今回の一連の問題を、正しく認識するためには、少なくともここに至るまでの過去十数年の経過を振り返らなければなりません。十数年前には、創価学会の、いわゆる「昭和五十二年路線」という言葉に表される、教義上の逸脱という大きな問題があったのです。これは「学会は主、宗門は従」という体制に持ち込もうとした創価学会の策謀に基づくものと思われますが、当時、これに対して、一部の僧侶が創価学会の誤りを糺そうと立ち上がり、日達上人の御指南によって、53年のいわゆる「六・三〇」「一一・七」で是正されました。そして、これらの一切の責任を取って、池田名誉会長は昭和54年4月24日に会長を勇退し、続く26日に法華講総講頭を辞任しました。日達上人は、池田名誉会長をはじめとする創価学会の反省懴悔を信頼され、5月3日の第40回本部総会の席上、これまでの学会問題を一応収束されたのです。したがって、現在の宗門と学会との基本的関係は、この「六・三〇」「一一・七」を原点としなければなりません。しかし、最近の池田名誉会長並びに学会首脳の姿勢をみると、十数年前の反省が、果たして本当に心からのものであったのかどうか、はなはだ疑わざるを得ないのです。そこで、まず今回の問題の経緯について述べ、そののちに十数年の経過を辿ってみたいと思います。
1 池田名誉会長の総講頭の資格喪失について
日蓮正宗の法規について 日蓮正宗には、法規として『宗制』『宗規』が定められています。この『宗制』『宗規』に従って、行政機関としての宗務院が、実際の宗務行政を執り行っています。この『宗制』『宗規』に、不備その他の理由により改正の必要があれば、議決機関である責任役員会及び宗会において、逐次改正されます。なお、この宗会で議決された事項に関しては、日蓮正宗の機関紙である『大日蓮』に掲載し、公示されます。
このように日蓮正宗の法規改正は、所定の手続きを経て行われるものであり、事前に信徒団体に相談したり、連絡したりする必要はまったくないのです。
池田名誉会長等の総講頭・大講頭の資格喪失について このたびの池田名誉会長ほかの総講頭・大講頭の資格喪失は、『日蓮正宗宗規』の不備を補うために開催された、平成2年12月27日の第百三十臨時宗会での法規改正の議決に基づくものです。
イ 日蓮正宗法華講とは『宗規』の第八章「布教及び寺院、教会、その他所属団体」の第三節に、「日蓮正宗法華講」という項目があり、「日蓮正宗法華講は、この宗派の寺院及び教会の檀徒及び信徒を総括したものをいう。」と規定されています。したがって、創価学会の会員も、当然この中に含まれています。法華講には本部と支部があり、総講頭、大講頭、指導教師、幹事、会計などの役員が定められています。
ロ 池田大作氏等は総講頭解任にあらず これらの役員の任期について、『宗制』では「その任期は宗規による。」と定められています。ところが、『宗規』では、従来、大講頭以下の本部役員には2年の任期が規定されていましたが、総講頭には任期の規定がありませんでした。これは明らかに規約上の不備であるとして、従前から指摘され、懸案事項となっていました。これが、今回第百三十臨時宗会の議決によって、総講頭の任期が5年、その他の本部役員の任期が3年と規定され、条文が整足されたのです。なお、改正された『宗規』は、即日(平成2年12月27日)施行され、それにともない、改正前に法華講本部役員の職にあった者は、附則の規定により、同日(平成2年12月27日)付で、その資格を喪失したのです。
したがって、池田名誉会長は法規改正にともない、総講頭の資格を喪失したのであって、学会内や世間で取り沙汰されているような、総講頭を解任されたなどということではありません。ゆえに、創価学会会長の秋谷栄之助氏や法華講連合会委員長の阿部唯七郎氏をはじめとする14名の大講頭全員が、総講頭と同様に資格を喪失しています。ただし、その背景には、「一一・一六(平成2年11月16日、第35回本部幹部会)」の池田名誉会長のスピーチにおける問題発言が存することも事実です。
ハ 再任の可能性今回の措置が、池田・秋谷両氏などの総講頭・大講頭解任でないということは、今後、再任される可能性も、一応はあるということです。ただし、学会首脳の発言の中に、御法主上人や宗門に対する批判が続けられており、それに対する宗務院からの厳重な注意もありました。しかし、まったく反省することもなく、かえって御法主上人や宗門への抗議を強めるに至っています。これらの経緯については、後に述べるとして、宗務院としては、このような池田名誉会長をはじめとする学会首脳の各氏には、日蓮正宗の信徒の代表である総講頭や大講頭の資格はない、という判断がなされていることも事実です。したがって、池田名誉会長や学会首脳の各氏が、総講頭などの要職に再任されることは、現況から推してありえないと思います。
一般信徒の混乱について イ 宗門がマスコミに流したとの疑難
この総講頭、大講頭の資格喪失について、学会では、宗務院が本人に通知する前に、先に情報をマスコミに流したなどと抗議していますが、一切そのようなことはしていません。宗会の翌朝(12月28日)、改正前に役職にあった方々に対して、書留速達、配達証明付きで、法規改正によって資格を喪失した旨、通知をしました。ただ、その後、幾つかの新聞社から問い合わせがあったことは事実です。この問い合わせは、12月28日の午前11時10分、中日新聞の電話によるものが初めで、翌日も問い合わせは続きました。宗務院としては、とくに拒否する理由もなく、またマスコミ関係者の先入観や憶測などによって誤報されてはならないので、渉外部において事実関係を正しく伝えたのです。当方から、積極的に情報を流したというようなことはありません。
ロ 学会の卑劣な抗議行動と報道このような経緯の中で、学会では、婦人部や青年部に命じて、総本山や末寺に真夜中まで抗議の電話を入れさせるなど、非常識極まる組織ぐるみの行動をし、また『聖教新聞』では、年明け早々から学会側の一方的な文書や記事を掲載し、自分達にとって都合の悪い宗務院からの道理を尽くした文書は一切掲載せず、宗門が全て悪いという意識を学会員に持たせるために洗脳し続け、純粋に信仰に励んでいる学会員を混乱させています。
2 最近の一連の経緯
学会による法主・宗門批判 イ 宗門批判の兆し
近年、池田名誉会長の各種会合のスピーチや学会幹部の指導の中で、御法主上人や宗門僧侶に対するものと受け止められる批判が続けられてきました。この事実は、『聖教新聞』では間接的な表現としてしか表わされていませんでしたが、宗務院や総本山へ、多くの信徒から寄せられた手紙や電話などによって、強く感じていました。しかし、池田名誉会長は、かつて五十二年路線の責任をとって日蓮正宗の信徒の代表である総講頭を辞任し、その後、日顕上人より再任の御慈悲を蒙った方です。その人が、日顕上人及び宗門を批判することなど、まったく考えられないことなので、宗務院としても、軽々に取り上げることはできませんでした。
