以上、阿部家の墓碑建立・開眼供養に関する創価学会の誹謗中傷は、遺族の厳粛な先祖供養の尊い真心を踏みにじる名誉毀損の暴言であることを指摘するとともに、当然のことながら御法主日顕上人猊下のお振る舞いには、本宗の信心において一分の誤りもないことを明記して、『創価新報』および『地涌からの通信』等の中傷記事に対する破折とする。(資料1) 墓石に対する学会の誹謗を破す
◆ 問題の発端今回、創価学会では、平成3年9月27日付の『中外日報』に、「日顕法主が“邪宗の墓地”に先祖墓」などという大見出しを付け、誹謗・中傷記事を掲載するや、これを受け継いで、早速、森田一哉理事長が同29日、千駄ヶ谷の創価国際友好会館で行われた船橋の本部研修会で、
次号の創価新報にに掲載されるが、驚くことにに日顕猊下は、福島市内の曹洞宗・白山寺にある墓地に墓石を新たに建立し、平成元年7月7日に自ら足を運んで墓参・法要まで行っている。墓には「為先祖代々菩提 建立之 日顕花押」と刻まれている。(中略)日顕猊下の振る舞いは、そうした信徒の純真な信心を踏みにじるものであり、強い憤りを禁じえない。 等と発言している。そして面白いことに、本年初頭より全国の寺院に毎日無断で送信されてくる宗門批判の怪文書『地涌からの通信』の9月29日号から、このことが連載されている。
この日の森田理事長の発言どおり、10月2日付の『創価新報』に、御法主日顕上人猊下の御親戚に当たる福島県福島市荒井の阿部賢蔵氏(総本山第60世日開上人の弟の銀蔵氏から数えて4代目)が、平成元年7月、先祖代代の墓地に墓石を新たに建立したことに関しての卑劣な中傷記事が掲載されたのである。
◆ 墓石を建立した墓地は元より村の共同墓地御法主上人猊下は、縁戚の阿部氏より願い出の墓石のお題目を御書写あそばされるのに際して、福島の阿部家は実父である日開上人の生家であることから、その報恩の意味も兼ねて建立の費用を負担しようと仰せられ、当主他福島阿部家一同が、このお慈悲を有り難くお受けして墓石の建立をお願いされたものである。
さて創価学会が口汚く罵っている当の墓地についてであるが、この墓地は村の共同墓地的な性格のもので、昔は土葬の墓地であった。現在は白山寺とい禅宗の寺院が管理に当たっているが、厳密には三つに区分けされている。第一区画は明治時代からの村の共同墓地であり、第二区画はそれが後に拡張されたところである(※阿部氏の母のキンさんや、同所に墓地を持つ方の話を聞くと、この墓地は第一区画の共同墓地が狭くなったために昭和24年に拡張造成されたもので、その折、阿部家もここに墓地を購入したとのことである)。現在は、白山寺は第三区画の檀家専用の墓地については檀家にならなければ分譲しないが、第一・第二区画の墓地は墓石や塔婆供養等、宗派を問わず自由にしてもらっているのであり、共同墓地が狭くなったから拡張したというのが村の人達の認識である。
その証拠としても言える事は、白山寺の境内地域と、第一・第二区画の村民共同墓地との間は塀で仕切られており、第一区画・第二区画の墓地は寺院に関係なく、一般道から自由に出入りができるのである。こうしたところなので、日顕上人猊下阿部家での法事を済まされた後で墓地に赴かれ、墓石の開眼供養をなされたのである。
◆ 墓石は福島阿部家のものであり、猊下の自家のものではない創価学会では、猊下が自家の墓地を寺院に造ったと誹謗しているが、それは間違いであり、学会が指摘する墓地は福島の阿部本家の墓地である。猊下御一家の墓は、すでに戦前、第60世日開上人の代において、総本山大石寺の墓地内に建立されているのである。福島の本家は、日開上人の弟の銀蔵氏が後を継いだわけであるから、その村の墓地に阿部家代々の墓があっても何の不思議もないのである。
◆ 創価学会の今回の誹謗は歴史的に自己矛盾しているここで、本宗と創価学会におけるこれまでの他宗の寺院管理下の墓地使用の件について、過去の経緯をたどってみよう。宗内における墓地問題が特に顕著になったのは、昭和34年から36年頃のことで『大白蓮華』にもこの墓地問題を特集している。その中で秋谷城永氏(現栄之助会長)は、
