資料@(宗務院より創価学会宛ての第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね)


創価学会会長秋谷栄之助殿

去る12月13日の連絡会議の席上において、11月16日第35回本部幹部会における池田名誉会長の発言に関するお尋ねの文書をお渡ししようといたしましたが、出処不明のテープを本とした文書は受け取ることができないとの理由にて受領を拒絶されました。

宗務院として、このテープについて数本のテープと照合しつつ、厳密な調査をいたしましたところ、改竄されたものではないことが判明いたしました。さらに、11月28日のスピーチの全国衛星放送の会場に出席した信徒からも、手紙や電話によって、疑問や不信の声が、総本山・宗務院へ寄せられております。この問題は、極めて重要な内谷を含んでおりますので、話し合いによる解決は不可能と考えます。よって、改めてこの文書を送達いたしますから、到達の日より7日以内に宗務院へ必着するよう、文書をもって責任ある回答を願います。

以上 平成2年12月26日


第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね

創価学会会長秋谷栄之助殿

この度、平成2年11月16日、第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチのテープを聞きました。それによると、聖教新聞の内容と大幅に違っており、特に宗門に関することが故意に削られ改作されていることがわかりました。しかも衛星中継をもって全国の学会員に放送するため、当日のテレビ放映と新聞の内容の違いに不審を抱いた学会員から、学会について行けない旨の手紙が寄せられております。確かにテープの中には、昭和53年6・30、11・7等で確認されたことが、まったく忘れ去られている感もありますので、改めて拾い挙げてみました。何卒、責任ある回答を示されますよう、お願いいたします。


(1) 御法主上人・宗門に関ずる件

1 「文化運動、ね。文化も一生懸命、今、仏法を基調にしてね、文化・平和。文化は要らないと、詩法だ。もうわけがわからない、ね。なんにも苦労していないから。本当のことを、社会を知らないから、折伏もしていないから。(日達上人の昭和50年のNSAの第12回の総会の平和文化運動に関するメッセージを引いて)それがいけないって言うんですよ。折伏だけで、全部教条的にね、やれおかしいよって言うんだ。おかしいよ」

2 「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません。」

3 「全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ、ドイツ語聞いていろみたいにね。それで『俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者って。そんなのありませんよ、この時代に。時代とともにやればいい、学会は。」

4 「あくまで御書です。御本尊です、法は。これが解かればいいんです。あと、ちゃんと日淳上人、それから堀猊下、全部日達上人、きちーっと学会を守ってますよね。」

以上の1から4は、名誉会長の今回のスピーチの中からその流れに沿って拾い出したものであります。昭和55年4月2日の聖教新聞に、「恩師の二十三回忌に思う」と題する名誉会長の所感が掲載されておりますがそこでは、「学会は、絶対尊崇の本源たる本門下種人法一箇の御本尊、宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本とし、永遠に代々の御法主上人狙下を仏法の師と仰ぎ奉リ、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。」

また、会員各位に対しては、

「今一度、学会の存立基盤に立ち戻リ、あくまでも外護と布教という根本の宗教活動を主体とし、そのうえで、社会的存在としての文化活動を推進してまいるようお願いしたい。その意味から、僧俗の和合をあくまでも根本とし、学会の使命遂行には、いささかも揺るぐことなき信心の大確信を堅持し、社会との融合を図りながら、広宣流布を進めていかねばなりません。」

と創価学金の基本姿勢を述べられております。この名誉会長の所感にありますとおリ、日蓮正宗では、古来人法一箇の御本尊即大聖人を信仰の根幹とし、また大聖人の法体を継承遊ばされたすべての歴代御法主上人を正法の正師と拝し奉ってまいりました。すなわち、歴代の御法主上人は、法体を護持継承される上から御本尊を書写され、またそれぞれの時代に応じて種々御指南されたのであります。したがって、現時点においては、日顕上人を仏法における根本の師匠、大導師と仰ぎ奉り、信伏随従する信仰姿勢が僧俗ともに肝要であることは、申すまでもありません。また、創価学会の基本姿勢についても、日蓮正宗の信徒団体として、僧俗和合を根本に、布教活動を行い、それに伴う文化活動を推進していくことは大変大事なことであります。その意味で、名誉会長の「恩師の二十三回忌に思う」との所感は、まさに正論であるといえましょう。

