しぶけんの不定期日記

GigaHit
これはアクセス集計用のバナー


商品券

留守にしていた間の新聞を読み返すと、政府は7日に緊急経済対策として、年明けにも全国民に一万円からの商品券を配布する決定をしたそうだ。要するに、低迷する個人消費を刺激するには、現金(税金)を還付するよりも、商品券を渡して使ってもらおうという魂胆であろう。単純に考えれば、くれるとというものを拒む必要はないから、まあ有り難く頂戴しておくとして、私だったら何に使うだろうか?

多分「商品券」というのだから、貯金はできないだろう。また、金券ショップに持ち込まれては景気回復に意味がないから、短中期の使用期限が設定されるはずである。ちょっとだけ使用して、現金でお釣を貰うというのも駄目か。要するに、通常の貨幣に比べて使い勝手は悪いはずだ。

そうすると、私であれば通学定期券でも購入するのがうってつけだろう。そこそこの金額だし、どうせ買う予定なんだから商品券を使わせてもらって、浮いたお金はとりあえず貯金しておけばよい。家計であれば、主食のお米などであろうか。だけど、こういう使い方をされると実質的に消費が伸びなくて、政府の方は困るから、耐久消費財しか買えないとか、用途が限定されるのだろうか?・・・しかし、そんな大量の商品券を制作する費用はどこから出てくるのだろう?安易なものを流通させれば、ニセ物が出回るかもしれない。それこそ、仏法即世法というやつだ。また、インフレや円安を招く恐れはないのか?


第一に、商品券を配布するという方法は、消費の低迷の根底にある「景気の先行き不安」を解消する直接的な方法ではないから、その効果は疑問だ。つまり、銀行の破産や失業率の増加、年金機構の危機、乱高下する市場、政治不信・・・etc.これらの根本原因を解決せずして、商品券を配れば消費が拡大するのではないかというのは、問題の本質から外れており政策として安直ではないか。(緊急経済対策の目玉にするだって?)

第二に、商品券配布というアイデアは、そもそも参議院選挙における公明の主張である。各党は、これを「アマチュアの思い付き」よばわりして、よってたかって批判していたではないか。金融健全化法案等の成立(国会運営)に行き詰まった自民党が、第三極宣言をした公明党を取り込む為の「餌」としてぶら下げているとしか思えない。表向きは景気対策、裏では政治の駆け引きの材料。そんなことばかりやってるから、永田町は国民から信用されないのだ。

1998/10/10 0:00


実習

工学部の実習でしばらく、茨城にある大学院の研究施設に行ってきた。東京から約3時間の郊外にある。東京のキャンパスには置けないような、大型の設備がたくさんあり、ここで世界の最先端を行く数々の実験がなされている。隣りには、原子力研究センターの東海研究所があり、原子物理工学・量子物理工学あたりの、さまざまな分野の探索が進められている。更にその隣り、といってもかなりの距離があるが、かの核燃料サイクル研究機関(旧動燃)がある。

個人的なイメージとしては、原研の方は未知の領域を切り開く開拓者といった感じで華々しく(ノーベル賞なんか出そうな雰囲気)で、核サイクルの方は、どうも汚物の処理というか、何か暗い感じがする(本当は大切なことなんだろうけれども)。以上はあくまで独断と偏見。

実習は要するに、実験をやってレポートを書くという繰り返しで、結構ハードな日程だった。

  1. 実験(1)は原子炉(高速中性子源炉『弥生』)の運転で、システムやプラントの制御工学の分野に当たる。身近な物では、室内の空気の温度や湿度を感知して、快適にコントロールするエアコンなどであり、その体系の動特性(時間変化)を理解しコントロールするための学問である。もちろんシステムの設計に当たって、機器の誤作動や人間の誤操作に対する安全性も重要な要素である。

  2. 実験(2)は放射線の計測と遮蔽に関する実験で、現在医療(診断とかガン治療)や材料開発(ミクロないしナノ分野)など、理系の分野で幅広く利用されている放射線について正しく知り正しく利用することで、メリットを享受しデメリットを軽減するための知識で、放射線を少しでも取り扱には必須の教養である。

