大白法 平成23年11月16日 特集

創価学会破門から20年


歴代御法主上人への背信

 創価学会問題の元凶…。それは池田大作にある。創価学会は、以前にも昭和52年路線と呼ばれる大謗法に手を染めたが、その原因も、正本堂建立以後の大作の指導にあった。

 このことは彼が、聖教新聞紙上に「近年の宗門との問題が昭和47年、正本堂建立以降の、学会の広布第二章の進み方の基調と、そのうえで、私が展開した昭和52年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります」(聖教新聞 昭和55年4月2日付)と、自らの責任を認めていることから裏付けられる。大作はその責任をとって、創価学会会長職を辞任せざるを得なかった。つまり、52年路線の謗法は、大作の大慢心と邪心がその原因なのである。

 では、破門にまで至った今回の創価学会問題はどうか。これも、大作の大慢心と邪心が原因である。

 池田大作は平成2年11月16日の創価学会本部幹部会の席上、御法主上人の説法を揶揄(やゆ)・中傷し、宗門を誹謗するなど、大謗法のスピーチを行った。まだ、52年路線の問題収束を「敗北」と総括し、会長職を引責辞任したことを、「辞めさせられ(た)」と評した。これらは、52年路線の反省が真実のものでなかったことを自白し、開き直りの姿勢を露わにしたもので、大聖人の仏法を甚だしく冒涜(ぼうとく)するものであった。

 創価学会では、この事実を隠蔽しようと、当日のスピーチとして、事実とは全く異なる内容の記事を聖教新聞に報道した。何と卑怯な心根であろうか。この不正直な工作自体に、創価学会では、この大作のスピーチが不穏当である、宗門から指揮されるかもしれないとの自覚があったことは明白である。

 いずれにせよ、こんな稚拙な手法で大作のスピーチを隠し通せるはずもなく、当日の問題発言に疑問を抱き、あるいは事実と異なる内容が報道されたことを訝(いぶか)しんだ心ある学会員から、当日のスピーチを録音した複数のテープが、宗門へ寄せられた。その内容たるや、大作のスピーチは余りに無慚無愧(むさんむき)にして、到底、看過し得ないものであったため、宗門は文書をもってその発言の真意を尋ねたのである。

 しかし、創価学会は、宗門から「お尋ね」をごまかし、はぐらかして、不誠実極まる対応を終始した。

 当時、池田大作は法華講総講頭であり、創価学会・法華講連合会も含めて、日蓮正宗の全檀信徒を代表する立場にあった。他の檀信徒の模範たるべき枢要な地位にありながら、大聖人の正邪の峻別(しゅんべつ)を惑乱(わくらん)し、血脈の尊厳を傷つける誹謗中傷をすることは言語道断である。加えて、その過ちを指摘されも素直に反省し改める姿勢がないのであれば、その悪行は一層明白であるし、絶大な影響力を考えれば、これを放置しておくこともできない。

 よって宗門は、適切な手続きをもって法規を改正し、池田大作の総講頭の地位を喪失せしめたのである。とはいえ、これは法規の整備に伴う形式的な理由に基づく資格喪失であって、罷免(ひめん)処分ではなかった。したがって、総講頭職は空位に、そして何ら関係のない法華講連合会の大講頭らも同じくその資格を失っている。つまり、宗門は、敢(あ)えて罷免処分を回避し、かかる措置をとることによって、大作が反省悔悟(かいご)することに一縷(いちゑ)の期待を残していたのである。

 しかし、宗門の措置に色をなした大作は、反省悔悟どころか、かえって宗門攻撃を創価学会全組織に指導し、創価学会もまたこれに従って、異常なまでの宗門攻撃を始めた。中には、常規を逸した過激な行動や、犯罪まで犯す学会員すら出る始末であった。宗門はその後も教導し続けたが、創価学会は一向に聞き入れず、もはや正しい信徒団体として立ち直ることは到底期待できないことから、やむなく、平成3年11月、創価学会を破門処分に付した。

 以来20年、創価学会は宗門への悪口雑言と誹謗中傷の限りを尽くし、哀れにも創価学会員は、大謗法の言辞を来る日も来る日も聞かされて洗脳され続け、今やその生命の奧底にまで染みついてしまっている。


池田大作は仏法破壊の大法謗者

 この悪業の原因はひとえに大作の大謗法にある。すなわち、創価学会問題の元凶は、池田大作の邪心にあり、まさに大作こそ創価学会の大謗法の首謀者、諸悪の根源に他ならない。創価学会問題とは、取りも直さず、池田大作問題なのである。

