御会式奉読立正安国論御申状



1.お会式とは


★日蓮大聖人の弟子・檀那にとって、最も重要な法要がお会式です。日蓮正宗では、古来「お会式に参詣しない人は、大聖人様の弟子でも信者でもない」、「1年365日、寺院に参詣しても、お会式に参詣しなければ、なんにもならない」等とまで言われてきました。

お会式(えしき)とは宗祖日蓮大聖人が弘安5年(1282年)10月13日ご入滅され、滅不滅・三世常住のお姿を示されたことをお祝いする儀式で、春のお虫払法要とともに本宗の二大法要の一つです。

お会式といえば一般には大聖人のご命日の法要のことと考えていますが、大聖人を末法有縁の下種のご本仏と仰ぐ本宗においては、そのご入滅は「非滅の滅」であり、真実には常住此説法の大導師におわしまし、末法万年の闇を照らし濁悪の衆生を救済し給うと拝するのです。よってお会式は大聖人の永遠不滅のご本仏としてのご境界を拝する、お喜びの儀式なのです。

会式という語は元々宮中で行なわれた諸法要のことで、その名称をとって各宗内の法要に充てたものと言われます。その中でも10月13日はことに重要な法要なので大会(たいえ)と名付け、総本山では御大会(ごたいえ)と古来から称しています。

大聖人は今を去る700余年の昔、弘安5年10月13日、武州(東京)池上の右衛門大夫宗仲の館において大勢の弟子や信徒が読経唱題申し上げる中で、安祥としてご入滅あそばされました。日興上人の御遷化記録等によると、ご入滅は辰(たつ)の時とあるので、今の午前8時頃になりますが、その時は大地が震動し庭の桜に時ならぬ花が咲いたと記されてあります。まことに末法の御本仏のご入滅を、宇宙法界の生命が挙げてこれを惜むと同時に、滅不滅の仏法をお祝い申し上げたさまを彷彿として偲ぶことができます。

さて、お会式について、特に幾つかのことが考えられますが、まず第一に久遠常住の仏の非滅現滅・非生現生の不可思議のお命を拝さなくてはなりません。大聖人が御本仏であらせられるということは、そのまま法界の大生命体たる南無妙法蓮華経であるということでもあります。そしてまた、この世に身を受けたことは一個の個に過ぎないということです。この一個の個に過ぎない示同凡夫(じどうぼんぷ)のお姿も、入滅するということに依って法界の大生命体に帰一することになります。

『御義口伝』に「無常常住・倶時相即」(化城喩品七箇の大事・1745ページ)とあるように、大聖人のご入滅は一往は無常のようには見えますが、大地震動し季節はずれの桜が開花したことは事実の上において、現有滅不滅であり、無常常住・倶時相即がまことの諸法実相であることを示すものです。また、御義口伝に「妙法と唱うれば無明法性体一なり」(五百弟子品三箇の大事・1748ページ)、「妙を以ての故に即なり」(方便品八箇の大事・1725ページ)とあります。この凡夫即仏・依正不二・色心不二・生死不二の相即こそは仏法の教えの根本であり、いろいろの教えは結局この不二相即に帰すのが本意です。これを如実に示されたのがご入滅なのです。

第二に、仏様は三世に亘って三身が常住すると説かれますが、そのお姿やお住いはどうか、ということが問題です。寿量品の長行に「必ず当に難遭の想(おもい)を生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰して、便ち善根を種ゆべし。是の故に如来、実に滅せずと難も、而も滅度すと言う」とあり、さらに重ねて自我偈には「衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず、而も実には滅度せず、常に此に住して法を説く」とあります。仏様は三世に常住されるのですが、常に住していると、衆生はいつでも仏様にお会いできると安心し、つい仏道修行を怠ります。そこで、衆生教化のために一つの方便として寂滅の相をあらわし、衆生に仏様には永く会い難いとの想を抱かせ、仏道修行を勧められるのです。

魂では寂滅の相を示された後は、仏様の生命はどこにおわすのでしょうか。「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」(経王殿御返事・685ページ)とのご金言によって、それは十界互具の大曼茶羅の中にあらせられ、なかんずく大聖人出世のご本懐たる本門戒壇の御本尊として住されているのです。また、この御本尊の法体は、日興上人・日目上人・日道上人式とご歴代上人に相承され、御当代上人の御一身に具し給うところです。このように、滅不滅である御本仏の出現をお祝いするのが、お会式の儀式です。

第三には、大聖人ご入滅後の弟子や信徒の在り方が、正しい信心修行を決定する上に非常に重要となります。本弟子(重要な弟子)6人と言われる中で大聖人滅後、弟子の道をまっとうし、正しく法統を継承したのは、ご在世中常におそばでお給仕申し上げた二祖日興上人お一人です。厳しい師弟相対の上に大聖人の深い仏法を余すところなく体得し、大聖人の正義を敢然として立て通されました。したがって日興上人の門家のみが、正しい信条と法義に基いたお会式の行事を700年来行なってきたのです。

その証拠の一つをあげると、大聖人のご化導の目的は正法治国にあり、この旨を述べられたのが『立正安国論』です。日興上人・日目上人をはじめ代々の法主上人も度々国諌をされました。この故に、本宗のお会式では安国論並びに申し状の奉読を行ない、大聖人のご精神を現代に示し、広宣流布をご宝前に祈誓申し上げるのです。

次に、お会式の行事について述べてみましょう。このお会式は総本山をはじめ全国の末寺でも執り行なわれます。共にこの日は桜の花を作って仏前を荘厳します。総本山でのお会式は現在11月20日お逮夜、21日ご正当の2日にわたって行なわれます。この訳は弘安5年の太陰暦の10月13日は、同年の太陽暦では11月21日に当るからです。

20日の午後から奉安堂において、本門戒壇の御本尊のご内拝があり、その後夜に入って『お練(ね)り』の儀式が行なわれます。これは末法の御本仏日蓮大聖人のご出現を示すもので、『お練り』とは静かに徐(おもむ)ろに行列を作って歩くことです。この行列が御影堂の正面参道に至ると一旦停止し、七・五・三の喚鐘(かんしょう)にあわせて6人の助番僧が、御影堂から1人ずつ7人・5人・3人の順に法主上人へ一礼に走ります。これは本仏日蓮大聖人がお説法のために御影堂に入られるよう、弟子が身をもってお願いする動作です。行列は御影堂の西を廻り裏向拝(ごはい)から入堂します。裏向拝から入るのは、御影堂に本仏大聖人が常住し給う故であり、信徒の人々は客として表向拝から上がるのです。