しかし、今回のスピーチは、その正論を述べられた名誉会長の言葉とは思えない内容であります。宗務院といたしましては、こうした発言の中に、名誉会長の本心、また血脈に対する拝し方に、大きな疑いをもつものであります。以下、その問題点を挙げてみたいと思います。

第一番目に、聖教新聞紙上において、頻繁に「悪しき権威・権力と戦う」という語が見られますが、大概の場合、その「悪しき権威・権力」というものが、何を意味するのか明らかではありません。しかし、2の発言によれば、「悪しき権威・権力」とは別して御法主上人を指していることがわかります。しかも、この発言によれば、「現猊下は法主という権威に身を寄せて権力を振りかざすばかりで、信徒の幸福などはまったく考えていない」ということを言っているのであります。このように、名誉会長は御法主上人に対して「権力」と決めつけておりますが、創価学会でいう「悪しき権威・権力と戦う」の「悪しき権威・権力」が、なぜ御法主上人に相当するのか、お示しいただきたいと思います。

また、第二番目に3の発言は、主語はないけれども、これを見聞した人は、明らかに御法主上人に対する言葉と受け止めるものと思います。すなわち、猊下の御説法・御指南というものは、外国語を聞くようにただ難しいだけで、信徒にとって現実的に役に立たないものと決めつけております。御法主上人の御指南にも、御説法、お言葉、その他種々の内容があり、その中で、特に御説法は、本宗の甚深の法義を説くのでありますから、難しいのは当然であります。信徒として、深く拝聴理解すべく心掛けるのが当然であるにもかかわらず、このように批評するのは、御法主上人を蔑視するものであります。また、「俺偉いんだ。お前ども」等の発言は、まさに日顕上人を指していると思われますが、日顕上人は、かつてそのようなことを言われたことは、一度もありません。これらは、明らかに御法主上人に対する誣告であると思いますが、御意見を聞かせていただきたいと思います。

第三番目に、創価学会の推進する仏法を基調とした平和文化活動につきましては、名誉会長自身が「恩師の二十三回忌に思う」の中で、折伏弘教と外護を根幹とした文化活動を推進するという大義を述べております。また、日達上人の賛同された御指南も多くありましたし、同様に現御法主上人も代替奉告法要、あるいは日目上人の第650回遠忌の折に、本当の意味で仏法を基調とする平和文化活動は大聖人の仏法を宣揚していく上で大事なことであると説かれております。ところが、これも主語はありませんが、前後の流れから、御法主上人を指していると思われる、1の発言によれば、「かつて折伏をされたことがまったくなく、布教について何も苦労したことのない世間的無知であるから、平和文化活動を理解出来ずに無条件に否定する」ということであります。まず、御法主上人は、いつ、どこで、仏法を基調とする平和文化活動を否定し、謗法だなどと言われていますか、お伺いいたします。また、多くの会員の前で、このようなことを公言している池田名誉会長の不遜な言動に対して、どう責任を取られるのでしょうか。

第四番目に、2の発言では、「猊下というものは」などと、御法主上人を指導、もしくは批評するごとき言語表現が、公然となされておりますが、日蓮正宗の信仰をする者として、あまりにも謙虚さに欠けた慢心の言であると思いますが、創価学会としてこうした発言に対し、どのように申し開きをされますか。

第五番目に、4の発言でありますが、ここで、59世日亨上人、65世日淳上人、66世日達上人が、学会を守って下さっていると言っておりますが、日達上人の御在職中の、いわゆる52年路線のころ、創価学会の教義の逸脱について、日達上人から、

「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。」

等と、厳しい御指南があったのも事実であります。にもかかわらず、そのような御指南には一切触れずに、都合のいいところだけを引用し、創価学会は60年の歴史の中において、まったく間違いがなく、間違いはすべて宗門の側にあったように述べておリます。そして、学会のやっていることに対して御先師方が理解を示され、学会を守られたという表現にすり替えているのであります。また、この一連の言葉の裏には、当然現御法主上人が学会に対して理解を示さない、学会を守らないという意味を含んでいるものと解釈されます。しかし、正信会から学会及び名誉会長を守られたのも、また名誉会長を総講頭に再任されたのも現御法主上人であります。したがって、「〈今の)猊下はまったく学会を守ってくれない」と考えるのは、まったく過去に受けた恩義を省みない無慙な心であると思いますが、いかがでしょうか。