ロ 昨年7月17日の連絡会議直接宗門に対する批判が始まったのは、平成2年7月17日の宗務院と学会の連絡会議の時です。当日、秋谷会長よりまず「本日は宗門に対して、日頃思っていることを言わせていただく」と切り出し、口々に宗門や僧侶の批判をはじめ、あろうことか御法主上人の尊厳をおかすような発言まで行なってきたのです。当方としては、これらの発言に対してはっきり答えたい部分や、また宗務院として言うべきこともありましたが、学会側はこれを制止して、言いたいだけ言うと「今日はこれで」と、さっさと席を立って帰ってしまったのです。しかも、翌日の『聖教新聞』には、「ここでは、僧俗一致の前進のために現状と将来について真剣に討議した」などと、あたかも宗門側の意見や答えを充分聞き、討議したかのような欺瞞性に満ちた記事を載せているのです。
宗門にとって、この連絡会議の状況は、将来の僧俗関係を憂慮させるものがありました。それは、『聖教新聞』にはよく対話が大切である旨が書かれているのに、それを推し進めるべき学会の首脳が、このように一方的な態度を取ったからです。宗務院や総本山には、今までにも、学会幹部の、一切意見を受け入れない高圧的な体質や在り方について、多くの意見や苦情が届いていますが、この一件でそれらの苦情の中には、多分に真実があることが確認できました。
ハ 7月21日の御目通りそれから4日後の7月21日、学会の夏期講習会の開催にともない、池田名誉会長・秋谷会長が総本山へ登山し、御法主上人に御目通りをしました。
その折に、御法主上人は昭和53年の「六・三〇」と「一一・七」で確認されたことが、現在の宗門と学会との僧俗和合・協調関係の原点であることを両氏に話された上で、「学会では、あまり寺院へ行くなというような指導がされていると聞いていますが、それは本当ですか」、「池田名誉会長自身が、財務を御供養であると言ってよいという指導をしていると聞き及んでいますが、本当ですか」などのことを尋ねられましたが、両氏はこれらのことを否定しました。
また、先の連絡会議の学会側の一方的な態度について、どのようなことかと尋ねられたところ、秋谷会長は「今回はこちらのほうから言わせていただくということで……」と苦しまぎれの弁解をしたのです。同様に、御法主上人より秋谷会長に対して、連絡会議でなされた法主の発言封じの件についても注意されましたが、秋谷会長が反省の色も見せないで抗弁したので、法主の言に対する連絡会議での学会の態度は「驕慢謗法です」とたしなめられたという事実もありました。
これらのことは、学会から提出された九項目の『お伺い』書に関わることなので、あとで述べることにします。
ニ 宗門の綱紀自粛7月の連絡会議において、学会側は宗門に対して種々の批判を行ないましたが、この中で事実と相反する件については、8月の連絡会議で指摘しました。これらのことも踏まえた上で、宗門としては独自に綱紀自粛を行なっていくことになり、8月29日の全国教師講習会の折に、教師指導会を開催して徹底したのです。綱紀自粛は、宗門においてもとから行なわれてきたことでしたが、寺院として、また僧侶・寺族として再確認する意味も含めて行なわれたものです。
それを学会では、こうしたことが今現実にあることとして、寺院や僧侶のイメージダウンの材料に、僧侶が赤いスポーツカーを乗り回しているとか、贅沢に遊興しているなどと、古い話でしかも虚偽捏造の多い悪口を、学会員に口コミで伝え、寺院への参詣を止めさせようとしています。このように、利用できるものは何でも利用するという、実に陰険で姑息な手段をもって、宗門から学会員を引き離そうとしているのが実状です。
ホ 総本山御大会の折の御目通り昨年10月、大石寺開創七百年の慶讃大法要が盛大に奉修され、またその翌月の20日、21日は宗祖御大会が奉修されました。この御大会の折に、池田・秋谷両氏等5名が御目通りしましたが、その折にも御法主上人より池田名誉会長に対し、正信会問題を発言するときには、その原因となった学会の教義逸脱問題を忘れてはならないことや、「権威・権力」という発言が何を意味するものか、さらに四箇の格言のことなどについて注意がありました。
ところが、こうした御法主上人からの注意に対しても、後述するようにまったく反省がなかったのです。
宗務院から学会への『お尋ね』書 イ 第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチ
平成2年12月初旬に至り、11月16日に行なわれた創価学会の第35回本部幹部会における、池田名誉会長のスピーチの録音テープが、宗務院に届けられました。そのスピーチにおける池田名誉会長の実際の発言内容には、『聖教新聞』に掲載された分以外に、御法主上人、宗門、僧侶を蔑視、軽視する、およそ日蓮正宗の信仰者の発言とは考えられない、ひどい内容が含まれていることが判りました。
池田名誉会長のスピーチの中で問題となる点を挙げると、
- 「文化運動、ね。文化も一生懸命、今、仏法を基調にしてね、文化・平和。文化は要らないと、謗法だ。もうわけがわからない、ね。なんにも苦労していないから。本当のことを、社会を知らないから、折伏もしていないから。(日達上人の昭和五十年のNSAの第十二回の総会の平和文化運動に関するメッセージを引いて)それがいけないと言うんですよ。折伏だけで、全部ね、教条的にね、やれっちゅうんです。おかしいじゃないか。そう書いてあるのに。」
- 「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません。」
- 「全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ、ドイツ語聞いているみたいにね。それで『俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者』って。そんなのありませんよ、この時代に。時代とともにやればいい、学会は。」
- 「あくまで御書です。御本尊です、根本は。これだけわかればいい。あと、ちゃんと日淳上人、堀猊下、全部日達上人、きちっと学会を守って下さる、ね。」
- 「五十周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から。馬鹿にされ、そいでその上北條さんが『もう、お先まっ暗ですね。』『何を言うか、六十周年を見ろもう絢爛たる最高の実が、六十周年が来るから元気だせ。』会長だから、これがよ。私は名誉会長だ。『そうでしょうか。』馬鹿かー。本当にもう、誰をか頼りに戦わんですよ、本当に。」
- 「大聖人が我が門下の死は、私どもの死は、信者の死なんて言わないです、大聖人は。そういうことはほとんどないです。門下、我が一類とかね、正信会なんて『信者、信者』言って、みんな信者だ、御本尊のよ、坊さんだって。違いますか、坊さんだけほか拝んでんのかよ。」
- 「今はですよ。出家ってもね、あのー、ちゃんと奥さんをもらって赤ちゃんつくってさ。」
- 「七百年間折伏がそんなに出来なかったんですよ。よーく知っていらっしゃるんです。今はもう当たり前と思ってね。威張っている人がいる。とんでもない。」
- 「ゴ大統領は、新思考法といって、もう、どんなことでも模索している。同じ布教においても、こういうふうに、みんな一生懸命考えながら、工夫して折伏する以外ないでしょう。ね、日淳上人が一番よく分かっていますよ。それを学会がやってるから、学会は絶対にすばらしい、ということであります。」