  3. 実験(3)は(1)と(2)の中間のような実験で、例えばレントゲンやCTによって人間の状態(病気)の診断が飛躍的に高まったように、物質に放射線を浴びせることで、今まで知ることの出来なかった、様々な特性が発見され応用されている。例えばこのパソコンにしても半導体工学の進捗によって、まだまだ桁違いに性能が上がっていくはずである。材料工学の分野は地味だが侮れない。

  4. 実験(4)はライナック(線形)型の加速器による実験である。加速器というと、サイクロトロン(山手線みたいなやつ)による素粒子研究を思い浮かべる人も多いと思いますが、ああいう基礎理論研究(もちろん、これはこれで重要)以外にも、ちゃんと実用的な使い道があるのです。まあ、いわゆるレーザーやビームの超強力な発生装置だと思って下さって構わないでしょう。

とりあえず、無事に課題をこなして帰って来ましたが、これから膨大なレポート(その前にデータ整理)で大変そうです。

1998/10/09 15:30


陶壁

法華講連合会主催の9月度月例登山会に行ってきた。かつて大客殿の2F正面にあった『鳳凰』の陶壁が、広布坊の一階ロビーに移転されていて、久しぶりにお目に懸かった。知る人ぞ知る、加藤唐九朗氏の作品で、何でもあの赤色を出すのは至難の技なのだそうだ。子供の頃、丑寅勤行で夜中に大客殿にいくと、薄明かりの中で目を怒らせて睨まれているみたいで恐くてしょうがなかったのだが、広布坊の暖かな雰囲気の中で再会して見ると、雄々しいさの中に優しさが感じられ、改めてその魅力に感じ入った。

最近、創価学会が「『陶壁』は破壊された後、いまだに大石寺大坊裏の杉林に放置されたまま」(第三文明5月号)、「陶壁の破片は粉々に砕かれており、組み立てられない」「すでに多くの破片がゴミとして捨てられた」(フェイク53号)などと、報道していたので心配していたが、(お山は創価学会の誹謗に一々反論されないので、実際どうなっているのか詳しいところは法華講員も知らなかった)、今日、無事に蘇った不死鳥の勇姿は、永らく登山した法華講員を元気づけてくれることだろう。

陶壁(8Kb)

慧妙130号で、鳳凰移転に携わった石村与四夫氏が語っているので、引用させていただこう。「我が清水建設の手による陶壁の施工例は数多くありますし、わたくし自信、施工に携わったことがありますので、陶壁の扱いには慣れていますよ。ですから、今回の作業も経験を活かし、慎重かつ丁寧に行ったのです。

陶壁というのは、一枚一枚に番号を打ち、その番号通りに組み上げないと、到底組みあがるものではありません。ですから、取り外す際にも、一つ一つに番号を打っていく必要があるのです」。確かに、あの大量の正方形のブロックを適当にはずしたならば、どれがどの部分で、向きも上やら下やら、そんなことをやっているうちに陶片は脆(もろ)いので破損してしまうだろう。やはり解体の時から、将来の復元を見越して慎重な作業が行われたと見るべきである。

一方で、『第三文明』では、製作に関わったという大和窯業の会長氏が次の様に語っている。「陶壁は、裏側からうまくセメントを取れば、損傷させずに外せるのです。写真で見る限り、そうとう乱暴なやりかたで、バラバラに、してしまっています。事前に相談してくれれば・・・」(6月号)。これについても、石村氏が一喝している。「『裏側からうまくセメントを取れば、損傷させずに外せる』のでなくて、セメント、つまり接着に用いたモルタルごと壁面から外さなければ、陶板は割れてしまうのです。そして組み上げる際に、陶板から手作業でモルタルを剥がすのです。こういうと、どうせ後で剥がすなら、外した直後に剥がせばいいと思われるのでしょうが、そうすると今度は運搬の際などに壊れてしまうのです、ですから私たちが行ったように、モルタルを付けたまま保管するのが最良の方法なんです。それに、そもそも『陶壁の施工に携わってもいない第三者の業者に、バールをこじ入れさせ、乱暴極まるやりかたで撤去させた』というのが、全くの言いがかりです。」