(2)創価学会創立50周年当時の回顧の件

池田名誉会長はスピーチの中で、創価学会の創立50周年当時を回顧して、

「50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から。馬鹿にされ、そいでその上北条さんが『もう、お先まっ暗ですね。』『何を言うか、60周年を見ろもう絢爛たる最高の実が、60周年が来るから元気だせ。』会長だから、これがよ。私は名誉会長だ。『そうでしょうか。』馬鹿かー。本当にもう、誰をか頼りに戦わんですよ、本当に」

と言われております。この発言は事実に反するばかりか、宗門に対する怨念すら窺われる内容てあり、52年路線に見られた教義上の逸脱への反省が、全く忘れられているように思います。いわゆる北条新体制発足に先立ち、昭和53年11月7日、総本山において行なわれた全国教師総会並創価学会代表幹部会の席上、名誉会長は、

「先程来、理事長、副会長等から、僧俗和合の路線の確認、その他の問題について、いろいろと話がありましたが、これは総務会議、県長会議、各部最高会議の全員一致による決定であり、また私の決意であります。」

と述べられ、ついで昭和55年4月2日、池田名誉会長の「恩師の二十三回忌に思う」と題する所感の中に、

「創価学会が急速に拡大し、膨大化した結果、とくに近年、現実社会への対応に目を向けるあまり、信徒として、もっとも大切な御宗門との間に、さまざまな不協和を生じてしまったことは、まことに残念なことであります。」
「私が展開した昭和52年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります。」

と述べられているように、会長在職中の指導に教義の逸脱があり、それが宗内において、重要な問題となったためにその責任をとり、自らの意志に基づいて会長職を辞任したのであります。すなわち、

「昨年4月24日、私が会長を勇退し、合議と協調を基調とした新会則を制定し、規則の改正を図り、そのもとに、北条第四代会長の体制が誕生したのも、安定路線を具体化するためのあらわれの一つでありました。」

と、後進に道を開くために、自ら進んで勇退したことを言明されております。それを今になって、

「会長を辞めさせられ」「宗門から散々にやられ」

と公言するのは、まったく自話相違であります。よって、この発言を撤回し、改めて自らの意思で辞任したことを表明すべきであります。

また、52年路線の学会問題から正信会問題へと移行する史実の取り扱いについてでありますが、史実としては、創価学会の52年路線という教義上の逸脱があり、それに対する宗門からの戒めと学会の反省があったことは、先程来引用の名誉会長の所感やスピーチによっても明らかであります。この反省を前提として、御法主上人が、創価学会並びに池田名誉会長を守られたのであります。しかるに、正信会の輩は、これを不服として血脈二管論等に代表される血脈否定の大謗法と、それに伴う教義上の異説を唱えたために、宗門から擯斥されたのであります。

ところが近年、名誉会長のスピーチの中で、かつての宗門問題を取り上げるとき、「僧という立場、衣の権威を利用して、健気に信・行・学にいそしむ仏子を謗法呼ばわりし、迫害した悪侶らがいた」という趣旨のことが言われております。すなわち、創価学会における教義上の逸脱を覆い隠し、学会にはまったく非がなかったような言い方をしておりますが、これは、正信会の名を借りて宗門を批判し会員に宗門不信を懐かせることを目的としているように思います。また、正信会に関することを述べる場合、学会の逸脱の問題から述べなければ、信徒に事実と反する誤認を懐かせ、宗門や寺院、僧侶等に対する不信を招く結果となることは明白であります。これらのことについて、学会はどのように考えておりましょうか、お示しいただきたいと思います。


(3)僧侶軽視の発言に関する件

「全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ、ドイツ語聞いているみたいにね。それで『俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者』って。そんなのありませんよ、この時代に。」
「大聖人が我が門下の死は、私どもの死は、信者の死なんて言わないです、大聖人は。そういうことはほとんどないです。門下、我が一類とかね、正信会なんて『信者、信者』言って、みんな信者だ、御本尊のよ、坊さんだって。違いますか、坊さんだけほか拝んでんのかよ。」
「今はですよ、出家ってもね、あのー、ちゃんと奥さんをもらって赤ちゃんつくってさ。」

等々と、「正信会の僧侶」と言いつつも、明らかに現宗門の僧侶に宛てて非難しておりますが、これは僧侶軽視の発言であります。日顕上人は、昭和55年11月26日の学会創立50周年記念幹部登山会の折に、宗門僧俗の在リ方について、

