資料33 パンフレット(創価学会が戒壇の大御本尊を信仰の対象から放棄したことを知っていますか?)


創価学会の会員の皆さま、

創価学会が戒壇の大御本尊を信仰の対象から放棄したこと

を知っていますか?


学会執行部「大御本尊と決別」を断行

 平成26年11月8日付、『聖教新聞』において原田会長は「会則・教義条項の改正」を発表しました。

 その中で、創価学会がこれまで80年にわたり「信仰の根本」「功徳の源」としてきた、大石寺御安置の「弘安二年十月十二日の戒壇の大御本尊」を「受持しない」と正式に公言したのです。

 大御本尊を否定すれば、皆さまのご自宅の御本尊を含め、創価学会に存在する全ての本尊を否定することになります。


会員の了承もなし
突然の改変!


良識のある会員の皆さま、何か疑問に感じること
はありませんか?
一刻も早く日蓮正宗寺院にお尋ねください。




大御本尊との決別は、大聖人、日興上人、日寛上人に背く大謗法です。

創価学会の信仰では、大聖人の御遺命も自身の成仏も叶いません。

日蓮大聖人

  • 日蓮一期弘法付嘱書「国主この法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり
  • 百六箇抄「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり(中略)日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり

日興上人

  • 日興跡条々事「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊は、日目に之れを相伝す。本門寺に懸け奉るべし」

日寛上人

  • 観心本尊抄文段「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究境中の究境、本懐中の本懐なり。既に是三大秘法の随一なり、況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」



大御本尊を根本としてきた創価学会。

三代の会長が「永遠」「不動」と定義してきた根本教義を、1つも文証もなしに捨てたのです。

これは、創価学会80年の歴史を否定した、会員を冒涜(ぼうとく)する行為です。

牧口会長指導

  • 「本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝えられる大本尊を信じ奉る者が正しい信者である」(牧口常三郎全集10−151)」

戸田会長指導

  • 「ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年十月十二日の大御本尊から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです」(戸田城聖全集4−349)
  • 「本門戒壇の大御本尊を信じ奉らない者は、すべて謗法として禁じなければならない」(戸田城聖全集5−156)

池田名誉会長指導

  • 「次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。それは、一、三大秘法の大御本尊がいっさいの根本と拝していくことだ。ニ、御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことだ」(広布と人生を語る3−271)
  • 「大聖人の出生の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも 少しも変わらない。純真な『信心』の一念で唱えた題目は、即座に大御本尊に通じていく」(聖教新聞・平成5年9月19日付 ※創価学会破門後


Q & A

Q1.御本尊は「胸中の肉団」にあるといいますが、本当ですか?

A1.『日女御前御返事』にある「此の御本尊が胸中の肉団にまします」旨の御教示は、御本仏日蓮大聖人の深い御内証を明かされた部分であり、我々凡夫が自分の胸中を拝んで成仏するなどという意味ではありません。大聖人の御当体である大御本尊に対する正しい信仰によってのみ、個々の心中にも御本尊が涌現するのです。学会の理屈では、御本尊そのものが不要となってしまいます。


Q2.創価学会では「大御本尊を否定はしていない」といいますが・・・

A2.「受待の対象としない」ということは信仰の対象として放棄したという意味であり、大聖人の出世の本懐である大御本尊の仏様としての意義を否定したことになります。


Q3.20年以上も登山参詣せず、大御本尊を直接拝まなくても功徳があった?

A3.邪宗教となった創価学会に所属している限り、功徳と思われる作用は邪宗特有の魔の通力にすぎません。また、学会員の中には心に大御本尊を思い描いて勤行をしていた方もいたでしょう。しかし、今回の会則変更により、創価学会が名実ともに大御本尊から離れた以上、いくら会員が家庭の御本尊を拝んでも功徳を積む事はできないのです。


少しでも不安のある方は、日蓮正宗寺院へお尋ねください。