と言っているのである。今回の創価学会の誹謗記事によれば、以前のこうした創価学会の一連の指導も、謗法与同であったことになり、創価学会が草創期から行ってきた墓地訴訟も謗法だったいうことになる。当時の記事を『創価学会年表』によってみると、
月に一万世帯を越える改宗者が出るという事は、敵にとって驚異であることはいうまでもない。これは仏教会共通の問題として、県仏教会、さらに全日本仏教会で(※創価学会)対策協議が重ねられた。そして離檀防止の最良の手段として考え出されたのが、墓を押えれば檀家は逃げられないとして、次々のその措置がとられた。そこで、昭和31年頃から一斉に県仏教会単位の動きとなり、新しい墓地規約ないし寺院規約を作って檀家の承認を求めて歩き出したのである。 一、○○寺の墓地は○○寺の檀家のみが借用して使用する権利がある。
一、信仰上のの相違から檀徒でなくなった時は、速やかに墓地を他へ改葬して、跡地を管理者に引き渡さなければならない。
一、三ヶ年の付け届けを納めず何の連絡もないときは、無縁とみなし、その使用権を取り消して、適当に処置することがある。といのが骨子である。これは明らかに墓地をもって改宗の自由を奪おうとした卑劣な手段である。そこで信仰上からは断固、これらの邪智を破るとともに国法律の上でも、この際(※他宗の)墓地の使用権を確認して、この不法な墓地問題を解決すべきであると、真剣に取り組んでいる。広宣流布途上の大きな歴史に残る闘争であることは、全学会員がはっきりと自覚すべき事であろう。
等々と、学会員がこの問題に真剣に取り組んだ様子が伺われるが、今回の学会の主張をもってするに、この闘争は悉く無駄であり、徒労であったということになろう。他をあれこれ誹謗中傷する前に、創価学会は自らの過去の所行をよく思い起こすことが先決である。もとより学会の過去の所行が誤りであったといっているのではない。ただ、当時はさんざんにして他宗寺院に対して墓地に埋葬させろと争っておきながら、今度はたまたま猊下に関することが出てくると、まるで鬼の首を取ったかのように、「他宗管理の墓地を使用することは謗法だ!」などと、全く逆の事を掲載し中傷するのは明らかに自己矛盾であり、一貫性の無さを指摘しておく。今回の学会問題の焦点をぼかすために必死なのはわかるが、これでは他宗の物笑いの種になるのが落ちである。
○ 昭和35年3月8日 厚生省、墓地・埋葬等に関する法律第13条の解釈について、新しい基準を出す。改宗を理由に埋葬拒否はできないむねが明らかにされ、学会の正しさが裏付けられる。
○ 昭和36年2月11日無断で墓地を移転した日蓮宗妙海寺(川崎)の住職、改宗を理由に埋葬・墓参などの妨害をしないむねの誓約書を書き謝罪。
○ 昭和36年8月8日真言宗東寺派の等覚院住職(神奈川県中郡)、改宗を理由に遺体埋葬を拒否。本部では渉外局から二人の局員を派遣し、警官立ち会いのもと無事に埋葬。
◆ それなら、現在他宗寺院に墓のある学会員は謗法なのか現在創価学会員であっても、他宗寺院にある従来の墓地、あるいは他の宗教団体が経営する宗派を問わない霊園等に、本宗寺院の住職がしたためたお題目を墓石に刻んでいる方はたくさんいる。もし阿部家の墓が謗法ならば、それらの会員の墓も全て謗法という事になる。事実、今回学会が誹謗している墓地には、やはり日顕上人猊下がお題目を書写された三件の本宗寺院の墓があるのである(※今回の問題を期に三軒とも創価学会から脱会)。
日蓮正宗の信徒となった家で、従来の墓を処分して本宗寺院の墓地へ移転する事は信仰上結構なことであるが、しかし、日本の国土は非常に狭く、特に都市部では墓地として使用出来る土地の面積も限られている。広宣流布が進展するにあたって、もしも他宗寺院における従来の墓の使用を認めず、本宗寺院の墓地でなければ駄目だとしたら、将来広大な土地を占有する墓地公害となりかねない。さらに、新規に墓地を造成することは、現在のところ寺院においては簡単にはできないという、各都道府県の行政上の事情がある。これらのことからも、先に述べたように従来からある代々の墓に、お題目をしたためた墓石を建立して、日蓮正宗の信徒の墓と考えるのは当然のことである。