 平成2年11月の大作のスピーチを聞き、多くの学会員はなぜその過ちに気付かないのであろう。なぜその後の大謗法にまで加担してしまったのであろうか。

 前御法主日顕上人猊下は、かつて、法華経の示される俗衆増上慢について御教示され、「この無智の者ということは、すなわち自分の考えで正しく物事を判断することのできない者をいうのであります。人から言われ、組織から教えられれば、それがいかなる間違ったことでも、それを見抜くことができずに盲従し、そして正しく法を護る者をあくまで憎み謗(そし)るという姿が、法華経にはっきり予証されておる」(大白法387号)と、創価学会末端会員の哀れな姿を指摘されている。

 平成2年の大作のスピーチは、かつての52年路線の大謗法を彷彿(ほうふつ)させるものであり、本宗の正しい信解に立てば、正邪の峻別(しゅんべつ)は容易である。しかし、大作の毒気が深く生命に染み入った学会員は、法華経に示される俗衆増上慢の「無智」の姿のままに、自分で正しい判断をすることもできずに周りに踊らされ、謗法を重ね続けてしまった。あるいは、脅され賺(すか)された者もいるかも知れない。

 大聖人は『開目抄』に、「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」(御書572ページ)と御教示である。正法に背けば「地獄の業」であり、大聖人は予(かね)てこれを厳しく諭(さと)されている。にもかかわらず、多くの創価学会会員は、池田大作の強い邪心に魅入られ、その呪縛から今なお逃れられない。またそのことに気付くこともできないのである。


 第66世日達上人は、かつて52年路線の収束に当たり、「今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。(中略)これまでの経緯(いきさつ)は水に流して、大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力していただきたいのであります」(聖教新聞 昭和54年5月4日付)と御指南された。日達上人は大作の反省悔悟と、過ちは再び繰り返さないという誓いを酌(く)まれて、52年路線の反省を受け入れられたのである。

 そして、日達上人の後に御登座された日顕上人も、その方針を踏襲され、大作の反省悔悟を心から信用されて、創価学会を教導あそばされてきた。特に、正信会問題の渦中にあっては、創価学会を非難攻撃する余り、日顕上人の血脈相承まで否定する者すら現れる中、日顕上人は創価学会を擁護されつつ、常に正信へと導かれてきたのである。これら日達上人の御観如(かんにょ)も日顕上人の御教導も、すべて大作の反省悔悟を真摯なものと信頼されてのことであった。

 にもかかわらず、大作は日達上人と日顕上人の大慈悲を踏みにじり、性懲りもなく、再び大謗法のスピーチ行ったのである。この「再犯」は、52年路線の収束の大前提になっている反省が真意に出たものではなく、単に表面上を取り繕(つくろ)っただけの偽装に過ぎなかったことを雄弁に物語っている。すなわち、大作のスピーチは、日達上人や日顕上人に対する反省恭順の姿勢が、全くの偽りであった何よりの証拠である。そればかりではない。戸田二代会長の熱誠を受け創価学会は見守られた第59世日亨上人や、さらなる飛躍を期待して創価学会の宗教法人化を許された第64世日昇上人、常に大らかに創価学会を教導され続けた第65世日淳上人に対する背信でもある。

 すなわち、大作の一連の所業は、日顕上人のみならず、大慈悲をもって創価学会を正しく導いて来られた歴代の御法主上人の御信頼をことごとく裏切り、蹂躙(じゅうりん)するものである。これは血脈の尊厳を冒涜するものと言わざるを得ず、日蓮正宗の三宝を破壊する大悪業に他ならない。

 この悪逆非道を何と見るか。宗門史において、果たしてこれほどの悪人がいたであろうか。池田大作は稀代(きだい)の大謗法者であり、一切衆生を三悪道に引きずり込む、現代の第六天魔王というべきである。



日蓮正宗は正法広布へ大前進

 この20年を振り返るとき、創価学会は破門から2年後の平成5年に、日蓮正宗の御本尊を模造した通称『ニセ本尊』の作製・販売を開始したのを皮切りに、創価学会第2代会長・戸田城聖氏も激しく戒めていた謗法路線へとひた走る。

