教学の基本について

昭和53年11月7日
於大講堂大広間
創価学会創立48周年記念代表幹部会(通称“お詫び登山”)
創価学会副会長 辻武寿

伝統、法義を一段と厳守

ただいま、北条理事長より、信徒団体としての基本について確認がありましたが、私からは、これをふまえて、私どもが留意すべき点について申し上げます。

それはまず第一に、戒壇の大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、再び原点に戻って確認したいのであります。戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません。日寛上人は「就中(なかんずく)弘安2年の本門戒壇の御本尊は、究境中の究境、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘宝の随一なり。況や一閻浮代総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段)と仰せであります。この戒壇の大御本尊を厳護するためにこそ、日蓮正宗の厳粛なる化儀、伝統があるのであり、その点われわれ信徒は、よく確認していかねばなりません。

その意味からも、不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げました。今後御本尊に関しては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。

第二には、唯授一人、血脈付法の猊下のご指南に従い、正宗の法義を尊重してまいりたいと思います。「身延相承書」に「血脈の次第 日蓮日興」(御書全集1600頁)とありますごとく、日蓮大聖人の法体、御法門は、すべて現法主日達上人猊下に受け継がれております。ゆえに創価学会は広布を目指し、社会に仏法を弘通、展開していくにしても、その大前提として、猊下のご指南に、いっさい従っていくことを、忘れてはならないのであります。

第三に学会員の心情には、長い歴史のなかで、自然に会長への敬愛の念が培われてきましたが、またそれは当然であるとしても、その心情を表すのに、いきすぎた表現はさけなければなりません。「法華初心成仏抄」のなかに「よき火打ちとよき石のかどと・よきほくちとこの三つより合いて火を用ゆるなり。祈りも又是の如し。よき師と・よき檀那と・よき法とこの三つ寄り合いて祈りを成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(同550頁)とあります。この御文のなかに、よき法とは、いうまでもなく末法の法華経たる三大秘宝の大仏法であります。よき師とは、末法の御本仏日蓮大聖人であらせられ、また代々の血脈付法の御法主猊下であると拝するのであります。

私ども創価学会は、よき檀那の立場でなくてはなりません。したがって、今日において、学会で師弟という場合、よき檀那のなかにおける指導性の問題であり、私どもにとっては、代々の会長は、折伏・弘通の師であり、現代社会における人生の師であることを銘記すべきであります。

この三点に基づき、広宣流布を目指す学会の教学の展開についてふれれば、その大原則は、6月30日付聖教新聞に掲載した「教学上の基本問題について」に明らかであります。これは、猊下のご指南を得て発表したものであり、今後の展開の規範として、さらに学習してまいる方針でありますので、よろしくお願いいたします。

その他にもご指摘をうけております点についても、鋭意正してまいります。また今後、教学展開上の重要な問題があった場合には、御宗門の教学部に検討、指導をお願いするようにしてまいりたいと思います。

日蓮大聖人様の法義は、深遠かつ厳正なものであります。したがって、日蓮大聖人の根本の教義に関する仏法用語を使用する場合は、かならずその大前提をふまえねばなりません。そのほか、たとえば、在在諸仏土常与師倶生(ざいざいしょぶつどじょうよしぐしょう)とか、如来如実知見とか、大導師とか、本来、仏にのみ用いる言葉を、私どもの立場にあてはめることは、厳に慎むべきでありましょう。

このような姿勢で、今後、学会は進んでまいりますので、御宗門の先生におかれましては、温かく見守ってくださり、またお気付きの点があれば、私ども幹部に率直におっしゃっていただきたいと思います。


新しい宗教運動の波起こそう

しかし、だからといって、社会に向かって仏法を弘通する自信を失ってはなりません。それが、私ども在家の尊き使命であるからであります。今日、幾百万の庶民が、幾十カ国にわたり、国を超え民族を超え、真剣に仏法を学習している姿が、いずこにありましょうか。 日常生活のなかに、人生に、社会に大聖人の仏法が新鮮な感動をもって語られている姿は、未曾有のことであります。大聖人の仏法は力強く全世界の鼓動していることの感を深くいたします。 御聖訓にいわく「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりおこるべく候、力あらば一文一句なりとも語らせ給うべし」(同1361頁)と。

すなわち、正信のもとに、行学を錬磨し、さらにさらに人々の救済のために、大仏法を一文一句たりとも語り継いでいきなさいとの仰せであります。したがって、私どもは今ふたたびの新しい船出にあたって、この御聖訓のままに、原則をふまえつつ、社会のなかにあって、不幸な民衆救済のために、胸を張り、誇らかに仏法を語りに語り、新しい宗教運動の波を、万波のごとく起こしてまいろうではありませんか。