大切な事は、墓地の管理者が誰かという事ではなく、きちんと日蓮正宗の化儀に則ってお題目をしたためた墓石を建立・開眼できるかどうかである。
今回、御法主上人猊下が福島阿部家の墓碑にお題目をしたためられたのは、本宗の化儀にに則られたお考えの上になされたことである。それは中国第一の能筆家の遺竜が書写した妙法蓮華経の功徳に包まれて、父の烏竜が成仏したように、阿部家の先祖代々も御法主日顕上人猊下の御慈悲に浴して成仏を遂げたことであろう。
御法主日顕上人猊下におかれましては、益々御健勝にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。
この度の創価学会機関紙、聖教新聞等において、平成元年7月17日の阿部家の法要、並びに墓碑の開眼供養について、猊下様への理不尽な誹謗、中傷記事が掲載されていることにつきまして、強い憤りを覚えるものであります。と共に私どもの墓地改修に関しまして、猊下様へ大変な御迷惑が御尊体にまで及びましたこと、誠に申し訳ございません。深くお詫び申し上げる次第でございます。
もともと墓石建立の経緯は、阿部家先祖代々の墓は当家近辺の墓地にございましたが、明治初年に村の共同墓地を造ります時に、移転したものでございます。そして、この共同墓地が狭くなりましたため、昭和24年に拡張された墓地へ更に墓を建立していたのでありますが、この墓がやはり土葬で雑然としておりましたので、私が父を始めとする先祖代々の諸精霊追善供養証大菩提の為に、この墓を改修したいと念願したのが始まりであり、この私の希望を親族一同も賛成してくれたのでございます。
その際、私の願いが猊下様のお耳に届き、日開上人様の生家の墓地という因縁から、深甚の御慈悲を賜り、御題目を御書写たまわるのみか、我が家にて御法要までおつとめ賜り、その上墓地にまでお出まし頂きまして、当家親族一同、猊下様の有り難き御意に対し奉り、深く感謝申し上げた次第でございました。私ども一族は猊下様への御報恩のためにも、この地の方々を一人でも多く、日蓮大聖人の仏法に縁されるよう、折伏を実践し、正法流布への前進を誓いあってまいったところでございました。
ところが今回の聖教新聞の記事は、私ども阿部家一同の、先祖代々への追善供養の心と、猊下様の御慈悲を踏みにじる内容で、深い悲しみに震えておるところでございます。そもそも、今回の墓地改修は前述のごとく、私どもが親族一同と共に発願致したもので、猊下様にはただ甚大なる御慈悲を賜ったのみでございます。それにもかかわらず、学会では、猊下様が白山寺に自らの墓を建立したかのごとく言っておりますことは、誠に心外でございます。
私どもの墓は、寺の隣にある墓地と申しましても、古くからの共同墓地であり、また昭和24年に新しく建てた墓の場所は、共同墓地が狭くなったので、拡張した墓地であると父祖より聞き及んでおりましたから、その造成の際に私の祖父が共同墓地として買い求めたものと思って今日に至ったところでございます。従いまして、今回の平成元年の墓地改修に当たりましても、同様の認識でおりましたのでそのまま建立した次第でございます。
しかるに今回創価学会からの誹謗記事には、当該墓地は白山寺の所有であり、所謂「禅寺の墓地」であるとの指摘があり、私どもの古来からの認識と食い違うため、当方においても私の父は逝去しておりますので、村の古老に聞きましたところ、やはりあれは共同墓地だという意見でございました。そればかりでなく、昭和24年に拡張した墓地も、父が購入したものではありませず、明治以来の共同墓地を持っている者全員に無償にて提供されたものであったことも分かりました。
