資料A(創価学会から宗務院への九項目の『お伺い』)



日蓮正宗総監 藤本日潤殿

宗務院より郵送されました「第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」を謹んで拝読致しました。到着の日より7日以内に文書で回答をということですが、さる12月13日の連絡会議でお話し申し上げました通リ、お尋ねの問題については、文書に致しましても「文は意を尽くさす」で、なかなか真意が伝わらず、かえって誤解を生じても申し訳ないことですので、私どもと致しましては、あくまでも話し合いで、理解を深めさせていただきたいとお願い申し上げます。ご法務ご繁多のところまことに恐縮ですが、お時間をいただければ、年内でも結構ですし、連絡会議を開催いただき、そこで、ゆっくりご教示をいただきながら、お話し合いを賜ればと存じます。何卒、ご寛大なご配慮をお願い申し上げるものでございます。日程につきましては、宗務院の御意向通りで結構ですので、どうぞよろしくお願い致します。

さて、近年、私どもにとりましても、ご宗門のことで、幾つか、胸につかえ、思い悩んでいることがございます。とくに、本年に入って、7月の登山の際のお目通リの席でのご法主日顕上人猊下のお振る舞い、11月の御大会のお目通りの折のお言葉等につきましては、どう拝すればよいか、大変苦悩しております。猊下のことにつき、少しでも云々することは、私ども信徒にとリまして、まことに恐れ多いことでありますが、余りに一方的かつ客観的にみても理解に苦しむお言葉につきましては、僧俗和合の将来にとりましても、きわめて重大な問題と憂慮せざるをえません。

そこで、私ども信徒の気持ちもお汲みとりいただきたく、左記にお伺いしたい事項をまとめさせていただきました。もとより、これは総本山を外護申し上げる私どもの憂宗護法の思いの上から、お伺いしたいことをまとめたもので、決してご宗門を追及しようとか、そういうことでは一切ございません。従いまして、これに対するお答えも、いつまでにということは、私どもとして申し上げるものではございません。次の連絡会議の時でも結構ですし、民主主義の時代、対話の時代ですので、よろしい時にお話し含いをさせていただき、その折にご教示いただくことで結構でございます要は、私どもの気持ちをおわかりいただきたいのであります。

広宣流布にとって最も大切なものは、万年にわたり崩れざる僧俗和合を築くことであることは申すまでもございません。私どもも一段と努力を重ねてまいる所存でございます。おたがいに、固執したり、感情的になったりすることは、後世のためにもあってはならない愚かなことでございます、この点どうか、ご賢察、ご勘案の上、重ね重ね、ご慈悲を腸りますようお願い申し上げます。未筆ではございますが、ご法主上人猊下に、名誉会長から「くれぐれもよろしくお伝えください」と申しておりますことをお伝えしますとともに、猊下のますますのご健勝と、宗門のご隆昌を、心よりお祈り申し上げます。

平成2年12月23日
創価学会会長 秋谷栄之助



お伺い

(一)本年7月21日午後2時20分より総本山大石寺大坊(大奥対面所)で行われたご法主日顕上人猊下と池田名誉会長、会長秋谷とのお目通リの砌−猊下は、7月17日夜、東京・常泉寺において開かれた宗務院・学会連絡会議での学会側・秋谷並びに副会長・八尋の発言に対して、恐れ多いことですが、大声をあげて、立ち上がらんばかりの剣幕で「法主の発言を封じた。僑慢だ!僑慢謗法だ!」と怒鳴られ、叱責されました。この件に関して、お伺い申し上げます。

(イ)猊下がお目通りの時指摘された、7月17日の連絡会議での秋谷並びに八尋の発言は、もったいなくも猊下の発言を封ずるような話をしたのでは全くございません。長期間の海外指導から帰国した直後、疲れもとれないなか、猊下のもとに報告に参上した名誉会長に、猊下が立川寺院の工事が延びているとか、丑寅勤行の参加人数が少ないとかの問題を話されましたのでそのような問題は、実務に関することでもあり連絡会議でどんどん話し含い、猊下にそのようなことでご心配をおかけしないよう、連絡会議として、お互いが努力していきたい旨申し上げたものでございます。

