大白法

平成9年12月1日号 第1部


第一部の主な記事

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御法主上人猊下御説法
 文底下種『内証如来寿量品第十六』より 〜頌常不滅(後)〜


『妙法蓮華経如来寿量品第十六』にのたまわく、

「園林諸(もろもろ)の堂閣 種種の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天天の鼓(つつみ)を撃(う)って 常に衆(もろもろ)の伎楽を作(な)し 曼荼羅華(まんだらけ)を雨(ふ)らして 仏及び大衆に散ず」

(題目三唱)


 本年度総本山恒例の御大会式(ごたいえしき)奉修のところ、法華講連合会・柳沢 委員長、石毛副委員長ほか全国法華講支部幹部の方々、一般講員の方々、さらに海外 15カ国よりはるばる多数の方が参詣せられ、盛大に仏恩報謝の行事が執行されます ことを、まことに有り難く存ずるものであります。


 さて、本年の寿量品説法は、昨年に続き、偈頌(げじゅ)のなかで本仏の未来益物 (やくもつ)を頌(じゅ)するなかの第二として、仏の常住不滅を頌する四偈十六句 中の、後半の二偈八句について申し述べる次第であります。


 この「園林諸の堂閣」以下の文は、その直前の、「我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり」(開結508頁)との文を受けておりますから、本仏所有の実報・寂光の浄土であり、その荘厳と安楽の相を説かれているのであります。まず、『園林』とは、本仏のまします絶対的平和の庭園のなかにある林のことであり、また、『堂閣』とは、立派な構えを持つ高殿(たかどの)を言います。故に、これらは本仏常住不滅の住処たる実報土の荘厳の依報を意味しております。要は、我等衆生が諸仏出世の本懐たる、久遠常住の妙法蓮華経を強盛に信受するところ、速やかに寂光の宝刹(ほうせつ)に入り、無作三身の仏果功徳を得る者の能(よ)く住する処を「園林諸堂閣」と言うのであります。


 次の「種種宝荘厳」とは、この園林中の諸堂閣はあらゆる多くの宝をもって、厳かに飾られておると示されるのであります。この種々の宝を、宝塔品に涌現の宝塔の相によれば、「金、銀、瑠璃、シャコ、瑪瑙、真珠、マイエの七宝を以って合成(ごうじょう)」(開結 三九九頁)する、とあります。この七つの宝とは、仏法におけるあらゆる功徳の法の財(たから)が、具足することによって現れる荘厳の妙相であります。いわゆる本仏の本迹にわたる修行のなかにおいて、諸々の功徳の法財を七聖財(しょうざい)、七つの聖なる覚りの財と言うのであり、すなわち、それは聞(もん)、信、戒、定、進、捨、慙(ざん)という、七つの心の財であります。

 これら聞、信、戒、定、進、捨、慙の七聖財によって仏法を信心修行するとき、おのずからそこに仏法僧の三宝を尊信する念を生じ、堂閣を荘厳しようとする供養の行為が表れます。現在、本仏大聖人の御法魂ましますこの総本山において、諸堂が整備されつつあり、特に客殿の荘厳の相が完成に向かっていることも、その実際の証明と言えましょう。そして、その異体同心の僧俗の信心の功徳によって荘厳された堂閣は、まさに下種仏法の実報・寂光の宝刹であります。しかして、「信は荘厳より起こる」とも申し、その荘厳された堂閣・殿堂は、また、多くの衆生の信心を喚(よ)び起こすのであります。このように、仏法の正善の功徳による荘厳は、色法より心法へ、また、心法より色法へと、無限の広がりをもって善業を成就していくことを信ずべきであります。


 次に「宝樹多華果」の『宝樹』とは、本仏の三身常住にして相即するなかの法身の菩提として、一切の善を生ずる能具の徳を表すのであります。しかして、次の『多華果』という「多い」という字は、華(はな)の仏因、果(このみ)の仏果の両方にかかります。この宝樹の法に具す一切の徳が、機において初住より十住乃至、等覚に至るまで四十一品の無明を断じ、それぞれの中道を分証する真実の菩提の因を発するのであり、これを「宝樹多華果」のなかの多華、すなわち、華多きに譬えるのであります。また、さらに、究竟の妙覚無上の仏果を成ずるのを多果、すなわち、果(このみ)の多きに譬えております。故に、妙法蓮華経の信心の眼をもって開いて見れば、この因とは広く九界の衆生に具わるところであり、その妙法信受の力用によって、妙因妙果倶時感得の大楽を得るのであります。

