C04:極秘文書『北条報告書』の背景を探る

三学院主管・花野充道



過日、日蓮正宗全国檀徒新聞「継命(けいみょう)」等を通じて、北条会長(当時理事長)が昭和49年5月10日及び6月18日に、池田名誉会長(当時会長)に宛てた自筆の報告書が紹介された。

あまりにも衝撃的なその文を読み終わって、果たしてこれが本当に北条会長の書いたものであろうかと我が目を疑った。常識的に考えても、現在創価学会の会長であり、日蓮正宗の信徒たる創価学会員を指導すべき立場にあるかたが、このような悪意に満ちた報告書を書くであろうか。それよりまして、現在創価学会においては過去の謗法を反省すべく、「6・30」「11・7」の特別学習会を行なっているが、その中には「そういうつもりでやったのではないが、そのようにとられたことは遺憾である」というような弁明が記されている。ところがこの報告書を読むと、ここ数年間の創価学会の路線は、決して「ついうかつにやってしまった」というようなものではなく、事前に合議し、綿密に計算された上で実施されたもののようである。

果たしてこの『北条報告書』は本物なのか、と思案していた矢先に、聖教新聞の「お答えします」の文が目に入った。そこには、「これは北条副会長が、当時の日達上人にお目通りした折りの記録並びにこれに関連した感想等を記したものです」(昭和54年12月1日)と、はっきりとその“本物”たることが確認されていた。この『北条報告書』が本物であると確定された以上、我々の創価学会に対する対応の仕方も全く違ってくる


自由な発言を許して戴きたい

その理由を次に挙げれば、まず第一に、昭和54年10月8日に出された院達には、「創価学会にあっては、6・30、11・7につき、さらに全会員が充分その経緯と意義内容を理解し納得するよう、意を尽して説明徹底することを怠ってはならない」と記されている。しかるにその後、『北条報告書』が世に出たことにより、創価学会の謗法問題について、「その経緯と意義内容」が6・30、11・7に述べられていたことと全く違っていたことが判明したのである。

それが判明した今日においては、ついうかつにやってしまったかのような印象を与えて、責任をのがれ、非難をかわそうとしている6.30、11・7の特別学習会をいくら行っても、全く無意味であることは明らかである。ウソで固めた「経緯と意義内容」を学習して、再び見せかけの僧俗一致をなしても、それはこの問題の根本的な解決にはならない。創価学会がいつまでも姑息な手段を使わないで、真実の「経緯と意義内容」を全会員に知らしめてこそ、はじめてこの問題は収拾に向かうと思う。その意味において、創価学会が真実を公表しない以上、我々がその真実を追求して、創価学会員にそれを知らしめていくことが、この問題の根本的解決をなす第一歩であると信ずる。

第二に、昭和54年5月3日に開催された創価学会第40回本部総会の席上、日達上人より「これまでのいきさつは水に流して、大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力して頂きたい」との御言葉があったことを指して、創価学会の謗法問題はこの時点において日達上人がすでに結着をつけられたものであるから、それ以後はこの問題について過去のことを論じてはいけないという論法がある。

しかし日達上人のお心は、11・7に示されたように、「ここに確認された学会の路線が正しく実現されるということの“上で”、これまでのさわぎについてはすべて此処に終止符をつけて・・・理想的な僧俗一致の実現をめざしてがんばっていただきたい」ということであって、「もう許したんだから、これ以後は何も言ってはいけない」というようなものではない。創価学会の謗法をそのまま許すということではなく、謗法を直すという前提の上に終止符を打つということであり、それは言い換えれば、謗法を直さない限りは終止符を打たないということである。

このことは5月3日以後、日達上人の最後の御親教となった、九州博多の妙流寺における御指南の中でも、「よく学会の人が間違ったことを言いますね。師匠が地獄へ行ったら自分も地獄へ行ってもいいんだ。そういう考えは大変な間違いです。それはよく考えなければいけませんね。それは師を信じて法を信じないということです。それはいけない」(昭和54年7月17日)と学会を破折されていることからも明らかである。このように日達上人は、御遷化の最後の最後まで、創価学会の間違いを正されていたのである。

創価学会の謗法は過去のことであるから、過去のことは言ってはいけないということになれば、五老僧の謗法は700年も前のことであり、三鳥派や堅樹派の異流義化も江戸時代のことである。今日我々がこれらのことを勉強するのは、二度と同じ誤ちを犯さないよう、我が身を誡めるためであり、それはあたかも古き法華講の良い所も悪い所もそのまま知って、それを現在の法華講の活動に生かすようなものである。古き法華講の悪い所は言ってはいけない、膿はできるだげ出さないようにしろというのであれば、より清浄な法華講の発展は期待できないと思うのである。そういう意味からも、たとえ過去のこととは言え、その誤りは誤りとして創価学会員に教えていくことこそ、将来二度と同じ誤ちを犯させないためにも必要であると信ずるのである。