そのことは、席上、藤本総監に「このようなことは連絡会議で取り上げていきましょう。そうしないと私共の責務を果たしていないことになるのではないでしょうか」と秋谷が申し上げましたら、総監は「そうですね」と同意をされたことでもありました。従いまして、これがどうして「法主の発言を封ずる、僑慢謗法だ!」というような猊下のお叱りをうけなければならないことになるのか、全く理解に苦しみます。これでは、当日の連絡会議の報告が猊下に正確になされたのか、疑問に思わざるをえません。どうしてさきの秋谷、八尋の発言が仏法上の十四誹謗の「僑慢謗法」に当たるのか、御教示いただきたいと存じます。

(口)次に、右の発言は、連絡会議という場で、信徒のお願いを申し上げたものです。それが「謗法」であるとの猊下のご叱責は、信徒がそういう場で猊下のことに関して、一切発言してはいけない、何らのお願いもしてはならないということなのでしょうか。この点についても、お教えいただきたく存じます。

(八)また、あの場での発言が僑慢謗法であるなら、それについてただ黙って聞いておられた僧侶方に、何ら問題はないのでしょうか。秋谷、八尋だけが謗法と言われ、同席していた僧侶が何もいわず、結果として猊下の御震襟を悩ましめたことは、何の謗法にも当たらないのでしょうか。ご教示をお願い申し上げます。

(二)更に、これはまことに恐縮ですが、猊下は、同日のお目通りに際し「私は、僧侶ですから大きな声は出しません。冷静に公平にすべてをみております」と仰せになりました。ところが、この「僑慢謗法!」とのご叱責の折には、大奥対面所の階下で待機していた学会副会長の森田・八尋・平野の3名が「閉まっていたのに、ドア越しに大きな猊下の声が聞こえるのでびっくりした」という程の大声で怒鳴られたのでございます。私どもには、猊下が双方の言い分も聞かず、一方的な報告によって叱られたように感じられ、まことに残念でならなかったのであります。ご法主は、敬われるお立場ですから、どうか私ども信者を小馬鹿にしたり、蔑んだりするお言葉を使わないでいただきたいと、僭越ながらお願い申し上げるものでございます。いずれにしても、この最大の原因は、公平な報告をされなかった宗門首脳にあるのではないでしょうか。今後、二度とこうしたことのないよう、宗門首脳に強くお願い申し上げますが、いかがでしょうか。


(二)次に、同日のお目通りの砌−猊下は、名誉会長に向かって「学会の記念行事があるので、御講に行かなくてよいと、あんた自身が地域の総代に言ったじゃないか!」と頭から決めつけて詰問されました。この件について、お伺い申し上げます。

(イ)名誉会長が総代に言っだということですが、名誉会長はいつ、どこで、何という総代に、どう言ったというのでしょうか。具体的に明示して下さい。

(口)また、この件を猊下に報告した人を明らかにして下さい。

(八)更に猊下に報告が入ったとして、猊下がお目通りで話される前に、その総代なりに、宗門の責任ある立場の人が事実の確認をされたのでしょうか。お教え下さい。そもそも、お目通りの席で詰問されたような事は名誉会長には全く身に覚えのないことであり、事実無根も基だしいものであります。いやしくも日蓮正宗宗内にあって最高にして最も尊厳な法主のお目通りという場で、しかも猊下から、信徒の代表の総講頭たる名誉会長に直接話された事柄であります。そこにいささかも根拠のをい噂話や告げ口による軽々な発言は絶対にあってはならないことであります。まして、宗門興隆に今日まで未曾有の貢献をし、渾身の尽力をしてきた最大の功労者であり、大檀那である、名誉会長に対して、余りにも非礼なことといわねばなりません。とくに、この問題は、総講頭が総代に直接指示したという、正宗内にあっては、きわめて重要な重みをもつ問題として出されたわけで、単なる誤りとして片づけられないものであることは、いうまでもございません。従いまして、私どもとしましては宗務当局に、この件についての事実関係をすべてお調べいただき、責任ある回答をお願いするとともに、もし事実でなければ、いかがなされるのかお伺い致します。

この件は、世間法に照らしても、名誉会長の名誉、人格を著しく傷つける名誉毀損であり、人権蹂躪も甚だしいといわざるをえない問題です。このようなことが今後も起こると、宗門自体の体質の問題ともなりますので、将来のためにも、断じて曖味にせず、事実の経過を詳らかにしていただくことを、重ねてお願い申し上げるものであります。

