大白法

平成元年4月1日号


主な記事

<1〜6面>




御法主日顕上人猊下御言葉
春季総登山会御目通りの砌 平成元年3月26日 於 大書院


※月例登山会の開始に関する御言葉を含む


 本年度春季法華講総登山に当たり、講頭各位、誠にお元気なお姿で登山をせられ、本日ここにお集まりをいただきまして、皆さん方とここに対面いたしまして、心から嬉しく思う次第であります。皆さん方の元気なお顔を通じて、それぞれの法華講支部が、それぞれの寺院の立場においてしっかり信心修行に邁進されておられることを感ずるものであります。

 申すまでもなく、この法華講の組織は何が目的であるかといえば、まず第一に、末法下種の御本仏・宗祖日蓮大聖人様の難信難解の正法を正しく護持し、信行していくところの団体として、はっきり信心修行を立てていくことであります。第二には、この大聖人の仏法を、そしてまた一代仏教の惣要(そうよう)である法華経に釈尊が予言されてあるところの「後五百歳広宣流布」という仏の遺命、また大聖人様の三大秘法広布の御命令を、我々日蓮正宗の正しい法を受け継ぐところの僧俗が一つになって広宣流布していくという、このための機関として現在、それそれの寺院に法華講が結成されておるのでございます。

 したがいまして、講中といっても、よその宗派においては色々と列を組んで、やれ何力寺詣りとか、あるいは、どこそこの温泉に物見遊山に行くとかというようなことがその講中の目的であるようなことも実に多いけれども、本宗の法華講講中は、そこに大きな、厳然たる目標が存しておるのでごさいます。ですから、まず第一に、正しい信心修行を立てて、それに向かって講中一同が団結していくということ、これがやはり、簡単に言うけれども、なかなか難しいことだと思います。

 講頭の方々は、そのなかで、やはり縁あって正法に縁され、特に寺院の講中の講頭という尊い立場になっておられるわけですから、その点を深く自覚されまして、信心修行の上から講中を正しく、自らの信心をもって講中を正しく導いていこうという気持ちが大切と思います。

 もちろん、人を導くということはなかなか容易なことではございません。ですから、けっして自分のできないことまで背伸びして行う必要はないと思います。しかし、まず第一に自分のできることから、自分自身の信心修行を強め、そして、その信心修行の体験に基づき、行学の領解に基づいて、たとえ一人でも二人でも、また多くの人でも、その講中の信心修行を高めていくという気持ちを持って邁進をしていただきたいのであります。


 さて、各地方部がありますが、地方部のなかで、非常に折伏等の成果が多い所と、ほとんど、全く折伏等も行われていない区域とがあるようであります。決して私は、折伏ををするからどうの、しないからどうのと言うのではありません。しかし、その一番元になる各々の信心、講中の信心をお互いが深く考えなけれはならないと思うのであります。

 ですから、特にそう折伏の進まない所は、やはりそれだけ信心修行の功徳を感じていない。もっと考えるならは、信心修行の尊さを徹底していないというふうに思うのであります。そういう所の講頭の方々は、まず自分自信の信心修行を一歩進めるということ、また、そのための色々な計画を考えていただきたいとも思います。

 で、やはり僧俗一致であり、そして修行の道場として皆さん方が寺院に参詣をして、その信心修行を高めていくということが大切と思います。お葬式のとき以外はほとんどお寺にも行ったことがないというようなことがもしあるならば、それは法華講の講中としてはたいヘん恥ずべきことと思います。

 ですから、これからはたとえ自分一人でもそのお寺に参詣して題目修行をする。そしてまた、一人が二人になり、三人になり、四人になる。そして、少しずつでも信心修行の輪を、団結を高めていくということがそれぞれの、一人ひとりの講中に、現在の状態から少しずつ、一歩前進するということにおいて課せられた尊い任務だと思うのであります。

 もちろん、しっかり信心もし、団結して折伏にも当たっておる講中も多々あると思いますが、それはそれなりに、また、その講中に広宣流布に向かっていく様々な問題があると思います。けっして油断することはできません。

 常に講頭が、本当に安楽な境界、お題目を唱えていく真の成仏・安楽の境界のなかで、しかも常にこの正法を受持し、精進していくというところの気持ちを持って、悠々と、また堂々と広布に向かって前進をしていただきたいのでございます。そのところにおのずと法華講のそれぞれの支部が、それぞれの特色を持ちながら、それが正しく勝れた方向、大聖人様の真の弟子檀那としての法華講の姿に顕れてくる所以だと思うのでございます。


 また、色々な形で宗門の状態も変わってきております。交通機関が非常に整備されたということがあり、特に新富士駅に新幹線がとまるようになりまして、日帰りの参詣が非常に楽になり、ある地域等からは可能になってまいりました。したがって、また、それに即するような色々な状況が自然のなかで現れております。

 そういうことは、一々ここで申し上げられませんが、こういうなかにおいて私か感じましたことは、この際、法華講の方々が、たとえ幾人ずつでも、初めは小規模でもいいと思いますけれども、だいたい月に一回ぐらいずつ総本山に登山をされて、そして一泊をしてお互いの信心修行を高めていくということを、今、計画をして、考えております。

 これは連合会のほうからも発表があったかと思いますが、交通機関もたいへん便利になったことでもありますし、また、それに応じて総本山の受け入れ態勢というものも状況が変わってきました。今までは総登山の時だけしか、皆さん方が団体としてはお山に来れなかったような状態があるけれども、これからは、ある一部の団体として総本山に登山して自分の信心修行を磨き、また一泊して、そのなかから僧侶の講義等も聞いてそこに信行の増進を図るということをして、法華講の講中の信心の向上と、また皆さん方の総本山に対する参詣の度合いを増加して、皆さん方の信行に役立てたいと存じておる次第でございます。

 どうぞそういう点からも、よくお考えをいただき、講中の方々ともよく話をし合って、また、その講中が一つひとつ発展されるように皆様方の御精進をお祈りいたしまして、本日の挨拶といたします。御苦労さまでございました。



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