拝復。貴殿らよりの、抗議とも陳情とも察しかねる書面を拝見いたしました。一読して、古参の大幹部である貴殿らは、50年もの長い間、一体、何を信仰してきたのかと呆(あき)れ果ててしまいました。 貴殿らの書面は、結局、従来の学会文書と同じく、学会の根本的な誤りを省みようとしない無慚(むざん)極まりないものであります。そして、現在、学会内で盛んに流されているロコミと同様、現御法主日顕上人に対する誹謗・悪口に終始しております。総本山第15世の日昌上人は、
「右衆中の口は過、意は及ばざる故也。口の過とは惣(そう)じて万事の油断退転を貫首一人にかけて悪口するが故也。意の及ばずとは万事欠如の事共たすけすヽめて精を入るヽ人一人もなきが故也。」(与総檀方衆中書・歴代法主全書1−473頁)と仰せであります。多言を要する講釈はさておき、貴殿らの述べることは、ことごとくがこの厳しい御指南に当たることを知るべきであります。貴殿らは、50年という信心歴のあることを自負しているようですが、それならば、なぜ唯授一人血脈付法の御法主上人に信伏随従することができず、池田名誉会長に信伏随従するのでしょうか。人生の師匠は、仏法の師匠に勝れるとでも言いたいのでしょうか。それこそ、本末転倒であります。
「お尋ね」に関する宗門と学会との往復文書のやり取りにしても、学会側の手による卑劣な問題の本質のすり替えは、目に余るものがあります。例えば、「お尋ね」に対して、虚偽・捏造(ねつぞう)を元とする九項目の「お伺い」書をもって、御法主上人や宗門・僧侶に対する誹謗・中傷を加えてきたことなどは、そのよい例でありましょう。また、本年1月1日付の「回答」にしても、その反訳のミスのみに視点を当てて、宗門を誹謗し、中傷の限りを尽くすのみで、質問の肝心な部分については、問題の本質をすり替えるか、わざと触れようとはせず、何ら誠意ある回答を示していないではありませんか。この無慚無愧(むざんむき)な姿勢については、貴殿らよりの書面も同様であります。 反訳の相違箇所にしても、貴殿らは、宗門側が意図的に改竄(かいざん)したかのように述べておりますが、それは為(ため)にする侮蔑(ぷべつ)であります。反訳の際に改竄するなど、そのような稚拙(ちせつ)ですぐ判るような行為は、常識的に考えてもできる訳がないのであります。しかも、それら反訳の相違箇所をよく見れば、反訳の相違箇所は何ら質問と関わっていないか、あるいは反訳の相違によって発言内容が変わるというものはありません。つまり、本来ならば、反訳の相違によって質問を撤回する必要はなかったのですが、宗門側は、反訳の相違の指摘を受けた上から、あえて撤回したのであります。このことは、時局協議会の「学会からの事実歪曲の『宗門[お尋ね]文書事件についての見解』を破す」(『大日蓮』542号に掲載)に詳しいので、貴殿らは、冷静になってこの文書を読み、それぞれを対比されることをお勧めいたします。そうすれば、宗門側の正直さ、潔(いさぎよ)さが、はっきりと理解されると同時に、学会側の姑息(こそく)なすり替えと卑劣な責任転嫁の実態に、ただ呆れ果てることでしょう。
正信会間題のときにも強く叫(さけ)ばれたことですが、本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません。ところが、貴殿らの書面では、正本堂の意義付けをはじめとして、問題の本質を見ようともせず、ただ池田名誉会長や学会の都合にあわせて、日顕上人を誹毀讒謗(ひきざんぽう)しているのであります。しかも、貴殿らの書面では、不確かな伝聞どころか全く事実無根による、ありもしない種々の事柄を日顕上人の発言とし、これを元として悪辣(あくらつ)に罵(ののし)り、あたかも日顕上人が御法主として不適当であるかのように述べているのであります。この捏造と誹謗は、まさに血脈の尊厳を侵(おか)す大謗法行為であり、本宗信徒のなすべきことではありません。 このように言うと、貴殿らは、「血脈を否定しているのではない、阿部日顕という個人かおかしいと言っているのだ」と言い返すのでしょう。しかし、それは、大きな間違いであります。大聖人の仏智による御指南は、血脈付法の御法主上人によってなされるのであって、私どもは、そこに信伏随従するのみであります。それとも、日顕上人のどこからどこまでが唯授一人の血脈の分域で、どこからどこまでが個人の領域だと言うのでしょうか。もし、それを言ったとしても、それは貴殿らの凡智の勝手な墓準によるのであって、決して仏智ではありません。 このことは、歴史に照らし合わせても明らかであります。貴殿らの言い分は、正信会の輩の言い分と、何ら変わるものではありません。正信会の輩は、当初、「血脈を否定しているのではない、管長職にある阿部日顕という個人がおかしいと言っているのだ」と述べていたではありませんか。正信会の輩は、その後、日顕上人への血脈相承自体を否定するに至ったのであります。 このように見ると、今後、貴殿らも、日蓮正宗の唯授一人の血脈そのものを否定することになってしまいます。いや、このように日顕上人に対する悪口・雑言(ぞうごん)を述べるところを見れば、貴殿らは、その精神において、もはや本宗の信徒ではないと断言できるのであります。先の日昌上人の御指南を、よくよく肝に銘ずるべきであります。