入堂後、法主上人は高座下手(しもて)の正面に設けられた上行座(じょうぎょうざ)に、北面して着座されます。これは法華経涌出品で忽然として地から涌出する、上行菩薩の姿を表されるのです。次いで会行事(えぎょうじ)が立って寿量品三誡三請・重誡重請(さんかいさんしょう・じゅうかいじゅうしょう)の法式をかたどり、仏様の登高座(とうこうざ)を願い奉ります。そこで法主上人が登高座され、如法散華焼香の後、寿量品の説法を始められます。このお説法は末法の御本仏日蓮大聖人が、寿量品の文底久遠本有無作の南無妙法蓮華経を説き出される儀式なのです。

お説法が終って少憩の後、三々九度の儀式が執行されます。三々九度とは日本古来の祝儀を表す盃の方式で、大聖人とお弟子の本六僧がともに酒を酌み交わし、御本仏師弟の常住をお祝いするのです。これでお逮夜の行事は終りとなります。

2日目のご正当会は早朝の勤行衆会(しゅかい)、次に午前8時から御影堂においてお講が奉修され、法主上人及び本六僧によって『立正安国論』並びに代々上人の国諌の『申し状』が奉読されます。これは大聖人の折伏の仏法を示す儀式であり、この信心をご宝前に現すことによって忍難弘通を誓い、必ず本因妙の広宣流布が成就されることを示すのです。三大秘法の仏法によってこそ、一切衆生の成仏もはじめて可能となるからであります。

最後に、ご宝前を荘厳したお花をくずす行事でお会式は終了となります。(★桜台に飾る花や餅は、仏教の世界観による須弥山説に基づいています。台の上の白・黄・赤・青の4色の竿餅は空・風・水・金の四輪を表現し、三角の餅は九山、手餅は八海、アラレ餅は日月星辰を表しています。これらによって宇宙全体をかたどり、その上の桜の花が日蓮大聖人によって妙法化された真実最高の常寂光土を具現しているのです。)

末寺のお会式も献膳・読経・唱題に続いて組寺(くみでら)住職6人によって申し状の奉読があり、法要の後、説法を行なう例になっています。(★申し状は全て当時の文章ですから、意味が分かりにくいところもありますが、どの申し状にも破邪顕正の烈々たるご精神が、簡潔な文章の中に脈打っています。ご尊師方が申し状を読み終わったとき、参詣者一同が異口同音に題目三唱することによって、お会式に参詣をした人全てが一人も漏れなく、自ら申し状を奉読したことになります。このことにより、大聖人のご精神を我が精神とし、広宣流布へ向かって精進することを、参詣者一同がご本仏大聖人にお誓い申し上げているのです。)

★要するに、お会式とは、日蓮大聖人様の滅・不滅の甚深のご境涯を拝して心からご報恩を申し上げ、さらにご本仏様の大慈大悲を現代に示しつつ、広布に向かっての一層の精進を誓う、誠に重要な法要なのです。

★このようなお会式は、700年来、日蓮大聖人の正義を清浄なままに護持し続けてきた日蓮正宗以外では、絶対に奉修できない儀式です。その確固たる誇りと大いなる弘通の決意を持って、お会式には真の僧俗一致の姿で、大聖人に心からのご報恩を申し上げましょう。


=出典=

◎『日蓮正宗の行事』(昭和46年5月8日発行)70〜78ページより
★『御会式奉読立正安国論並御申状』より



2.御正当会法要次第(末寺)


一、出 仕 鈴 (僧侶入場)

一、献   膳

一、読   経 (方便品・寿量品長行)

一、御申状奉読 (申し状は白文を用います)
 (1)日有上人御申状
 (2)立 正 安 国 論
 (3)日蓮大聖人御申状
 (4)日興上人御申状
 (5)日目上人御申状
 (6)日道上人御申状
 (7)日行上人御申状

一、読   経 (寿量品自我偈)

一、唱題観念文

一、終 了 鈴 (僧侶退場)

一、布教講演会

一、お花くずし



3.御申状


(1)日有上人御申状


日 有 上 人 申 状

 日蓮聖人の弟子日興の遺弟日有誠惶誠恐(せいこうせいきょう)謹んで言(もう)す。
 殊に天恩を蒙り、且つは諸仏同意の鳳詔を仰ぎ、且つは三国持法の亀鏡に任せ、正像所弘の爾前迹門の謗法を棄捐(えきん)せられ、末法適時の法華本門の正法を信敬(しんぎょう)せらるれば、天下泰平国土安穏ならしめんと請うの状。

 副(そ)え進ず
 一巻 立正安国論 日蓮聖人文応元年の勘文
 一通 日興上人申状の案
 一通 日目上人申状の案
 一通 日道上人申状の案
 一通 日行上人申状の案
 一、 三時弘経の次第

 右、謹んで真俗の要術を検(かんが)えたるに、治国利民の政は源内典より起こり、帝尊の果報は亦供仏の宿因に酬(むく)ゆ。而るに諸宗の聖旨を推度するに、妙法経王を侵され一国を没し衆生を失う。庶教典民に依憑して万渡を保ち、如来勅使の仏子を蔑ずる。緇素(しいそ)之れを見て争(いか)でか悲情を懐かざらんや。凡そ釈尊一代五十年の説法の化儀興廃の前後歴然たり。所謂(いはゆる)小法を転じて外道を破し、大乗を設けて小乗を捨て、実教を立てて権教を廃す。又迹を払って本を顕わす、此の条誰か之れを論ずべけんや。況んや又三時の弘経は四依の賢聖悉く仏勅を守って敢えて縦容たるに非ず。爰(ここ)を以って初め正法千年の間、月氏には先ず迦葉・阿難等の聖衆小乗を弘め、後に竜樹・天親等の大士小乗を破して権大乗を弘む。次に像法千年の中末、震且には則ち薬王菩薩の応作天台大師南北の邪義を破して法華迹門を弘宣す。将又後身を日本に伝教と示して六宗の権門を拉(くじ)き一実の妙理に帰せしむ。
 然るに今末法に入っては稍(やや)三百余歳に及べり。正に必ず本朝に於いては上行菩薩の再誕日蓮聖人、法華本門を弘通して宣しく爾前迹門を廃すべき爾の時に当たり已んぬ、是れ併(しかしなが)ら時尅と云い機法と云い進退の経論明白にして通局の解釈炳焉(へいえん)たり。寧(むし)ろ水影に耽(ふけ)って天月を褊(さみ)し、日に向かって星を求むべけんや。然るに諸宗の輩所依の経経時既に過ぎたる上、権を以って実に混じ、勝を下して劣を尊む、雑乱と毀謗と過咎(かぐ)最も甚し。既に彼を御帰依の間仏意快からず、聖者化を蔵(かく)し善神国を捨て悪鬼乱入す。此の故に自界の親族忽(たちま)ちに叛逆を起こし、他国の怨敵弥(いよいよ)応に界を競うべし、唯自他の災難のみに非ず剰(あまつさ)え阿鼻の累苦を招くをや。
 望み請う、殊に天恩を蒙り、爾前迹門の諸宗の謗法を対治し、法華本門の本尊と戒壇と並びに題目の五字とを信仰せらるれば、広宣流布の金言宛(あたか)も閻浮に満ち、闘諍堅固の夷賊も聊(いささ)か国を侵さじ。仍って一天安全にして玉体倍(ますます)栄耀(えいよう)し、四海静謐(せいひつ)にして土民快楽(けらく)に遊ばん、日有良(や)や先師の要法を継ぎて以って世のため法のため粗(ほぼ)天聴に奏せしむ。誠惶誠恐謹んで言す。
  亨永四年三月   日 有