 その大楽の相を、経文には、次の「衆生所遊楽」の文において、衆生が常に遊楽する仏土であると示されております。大聖人様は『四条金吾抄』に、「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり・・・遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。現世安穏・後生善処とは是(これ)なり」(平成新編御書991頁)と、法界一切の迷悟・苦楽をことごとく浄化する、真の遊楽を御指南であります。


 以上の「園林諸堂閣 種種宝荘厳 宝樹多華果 衆生所遊楽」の一偈四句は、本仏所住所有の「我此土安穏」の仏土の相を受けて、これをさらに詳しく説かれたのであります。また、さらに宗祖大聖人様は『松野殿御返事』に、この霊山浄土に参詣し、遊楽すべき臨終の相について、「世の中ものうからん時も今生の苦さへかなしし。況んや来世の苦をやと思(おぼ)し食(め)しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦ひなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ。妙覚の山に走り登りて四方をきっと見るならば、あら面白や法界寂光土にして瑠璃を以て地とし、金(こがね)の縄を以て八つの道を界(さか)へり。天(そら)より四種の花ふり、虚空に音楽聞こえて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽快楽(けらく)し給ふぞや。我等も其の数に列なりて遊戯(ゆげ)し楽しむべき事はや近づけり。信心弱くしてはかヽる目出たき所に行くべからず、行くべからず」(御書1051頁)と御指南であります。

 次の「諸天撃天鼓 常作衆伎楽 雨曼荼羅華 散仏及大衆」一偈四句は、前の「天 人常充満」の文を受けております。


 まず、初めの「諸天撃天鼓」の文について天台大師は、「天鼓を撃つとは無問自説なり」と示しております。つまり、問うことなくして自ら法を説くという意であります。これは、本日説法の「園林」以下の経文の直前に「天人常に充満せり」との文がありますが、そのなかの「人」とは、円経の諸々の菩薩が方便道より真道に入って分々に中道を証する、十住、十行、十回向の位のことであり、また「天」とは、さらに高い位と境界に至った初地乃至、十地の菩薩であると判じております。このような聖者の色心の二法が中道の妙理に基づいて、地水火風の四大において諸天に通じ、用きを起こすのが、いわゆる天鼓を撃つことであります。この天の鼓は、撃たなくとも天人が相手の衆生に伝えんとする心によって、自然に音響を発し種々の機に通ずるのであり、そこに無問自説と言われる意義があります。

 大聖人様は、この無問自説について『御義口伝』に、「無問自説とは釈迦如来妙法蓮華経を無問自説し玉ふなり。今日蓮等の類(たぐい)は無問自説なり。念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と喚(よば)ふる事は無問自説なり。三類の強敵来たる事此の故なり。天鼓とは南無妙法蓮華経なり」(同1724頁)と説かれております。この御文は、釈尊の脱益の化導においても法華経が無問自説であり、特に末法の下種益の化導は、南無妙法蓮華経の法体による、破邪顕正の無問自説であることを示されております。

 すなわち下種本仏日蓮大聖人の身口意三輪中の、口輪(くりん)の教説が天鼓の意であります。この無問自説の折伏の化導により、順縁の者は信受して妙法の大楽の宿縁を生じ、逆縁の者は未来に発得(ほっとく)すべき仏種を植えるのであり、このように仏法根源の下種の利益を施され、あらゆる衆生を利することを、次の、「常作衆伎楽」すなわち、天人が常に諸々の伎楽をなして、衆生を悪より善に誘(いざな)う意義の元意であるとして、この文を判ずることができるのであります。


 最後に「雨曼荼羅華 散仏及大衆」の文について拝しますと、まず、曼荼羅華とは、古来、天の華(はな)と言われておりますが、大乗法華経の仏土の荘厳のための華でありますから、天台はこれを法華円教によって、六根清浄の益(やく)を得て、十信の位に登った賢位と、さらに初住乃至、等覚の位に至って断無明証中道の益を得た聖位との位を示すものとしております。つまり、華は因を顕わし、その果実は果を顕わします。したがって、大乗法華の会座に雨(ふ)る曼荼羅華は、円教によって仏果を得るための円因を顕わすのであり、天台はこれを円教の位について述べたのであります。すなわち、最高・最上の善事を行うことを「雨曼荼羅華」と説くのであります。