第三に、この『北条報告書』を日達上人は御覧になっていないということである。日達上人はこの報告書の存在を知らずに、昭和54年5月3日の発言をなされたのであって、その後に若しこの報告書を御覧になれば、どのような対処をなされたであろうか。

このような内容の現創価学会第4代会長の報告書を御覧になれば、「ここに新しい4代会長を迎えられて、輝かしい歴史と伝統を踏まえて、一層の御活躍を期待いたします」と述べられた昭和54年5月3日の発言を取り消されて、新たに第5代会長の就任もあったかも知れないと思うのである。

ともあれ『北条報告書』が昭和54年11月に世に出た以上、5月3日の日達上人の御指南や10月8日の院達をもって、我々の自由な発言を弾圧することはできないと信ずる。若し私のこの所論に独断や偏見があれば、うむをいわさずに弾圧されることなく、若輩未熟な私を諄々と教え諭して戴きたい。私の所論には間違いもあるであろうから、気のつかれたかたは、何かの雑誌に堂々と御指摘を賜りたい。


学会に騙された方が悪いのか

創価学会の謗法問題の根は深く、昭和52年の年が開けるや、池田会長の「仏教史観を語る」を広布第二章の行動の指針として、僧侶吊し上げ事件をはじめとする日蓮正宗批判が展開され、創価学会が池田宗旗上げのような様相を呈するに至った。それは一時的な感情に基づくものではなく、相当早くから周到に計画されていたことは、この北条報告書が雄弁に物語っている。それはいつのころから計画されたかは速断できないが、昭和49年の時点ですでに北条理事長の意識はここまできていたのである。それをなにも知らないで、創価学会の広宣流布に対する「御奉公」に感謝し、正信の同志として信頼していた宗門僧侶並びに法華講こそいいお笑い草である。

だました方が悪いのか、だまされた方が悪いのか、社会の荒波をくぐってここまで組織を拡大してきた百戦練磨の創価学会大幹部にとって、宗門僧侶や法華講をだますことなど、それこそ赤子の手をひねるようなものだったであろう。そうした中にあって、何とか日蓮正宗の正法正義を死守し、創価学会を本来あるべき姿に戻そうと苦慮されたのが先師日達上人であった。我々は、日達上人の御宸襟(しんきん)を悩まし、日蓮正宗の三秘・三宝を破壊しようとした創価学会大幹部の「悪」の部分に対しては、徹底的に糾弾を加えなければならないと思う。

『北条報告書』を見て、それに怒りを覚える我々が間違っているのか、『北条報告書』を見ても、何も感じないような、善悪の感覚の麻癖した人々が「慈悲広大」なのか。一体『北条報告書』は、日蓮正宗の信徒が書いたものとして是か非か、それが問題である。「別に大したことが書かれているわけではない」、「少々筆がすベった程度だ」と、このように思っている人は、いつまでも怒っている人の方を逆に悪く言うであろう。果たしてそうなのであろうか。私はそうではないと思う。

一番に悪いのは、何といっても『北条報告書』に示された学会大幹部の強慢な意識である。二番目に悪いのは、『北条報告書』を見ても何とも感じないような、善悪の神経の麻痺した人々である。宗内における善悪の神経の麻痺した人々によって、創価学会の謗法がここまで増長したことを考えれば、法華講の中にも多く見られる無関心者、傍観者をも含めて、創価学会の謗法を積極的に糾弾しなかった人々は、謗法の容認者としてむしろ与同罪の責任を問われるべきである。教団維持のために創価学会を何とか利用しようとするのではなく、真に創価学会員の成仏を考えるならば、ここまで創価学会員を苦しめてきた最高幹部の責任とともに、それをそのまま放っておいた我々、あるいは全く無関心に過ごしてきた人々の責任をも厳しく追求していかなければならない。

創価学会の謗法問題について、我々が責任を感じ、その責任をとっていくということは、いままでの創価学会に対する無責任な姿勢を反省して、これからは創価学会を厳しく正信の道に導いていくということである。いままでは創価学会に対して、法華講と違うのだから勝手にどうぞという態度の人が多かったが、これからは宗門が責任を持って正しい信仰のあり方を教えていかなければならないと思うのである。


善に通ずる瞋恚もある

創価学会の功績は功績として正しく評価し、謗法は謗法として厳しく糾弾していく人こそ、真に創価学会を思う人である。

先師日達上人が、昭和54年5月3日に、「(私は)創価学会の理解者の一人であったし、今後もそうありたいと念願しております」と述べられたのも、このような見地から始終、創価学会を見守られてきたからであった。慈悲の心とは、相手を甘やかすことではなく、まして謗法を容認することではない。相手の成仏を願って、正信の道をふみはずさないよう教導していくことである。それは正信を貫くという点において非常に厳しいものである。自分の子供が毒を飲もうとしている時、子供の好きなようにさせるのが親の慈悲ではなく、その子供をなぐってでも毒を取り上げるのが親の慈悲である。