そもそも、この問題は大石寺の境内において、緩衝材と防水マットで丁重に保管されていた陶壁が、鍵の閉まった門を乗り越えて不法侵入した「何物か」によって、無残にも崩されたあげく写真を盗撮されたところに始まる。このような異常な情報源をもとに、大石寺を批判したにもかかわらず、実際は虚偽の誹謗に反して陶壁は慎重に保存されており、更に現実に鳳凰が立派に復元された今、彼らは何らかの報道責任をとる(訂正謝罪)つもりがあるのだろうか。おそらくあるまい。一つの美術品にまつわる、些細な事件とはいえ、昨今の御宗門と創価学会の争いの縮図を見た気がするのは、私だけであろうか。

1998/09/28 16:00


RAM

今まで、16+16+0+0=32[Mb]だったのを、16+16+32+32=96[Mb]まで増設した。費用は7,380×2×1,05(消費税)−1,770(キャッシュバック)=14,328[円]なり。新聞なんかを読んでいると、半導体が値下がりしすぎて工場が潰れているらしいので、もうそろそろ底値じゃないかと思った。

増設の目的は、大抵の人は速度アップのようだけど(概ね加速ソフトなどよりも効果が高い)、私の場合は同時に多くのソフトを立ち上げるため。ホームページを作っていると、 エディタ、ブラウザー(2種、確認のため)、画像加工ソフト(これが重い)、転送ソフト(FTP)、OCRソフト(およびスキャナー)は最低でも同時に、サクサク動いてくれないと困る。最近メモリの食い合いで、どうも煩くなってきたので増設を考えていた。

某資料によると、予めパソコン付属のマニュアルで調べておいて、お店に行って「×MbのEDOの60Secの72ピンSIMMのパリ無しを下さい(例)」のように買う(笑)、などとなっているが、実際はちゃんとした販売店に行けば、「○社の△を使っているんですが」と伝えるだけで、「この機種はディフォルトで○○で、スロットは2つ空いている筈ですから・・・、メモリは・・・」と調べて貰える。少なくとも私の行ったところのスタッフは合格。しかし、こんなにまで安いのかなと思ってたら、単価だった(ようするに二箱必要)。SIMMをばら売りして意味があるのだろうか・・・。

もう2年使っているパソ君だが(あと2年は使いたい)、箱を開けるのは初めてだった。掃除機でホコリを吸い出して、静電気に気を使いながらまず一本差し込む。「カチッ」と音がするまでと書いてあるが、なんか「メキッ」って感じだったぞ。問題は2本目。45度位から差し込むのがセオリーなのだが、配線が邪魔で斜めに差し込む隙間がない。ほとんど縦に力ずくで差し込んだけど無事に入ったので、一安心。所用時間は20分強。

1998/09/26 0:00


海外信徒総登山会

先日、成田に海外登山のお出迎えにいった。午後に第二ターミナルに到着する信徒を、バス(18台分)に誘導する係りだった。御僧侶に連れられて、各国のメンバーが続々と到着するのを見ていると、洋々とした明るい前途を感じる。今回は総会の他に、特に全員で『御焼香』をするとのことである。海外信徒の方の中には、特にまだ正宗寺院の無い国では、まだ御焼香(先祖供養)をしたことがない人もいるのだろう。猊下様が「お題目を1時間でも2時間でもあげるから、全員で御焼香をして、それがまた各国の広布の種となってゆくんだよ」、というようなお話をされたとのことである。お山の方での任務は無かったので、お出迎えだけだったが、どうか素晴らしい登山会となりますように。

1998/08/25 17:00


寛師会

いままで参詣したことのなかった寛師会に、輸送班として参加させていただいた。最初の仕事は登山バスを駐車場に並べる係り。三門より大変な仕事があるとは知らなかった。日が当たるのは同じだが、排気ガスが加わってもう大変。私は肉体労働のバイトはやったことがなかったので、これもいい経験かな?

