聖教新聞9月29日 2面

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阿部日顕の「シアトル事件」裁判の第二十五回口頭弁論が二十八日、
東京地方裁判所七〇九号法廷(下田文男裁判長)で行われた。

この裁判で宗門側は最近になり、
当時のアメリカ空軍などの一部資料だけを頼りに、
事件に立ち会った元警察官ロナルド・スプリンクル氏が当時、
軍務のためシアトル警察を休職中で、
一九六三年(昭和三十八年)三月のシアトル事件の現場にはいなかったなどと主張。
「大白法」号外などでも、大騒きをしていた。

しかし、この日、
学会側は宗門側の主張を崩す証拠の一部を提出。宗門側の主張が、
いかにいい加減なものであるかを明らかにした。

その一つが、事件当夜、
スプリンクル氏のパートナーとして事件を処理したバーナード・メイリー氏の宣誓供述書である。
この中でメイリー氏は、最近、
宗門側調査員から「事件当時スプリンクルは軍隊にいたことを証明する記録がある」
「このままだと大変なことになる」と脅迫されたと供述。
しかし、こうした脅迫行為にも関わらず、
事件の際のパートナーはスプリンクル氏であり、
スプリンクル氏とともにアジア人僧侶に関する事件に関与した記憶が明瞭であること。
また健康が許せば日本の法廷で証言する用意があることを明確に供述している。

また、シアトル警察の元警察官で、事件直後、
スプリンクル氏から事件に関する話を聞かされたという旨の宣誓供述書をすでに提出しているエドウィン・マリオン氏も、
今回の供述書で、メイリー氏と同様に宗門側から脅迫行為があったことを述べた上で、
それでも、これまでの供述を変えるつもりが全くないことを述べるとともに、
自らが陸軍軍務局長の事務所で働いていた経験がら、
宗門側が主張の根拠としている軍の命令書の記載内容というものが不正確で、
実際とは違うことがしばしばあることを証言している。

宗門側がいかなる書類を示そうとも、重要なのは現実がどうであったかであり、
二人の供述が全く揺るがなかったことは、
スプリンクル氏が紛(まぎ)れもなく「シアトル事件」の現場に立ち会った警察官であることを改めて立証している。

さらに宗門側は、スプリンクル氏が事件当時、
空軍基地に完全拘束されていたかのように主張しているが、
これも事実ではないことが、学会側の証拠により明らかにされた。

それは、「シアトル・ポスト・インテリジェンサー」紙の一九六三年三月二十九日付の記事で、
これには同年二月十六日に結婚をしたスプリンクル氏がカナダに新婚旅行に行っていること。
また三月の段階では、宗門が主張するペインフィールド基地ではなく、
シアトル市の自宅に戻っていることが明記されているのである。

そして、シアトル警察の元副署長であり、
その後シアトル市を含むキング郡警察の長官等を歴任したヴァーノン・トーマス氏の宣誓供述書によれば、
警察官が軍務休暇を与えられた後でも、制服を着て夜勤の準備をして現れれば、
巡査部長は直ちに仕事を与えたはずである、というのである。

また宗門側は、警察官バッヂや拳銃の貸与記録からスプリンクル氏が事件当時、
バッジや拳銃を警察署に返納しており、所持していなかったと主張しているが、
この点についても学会側は反証。

シアトル警察の監査報告書や関係者の供述書によると、当時、
同署での物品管理はルーズであることに加え、
バッジや拳銃については「一時貸出」という制度もあったことなどから、
宗門側の資料だけでは、スプリンクル氏が事件当時、
バッジや拳銃を所持していなかったとは全く断言できないことが明らかにされた。
法廷で学会側弁護士は、
今後さらに反論の証拠を提出する予定であることも付け加えた。

なお、日顕の「手帳」に関する日本人専門家による新たな観点からの鑑定書も提出され、
日顕が事件否定の拠り所としている肝心の部分の記載が、
後日書き加えられたものであることが、改めて裏付けられた。

この日の学会側の明白かつ客観的な反証によって、
裁判最終段階での宗門側の苦し紛れの主張が事実と反することが、
一段と明らかになった。