このように考える時、『北条報告書』を見て、その組織の「悪」に怒りを覚え、その「悪」を何とか取り除いて、創価学会を本来あるべき姿に戻そうと努力する人こそ、真に創価学会の「味方」であり、大聖人の弟子檀那であると思う。

大聖人は『諌暁八幡抄』に、「瞋恚は善悪に通ず」と説かれているが、善に通ずる瞋恚とは、悪に対して怒ることであり、大聖人がなされたように、謗法を厳しく糾弾することである。創価学会の中に巣食う「悪」の部分から意識的に目をそらし、世間の謗法についても何も言わずに生きていくことは、たやすいことであろう。しかしそれでは、数度の大難を耐え忍ばれ、謗法の「悪」とは決して妥協されなかった大聖人の末弟として恥かしいと思うのである。

若し『北条報告書』がそのまま許されるとするなら、これから本宗の信徒は何をしても許されるということになり、日蓮正宗はますます混乱の色を深めていくであろう。すでに創価学会の一部には「創価学会が本当に謗法を犯したのであれば、700年間謗法厳誡の精神を堅持して正法を死守してきた日蓮正宗から何らかの処罰があるはずだ。それがないということは、創価学会が間違っていない証拠である」というような開き直りの発言を聞く。『北条報告書』が世に出た今、創価学会への対応の仕方を誤まると、悔を万劫に残すことになるであろうと恐れるのである。

『北条報告書』は、日蓮正宗の信徒が書いたものとして是か非か、目くじらを立てて怒るほどのものではないのか、その悪は悪として、徹底的に糾弾すベきなのか、その判断は読者の皆様にまかせるとして、まずはその内容を抄出しつつ、いささか説明を加えてみよう。


天下を取って創価王国をつくる

最初に5月10日付の報告書から。(※以下報告書の文面を枠内に示す)

本山の件
 九日の本山お目通りの際、猊下の話は大へんひどいものでした。これが猊下かと疑いたくなるほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいものでした。反論はその都度しましたが、話のすじはわかっても感情的におもいこんでいるというところがあり、広布の上に重大障害となり、また宗門僧侶等の問題の一切の根源がここから出ていると感じました。ご心労をかけることを懼(おそ)れますが、こと猊下の言動だけにありのまま冷静に要点をご報告申し上ます。

北条理事長が日達上人について、「これが猊下かと疑いたくなるほど(ひどいもの)、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいもの」と批判し、果ては「広布の上に重大障害となる」とまで述ベていることは、何を意味しているのであろうか。創価学会が広宣流布していく上に、かえって日蓮正宗の法主が重大障害になるということは、創価学会の広宣流布せんとしていたものが、日蓮正宗の三秘・三宝ではなく、いわゆる創価学会宗(池田教)であったということになるではないか。創価学会の目指す広宣流布とは、政治・経済・文化等あらゆる分野にわたって、創価学会が日本国を支配することであり、地上に(彼等のいう仏法を基調とした)創価王国を築くことにあったと言わざるを得ないのである。

事実、昭和52年の2月、創価学会の謗法問題を憂うる多くの僧侶が大奥対面所において日達上人とお目通りをした際、日達上人は創価学会のある県長が、「創価学会の広宣流布と日蓮正宗の広宣流布とはちがう」と言ったことを取り挙げられて、そういう学会幹部の意識を厳しく批判されたことがある。

創価学会の目指す広宣流布について考えるに、古くは昭和38年2月号の『大白蓮華』には、助教授試験の模範答案として次のような文が掲載されている。

次に池田前会長自身の発言を探せば、

池田会長は曾て『撰時抄講義」(53頁)の中で、「今日では選挙を通じ、あらゆる文化活動を通じて、広宣流布を実現していくのである」と述ベたが、いままで列挙してきた文の意をもって、この文を換言すれば、「今日では権力・金力をもって、選挙を通じ、あらゆる文化活動を通じて、政治・経済・教育等のあらゆる分野にわたり、創価学会が日本の国を支配することが、とりも直さず創価学会の目指す日本の広宣流布である」ということになるかと思う。すなわち創価学会でいう折伏とは、自分達の勢力を拡大することであり、地上にいわゆる「創価王国」とでもいうべき学会の独裁世界を築くことが、創価学会の目指す広宣流布なのである。