任務をさせていただいて一番よかったのは、石之坊(常唱堂)での法要の警備任務があったこと。坊の広さの都合上、一般信徒ではまず一生参加する機会のない法要だと思う。これに御逮夜法要と本会の二回とも参列させていただいてしまった。緊張したけど。

花火大会は想像していたのよりもずっと規模の大きいもので驚いた。16:00ごろ小雨があって、どうなるかな?と思っていたが、予定通り19:00から始まって一時間強続いた。残念ながら塔の原グランドには行けなくて仕掛花火はみられなかったけど、三門付近から眺めた打ち上げ花火は最高だった。周りがネオンで明るくて空気の汚い東京の花火とは、そもそも色が違う。かなり大きいの(たぶん尺玉)もあった。

19日、早朝2:20ごろから、強い雨があったがすぐに止んで行事等には特に支障はなく、基本的に好天に恵まれた登山会だった。

<輸送班用語2>

1998/08/23 0:00


輸送会議(8/9)

主に、寛師会と海外信徒登山の準備で17:00〜21:00。海外信徒登山は28カ国から約3000名の予定とか。前回より規模は縮小する見込みだが、これは御存知の通りアジア不況の影響。

福島源次郎さんが亡くなられました。御冥福を御祈り申し上げます。

1998/08/10 16:30


デジカメ

9期の講習会登山から任務を終えて帰宅すると、大きなダンボール箱が届いていた。6月の日記で書いた5期の講習会登山で某社のレンタカーを借りたのだが、それの値下げ記念キャンペーンに当選したようだ。まさかあんな葉書で当たるなんて・・・。賞品はデジタルカメラフォトプリンターのセットだった。御本尊様の、任務御苦労、ホームページも頑張れということでしょう。因みに下の記事の『正本堂解体』の記事の現場写真は、早速これで撮影したものです。(まだ使いこなしていない)
※どっかみたいに物質主義的な功徳を強調するつもりはありません。念のため。また功徳は、その人の業因によって違います。私の場合は特に破邪顕正のホームページを作っている(必要性)ということと、客殿新築の折りには努力した御供養をさせていただいているという上での話しです。

1998/08/07 1:00


輸送班

今までは規約上、連合会ブラスバンド(庶務部)と登山輸送/整理班(登山部)は兼務出来なかったのが、平成14年の30万総登山に備えて大幅に登山運営本部の輸送能力を高めるとのことで、兼任できることとなった。早速申込を済ませて、夏季講習会第6期から着任して、先日は第9期の任務があった。全国の信心強盛な青年が集まる中で、切磋琢磨する環境は有難い。

今月は10日の本部運営会議と、18日・19日の寛師会が主なお仕事になりそう。登山者からみると、輸送班は「そっちは通らないで下さい」「急いで下さい」とか結構うるさいと思いますが、みんな登山会成功の為に、費用(登山費・宿泊費)や時間を負担して臨んでいますので、どうぞ御協力の程をお願いします。

<輸送班用語(例)>

1998/08/06 11:00


正本堂本体解体開始

周囲は噴水の辺りまで取り壊されているが、いよいよ 正本堂本体の解体 も始まった。下は最近の大石寺案内図。既に正本堂の領域が空白になっている。

Map of the Head Temple without Shoho-do. (16Kb)

隣りのおばちゃん達の会話が面白かった。「やっぱ羽だけだからだめだったのね。」「体がないんだもんね。」。座布団一枚。

1998/08/05 23:30


新奉安殿での御内拝

正本堂での御開扉との圧倒的な違いは、やはり御本尊様との距離であろう。先日信徒席の二列目で御戒壇様に御目通りしたが、御相貌をはっきりと拝することができた。下の方に脇書があるのまでよくわかった。正本堂(旧)のときは、御本尊様が余りに高いところに御安置されていたので、塔中の南無妙法蓮華経日蓮がなんとかわかるぐらいで本当に遠かった。もう四回奉安殿での御開扉を受けたが実に素晴らしい。

1998/07/23 2:00


火だるま

▼獲得目標69議席のはずの自民党が、現有の60議席を大きく割り込む44議席の大敗北を喫した。投票率58%が事前の予想を大きく上回すら、自民党の奢った計算を打ち崩したのである。▼最近の低投票率は民主国家としては目を覆うばかりで、国民は自民党の経済失策に苛立つも、日本人特有の『おとなしさ』から『山は動かない』との見方が大半であった。不在者投票制度の改善や投票時間の延長が実施されるにも関わらず、最低投票率の記録更新が心配されていたのである。▼「多くの国民の皆様が投票に行かれたことは素晴らしい、しかし自民党はその声を吸収することができなかった」−橋本(前)首相の反省の言である。無党派層が自民党に投票するわけないではないか。首相は最後まで、国民の怒りを理解することができなかった。▼かくして、低投票率を想定して複数候補を擁立した選挙区で、自民党候補の共倒れが相次いだのである。確かに首相は『火だるま』になった。▼創価学会に『謝罪』した執行部はそろって討死。


