御法主日達上人猊下のお言葉

昭和53年11月7日
於大講堂大広間
創価学会創立48周年登山代表幹部会(通称“お詫び登山”)

先程来、学会の幹部の方々から種々とお話を承りました。

確かに、この数年、学会と宗門の間に種々な不協和の点がありまして、騒ぎにもなりましたが、こういう状態が続くことは宗開両祖の御精神に照らして憂慮すべきであることはいうまでもありません。こうした状態をいつまでも続けているということは、世間の物笑いになり、我が集団を破壊することにもなりかねないといつも心配しておりました。幸い、学会においてその点に気づかれて今後の改善のために反省すべき点は率直に反省し、改めるべき点を明確に改める決意をされたことは、まことに喜ばしいことであります。

どうか今後は、今日の決意を出発点として池田会長を中心に、いっそうの広宣流布への邁進と宗門外護を改めてよろしくお願いします。


僧侶の役割は、はた目に見るほどなまやさしいものではありません。非才の身ではありますが、僧侶は一同、常日頃から我が正宗僧侶にふさわしい人格と識見を各々が身につけるべく鋭意教育に努め、各人にもそれぞれ努力を促しております。また各寺院についても、信徒の依止の道場としての確固とした基盤を築くべく、日夜努力を重ねております。

しかしながら我が宗門においては若い僧侶が多く、指導力が足らなくて信徒の皆さまに御不満を招く場合もあるかと思いますが、僧侶も寺も、信徒の皆さまの暖かい御支援と理解と思いやりがあれば、より立派に育つものであります。もちろん、どんな逆境にあっても御本尊を厳護し、大聖人の仏法を一歩たりとも前進させるのが正宗僧侶の悲願であり、決して信徒や世間に甘えるつもりはありません。しかし人々の無理解のため、あるいは悪意の中傷に紛動されてもっともたよるべき信徒が寺院を非難中傷し、圧迫するようなことがあれば僧侶はまことに悲しい思いをいたして、否応なく反論しなくてはならないのであります。こうした言動は破和合僧であり、正宗の法義にももとる行為であると指摘せざるを得ないのであります。賢明なる幹部の皆さまは、この辺をよくよく御理解のうえ、正しい寺壇関係の確立に最大の決意と努力をお願いいたします。これに対しては、各僧侶も最大の信頼と感謝をもって応えることにやぶさかではないのであります。


この三十年間、学会はまことに奇跡的な大発展を遂げられた。そのために今日の我が宗門の繁栄が築かれたことは歴史的事実であり、その功績は仏教史に残るべき、まことに輝かしいものであります。しかし、その陰に、宗門の僧侶の挙(こぞ)っての支援と協力があったことを忘れないでいただきたいのです。体制的には、学会の発展に十分ついていけない部分があり、依存することも多かったが幸い人材も育ったので今後は、宗門としてなすべきことは自ら責任をもって果たしていく決意であります。

とにかく大聖人以来、七百年間守りつづけてきた伝統と教義の根本はあくまで守り伝えなくてはならないのであります。これをふまえなかったならば仮にこれからいくら勢力が増しても、広宣流布は見せかけのものであったかとの後世の批判を免れることはできないのではないかと心配いたします。私は法主として、正しい信心を全信徒に持(たも)ってもらうよう最大限の努力をする責任があります。その立場から老婆心ながら、この点をあえて強調しなくてはならないのであります。私はもとより池田会長の信心を信頼し、正しい日蓮正宗の信仰を全信徒に深めることをお願いいたします。


今回の経過中に新しく檀徒となられた方々については、その寺院の住職教師が責任をもって正しき正宗信徒として指導していただきたいのであります。今日、私が申し上げたことを、ここに確認された学会の路線が正しく実現されるということの上で、これまでのさわぎについてはすべてここに終止符をつけて、相手の悪口、中傷をいい合うことなく、理想的な僧俗一致の実現をめざしてがんばっていただきたいのであります。戒壇の大御本尊を中心に僧侶、檀信徒、ともども一致団結して手をとり合ってまいりたいのであります。

要するに過去のあやまちは過去の出来事として納め、現当に亘(わた)り我が日蓮正宗をいかに強力に発展させ広宣流布を実現するかにあるのです。我々の信心する御本尊は現当二世の御利益を賜る御本尊であります。過去のことにいつまでもこだわることなく今日以後、真の僧俗の和合層を実現して我が宗門を守っていただきたいと私はお願いするのであります。

皆様どうかよろしくご賢察をお願いいたします。