それがどういう理由により、現在白山寺の所有となったのかは分かりませんが、父祖以来、共同墓地として参ったものを、今更そうでないと言われるのは納得いきません。とはいえ、私どもが土地登記上のことがわかりませずに、不用意に猊下様をお招きしてしまい、日蓮大聖人よりの血脈法水を継承されます猊下様に対し奉り、甚大なる謂われなき誹謗と中傷をなさしめる隙を作る結果となりましたこと、日蓮正宗の信徒として申し訳なく、衷心より深くお詫び申し上げる次第でございます。私共は、猊下様の深き御慈悲を思うと、居ても立ってもおられない心境でございます。重ねて深くお詫び申し上げます。
しかし、明治以来の旧共同墓地にあります阿部家代々の旧墓碑にも「妙法」とお彫りしてございますように、当家には先祖代々正宗信徒としての節を通して参った誇りがございます。今回の学会の謂われなき猊下様への誹謗は、誠に申し訳なく勿体ない限りでございますが、私ども阿部家にとりましても信仰の誇りを傷つけられたものであり、心からの怒りを覚える次第でございます。
この上は、私どもは、昭和60年に猊下様が御指南されておりますところの、「正しいお寺に墓地をとったからといって、安心して信心修行に怠けるならば、またそこからおのずと退転の形、不幸の姿が始まっていくわけでありますから、そのところの根本は、墓にあるのではなく、自分自身の信心に一切の幸せも、先祖追善の意義も存するということを忘れずに、励んでいくことが大切とおもうのでございます」との御言葉を拝し、阿部家、及び親族一同正法を固く護持し、福島、なかんずく日開上人御生誕の地、荒井にあって、我が身の罪障消滅と、令法久住の精神を忘れずに、孫子末代まで信心修行に励み、更には地域の方々の中に在りながら、誠心誠意、正義を主張してまいることをお誓い申し上げる次第でございます。
以上、誠に粗辞ではございますが、当主及び親族と致しまして、この度、御迷惑をおかけいたしましたことを衷心よりお詫び申し上げますと共に、心からのお誓いの言葉とさせて頂きます。 敬白
十月十三日
阿部賢蔵・渡辺信一・親族一同
御法主日顕上人猊下 御座下
福島市荒井字八幡上 一 地番・壱九 二 地目・墳墓地 所有権者氏名 阿部由右ヱ門 阿部庄右ヱ門 (日開上人の実父) 阿部政治 阿部祐三
これは当時の阿部一族の墳墓地の登記簿謄本ですが、この場所は、阿部家の集落からさほど遠くない畑の中であ り、この墓が阿部本家先祖代々の墓所なのであります。
ところが、明治17年、『太政官布達』第25號により、墓地に関して次のような規則が制定されました。
第25號 10月4日(内務卿連署) 墓地及埋葬取締規則左ノ通リ相定ム 墓地及埋葬取締規則 第一條 墓地及火葬場ハ管轄廳ヨリ許可シタル區域ニ限ルモノトス 第二條 墓地及火葬場ハ總テ所轄警察署ノ取締ヲ受クベキモノトス 第三條〜第八條省略
この通達により、従来は村の個々の集落に存在していた個人の墳墓への埋葬が禁止され、地域毎に一カ所に纏めた官許の墓地のみに埋葬するようにとの規制が明治政府により施行されたのであります。
阿部家の墓地もこの時に他の村人と共に、共同墓地に移ったものであることが、様々な事情から断定出来ます。即ち、江戸時代まで荒井村では、上記の阿部家の墓所同様、村の集落毎に墳墓が存したのですが、この明治17年の布達以降、村の北部は台原の共同墓地、南部はこの白山寺脇の墓地を始めとして、数カ所の官許の墓地に纏められたのであります。
白山寺脇の明治期に造成された部分の墓地が、この時に造成されたことは、そこにある墓石の殆どが明治時代以降のものであることからも証明されます。それ以前の村人の墓地は阿部家の墓地同様、それぞれの集落に存したからです。白山寺が建立されたのは江戸中期の寛永年間ですが、村人の墓地がその遥か以前から諸処に存したことは当然であります。
創価学会では、この白山寺脇の明治期造成の墓地から1キロ程離れたところに本当の共同墓地があるなどと言っていますが、距離的にこれに該当する墓地は荒井では「叺内墓地」であるが、同墓地の標記は「共同墓地」などではなく、埋葬許可を受けた集落の専用墓地であり、その墓地管理者はやはり白山寺住職なのであります。