正宗僧侶も雇用契約である

問題発言の要旨
「国際センターを作ることは、前から会長さんからも聞いています。お作りになることは結構です。しかし学会で作ってやって下さい。日蓮正宗には関係なく、創価学会でやって下さい。だって海外に寺院は建てない、坊さんはいらない、追いかえされる。(これでは創価学会は増えるけれど)日蓮正宗は関係ないでしょう」

この(※日達上人の)発言に対し、海外広布の現状、国によって種々の困難があること、それを会長が現地へのりこんで道をひらいていること、日蓮正宗の信徒がふえることによって広布が進展し、大聖人が喜ばれることではないか、日蓮正宗に関係ないなどどうして云えるのかと反論しました。

ここにおいて日達上人が、海外においては創価学会員は増えるけれども、それがそのまま日蓮正宗の広宣流布にはならないと述べられたのは、次のような池田会長の構想を見抜かれていたからであった。

これらの池田会長の発言を読む時、創価学会の目的は、日蓮正宗の信徒を増やし、日蓮正宗の広宣流布を達成することにあったのではなく、日蓮正宗の教義・伝統を利用し、日蓮正宗の僧侶を雇って、その実は創価学会の会員(信者)を増やし、創価学会の広宣流布を達成することにあったということがわかる。そしてこの非常に良いアメリカの体制を日本にももちこもうとしたところに、ここ数年間の創価学会の対宗門工作があったように思われる。

それはすでに創価学会における教師制度に見ることができる。「教師」とは創価学会員の冠婚葬祭の儀式を司(つかさ)どる役職であり、創価学会の僧侶に当たるものである。これは当初、アメリカ創価学会において、その広い国土事情を口実に、日蓮正宗の僧侶を雇うより、自分達で僧侶の役割をやっていこうということで任命したものであった。それをそのまま日本にまでもちこもうとしたのが池田会長であり、それは昭和52年の次の発言に明らかである。

すなわち宗教法人日蓮正宗において僧侶と信徒があるように、宗教法人創価学会にもこの教師制度によって、信徒の冠婚葬祭を司どる「僧侶」をつくろうとしたわけである。創価学会の教師は日蓮正宗の僧侶と同じように、高座を用いてもよいとまで言っていることから、これは創価学会が独立した宗教、教団として一人立ちしようとしていたことを表わしており、創価学会宗独立の下準備であったことは明らかである。この時に任命された46人の教師は、今はどうなっているのであろうか。こういうことについても、是非とも『聖教新聞』等ではっきりしてもらいたいと思う。

なお海外における日蓮正宗と創価学会の現状を知りたい方は、白蓮院主管・古谷得純師の編集された『日蓮正宗海外部報告』を是非一読されたい。そこには、アメリカと韓国を中心として、世界広布を進める上に惹起してきたさまざまな創価学会の問題点が浮き彫りにされている。

日達上人は世界広布について、「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。皆様の時に、もし日蓮正宗の教義でなし、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、決して我々は喜ぶべきでないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるので、非常に悲しいことであり、我々の責任は重大であります」(『蓮華』昭和49年7月号)と述べられている。よくよく味わうべき御指南である。


いきなり十億といわれた

「だいたい会長さんは十月に公衆の面前で私(※日達上人)を罵倒したでしょう。あなた(※北条理事長)はそばにいたからしっているでしょう・・・私はがまんした。あなたは会長さんの弟子だから、私がやられるのを見て気持ちがよかったかもしれないが、いきなり十億といわれた。十億あるなん云ったおぼえはない」

全然ちがう。之だけ身命がけで闘っている学会員を大事にしてくれ、猊下にほしいのは慈悲である、と会長(※池田大作)は全会員を代表して云ったのです・・・。

日達上人の十億云々について、北条理事長はこのように述べているが、この事件についてはすでに理境坊住職・小川只道師が次のように述懐されている。


広布のためには謗法を犯してもよい

「日蓮正宗は小さくてもよい。七百年の伝統を守ることが大事だ。最近学会では謗法が多い。お祭りのことなど、いろんな声が入ってきている。たとえば、浅間神社の堀を掃除した。あんなこと市にやらせればいいじゃないか。聖教新聞にも祭りに参加してよいようなことが書いてある。日蓮正宗は、法義を守りぬく立場からこういうやり方は納得できない・・・」

教義は一切まげていない。地域広布の為には、社会に開いた運動をしてゆかねばならないこと、ただし根本は座談会で、入信させる場合は厳格にやり、謗法払いもやって、以前よりずっと堅実な闘いをやっていると説明。話としてはわかり、ああそうですかといいましたが、広宣流布の為の闘いという感覚は全くありません。

これは創価学会が、他宗信徒の一票ほしさに、友好活動という美名に隠れて、謗法を犯していないかどうかという問題である。北条理事長は、日達上人の御叱正に対して、「教義は一切まげていない」と開き直っているが、創価学会が昭和49年以前から、正宗教義逸脱の言動をなしていたことは、いわゆる「6・30」の文書に明白である。