「宗門は法主があり、また、多くの僧侶があって法を内から守り、在家信徒は法を外よリ護るのであります。また大聖人より唯授一人の血脈を伝える法主も、僧のなかからでてくるのであります。ゆえに、一番基本的な認識として、涅槃経に『内には智慧の弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん』という文をもって、僧俗を戒められているごとく、僧侶が厳として法を伝えてきたこと、また、今日以後も永遠に法を伝えていくのであることを、十分考えていただきたいと思います。しかして、そのうえで僧俗和合して広宣流布に向かって前進していくことこそ肝要であります。」

と御指南遊ばされ、それを受けて北条会長は、創価学会を代表して、

「御指南を賜った諸々の点については、学会をもっともよく御理解く旭さり、永い将来を慮り、御嚮導くださった深い御慈愛と拝し、着実に実践に移して正法広布の大道を誤りなく前進していきたい。」

と応えられております。これこそ僧俗和合して、広宣流布への大道を進む日蓮正宗の万代に至る在り方でなければならないと思います。また、信者・信徒という言葉が、在家の門下に対し、あたかも侮辱しているようにとって、「そんなのありませんよ」という批判があります。しかし、日有上人の化儀抄にも、

「信者門徒より来たる一切の酒をば…」

とあり、また本宗宗制第三条にも、

「この法人は(乃至)広宣流布のため信者を教化育成し…。」

とあって、信者なる語が格別に侮辱的な言辞とは思われません。諸橋大漢和辞典では、信者の項には、「宗教を信仰する者。教徒。信徒。」とあり、また信徒の項には、ただ二字のみ「信者」とあリます。つまり、信者・信徒の語には、なんら在家を見下し、侮辱するような意味はありません。むしろ日蓮正宗の在家の信仰者として、胸を張って「私は日蓮正宗の信者・信徒である」と自負すべきであります。したがって、信者・信徒という言い方が、在家の方を馬鹿にしているという道理はまったくないのに、このようなことで、僧侶を批判されるのは、かえって池田名誉会長が、その短見を暴露されるだけであります。もし、僧侶のなかで「信徒ども」などと言って、信徒を見下している者がいるなら、具体的にお示しください。


また、僧侶も御本尊を拝するという上から、一応信者であることには間違いありませんが、日有上人は化儀抄に、

「貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」

と仰せられ、また昭和55年の特別学習会テキストには、創価学会において、

「この点、私達は日蓮正宗の信徒であることの意義を明確にし、僧侶に対しても礼節を重んじ、信徒としての姿勢を正すなかに僧俗和合の道を進めてまいりたいと思います」

と、僧俗の立て一分けを示しております。このように、御本尊を拝する姿においては、一応平等でありますが、そこには当然僧俗の区別があり、礼儀をわきまえなければなりません。それにもかかわらず、

「みんな信者だ、御本尊のよ、坊さんだって。違いますか、坊さんだけほか拝んでんのかよ。」

と、野卑な言葉で、あたかも僧俗がまったく対等の立場にあるように言うのは、信徒としての節度・礼節をわきまえず、僧俗の秩序を失うものであると思いますが、どのように弁明されるのでしょうか。特別学習会での基本内容との食違いも含めて、お示しいただきたいと思います。


次に、

「今はですよ。出家ってもね、あの−、ちゃんと奥さんをもらって赤ちゃんつくってさ。」

と、あたかも小乗教の戒律を守る者が聖僧で、女房・子供を持つ僧侶は破戒僧のような言い方でありますが、寺院における寺族の役割は、並大抵のものではありません。こうした発言は、僧侶のイメージを悪くしようとするところの誹謗であると思いますが、いかがですか。


(四)宗門の布教と平和文化活動に関する件

布教について、日淳上人の御指南を引きながら、

「700年間折伏がそんなに出来なかったんですよ。よーく知っていらっしゃるんです。今はもう当たり前と思ってね。威張っている人がいる。とんでもない」

また、

「ゴ大統領は、新思考法といって、もう、どんなことでも模索している。同じ布教においても、こういうふうに、みんな一生懸命考えながら、工夫して折伏するのがないでしょう、ね。日蓮正宗で、いなかったんですよ。それを学会がやってるから、学会を絶対にすばらしい、ということであります。」

と、日蓮正宗では、700年間まったく折伏・布教ということをやってこなかった、あるいはまったく出来なかったと言われております。確かに創価学会の出現によって、大きく広宣流布が進んだのは事実でありますが、初代牧口会長を折伏したのは、法華講の三谷素啓氏であります。また、700年間の歴史の中には、宗史を飾る数々の法難が起きております。中でも加賀金沢においては最寄りの寺院もなく、藩の厳しい大石寺信仰の禁制の中にもかかわらず、不退の信心を貫いた信徒の姿は、久保家に伝えられる弘化3年12月15日の古文書に、

