1月度広布唱題会の砌
平成23年1月1日 於 総本山客殿
新年あけましておめでとうございます。
宗旨建立759年の新春を迎え、御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗しく新年をお迎えのことと慶賀に存じ上げます。
また、宗内僧俗の皆様には、すがすがしく「実践行動の年」の新年を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。
総本山におきましては、本年も恒例により、1月中、本日は元旦でもあり、広布唱題会でもありますので午前9時から行いましたが、原則的には午前8時より1時間の唱題行を執り行いますので、各位にはこぞって御参加くださるようお願いいたします。
元旦勤行の際にも申し上げたことでございますが、宗門は昨年、「広布前進の年」にふさわしく、全国的に折伏の気運が高まり、過半数を大きく上回る434の支部が折伏誓願を達成し、平成27年・33年の目標達成へ向けて大きく前進することができました。
なかでも、岐阜布教区を皮切りに、愛知東布教区・北近畿布教区・山口布教区・青森布教区・熊本布教区・静岡西布教区・大阪南布教区・南九州布教区・岩手布教区・新潟布教区・宮城布教区の12の布教区では、管内すべての支部が誓願を達成し、見事、完全勝利することができました。
また、海外においては台湾の本興院、同じく法秀院・正行院・本照院・妙行院、韓国のソウル布教所、同じく釜山布教所、シンガポール開妙院、ガーナ法華寺、アメリカのロサンゼルス妙法寺、同じくニューヨーク妙説寺、スペイン妙昌寺、アルゼンチン布教所、香港事務所、カナダのバンクーバー布教所、このほか、いまだ信徒組織のみで寺院あるいは布教所はありませんが、驚異的な大成果を挙げたインドをはじめ、スリランカ、ドイツ、スイス、セルビアなどで、多くの国々で誓願を達成しております。その勢いは国内に勝るとも劣らないもので、世界各国の同志の方々が、真剣に世界広布に取り組んでいる様子を伺い、頼もしくもまことに心強いかぎりであります。
これもひとえに、国内外の各支部の指導教師をはじめ講員御一同が真剣に題目を唱え、折伏に取り組み、身軽法重・死身弘法の御聖訓を奉戴し、異体同心の団結と広布達成の情熱をもって、あらゆる困難を乗り越え、戦ってきた結果であり、各位の御健闘をたたえるとともに、心から敬意を表するものであります。是非、本年も「実践行動の年」にふさわしく、師子奮迅の勢いをもって大活躍されるよう願うものであります。
さて、法華経の法師品第十を拝しますると、「若し是の善男子、善女人、我が減度の後、能(よ)くひそかに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使いなり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て、広く人の為に説かんをや」(法華経321ページ)とあります。
すなわち、末法において、わずか一人のためにでも妙法蓮華経の一偈一句なりとも説く者は「如来の使」であり、「如来の所遣」すなわち如来より遣わされた者として「如来の事を行ずる」者であると仰せられているのであります。
「如来の事」とは、『法華文句』には、「今日の行人は能く大悲有って、比の経の中の真如の理を以て衆生の為に説いて利益を得せしむ。亦如来の事を行ずと名づくるなり」(学林版文句会本・中・635ページ)と釈されています。すなわち、広く衆生の苦しみを救うという仏様の大きな慈悲をもって、妙法蓮華経の意義を衆生のために説き、利益を得せしむることを「如来の事を行ずる」と言うのであると仰せであります。
また、この御文について『椎地四郎殿御書』には、「法師品には『若是善男子善女人乃至則如来使』と説かせ給ひて、僧も俗も尼も女も一句をも人に語らん人は、如来の使ひと見えたり。貴辺すでに俗なり、善男子の人なるべし。比の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)に染めん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし」(御書1555ページ)と説かれ、さらに『秀句十勝抄』には、「明らかに知んぬ、法華経を説く人は、即ち是如来の使ひにして、即ち如来の事を行ずるなり」(同1327ページ)と仰せであります。すなわち、特定の人だけが「如来の使」でも「如来の所遺」でもなく、この濁悪の末法において、妙法蓮華経を受持し、わずか一人のためにでも妙法の意義を説く、すなわち折伏を行ずる者は「如来の使」「如来の所遣」であると仰せられているのであります。
かかる意義から拝しまするに、まさしく今日、あらゆる困難・障害を乗り越え、広宣流布の願業のもと、平成27年・33年の目標達成へ向けて、昼夜を分かたず身軽法重・死身弘法の折伏に励んでいる本宗僧俗は皆、等しく「如来の使」であります。
したがって、その功徳もはなはだ大きく、『法華文句』には、「当知是人則如来使とは其の功報を明すなり」(学林版文句会本・中・634ページ)と仰せられ、薬王菩薩本事品には、「是の経を受持し、読誦し、思惟し、他人の為に説けり。所得の福徳、無量無辺なり。火も焼くこと能わず、水も漂(ただよ)わすこと能わじ。汝の功徳は、千仏共に説きたもうとも尽さしむること能わじ」(法華経538ページ)と仰せであります。
「是の経を受持し、読誦し、思惟し、他人の為に説けり」とは、自行化他の信心を指します。その自行化他の信心に励む功徳は、無量無辺にして、火も焼くことができず、水も漂わすことができず、その功徳は、千の仏が一緒になって説いても、説き尽くすことはできないほど大きいのであると説かれているのであります。
さらに『御講聞書』には、「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益有るべき時なり」(御書1818ページ)と仰せであります。すなわち、今、末法は折伏を行じて、初めて仏様の大きな功徳を受けることができるのであります。まさしく、悪業の因縁を断ち、充実した境界を築き、幸せな日々を送り、功徳に満ちた人生の構築を願うならば、まず折伏を行ずべきであります。そして、それが今日、広布へ向かって前進する我ら本宗僧俗のなすべき使命であり、これが最善の道であることを、我々はよく銘記すべきであります。
貪瞋癡の三毒によって苦しむ人々を救う道は、ただ折伏しかないことは、皆様も充分、御承知のことと存じます。しかし、承知していただけでは意味がありません。本年は理屈ではなく、一人ひとりが、「実践行動」を起こして折伏を行じ、自らも大御本尊様の広大なる功徳を享受するとともに、塗炭の苦しみにあえぐ多くの人達を救い、もって仏祖三宝尊への御報恩を尽くされますよう心からお願いを申し上げ、本日の挨拶といたします。
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