プロローグ







 静かな午後。
 空を見上げれば吸い込まれそうな蒼さの中、白い雲が何かを象るでもなしにゆっくり形を変えながらただ流れている。
 本日最後の授業。
 それももう終盤……後五分もすれば終わりを知らせるチャイムが鳴る事だろう。
 そんな静かな午後。
 誰もが僅かな変化しかなくただ過ぎていく時間に身を任せ、一つの区切りを待っているそんな時間。
 そうそれだけの時間だった。
 が……
「ぐはぁぁぁっ!マジっ!?さ、サナエちゃんがぁぁぁぁぁ……最後の最後で流れ星の奇跡は起きないの?って言うか、こんなのありかぁぁぁっ!!!!い、痛てぇぇぇっ!!」
 そんな全てをぶち壊す絶望的な悲鳴にも似た絶叫が辺りを包む。教室中の視線がたった今声を張り上げた張本人に注がれ、張本人は張本人で派手に椅子を倒し、つ立ったまま呆然と自分の教材用のノートPCを凝視中。そしてたぶん彼の着けているヘッドフォンのプラグが抜けたのだろう。彼のノートPCからはそんな彼の心情とは正反対に何処か楽しげで明るいBGMが流れ出していた。
 どれ位彼は立ち尽くしていたのだろうか……途端、糸の切れたマリオネットの様に机に伏すと滝の様な涙を流し始める。その時一度は凍った教室の時間が溶けだし、彼の担任である女教師・尾上マイはため息一つ吐く。
「いったいどうしたの?大和君……って聞かなくても何となく解かるけど今は授業中なのよ。ゲームは禁止って言ってあるでしょ」
 諦めにも似た視線を張本人の彼こと大和キョウヤに向ける。普段は真面目に授業を受けているのだが時折何か気になる事があるとそっちの方へと脱線してしまう困った癖の持ち主。しかも大概脱線する時は一人ではなくクラス中を巻き込む。無駄だと思っても立場が立場なのだ、とマイはキョウヤを注意するが、
「先生無駄です。大和の奴、全く聞こえてません。まるで奥さん子供に逃げられて酒飲んで泣きながら泥酔している中年亭主の様にやさぐれてます」
 一人の女子……如月ミヅキがキョウヤの顔を覗き込んだ後マイにそう告げ、マイと一緒にもう一度ため息を吐く。
「具体的な解説ありがとう如月さん。まったく……いやらしいゲームやってて男の子を膨張させてる分にはまだ可愛いものだけど授業の邪魔だけはしないで欲しいわね」
 マイの言葉に生徒達の反応はと言うと、『可愛いのか?本当に』となんと言うか担任の許容範囲の広さに不安さえ感じてしまう。しかしマイの言葉には続きが有って、
「それから女子に注意しておくけど大和君には気を付けなさい。お腹おっきくされちゃうわよ」
『……あははっ……』
 取り付く島もない強烈なマイの嫌味に女子達は乾いた笑いしか浮かべられない。ただキョウヤもそこまで言われればと言うかようやく周りに耳を傾ける余裕ができたのだろうが、まったく姿勢を変えずにいじけた声で、
「ったく、人を種馬みたいに……大丈夫……例えマイちゃんが言う『いやらしいゲーム』をやった後で元気でも女子がお腹おっきくなる様な事はないよ……はは……」
「何で〜?」
 何処か間の抜けた可愛い声で帆足マリエと言う女の子が聞く。マイにしろ、先ほどのミヅキ、そして今回のマリエは揃いも揃って年頃の男の子の『夜のオカズ』になりそうなくらい魅力的。いやきっとそうなっているだろう。ほかにもまだいるのだがその彼女達はまた後で出てくるだろう。
「だってさ帆足。オレはそんなヘマしないもん。それに……」
と答えるキョウヤにクラスの女子は『それは問題が根本的に間違っているのでは?』と疑問を感じずにはいられないがまだキョウヤとマリエの会話は続いていて、