【解説】宗門中興の師・日有(にちう)上人によってしたためられたこの申し状は、日興上人・日目上人の第100回遠忌に当たる永享4年に、後花園天皇に対して奏上されたものです。

【通解】日蓮大聖人の弟子にして日興の遺弟である日有が、謹んで申しあげます。

ことに天皇の恩を受け、また諸仏が同意したご金言を仰ぎ、さらにインド・中国・日本の三国に流布した仏法の順序に任せて、正法・像法時代に弘通した爾前迹門の謗法を捨てられ、末法時代に適した法華本門の正法を信仰されるならば、必ず天下は泰平にして、国土は安穏となります。この状は、正法に帰依されんことを願ってしたためた申し状です。

次の書を副えて、提出いたします。
 一巻 立正安国論 日蓮大聖人が文応元年に記した勘文
 一通 日興上人申状の案
 一通 日目上人申状の案
 一通 日道上人中状の案
 一通 日行上人申状の案
 一つ 三時弘経の次第

右の書から、謹んで出家と在家にわたる最も大事なことがらを考えてみますと、国家を治め、民衆を利益する政(まつりごと)は、その基が仏教の経典より起こっています。また、帝王となる果報を得たことは、前世に仏に供養した因縁によります。

ところが、諸宗の宗旨を推察すると、経典の王である妙法蓮華経を捨てているために、一国を滅ぼし衆生の利益を失っているのです。多くの経典によって民衆を治めようとしているが、それは結局如来の勅使である仏子をあなどることにつながっています。正法を護持する僧俗は、この姿を見て非常に悲しむでありましょう。

そもそも釈尊が説かれた50年の教えと化導は、衆生の機根や時の前後によって、興(おこ)るものと廃(すた)れるものがはっきりしています。つまり小乗教によって外道の教えを破し、大乗教を設けて小乗教を捨て、実教を立てて権教を廃します。また法華経迹門の教えを払って本門の教えを顕すのです。この内容を、いったい誰か論じたことがあったでしょうか。

ましてや、正・像・末の三時の弘経は、四依の賢人や聖人がすべて仏の戒めを守って弘めているのであり、けっしておろそかにしてはおりません。事実、釈尊滅後の最初の正法時代の1000年間は、まずインドにおいて迦葉尊者・阿難尊者等が小乗を弘め、その後に竜樹菩薩・天親(てんじん)菩薩等が小乗を破折して権大乗を弘めました。次に、像法時代の1000年の後半には、中国において、薬王菩薩の生まれかわりの天台大師が、南三北七の邪義を破って、法華経迹門の教えを弘めました。さらに日本においては、その薬王菩薩が伝教大師と生まれ変わって、南都六宗の教えを破折して、法華一実の教えに帰依させました。

そして今、末法に入って300年余りが経過しました。このときは、必ず日本において上行菩薩の再誕の日蓮大聖人が出現して、法華経本門の教えを弘め、爾前迹門を破折する時に当たっているのです。

すでに述べた通り、このことは時や機根・法の上から、一切の経論やその解釈書に明白に説かれています。にもかかわらず、水に映った影にこだわって実際の月をさげすんだり、太陽が現れているのに星のわずかな光を求めたりしてはなりません。

ところが、諸宗の人々は、依りどころとしている経々は過去のものであり、その上権教を実教に混ぜたり、勝れている教えを下げて劣っている教えを尊んだりしています。この姿は、正邪の雑乱と正法へのそしり、そして邪法峻別のあやまちが、最もはなはだしいものです。

そのような邪法に帰依している間は、仏はこころよく思われず、聖者も教化をやめてしまいます。諸天善神は国を捨ててしまい、代わりに悪鬼が乱入してくるのです。ですから、親族などの仲間同士で争いを起こしたり、他国の敵がいよいよこの国を侵そうとするのです。ただ自界叛逆難と他国侵逼難だけではなく、すべての人々にも無間地獄の苦しみを招くことになるのです。

願わくば、ことに天皇の恩を受けて、爾前迹門の諸宗の謗法を対治し、法華本門の本尊と戒壇とならびに題目の五字とを信仰されるならば、国中に正法が広宣流布し、争ってばかりいる他国の賊はまったくこの国を侵すことができません。よって天下泰平となり、君主はますます栄え輝き、世の中が穏やかに治まって、国民は安穏な生活が送れるのです。

日有は、先師の要法を継いで、世のため、法のため、君主にお聞き取り願いたく、ここに申しあげます。誠に恐れながら、謹んで申しあげる次第です。

 永享4年3月    日 有



(2)立正安国論


立 正 安 国 論

 主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦ばしいかな、汝欄室の友に交はりて麻畝の性と成る。誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば、風和らぎ浪静かにして不日に豊年ならんのみ。但し人の心は時に随って移り、物の性は境に依って改まる。譬へば猶水中の月の波に動き、陣前の軍の剣に靡(なび)くがごとし。汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん。若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱(いそ)いで対治を加へよ。所以は何。薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。大集経の三災の内、二災早く顕はれ一災未だ起こらず。所以兵革の災なり。金光明経の内、種々の災過一々に起こると雖も、他方の怨賊国内を侵掠する、此の災未だ露はれず、此の難未だ来たらず。仁王経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現ぜず。所以四方の賊来りて国を侵すの難なり。加之(しかのみならず)国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱ると。今此の文に就いて具に事の情(こころ)を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。就中人の世に在るや各後生を恐る。是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪(にく)むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を崇めんや。若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄(ひとや)に堕ちなん。所以は何、大集経に云はく「若し国王有って無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄に生ずべし。王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならんと。
 仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐(たす)けず、疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書(ものか)くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。
 法華経第二に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。又同第七巻不軽品に云はく「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と。涅槃経に云はく「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば、是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と。
 広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各悪教の綱に懸かりて鎮(とこしなえ)に謗教の綱に纏(まつ)はる。此の朦霧の迷ひ彼の盛焔の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。
 客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和(したが)はざらん。此の経文を被きて具に仏語を承るに、誹謗の科至って重く毀謗の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは是私曲の思ひに非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。今世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明らかに理詳らかなり疑ふべからず。弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじて更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。