 いくつか例を挙げれば、僧侶不在・戒名なしの学会葬(友人葬)の開始。平成9年、秋谷会長(当時)が『謗法払い不要』を名言。この頃より謗法団体と親しく活動するようになる。その後、公明党の現職議員が御輿(みこし)を担ぐ。また、平成14年には創価学会会員則を変更して、『日蓮正宗の教義』を放棄し、『本門戒壇の大御本尊を根本』とすることをやめた。さらに平成16年になると、五座三座の勤行を廃止し、「方便品・自我偈の読誦と唱題」を正式な勤行とすると発表。こうして、本尊・教義・化儀を次々と改変していった。

 正法の門より出でて三宝を破壊する「現代の一凶創価学会」。創価学会員の一人ひとりは、池田大作の邪心に取り憑かれ、火宅の中で遊び続ける子供そのものである。このままでは決して幸福になどなれるはずなく、一刻も早く大謗法と決別し、勇気をもって寺院に参詣し、正しい信行に邁進することのみが、創価学会員にとっての正しい実践行動である。

 我ら本宗僧俗は、そのことを正しく創価学会員に教え、正法へと導いていくという重大な使命がある。その実践と行動こそが、本年の大きな節目に相応(ふさわ)しい我らの信行であると堅く自覚する。

 創価学会が宗門を攻撃し、大謗法を重ね続けた20年。平成6年の地涌六万大総会、同10年の十万総登山、同14年の三十万総登山、そして同21年の七万五千大結集総会と、我らは正法広布に大きな足跡を残しつつ大前進してきた。その絶大な功徳は、一人ひとりに具わり生命に刻みこまれているのである。この大いなる功徳をもって、平成27年、平成33年の誓願成就と未来広布に向かって、さらに力強く大前進していこうではないか。


創価学会員を救えるのは本門戒壇の大御本尊のみ

 大聖人は「正法治国・邪法乱国」の道理を『立正安国論』に著された。さらに、「之れに準じて之を思ふに未来も亦然るべきか。此の書は徴(しるし)有る文なり」(御書420ページ)と、未来においても、謗法の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)が国難を招くという道理は、変わることがないと御教えてくださっている。

 翻って、本年3月には、東日本大震災という、未曽有の大災害に見舞われた。さらに、巨大な台風被害をはじめ、日本のみならず、世界的規模で異常気象も後を絶たず、経済問題は深刻である。

 大聖人は、「早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断つべし」(同247ページ)と災難を防ぐための方途を御教えてくださっている。特に、本年に惹起(じゃっき)した国難、大災害によつ被害の大きさを考えれば、謗法の力は絶大である。我らはこの節目の因縁を正しく捉えなければならない。

 総本山大石寺に在(ましま)す本門戒壇の大御本尊を離れての救済はない。創価学会員を正しい信仰に導くことができるのは、私たち法華講員のみである。破門20年という節目の時に当たり、改めて創価学会員の折伏に立ち上がろう。



池田創価学会 20年の悪行

 創価学会では、これまで様々な口実をつけて、膨大な訴訟を宗門相手に起こしてきたが、記録的大敗に終わっている。この姿一つにとっても、創価学会による宗門攻撃は、社会常識にも悖(もと)り、世間から嫌悪される狂態である。

 その中でも、別掲のブラジルの大陰謀は、国家をも巻き込んだ巨大な策謀であり、自分たちに敵対する者に対しては「悪用」「不法」もお構いなく、持てる政治力と思いついた手段を馳駆して、「異様」な妨害工作をも画策する。この陰湿さと卑劣さは、池田大作の邪心と感応した、濁りきった生命そのままの姿である。そしてこの大謗法の害毒が、創価学会組織の隅々まで、さらに日本だけでなく遠い世界の国々にまで及び、強く大きく蔓延(はびこ)っていることを証明している。世界中に数多(あまた)の謗法があれど、これだけ正法広布を妬み、陰に陽に妨害し続ける者はない。三大秘法の大白法をこれだけ冒涜(ぼうとく)し、蹂躙(じゅうりん)する者はいない。

 社会から常識・法律の上に指弾されるのみならず、仏法上においてさらに許されない悪行を重ねている。その最もたるものが『ニセ本尊』の作製・販売であり、学会葬(友人葬)である。

 まさに創価学会こそ、現代における一凶に他ならず、これに従っていて幸福になどなれる道理はなく、その罪過が学会員に生活に現証として続出することは必定と言わねばならない。よって、一日も早くその悪縁を絶ち切らなければならない。