蝙蝠鳥

▼学会婦人部は盛り上がっていた。久々に「公明」に投票できるからである。しばらく続いた新進党の応援は、時には邪教坊主への投票、あるいは必死の応援も敢え無く落選、はたまた当選したはずが離党など意気消沈と不満の連続だった。▼今回は『同胞』浜四津代表を表看板に、「東京選挙区トップ当選」・「全国比例区800万票獲得」など華々しい目標を掲げて意気軒昂、おばちゃんパワーが炸裂である。▼結果として、浜四津97万票、全国区775万票を獲得した。議席も9(改選前11)つ取って目標通り。これにオプションの推薦候補(埼玉等)を足せば、そこそこの満足感は得られるだろう。浜四津代表も開票速報終盤になると、「4つの選挙区で・・・」を連発していた。▼しかし、公明衰退の感は否めない。第一に選挙ごとに合い言葉となる、『東京トップ』を、民主党の新人候補小川敏夫氏に譲った事。第二に全国の支持母体(創価学会)上げての「全国比例区800万票」獲得に失敗した事である。▼今回は投票率が14ポイントアップで予想外の1300万票が生じ、「一人負け」の自民党を除く野党各派がこれを分け合う形となった。いわゆる『国民の審判』であり、民主躍進・共産倍増の原動力である。公明も幾分の利(支持)を得ているはずであるが、それを加味してもまだ事前の目標に届かなかったのだ。非常に読みが深く、かつ慎重な同党としては珍しいミス。▼支持の輪が広がらなかった原因として、旧公明の議員が各会派に散らばって動きが不透明であること、与野党いずれの路線なのか不明確で投票の効果が期待できないことなどが挙げられる。同党およびその母体の『柔軟』な対応は、むしろ国民の目には頼りなく映ったようだ。

※公明得票の775万票の内7割(540万票)を創価学会の組織票、内半分をF票と見ると、創価学会員成人(ほとんど投票に行かされる)は300万人弱。

1998/07/13 14:30


お経廻り

今日はお盆のお経をあげに、お寺から所化さんが見えられた。暑い中に、ありがたいことである。茶飲み話しに富士学林での学業のことなどをお伺いした。

1998/07/11 0:00


参院選

法華講にいると、お寺や会合で選挙の話しを聞く機会は余り無いと思いますが、是非とも投票に行くべきです。なぜならば、仮に投票したい候補がいない場合でも、当選させたくない候補や政党がある場合には、他の政党に投票する事で、相対的にその政党の得票率を低下させる事が出来るからです。特に比例区では、この結果が顕著にあらわれます。折角の一票を棄権して無駄にしないように。不在者投票も大いに活用しましょう。レジャーなどの理由でも認められるようになりました。

1998/07/07 23:00


開結

『新編 妙法蓮華経並開結』が発売されたので、早速初版本を購入した。大石寺バスターミナルの書籍取扱所などで販売されている(2000円)。サイズは一回り大きくなってB6版(御書と同じ大きさ)、762ページである。今回は大聖人様が御使用されたとされる春日版の法華経および御真筆の『註法華経』をはじめ、種々の刊行本や梵本や胡本(出土経典)も対照検討し、従来の大石寺版から字体・音義・科文・訓読の校訂が行われている。この新版開結の出版によって、さきの平成新編御書と併せて、従来学会の出版事業に頼っていた基本経典が、純粋に独自の事業によって整則されたことは大変喜ばしい。新客殿のように、視覚的には目立つ存在ではないが、今後幾星霜にも亘って宗門僧俗の教学研鑚に資する今出版の意義は誠に大きいであろう。

1998/07/06 11:30


古本屋

最近古本屋で学会書籍の山積みが目立つ。脱会に際して売り払ったものだか、あるいは捨ててあったのを古紙業者が持ち込んだものやら知らんが、『人間革命』なんぞ暴落して漫画コミック以下の扱いだ。興味深かったのは、『大白蓮華』の初期本のセット(含む第一号)。135,000円だった。彼等にとってはさぞかし“お宝”なんだろう。

