大白法

平成23年1月16日号


主な記事

<1〜4面>

<5〜8面>


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御法主日如上人猊下御言葉

1月度広布唱題会の砌
平成23年1月1日 於 総本山客殿


 新年あけましておめでとうございます。

 宗旨建立759年の新春を迎え、御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗しく新年をお迎えのことと慶賀に存じ上げます。

 また、宗内僧俗の皆様には、すがすがしく「実践行動の年」の新年を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。


 総本山におきましては、本年も恒例により、1月中、本日は元旦でもあり、広布唱題会でもありますので午前9時から行いましたが、原則的には午前8時より1時間の唱題行を執り行いますので、各位にはこぞって御参加くださるようお願いいたします。


 元旦勤行の際にも申し上げたことでございますが、宗門は昨年、「広布前進の年」にふさわしく、全国的に折伏の気運が高まり、過半数を大きく上回る434の支部が折伏誓願を達成し、平成27年・33年の目標達成へ向けて大きく前進することができました。

 なかでも、岐阜布教区を皮切りに、愛知東布教区・北近畿布教区・山口布教区・青森布教区・熊本布教区・静岡西布教区・大阪南布教区・南九州布教区・岩手布教区・新潟布教区・宮城布教区の12の布教区では、管内すべての支部が誓願を達成し、見事、完全勝利することができました。

 また、海外においては台湾の本興院、同じく法秀院・正行院・本照院・妙行院、韓国のソウル布教所、同じく釜山布教所、シンガポール開妙院、ガーナ法華寺、アメリカのロサンゼルス妙法寺、同じくニューヨーク妙説寺、スペイン妙昌寺、アルゼンチン布教所、香港事務所、カナダのバンクーバー布教所、このほか、いまだ信徒組織のみで寺院あるいは布教所はありませんが、驚異的な大成果を挙げたインドをはじめ、スリランカ、ドイツ、スイス、セルビアなどで、多くの国々で誓願を達成しております。その勢いは国内に勝るとも劣らないもので、世界各国の同志の方々が、真剣に世界広布に取り組んでいる様子を伺い、頼もしくもまことに心強いかぎりであります。

 これもひとえに、国内外の各支部の指導教師をはじめ講員御一同が真剣に題目を唱え、折伏に取り組み、身軽法重・死身弘法の御聖訓を奉戴し、異体同心の団結と広布達成の情熱をもって、あらゆる困難を乗り越え、戦ってきた結果であり、各位の御健闘をたたえるとともに、心から敬意を表するものであります。是非、本年も「実践行動の年」にふさわしく、師子奮迅の勢いをもって大活躍されるよう願うものであります。


 さて、法華経の法師品第十を拝しますると、「若し是の善男子、善女人、我が減度の後、能(よ)くひそかに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使いなり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て、広く人の為に説かんをや」(法華経321ページ)とあります。

 すなわち、末法において、わずか一人のためにでも妙法蓮華経の一偈一句なりとも説く者は「如来の使」であり、「如来の所遣」すなわち如来より遣わされた者として「如来の事を行ずる」者であると仰せられているのであります。

 「如来の事」とは、『法華文句』には、「今日の行人は能く大悲有って、比の経の中の真如の理を以て衆生の為に説いて利益を得せしむ。亦如来の事を行ずと名づくるなり」(学林版文句会本・中・635ページ)と釈されています。すなわち、広く衆生の苦しみを救うという仏様の大きな慈悲をもって、妙法蓮華経の意義を衆生のために説き、利益を得せしむることを「如来の事を行ずる」と言うのであると仰せであります。

 また、この御文について『椎地四郎殿御書』には、「法師品には『若是善男子善女人乃至則如来使』と説かせ給ひて、僧も俗も尼も女も一句をも人に語らん人は、如来の使ひと見えたり。貴辺すでに俗なり、善男子の人なるべし。比の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)に染めん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし」(御書1555ページ)と説かれ、さらに『秀句十勝抄』には、「明らかに知んぬ、法華経を説く人は、即ち是如来の使ひにして、即ち如来の事を行ずるなり」(同1327ページ)と仰せであります。すなわち、特定の人だけが「如来の使」でも「如来の所遺」でもなく、この濁悪の末法において、妙法蓮華経を受持し、わずか一人のためにでも妙法の意義を説く、すなわち折伏を行ずる者は「如来の使」「如来の所遣」であると仰せられているのであります。