「久保家子孫代々に伝へまいらせ候。今日まで正宗の法華経唱へ奉り候へども、藩の取締り堅固なれば思ふままに信心致し難く、大石寺にまかリ出る事なかなか至難に相なり侯へば、ただひたすら襖の影より心ひそかに題目を唱へ居り候。何しか当家にも大声高らかに題目のひびき渡る時を祈り、正宗の経文を唱へらせたく、其の日を旭日の昇るが如くに心待ち居り候……」

と、制約された中にも、ひたすら総本山を渇仰する姿を窺うことが出来ます。こうした強信の徒が居たれぱこそ、加賀に延宝年間から明治にかけて16の講中が結成され、さらに数十の講中が誕生したと伝えられております。この外、尾張法難をはじめ、数多くの法難の歴史は、皆その時々における折伏仏教によって起こった法難であることは、歴史が如実に物語っております。また、現在においても、多くの法華講員が日夜折伏・仏教に努めていることは、ご存じのはずであります。したがって、日蓮正宗が700年間まったく折伏をしなかったなどと言うのは、大聖人の仏法を、正しく今日に伝えられた僧俗の尊い仏教を冒濱するものであると思いますが、いかがでしょうか。

また、学会の大折伏に対して、宗門、あるいは僧侶が、それを軽んじたり、見下したり、また当たり前だなどと思っているように言っておりますが、日顕上人が僧俗の関係について、

「僧と俗は令法久住と広宣流布について一体の使命をもつものであります。ただし、一体といっても、そのなかに自ら区別があります。すなわち、僧侶はとくに令法久住という意義において、在家は折伏、広宣流布という面において、それぞれ重大な使命を担っているのであります。」

と御指南のごとく、広布への実践の姿は違っていても、日蓮正宗の僧侶の中に、学会員の折伏仏教の姿を尊しとこそすれ、当たり前と思って威張っている者などは、一人もおりません。もしいるなら、具体的に示してください。

また、

「教条的な画一的な、時代にも相反した、そんなんで、今日のね、大宗教の発展があるわけがない。その苦労がわからないんです。どれほど学会がすごいか」
「世界の仏法流布という平和文化運動の実践運動をですよ、それがいけないと言うんですよ。折伏だけで、全部ね、教条的にね、やれっちゅうんです。おかしいじゃないか。そう書いてあるのに。」

と言われておりますが、これは今日においては、平和文化運動を抜きにして、当面する具体的な状況を考えず、機械的に折伏を書せようとしても無理だ、と言いたいのだと思います。宗門においては、平和文化運動の必要性は、日顕上人の御指南にもあるとおり、必要なことであると思っております。ただ仏法の道理に照らして、あくまでも、

「仏法を基調とすべきであること」
「仏法流布のための平和文化運動でなければならないこと」
「仏法を社会へ展開するためのものでなければならないこと」

と考えおります。誰が、どこで、平和文化運動をいけないと言っておりますか、示してください。


(五)「真言亡国・禅天魔」の発言に関する件

名誉会長のスピーチの中に、

「平和運動、正しいんです。文化運動、正しいんです。大いにやりましょう。それがなかったならば、何やってきゃ、どうしたら折伏出来るか。そうでしょう。ただ…、真言亡国・禅天魔、法を下げるだけでしょう。」

とあります。この発言は、平和・文化運動の推進を意図するものでありましょうが、それに付随して、

「真言亡国、禅天魔。法を下げるだけでしょう。」

との発言は、見逃すことが出来ません。このような発言は、平和文化運動がこれからの仏教の第一義であって、邪宗破折の四箇の格言は、現代社会に受け入れ難いものであるから法を下げるものである、と言うことなのでありましょうか。

しかし、大聖人は、

「此の国に真言・禅宗・浄土宗等の悪法・並に謗法の諸僧満ち満ちて上一人をはじめ奉りて下万民に至るまで御帰依ある故に法華経・教主釈尊の大怨敵と成りて現世には天神・地祇にすてられ他国のせめにあひ、後生には阿鼻大城に堕ち給うべき由・経文にまかせて立て給いし程に此の事申さば大なるあだあるべし申さずんば仏のせめのがれがたし。」