- 「教条的な画一的な、時代にも相反した、そんなんで、今日のね、大宗教の発展があるわけがない。その苦労がわからないんです。どれほど学会がすごいか。」
- 「平和運動、正しいんです。文化運動、正しいんです。大いにやりましょう。それがなかったならば、何やってきゃ、どうしたら折伏出来るか。そうでしょう。ただ朝起きて、『真言亡国・禅天魔』、法を下げるだけでしょう。」
- 「昭和六十二年の年末に学生部結成三十周年を記念して、この演奏、第九の演奏を私は聞きました。本当にいまでも忘れない。したがって、私は、提案だけれども、創立六十五周年には、五万人で、創立七十周年には十万人の、私はこの『歓喜の歌』の大合唱をして後世に残したいと思います。」
- 「それで、あの日本語でもやるけれども、そのうちドイツ語でもやりましょう。」
など、御法主上人や僧侶への批判、また五十二年路線といわれる創価学会の教義逸脱問題に対して、反省のかけらもみられない発言がありました。
ロ 文書によって質問した理由宗務院としては、これが総講頭という責任重大な立場にある人の発言であり、また衛星中継によって数十万という学会員を対象として行なわれたものである以上、その与える影響も甚大なるものがあると受け止めました。このように、ことの重大性の上から、到底話し合いで解決できる性質のものではなく、また発言者である池田名誉会長本人が出席しない連絡会議の場では真意が通じがたく、らちが明かないことや、7月の連絡会議の時のような学会の一方的な状況などからみても、話し合いで解決できる問題ではないと考えたのです。そのため、一一・一六のスピーチの問題の部分を、六項目の『お尋ね』として文書にまとめ、責任ある回答を求めたのです。
ハ 学会側の受け取り拒否と『お尋ね』の送付一一・一六のスピーチについての六項目の『お尋ね』は、12月13日、宗務院・学会の連絡会議の際に、宗務院より学会側へ提出しました。これに対し、秋谷会長はテープの出所を明らかにするよう申し入れてきましたが、宗務院としては、テープの提供者のことを配慮して、出所は明かしませんでした。すると秋谷会長は、「福島源次郎の改竄テープが出回っているから」とか、「出所不明のテープを元にして作成された文書は受け取れない」として、受け取りを拒絶しました。
そこで、宗務院では、他の会場の出席者から入手した数本の録音テープと照合調査をしました。その結果、『お尋ね』の元になったテープが改竄されたものではないということが確認されたので、12月16日、郵送をもって『お尋ね』を学会へ送付し、到着後七日以内に誠意ある回答をするよう求めたのです。
学会からの12月23日付返書(九項目の『お伺い』) 宗務院からの『お尋ね』に対して、学会より12月23日付の文書が、12月24日に届きました。ところが、その文書は、先の『お尋ね』に対し、一切回答をしないばかりでなく、かえって別個の、事実を歪曲し捏造した件を含む九項目の『お伺い』なる詰問状でした。
その内容は、7月21日や11月20日の御目通りにおける御法主上人の御指南を、歪曲・捏造して詰問したり、その他連絡会議での事柄を取り上げたものでした。その上、「ご法主は、敬われるお立場ですから、どうか私ども信者を小馬鹿にしたり、蔑んだりするお言葉を使わないでいただきたい」などと、御法主上人があたかもそのような言葉を使われたかのように、事実を捩じ曲げて批判し、詰問しているのであり、到底、本宗の信者の書いたものとは考えられない、ひどいものでした。
『宗規』の改正 イ 懸案の『宗規』の不備を整合
先に述べたように、『宗制』『宗規』において、法華講本部の規定には、総講頭の任期について不備があり、その整合はかねてよりの懸案事項でした。
宗務院としては、当初、『お尋ね』文書につき、学会が誠意ある回答を示し、また池田名誉会長が反省懴悔し、真の僧俗和合ができるものと期待していました。ところが、12月23日付の九項目の『お伺い』を見て、もはや学会首脳には文書による誠意ある回答を示す意志がまったくないものと受け取りました。そこで、12月26日付で、その旨を学会本部へ通知しました。
このような状況のもとで、この際、従来の懸案事項になっていた『宗規』改正を行なうことになり、12月27日、第百三十臨時宗会が開催され、その改正にともなって総講頭・大講頭の資格が喪失されたのです。
ロ 信徒の処分規定の追加同宗会において議決された中に、第二百二十九条の信徒の処分規定に、新たに、「言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき。」という条項が加えられました。
本宗においては、もとより大聖人以来の唯授一人血脈法水の尊厳性は、時代の変遷にかかわらず不変のものですから、本宗信徒は等しく御法主上人に信伏随従すべきです。よって、御法主上人に対する誹毀讒謗はもとより、批判も許されないことは当然です。
従来、僧侶の懲戒規定には、「言論、文書、図画等をもって管長に対し、誹毀または讒謗をした者。」と明記されていました。ところが、信徒の懲戒規定には、「本宗僧侶並びに寺族に対し、横暴の文書、図画並びに言動を為し、或は侮辱したとき。」とあるのみで、御法主上人に対する条項が明確に示されていなかったため、今回の『宗規』改正に合わせてその不備を整合し、新加したのです。これは、決して罰することが目的ではなく、あくまでも罪を犯させないための規定であります。
学会では、この新加の条項について、言論の自由を封殺するものとか、民主主義の時代に逆行するものとかの批判をしておりますが、創価学会の会則第六七条には、「この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。」と規定されています。
3 『宗規』改正後の経過
九項目の『お伺い』への回答 宗務院から学会へ送付した『お尋ね』に対して、学会は12月23日付で、宗務院へ返書を送付し、その中で不遜な九項目の『お伺い』書を提出してきました。ところが、当方からの『お尋ね』に対しては、一切回答がなかったので、当方としては、この九項目の『お伺い』書に対して、回答しなければならない義務はもとよりありませんでした。
しかし、『お伺い』書の内容たるや、捏造・歪曲もはなはだしく、あまりにも信心のないものでしたので、宗務院として放置することができず、正信に目覚める一助になればとの思いを込めて回答したのです。ところが、この回答に対しても、まったく反省する姿が見られないことは、『聖教新聞』における宗門攻撃のキャンペーン記事をみれば一目瞭然です。
「『お尋ね』に対する回答」について イ 回答するまでの経緯
一方、12月26日付で「文書による誠意ある回答を示す意志がまったくないものと受け止めた」旨、学会へ通知した書面に対して、12月29日に学会からの返書が届きました。そこには「引用自体がきわめて不正確であり、明らかに意味を取り違えたものとしか思えない部分が少なからずございます」と書かれていたので、宗務院としては、同30日、さらに学会へテープ引用に誤りがあれば、その旨を指摘されるよう通知しました。