「6・30」の内容を詳しく知りたい人は、法華講有志の手になる『蓮華87号の正しい読み方資料』を参照して戴きたいが、それにしても、これほどの教義の歪曲をなしていながら、日達上人の前で「教義は一切まげていない」としらじらしくも言い切る神経にはただただ恐れ入る。これが学会大幹部の体質である。相手をだますためには徹底してウソをつき通す。確信をもってウソをつくから、その真剣な表情をみて、普通の人はついだまされてしまう。「教義は一切曲げていない。若し曲げていると言うなら証拠を出せ。そんな証拠などあるはずがない」。このように強く言われると、「そうかな、こちらの感違いかな」と思ってしまう。このようにして、共産党等の策略家を敵にまわし、社会の荒波をくぐってきたのであろう。宗門僧侶をだますことなど、それこそ赤子の手をひねるようなものであったにちがいない。

日達上人から、創価学会員が邪宗の祭りに参加することについて、それは正宗の法義に照して容認することができないと注意された時、北条理事長は「教義は一切まげていない」と反論したが、その言葉のかわかない内、すなわちそれから約1ヶ月後に出版された『大白蓮華』昭和54年7月号の「指導の要点」には、次のような文が掲載されたのは実に皮肉というほかはない。

「入信する前は、謗法を謗法と知らないでやってしまった。恐ろしいことだ。これからは決して致しません」。こういう言葉は、正宗信徒の間でよく聞かれることである。ところが、「入信する前は、謗法を謗法と知らないでやってしまった。これからは謗法を謗法と知った上で、それをあえて犯していこう」。このような指導を、私はかつて聞いたことがない。正に仏教史上、前人未唱の創価教学の面目躍如たるものがある。北条理事長が日達上人の前でいかに否定しようとも、当時の創価学会が友好活動という美名のもとに、謗法を犯していたことは明らかである。

今その一例を挙げると、『大白蓮華』7月号が発行されて約1ヶ月後、8月4日の九州福岡県久留米市水天宮のカッパ祭りに、1000名の創価学会員が立正佼成会とともに参加し、少年部は神輿(みこし)をかつぎ、婦人部と女子部は揃いのゆかたで踊りを踊り、男子部は山車(だし)に乗り行進に連なったことが報告されている。


学会の謗法を破折した論文を集めよ

この『大白蓮華』7月号の謗法容認記事については、日達上人より『蓮華』にその破折の特集を組むよう指示があり、早速全国の僧侶からその破折論文が集められた。数十の論文が集まり、校正も終って、いよいよ出版という段階で、どう漏れたか知らないが、学会の知るところとなった。池田会長は、早速日達上人に御目通りをし、謝罪のような、言い訳のようなことを言って、その出版の中止を懇願したのである。今私の手許に、その時に集められた全国僧侶の破折論文があるので、歴史に証拠を留めるために、その一、二を次に紹介しておこう。


嘘をつけなければ幹部になれない

池田会長が日達上人にお詫びをしたことによって、『大白蓮華』の破折論文は、結局『蓮華』に掲載されたかった。そしてその後、創価学会は『大白蓮華』の謗法容認記事について、はっきりとその訂正を公けにすることはなかった。これが創価学会の常套(じょうとう)手段である。正宗教義からの逸脱によって、最も迷惑をかけた一般会員にまず謝らねばならないところを、御法主上人にだけ平身低頭謝って何とか許してもらう。御法主上人さえうまくまるめこめば後は一般会員はどうにでもなる、というのが学会大幹部の考えである。

創価学会ほど会員を馬鹿にした組織も他にないであろうが、会員もまた愚直に執行部を信じ切っているので、何をされても何も言わない。右を向けといえば右を向くし、左を向けといえば左を向く。票を集めてこいといえば票を集めてくるし、金を出せといえば金を出す。「広宣流布のため」という殺し文句を使えば、何でも言うことを聞くのである。このような愚直な会員に取り囲まれていると、執行部がいい気になって会員を自分の従者のように思いはじめるのも当然である。しかるに、このような創価学会の体質について、最近は内部からの批判も堂々と出されるようになった。

東京江戸川区下鎌田支部では昨年の11月9日、同支部の幹部数人が学会の役職を辞任するに当たって、「私達は、学会員があって創価学会があるのであり、学会員が幸せになることが創価学会の発展であると考えていましたが、菅原第三江戸川区長、新井本部長、奥村副本部長のお話を伺うと、学会の組織を守るためには、学会員を犠牲にしてもよく、そして大B幹部は本部長の許可がないと何もしてはいけないと、私達を自分の従者のように考えており・・・このような創価学会の現況及びこのような幹部のもとで、創価学会に望まれる幹部として行動することには、ブロック員さんの人権を無視するか、ブロック員さんに嘘をつくしかなく、これは私達にできることではありません。よって、私達は、ここに役職を辞任いたします」という内容の通知書を学会本部に送っている。この文によれば、会員の人権を無視したり、会員に平気で嘘をつける人しか、学会の幹部はつとまらないということになる。