「それに何?」
「それにオレはうちの女子みたいなガキっぽい女には興味ないの。まぁ、マイちゃんなんかとっても魅力的なんだけどね」
 相変らずキョウヤの姿勢はさっきのいじけたまま。しかし吐いた暴言が暴言……そんないじけているキョウヤの胸中などお構いなしにクラスの女子達がイカしたフレーズをキョウヤに容赦なく浴びせ掛ける。その中の代表を一つ上げるとするなら……これもまた綺麗な娘なんだが本当にその娘の口から出てきたとは思えないくらい凄まじい。
「このぉバカ大和っ!アンタの粗末なモノなんて誰も見たくないわよ。アンタバカぁ!?自分がモテるとでも思ってるの?もし勘違いしてるなら言ってやるわ。誰もアンタなんか相手にしないし、そんなアンタの粗末なモノなんて豚の餌以下よっ!」
と何処か外国の血が流れてると解かる惣流・アスカ・ラングレーの言葉に誰もがきっと『何時見たんだろう?』と心の中で突っ込みをいれているに違いない。あえて口に出さないのはその時の報復が怖いから……
 ともかくそんな修羅場をいいかげん見飽きたマイは、
「ハイハイ女子も少し大人しくする。それにしても惣流さん、いったい何時大和君のを見たの?」
「見てませんっ!!」
 想像でもしたのかアスカは赤面しながら即否定。
「なら女の子がそんな下品な事言うもんじゃありません。それに大和君も何時も言ってるでしょ。マイちゃんじゃなくて先生だって。……それにしても今日は大人しいわね。何時もなら同じ位激しいフレーズで口喧嘩してるのに。もしかして惣流さんの素敵な誉め言葉に傷ついちゃった?図星で」
 マイの言葉の方がよっぽど酷い様な気がするがその辺はキョウヤだ、
「そんな事ないで〜す〜よ〜アメリカンなオレ様のビッグマグナムは女囚コマンド〜だぁぜぇ〜」
と意味不明な台詞を覇気のない声で答える。まぁ、答えるあたりキョウヤにもまだ男としてのプライドが残っていたのだろう。そんなキョウヤに苦笑するマイは、
「でもモテないのね。結構以外ね。見た目『だけ』ならいい線いってる思うのにってそれはともかく何処でそんな頭の悪そうな言葉覚えてくるのかしら?先生心配だわ」
「とりあえず大概の野郎のベッドの下をがさごそと漁れば事欠かないもんで」
「そうなの?今度寮の男子達のベッドの下調べてみなくっちゃ。持ち物検査楽しみね。ところでさっきから何納得してないの?」
 そうマイがキョウヤの態度を見てそう思い言うと聞いて欲しかったのかキョウヤは急に立ち上がり、ワナワナと体を振るわせ、力説し始める。
「そう納得なんてできるもんかっ!身も心も一つになってこれから奇跡が起きて助かると思ったのに……それなのに、それなのに……」
 そこまで言うとキョウヤはまたいじける為に机に伏す。マイはそんなキョウヤにお構いなしに、
「身も心も一つに……ねぇ……つまりそれってやっぱり授業中にいやらしいゲームをやっていたって事ね」
「……しまった……で、でも、たまたまなんです。爺さんの所にあった古いゲームでただの学園コメディの恋愛ゲームだと思って」
 女子の厳しい視線がキョウヤ一人に注がれ、その雰囲気に教室中が静まり返る。
「いい訳はいいわ。罰としてトイレ掃除お願いね」
「………………あい」
 いじけたままキョウヤがそう頷くと授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、そんなキョウヤの傍らではまだノートPCが楽しげなBGMを奏でていた。