(三)昭和61年7月、東京・常泉寺での宗務院・学会連絡会議における大村教学部長の発言について、お伺い致します。大村教学部長は、退転者・福島源次郎が書いた学会誹謗記事を使い、またこれに同調して、学会批判を、直接秋谷にされました。福島源次郎は、法主の血脈を否定した日蓮正宗にとって許すべからざる大謗法の退転者であります。かかる謗法の徒の言動を根拠とするのみならず、同調されたのは、何か特別な関係か、それとも他の理由があってのことでしょうか。お伺い申し上げます。


(四)次に、本年の7月2日に行われた東京・世田谷の宣徳寺の本堂・庫裡増改築落慶法要の席上での高野法雄尊師(調御寺住職)の話などは、いかなる法義にもとずくものでしょうか。高野尊師は、宣徳寺増改築に当たり、住職の秋元渉外部長に資金を貸した経緯を語り、その際、秋元導師の娘さん、奥さんを、借金の担保にする、しないなどの会話がかわされたことを話したのであります。厳粛な落慶法要の席で、いきなり借金云々、また娘、夫人などを担保に云々など冗談にでも口にすること自体、真面目な信者を侮辱した言動であり、許されるべきものではありません。僧侶ならば信者に向かって何を言ってもいいということでしょうか。また、高野尊師に借金し、そうしたふざけたやりとりをした秋元渉外部長の言動にも問題があると思われます。宗務院は、これらの点につき、いかなる見解に立たれるのか、お伺い致します。

またこれに関し、億を超える金銭貸借が、住職間で個人的に行われたかのようを雰囲気の話になっておりますが、もとよりこれは、寺院としての法人間の貸借であると思われます。宗教法人法上、またこれをうけた寺院の規則上、両寺院とも事前に法人の総代金(責任役員会)に諮るべきであると考えますが、この点、どのようになっているのでしょうか。これは日蓮正宗寺院の法人運営上の根幹にかかわることでもありますので、ご確認いただきたいと思います。


(五)再び、7月21日のお目通りの砌−猊下は、秋谷に前記の「僑慢謗法」と大声で怒鳴られたあと、更に激昂され、名誉会長に「あんたにもいっておきたいことがある。懲罰にかけるから」と激しい口調で、早口で興奮して語られました。

この件につきましては、後日(8月22日)藤本総監を通し、電話で「懲罰云々については、私は言わない。懲罰というのは、重大なことであるし、心にも思っていないことだから絶対に言うわけもない」との猊下のご意思がはっきりと伝えられ、懲罰云々は言っていない、と否定されましたので、そこに猊下の一切の真意があると、私どもは拝しております。ただお目通りの折りには懲罰云々と言われ、余りの唐突なご発言に、秋谷もびっくりした次第です。名誉会長も明確に聞いており、このことは、お目通りの終わったあとの車中、同乗した秋谷、八尋に「宗門の懲罰委員会の構成はどうなっているか」とすぐ聞いていることからも明らかであります。

申すまでもなく、創価学会は、日蓮大聖人の仏法を、今日、世界115か国にまで弘め、7百年間、誰も出来なかった未曾有の折伏をし、宗門を外議申し上げてきたことは、周知の事実でございます。その功徳無量なることは、もったいなくも堀日亨上人をはじめ日昇上人、日淳上人、日達上人の御歴代のご先師上人が最大に賛嘆されているところでございます。その信徒の代表に対して、かりそめにも、懲罰云々などという言が宗内に出るようなことがあれば、それこそ、宗門にとっての一代汚点となりましょう。この点、猊下が明快に否定されたわけでありますので、宗務当局にも、この猊下の御指南を根本に、後世のために、重ねて明確にしていただきたく存じますが、いかがでしようか。


(六)本年11月20日午後零時20分より総本山大石寺大坊(大奥対面所)で行われた猊下と名誉会長、秋谷ら5人の学会幹部のお目通りの砌−猊下は、正信会を擯斥処分にしたのは「法主の血脈を否定したから」と言われる一方で、「その彼ら正信会が血脈を否定してまで法主を批判せざるをえなかった原因は、学会にある」と仰せになりました。この猊下のお言葉について、お伺い申し上げます。

もとより日蓮正宗にあって、金口嫡々唯授一人の血脈相承が宗旨の根本であることは論を待ちません。それを正宗僧侶の身でありながら否定したとなれば、最大の師敵対であり、獅子身中の虫であって、言語道断といわざるをえません。かかる正信会に対し、猊下が厳然と擯斥処分の断を下されたことは、令法久住の上から当然の大英断であられたと拝するものであります。