 そして、この華を仏様と大衆の上に散ずる、すなわち「散仏及大衆」とは、仏に対し因の華を雨らせることにおいて、因は必ず仏果に趣(おもむ)くことを顕すのであります。かくて、果に因が具わり、因に果が具わってみると、この九界即仏界・仏界即九界の理は、仏のみならず一切衆生もこれを具えております。故に「及大衆」すなわち、大衆の上にもこの華が雨り、因果一如の上の、一切衆生成仏の仏国土であることを説かれるのであります。故に、明年の客殿落慶法要における行道と散華(さんげ)、すなわち、自我偈の訓読中に華を散ずる行事は、下種本因妙仏法の上の、僧俗の仏道成就の意義を顕わすのであります。


 けだし、以上の文による常住の仏土は、本仏法報応三身常恒(じょうごう)の大慈大悲によって、久しく業(ごう)を修して荘厳された処であり、種々の方便による仏国土とは全く異なるのであります。これについて、大聖人様は、『観心本尊抄』に、「夫(それ)始め寂滅道場・華蔵世界より沙羅林(しゃらりん)に終はるまで五十余年の間、華蔵(けぞう)・密厳(みつごん)・三変・四見等の三土四土は、皆成劫(じょうごう)の上の無常の土に変化(へんげ)する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等なり。能変の教主涅槃に入りぬれば、所変の諸仏随って滅尽す。土も又以て是くの如し。今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此(これ)即ち己心の三千具足、三種の世間なり。迹門十四品には未だ之を説かず、法華経の内に於ても時機未熟の故か」(御書653頁)と仰せられ、華厳経、密厳経等の爾前経に示現(じげん)した仏身による仏国土、また法華経の宝塔品において、釈尊分身の諸仏を収容する必要から、三回にわたって八方二百万億那由佗の国土を改めた三変土田の大変革、また、涅槃経の沙羅林における説法に対し、衆生の機根の高低によって、同居(どうご)土、方便土、実報土、寂光土の四土を観ずる四見等の如き仏土は、すべて機に対する映現でありますから、能く説法し化導される仏が滅するならば、その国土も全く消失するという道理を、はっきり説かれております。

 そして、続いて「今本時の娑婆世界」云々以下に、寿量品のこの真実の教法と仏身の常住による不滅の仏土を説き、在世脱益の衆生の観心成仏を示されたのであり、これについては昨年度の説法において詳しく述べたところであります。

 しかして、この御文に続き、『本尊抄』には、「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊薬王等にも之を付嘱したまはず、何に況んや其の已外(いげ)をや。但(ただ)地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ。其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。是(か)くの如き本尊は在世五十余年に之(これ)無し、八年の間但八品に限る」(御書654頁)と説かれました。

 相伝の上からこの文を拝するとき、この文は結要遺付(けっちょうゆいふ)の法体が本門の本尊であることを示し給う文であり、その南無妙法蓮華経は、本地難思境地冥合・久遠元初自受用身証得の法体であります。故に、一には、本地自受用身の本有の地水火風空の五大を表し、二には本地自受用身の一念の心法に具わる十界互具一念三千の妙境を表わし、三には、本地自受用身の境即地・地即境なる、境智の冥合を表わし給うのであります。したがって、内証の寿量品より、この本日の「園林諸の堂閣」以下「散仏及大衆」の二偈八句を拝するならば、これは下種本仏宗祖大聖人の御魂たる南無妙法蓮華経に具わる十界乃至、三千の当体として顕示された、本門戒壇の大御本尊様の一心即法界のなかの仏国土であります。

 『御義口伝』に、「元初の一念一法界より外に、更に六凡四聖とて有るべからざるなり。所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経は三世一念なり」(御書1801頁)と説かれる如くであり、この妙法を信受する我等の一念に具する三千の功徳は、実に広大であります。通常は穢土と言われるこの娑婆世界において、娑婆即寂光と開き、荘厳の国土世間に直ちに遊楽することを、堅く信受すべきであります。詮ずるところ、我等、下種本仏日蓮大聖人の正法正義の仏法を受持し、大法広布の願業(がんごう)に燃えて常に唱題の功徳を体験し、自他共に信行に励むところ、必ず世を浄化し、日本乃至、世界各国あらゆる所に、真の仏国土を顕現していく大道の存することを確信すべきであります。