法仏に迷うのですから、当然、僧宝にも迷ってしまうのであります。貴殿らの中の一人、柏原女吏は、実際に新潟で、「僧宝は日興上人ただ一人、あとの歴代上人は、皆我々と一緒」という旨(むね)の指導をしたではありませんか。日寛上人は、僧宝とは、唯授一人の血脈相承の当処であって、日興上人、日目上人以来の御歴代上人の全てを含むと、明確に御教示あそばされております。しかし、貴殿らは、池田名誉会長や学会首脳の都合に合わせて、このような破ってはならない義を、故意に改変しているのであります。貴殿らは、僧侶に対する悪口・雑言を「悪侶の誤りを申すだけ」などと言って正当化しておりますが、全くもって無慚であると言わざるをえません。貴殿らが、各種会合や機関紙等で行っている僧侶への悪口・雑言は、そのほとんどが感情に任せた捏造ではありませんか。しかも、その多くが、今回の問題が起こる以前のものであり、連絡会議などで解決していたものであります。それにもかかわらず、なお悪口・雑言を繰り返すのは、まさに為にする誹謗罪であります。 また、貴殿らは、三宝一体の義を一仏の上のみに見ておりますが、それでは日興上人御一身の上に、三宝をどのように拝するというのでしょうか。大聖人御在世の化導を拝しますと、当然、御本仏が面(おもて)、僧宝が裏の御化導であります。しかし、大聖人の滅後の御化導は、唯授一人血脈相承のもとに、日興上人以来の御歴代の僧宝が面になります。先にも申したとおり、唯授一人の血脈法水は、まさに人法一箇の御法体ですから、三宝はそれぞれの上において一体なのであります。したがって、人法一箇の御本尊に対する信心が根本であることは当然ですが、貴殿らのように血脈の御法主上人に背いていたならば、悪業の因縁こそ増せ、決して妙法の功徳はありません。 戸田二代会長は、常々、「信心は日蓮大聖人の時代に、教学は日寛上人の時代に帰れ」と指導されたと聞いております。果たして貴殿らは、この戸田二代会長の指導を守っていると言えるでしょうか。もし、守っていると言うのであれば、貴殿らの書面にあるような三宝破壊という大謗法罪は、決して犯すことはないでしょう。貴殿らは、信心歴50年ということを鼻にかけ、かえって本宗の信心の墓本を習い損(そこ)なっていることを知るべきであります。
宗門に対して、多大な功績を挙げるならば、池田名誉会長よりも、七百年前の波木井入道のほうがはるかに上であります。波木井人道は、御本仏大聖人に対し奉り、あらゆる面で直接的に外護申し上げた方ですから、池田名誉会長といえども、その功績については比になりますまい。しかし、波木井入道は、大聖人滅後、民部日向の誑惑(おうわく)にもよって、数々の謗法罪を積み重ねていったではありませんか。そして、大聖人がお住まいあそばされた身延の地を、ついに謗法の地と化してしまったのであります。貴殿らは、身延離山の歴史まで改竄して、そのような波木井入道の姿を見られた日興上人が、果たして大功労者であるから許されたとでも言うつもりなのでしょうか。このことは、貴殿らほどの信心歴はなくとも、本宗の正しい信心の歴史を学んだ者であれば、だれでも知っていることでありましよう。 ところが、貴殿らの書面では、池田名誉会長の功績のみを挙げて、現在の謗法罪を見過ごすように述べているのであります。天台大師は、 「疵(きず)を蔵(か)くし徳を揚げて自ら省みること能(あた)わざるは是れ無慙(むざん)の人なり」と指南しております。宗門では、池田名誉会長の過去の功績が大きいからこそ、また影響力が大きいからこそ、現在の傲慢(ごうまん)な信仰姿勢を糾(ただ)し、過去の多大な功績を活(い)かそうとしているのであります。 しかし、貴殿らは、このような御法主上人の大慈大悲を拝そうとせず、いたずらに誹謗し、悪口の限りを尽くしているのであります。そして、御法主上人は諸事にわたって池田名誉会長に相談せよとか、大局観に立てとか、宗内には自由闊達(かったつ)に論議する風はないなどと、自らの組織を省みずに述べているのであります。これこそ無慚無愧な体質でなくて何でありましょう。 御法主上人が、どうして誤った指導者に相談する必要がありましょう。御法主上人に信伏随従し、大局観に立つべきは、むしろ貴殿ら創価学会の首脳幹部の側であります。また、脱会者のほとんどの方が述べることの中に、「本当に権威主義なのは、学会の組織である」ということがあります。池田名誉会長はもとより絶対者で、中間幹部はおろか、末端幹部にさえ口答えできない体質であるというではありませんか。御法主上人に対して、言われなき讒言(ざんげん)を加える前に、このような体質にある貴殿らの組織のほうを、少しは省みることのほうが先決でありましょう。
そもそも、「法華折伏破権門理」とあるように、本宗の化他行は折伏であります。その折伏というものの性質は、破邪顕正であります。現在の貴殿らのような姿を見て、破邪顕正の意識を持つことは、本宗の信心の上からいって当然ではありませんか。むしろ牧口初代会長の時代から、創価学会の組織に在って信心を統けてきた貴殿らこそ、現在の池田創価学会の体制を見て、破邪顕正の念を抱き、池田名誉会長や学会首脳幹部に対して、諌言しなければならないのではありませんか。 また、法華講は外に向かって折伏をすべきである、と述ぺておりますが、師子身中の蟲(むし)のようになった貴殿らのような学会の人達が禍(わざわい)となっていることも、よく勘案すべきでありましょう。
平成3年7月31日最高指導会議議長 和泉覚殿 参議会議長 辻武寿殿 参議会副議長 柏原ヤス殿 参議会副議長 白木義一郎殿 |