【解説】日蓮大聖人のご化導は「立正安国論に始まり立正安国論に終わる」といわれています。奉読する所は、安国論の結論となる最後の部分です。

【通解】主人は悦んで、次のように語りました。嬉しいことに、故事に「鳩が化けて鷹となり、雀は変わって蛤(はまぐり)となる」とあるとおり、あなたは立派な教えを説く人と交わることにより、蓬(よもぎ)のように曲がっていた邪信が、麻のように真っ直ぐな素直で正しい心となりました。誠に、現在盛んに起こっている種々の災難に深く心をとどめ、「正法治国・邪法乱国」と説く日蓮の言葉を固く信ずるならば、天変地夭は治まり、風は和らぎ、波は静かとなって、やがて必ず豊年となります。

ただし、人の心は時にしたがって移り変わり、物の性質は環境によって変わるものです。たとえば、水に映った月が波によって動き、戦陣の兵が強敵の勢いになびくようなものです。あなたは今、正法を信ずると決意していますが、後になればきっと忘れてしまうでしょう。もし、まず国土を安穏にし、自分の現在と未来の幸福を祈ろうと思うならば、すみやかにその方策に思いをめぐらし、急いで邪宗邪義を破折し対治を加えるべきです。

その理由は、先に述べた『薬師経』に説かれる七難のうち、「人衆疾疫(しつえき)難」「星宿変怪(へんげ)難」「日月薄蝕(はくしょく)難」「非時風雨難」「過時不雨難」の五難はすでに起こっていますが、まだ二難が残っています。それは「他国侵逼(しんぴつ)難」と「自界叛逆(ほんぎゃく)難」です。また『大集経(だいしっきょう)』に説かれる三災のうち、「穀貴(こっき)」「疫病」の二災は早くから現れていますが、一災がまだ起きていません。それは「兵革(ひょうかく)」の災です。さらに『金光明経』に示されている種々の災過も次々に起こっていますが、そのなかで、他国の賊がこの国を侵掠するとの災難はいまだに現れていないし、起こってもいません。また『仁王経』の七難のうち、日月難・星宿難・火災・水災・風災・旱災の六難は、今盛んに起こっておりますが、一難だけは現れていません。それは、四方から賊が現れてきてこの国を侵略するという難です。そればかりでなく、『仁王経』には「国土が乱れるときは、まず鬼神が乱れ、鬼神が乱れるから万民も乱れる」と説かれています。

今、これらの経文に基づいて、わが国の現状を観察すると、百鬼が早くから乱れ、多くの国民が横死しています。ここに、「鬼神が乱れるから万民も乱れる」との先難は明白です。よって、いまだに現れていない自界叛逆難と他国侵逼難が必ずやってくることは、火を見るより明らかです。それらの災難が悪法を信ずる謗法の果報として競い起こってきたならば、そのとき、いったいどうされるというのでしょうか。

帝王は国家を基盤として天下を治め、国民は所有地を管理し生産に励んでこそ、社会や生活が保たれていくのです。しかし、もし他国から賊が来てこの国を侵略したり、国内に反乱が起こって所有地を略奪されたならば、誰しも驚かないでいられないでしょう、騒がないでいられないでしょう。国を失い、家がなくなったならば、人々はいったいどこへ逃(のが)れたらよいのでしょうか。あなたが自分一身の安全を願うならば、まず第一に、一国の安穏・安泰を祈らなければなりません。

もともと、人はこの世に生きている間、自分の死後・来世のことを恐れます。このことから、邪教を信じたり、謗法を貴んでしまうのです。このように、人々が仏法の正邪を分別できずに迷っていることはよくないことです。それでも仏法に帰依している人は殊勝なことですが、邪義を邪義と知らずに信じていることを哀しむものです。同じ信心の力をもって、仏の教えを崇めるならば、謗法・邪義の説を崇重してよいものでしょうか、邪法・邪師の邪義は捨てなければなりません。

もし、邪教に執着して、謗法の心を払拭することができなければ、早くこの世を去ることになって、必ず無間地獄に堕ちてしまうのです。その理由を、『大集経』には「もし国王があって、過去の無量世という永い間、布施・持戒・智慧の修行を積んで来たとしても、仏法が滅びようとする相を見ながらそれを護ろうとしなければ、永い間かかって作った無量の善根をすべて失うことになる。乃至、その国王はまもなく重病にかかり、亡くなってのち大地獄に生ずるでしょう。この王と同様に、夫人・太子・大臣・城主・師匠・郡長・官吏等もまた、ことごとく地獄に堕ちるのである」と説かれています。

『仁王経』には、「仏教を破壊する人には、その人の家庭に孝行の子供がなく、親子・兄弟・夫婦は互いに仲が悪く、天の神も守護しない。そのために、病気や悪鬼が日々に襲ってきて、肉体的・精神的な苦しみを与える。こうして、災難が絶え間なく起こり、死んだのちは地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちるのである。もし、再び人間として生まれてきたならば、兵士や奴隷のように、楽しみのない果報を得る。音に響きが応ずるように、物に影が添うように、夜に明かりを消すと人が書いた文字は見えなくなってしまうが、実際は字が残っているように、この三界の果報も、現世につくった罪業によって死後の悪報を受けていくのである」と説かれています。

法華経第二の巻の『譬喩品』には、「もし人が仏の正法を信じないで法華経を誹謗するならば、乃至その人は死んだのちに無間地獄に堕ちる」と説かれ、また法華経第七の巻の『不軽品』には、「謗法の人は死んだのち、千劫という想像を絶するほど永い間、無間地獄に堕ちて大苦悩を受ける」と説かれています。『涅槃経』には、「正義を説く善き友人から遠ざかって、正法を聞かずに悪法に執着していると、その因縁によって無間地獄に沈み、五十八万八千里四方もあるような地獄いっぱいに身体が拡がり、寸分の隙もなく大苦悩を受けるであろう」と説いています。

このように広く多くの経典を開いてみると、いずれの経典にも謗法は大重罪であることが説き示されています。ところが、悲しいことにこの国の人々は正法の教えの門を出てしまって、深く邪法という牢獄に入っています。愚かにも、一人ひとりが悪い教えの綱に引っかかって、末永く謗法の網に包まれてしまうのです。現世には邪教の霧に迷わされ、死後は阿鼻地獄の炎に焼かれるのです。これが愁(うれ)えずにおられましょうか、苦しまずにおられましょうか。

あなたは、一刻も早く邪法を信ずる心を改めて、実乗の一善である妙法の教えに帰依しなさい。そうすれば、娑婆世界を含む三界はすべて仏国土となります。仏国であるならば、どうして衰微することがありましょうか。十方の国土はことごとく宝土となります。宝土ならば、どうして破壊されることがありましょうか。国土に衰微や破壊がなくなれば、あなたの身は安全となり、心は平穏になります。この言葉は心から信ずべきであり、崇めるべきです。

これらのことを聴聞した客は、次のように述べました。

今生と後生にわたる不幸の原因をこれほど明確に指摘されたならば、誰れしも今生の行為を慎み、あなたの言葉にしたがうことでしょう。今、この経文を開いて仏のお言葉を拝しますと、誹謗の罪科はきわめて重く、正法を破る罪状は誠に深いことがわかりました。

