立正安国論に云く、「予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事(つか)う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。其の上涅槃経に云く『若し善比丘あって法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処(こしょ)せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり』」
一昨年末より惹起し表面化した宗門と創価学会の問題は、一日も早く解決の光が差し込むことを願いし多くの宗門、檀信徒の思いに反し、ますます混乱と混迷の度を深めつつあります。まことに哀惜・痛憤(つうふん)おくあたわざるものがある、と言わざるを得ません。今や、富士の清流は濁流とまみれ、宗門執行部の無慈悲・非道な暴走・蛇行・逆行はとどまるところを知らず、遂に宗門は昨年11月、先師日達上人が「清浄無比にして護惜(ごしゃく)建立の赤誠に燃ゆる」と称賛せられた創価学会を、無意味にも「破門」するという暴挙を犯すに至ったのであります。宗門が犯した誤りは、まさに「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」と言うべきであります。いまや、かかる愚挙によって、末寺はもちろん、総本山も疲弊と荒廃の一途をたどり、呻吟(しんぎん)する僧侶の悲憤・義憤の声は地に満ちております。このときにあたり、宗祖大聖人の広布大願をかしこみ、歴代先師の僧俗和合の御指南を拝してきた「弟子一仏の子」たる私たちは、今日の破滅的な仏法衰微の事態を、もはやこれ以上、座して傍観することはできません。よって、私たちは、真の不惜身命の決意に立って、ここに、宗門再生のため、日顕猊下をはじめとする宗門現執行部に対し、信ずるところを諌言するとともに、これを広く宗門内外に訴えるものであります。
私たちは、今回の問題は、偉大なる御仏意の表れであり、宗門積年の悪弊の総括、清流への蘇生、本義に則った改革への動執生疑であると深く拝するものであります。すなわち、時代は、二十一世紀まで余すところ8年にして、大転換期・大激動期の相を示しており、仏法的にも、輝ける立宗750年の大佳節を10年の目睫(もくしょう)の間にしております。かかる時にこの問題が惹起したことは、「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」の御金言に照らし、広布の新時代を迎える大瑞相として受け止めざるを得ず、まさに宗門改革の時至れりの感を深くするものであります。しからば、その改革とは何か。
第一には、真に信徒のための宗門たるべきことであります。すなわち、宗祖の民衆救済の御精神に立ち還り、開祖の清流へと立ち戻り、宗門に蘇生の光を照射すべきことであります。思えば、宗祖大聖人、日興上人は、民衆の苦しみに同苦され、信徒の一人一人を心から大切にされました。また、遊戯雑談(ゆげぞうだん)を厳しく戒められ、御自ら少欲知足の聖僧の御振る舞いであられました。しかるに、今日の宗門僧侶の実態は、率直に言って、多くの場合、信徒に対し自らを一段高いものとする差別意識を持っているのであります。また、指摘される通り、日常の生活が少欲知足にほど遠い贅沢と堕落に流されていたことも、必ずしも否定することはできないでありましょう。このように宗開両祖の御精神から懸け離れた「暴走」を続けるならば、日興上人に始まる富士の清流は枯渇、断絶し、民衆から見放されて法滅・死滅に向かうことは明らかであります。堕落にまみれ、死滅に瀕している今日の宗門の姿を見て、宗開両祖の御嘆き、御叱りはいかばかりかと恐懼(きょうく)し、尊厳の回復、蘇生をひたすら祈るものであります。今こそ、私たちは、出家の本義に基づき、権威と抑圧を信心を根本とした慈悲と求道に変じ、少欲知足の行躰に徹し、民衆による仏法弘通を支え、信徒に奉仕する教団へと脱皮すべきであると訴えるものであります。
第二に、宗門の悪弊、すなわち差別的体質の除去であります。周知の通り、宗内には門閥等によるあからさまな差別があり、また、上下の階級差別もはなはだしいものがあります。門閥の後ろ盾のある者は、日頃の行躰や能力、功績などとは関係なく、比較的好条件の寺院に赴任するのに対し、そうでない者は山間辺地の寺院に追いやられる傾向が顕著であります。不祥事を犯した場合も、門閥ある者への処分が極めて寛大であるのに対し、そうでない者への処分は過酷であるなど、まったく公平を欠いております。また僧侶間においても、僧階一つ、法臘(ほうろう)一年の違いをもって、越えがたい上下関係があり、自由闊達な発言などおよそ考えられない体質であります。私たちは、このような宗門の封建体質を除去・払拭し、門閥・上下階級差別の不平等集団を刷新し、同心和合の民主的教団に脱皮しなければならないと考えます。