また学会では、県保健所・衛生課、及び市役所・保健衛生課の墓地台帳等の記載記事を持ち出して、当該の墓は全て白山寺の墓地であると強弁しています。保健衛生課の台帳はたしかに管理経営責任者として同寺の名を記していますが、それは単に管理経営者として記載されているに過ぎないのであります。さらに学会は登記上、白山寺に隣接する三区画の墓地全てが白山寺の所有であるとしていますが、この明治期に開かれた共同墓地は、現在も白山寺の所有権保存登記はついていません。明治期の土地台帳の所有者の項にある「一村持」の記述によっても、明らかに共同墓地であったことが立証されます。たしかに他の二区画の墓地(学会では白山寺の墓地に区画などないと言っているが、その成立、性格等において厳然と区別が存するのである)については、昭和24年に拡張された分と、昭和40年代以降に同寺が分譲を開始した分とは、帳簿上、現在白山寺の所有・管理となっています。
しかし、村の古老の証言によれば、昭和24年に行われた墓地の拡張については、戦後暫くの間、同地方は土葬の習慣が残っており、明治期に造成された共同墓地が、掘り返し、掘り返しで、自他の墓の区別がつかない程一杯になったので、この共同墓地を持っている人全員に対し、無償で提供されたのが当時の事情ということであります。また、その墓地拡張部分の近辺は、古来白山寺の名受け持添地であったことから、昭和24年前後の頃、農地開放が行われておりますが、当該拡張墓地も当時のかかる状況のもとに、無償にて村人に提供されたものと推定されます。昭和35年の国土調査の前後まで、当該墓地の土地に白山寺の登記がついていないのは、この辺の事情を物語るものであろうと思われます。その墓地拡張部分の土地が、昭和35年に白山寺に保存登記がついたことは確かに事実であります。
しかし、そのような土地の所有権の確定乃至移動があったにせよ、通常、村人と致しましては、墓地の土地に新たに所有者の登記がつきましても、特にそれを調べる筈もなく、当該墓地は共同墓地の拡張部分という意識であったことは、無償供与の情況から、むしろ当然であります。実際その古老も、また今回学会から法華講へ移籍した阿部朝男氏も、同墓地が共同墓地の拡張部分であると認識していますし、更には、同白山寺の夫人ですら中外日報の記者に対し、「あそこは共同墓地だと聞いている」と話したとのことであります。
要するに、昭和24年に拡張した墓地は、墓地の性格としては、太政官布達に基づく官の指令による明治以来の公共墓地の拡張であるが、土地の所有と、墓地の管理は現在白山寺が行っているということであります。そもそも、このように、明治以来の複雑な墓地造成の状況が存する場合において、何よりも大切なことは、墓の土地の所有者、乃至は経営管理者が誰であるかということよりも、当の墓地を使用する当事者の慣習ということが最大に尊重されなければならないことは当然であります。言葉を替えれば、単に墓地の表記が共同墓地であるかないか、或は寺院の所有であるかないかということよりも、実際の墓地の性格が寺院墓地なのか、共同墓地なのか、ということが大切な判断の基準でなければなりません。
学会が言うように、これらの墓地全てが、純然たる白山寺の寺院墓地であるならば、墓地埋葬法13条により、他宗の典礼を拒むことも出来るのであります。県保健所・衛生課、及び市役所・保健衛生課の墓地台帳等に、白山寺に隣接する墓地を白山寺墓地と表記してあっても、それは前述の如く、墓地の管理寺院である意味なのであり、当該墓地については、明治期以来の共同墓地としての慣習が、厳然と生きていると言わねばなりません。故に今回の阿部本家の墓碑開眼に際しても、同家として白山寺へは、管理寺院に対する世間的儀礼の上からの挨拶をしたまでであります。また更に今回の調査で判明したことは、福島・広布寺草創期の某功労信徒の墓が、現在も真言宗寺院管理の墓地に存しますが、そこには52世日霑上人、59世日亨上人の御署名花押入りの墓碑が建立されています。