私が阿弥陀仏だけを信じて他のすべての仏をなげうち、浄土の三部経を信仰して法華経やその他の経典をさしおいたのは、けっして自分が勝手に考えたからではありません。これは単に、念仏の開祖やその一門の言葉に随ったものにほかなりません。恐らく、世の中の人々も同様でしょう。これでは、この世では種々の災難のために身心ともに苦しみ、しかも死んだのちに無間地獄に堕ちて過酷な苦悩を受けることは経文に明白であり、その道理はくわしく説かれておるので、まったく疑う余地がありません。

あなたの慈悲あふれる訓戒をいよいよ仰ぎ、自分の愚かな迷いをますます自覚し、すみやかに謗法対治の方策を立てて、早く天下の泰平を実現したいと思います。そして、まず現世の生活を安穏にして、死後の成仏も願っていきます。そのためには、ただ自分ひとりが信ずるだけではなく、他の人々の誤りをも戒めていこうと決意しています。



(3)日蓮大聖人御申状


日 蓮 大 聖 人 申 状

 其の後書絶えて申さず、不審極まりなく候。抑(そもそも)去(ゐ)ぬる正嘉元年丁巳八月二十三日戌亥の刻の大地震、日蓮諸経を引いて之れを勘えたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依あるがの故に、日本守護の諸大善神瞋恚を作(な)して起こす所の災いなり。若し此れを対治なくんば、他国のために此の国を破らるベきの由、勘文一通之れを撰し、正元二年庚申七月十六日御辺に付け奉りて、故最明寺入道殿へ之れを進覧す。其の後九箇年を経て、今年大蒙古国の牒状之れある由風聞すと等云云。経文の如くんば、彼の国より此の国を責めんこと必定なり。而るに日本国の中には、日蓮一人彼の西戎を調伏すベきの人に当たり、兼ねて之れを知り論文(ろんもん)に之れを勘う。君の為め、国の為め、神の為め、仏の為め内奏を経らるべきか。委細の旨は見参を遂げて申すべく候、恐恐謹言。
 文永五年八月二十一日   日 蓮
宿屋左衛門入道殿


【解説】文永5年の正月、蒙古の属国になるようにとの牒状が初めて届けられ、2月には蒙古の使者が到来しました。鎌倉幕府は為す術もなく、ただ邪宗の寺社に祈祷をさせるばかりでした。日蓮大聖人は今こそ国諌の時と感ぜられ、かつて立正安国論を託した宿屋左衛門入道に宛てて、再度執権北条時宗に内奏するよう、この書状を認(したた)められました。

【通解】その後は書状が絶えたままになり、申し上げることが出来なかったので、どうしたことであろうかと存じております。

さる正嘉(しょうか)元年8月23日午後9時ごろの大地震について、日蓮が諸経を引いてその原因を考察したところ、念仏宗と禅宗等に為政者がご帰依されているために、日本を守護する諸の大善神が瞋恚の心を持って、起こした災難にほかなりません。したがって、念仏宗や禅宗等を対治されないならば、必ず他国から攻められてこの国が亡びることはまちがいないということを、勘文『立正安国論』一通にしたため、正元2(=文応元)年7月16日、貴辺を通じて、時の執権であった故最明寺入道時頼殿に進覧いたしました。

その後、9ヵ年を経た今年正月、大蒙古国から牒状が届いたことを風の便りで耳にしました。もしこれが事実ならば、経文に明らかに示されるとおり、必ず蒙古が日本を攻めてくるのです。

そこで、大蒙古国という西戎(せいじゅう)を調伏(じょうぶく)する者は、日本国中にはただ日蓮一人のみであることを、かねてから私は知っており、また『立正安国論』にもその内容を勘えたのです。

これはひとえに、君主のため、国家のため、神のため、仏のために申しあげることですから、執権に内々に奏上していただきたいのです。くわしいことは、ご面談の上で、直接申しあげます。

  文永5年8月21日   日 蓮

 宿屋左衛門入道殿



(4)日興上人御申状


日 興 上 人 申 状

 日蓮聖人の弟子日興重ねて言上
 早く爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を立てらるれば、天下泰平国土安全たるべき事。

 副え進ず、先師申状等
 一巻 立正安国論 文応元年の勘文
 一通 文永五年の申状
 一通 同八年の申状
 一、 所造の書籍等(しょじゃくら)

 右、度度具さに言上し畢んぬ。抑(そもそも)謗法を対治し正法を弘通するは、治国の秘術聖代の佳例なり。所謂漢土には則ち隋の皇帝、天台大師十師の邪義を破して乱国を治す。倭国には亦桓武天皇、伝教大師六宗の謗法を止めて異賊を退く。凡そ内に付け外に付け、悪を捨て善を持つは如来の金言、明王の善政なり。爰に近代天地の災難国土の衰乱、歳を逐うて強盛なり。然れば則ち当世御帰依の仏法は、世のため人のため無益なること誰か之れを論ずベけんや。凡そ伝教大師像法所弘の法華は迹門なり、日蓮聖人末法弘通の法華は本門なり、是れ即ち如来付嘱の次第なり、大師の解釈明証なり、仏法のため王法のため、早く尋ね聞こし食(め)され、急ぎ御沙汰あるべきものか。所詮末法に入っては、法華本門を建てられざるの間は、国土の災難日に随って増長し、自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん。是等の子細具(つぶ)さに先師所造の安国論並びに書籍等に勘え申すところ皆以って符合せり。然れば則ち早く爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を立てらるれば、天下泰平国土安全たるべし。仍って世のため法のため重ねて言上件(くだん)の如し。
  元徳二年三月   日 興


【解説】この申し状は、日興上人が85歳の時、内乱が続く衰亡期の鎌倉幕府の執権北条守時に与えられたもので、このあと3年にして北条氏は悲惨な滅亡を遂げました。

【通解】日蓮大聖人の弟子である日興が再び言上申しあげます。

すみやかに、爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を立てるならば、世の中は穏やかに治まり、国土は安らかになります。

先師・日蓮大聖人の申状等を副え奉ります。
 一巻 立正安国論 文応元年に記した勘文
 一通 文永5年の申状
 一通 同じく8年の申状
 一つ 述作した書物等
右は、たびたび詳細に申しあげてきたことです。

もともと謗法を対治して正法を弘通することは、国を治める秘術であり、聖天子が統治されためでたい先例です。中国には隋の皇帝のもとで、天台大師は南三北七の十師の邪義を破折して、国の乱れを治めました。日本ではまた桓武天皇のもとで、伝教大師が南都六宗の謗法を止めて、他国の賊を退けました。およそ、仏法であってもそれ以外の事柄についても、悪を捨てて善を持つことは如来の金言であり、賢明な君主が行なう善き政治です。