 かかる意義から拝しまするに、まさしく今日、あらゆる困難・障害を乗り越え、広宣流布の願業のもと、平成27年・33年の目標達成へ向けて、昼夜を分かたず身軽法重・死身弘法の折伏に励んでいる本宗僧俗は皆、等しく「如来の使」であります。

 したがって、その功徳もはなはだ大きく、『法華文句』には、「当知是人則如来使とは其の功報を明すなり」(学林版文句会本・中・634ページ)と仰せられ、薬王菩薩本事品には、「是の経を受持し、読誦し、思惟し、他人の為に説けり。所得の福徳、無量無辺なり。火も焼くこと能わず、水も漂(ただよ)わすこと能わじ。汝の功徳は、千仏共に説きたもうとも尽さしむること能わじ」(法華経538ページ)と仰せであります。

 「是の経を受持し、読誦し、思惟し、他人の為に説けり」とは、自行化他の信心を指します。その自行化他の信心に励む功徳は、無量無辺にして、火も焼くことができず、水も漂わすことができず、その功徳は、千の仏が一緒になって説いても、説き尽くすことはできないほど大きいのであると説かれているのであります。

 さらに『御講聞書』には、「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益有るべき時なり」(御書1818ページ)と仰せであります。すなわち、今、末法は折伏を行じて、初めて仏様の大きな功徳を受けることができるのであります。まさしく、悪業の因縁を断ち、充実した境界を築き、幸せな日々を送り、功徳に満ちた人生の構築を願うならば、まず折伏を行ずべきであります。そして、それが今日、広布へ向かって前進する我ら本宗僧俗のなすべき使命であり、これが最善の道であることを、我々はよく銘記すべきであります。

 貪瞋癡の三毒によって苦しむ人々を救う道は、ただ折伏しかないことは、皆様も充分、御承知のことと存じます。しかし、承知していただけでは意味がありません。本年は理屈ではなく、一人ひとりが、「実践行動」を起こして折伏を行じ、自らも大御本尊様の広大なる功徳を享受するとともに、塗炭の苦しみにあえぐ多くの人達を救い、もって仏祖三宝尊への御報恩を尽くされますよう心からお願いを申し上げ、本日の挨拶といたします。



唱題行(1月3日)の砌
平成23年1月3日 於 総本山客殿


 「実践行動の年」の新春、あけましておめでとうございます。御隠尊日顕上人猊下をはじめ奉り、宗内僧侶ならびに御信徒御一同様には、すがすがしく「実践行動の年」を迎えられ、決意も新たに、いよいよの御奉公・御精進をお誓いのことと存じます。

 総本山におきましては、本年も恒例により、1月中、例外を除いて午前8時より1時間の唱題行を執り行いますので、各位にはこぞって御参加くださるようにお願いいたします。

 特に、本年は「実践行動の年」であります。「実践行動」とは、理屈ではなく、実際に身体を動かし、身をもって、大聖人の御遺命である一天四海本因妙広宣流布達成を目指し、近くは平成27年・33年の目標達成を目指して、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに折伏をもって挺身していくことであります。

 お陰さまにて、昨年は全国的に折伏の気運が高まり、約4分の3に当たる、434の支部が見事、折伏誓願を達成いたしました。まことに、例年に比べれば大躍進と言っても過言ではないと思います。また、海外においても国内に勝るとも劣らない成果を挙げて、大きく広布へ向かって前進しております。特に、インドにおいては、誓願をはるかに上回る、驚異的な成果を挙げております。これもひとえに、指導教師をはじめ御信徒の方々が心を一つにして戦ってきた結果であり、心から喜びに堪えません。

 本年「実践行動の年」は、さらに精進を重ね、昨年に劣らず、僧俗一致の戦いを展開し、必ず全支部が誓願を達成されますよう、心からお祈りする次第であります。


 さて、法華経方便品を拝しますと、「舎利弗当に知るべし 我仏眼を以て観じて 六道の衆生を見るに 貧窮にして福慧無し。生死の険道に入って 相続して苦断えず 深く五欲に著すること ミョウ牛の尾を愛するが如し。貪愛を以て自ら蔽い 盲瞑にして見る所無し。大勢の仏 及与断苦の法を求めず 深く諸の邪見に入って 苦を以て苦を捨てんと欲す」(法華経120ページ)とあります。