1998/07/01 0:00


『フェイク』と某掲示板

『慧妙』に興味深い記事が出ていた。『勝ち鬨』が刑事告訴されて以来、しばし大人しかった学会系怪文書(※発行元を明かさず記事に責任を一切取らない形で発行される文書一般、ほかに『地涌からの通信』など)であったが、最近は新たに『フェイク』というのが出回っている。この『フェイク』の正体(?)が判明したという記事である。

記事によると『慧妙』では、編集者に原稿チェックを依頼する形で記事を創価学会富士宮国際文化会館へFAX送信。すると、『フェイク』は得意げにその記事を使用した上で「(大草は)解体業者を紹介したのは俺だと誇示するに違いない。そんな薄っぺらい男なのだ・・・次号の『慧妙』を見れば、本紙の記事がいかに精度の高い情報に基づいているか頷けよう」(6月12日付)と書き立てたという。ところが、正本堂の解体業者を理境坊の大草氏が紹介した云々というのは、『慧妙』編集部がオトリ用に仕上げたデタラメ記事であり、これで『フェイク』編集部の正体は、創価学会組織だと明らかになったということだ。

まあ自明な結果であり、これ自体は特にニュース性はないのだが、(『慧妙』さんのやり方の是非はともかく)、『フェイク』は学会関係者の発行ということである。ところで、これと同様の記事(大草講頭云々)を我々はどこかで読まなかっただろうか?そう、例の『日蓮正宗無任所教師掲示板』(最近『正宗談義』と改名)である。かの掲示板は、御遷座を一週間近く前から予告し注目を集めたが、多くの疑惑を集め法華講員の間では『やらせ』であるというのが一般的な評価となっている。私もペンネームで試しに投稿してみたが、レスのレベルが非常に低い。また柳澤喜惣次総講頭を語るなど、実際に複数のやらせが確認されている。また唯一実名が判明している、上田御住職はこの掲示板を指して「正宗の僧侶にこのような姑息な真似をする者はいない」(趣旨)と喝破された。

話しを戻そう。この『無任所掲示板』に『フェイク』と全く同様の記事が掲載されたことは重要である。投稿者が『フェイク』編集部の関係者である場合と、『フェイク』の読者である場合が考えられるが、後者にしても、あたかも自分が宗務院における奉公によって得た内部情報であるかのようにして、『最新宗内情報』などと称して(似せ)情報を公開する者が、かの掲示板の主要メンバーに含まれているということである。いずれにしても、情報化時代の悪弊として怪情報まで氾濫してきているが、我々法華講はこのような無責任情報に惑わされることなく、御法主上人猊下の御指南を心肝に染め、末寺御住職の指導のもと広宣流布に邁進したい。

1998/06/28 02:30


TVBOX

客殿の御供養が終わったら、かなり前に壊れたテレビを買い換えたいなと思っていたところ、面白いものを見つけた。IO−DATAから発売されているTVBOXである。要するにパソコンモニターにテレビコード(とかビデオ)を接続できるというもので、もちろんOS依存性はない。モニターもほとんど機種はなんでもよいそうだ。

早速22、000円でTVBOX購入。元々の予算とほぼ同じ値段。写りはまずまず(トリニトロンだし)。一番助かる点は、狭い部屋に結構嵩張るあの直方体を、複数設置せずに済むこと。少々モニターの寿命は気にかかるところだが、新しいものって好きなんだよね。

1998/06/26 22:00


公開法論

先月の7日に、広島の円照寺の中村御尊師様が、池田大作氏宛てに公開法論の申込状を送ったそうだが、それはその後どうなったのだろう?二週間の回答期限はとっくに過ぎているし、何か動きがあったという話しも聞かないしなあ。

1998/06/25 2:00


正本堂解体はじまる

ぼちぼち解体がはじまったというのは、耳にしていましたが、講習会で猊下から「今、解体をしているところです」との御発言があった。一部の法華講の方には残念がる方もいらっしゃるようだが、まあ一通り奉安殿の御開扉を受け終われば、ある程度終息に向うのではないかと思う。

メールとしては、奉安堂の御供養に具えて貯金したほうがいいですか?というものが幾つかあった。まだ正式な発表はないものの、千載一遇の機会に少しでも多く功徳を積ませていただくために、今のうちに心構えをしておくべきでしょう。