戦術としての僧俗一致もある

このように会員を従者のように考えている創価学会においては、それまで「右向け右」と言っていたのを、宗門から批判されるや、猊下にだけ「すみませんでした。これからは左へ向かせますから」と謝って、会員にはそのまま右を向かせているというようなことが幾度かあった。あるいはそれまで「右向け右」と言っていたのを、宗門から批判されるや、今度は「左向け左」と言って、会員は何故右から左へと向きが変わったのかもわからないまま、いいように動かされているということも何度かあった。宗門と学会との過去の経緯を見る時、すべてがこのパターンの繰り返しであったように思われる。

たとえば昭和49年7月27日、この『北条報告書』が書かれた頃、日達上人が「創価学会がこのまま謗法容認路線を続けるならば、断固たる処置をとる」と言われた時には、平身低頭、日達上人に謝って、何とかその場をうまくごまかすことに成功した。日達上人はその時のありさまを次のように述べておられる。

この文によれば、日達上人は信用されているようであるが、創価学会のこの僧俗一致のかけ声が、全くのみせかけであり、ウソであったことは、その後の歴史が如実に証明するところである。それは後にも述ベるが、「一つの戦術」であって、御法主上人さえうまくまるめこめば、後はどうでもなるというのが学会大幹部の本音である。昭和49年のこの時点においては一往、日達上人に「すみませんでした。これからは左に向かせますから」と謝っておいて、会員にはそのまま右を向かせつつ、綿密な計画をねって、さらに右へとぶつかってきたのが、昭和52年の創価学会の対宗門攻撃であった。

日達上人は「学会は謗法をしない。そして正宗を護ってくれるという話の上で」と述ベられているが、その「話の上で」という約束を学会はいとも簡単に破ったわけである。現在“また”、創価学会は御法主上人に謝っているが、会員には謗法の真相を公表して謝ることをせず、会員は何故右から左へと向きが変わったのかもわからないまま、執行部にいいように動かされている現状である。このような徹底した上意下達の体質が改まらない限り、いつまた右へ方向転換して、宗門に攻撃をしかけてくるかもしれず、すでにその前例があることから、今回の僧俗一致のかけ声も、一つの「戦術」ではないかという疑問をぬぐいさることができないのである。

今回の問題を収拾するに当たって、日達上人が「ここに確認された学会の路線が正しく実現されるということの上で、これまでのさわぎについては終止符を」と述べられたことについても、「その上で」という約束が実現されない限り、我々は創価学会への厳しい監視を怠ってはならない。「創価学会にあっては、過去の誤りを反省懺悔すべし」という、昨年10月8日の院達が出た後でさえ、「日顕猊下は池田先生に対して、いままで学会のやってきたことは謗法ではない、とおっしゃっております。池田先生が謗法を犯すわけが絶対にありません。皆さんそうでしょう。これまで学会がやってきたことは、一切謗法ではないという証明をされたのであります。先生の教え通り、実践してきた私達は、一つとして間違っていなかった、いや、正しかったと、皆さん、そのように思いませんか」(昭和54年11月12日、南小岩・繁原本部長発言・『週刊サンケイ』昭和55年2月7日号)という指導が平気でなされている現在においておやである。

創価学会はいつまでも会員に真実を隠し通すことなく、この際その全てを正直に告白して、会員にまずその真相を周知徹底せしめて戴きたい。策を弄(ろう)する者が策に溺れた結果が、今日の創価学会の混乱をもたらしたことを謙虚に反省し、今後は政治的な策を弄することなく、信心をもって誠意ある指導をお願いしたいのである。


広布のためにという殺し文句

創価学会は、広宣流布のためならば、何をしてもよいと考えているようであるが、これは明らかに間違いである。目的は手段を正当化するというのは共産主義の論理であって、仏教の認めるところではない。にもかかわらず創価学会は、「広宣流布のため」という殺し文句を使って、いままで会員を思うがままに動かしてきた。

曰く、「広宣流布のためという目的観があり、それが謗法であると自覚できる人ならば、あえて謗法を犯してもよい」、「広宣流布のために使われるならば、在家も供養を受けることができる」、「広宣流布のためには、今は共産党や立正佼成会とうまくやっていった方がよいから、手を結んだだけである」、「広宣流布のためだから、土下座をしても、何としても票を集めてきなさい。それが今日の仏道修行である」