 この御文は、釈尊が舎利弗に向かって述べた言葉でありますが、解りやすく申し上げますと、「私が仏の眼をもって観るに、六道を輪廻する衆生を見ると、彼らは貧しく困窮していて、幸せになるための智慧もなく、生死の険しい道に入って抜け出ることもできず、ますます険しい道に踏み入り、苦しみが絶えることがない。五欲、すなわち目で見、耳で聞き、鼻でかぎ、舌で味わい、身体に触れるという、五体の欲望に深く執着をしていて、その有り様はミョウ牛が自分の尾に執着するようなものである。そこでは貪りと執着をもって、自分を覆い隠して、盲目となって何も見えず、ために仏の計り知れないほどの偉大なる力と、および苦を断ずる法とを求めようともしない。そのために間違った見解に深く入り込んで、苦をもって苦を捨てようとしている」と仰せられているのであります。

 このなかで「ミョウ牛の尾を愛するが如し」とありますが、ミョウ牛とは牛の一種で、その性は極めて愚かで、常に自分の尾をなめて、その尾の端から腐敗して、ついに生命を失うに至ると言われております。つまり、衆生が煩悩欲にふけって反省もせず、煩悩の趣くままに、ずるずると苦海に陥っていく様を、かくの如く仰せられているのであります。

 また「苦を以て苦を捨てんと欲す」とありますが、苦をもって苦を除こうとするわけでありますから、所詮、それでは苦から逃れられるはずがありません。ちょうど、借金を返すのに、よそから借金声して借金を返すというようなもので、そのようなことを繰り返していれば、永遠に借金地獄から抜け出せません。まさに、はかない凡夫の浅知恵であります。こういう状態では人々は絶対に幸せにはなれません。

 また、この文は五濁について明かされておりまして、「貧窮にして福慧無し」というのは衆生濁を、「生死の険道に入って 相続して苦断えず」とは命濁を、「深く五欲に著すること ミョウ牛の尾を愛するが如し 貪愛を以て自ら蔽い 盲瞑にして見る所無し」とは煩悩濁を、「大勢の仏 及与断苦の法を求めず」とは劫濁を、「深く諸の邪見に入って 苦を以て苦を捨てんと欲す」とは見濁を顕しているのであります。

 まさしく、今も昔も、六道の衆生は五濁にまみれて、そこから抜け出せず、また逃れるすべも知らず、塗炭の苦しみのなかで、いたずらにもがき苦しんでいるのであります。

 この六道の凡夫の苦しみを救い、転迷開悟せしめ、救っていく唯一の秘法こそ、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人が唱え出だされた本因下種の妙法蓮華経であります。

 故に『観心本尊抄』には、「今末法の初め、小を以て大を打ち権を以て実を破し、東西共に之を失し天地顛倒せり。迹化の四依は隠れて現前せず、諸天其の国を棄て之を守護せず。比の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」(御書660ページ)と仰せられ、さらに『報恩抄』には、「日蓮が慈悲廣大ならば南無妙法蓮華経は万年の外、未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(同1036ページ)と仰せられているのであります。すなわち、末法の衆生は皆、等しく本因下種の妙法蓮華経の大良薬をもって、初めて一生成仏がかなえられるのであります。

 故に、その功徳の広大なることを『聖愚問答抄』には、「比の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なく、善根として動かざる事なし」(同408ページ)と仰せであります。

 今、私どもは来たるべき平成27年・33年の新たなる目標を目指して、一人ひとりが、苦海から逃れることができずにいる多くの人に向かって、妙法蓮華経の広大無辺なる功徳を説き、一人でも多くの人に下種折伏していく大事な使命があることを忘れてはなりません。

 『唱法華題目抄』には、「末代には善無き者は多く、善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは、法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事、諍ひ無き者をや」(同231ページ)と仰せであります。

 私どもは、この御金言を心肝に染めて、本年度は「実践行動の年」にふさわしく、僧俗一致して、一斉に折伏逆化の行動を起こし、もって全支部が必ず折伏誓願を達成されますよう心からお祈りを申し上げ、本日の挨拶といたします。



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