入堂され、御法主上人の献膳ののち、御法主大導師のもと読経が行われ、「而説偈言」のところで御法主上人が御宝前に進まれ、「敬白文」を奉読あそばされた。

このあと、ふたたび自我偈の読経・引き題目が行われ、奉告法要に移った。まず、藤本総監があいさつされ、つづいて祝辞では野村日修宗会議長はじめ、御僧侶の代表2尊師、信徒代表3名が祝辞を述べた。この中で佐藤委員長も連合会を代表して祝辞を申し上げた。祝辞が終わり、御法主上人よりあいさつの御言葉があり、奉告法要を終了した。

ひきつづき、祝賀会が午後4半から約1時間半にわたり、大講堂で行われ、御祝い申し上げた。午後7時からは、御影堂において御法主上人御出仕のもと、読経・唱題ののち、御法主上人の初転法輪があり「撰時抄」の御説法をされた。このあと、御法主上人が御退座され、尾林広徳尊師による「現世安穏ならざる事をなげかざれ」、また、早瀬義寛尊師による「以信得入」と題しての慶祝講演会が行われ、午後10時20分終了し第1日目の一切の法要を終了した。


☆ 第2日目 ☆

4月7日は午前零時過ぎからの勤行衆会(大客殿)に始まり、午前7時からは、御法主日顕上人猊下御出仕のもと、御影堂において御開山日興上人の御報恩御講が修された。

午前8時45分、全山にこだまする喚鐘、出仕太鼓が響きわたり、御法主上人が御宝蔵に御出仕された。やがて御法主上人の御先導により、御宝蔵から宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人、第三祖日目上人をはじめ、御歴代上人の御霊宝を納めた輪宝の長持(ながもち)、藤本総監・椎名重役が先導する鶴丸の長持・亀甲の長持の列も、御法主上人につづき客殿へとお移しされた。3つの長持は、参列者の唱題するなか直ちに開封され、輪宝の長持からは大聖人の御生骨と、大聖人御所持の「雨の祈りの三具足」が取り出され、正面の御前机にそなえられた。

つづいて、御法主上人と藤本総監の交互の御読み上げに従い、内陣には宗祖大聖人の御真筆御本尊「本門寺重宝の御本尊」「紫宸殿(ししんでん)御本尊」を奉掲。さらに内陣手前中央には「御座替御本尊」が奉掲された。また、外陣の両側には、第二祖日興上人、第三祖日目上人はじめ、第9世日有上人にいたるまでの五十余幅の御本尊が次々と掲げられた。ひきつづき、御法主上人の大導師のもと懇ろな読経・唱題が厳粛に行われた。

このあと、大村寿顕教学部長からは、奉掲された御本尊についての御説明があり、そのさい教学部長は、御宝蔵にはこの外、金口嫡々の血脈を相承された御歴代上人御書写の御本尊が、数多く御宝蔵に御霊宝として納められていることを述べられ、また、これらの御本尊については、別に期日を改めて御虫払いされているむねの御説明があり、奉掲された御本尊を再び長持に収納された。

小憩ののちふたたび御法主上人が御出仕され、内陣中央の高座に登られた御法主上人の大導師により、読経・唱題が修された。つづいて、長持から取り出された「二箇相承」の写し、「日興跡条々事」「諌暁八幡抄」「春の祝御書」「三三蔵祈雨事」「滅劫御書」「宝軽法重事」「白米一俵御書」「閻浮提中御書」「衆生心身御書」「竜門御書」「莚三枚御書」をはじめ、大聖人の御真筆の御書などを数多く披見せられた。この間、御僧侶によって“風入れ”“御巻返し”の儀が行われ、参加者の感動の中で、霊宝御虫払い、ならびに御真翰巻返しの儀が厳粛のうちに終了した。

午後1時からは、正本堂において御法主日顕上人猊下の大導師のもと御開扉を受けた。この際、読経のあと唱題のつづくなか、御法主上人御みずから須弥壇に登られ、藤本栄道総監の介添えで、戒壇の大御本尊を御清め申し上げた。唱題終了後、御法主上人から、本門戒壇の大御本尊、最初仏(日蓮大聖人の御彩様)、大聖人御灰骨に関する御説法、ならびに御生骨についての御説法があり、午後2時前、厳粛のうちに御開扉は終了した。

御開扉終了俵、大客殿前で、御法主上人御出仕のもと、御僧侶をはじめ参列者の代表による記念撮影が行われた。

記念品

ひきつづいて、午後3時前からは大講堂での御生骨内拝が行われ、御僧侶はじめ全参列者は、御宝蔵より大講堂に御遷座・御安置された宗門秘宝の御生骨を、御法主上人の大導師による読経・唱題のあと、謹んで拝観した。