そのうえで、これはまことに僭越なお伺いになるかと存じますが、「正信会が血脈を否定してまで法主を批判した原因は学会にある」という趣旨のお話しは、どう拝してよいか、思案に苦しんでおります。と申しますのも、法主の血脈という問題は、宗義の根幹のことであり、根本間題であります、いかなる理由があるにせよ、それを正信会が否定したということは、この根本に対する疑いを持っていたからであり、そこに彼等の信心の本質があったと見るべき問題であります。従いまして、法主の血脈を否定したのは、何よりも彼ら正信会に、この日蓮正宗の根本の信心がなかったことに最大の原因があり、学会とは関係ない問題であると私どもはうけとめていますが、ご教示をお願い致します。 私どもは、日蓮正宗にとって根本たる法主の血脈を、状況次第でいとも簡単に否定し、あまつさえ恐れ多くも猊下を裁判で訴えた正信会の行動は信心の狂いの極みであり、悪鬼入其身の所業以外の何ものでもなく、人間としても最も糾弾されてしかるべきであると思うております。事実、信者を自分たちの「オモチャ」と称して見下したり、「学会員の葬儀はしてやらない」と脅迫したり、葬儀の席で「学会をやめないと成仏しない」と脅すなど、正信会の悪侶の過去の悪行は、これが僧侶か、否、人間かと思うほどの非道ぷりであり、これらを厳しく糾弾することは、猊下をお守りし正宗の正しい信心を指導していくことにとって、最も大事なことと信ずるものであります。

とともに、もし、さきのような正信会に対するお話が宗門の公式見解であるとすれば、私どもの承知している宗門裁判の行く末にも多大な影響があるものと憂慮するものであります。


(七)続いて、同日のお目通りの砌−猊下より、「最近の学会は、柔軟になった、折伏、破折をしなくなった、聖教新聞からも、破折、折伏のことが消えてしまった」というお話がありました。

しかし、事実は、今年もすでに10万人を超える人が入信していますし、ここ5年間をとってみても、毎年、少ない時でも、10万人、平均して15万から20万の人の新入信をみています。これだけの入信者が生まれるには、毎年、100万を超える人に仏法の話、下種をしているわけであります。

また、最近の折伏に破折がなくなったということも、理解に苦しむお言葉であります、地区や支部で、一人の人を日蓮正宗に入信させるにあたり他宗の破折を含め、謗法払い等、どれほど苦労して折伏しているか。社会の真っ只中で、あらゆるる誹謗中傷をうけながら、広布のため、人のため、懸命に折伏に励げみ、日蓮正宗の御本尊を弘めているのは、学会員であります。

また、聖教新聞では、折伏に関する活宇が消えたということですが、本当に聖教新聞を読まれ、調べた上でのことでしょうか。聖教新聞には、今年5月7日から12月の初旬までで、折伏に関する活字は、実に1715回も出ているのであります。それ以前もあらゆる所で、学会員の日常行動の前提として、また組織の活動のポイントとして、頻繁に出ております。更に破折についても、聖教新聞に加え、創価新報、大白蓮華等に、最近の新宗教まで含め、そのつど、シリ−ズで掲載されています。今年各地で結成した青年大学校等では、破折コーナーを頻繁に設けて、折伏力を磨く努力をしており、ここには、200万人を超える青年が参加をしているのであります。

こうした明確な事実があるにもかかわらず、猊下か「学会は折伏、破折をやっていない」と仰せられた根拠は、何なのでしょうか。この点につきましても、猊下に正確な報告がされていないと考えられますか、いかがでしょうか。全会員の折伏、広宣流布への懸命な実践に対して、どのようにお考えなのか、明らかにされるようお願い申し上げます。


(八)本年7月21日のお目通りに関して−前記のお目通りに関して、ある週刊誌には「7月21日のお目通りの際、日顕上人猊下の前で、池田名誉会長が机をたたいて怒鳴った。云々という捏造の記事が出ました。これにつきましては、例によって主門と学会を反目させようとする徒輩の策謀であることは明白でありますが、全く虚偽の記事であるにもかかわらず、一度、活字に出ますと、それを真に受けた何人かの御僧侶、その他の方々から、名誉会長とはなんと非礼な人かか、そんな常識も品位もない、また信心のない人だったのか、と激しく非難されました。

