最近、また異流儀方面より戒壇の大御本尊様に対し奉る誹謗が蒸し返されているので、平成11年9月の御法主日顕上人猊下の御指南を再掲する。法華講員であれば、毎年の総本山における御霊宝虫払大法会の代表登山に参詣させていただいて、「日禅授与の御本尊」を間近に拝見する機会があるのであり、このような中傷が全くの的外れであることはご承知の通りである。ちなみに、元来は北山本門寺に伝わっていたとされる日禅授与の御本尊が、法道院を経て、大石寺に奉納されたのは昭和45年であり、それ以降に大御本尊様が造立されたなどという馬鹿な話しは全くあり得ないのである。(妙音)

御法主日顕上人猊下御指南


 最近、宗内僧侶・河辺慈篤房が書いたというメモが、本人の承諾なく、盗人の手によって創価学会に流れ、それを悪用した創価学会が、機関紙聖教新聞・創価新報等にその記事が真実であるとして、野衲日顕の本門戒壇の大御本尊に対する不信不敬なりとする悪口誹謗の記事を掲載している。

 既に戒壇の大御本尊様に背き、歴代血脈の法主上人にも悪口三昧の限りを尽す下種三宝破壊の池田大作以下創価学会の者共が、寸言のメモを根拠として、日蓮正宗宗旨の大事について論ずる事自体僭越の極みであり、資格なき者の戯論である。一顧の価値もない邪論と断ずる。

 従って、前に宗務院より発した通知で充分その意を汲まれるものと思量したのであるが、河辺メモと称するものが不正確な記述の為、聖教新聞等の邪説の誹謗を見た宗内僧俗の中に、万一にも不透明感を持つ者があるやの事を考慮し一文を草する。


 いわゆる河辺メモは、客観的な言旨を極めて自己の主観的な形に書き変えた慈篤房の記録ミスである。則ち主として創価学会の存在によって生じた日蓮正宗に対する種々の批判中の一環として、御本尊と血脈等に関する疑難悪口があることの内容について、ある時に慈篤房と客観的な話しをしたような記憶は存する。しかし学会で発表したあのメモのような諸件についての主張をしたことは断じてないのである。

 そこで此の際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅授与の御本尊とは全く相違しているという事である。よく拝すれば中尊の七字の寸法と全体からの御位置においても、明らかに異なりが存し、また御署名・御花押の御文字及びその大きさや御位置、各十界尊形の位置等にも歴然たる相異が存する。そして勿論模写の形跡などは存在しない。

 したがって御戒壇様と日禅授与の御本尊とを類推すること自体が全くの誤りであり、この事をはっきり、述べておくものである。


 次に教義信条の面より拝するに、宗祖大聖人御化導の正義は仏像の造立に非ず、大曼荼羅本尊の顕発と弘通に存する。その御正意は弘安元年以降の御本尊境智の究竟人法一箇の上の三大秘法の整足、即ちその御当体は本門戒壇の大御本尊にましますのであり、故に古来、三大秘法惣在の御本尊と拝称し奉るのである。この三大秘法の究極の法体こそ宗祖大聖人の御正意であると共に、御書全体の正義であり、また大聖人日興上人の唯我与我の血脈の本旨である。

 この教義信条に基いて一器の水を一器に移す如く、宗祖大聖人本懐の三大秘法の深義が伝承されており、その根本の御本尊として格護されて来たのが本門戒壇の大御本尊である。

 故に野衲も先師日達上人よりの付法に基き、登座以来二十年、身命を捧げて御護り申し上げて来たのである。否、それ以前の宗門教師の時より已来、変わらざる信念と覚悟を以て執筆、言論等にこの教義信仰の大事を陳べて来たものである。


 蓋し、創価学会の行為たるや、仏法尊重の念は寸分もなく、いよいよ御本仏日蓮大聖人、下種の大法に違背する仏敵たる本性を暴露しているのである。

 宗内の諸賢には、このような為にする創価学会の罵詈讒謗の根底を見抜いて、ますます信心の志を強く持ち、仏敵に対する破邪の剣を磨かれることを祈る次第である。


已 上 
     平成十一年九月十八日
日 顕  
  宗 内 僧 俗 各 位