 

 

 

 

『桜の華が舞う中で』

 

 

第一章 不思議不思議摩訶不思議





 よほどショックな結末だったのだろうか。普段からある掃除の時も帰りのホームルームの時もそして放課後、罰のトイレ掃除の時もキョウヤのテンションは低かった。いや低すぎた。
 そして時間はただ無駄に流れていくのだが、何時までも付き合ってられないと言うか待ちくたびれているキョウヤの友人一行はいいかげんため息も出てこなくなっていた。
「ねぇ、朝霧君、大和の奴トイレ掃除終わった?」
「いや、まだだ……あんな調子じゃ何時までたっても終わらないな」
「当社比16パーセントって所かしら?」
 そんな会話をしているの背の高い女の子・樺山アキと背の低い男の子・朝霧タケオの二人。この二人について言えばアキは綺麗な娘なのだが先にモデルの様な……一部では宝塚の様なとも言われているがとにかく格好の良さが目立ってしまい女の子にもモテるタイプ。でタケオの方は見た目は典型的な可愛い男の子なのだがその静かな物腰で少し癖がある。と言うかキョウヤの周りの人間は皆一癖も二癖もある灰汁の強いものばかり。
 ともかくアキとタケオの会話とは現在まったく関係ないキョウヤはデッキブラシを持ったままため息のオンパレード。まるで正しい呼吸をしているかの様に一定のリズムでため息が出てくること出てくること。
 キョウヤの掃除姿を覗いている呆れ顔のアキとタケオは、
「まったく何やってるんだか大和は……サクラちゃんに会いに行くんじゃないの?今日も」
「ん?樺山は山吹さんを知っているのか?」
「昨日、アスカとマリエとミヅキと……で大和に連れられて……」
 何か言い難そうなアキのすぐ後ろから
「酷いですわ樺山さん。私の事忘れるなんて。私もいましたわ」
とアキの背後から不意に少し拗ねたような声がする。タケオはキョウヤに気を取られすぎていたのか気付かず、
「おおぅ!小畑……さんも山吹さんの事知ってるんだ……」
 小畑さん……フルネームは小畑カヨコ。キョウヤ達中学校の一年生でもっとも可愛いと言われている女の子。現に良くモテる。それはキョウヤの通っている中学だけではなく近隣の中学高校まで知れているくらい。そしてそんな娘がアキの背中にぴとっとピッタリ寄り添い、
「知ってますわ。昨日お話しましたもの。ね、樺山さん」
「そうね小畑さん。別にあたし小畑さんの事忘れてた訳じゃ……」
 カヨコの方を振り向かずアキは呟く様にようやく声を出す。なんと言うか困った雰囲気を醸し出し、アイコンタクトでタケオに助けを求めるが、タケオは気付いているのかいないのか……たぶんわざと気付かない振りをしているのだろう。なんかアキとカヨコの展開に興味を示している。
「なんか樺山と小畑さんって文化祭から随分と仲良くなったみたいだな。それにしても私も随分と大和に毒された様だ。この状況が面白いと思う様になるなんて」
「ほんっとにねっ!」
 むくれるアキがタケオを睨むがカヨコがいる所為かそれ以上は特に何もない。カヨコはそんな二人を見て不思議そうに、
「何が面白いですの?」
「別に何でもないのよ小畑さん。それより少し……」
 アキは『離れてくれない』と頼もうとしたのだがそれより早くカヨコがアキの腕を掴み、その影からキョウヤを覗き、呼びかける。
「大和君、サクラさんが待ってますわよ。早く掃除終わらせないと面会時間終わっちゃいますわ」
 キョウヤはカヨコの方を向くので、何かしらと不思議に思うカヨコだがとりあえず笑顔を見せておく。怯えた表情なんて見せた日には何か悪戯とかされて苛められそうな気もするから。でもアキがいるから一安心なカヨコ。そんなカヨコに背筋が寒いアキ。そして笑いたいのを我慢しているタケオ。
「そうだった……ありがとな小畑。朝霧、後頼んだ」
「いいえ、サクラさんによろしくお伝えください」
「お、おいっ大和……行ってしまった」