このような殺し文句は、数を挙げたらそれこそキリがない。創価学会は「広宣流布のため」と言って、自分達の行動をすべて正当化してきたのである。創価学会員も「広宣流布のため」、「成仏するため」、「功徳を積むため」と言われれば、それが信者にとって一番のウィークポイントであるため、どうしてもそうせざるをえなかったと思われる。

創価学会の幹部には、広宣流布のためならば何をしても許されるというような感覚がある。それは北条理事長の日達上人に対する発言の中に端的に顕われている。すなわち、日達上人が海外の信徒の現状を憂えられているのに対して、北条理事長は「信徒がふえることによって広布が進展し、大聖人が喜ばれることではないか」と反論しているし、日達上人が「(日蓮正宗は謗法厳誡という)700年の伝統を守ることが大事だしと述べられたことに対して、北条理事長は「(日達上人には)広宣流布のための闘いという感覚は全くありません」と批判している。広宣流布も大切であるが、何を広宣流布するかはもっと大切である。創価学会は創価仏法を広宣流布しようとし、日達上人は「日蓮正宗の教義でないものがいくら弘まっても、それは広宣流布ではない」と破折されているのである。


会計を見せなければ手を分かつ

「今、お山の会計を見ているのは、十億あるかどうか調べているんでしょう。土地の件でやってくれていることは感謝しているが」

之もとんでもない。だいいち、猊下からやってくれと言われてやっていること。それも、本山に万一のことがあったら大へんで、去年の廃道問題に引きつづき、農地のことが狙われているので、本山を守る為にやっているということを反論した・・・。

この報告書によると、日達上人と北条理事長の発言にはくいちがいがあり、それは必ずしもかみあっていないが、この報告書は北条理事長の立場に立って書かれたものであることを差し引いて考えなければたらない。日達上人が北条理事長に、「今、お山の会計を見ているのは、10億あるかどうか調べているんでしょう」と言われたのは、明らかに「会長さんは10月に公衆の面前で私を罵倒したでしょう。いきなり10億といわれた。10億あるなんて言った覚えはない」という前言をふまえての発言である。

日達上人は「10月に」といわれているから、池田会長が公衆の面前で日達上人に「10億円出せ」と怒鳴ったのは、昭和48年10月のことであろうと思われる。事実、昭和48年10月17日には、この池田発言を受けてか、日蓮正宗宗務院と創価学会との間で、次のような「覚書」が取り交わされている。

覚 書

一、創価学会の多年に亘る広布創業の労に対し、宗門は満腔(まんくう)からの謝意を表し、ここに一金壱十億円也を贈る。この支払いに就ては別紙の通りとする。

二、正本堂基金三七〇、六〇〇、〇〇〇円(現在高)については、昭和四十九年四月以降創価学会に於て自由に使用して頂きたい。

三、富士宮市の市民センター建設に対する寄附。要望については、大石寺として七億円を考える。本件については、創価学会と緊密に連携を保ちつつ対処する。

四、富士学林の建設は大石寺で行う。

 以上。

昭和四十九年十月十七日

  日蓮正宗総監 早瀬日慈[印]
  創価学会理事長 北条浩[印] 

北条理事長の立場に立って書かれた報告書だけでは片手落ちであるので、次に日達上人がこの会談について、その後(昭和49年7月27日)宗門僧侶に話されたお言葉を掲載しておこう。

日達上人のお言葉によれば、会談の際、北条理事長は「会計を調べさせなければ、宗門と手を分かつ」とはっきり言ったことになっているが、「北条報告書」の次の文を見る時、その状況が彷彿(ほうふつ)とするようである。


本山は学会の発展をねたんでいる

先生(※池田大作)が前々から見抜いておられた本質がさらけ出されたように思いますが、あまりにひどいので、かえすがえすも残念です。(※日達上人は)広宣流布など全く考えていない。自分たちの私財がふえることと、信徒を見下してえばって暮せれば満足という風にしか考えられません。学会が生きぬいてゆく為には、相手に信心がないのなら、うまく使っていくか、徹底的に闘って学会の旗を守って死んでゆくか、いづれにせよ、先生の最大のご苦心にふれる思いで、決意をかためました。・・・こんなことになって本とうに申し訳けありません。ご指示をうけて闘って参ります。

さらに同年6月18日付の北条報告書には、

広布の前途を大きく開いて帰国された先生に、このような報告を申上ることは洵(まこと)に残念なことであり、且つ申訳ない限りでありますが、報告を怠ってご判断をあやまらせてはより以上重大なことと思い、中西、秋谷、山友と相談の上、ご報告申上ます。また私たちなりに検討しました対策もしたためますので、ご指示賜りたく、その上で、私どもいかなる事なりとも闘う所存です。かねて先生の仰言(おっしゃ)っておられた通り、私たちの到底想像することの出来ない、みにくい姿であります。いづれにしても私たちは断乎たたかいぬく決心です。


