大白法

平成22年8月16日号


 抜粋



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妙真寺復帰奉告法要


妙真寺復帰奉告法要並びに第3代住職入院式が、厳粛に奉修された。

妙真寺は、昭和8年12月、大慈院日仁贈上人(有元日仁御尊能化)が信行閣として建立。平山広生御尊師が赴任された。当時は、八畳一間の本堂を拠点として、布教が行われた。同15年、本堂改築。同22年1月、妙真寺と寺号公称され、同23年1月、平山御尊師が住職に就任された。同37年9月、本堂・庫裡を再建新築し、総本山第66世日達上人大導師のもと入仏落慶法要が奉修された。また同39年には、八王子市に墓苑を開園(現在の広妙寺)するなど、興隆発展した。

しかし、元住職・山口法興が創価学会の昭和52年教義逸脱路線に端を発した正信会問題により昭和55年9月30日に擯斥処分となり、しかも同寺を不法占拠した。しかるところ、本年4月19日に山口は死去し、7月21日に妙真寺の御宝物・寺院建物等が宗門へ引き渡され、30年ぶりに復帰した。早速、新たに住職に任命された平山信憲御尊師が赴任し、日蓮正宗本来の正統な宗教活動が再開され、今回の法要となった。

この法要には、宗会議長の妙光寺住職・土居崎慈成御尊師、渉外部長の宣徳寺住職・秋元広学御尊師、東京第二布教区支院長・野村淳信御尊師はじめ布教区内外の御僧侶方が御出席。また、金子東京第二地方部長はじめ多数の代表信徒が参列した。法要は、平山住職の導師により献膳の儀・読経・唱題と奉修された。次に、野村支院長より経過報告並びに祝辞が述べられ、続いて妙真寺信徒を代表して神谷キヨ講頭より祝辞が述べられた。最後に、平山住職より参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。この後、本堂において記念撮影が行われ、法要はとどこおりなく終了した。

未だ擯斥僧侶により不法占拠されている寺院が多数あるが、一日も早くすべての寺院が返還されることが望まれる。





フィリピン布教所開所法要


7月25日、フィリピン共和国のケソン市において、フィリピン布教所(責任者・山澄信玉御尊師)の開所法要が、御法主日如上人猊下の御名代として漆畑行雄海外部長が赴かれ、厳粛かつ盛大に奉修された。これは、平成14年にモンテンルパ市に開所されたフィリピン事務所が、今般ケソン市に移転新築し、布教所に昇格したことによるものである。

この法要には、海外部主任・芝頂恩御尊師をはじめ、シカゴ妙行寺住職・岩城信義御尊師、ほかに有縁の御尊師方が御出席。また、フィリピン全土から約400百名の信徒が勇躍参集し、新布教所の門出を慶祝した。 第1回目の法要が午前10時40分より開始され、漆畑海外部長の御導師のもと、御本尊御開扉・献膳・読経・唱題と如法に奉修された。式の部では、フィリピン信徒で寺院建設委員会の湯川哲治氏による経過報告に続いて、漆畑海外部長より、「新しい布教所を帰命依止の道場として僧俗異体同心のもと、勇気をもって折伏を実践し、フィリピンに強固な広布の牙城を築いていただきたい(趣意)」との祝辞ならびに激励があった。さらに、フィリピン信徒代表サブラオン氏の祝辞の後、山澄責任者より、フィリピノ語による丁重な謝辞とフィリピン広布へ身を挺して精進する旨の決意が述べられた後、セブ島の少年部によるダンスが披露された。

午後2時より開始された第2回目の法要は、読経・唱題と如法に奉修された後、式の部に移り、漆畑海外部長の祝辞に引き続き、壮年・婦人・青年・少年の各部代表により決意発表が行われた。またサブラオン氏の祝辞、山澄責任者の謝辞があった。最後に「広布の青嵐」を日本語で合唱し、和やかな雰囲気のなか法要の一切はとどこおりなく終了した。

フィリピン布教所は、約180坪の敷地に、鉄筋コンクリート2階建てで、1階には300名収容の本堂と受付、2階には事務所・会議室・庫裡等が設けられた機能的な建物である。また、マニラ首都圏のほぼ中央に位置し、幹線道路や高架鉄道の駅から近く、庶民の足であるジープニーや鉄道を利用して参詣する多くの信徒とって、これまで以上に参詣の便がよくなり、フィリピン広布進展に拍車がかかるものと期待される。



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