 大事な約束を思い出したキョウヤはデッキブラシをタケオに押し付けた後、廊下を全力疾走。キョウヤの背中はすぐに見えなくなり、それをただ眺めているだけの三人。
 暫らくしてアキが、
「じゃ、トイレ掃除頑張って朝霧君」
「えぇっ!?私がか?」
「他に誰が男子トイレの掃除するのよ。頑張れ男の子」
 タケオは諦めたのかため息一つ吐いて覚悟を決める。そんな二人を横目にカヨコは相変らずキョウヤが走っていた方を眺めて、何か気にしている様子。
 それに気付かない程鈍くはないアキとタケオが不思議そうにしているとカヨコは何気なく、
「でも珍しいですわね。大和君が女の子との約束を忘れるなんて」
 その何気ない一言はアキとタケオに、なるほど、と思わせるには十分過ぎた。
「そう言われてみればそうだな。初めてじゃないか?」
「そうね。よほどショックな結末だったんでしょ。さっきのゲーム」
 だがキョウヤがたかがゲームのエンディング一つでそこまでショックを受けるだろうか?まさかね、と二人は思うが100%そうだとはさすがに言いきれない。
「でも心配ですわ」
 カヨコの顔が陰る。
「大丈夫だと思うがな。大和の事だ。例え面会時間が終わっていても強引に壁とか攀じ登って窓からでも会いに行くだろからな。この前だってそうだ」
「そうではなくてサクラさんと二人きりにするのが心配なんですわ」
「それってサクラちゃんにやきもち?」
 アキがからかう様な表情をカヨコに見せるが、
「違いますわ」
 ころころと屈託なく笑いながら簡単に否定するカヨコを見て、アキもそんな返事が返ってくる事が解かっていたのか一緒に笑う。
 ただタケオ一人、では何が心配なんだろうと女心と言うか女の子の思考に疎いタケオは少し考え、想像するが今一つピンと来ない。
「いったい二人きりにすると何が心配なんだ?」
「朝霧君、本当に解かんないの?」
「すまない。本当に解からない」
 暫らくの沈黙。アキとカヨコはお互いの顔を見合わせ苦笑すると一度ちらりとタケオの表情を覗く。そこには本当に解からないと書いてある様な渋い顔。アキは肩を竦めて仕方ないと言うため息を一つ吐くとカヨコも、
「そうですわね。朝霧君は大和君と仲良いですし話しておいたほうが良いんじゃないかと思いますよ私」
「そうね。じゃ小畑さん説明お願い」
「えっ、私がですか……」
 カヨコはタケオの方を向いて顔を赤くする。何か恥ずかしくて言い難そうな雰囲気。何度もカヨコは言いかけその度に止めてしまう。そしてようやく、
「……あの……その……さっき尾上先生が言ってたみたいな事になるんじゃないかと……」
「先生が言っていた事?」
「その……お腹が大きくなってしまうような……そこまででなくてもそのキスとか……とにかくいやらしい事です……」
 カヨコの遠まわしの様なそれでいて一部具体的な言い方をタケオは漸く理解できたのか一人、おおぅ、と納得。カヨコもどうにか伝わって安心した様子。しかしタケオはすぐに何時もの顔に戻って、
「しかしそれなら安心だ。大和が女子に対してそんな事をするなんて言う心配をした事は私は一度もない。もし大和がそんな事をする奴ならとっくの昔に部屋で二人きりになった時に襲われたとかと言う話しがあってもおかしくないだろ?樺山や帆足ならともかく小畑さんや惣流、山岸あたりなら速攻で大和の餌食になってしまうぞ」
 キョウヤの事を信じているのかいないのか……根拠のない事を自信たっぷりに言う。
 そんなタケオにアキとカヨコはため息一つ吐いて、首を振る。タケオもタケオで何か自分は間違ったのか、と悩むがもしそんな騒ぎが起こるとしたら、それはイコール……キョウヤのリビドーの暴走。ハイウェイをキャノンボールよろしくの如く……思わず首を傾げる。
「何か変な事言ったか?」
「まぁ、あたしもアイツにそんな度胸があるとは思ってないから大和に関しては安心してるんだけど……ね」
「気になる言い方だな樺山」