G(※猊下)の心理は、一時的なものではない・・・長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。本質は、カトリックとプロテスタントのような違いである。戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて・・・当面Gの異状心理をしづめ、新しい進路を開きたいと考えます。但し、やる時がきたら、徹底的に闘いたいと思います。

報告書をここまで読み進んできた時、我々はそのあまりにもひどい内容に驚きを通りこして、怒りさえこみあげてくる。日蓮正宗の僧俗にして、この報告書を読んで何にも感じないような人が果たしているであろうか。常識的な神経をもった人なら、必ずや「これはひどい」とつぶやくにちがいない。さすがに創価学会においても、そのような反応を予想してか、聖教新聞の「お答えします」では次のように弁明している。

この文によれば、報告書は北条理事長が一時的・感情的な意見をついうっかり書いてしまったかのようであるが、1度ならまだしも、1ヶ月以上も間隔をおいて2度までも、一時的・感情的な意見を書くということが果たしてあるのであろうか。しかもその報告書の中には、「長期的に見れば、うまくわかれる以外にない」、「戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて」、「但し、やる時がきたら、徹底的に闘いたい」等と記されており、若しこれが一時的・感情的な意見であったならば、昭和52年以降の創価学会のあの凄まじい宗門攻撃もありえなかったと思うのである。

北条理事長が報告書に記した意見が、決して一時的・感情的なものではなかったことを証明してみよう。それは報告書の提出より2年以上も後、昭和51年11月16日、関西メンバーと会食した際の北条理事長の発言である。

この文を読む時、北条理事長は報告書に記された御目通りの際の状況を、さらに悪意をもって故意にすりかえ、関西の会員の反宗門感情をあおっていたことがわかる。


学会のために本山が犠牲になる

また「お答えします」によれば、この報告書の内容について、当時池田会長が戒めたとあるが、若し本当にそうであったならば、報告書の文中に「先生が前々から見抜いておられた本質」、「かねて先生の仰言っておられた通り」と記されていることが説明つかなくなる。むしろ池田会長のかねてからの意向にそって、北条理事長がこのような報告書を書いたと考えた方が自然である。

正宗の僧侶が、信徒たる創価学会員を指導してどうしていけないのであろうか。むしろ僧侶が本来の使命たる信徒の指導を怠ったと言って批判すべきではないだろうか。指導をすればしたで「信者をとるな」と文句を言われるし、指導をしなければしないで「冠婚葬祭の儀式の執行人で満足している。もはや現在の僧侶に出家の精神はない」と批判される。これでは僧侶はどうすればよいのであろうか。創価学会における期待される僧侶像について、その本音を是非とも聞かせて戴きたいものである。

さらにまた次のような報告書(※山崎・八尋文書)もある。昭和49年4月12日付の報告書である。

本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理していくかについて、二通り考えられます。

一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり向こう三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて、背後をかためるという方法です。(中略)

本山、正宗は、党や大学、民音以上に学会にとっては存在価値のある外部と思われ、これを安定的にひきつけておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。(中略)

そのための布石としては、
一、本山事務機構、法人事務、経理事務の実質的支配。
二、財政面の支配、学会依存度を高める。
三、渉外面の支配。
四、信者に対する統率権の支配、宗制宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等。
五、墓地、典礼の執行権の委譲。
六、総代による末寺支配。

が必要です。これらのことは機会をとらえながら、さり気なく行うことが必要であり、今回のことは、一、二、三を確立し、さらに四までを確立できるチャンスではあります。いずれにせよ、先生の高度な判断によって決せられるべきと思いますので、ご決断を仰ぐ次第です。

誠に凄まじい内容である。創価学会はここまで本気になって宗門乗っ取りを考えていたのである。強大な権力をバックに、宗門を徹底的に支配しようとしていた創価学会の野望に対して、「本山は一人でも護る」と仰せられた日達上人の不惜身命・正法死守の御覚悟があったればこそ、そしてそれに呼応して正信覚醒に立ち上がった僧俗の御奉公があったればこそ、創価学会はその当初の野望を一歩後退せざるを得なくなったのである。

ここに挙げた北条理事長や池田会長の発言を読む時、ここ数年間の創価学会の宗門攻撃は、決して少々行き過ぎがあったという程度のものではなく、昭和49年の報告書にすでにはっきりと「向こう三年間」と独立の時期までが明示されていることからもわかるように、事前に充分に合議し、綿密に計算された上で実施されたものであることは明らかである。このことをはっきりと、迷惑をかけた創価学会員にお詫びしなければ、この問題の根本的た解決はありえないと思うのである。(昭和55年2月5日稿了)