・『ニセ本尊』販売

 日蓮正宗から破門された後、宗門から御本尊が下付されなくなったため、平成5年、ついに自前の本尊の作製・販売を始めた。この本尊を宗門では『ニセ本尊』と呼ぶが、その理由は、

  1. 総本山第二十六世日寛上人がお認(したた)めになられた御本尊をコピーし、授与書きを削り取るなど、勝手に改ざんした物である。
  2. 唯授一人の相伝による開眼がなく、御法主上人の許可がない。
  3. 総本山から下付されものではない。
主にこの3点があげられる。

 かつて、創価学会第2代会長・戸田城聖氏が御本尊について、代々の御法主上人が允可(いんか)・下付されてない『ニセ本尊』には、「魔性の力が入っている。だからコワイ」とはっきり、断言している。大謗法の「魔性」が入った『ニセ本尊』を作製し、創価学会員に販売している。


・世間も大顰蹙の学会葬(友人葬)

 創価学会で行われる葬儀は、学会作製の『ニセ本尊』を斎場に掛けて、在家幹部が読経・唱題の導師を勤め、位牌には戒名ではなく故人の俗名が書かれる。

 どうしても僧侶に来てほしいと言うと、正法を信行することができなくなった脱落僧を連れてきて導師をさせるという。(こういう人を僧侶とは言わず、還俗(けんぞく)者とか売僧(まいす)と呼ぶ)

 正しい葬儀は、大聖人の時代から僧侶が導師をして執り行われていた。大聖人の葬儀を記録した『宗祖御遷化記録』にその詳細な様子は明らかで、日興上人も、大聖人がなされた通りに、僧侶が導師をして葬儀を営まれた旨が記録に残されている。

 また戒名は、大聖人が御父に「妙日」、御母「妙蓮」という戒名を授けられているこのも明らかなように、創価学会が言うような後の時代になって発明されたものなどではない。そもそも、背広を着た在家が葬儀で導師をしている姿に、近隣・有縁の参加者から疑問の声が上がっているとはよく聞く話である。日蓮正宗の葬儀を誹謗した挙句(あげく)、『ニセ本尊』を掛けて、僧侶でもない者に引導を渡されるとしたら、成仏どころかその先は堕地獄に間違いない。


・国会議員をも動員したブラジルでの大陰謀

 ブラジルでは、言語や文化の違いもある中、正法広布が着実に進展してきた。しかし、創価学会はこれを妬み、何とか宗門の活動を妨害せんと、政治力等を最大限に使って画策したのである。幸いにも、正法の功徳と関係者各位の数年にわたる多大な尽力もあり、すべての問題は正しく解決したが、その経緯の中で、創価学会の驚くべき謀略が露見した。

 ブラジル政府の公用書簡は、この謀略を次のように記載している。「法務省が収集した情報によれば、本件事案は、敵対する2つの宗教団体間の紛争であるが、その一方当事者は『創価学会』という団体であって、これが日蓮正宗に敵対し、この紛争にブラジル政府を巻き込もうとしているものである(中略)宗教団体『日蓮正宗』のブラジルにおける活動について日本の参議院議員が述べたところは、偏向したものであって、同人の所属する政党は『創価学会』と緊密な関係を有するものである」(外務大臣・2005年8月24日付文書)

 創価学会は、日本の参議院議員まで動員して。ブラジル政府に働きかけた。この議員は、創価学会と緊密な関係を有する政党に所属しているという。これが何党を指すものか、もはや指摘するまであるまい。

 彼らは、既にブラジルで活動する僧侶のビザを停止させ、日本へ強制退去させようと企(たくら)んだ。さらに、サンパウロ市に新たに建立された正法寺の落慶入仏法要へ御下向される日顕上人のビザを発給させないよう画策し、宗門の宗教活動を妨害しようと謀(はか)ったのである。結局、この策略は失敗に終わり、日顕上人はサンパウロ市・正法寺に御親教あそばされた。また、現地僧侶たちは、正当なビザを得て今も現地で正法広布に邁進している。

 さらにブラジル連邦上院の憲法・司法・市民委員会から、議会に提出された意見書には、この件について、「連邦憲法に規定されている本来の権利が悪用されたもの(中略)宗教の自由という基本的人権を阻害するなど、第三者に対して害悪を加えるために、国の官僚機構を操作する目的で不法に利用されたもの」(2008年第540号)と指摘さら、さらには、「きわめて異様」(同)とまで、述べられて、創価学会の策略が弾劾されている。