と仰せのごとく、折伏正規の末法においては、あくまでも立正安国論等に示される破邪顕正を第一義とすべきであり、平和文化運動は、仏法が導入されやすいように、人と人との信頼と、情愛の絆を深めるためのものであると思います。それを、

「真言亡国、禅天魔。法を下げるだけでしょう。」

との発言は、摂折二門の上から明らかに摂受を本とした言い方てあり、大聖人の教判並びに権実相対等の法義に違背したものであると思いますが、いかがでしょうか。


さらに、11・16以後の池田名誉会長の発言として、大聖人と親鸞のイメージを比較し、「親鸞は親しみやすく、大聖人は強いイメージがあり、これではこれからの折伏が出来ない」として、「親鸞のイメージのごとき親しみが、これからの折伏の条件」のように言われ、「大聖人の慈悲深い面をもっと表面に出したり、法門の中にもよいことがあるので、それを判りやすく説く私のスピーチを元にするよう」に、と言われだそうです。しかし、大聖人は、法華経に予証されたとおりの大雑に逢われ、

「但日蓮一人これを読めり」

と、尊い身読をされました。その如説修行の上において、国家権力を相手としつつ、一切の邪義を破折して、末法適時の正法を建立する法体の折伏を遊ばされたのであり、この御姿にこそ、一切衆生に対する御本仏としての、第一義の大慈大悲が存することを見過ってはならないと思います。これは報恩抄・諌暁八幡抄等の御文に拝せられるとおりであります。もちろん、個々の信徒に対する優しく御慈悲溢れる御文も多々ありますが、もし、そういうところのみを世間の人々にアピールして第一義を伏せ、親しいイメージを、というのであれば、それは大聖人を正しく拝することにはならないと思います。

このように、正義をそのまま正直に述べる大聖人の教法と人格が折伏出来ない理由になるというのは、大聖一人の人格と教法を否定する重大な仏法違背であると思います。また、「大聖人の法門の中のよいところを判リやすく説く私のスピーチを元にせよ」というのも、池田教による大聖人観であって、大聖人の法門の全体ではありません。勝手に大聖人の法門を分断するのは、私的な法門てあつ、明らかな誤りと思いますが、いかがですか。


(六)「歓喜の歌」合唱について

「歓喜の歌」の合唱について、

「昭和62年の年末に学生部結成30周年を記念して、この演奏、第九の演奏を私は聞きました。本当にいまでも忘れない。したがって、私は、提案だけれども、創立65周年にほ、5万人で、創立70周年には10万人の、私はこの『歓喜の歌』の大合唱をして後世に残したいと思います。」
「それで、あの日本語でもやるけれども、そのうちドイツ語でもやりましよう」

と言われております。現在歌われている岩佐東一郎作詞の「よろこびの歌」自体には宗教色はまったくなく、結構だと思いますが、原語(ドイツ語)の詩は、フリードリヒ・フオン・シラーという詩人の「歓喜に寄す」という詩で、

「歓ぴよ、神々の美しい輝きよ、楽園の娘よ、我ら炎のごとくに酔い、天の汝の聖殿に足をふみ入れる……」

等と訳され、キリスト教の神を讃歎した内容になっております。したがって、これを原語で歌うということは、外道礼讃となり、大聖人の、

「さきに外道の法弘まれる国ならば仏法をもって・これをやぷるべし」

との御聖意にも反し、下種本門大法の尊い信者が、キリスト教を容認・礼讃することになると思いますが、それでもなおかつ当然と思われるのですか、お伺いいたします。

以上、かいつまんで問題と思われるところを述べさせていただきましたが、御法主上人並びに僧侶に対する蔑視及び非難や、過去52年頃の逸脱についての無反省が明らかであります。故に、教条的なる語をもって宗門を軽蔑し、自らの考え方を主とし、是として、宗門を従わしめようとする野望が感じられます。これは、正しい令法久住・広宣流布の道ではないと思われます。

大石寺開創701年を迎えるに当たり、

「富士の立義聊(いささ)かも先師の御弘通に違せざること」

と、御開山日興上人が大聖人の御意をそのままに伝えられた富士の清流を濁すことなく、末代に流れ通わすために、日蓮正宗の基本的な信仰の在り方と、それに基づく広布への正しい進展を確認したいのであります。

以上を発言者池田名誉会長にお伝えの上、。何卒、本年12月20日迄に、文書によって当院宛に、責任ある回答をお願いいたします。


平成2年12月13日 日蓮正宗宗務院