子供のころから、「いいかい憲ちゃん、お年玉はいつか大きな御供養がある時の為に、無駄に使わずに取っておくんだよ」と言われたものである。そういう機会があるかないか分からないうちから、準備をはじめておいて、いざという時にはより沢山の御供養ができるようにしておくのである。前回の客殿の御供養にしても、聞いてから節制を始めた人と、実は4年がかりだった人では自ずから結果が違うのだ。功徳には貪欲であってもよい。

1998/06/22 19:00


法華講員のホームページ

大石寺の写真集を作りました、というメールをいただき早速拝見。段々とこういうページが増えてくれば素晴らしいことです。こんどリンクを作ろっと。久遠さんのメール新聞も出来たしね。

1998/06/22 18:30


夏季講習会登山

初めて自分の運転でお山にいって来た。昨年末に免許を取って、二度目の運転だったけど無事に帰ってこれてよかった。因みに高速はおろか、トンネルをくぐるのも初めてだった。けど、初心者の方が意外と事故らないんだよね。思ったより疲労感はなかったので、遠慮しようかと思っていた丑寅勤行も結局出てしまった。友人の就職試験のこともあったのし。

御遷座後二度目の御開扉を受けました。なんだか、今回はとても大御本尊を求める気持ちが押さえられなくて、奉安堂に入ってから御開扉が始まるまで、自然とずっと唱題をしていました。周りの人も同じ感じで、何人か一緒に唱題してくれました。こういう時代が来るのをのを待っていたんですよ。

今回の御開扉では、やはり自分は前世でも信心していたんだなとしみじみ感じました。前から、御本尊様のある家に生まれるには、何か因縁はあったのだろうと思っていましたが、一方で末法の衆生は本未有善のはずだしなあと疑問だったのですが、その辺が少し納得できました。やはりこの問題は、自分の『機』を中心に考えるから迷うのであって、やはり『法』を中心に考えなくてはならなかったのでしょう。

いまホームページ作りが、趣味よりも日課となっていますが、若いうちから、一つでも使命を見つけて取り組めるのは非常に有難いことだと思います。

1998/06/21 23:00


ウィルス発見

一応ウィルス対策ソフトは複数用意してあるのだが、掛け捨ての保険のようなものだと思っていた。まさか、実際に駆除するはめになるとは・・・。

その日私は、古くなったウィルスパターンファイルを更新しようと、某社に接続していた。しかし、回線が混雑しているらしく、いつもと比べて余りにも時間がかかりすぎるので、待ちくたびれてしまったので、ダウンロードと同時に、メールの受信やらネットサーフィンを始めてしまったのだ。

どうもそれがまずかったらしい。『Hellspawn.1141』なるウィルスに感染してしまった。少し興味もあったのだが、以前、IE4のせいでシステムに多大なダメージを食ってしまったのを思い出し、即刻削除して事無きを得た。どこで感染したか皆目見当もつかないのが悔しい。

しかし、進入しただけで何も出来なかったウィルスより、不安定なアプリケーションを配布した某ソフト会社の方が酷いような気もする。

1998/06/17 23:00


『コーヒーカップ』訴訟

通称『コーヒーカップ』訴訟が、高裁判決で逆転勝訴した。これは、持経寺さんが学会員から預かったお骨をコーヒーカップで保管していたとして、学会員から訴えられていたもので、一審では御宗門敗訴となっていた。

事件は、遺骨を引き取った某学会員が直後大勢の学会員とともに本堂に引き返し、遺骨がコーヒーカップに入っていたとして猛然と住職を抗議して、挙げ句、訴訟に及んだものだ。

学会側は、同寺が納骨堂の立て替えに際して上記の措置をとったものとして、訴えていたが、今回、同カップのキャラクター図柄が近年のものであることが明らかになったことなどから、判決は遺骨受け取りの際に「何物か」が入れ替えた可能性を指摘し、コーヒーカップ保管の事実は認められないとして、訴えを斥けた。

判決が至極常識的なものであることを喜ぶとともに、故人の遺骨までをも宗門攻撃の材料にしようとする彼等の態度は、甚だ理解し難い。

1998/06/15 23:00