このように、例え他宗の管理乃至所有する墓地であっても、信仰上、本宗の墓碑を建立し、また塔婆を建立できる等、正しく本宗の化儀に則った先祖供養を遂行し得る状況があるならば、これを建立すること自体は、本宗の信仰上、何の問題もないのであります。
大聖人様が、当時は台密乃至は東密系であったと推定される清澄寺にある師匠の道善房の墓にたいし、御回向に弟子を遣わされた御慈悲を拝するとき、徒に他宗管理の墓に対して、特別な嫌悪感を抱くのは、日蓮大聖人の仏法の広大な慈悲の上から間違いであると言うべきであり、要は一切の事柄において、信心を根本として、折伏精神に立つとともに、慈悲をもって対処していくべきなのであります。
以上が福島・阿部本家の墓地が今日の場所に存在する理由につき、現在迄に判明した調査結果と、これに対する文書班有志としての見解であります。宗内各位には、御法主上人に対する阿部家からのお詫びの手紙、および文書班有志の調査によっても、創価学会のこの問題に関する聖教新聞・創価新報・地涌等の記事内容は、まったくの言いがかりに過ぎない悪辣な誹謗中傷でありますことを御理解ください。
学会員 当たり前ですよ。近くに正宗寺院があるにも拘わらず、禅寺に自分の家の墓を建てるような謗法法主だから、創価学会を平気で破門にできるんですよ。
法華講 あなたは基本的なところから間違っています。あなたの言う禅寺−福島の白山寺に墓をもつ「阿部家」とは、猊下様のお父上・日開上人の御生家ですが、日開上人の御兄弟の阿部銀蔵氏が当主となった家、つまり日顕上人猊下様から見れば御親戚の家なんです。そもそも、猊下様のの御実家にあたる阿部家の墓は、日開上人の御代に建立されて、今でも大石寺の墓苑内にありますよ。それなのに、白山寺の墓が日顕上人猊下様の御実家のものであるかのように報道する。すでに、そこから事実を曲げているんですよ。その上、猊下様が新たに白山寺に墓を建立したように言っていますが、実際は、福島・阿部家の墓は白山寺裏の墓地に元々あったんですよ。
学会員 何を言ってるんですか。墓石にはちゃんと「建立之日顕」とありますよ。日顕が新たに墓を建立したという証拠じゃないですか。
法華講 それは、元々あった墓の、墓石を新しくすることになった際、猊下様が墓石の費用を提供されたから、墓石に「建立之日顕」と刻まれた。それだけのことです。それが何か問題になるんですか?
学会員 いやたとえ親戚の墓であろうと、元々あった墓だろうと、法主ともあろう者が、邪宗の墓地へ行って法要をするなんて、許されると思っているんですか、大謗法ですよ。
法華講 総本山第9世日有上人の『化儀抄』をご存知ないんですね。その第87条に、「縦(たと)い禅・念仏の寺・道場なりとも、法華宗の檀那施主等が之れ有らば、仏事を受くべきなり」とおっしゃっているんです。猊下様が行なった墓石の開眼法要は、この『化儀抄』の御文のままに実行されたまでのことですよ。
学会員 …でも、近くに正宗寺院があるんだから、そこに墓を移せばいいでしょう。禅寺にそのまま残しておいたこと自体が謗法ですよ。
法華講 はて、正宗寺院に墓を移さなければ謗法になる、なんていう御文、御書にはありませんよ。
学会員 何言ってるんですか。日顕自身が、昭和61年に、「もし、その墓地が間違ったところにいつまでもありますると、いろいろな悪縁に引かれて、その子供、さらに孫というような形のなかで、だんだんと正法の信心が崩れていくというようなことも、まま見受けられるところでございます」と言っているでしょう。日顕は自分の言ったことも忘れてしまったんですかね。