御生骨御説法


今回の代替り式に際し、大聖人様の御生骨の御歯を開封申し上げ、深信なる皆様方の内拝を許すことに致しました。どうか清浄な信念に住して、後刻大講堂に於いて御内拝あらん事をお願い致します。

御生骨御遷座

抑々この御生骨は、大聖人御在世中五十余歳の頃、御歯を御抜き遊ばされ、傍らに給仕し給う日目上人へ御授け遊ばされ、「我が仏法は最勝深秘の大法にして、釈尊が法華経に予証せられし末法適時の正法也。故に鳩荼(くはんだ)等其の便を得せしめず、必ず遠く妙道に霑わしめんと説かれし処にして、此の正法、万年の闇を照らすこと必定にして、一天四海広宣流布疑いなし」と仰せ給い、我が説く所は正法にして一天広布疑いなしとして、其の証明にせよと仰せ給うと伝える我が家の秘宝でありまして、700年、燦として輝き 給う御生骨であります。

往昔、漢土には羅什三蔵、生前に我が説く所、翻訳せる所の経文少しも仏意に違うところに非ず、此の事は我が死後荼毘に付するも、舌のみは焼けることなかるべし、と言い置かれるに、入滅後荼毘に付するに、果たして舌のみは焼けず、青蓮華上に青い光を放ったと伝えますが、真に漢土、日本其の軌を一にして、仏法の不思議と申すべきであります。能く能く此の事を心に置いて、虔(つつし)んで拝せらる様お願い申し上げます。

茲に当山の代替式に際し、宗祖大聖人御真筆御本尊、御生骨、御灰骨、最初仏、御書、御消息、二祖日興上人以下歴代御本尊、各種法宝等の一切を残る所なく、日顕謹んでお預り申し上げ、身を以てお守り仕(つかまつ)る所存であります。南無妙法蓮華経。




御法主日顕上人猊下御言葉
御代替奉告法要の砌


本日、野衲の代替り奉告法要に当たり、宗内僧俗各位には、わざわざ御登山くだされ、御出席御祝賀をいただき誠に有り難うございました。また、それぞれの代表の方々より丁重過分な御祝辞を戴き、身に余る光栄と厚く御礼を申し上げます。

ただいまは皆様とともに仏祖三宝尊へ読経唱題御報恩申し上げ、代替りの儀を謹んで奉告仕りました。まことに不敏不才、全くその器ではありませんが、先師日達上人の御遺嘱の意を体し、正法興隆のため粉骨砕身の御奉公を念願いたしております。宗内僧侶ならびに檀信徒各位には、なにとぞ御協力くださるようお願い申し上げます。

奉告法要

私が今日の宗門について考えることは、第一に「祖道の恢覆」であり、第二に「広布への前進」であり、第三に「異体同心の確立」であります

第一については、本宗僧侶は申すまでもなく止暇断眠・身軽法重・死身弘法の聖訓を奉戴して日夜行学と弘通に精進し、檀信徒は三宝護持の精神を深く体して自行化他の行業に遍進することが肝要と思います。

第二については、法華経の六難九易の教旨を案じ、かつ宗門700年の歴史を顧みるとき、正法正義を広布することのいかに難しいことかを、まず知るべきであります。歴代先師は、さまざまの怨嫉迫害や権力の重圧のもとにそれを堪え忍びつつ700年来、富士の麓において正法を厳護し、ひたすら広布の時を待ち給うたのであります。近代に至って創価学会の死身弘法の折伏により血脈の正義たる三大秘法の広宣流布が前代未聞の様相をもって進展したことは、何人も否定できぬ事実であります。また、その時機に当たられた総本山法主日昇上人、日淳上人、日達上人は創価学会を従来の宗門伝統の在り方にあてはめようとされず、信徒としての要点を把持されるほかは自由な活動を諒解され、温かくその発展をお守りになったのであります。これは仏勅による広宣流布の重大な意義を鑑み給う配慮にほかなりません。

ただし、創価学会のあまりにも急激な広布への展開のなかには、古来の宗門伝統の思想や形式にたいし種々の特殊性があり、違和的な問題を包蔵していたことも事実と思われます。それが正本堂建立以後において顕著に現れ、宗門対創価学会の間にさまざまの不協和を生じました。その主要原因として、本来、根本である宗門を外護しつつ広宣流布を推進する信徒団体であるべき立場を更に超え、広布のためには学会主・宗門従という本末顛倒の指向性が特に現れた時から、さまざまの問題が一時に噴出した感があります。