第三には、独裁的体質からの脱却であります。すなわち、宗制宗規の度重なる「改悪」の結果、現在の宗門は、事実上、法主一人の独裁となっております。法主の意向に反する意見が取り上げられることは皆無であり、何かものを言えば即座に切られるという驚くべき「恐怖政治」の体制が現今の実態であります。そのような体質のもとでは、宗風は萎縮し、硬直していくばかりであり、今こそ、独裁から民主へ、保守から革新へ、硬直から柔軟へ、閉鎖から開放へと自らの体質を改革すべき時を迎えていると訴えるものであります。
今回の問題が起こって以来、私たちの苦悩、懊悩(おうのう)は計り知れないものがありました。それまで、学会を賛嘆し、僧俗和合を説き、檀徒づくりは布教の邪道であると指南されてきた猊下が、一夜にして掌(てのひら)を返すように学会を攻撃する姿をどう受け止めればよいのでしょうか。多くの信徒の方々もまた同じ思いであったでありましょう。僧としてひとたび出家した者が、時の猊下に反することは、忘恩の謗りを免れないかもしれません。しかし、宗祖以来の清流を断じて絶やすまじとの熱き一念こそが、私たちの基本であり、たとえ猊下であっても、その非が明らかである以上、これに従うことはできないのであります。今回の問題を僧侶の立場から冷静に考えてみるとき、全面的に学会に非ありとする猊下並びに宗門執行部の対応は、到底、容認できるところではありません。この問題の経過を詳(つまび)らかに思慮するならば、恐れ多いことではありますが、問題の元凶は、偏に、猊下の感情的な指南、采配の誤り、なかんずく学会、池田名誉会長に対する怨嫉、嫉妬の念にこそあると言わざるを得ないのであります。猊下が名誉会長の慢心を指摘せんとされた正本堂の意義に関する説法は、学会の質問書を待つまでもなく、明らかに日達上人の訓諭の趣旨を曲解し、名誉会長の罪をあげつらわんとして故意に事実を改竄するなど、誤りが多々見受けられたことは、紛れもない事実であります。また、猊下が、禅宗寺院の墓地に先祖の墓を建立し、第60世日開上人の塔婆を立てて法要をされたことは、明らかに本宗の教義を逸脱するものであり、いかなる事情があろうとも、一宗を統率する法主の行為としては黙過(もっか)し得ざる謗法であると言わねばなりません。教義上の問題について申し上げれば、法主を御本仏と同列に扱うかのごとき謬見(びゅうけん)や、御書を軽視し法主の指南こそ絶対であるかのように喧伝(けんでん)する邪論まで宗内に横行し、かつ猊下がその誤りを正そうともされない現状は、七百年の宗史にかつてなき混濁の時であります。
また、猊下は、日達上人の時代に僧俗和合して整備された総本山を大きく改変されました。なかでも六壺の改築、大化城の取り壊しなど、その必要なきものまで手を付けられた結果、かつての質実清浄なる総本山の空気は薄れ、華美軟風の趣が顕著になっているのであります。その猊下の采配は、先師日達上人への個人的怨嫉の念を源とし、その御事跡をことごとく否定せんとするかのごときものであり、私たち僧侶一同の誇りとしてきた宗風を改変してしまったことは、宗門人として看過でき得ぬことであります。
これらは、ほんの一例であり、多くの宗内僧侶は異口同音に、猊下の判断に疑問を持ち、宗門の著しい混迷の事態に憂いを深くしているのが偽らざる姿であります。このような今日の事態であるゆえに、大聖人が「仏尚我が所説なりと雖も不審有らば之を叙用(じょゆう)せざれとなり」と仰せのように、いかに猊下の発言であっても、とうてい道理とは思えないものに従うことはできないのであります。宗祖の云く「彼の万祈(ばんき)を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」と。仏法の道理に外れた指南には従わないという姿勢こそ、「時の貫首為(た)りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」と仰せられた日興上人の御心にも適う道であると信ずるものであります
創価学会が宗祖御遺命たる広宣流布達成の仏勅(ぶっちょく)を受けた団体たることは、先師の御指南並びにその出現の時機、行動に照らして明らかであります。総本山第65世日淳上人は、「開宗704年を迎へて」との論文の中で、「今此の七百余年の歴史を振り返って見て、此れを今日の状況と比較して考えますと今や状況は一大転換して、歴史の上に時代を劃(かく)しつつあると思います。それは創価学会の折伏弘教によって、正法が全国的に流通して未だ曽て無かった教団の一大拡張が現出されつつあることであります。此れを以て考えますと将来の歴史家は立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通広布の時代と定義するであろうと思われます。これまでの宗門の歴史を見ますれば時に隆昌がありましたが、結局護持といふことを出なかったと考えます」と仰せられ、大聖人の仏法を護持の時代、流通広布の時代に分けられ、立宗七百年をその境とせられたのであります。仁王(にんのう)経に云く、「仏波斯匿王(はしのくおう)に告げたまわく・是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず何を以ての故に王のごとき威力無ければなり」本尊抄に云く、「是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」