この間、学会組織では連日連夜、会合を開き、一方的に捏造した『経過について』や、九項目の『お伺い』書を宗務院からの回答を待たずに一般会員に配布して、でたらめな情報を流し、御法主上人や宗門、各末寺の住職についての非難や中傷をくり返しました。それは、『聖教新聞』のキャンペーンなどを通して、その後も続けられていました。このように、一方的な歪曲や捏造の情報しか提供されませんから、多くの会員が混乱するのも無理はありません。
ロ 反省のない1月1日付の回答年が明けた平成3年1月3日、学会より1月1日付の「『お尋ね』に対する回答」が、ようやく送られてきました。
その内容は、宗門からの『お尋ね』の中における池田名誉会長の発言の引用、すなわちテープの反訳の相違を指摘してきた部分も含めて、宗務院からの指摘に対する反省はまったくなされていませんでした。そして、核心をぼかし、全て誤解であるとか、意味のとり違いであるなどという弁解をし、逆に言葉尻をとって非難するという、問題の本質をすり替えたもので、自らの誤りをまったく認めようとしない、驕慢からでる反抗的態度に終始するものでした。
一・一回答に対する宗門よりの指摘 イ 日蓮正宗の信仰は血脈によるべし
池田名誉会長のスピーチの中に、「あくまで御書です。御本尊です、根本は」という発言がありますが、これが日蓮正宗にとって、まことに大事なことはいうまでもありません。
しかし、たとえ大聖人の御真筆御本尊であったとしても、それが身延にあるものであり、またいくら御書を拝しても身延流で読んでいるかぎり、そこに功徳はありません。それは、血脈がないからです。大聖人は、「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(『一代聖教大意』)と仰せになり、二祖日興上人は、「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝し」(『日興遺誡置文』)と仰せです。
日蓮大聖人の仏法の極理は、唯授一人血脈付法の御法主上人の御指南を拝してこそ、正しく私どもにも伝わるのです。日蓮正宗の信仰は謗法厳戒であり、その化儀化法が大聖人の仏法に則っているかいないか、という正邪を裁定するのは、つねに血脈付法の御法主上人であることを知らねばなりません。
したがって、宗門より指摘されたならば、正直に自らの誤りを反省して、懴悔滅罪するのが、日蓮正宗の信仰の基本的在り方なのです。
ロ 「『お尋ね』に対する回答」についての一・一二の指摘1月3日に至って、ようやく学会より提出された、当初の『お尋ね』への1月1日付の回答は、日蓮正宗の信徒として無慚無愧であるとしかいいようのない内容でした。
宗務院としては、このような反省や誠意のない回答に対して、重ねて反省を促すべく一文をまとめ、一月十二日、学会へ「『お尋ね』に対する回答」についての指摘を送付したのです。
その内容は、たとえば『お尋ね』文書の、「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません」という発言や、その他の発言について、苦しまぎれの、黒を白というごまかしの弁解に終始するなど、およそ反省の微塵も見られない池田名誉会長、または学会首脳の信仰姿勢に対して、その基本的な誤りを指摘し、強く反省懴悔を促したものです。
ハ 本質をぼかそうとする学会のすり替え的反論宗務院からの再度の指摘に対して、学会は1月15日付『聖教新聞』に、「宗務当局『テープ』の誤り認め質問撤回」「藤本総監は重大責任」「今回の措置が根底から崩れる」「陥れの策略明るみに」「公式謝罪を強く要求」等の見出しを設け、まるで宗務院が提出した六項目の『お尋ね』を、全面的に撤回したかのような印象を与える卑劣な記事を掲載しました。
この『聖教新聞』の記事は、宗務院がテープの反訳の部分的相違は相違として正直に認めたところに大きく焦点を当て、本質をすり替えてきたものです。つまり、これは宗務院のテープ反訳のほんの一部の相違を誇大に取り上げて宣伝し、全国の学会員に宗門は間違いで、学会は正しかったと錯覚させ、欺瞞しようとしたものです。たとえ、テープの一部聞き違いによる部分的な相違があったとしても、今回の問題の肝心な部分においては、何ら誤りもなく、池田名誉会長の法主蔑視、宗門軽視の発言は、明確にして厳然たる事実です。この一連の問題は、池田名誉会長や学会首脳の、本門下種の三宝に帰依することを忘れた、誤った信仰姿勢にあるにもかかわらず、その本質をすり替え、ぼかしてしまおうとする悪質な策謀が、一連の『聖教新聞』のキャンペーンの意図とするところなのです。
ニ 日蓮正宗としての立場問題の本質である池田名誉会長、並びに秋谷会長などの学会首脳の信仰姿勢の誤りに対して、宗門としては、今後も厳しく反省を求めていく方針に変わりはありません。当方からの肝心要の質問や指摘に対しては頬被りを決め込み、ほんの一部の相違した部分を大きく取り上げて、そちらに目を向けさせ、問題の本質をすり替えていこうとする悪質な態度に対しては、宗務院はどこまでも追及していくものです。
なぜならば、私ども日蓮正宗の信仰を貫く者には、信仰者としての正しい姿のみが要請されるからです。それを離れて、何をいくら論じても、真の幸福である即身成仏は得られません。日蓮正宗の信徒として、要求される真実の姿勢、並びに正しい信仰の在り方をもって、諸問題の解決に当たるべきなのです。
4 学会の五十二年路線と正信会この書のはじめに、今回の一連の問題を、正しく認識するためには、少なくともここに至るまでの十数年の経過を振り返らなければならないことを述べました。それはなぜかといえば、創価学会には昭和五十二年路線と呼ばれるところの、教義上の逸脱という大きな問題があったからです。先にもしばしば述べてきましたが、その問題の解決は、昭和53年の「六・三〇」と「一一・七」における逸脱路線の是正、そして54年の「五・三」における一応の収束にありました。
もとより、今回の学会問題の本質を、多くの学会員に知ってもらうためにこの書を記しているので、ここでは五十二年路線のことを詳しく述べることは控えます。ただ、前回の問題の本質がどのようなところにあり、どのようにして修正されたか、そして当時の池田会長並びに学会首脳がどのように反省をしたか、また正信会問題とどのように関わっていたかを述べておきます。
五十二年路線の逸脱 イ 逸脱の内容
五十二年路線の逸脱とはどのようなものであったかというと、それは当時の池田名誉会長並びに学会首脳の指導や著述などの中に見ることができます。
例えば池田名誉会長の小説『人間革命』を「現代の御書」と称したり、日蓮正宗の根幹である大聖人の仏法に対して、「創価仏法」という新語を用いたり、仏法の原点を戸田会長の獄中の悟達にあるとしたりしました。また、当時の池田会長について、主師親の三徳を備えているとか、久遠の師であるとか、本門弘通の大導師であるなどという表現もありました。
そして、仏法の師弟と人生の師弟を混同し、歴代の御法主上人を蔑如し、創価学会は大聖人直結、御書直結であるとしました。そして、ついには学会独自で経本を作成し、五座の観念文の中に歴代会長の名前を加え、御歴代上人にしか用いない「御報恩謝徳」の語を使用したのです。また、池田氏自身、「広宣流布血脈の本弟子(または新弟子)たるを証す」などという傲慢な証書を、学会幹部に授与しております。