法華講 よくお読みなさい。「まま見受けられる」とは、時々見られるということであって、絶対にこうだ、ということではありません。それに、それは切り文ですよ。その後には、「しかしながら、正しいお墓に墓地をとったからといって、安心して、信心修行に怠けるならば、またそこからおのずと退転の形、不幸の姿が始まっていくわけでありますから、そのところの根本は墓にあるのではなく、自分自身の信心に、一切の幸せも先祖追善の意義も存する、ということを忘れずに励んでいくことが大切と思うのでございます」とおっしゃっているんです。つまり、墓がどこにある、ということよりも大切なのはその家その人の信心、ということですよ。よく考えてご覧なさい、福島の阿部家だって、当然れっきとした日蓮正宗です。きちんと南無妙法蓮華経と刻まれた墓石を建て、猊下様がきちんと大導師をなさって、日蓮正宗の化儀に則った開眼法要がなされている、何の問題があるというんですか。
学会員 しかし、この日顕の言葉からいっても、墓は正宗の墓地に移す方がより理想的であることは間違いない。それを親戚にさせないなんて、無慈悲じゃないですか。
法華講 それなら、これはどうです。これは、東京・大田区の真言宗寺院・密厳院にある、正真正銘、池田大作名さんの御実家の墓の写真です。あなたの説からいけば、創価学会の名誉会長ともあろう者が、実家の墓を真言宗の寺院に残したままにしておくとは、無慈悲じゃないですか? しかも、この写真で見ると、真新しい真言宗の塔婆まで立っています。つまり、今でも邪宗で供養をしているようですが、いいんですか?これぞスバリ、「間違ったところにいつまでも置いたままで、しかも、信心修行を怠けてしまった家の墓」ではありませんか?
学会員 …し、しかしね、墓地の裏側からこそこそ出入りし、折伏もしないなんて、大聖人の精神を忘れてるよ。
法華講 裏からこそこそ。ですか、「物は書きよう」ですね。まったく創価新報のデタラメさには呆れますね。
学会員 デタラメって、何を根拠に言うんです。
法華講 創価新報が載せている法要当日の写真をよくご覧なさい。雨よけのシートを張ったり、数十人の人間が出入りしているんですから、いやでも人の目にとまりますし、法要だって5分や10分で終わるものでもない。こそこそ出入りすることが不可能なのは、一日瞭然、誰の日にも明らかですよ。だいたい、こそこそする必要なんか最初からないから堂々と行なわれた、当たりまえでしよう。
学会員 ……。
法華講 そういえば、創価新報が好んで書くような文章の作り方の解説が、『第三文明』平成6年2月号に載っていますよ。「週刊誌の作り方」という記事の中に、「あらかじめ善悪を決め、タイトルを付け、そのストーリーに則り記事を展開する」「事実が大事なのではない。要は今一番注目されている人間を使って、読者の喜びそうな記事をどうつくるかだ」「事実はどうでもいい。要はどう見えるか−この記事作りのスタンスは、生き続けている」。禅寺云々の記事など、まるっきりこのとおりの作り方じゃないですか。
学会員 ……でも、日顕は白山寺の住職を破折していないでしょう。末法は折伏第一。学会では、禅寺に行って折伏しなかったことを問題にしているんですよ。
法華員 ほう、あなたは、いつ、いかなる時でも、法義論争しなければ「折伏」ではない、と言うんですね?
学会員 当たり前ですよ。法主という立場なんだから、率先して範を示すべきです。
法華講 では、池田大作さんの場合を考えてみましょうか。池田大作さんは各国の要人とよく会見しますが、その相手を破折しているんでしょうか。聖教新聞で対談を読むと、そうは思えませんね。
学会員 …言葉に出さなくとも、先生のすばらしい振る舞いを見て、みんな仏法に理解を示すんですよ。それが折伏になってるんだ。
法華講 なるほどね。結局、法義論争だけが折伏ではないというわけですね。ならば、猊下様が正宗の化儀に則って墓石の開眼供養をしたことも、その振る舞いで正しい仏法の化儀を示されたわけだから、それこそ立派な折伏になる、ということも理解できますね。
学会員 ・・・・・・。
※この原稿を掲載するに当り、石田桂一さんをはじめとする蓮成坊實修講支部青年部有志の方々の御協力をいただきました。
(参考資料) 問答ダイジェスト 墓騒ぎで墓穴掘る学会員編
法華講 最近の創価新報に、懲りもせず禅寺云々の記事が載っていますが、あなたもあれを信じているんですか。