ところが、近ごろの天地の災難や国土の衰え・乱れは、年を経るごとにいよいよ酷くなっています。そうであれば、世を治める人々が現在にご帰依されている仏法は、世の中のためにも、また人々のためにも無益であることは、今さら誰がこれを論ずる必要がありましょうか。

伝教大師が像法時代に弘めた法華経は迹門の教えです。日蓮大聖人が末法に弘通する法華経は本門の教えです。これは、釈尊の付嘱の順序であり、伝教大師の解釈にも明らかに証明されているところです。

仏法のため、王法のため、一刻も早く物事の道理を問いただされ、すみやかに裁断を下すべきなのです。

結局、末法に入って法華本門の教えを立てない間は、国土の災難は日ごとに甚だしくなり、自他の叛逆は年を経るごとに蜂起することでしょう。これらの子細については、詳しく先師日蓮大聖人が述作された『立正安国論』やその他の書物等で問いただし上申したところであって、その内容はすべて合致しています。

ですから、一刻も早く爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を立てられるならば、世の中は安穏に治まり、国土は安全となるでしょう。世のため、法のために、私日興は重ねて申し上げた次第です。

 元徳2年3月   日 興



(5)日目上人御申状


日 目 上 人 申 状

 日蓮聖人の弟子日目誠惶誠恐謹んで言す。
 殊に天恩を蒙り、且つは一代説教の前後に任せ、且つは三時弘経の次第に准じて正像所弘の爾前迹門の謗法を退治し、末法当季の妙法蓮華経の正法を崇められんと請うの状。

 副え進ず
 一巻 立正安国論 先師日蓮聖人文応元年の勘文
 一通 先師日興上人申状 元徳二年
 一、 三時弘経の次第

 右、謹んで案内を検えたるに、一代の説教は独り釈尊の遺訓なり、取捨宜しく仏意(ぶっち)に任すベし。三時の弘経は則ち如来の告勅なり、進退全く人力に非ず。
 抑、一万余宇の寺塔を建立して、恒例の講経陵夷を致さず、三千余の社壇を崇めて如在の礼奠怠懈しむることなし。然りと雖も顕教密教の護持も叶わずして、国土の災難日に随って増長し、大法秘法の祈祷も験(しるし)なく、自他の反逆歳を逐うて強盛なり、神慮測られず仏意思い難し。倩(つらつら)微管を傾け聊(いささ)か経文を披きたるに、仏滅後二千余年の間正像末の三時流通の程、迦葉・竜樹・天台・伝教の残したもうところの秘法三つあり、所謂法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字となり。之を信敬せらるれば、天下の安全を致し国中の逆徒を鎮めん、此の条如来の金言分明なり、大師の解釈炳焉たり。就中我が朝は是れ神州なり、神は非礼を受けず。三界は皆仏国なり、仏は則ち謗法を誡む。然れば則ち爾前迹門の謗法を退治せらるれば、仏も慶び神も慶ぶ。法華本門の正法を立てらるれば、人も栄え国も栄えん。望み請う、殊に天恩を蒙り諸宗の悪法を棄捐せられ、一乗妙典を崇敬せらるれば、金言しかも愆(あやま)たず、妙法の唱え閻浮に絶えず、玉体恙(つつが)無うして宝祚の境え天地と疆(きわ)まり無けん。日目先師の地望を遂げんがために、後日の天奏に達せしむ。誠惶誠恐謹んで言す。
  元弘三年十一月   日 目


【解説】日目上人は天奏の途上、美濃の垂井でご遷化されました。この申し状はそのときに持参されたもので、お供の日尊・日郷によって後醍醐天皇に上呈されたと伝えられています。

【通解】日蓮大聖人の弟子である日目が、謹しんで申しあげます。

とくに天皇の大恩をいただき、一方には釈尊一代の説法のうち、爾前経と法華経の説法の前後にまかせ、他方には釈尊滅後の時代区分である正法・像法・末法の各時代の弘経の順序によって、正法・像法時代に弘まった爾前迹門の謗法を退治し、末法の衆生が救われる妙法蓮華経の正法を崇められることを、心より望み奉る状を捧(ささ)げます。

副え奉ります。
 一巻 立正安国論 先師・日蓮大聖人が文応元年に記した勘文
 一通 先師日興上人の申状
 一つ 三時弘経の次第

右の趣旨を謹んで述べさせていただくならば、一代の説教とは独り釈尊が遺された尊い教えです。その多くの経々を取捨選択するときは、あくまで仏の心を根本としなければなりません。釈尊滅後の正像・末の三時に弘めるべき法についても如来の告示があり、その弘法を我等凡夫の力と思ってはなりません。

もともと、仏法が伝来してより今に至るまで、一万余りの寺院を建立して、いつも仏の徳を賛嘆し、経典の講義は一向に衰えてはおりません。また、三千余りの神社を敬って、そこに神がおられると思って礼を尽くし、供物を捧げることを怠ったことはありません。しかし、顕教・密教による護持の祈祷も叶わず、国土の災難は日が経つにつれて増長しています。大法や秘法の祈りも効験(しるし)なく、種々の争いは年とともに盛んになっています。これでは、神の御意がどこにあるのか測ることができず、仏の御意もいずれにあるのかわかりません。

非才の身ではありますが、少々経文を開いて考えてみますと、仏の滅後、二千余年が経過していますが、その間に正法・像法・末法の三時に流通(るつう)した教えのなかで、迦葉尊者・竜樹菩薩・天台大師・伝教大師が弘めずに残された秘法が3つあります。それは、法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字です。今こそ、この三大秘法を信じ敬っていけば、世の中は正しく治まり、秩序を乱そうとする国内の反逆者を鎮めることができるのです。このことは仏の経典に明らかに説かれていることであり、天台大師等の解釈にも明白です。

ましてや、この国は神が守護される国土です。神は非礼を受けられません。また、娑婆世界を含めた三界は全て仏国です。仏は謗法を諌(いさ)めています。したがって、爾前迹門の謗法を退治するならば、仏も慶び、神も慶ばれるのです。法華本門の正法を立てるならば、人も栄え国も栄えるのです。

望み願わくば、とくに天皇の大恩をいただき、諸宗の悪法を捨てられ、法華一乗の経典を崇め敬うならば、仏の金言には誤りはありません。つまり、国のいたる所で妙法蓮華経を唱えられ、天子の御身は健康に恵まれ、天子の政(まつりごと)が永遠に続いて、世の中も栄えます。

私日目は、先師日蓮大聖人の願望を遂げんがために、後日には天皇に奉上申し上げる次第です。

誠に恐れながら、謹んで申しあげます。

 元弘(げんこう)3年11月   日 目



(6)日道上人御申状


日 道 上 人 申 状

 日蓮聖人の弟子日興の遺弟日道誠惶誠恐謹んで言す。
 殊に天恩を蒙り、爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を建てらるれば、天下泰平国土安穏ならんと請うの状。