 皆様がいよいよ信心倍増、功徳増進されることを祈り、本日はこれをもって失礼い たします。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

※この原稿は、蓮成坊支部石田さんの御協力で転載いたしました。



ロサンゼルスのクロウ訴訟、宗門全面勝利の金字塔

今回は大白法の記事から離れて解説といたします(ページ管理者)

思い起こせば、一連の事件の発端はクロウ夫人(故人)が、「猊下が教学部長時代にアメリカ出張御受戒の夜、シアトルで売春婦と金銭トラブルを起こした」などと言い出したことにある。創価学会は聖教新聞や創価新法等のメディアを総動員して盛んにこれを報道し、さらに猊下に有らん限りの罵詈悪言を浴びせかけて、甚だしくく宗門と猊下の信用と権威を失墜させた。これに対し宗門・法華講が『大白法』等をもって、シアトル云々は事実無根であると報道したところ、クロウ夫人は「真実を話したのに嘘吐き呼ばわりされた」などとして、アメリカで名誉毀損の訴えを起こしたのである。

当時の円ドル換算レートで総額62憶円という膨大な賠償請求をもって、御本山および御法主上人猊下、さらには法華講や日蓮正宗現地法人を陥れようとの企みであった。しかしロサンゼルス上級裁判所は、クロウ夫人等の行為は悪質なBAIT(かませ)であると喝破、即ち「創価学会は当初より反論されることを期待して悪質な報道を繰り返し、 これに対して御宗門・法華講が異論を唱えたところで名誉毀損の訴えを起こす」というシナリオを指摘した上で、クロウ夫人(創価学会)の訴訟はフェアープレイに反した訴訟権の濫用であり、実質的な正義の清精神に照らして許されないことであるとして、 訴えを全面的に却下した(平成5年11月)。アメリカにおけるシアトル裁判の緒戦は御宗門側の完全勝訴となったのである。判決上の勝敗もさる事ながら、罠を張り法律を盾にとって宗門を陥れようとした創価学会の汚い手法は、社会的に凶弾されて然るべきであろう。

その後創価学会はアメリカでの敗訴をひた隠しにして、「却下と棄却は同時に起こるはずはないから、宗門の勝利宣言は真っ赤な嘘」などと訳のわからない誤魔化し報道を繰り返して一般会員を煙に巻き、裏では時間を稼ぎながら故クロウ夫人の長男フランク氏を立てて控訴し、一発逆転をねらっていたのである。そして先日の11月21日カルフォルニア州ロサンゼルス地区控訴裁判所で控訴審判決が下った。裁判所は3名の判事全員一致の判決をもって創価学会側の訴えを無条件で棄却し、これで第二審までの御宗門側弁護団の圧勝と、創価学会の完全敗訴が確定したのである。なお、次に学会は(一般会員には一切隠しながら)最高裁に持ち込むものと思われるが、一審・二審で計5人の裁判官によって一貫して支持されたこの判決が覆る可能性は極めて低いと思われる。

一連の判決において特筆すべきことは、 アメリカの裁判所がクロウ夫人の背後に蠢く創価学会の姿を的確に捉えていたことにある。曰く、「本件で、原告は名誉毀損の被害者であると申し立てている。これは個人に対する不法行為であるが、彼女は裁判所には名目的な原告であるように思われるし、裁判所は彼女は名目的な原告である(実質的には創価学会が原告である)と認定する」、「創価学会の幹部達は、端的にこの訴訟は、ミスター阿部に圧力を加え、彼を日蓮正宗法主の地位から退座させるために、彼に対して提起されたおびただしい数の訴訟の頂点をなすものである」、「本件で証拠として提出された創価学会の出版物の発表の中には、創価学会がクロウ婦人のミスター阿部に対するカルフォルニアでの訴訟を鼓舞し、財政的に援助をした事実が認められる」、等々裁判所は、日本における御宗門と創価学会の問題に深く配慮しつつ、この訴訟を性格的にはその延長であるとの認識で的確に処理している。ここに我々法華講員一同は仏天の加護に感謝しつつ、何も知らずに謗法に帰してしまった創価学会員を、一人でも多く『折伏』してまいりましょう。(なお関連記事は大白法491号第2部に掲載されています)


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