さらに、僧俗対等の意識の上から、寺院軽視、僧侶軽視をして寺院と会館とを同視し、さらに進んで現在の真の道場は会館にあるとして、会館で幹部が導師となって結婚式や法要まで行ない、在家も供養を受ける資格があるなどといい出しました。
そのほか、寺院への参詣はしてはならないとか、学会員こそ僧宝であるとして下種三宝を破壊し、学会員こそ現在における出家であるなどといいました。
とにかく、こうした教義逸脱に至った本質は、当時の池田会長の大きな慢心と野望で、その根底に「学会は主、宗門は従」とする考えがあったからです。
ロ 六・三〇(教義上の是正)昭和53年6月19日、これらの問題について、宗門より学会へ三十四箇条の質問書を提出しました。宗務院では、6月29日に教師指導会を開催して、それに対する学会からの回答を発表し、全教師より一応の了承を得ました。そして、翌6月30日の『聖教新聞』に、この質問に対する回答を掲載したのです。これが、いわゆる「六・三〇」といわれるものです。ただし、この時の『聖教新聞』には、宗務院からの質問は掲載されず、回答だけが「教学上の基本問題について」という形で掲載されました。したがって、一般の会員には、ことの本質がよく判らなかった節もあったようです。
ともあれ、「六・三〇」は、それまでの学会における教義上の逸脱問題を是正したという意味で、学会の教義上の基本路線となっております。
ハ 一一・七(お詫び登山)先の「六・三〇」において、この問題は一応『聖教新聞』紙上で是正はされましたが、現実的にはなかなか学会組織の中で徹底されませんでした。そのため、結果的にはかえって僧俗の間でこの問題がエスカレートしていったのです。
このような展開で、通称「お詫び登山」といわれる11月7日の創価学会創立48周年記念登山代表幹部会が、総本山の大講堂で開催されました。これには、全国の宗門僧侶も出席して行なわれました。これが「一一・七」です。
その席上、当時の北條理事長は、改めて、「@折伏した人は信徒として各寺院に所属させること、A当山の教義を守ること、B仏法僧の三宝を守ること」の、学会の宗教法人設立時の三原則を確認した上で、「宗教のもつ現代的役割のうえから、在家の宗教的使命の側面を掘り下げて展開したのであります。しかし、そのことが、宗門、寺院、僧侶を軽視する方向へと進んでしまったことも事実であります。今、このことを総括するに、問題を起こした背景に、宗門の伝統、法義解釈、化儀等に対する配慮の欠如があったことを率直に認めなければなりません。ともかく、この意識のズレ、配慮の欠如がその後の対応のなかでもあらわれ、そのことが、問題をここまで発展させてしまったのであります。」と述べ、「第一に、学会のここ数年の指導、進み方、教学の展開のなかに、正宗の信徒団体としての基本がおろそかになっていたこと、第二に、昨年のような学会の行き方は行き過ぎがあったこと、以上の二点を私ども学会は、とくにわれわれ執行部は、深く反省するものであります。」と率直に反省しました。
さらに辻副会長も、「第一に、戒壇の大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。」「第二には、唯授一人、血脈付法の猊下のご指南に従い、正宗の法義を尊重してまいりたいと思います。」「第三に、学会員の心情には、長い歴史のなかで、しぜんに会長への敬愛の念が培われてきましたが、また、それは当然であるとしても、その心情を表すのに、行き過ぎた表現は避けなければなりません。」と、再確認と反省の意を表わし、また池田会長も、「これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗内をお騒がせし、また、その収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身として、この席で、深くおわびいたします。」と反省しました。
つまり、「一一・七」とは、それまでの学会の行き方を、全国の宗門僧侶の前で、正直に反省懴悔したものなのです。
ニ 池田会長の会長勇退と総講頭辞任「六・三〇」、「一一・七」において収束されるはずであった当時の問題は、昭和54年に入って、逆に思わぬ方向へ展開していきました。それは学会のある大幹部によって、公然と宗門批判がなされたということがあり、それによって、いよいよ大きな問題となっていきました。
そして、宗門僧侶や法華講連合会、また当時の檀徒会などから、池田会長の責任を問う声が強まり、池田会長はついに4月24日には会長職を勇退し、また4月26日には一切の責任をとって総講頭職を辞任したのです。
当時のことについて、池田名誉会長は昭和55年4月2日、『恩師の二十三回忌に思う』と題した所感の中で、「私が展開した昭和五十二年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります。」「昨年四月二十四日、私が会長を勇退し、合議と協調を基調とした新会則を制定し、規則の改正を図り、そのもとに、北條第四代会長の体制が誕生したのも、安定路線を具体化するためのあらわれの一つでありました。」と述べ、『聖教新聞』に掲載しています。
ホ 五・三(日達上人による収束と協調路線)池田氏の会長勇退、総講頭辞任から数日を経た昭和54年5月3日、創価学会では、日達上人御臨席のもと、北條新体制になってはじめての第40回本部総会が、創価大学において執り行なわれました。
その席上、日達上人は、「この数年間、まことに残念な出来事が続き、混乱を招きましたことは、悲しいことでありました。幸いにして前会長の英断と、心ある人々の努力により、再び秩序の回復に向かい、晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発ができることは、まことに喜ばしいことであります。(中略)どうか今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸びのびと御活躍を願いたいのであります。」と御指南され、五十二年路線の一連の学会問題を収束されました。
これは、池田名誉会長をはじめとする学会首脳が、それまでの過ちを正直に反省したことを大前提としていることを忘れてはなりません。
日顕上人の御登座以後 イ 日顕上人は日達上人の収束と協調路線を継承
昭和54年7月22日、日達上人は御遷化されました。それにともなって御登座された日顕上人は、一つには日達上人の5月3日における学会問題の収束を尊重され、二つには牧口・戸田両会長以来の、正法正義の堅持と弘通という学会の伝統を信頼されて、日達上人が最終的に敷かれた協調路線を受け継がれました。そして、訓諭や院達などで、宗内僧俗に訓戒をされました。