 副え進ず
 一巻 立正安国論 先師日蓮聖人文応元年の勘文
 一通 先師日興上人申状の案
 一通 日目上人申状の案
 一、 三時弘経の次第

 右、遮那覚王の衆生を済度したもうや、権教を捨てて実教を説き、日蓮聖人の一乗を弘通したもうや、謗法を破して正法を立つ。謹んで故実と検えたるに釈迦善逝の本懐を演説したもうや、則ち四十余年の善巧を設け、日蓮聖人の末世を利益したもうや、則ち後五百歳の明文に依るなり。凡そ一代の施化は機情に赴いて権実を判じ、三時の弘経は仏意に随って本迹を分かつ。誠に是れ浅きより深きに至り、権を捨て実に入るものか。
 是れを以って陳朝の聖主は累葉崇敬の邪法を捨てて法華真実の正法に帰し、延暦の天子は六宗七寺の慢幢(まんどう)を改めて一乗四明の寺塔を立つ。天台智者は三説超過の大法を弘めて普く四海の夷賊を退け、伝教大師は諸経中王の妙文を用いて鎮(とこしな)えに一天の安全を祈る。是れ則ち仏法を以って王法を守るの根源、王法を以って仏法を弘むるの濫觴(らんしょう)なり。経に曰わく、正法治国邪法乱国と云々。
 抑未萌(みぼう)を知るは六聖の聖人なり、蓋し法華を了(さと)るは諸仏の御使いなり。然るに先師日蓮聖人は生智の妙悟深く法華の渕底を究め、天真独朗玄(はる)かに未萌の災蘖(さいげつ)を鑑みたもう。経文の如くんば上行菩薩の後身遣使還告の薩垂(さった)なり。若し然らば所弘の法門寧(むし)ろ塔中伝付の秘要末法適時の大法に非ずや。
 然れば則ち早く権迹浅近の謗法を棄捐し、本地甚深の妙法を信敬せらるれば、自他の怨敵自ら摧滅し上下の黎民快楽に遊ばんのみ。仍って世のため法のため誠惶誠恐謹んで言す
  延元元年二月   日 道


【解説】この申し状が認められ延元元年は、南北朝の動乱のさなかで、5月には楠木正成が湊川で戦死するなど、戦乱と災害による社会不安は増大しつつありました。

【通解】日蓮聖人の弟子で日興の遺弟である日道が、誠に恐れながら謹しんで申しあげます。

ことに天皇の大恩を賜り、爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を立てられるならば、天下は泰平にして国士は安穏となるため、ぜひとも正法に帰依されますよう、請い願うところの書状です。

先師の申状を副えて奉ります。
 一巻 立正安国論 先師・日蓮大聖人が文応元年に記した勘文
 一通 先師日興上人申状の案
 一通 日目上人申状の案
 一つ 三時弘経の次第

教主釈尊は、権教を捨てて実教を説き、衆生を済度されました。日蓮大聖人は、謗法を破して正法を立て、法華一乗を弘通されました。謹んで往古の説法・弘通の意義を考えてみますと、釈尊は本懐たる法華経を演説されるために、四十余年の方便権教を設けています。日蓮大聖人が末法の衆生を利益されるのは、『大集経』の「仏滅後、第五の五百年は我が法の中に於いて、闘諍言訟・白法隠没し、損減して堅固なり」との御文によっているのです。

およそ、釈尊一代五十年の説法は、衆生の機根によって権教と実教とを判別し、また釈尊滅後の正法・像法・末法の三時の弘経は、仏の御心に随って、迹門を弘める時代と本門を弘める時代を立て分けられています。このように、浅い教えから深い教えに至り、権教を捨てて実教に入ることは、誠に仏法の道理なのです。

この道理にしたがって、中国の陳の第五代叔宝(しゅくほう)は、先祖代々が崇敬(そうぎょう)していた邪法を捨てて、法華真実の正法に帰依しました。日本においては第50代桓武天皇が、伝教大師に帰依して、六宗七寺の慢心を打ち砕いて改め、法華一乗の寺塔を建立いたしました。天台大師は、已・今・当の三説を超えた法華経の大法を弘めて、国外からの賊を退けました。伝教大師もまた、諸経の中の王である法華経の妙文をもって、永く天下の安全を祈ったのです。これこそ、正しい仏法が王法である国家を守る姿であり、また国家が正しい仏法を弘めるという、理想的な姿のはじまりです。このことは、経文に「正法は国を治め、邪法は国を乱す」と説かれています。

もともと、未来を予知したのは六正臣という聖人です。また、法華経を悟った人は、まさに諸仏のお遣いです。しかるに、先師日蓮大聖人は、生まれながらに法華を悟った人として、当然のことながら深く法華経の極意を究められていました。その智慧によって、はるか未来の災いを見通して、予言をされたのです。経文のとおりであれば、日蓮大聖人こそ上行菩薩の生まれ変わりであり、遣使還告(けんしげんごう)の菩薩ですから、日蓮大聖人が弘められる法門、すなわち法華経の虚空会の儀式において多宝塔の中で教主釈尊より付嘱された妙法蓮華経の教えとは、末法の一切衆生に適応した唯一の大法であることは、間違いありません。

ならば、早く爾前権教と法華経迹門の謗法を棄て去り、本地甚深の妙法蓮華経を信敬されるならば、国内外の敵は自然と滅び、天下の国民は楽しく暮らすことができます。

よって世のために、また法のために、誠に恐れながら、謹しんで申しあげる次第です。

  延元元年2月   日 道



(7)日行上人御申状


日 行 上 人 申 状

 日蓮聖人の弟子日興の遺弟等謹んで言す
 早く如来出世の化儀に任せ、聖代明時の佳例に依って、爾前迹門の謗法を棄捐し、法華本門の正法を信仰せば、四海静謐を致し衆国安寧ならしめんと欲する子細の事。

