偽造写真裁判の高裁判決について


 平成12年12月5日、東京高等裁判所第十六民事部において、偽造写真裁判の二審判決が言い渡された。判決文において鬼頭季郎裁判長は創価学会の報道について「客観的な報道ということはできず、修正の限度を越えている」として、東京地方裁判所の判決を踏襲し、また創価新報の記事についても「正当な言論や評論の域を越え、単に阿部日顕を揶揄し、誹謗、中傷するものとして、違法性を有するものというべきである」と違法性を認定した。

 したがって、本判決文は創価学会がいわゆる『芸者写真』等として報じた記事が、およそ事実と懸け離れた捏造であることを、地裁に引き続きいて、司直が「違法性」の語をもって明文化したものであり、平和・友好などと嘯く創価学会の悪しき実体を、社会正義の下に断罪したものであると評価することができる。

 ただし、原告(日蓮正宗・大石寺)が求めていた損害賠償請求については棄却されている。これは名誉毀損が親告罪であるも、日顕上人猊下本人が原告に名前を連ねていない点を創価学会側の弁護団に突かれた結果であると思われるが、もとより創価学会の一連の猊下に対する批判は必然的に日蓮正宗全体を攻撃対象と認識しての行動であり、地裁同様、原告に損害が発生した事実は認められるべきであった。(※例えば、創価学会は日蓮正宗のことを『日顕宗』などと誹謗しており、上記の関連性の証明は極めて容易であると考えられる)


 最高裁に臨むに当たって、まず第一に創価学会の社会的違法性を明文化した判決文が踏襲されること、第二に少額でも創価学会および池田大作に損害賠償命令が下されることを期待したい。

 今回、創価学会は会員に判決文の詳細を隠しつつ、愚かにも「全面勝訴」などと強がっているが、こうして会員を欺けるのは、判決が表面的には宗門の請求を却下する形になっているからである。

 司法が、社会秩序の維持と被害者の名誉回復の最終手段としての存在価値を発揮するためには、最高裁判決において、少なくとも東京地裁の判決文(特に主文)以上の確定性をもって創価学会の反社会性を断罪しなくてはならない。

以上



☆共同2000年12月5日

創価学会の機関紙の記事で名誉を傷つけられたとして、日蓮正宗と総本山の大石寺(静岡県富士宮市)が、創価学会と池田大作名誉会長に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は5日、計400万円の支払いを命じた一審東京地裁判決を取り消し、日蓮正宗側の請求を棄却した。 判決理由で鬼頭季郎裁判長は「記事は正当な言論の域を超え、単に日蓮正宗の阿部日顕法主を中傷するもの」と指摘。しかし「記事は阿部法主個人に向けられたもので、日蓮正宗や大石寺自体への中傷とは認められない」と述べた。 判決によると、創価新報は1992年11月、背景を塗りつぶすなどした写真に「得意のポーズでご満悦―。また出た、日顕の〃芸者遊び〃写真」との説明を付けるなどし、阿部法主を中傷する記事を掲載した。


☆YOMIURI ON-LINE 2000年12月5日

創価学会の機関紙「創価新報」の記事や写真で名誉を傷つけられたとして、日蓮正宗(阿部日顕管長)と総本山の大石寺(同)が法人として、創価学会と池田大作名誉会長に1億円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が5日、東京高裁であった。鬼頭季郎裁判長は「客観的な報道とは言えないが、阿部管長個人に向けられたもので、宗教法人に向けられたものではない」と、学会側に400万円の支払いを命じた東京地裁の判決を取り消し、学会側の逆転勝訴を言い渡した。 日蓮正宗宗務院の話「阿部管長への名誉棄損を認めながら、宗門の請求は認めないという不当判決だ」


☆週刊実話2000年12月28日号

「控訴審で創価学会側は、『創価新報』の報道は、創価学会と日蓮正宗の宗教教義上の批判、論争の一環であり、これに裁判所が名誉段損の成否を判断することは、憲法20条規定の信教の自由を侵すと主張。写真の偽造については日顕法主が芸者出席の宴席にいたという事実は曲げていない、激烈な表現も宗教対立には一般的なことだとして、日蓮正宗側の請求を棄却するよう求めました。これに対して日蓮正宗側は、『創価新報』の報道に日顕法主ならびに日蓮正宗を貶(おとし)めることを目的とした悪意に基づいた報道であると主張。意図的に写真を偽造して虚偽事実を作り出し、その虚偽事実に基づいて日蓮正宗を激しく攻撃したことは、一宗教団体の機関紙であっても、とうてい許せるものではないと、名誉段損の成立を求めました」(司法担当記者)。

両者の主張に対して裁判所は、『創価新報』の報道は、創価学会側が主張するような宗教教義上の論争の一環とは言い難いと認定。その上で、創価学会側の写真偽造についても、「本件写真は、撮影当時、他に、2人の僧侶がいたにもかかわらず、写真を見た者に対し、阿部日顕1人が酒席で芸者遊びをしているとの実際の状況とは異なった印象を抱かせるのに十分。これをもって客観的な報道ということはできず、修正の限度を超えている」などと指摘。さらには「希代の遊蕩坊主」などの表現についても、「控訴人(学会側)が主張するような日蓮正宗の宗教上の教義に関わる問題や阿部日顕の宗教的聖性についての論争、さらには、正当な言論や評論の域を越え、誹講、中傷するものとして、違法性を有する」として、創価学会・池田氏側の主張を全面的に退け、その違法性を明確に認定したのだ。

ところが、ここまで創価学会・池田氏の違法性を認定していながら、裁判所はなぜか大ドンデン返しを図ったのである。宗教事件に詳しい弁護士が裁判所の判断をこう解説する。「裁判所は創価学会・池田大作氏の日顕法主に対する名誉毀損は明確に認めています。ところが、この裁判の原告は、日蓮正宗と大石寺なんです。そこで裁判所は、日顕法主に対する名誉段損は成立するが、それがそのまま日蓮正宗と大石寺に対する名誉毀損として当てはまるものではないと主張。原告である日蓮正宗・大石寺の請求を棄却し、創価学会勝訴の判決を言い渡したのです」日蓮正宗にすれば肩すかしを食ったような判決である。

これに対して創価学会は、『聖教新聞』12月6日号で「日顕の芸者写真訴訟 学会側が『全面勝訴』東京高裁が逆転判決」との大見出しを付け、日顕法主に対する名誉毀損の成立が認定されたことには一行もふれず、あたかも『創価新報』の報道が正しかったかのごとき〃大宣伝〃を行っているのである。