日顕上人は、日達上人と同様、池田氏や学会首脳の深い反省を大前提として、宗門を統率されたのです。すなわち、昭和54年10月8日、院達をもって、「学会に対する基本的な態度は、日達上人の示された方針を堅持する。僧侶は慈悲の精神に立ち、法主上人のもと一結して僧俗和合の協調路線に添い奉ること。学会にあっては、六・三〇、一一・七につき、さらに全会員が充分その経緯と意義内容を理解し納得するよう説明徹底を怠ってはならない。そのためには、過去において正宗の化儀化法から逸脱していた部分を明確にし、またそのような指導を行なったことについて率直に反省懴悔し、再び過ちを繰り返さぬことを誓う姿勢を忘れてはならない。」(趣意)の三点を明らかにし、僧俗双方に、今後の進むべき方向を指示されました。学会は、ただちに逸脱路線の内容を記した『特別学習会テキスト』を作成し、その是正の姿勢を示しました。
ロ 正信会僧侶の擯斥までの経過創価学会の五十二年路線という教義の逸脱などにみられる悪い体質に対して、活動家僧侶と称する一部の僧侶が立ち上がり、その活動と日達上人の御指南によって、学会は一連の誤りを糺されたという意味があります。
しかし、活動家僧侶の中には大変強硬な態度で学会を批判する者も多く、それらは日顕上人の代になり、一〇・八院達以降においても、なかなかその姿勢を改めませんでした。それが、のちの正信会となっていったのです。
日顕上人、並びに宗務院は、彼ら正信会に対して再三注意や訓戒をしました。しかし、正信会の徒輩はその姿勢を改めず、昭和55年8月24日には、日顕上人の訓戒や宗務院の再三の制止にもかかわらず、第5回檀徒大会を武道館に開催して学会批判を行なったため、住職罷免や停権などに処せられたのです。
しかし、この処分に関して、学会が誤った認識をもたないようにとのお考えから、日顕上人は昭和55年11月26日の創価学会創立五十周年記念幹部登山の折に、「なお、今回の僧侶の処分に関して 創価学会を攻撃、誹謗する僧侶達が処分されたのは、創価学会に誤りがなかった証拠であり、指導者にも誤りなどはなかったのである などといってはなりません。それは、いわゆる昭和53年6月30日、同年11月7日などの一連の発表にあらわれているように、過去において逸脱があって、これを反省し、訂正したことは事実であります」と、学会を訓戒されているのです。
この処分の頃から、正信会のほこ先は、宗門にも向けられてきました。つまり、彼ら正信会の徒輩は、この処分を不服として反発し、あろうことか血脈付法の御法主上人に弓を引き、ひいては血脈相承についての異説を唱え、ついに日顕上人への血脈をも否定してしまうという大謗法にまで走ってしまったのです。この謀反によって、正信会の徒輩は、宗門から擯斥されたのです。
ハ 創価学会のその後の在り方以上、五十二年路線の学会の教義逸脱の問題と正信会僧侶の擯斥までの経緯をみました。正信会問題に関しては、現在なお裁判が継続しておりますが、すでに彼らの血脈に関する教義的問題等は『大日蓮』などで破折しています。
また、学会問題については、その反省と同じ過ちを犯さないという大前提(「六・三〇」と「一一・七」を遵守する)のもとに、最近まで協調路線を進めてきました。しかし、今回の問題において、再び大きな過ちを犯したことは明らかです。
今にして思うと、あの「六・三〇」や「一一・七」、また昭和54年の特別学習会や池田名誉会長の『恩師の二十三回忌に思う』などの反省懴悔は何であったのか、ことにその徹底をはかるべき指導的立場にあった人達は、果たして心から逸脱に対しての認識と反省があったのか、はなはだ疑わざるを得ないのです。否、むしろ形だけ恭順の姿勢を示して、ひたすら時の過ぎるのを待っていたのではないでしょうか。今回の一連の池田名誉会長の発言、及び学会首脳の姿勢、態度、対応の仕方、『聖教新聞』等における論調をみると、そのようにしか思えないのです。
『顕謗法抄』の中に、「懴悔すれども懴悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懴悔には此の罪きえがたし」とありますが、池田名誉会長並びに学会首脳はこの御金言をよくよく肝に銘ずべきです。なぜならば、大聖人の仏法は謗法厳戒に深い意義があるからです。
二 日蓮正宗の正しい信仰の在り方 1 正法受持・謗法厳戒こそ宗是
宗祖大聖人は、『当体義抄』に、「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居・所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」と、末法の私どもの即身成仏の要道をお示しになられていますが、それは大聖人の弘められた三大秘法を正直に受持するところに、その基本があるのです。
同時に、また大聖人は、「謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし、何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」(『曽谷殿御返事』)と仰せになっています。謗法厳戒ということは、大聖人の御生涯において一貫して御教示されているとおり、大聖人の仏法を行じていく上で大変重要なことです。この謗法厳戒には、二面を含みます。すなわち、自ら謗法行為をしないこと、そして他の謗法行為を戒めていくことです。
謗法は自ら犯してはならない 大聖人は、『真言見聞』に、「凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり三宝一体なる故なり」と仰せです。したがって、謗法ということは大聖人の仏法全体、なかんずく本門戒壇の大御本尊を謗ることを意味しますが、それはまた御本仏である大聖人を謗り、日興上人以下の僧宝を謗ることでもあります。三宝についてはあとで詳しく述べます。
また、大聖人は、『松野殿御返事』の中で、私ども日蓮正宗の信仰をする者の戒めとして、十四誹謗を御教示されております。十四誹謗とは、 慢・懈怠・計我・浅識・著欲・不解・不信・顰蹙・疑惑・誹謗・軽善・憎善・嫉善・恨善の十四をいいます。『阿仏房尼御前御返事』に、「法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり、然りといへども、信ずる者は成仏をとぐ謗ずる者は無間大城に堕つ」と仰せのように、これらの中で最も恐れなくてはならないのは、不信ということです。本門下種の三宝に対して、無疑曰信の信心を貫くことができないと、そこに慢心や邪解、嫉みなどが起こってくるのです。私ども僧俗は、毎日の信行の中で、これらのことがないよう、つねに自らを戒めることが大切です。
他の謗法を戒める イ 邪宗への破折
大聖人の仏法では、折伏が布教の基本です。この折伏の精神は、破邪顕正にありますが、破邪は五重相対、「内外、大小、権実、本迹、種脱」による邪宗破折であり、顕正は三大秘法の正義を受持せしめることです。そこに、おのずから謗法厳戒の意義が存するのです。
大聖人は、「謗国と申すは謗法の者・其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり」(『秋元御書』)と仰せのように、謗法の罪はその身を破り、一家を潰し、一国を没し、ついには世界をも滅してしまうのです。私ども僧俗は、この世界の多くの謗法の中にあって生活を営んでいます。その謗法の人々を救うためには、正法の功徳と御本仏日蓮大聖人の限りない大慈悲を説きつつ、親が子の悪業に心を痛めるように、慈悲をもってその謗法を除いてあげることが大事なのです。それが折伏です。