もとより、名誉会長が、猊下の前て机をたたいて怒鳴った事実などないことは、その場におられた猊下が一番よくご存知のことであり、猊下もかの週刊誌を見られれば、週刊誌記事なるものがいかにデタラメなものであるか、呆れ果てられることと存じます。しかし、このニセ記事に対し、これまで名誉会長も学会もいつものように歯牙にもかけない態度できましたし、馬鹿馬鹿しくて相手にもしてきませんでした。今後とも、眼中に置かぬ態度に変わりありませんが、宗内では、一度も、この記事の公式な否定がありませんので、不幸なことに、いまだに名誉会長のことを、この件で疑っている人もおります。ことは猊下と名誉会長とのお目通りに関することであり、宗内的に、かりそめにもこの捏造記事が信じられ、定着するようなことがあれば、今後の僧俗和合にとって、重大な支障となり、不信の溝をつくるキッカケとなりかねません。そこで、宗内的にこの記事が全く間違いであることを、宗務院から、是非とも明らかにしていただきますよう、お願い申し上げるものであります。


(九)本年11月14日夜、東京・常泉寺に於ける宗務院・学会連絡会議の折−この連絡会議の席上、藤本総監より、学会寄進の二百か寺計画の件につき、とくに東京における進捗状況が遅いということで「江戸川の大護寺以来、都内二十三区に一か寺もできていない。理由は何か」と厳しい問責がありました。

この件について、お伺い並びにお願い致します、二百か寺の建立寄進につきましては、宗門外護の赤誠から、大石寺開創七百年の記念事業の一環として、学会が建立御供養申し上げることを発願し、昭和59年から十年計画で進めているものであることは、ご承知の通りであります。僭越ながら申し上げれば、供養とは、徳勝・無勝童子の土餅の譬えを申し上げるまでもなく、私どもが自らの信心の真心を尽くして供給奉養するものであり、ご宗門はあくまでも納受される立場にございます。それが当日のお話しは「東京が一か寺しか出来ていない。理由は何か。一か寺ずつの詳しい経過を聞きたい」と、大変高飛車な、言い方で、しかも何か追及するような口調で切り出されたのであります。日頃から真剣に御供養申し上げてきた私どもが、まるで被告席に居て尋問をうけているような硬い、厳しい雰囲気でした。余りに一方的な詰問に、怒りが込み上げてくるとともに、余りに情けなく、悲しみすら覚えたほどでした。

それはともかく、二百か寺建立寄進計画は、本年12月21日の三重・白山寺院の落慶をもって、この6年余りで、実に111か寺が完成致し、すでに用地取得済みのものを含めれば、119か寺まで進んでおります。建築の専門家にいわせても、これ自体、奇跡的なペースであり、他のどの世界でもできないことと驚嘆しております。とともに、この現代という時代で、10年間で二百か寺を一挙に建立しようとすること自体、常識では到底、考えられないことであり、ありえないことであるというのが、一般的な見方でありましたが、私どもは、宗門外護の使命を果たすべく、今日まで、業者にもそれは大変な無理もいって、ひたすら一心不乱に建立寄進に邁進してきたのであります。その私どもの努力・尽力に対して席上、何らのねぎらいの言葉もなく、ただ都内に出来ないのは学会側の努力が足りないからではないかと糾されたのでは、余りにも無慈悲、無慙な仕打ちと言わざるをえません。どうか、宗門の僧侶方におかれては、今後は寺院の建立は、どこまでも信徒の真心の御供養から発するものであるという原点に立ち返って、何があっても温かく受けていただき、もともと契約のようなものではありませんので、遅い理由を明らかにせよなどということは、やめていただきたいとお願いするものですが、私どものこうした考えは、誤りでありましょうか。お伺い致したく何卒、よろしくお願い申し上げます。


以上、とりあえず、現在、私どもの心中にわだかまっていることを、お伺い事項として、9項目に要約させていただきましたが、このほかにも、まだお伺いしたいことは、いろいろございます。従いまして、これからも、場合によっては、お伺いさせていただきたいと存じますが、それも、連絡会議等の話し合いで結構ですので、何卒、そこで温かく御教示、御教導賜りますよう、心よりお願い申し上げるものであります。