創価学会の出現により、まさに立宗七百年を境として折伏広布の時は開け、賢王たる歴代会長の不惜身命の戦いによって、今日宗門は、世界の宗門となったのであります。しかるに、その宗門の内実は、先述のごとく、前近代的、封建的体質から脱皮しきれず、門閥政治と信徒支配に明け暮れて、事実の上での広宣流布への実践を全く忘却し去った姿でありました。それを、広布の実践団体たる創価学会から厳しく指摘されるや、信徒の分際で何事かと、権威的対応に終始していたずらに反発し、ついに破門、御本尊下附停止の暴挙に及ぶに至ったのであります。
宗祖大聖人は、一閻浮提(いちえんぶだい)の衆生に御本尊を受持せしめ、もって一切衆生の救済を願われたのであります。本尊抄に云く、「地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」また云く、「一念三千を識(し)らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹(つつ)み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」
この宗祖の大慈大悲に対し、信仰を純粋に求める者に御本尊下附を拒む猊下の決定は、宗祖の御心を踏みにじる大謗法、大背信行為と言わざるを得ず、結果として三宝破壊以外の何物でもないと断ずるものであります。かかる状況に至るまで、私たちは、創価学会との和合なくして宗祖御遺命の達成は断じてあり得ないとの憂宗(ゆうしゅう)護法の思いから、幾度となく、猊下ならびに宗務院に対し、抗議し、その非を訴えてきました。特に、昨年三月には、池田名誉会長に対する根拠なき「謝罪要求書」に署名・捺印せよとの宗務院の方針について、それを撤回し、まず何よりも猊下と名誉会長が膝を交えて話し合うべきことが道理であると、直接言上申し上げましたが、猊下はまったく聞く耳をもたず、ただ猊下に信伏随従するか否かに終始され、学会との話し合いを拒否されたことは、まことに残念至極でありました。
その後も、理を尽くして、話し合いによる問題解決について申し上げたにもかかわらず、猊下に信伏随従しないものとの理由によって、すべて邪論、謗法として排斥され、あるいは無視されたのであります。私たちは、猊下の慈悲深き振る舞いを願ってまいりましたが、私たちの直言を聞き入れないばかりか、ますます非道に非道を重ねるに及んでは、もはや猊下には、大聖人の御魂はないと判断せざるを得ないのであります。このような事態を打開する道は、唯一つでありました。
すなわち、「かへりて大ざんげあるならば・たすかるへんも・あらんずらん」との御金言のとおり、猊下が、これまでの不当な措置をすべて撤回し、懺悔することであります。また、宗門執行部も、自らの非を認めて宗内僧俗に懺悔するとともに、速やかに学会破門を撤回し、こうした事態を招いた責任をとって、総退陣すべきであったのであります。
しかし、宗門は、このような真摯な措置をとることなく、大聖人の御精神に敵対して、ますます信徒を圧迫するに及んだため、私たちは、真の大聖人の門下として、もはやこれ以上宗内に留(とど)まることはできないと決意したのであります。原殿御返事に云く、「身延沢を罷(まか)り出で候事、面目なさ、本意(ほい)なさ申し尽し難く候へども、打還(うちかえ)し案じ候へば、いづくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候はん事こそ詮にて候へ。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候へば、本意忘るること無く候。又君達(きんだち)は何れも正義を御存知候へば悦び入って候。」
今、私たちは、謗法の山には住むまじとの断腸の思いで身延離山されし日興上人の御心を心として、あえて石山(せきざん)を離れるものであります。しかしながら、もとより、宗門改革の難作業を放擲(ほうてき)するものではありません。むしろ、今後も日蓮正宗の僧侶として、未来に大いなる希望を抱き、我らが生涯をかけ、あらゆる手段方法をもって、必ずや大石寺を本来の清流に戻すことを誓うものであります。今回の私たちの行動は、その第一歩であり、この決意と行動に対しては、宗開両祖も必ずお喜び下さることと確信するものであります。そして、宗門が真に宗開両祖の末流たるに恥じない姿に向かうときが来るならば、私たちは、喜んで帰山し、宗祖御遺命たる広宣流布の聖業に僧俗和合して邁進する所存であります。願わくば、広布の大願に立つ我が同志が、一人また一人と後に続かれんことを。
平成4年2月2日 工 藤 玄 英 大 橋 正 淳 吉 川 幸 道 池 田 託 道 串 岡 雄 敏 吉 川 雄 進 宮 川 雄 法 日 顕 上 人 猊 下