ロ 宗内の謗法制戒先に述べたように、正法を信仰していても、知らず知らずのうちに十四誹謗を犯しているということもあるので、宗内僧俗はこれを犯さぬよう、また戒めあうように心掛けるべきです。いかに信心の年月を重ね、多くの功労を積んだ人であっても、そこに不信 慢の心があるならば、私どもは毅然としてこれを糺し、その 慢の心を破折して、正信へ導いていくことが肝要です。
過去に多くの功労があったということに執われて、そのような人を守ろうとするならば、それは『涅槃経疏』の、「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」の戒めに背くことになりますので、充分注意しなければなりません。
2 正宗信徒としての自覚
総本山根本の信心 御本尊さえ拝んでいれば、総本山に登山することも、寺院へ参詣することも必要ないと考えるのは、大変な間違いです。大聖人は四条金吾殿に、登山参詣の功徳について、「今此の所も此くの如し仏菩薩の住み給う功徳聚の砌なり(中略)然るを毎年度度の御参詣には無始の罪障も定めて今生一生に消滅すべきか」(『四条金吾殿御返事』)と、無始以来の謗法による罪障を消滅する根源となるとお示しです。
こうした御金言に背き、誤った信徒間の絆に執われて、組織の指導や口コミにより、総本山に登山しなくてよいとか、寺院へ参詣するななどということは、まさに成仏の芽を摘み取る魔の働きです。魔とは人の幸福を踏みにじり、成仏を妨げる働きをいいます。また、日蓮正宗の信徒として、そうした指導を何とも思わないとしたら、それはその人の信心が、すでに魔に魅入られている証拠です。
日蓮大聖人は、『御義口伝』に、「此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」と仰せのように、これらの魔を根底から打ち破るものは信の一字の利剣以外にはありません。また、この信ということについて、大聖人は「随喜するは信心なり信心するは随喜なり」(『御講聞書』)「謗法と申すは違背の義なり随喜と申すは随順の義なり」(『唱法華題目抄』)と仰せになっています。つまり、正法正師に信伏随従することが、魔を打ち破る利剣となるのです。この正師の根本は御本仏日蓮大聖人であり、日興上人以来の唯授一人血脈付法の御法主上人なのです。
金沢法難に学ぶ正宗信徒の姿勢 総本山第26世日寛上人が、『臨終用心抄』で、「先づ平生に心に懸け造次顛沛にも最も唱題すべし。亦三宝に祈ること肝要也。又善知識の教を得て兼て死期を知り臨終正念証大菩提と祈るべき也。多年の行功に依り三宝の加護に依り必ず臨終正念する也」と仰せのとおり、多年の仏道修行を地道に励むことこそ、一生成仏のために不可欠なことなのです。
日蓮正宗の歴史の中にも、金沢法難は成仏のための仏道修行を教えております。加賀金沢の信徒は最寄りの寺院もなく、藩の厳しい大石寺信仰の禁制下にあって、個々に総本山に詣でることは並大抵のことではありませんでした。そうした中で、藩主の参勤交代の一行に加わって江戸に出ることが、大石寺に詣でる一つの方法でした。
江戸に向かう藩主の行列が、富士吉原の宿場に足をとめたその夜、青年武士は陣屋が寝静まるのを待って、三々五々と抜け出し、約15km離れた総本山大石寺を目指して、一団となって駈けはじめ、やがて大石寺に着くと、そのまま御宝蔵の石畳の上に端座して、戒壇の大御本尊に向かって一心にお題目を唱えたのです。ことに真冬の凍りつくような石畳に座っての唱題は、大変つらいものであったと思われますが、歓喜に燃える青年信徒にとって、寒さなどは何でもないことでした。一行は再び藩主の目覚める前に吉原を目指して駈け戻り、参勤交代の行列に加わったのです。これは、金沢妙喜寺に、今も伝えられる「抜け詣り」といわれるものです。
こうした総本山を根本とする尊い信心こそ、未来永劫の成仏を築く道であると、私どもは深く心に留めなければなりません。
3 三宝の正しい拝し方
当宗の三宝 日寛上人は、『当家三衣抄』に『木 子経』を引かれ、「若し煩悩を滅せんと欲せば当に木 子一百八箇を貫き、常に自ら身に随え志心に南無仏・南無法・南無僧と称え、乃ち一子を過ごすべし」と説かれるとおり、仏教においては、根本依止の対境として、三宝が立てられています。三宝とは、仏宝・法宝・僧宝のことで、一切衆生を救い、世を清浄に導く宝であるから三宝というのです。
日蓮正宗における三宝とは、仏宝とは末法の御本仏である宗祖日蓮大聖人、法宝とは本門戒壇の大御本尊、僧宝とは唯我与我の第二祖日興上人を随一として、第三祖日目上人以来嫡々付法の御歴代上人であります。
私どもは朝夕の勤行の時に、二座と三座において、この文底下種の三宝に、まず御報恩申し上げ、そののちに祈念や回向をしているのです。
仏宝と法宝は人法一箇 仏宝・法宝の尊貴についてはいうまでもありません。法宝である本門戒壇の大御本尊と、仏宝である日蓮大聖人とは、人法一箇と称したてまつるように、本来、一体不二の御本尊です。すなわち、久遠元初における御本仏の悟りがそのまま妙法であり、その妙法がそのまま久遠元初の御本仏の御内証なのです。したがって、御本尊はそのまま御本仏の命であり、そのまま大聖人の御当体にましますのです。大聖人の御当体を離れて、妙法があると考えるのは誤りです。当宗の信仰をする人は、この点を外してはなりません。
僧宝の拝し方 イ 三宝は一体
仏法僧の三宝は一体です。それは当宗の御本尊の奉安形式を見ても明らかです。多くの末寺の奉安形式は、一体の御本尊の中に三宝を拝する一体三宝式です。また、総本山の御影堂のように、御本尊の前に大聖人の御影を安置し、人法を分けた形も、その意義において一体三宝式です。また、総本山の大客殿などでは、御本尊の向かって左に大聖人、右に日興上人の御影が奉安されて、別々に拝することができます。これは別体三宝式といわれますが、ともに三宝が揃って御本尊となっているのです。したがって、僧宝においても、仏法・法宝と同様に尊崇しなければなりません。
ロ 僧宝は血脈相承日蓮大聖人の下種仏法は、唯授一人の血脈相承によって、正しく伝えられています。これは、まさしく僧宝の威徳によるものです。
最初に、唯我与我の第二祖日興上人を随一として、第三祖日目上人以来嫡々付法の御歴代上人が、総じて僧宝であると述べました。すなわち、日寛上人は、「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり。仏恩甚深にして法恩も無量なり、然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷んぞ此の大法を信受することを得んや。豈開山上人の結要伝授の功に非ずや」(『当流行事抄』)と、血脈相承の意義の上から、僧宝の根源を示され、また、「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師」(『当家三衣抄』)と、明らかに嫡々付法の御歴代上人が、僧宝であると示されています。したがって、僧宝とは大聖人より血脈相承を受けられた日興上人を随一とし、以来、その法水を伝持あそばされた御歴代上人、そして現にその法水を御所持あそばされる御法主上人に及ぶのです。