 副え進ず
 一巻 立正安国論日蓮聖人文応元年の勘文
 一通 祖師日興上人申状の案
 一通 目目上人申状の案
 一通 日道上人申状の案
 一、 三時弘経の次第

 右、八万四千の聖教は五時の説教を出でず、五千七千の経巻は八軸の妙文に勝れず、此れ則ち釈尊一代五十年説法の間前後を立てて権実を弁ず。所以に先四十二年の説は先判の権教なり、後八年の法華は後判の実教なり。而るに諸宗の輩、権に付いて実を捨て、前に依って後を忘れ、小に執して大を破す、未だ仏法の渕底を得ざるものなり、何に由ってか現当二世の利益を成ぜんや。経に曰わく、正法治国邪法乱国と。若し世上静謐ならずんば御帰依の仏法豈邪法に非ずや、是法住法位世間相常住と云えり、若し又四夷の乱あらんに於いては寧ろ正法崇敬の国と謂(いひ)つべけんや。悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以って行(めや)らず、謗法の悪人を愛敬せられ正法の行者を治罰せらるるの条何ぞ之れを疑わんや。凡そ悪を捨て善を持ち、権を破して実を立つるの旨は如来化儀の次第なり、大士弘経の先蹤(せんしょう)なり、又則ち聖代明時の佳例なり、最も之れを糺明せらるベきか。
 此に於いて正像末の三時の間四依の大士弘通の次第あり、所謂正法千年の古(いにしえ)、月氏には先ず迦葉・阿難等の大羅漢小乗を弘むと雖も、後竜樹・天親等の大論師小乗を破して権大乗を弘通す。像法千年の間、漢土には則ち始め後漢より以来(このかた)南三北七の十師の諸宗を崇敬すと雖も、陳隋両帝の御宇南岳・天台出世して七十代五百年御帰依の仏法を破失し、法華迹門を弘め乱国を治し衆生を度す。倭国には亦欽明天皇より以来二百年二十代の間、南都七大寺の諸宗を崇めらるると雖も、五十代桓武天皇の御宇伝教大師諸宗の謗法を破失して、叡山に天台法華宗を崇敬せられ夷敵の難を退け乱国を治す。是に又末法の今上行菩薩出世して法華会上の砌虚空会の時、教主釈尊より親(まのあた)り多宝塔中の付嘱を承け、法華本門の肝要妙法蓮華経の五字並びに本門の大曼荼羅と戒壇とを今の時弘むべき時尅なり、所謂日蓮聖人是れなり。而るに諸宗の族(やから)只信ぜざるのみに非ず剰え誹謗悪口を成すの間、和漢の証跡を引いて勘文に録し、明時の聖断を仰ぎ奏状を捧ぐと雖も今に御信用なきの条堪え難き次第なり。
 所謂諸宗の謗法を停止(ちょうじ)せられ、当機益物の法華本門の正法を崇敬せらるれば、四海の夷敵も頭(こうべ)を傾け掌(たなごころ)を合わせ、一朝の庶民も法則に順従せん、此れ乃ち身のために之れを言さず、国のため君のため法のため恐恐言上件の如し。
  暦応五年三月   日 行


【解説】暦応(りゃくおう)4年に相承を受けられた日行上人は、一国の混迷を憂慮され、この申し状を後村上天皇に上奏されるために京都に卦かれました。そのとき、征夷大将軍であった足利尊氏にも諌状を与えられたと言われています。

【通解】日蓮大聖人の弟子である日興上人の遺弟等が、謹んで申しあげます。

早く、仏が世に出現して衆生を教化する方法に任せ、高徳の天子が世の中を平和に治めた佳き先例によって、爾前迹門の謗法を打ち捨て、法華本門の正法を信仰されるならば、全世界が穏やかに治まり、多くの国も安泰となります。

書状も副えて、私の願いを申し上げます。
 一巻 立正安国論 日蓮聖人が文応元年に記した勘文
 一通 祖師日興上人 申状の案
 一通 日目上人申状の案
 一通 日道上人申状の案
 一つ 三時弘経の次第

以上の書状にありますように、八万四千といわれる釈尊の教えは、華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時にすべて収まり、五千巻あるいは七千巻と称される経巻には、法華経八巻の文に勝れるものはありません。

釈尊は一代で50年の説法をするにあたり、前後を立てて、権教と実教をわけられました。ですから、先に説かれた42年の教えは権教であり、後の8年に説かれた法華経は実教と判じられています。

ところが諸宗の人々は、権教を信じて実教を捨て、先の42年の教えを依りどころとして後の8年の法華経を忘れ、小乗の教えに執着して大乗の教えを打ち砕いています。ですから、未だに仏法の奥深い究極の教えが得られていないのです。どうして、現世・当世の二世にわたる利益を成就することができるでしょうか。

経文には「正法は国を治め、邪法は国を乱す」と説かれています。もし、世の中が穏やかに治まっていないならば、国を治める人々が帰依されている仏法は邪法にほかならないのです。法華経にも「是の法は法位に住して、世間の相常住なり」とあるとおりです。もし、四方の族が乱を起こすならば、どうして正法を崇めている国といえるでしょうか。悪人を敬い、善人を罰することによって、星の運行に乱れが生じ、季節はずれの暴風雨が発生するのです。このことから、謗法の悪人を敬い、正法の行者を罰していることは、まったく疑う余地がありません。

およそ、悪を捨てて善を受持し、権教を破り実教を立てることは、仏が衆生を教化する正しい方法です。また、正法・像法に仏法を正しく弘めた賢人・聖人の先例です。また、高徳の天子が世の中を平和に治めた佳き例です。以上のことをよく問い糾すべきです。

これに関して、正法・像法・末法の三時に、法を弘める賢人・聖人の弘通において、順序があります。つまり、正法時代の昔の1000年間は、インドにおいてまず迦葉尊者や阿難尊者等の小乗の阿羅漢果という悟りを得た人々が小乗教を弘めたのですが、後に竜樹菩薩や天親菩薩等が小乗教を破折して権大乗教を弘めました。像法時代の千年間に入ると、中国ではじめ後漢の時代より、南三北七の十師の諸宗を崇めていましたが、陳・隋の皇帝の治世のときに南岳大師や天台大師が出現して、後漢より70代・500年の間に帰依してきた仏法を破折し、法華経の迹門の教えを弘め、国の乱れを治め、衆生を済度したのです。日本では、欽明天皇より200年間・20代の間、奈良の七大寺の諸宗が崇められてきましたが、50代桓武天皇の治世のときに、伝教大師が諸宗の謗法を破折して、比叡山に天台法華宗を開き、人々から崇め敬まわれ、他国の敵を退け、乱れた国を治めたのです。

ここに末法の現在、上行菩薩が出現して、法華経の説法の虚空会のときに、教主釈尊より直接、多宝塔の中で付嘱を承けましたが、その付嘱の正体である法華経本門の肝要の妙法蓮華経の五字と本門の大曼荼羅と戒壇との三大秘法こそが、末法の今に弘めるべき時に当っています。そして、その任に当っているのが日蓮大聖人なのです。

ところが、諸宗の人々はこのことを信じないだけでなく、かえって謗ったり、悪口を言ったりするので、日本・中国の先例を証拠としてあげて上申書に書き記し、英邁なる聖天子の裁断を請う『立正安国論』等の文書を献上いたしましたが、今に至るまで用いられていないことは、甚だ辛く堪え難いことです。

諸宗の謗法を禁止され、末法の人々に利益を施すところの法華本門の正法を心より崇め敬うならば、四方の敵も頭を傾け合掌して深く信仰し、この国の庶民も世の掟てに従順するでしょう。

このことは、自分の身のために申すのではありません。国家のため、天子のため、法のために、恐れながら申しあげさせていただく次第です。

  暦応5年3月  日 行