したがって、そのころの学会の方針や指導には、たしかに行き過ぎがあったといえます。しかし、それは広宣流布という大聖人御遺命の実現を念願するあまりのことであり、根本的な悪意による逸脱ではなかったと信ずるのであります。

これらの一切を鑑み、当時の責任者であった池田名誉会長は、とくに今月2日の聖教新聞に「恩師の二十三回忌に思う」と題する所感を投じ、過去の種々の面を総合的に含み、かつ要点を括って根本的な反省をいたされております。私はこれをまことに誠意と勇気に満ちた、また深い信心を根本とする仏祖三宝への懺悔と受けとめるものであります。

大聖人の御書の精神に照らすとき、一時の誤りはあっても懺悔があればその罪が消えることは明らかであり、まして現に正法を受持信行する人達に根木的な謗法はありえないのであります。正法広布の大実績をもつ唯一の信徒団体である創価学会の逸脱は、それを改めなければ謗法に帰する意味はあっても、すでに改めんと決意し、行いつつある以上、現在において謗法をあげつらうことは大きな誤りであります。

ついでに板御本尊彫刻の件について一言すれば、こと御本尊に関しては一切がその深義を所持する法主の裁断によるべきであります。しかして日達上人はこの件のすべての経緯を踏まえられたうえで宗内に布達を発し、今後の論議を一切禁ずるという処置をとられたのであります。ゆえにこれに従わず勝手に是非を論議する者こそ謗法であります。

思うに創価学会のあくまで御本尊を中心根本とする信心や体験、組織等の在り方、そして池田名誉会長の過去における780万世帯までの未曽有の折伏を果たされた指導性、平和文化に関する世界的な実績等を考えるとき、将来の世界にわたる広宣流布のため、大いに必要な団体であり、人物であると私は信ずるのであります。

今後においても創価学会は北條会長のもと、徹底的に反省の浸透を図るとともに、新しく宗門外護の精神を再起され、広宣流布のため、いよいよ一致団結して前進願いたいと思います。

一方、法華講の方々も檀徒の方々も、また大いに正しい仏法を護持し、五十展転の随喜をもって他宗他門の信者や無信仰者のため、その枯れ果てた謗法者の心田に妙法の種を植えていっていただきたいと思います。

また本宗の僧侶はもとより、その根本的な指導上の役割を自覚し、よく自ら行学に励むとともに、折伏教化説法開導の道に精進する基本的精神をもつべきは当然であり、不肖私も、今日より更に新たに広布の道への努力を傾注する覚悟であります。


第三に異体同心の確立は広布の大業の基本として、また、ことに宗祖大聖人700遠忌を明年に控える重大時機にあって、最も必要なことであります。正法をたもつ人々がお互いに相是非することは他宗他門よりの物笑いと軽侮の種となり、それ自体、折伏弘教を阻害すること甚だしいと思います。また末法の衆生はいかなる人も謗法や罪障のない人はいないということも知るべきであります。もし誤りが種々の形で存在するとき、眼前の誤りを見聞して慈悲の心によって正すことは大切でありますが、卵を見て時夜を求むるがごとき性急さや対立意識をもって執拗に文書・演説等で攻撃するのは、法のうえよりみて甚だよろしくないことであり、改めなければ大きな罪業をつくることになります。

異体同心は正法に対する信を根本としてお互いを理解する心の広さ温かさより生ずるのであり、かかる広い大きな心こそ世界を導く日蓮正宗の僧侶の姿であると信ずるのであります。創価学会員・法華講員・檀徒の方々にあっても、平等に御本尊の仏子であります。お互いに尊敬することが大切であり、いやしくも感情や怨念で批難しあうことがあってはなりません。

また広布への前進のなかで、宗門と、信徒団体としての学会との種々の問題については、今後も話し合いや、検討の必要なことが多いと思います。これらについては仏法久住と広布推進の観点から、お互いが胸襟を開いて語り合い、一歩一歩、問題の解決を積み上げていくことも、異体同心の和が確立されていってこそ可能であると思います。

私も今後、積極的に関係者を督して問題の正当な解決と、よりよい建設に邁進する覚悟であります。どうか宗内の緇素皆様には、私の申し上げた方針に対し、御理解と御協力をくださるよう、心よりお願いいたしまして御挨拶といたします。本日はまことにありがとうございました。



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