また、御法主上人に信伏随従し、御法主上人の代理として派遣された各寺院の住職、教師も、広い意味で僧宝に含まれます。
ハ 御法主上人に信伏随従私ども日蓮正宗の信仰をする僧俗は、御法主上人に対したてまつるとき、御法主上人の御所持あそばされる大聖人以来の血脈の法体を、ひたすら合掌礼をもって拝するのです。したがって、御法主上人の御指南は、護持される法体の上から、大聖人の仏法を根源的な意義においてお説きあそばされるのであり、私どもは真摯な態度で拝聴することが大事なのです。
つまり、私どもは信伏随従して、御法主上人の御指南を拝すべきであり、そこにこそ本当の師弟相対の信心、即身成仏の大直道があることを知らねばなりません。
ニ 学会本来の僧宝観戸田会長は、昭和31年1月29日の『聖教新聞』紙上で、「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとへ大幹部といえども速座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。(中略)どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えして来たのといさゝかも変りはない。新猊下を大聖人様としておつかえ申上げ、広布への大折伏にまっすぐ進んで行くだけである。」と述べています。これは、第64世日昇上人が御引退を表明遊ばされたときの言ですが、そこに血脈所持の御法主上人の尊厳性に対する、信徒としての敬虔な信心の在り方が窺えます。
また、学会が五十二年路線の誤りを深く反省したのち、『大白蓮華』(昭和54年11月号)において、「正法を正しく継承伝持あそばされた血脈付法の日興上人を随一として、歴代の御法主上人、広くは、御法主上人の法類である御僧侶の方々が僧宝なのです。(中略)僧宝がいかに尊く大事な存在であるかを知り、尊敬と感謝と報恩の信心をもって御僧侶を敬い、僧俗和合の姿で広宣流布に邁進していくことが肝要です。」と僧宝の本義を解説しています。
さらに、北條会長は、昭和55年11月26日の学会創立五十周年記念幹部登山の折に、「今日において、歴代の御法主上人を日蓮大聖人と仰ぐのが、日蓮正宗の信心であり、学会の伝統である。御法主上人を『軽しむ』ようなことがあれば御書に照らしても堕地獄は疑いない。私共は、何があろうと、御法主上人の御指南のままに広布に邁進し、僧俗和合を築いていくことを確認しておきたい。」と発言しています。
これは、『御本尊七箇相承』の、「代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」のお示しに基づき、僧宝について血脈法体の不二の上から、御法主上人のお立場を拝したものと思いますが、やはり僧宝の意義の根本を述べております。これらは、まことに正しい僧宝の拝し方で、学会の本来の伝統的な僧宝観なのです。
ホ 近年の誤った学会の僧宝観ところが、御法主上人に対する最近の池田名誉会長や学会首脳の言動は、およそ本宗の三宝を信ずる信徒の態度ではありません。
御法主上人や宗務院からのたび重なる注意に対しても、まったく反省することなく、連日『聖教新聞』などで、抗議や不当な言辞をもって御法主上人を軽視し、宗門を蔑視しています。しかも、このような指導者たちの姿勢を受けて、一般会員までが、末寺住職批判はおろか、御法主上人に対する誹謗の声を放っているのが現状です。これは、まさしく三宝の破壊行為にあたるものです。
大聖人の『一代五時図』に、「謗法は一業引多生なれば一度三宝を破すれば度度悪道に堕する是なり」と仰せのように、即当堕悪道は必至であります。日蓮大聖人の仏法を信仰する者は、三宝を正しく拝し、その恩をいかに報じていくかをつねに念頭におき、日々の仏道修行に邁進することが肝要なのです。
4 成仏への直道
師弟相対の信心(良き師、良き法、良き檀那) 日蓮正宗では、師弟相対、つまり師弟の道が大切であることを説いています。
大聖人は、『法華初心成仏抄』に、「よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」とお示しあそばされていますが、この良き師とは仏法における師匠のことで、別しては日蓮大聖人、総じては血脈付法の御法主上人の御事です。この筋目を踏み外したならば、いくら唱題に励もうとも、何の功徳もありません。
また、この『法華初心成仏抄』の文について、戸田二代会長は、昭和30年12月13日の関西本部落成入仏式の折に、「良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめなのです。南無妙法蓮華経、これは良き法にきまっている。大御本尊様は良き法なのです。また、御法主上人は唯授一人、六十四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私はひじょうに光栄とするものであります。」と述べ、本宗本来の筋目から、正しく拝しております。
正しい信仰の確立こそ成仏への直道 「噫過ぎし方の程なきを以て知んぬ我等が命今幾程もなき事を」(『新池御書』)との大聖人の仰せのように、人の一生は短いのですから、その短い一生の間に、いかに成仏への修行を積むかが大事なのです。
私どもの生活は、無関係な人からは大した影響を受けません。しかし、尊敬や信頼している人からは、大きな影響を受けているのです。とくに、それが人生の指針とか教えに関するものであれば、なおさらのことです。就職や結婚を慎重に考えるのも、一生の問題だからであり、より価値を生じ、満足できるものでなければならないと思うからです。
まして、永遠の生命において、自らの成仏・不成仏を決定する信仰の道においては、その影響を及ぼす指導的立場にある人の信仰の在り方が、これ以上ない大事な問題です。
本来、私どもの信仰の目的は、自らの成仏と、一国乃至世界人類の恒久平和と永遠の幸福確立にあるといえましょう。そのためには、末法適時の宗祖大聖人の仏法を正しく伝えてきた日蓮正宗の教えに則って、三大秘法の大御本尊を信じたてまつり、血脈付法の御法主上人の御指南を素直に受け、正直に誤りなく信行に励んでいくことが肝要です。そこに、少しでも誤りがあっては、成仏の目的はかないません。この最高の願いを成就するには、弱い心を捨て、強い心をもって進まなくてはならないのです。
今ここに、池田名誉会長や学会首脳の信心指導が間違っていると知りながら、池田名誉会長への感情に溺れ、あるいは組織の圧力を恐れるあまり、自らの信心を改めることができず、間違った指導に惑わされたままでゆくならば、成仏は思いもよらないことを肝に銘じなければなりません。
皆様は、幸いにして生まれがたい人界に生を受け、遇いがたい真実の正法に巡り合うことができたのです。この尊い功徳を未来永劫に絶やさないためにも、今こそ七百年の伝統ある日蓮正宗の信心に基づき、正しい指導を受けて、間違いない成仏への道を歩んでいただきたいのです。