 クラスでもっとも背の高いアキを男子の中で一番小柄なタケオが見上げる様に問う。実際に私服だったら年の離れた姉弟に見えるかもしれない。とにかくアキはタケオにどう話したものかと悩む。まさかここまで鈍いとは想像もしていない。気付いてくれると思ってこう遠回しに言葉を選んだのだが、それ以上言うとそれは彼女の純粋な気持ちを土足で踏みつける様な気がして躊躇う。
「だから……さ、そのサクラちゃんが大和の事好きなのよね。たぶん……」
 たぶんと付け加え、あくまで憶測だと思わせぶりな事言うがアキは間違いない事を知っている。何故なら昨日キョウヤがいない時彼女に冗談半分に聞いてみたら顔を真っ赤にして頷いたから。
 それを見ているカヨコも同じ意見で、
「ですからサクラさんの方から……ですわ」
「そ、そうなのか。全然解からなかった。でも山吹さんはそんな大胆な事ができるような子には見えなかったが。何より私達と同じ中一だぞ。まだ大和が襲うって言う方が信憑性があると思う。それに大和は女の子にモテない……のではなかったのか?」
 どうもタケオの知るキョウヤのデータからはそんなアキやカヨコの言った展開になる回答はそれこそ地球が反転でもしない限り出てこない。
 普段だったらアキもカヨコもタケオの言葉に納得したのだろうが今回は例外と言ってもいい状況。
「ん。まぁね大和は確かにうちの学校の女子にはあんまりモテないわね。でもそれは大和の行動、性格を知ってるからでしょ?」
「ふむ」
 確かに周囲を問答無用で巻き込む行動力とあの口より早く手が出る性格なら、とタケオは少し考えてからアキに頷く。カヨコはアキに任せてしまったのか黙って成り行きを見ている。
「じゃあ、あの大和を大和の事を誰も知らない土地にぽんっと黙ったまま立たせておいたとしたら?『黙ったまま』ってとこがポイントね……ここテストに出るから。答えは簡単。女の子の方から寄ってくるわね。まぁ、大和本人は自分が優男って自覚ないってのが救いね。もしそれに気付いたら最大限に活用しそうよ。綺麗なおねーさん達とお近づきになる為に」
 アキのため息が聞こえる。
 そうでなくとも沢山のおねーさん達と既にお友達なのだ。これ以上被害が増える勢いを早める理由をわざわざ作る必要性はないだろう。
「それにあくまで『モテない』であって『嫌われている』訳じゃないのよ」
 もう既にチンプンカンプンのタケオはギブアップ寸前。今にも耳から黒い煙が燻り出そう。それが可哀想と思ったのかアキはタケオがもっとも解かりやすい様に話し始める。
「だからまぁ、うちのクラス限定で女子から見て大和の評価を好きか嫌いかの究極の二択を選ぶとしたら間違いなく『好き』のだって言うのよ」
「えっ!?それじゃ大和はやっぱりモテるのか?」
「違うわよ。そう言う恋しちゃう様な『好き』じゃなくて、もっと別の『好き』ね。何て言うか……困った友達と言うか。上手く言えないわ」
 苦笑するアキにそう言われるとタケオは一つの仮定を言い、アキとカヨコの反応を探る。
「つまり女子が大和に抱いている気持ちと言うのは私が大和を友人だと思っているそれと代わらないと言う事か」
「まぁ、微妙に違うけど……ぶっちゃけて言えばそうね」
 ふ〜ん、とタケオは納得するがそれはつまり何時まで経っても友達のままであると言う事な訳で少しキョウヤに同情してしまう。
「そう言われてしまうと大和も少し可哀想だな」
 今度は逆にアキとカヨコが不思議そうな顔をしている。それはそうだろう。友達とは言え『好き』と言われたのであればそれは喜ぶべき事なのだから。
「何でよ?朝霧君」
「そうですわ。何で可哀想なんです?」
「だから……せっかくこんな可愛い女の子達がたくさんいるのに友達以上の関係になれないなんて寂しくないか……と大和を真似てみたが?」
 少しだけ頬が赤いタケオ。くさい台詞が照れくさいお年頃。
「お情けで2点ね……大和ならもっとくさい台詞を平気かつ本気で言うわ。それに友達以上になりたい娘だって一応いるのよ。何人かね」
とアキ。
「全然似てませんわ朝霧君……0点です。大和君はそのくらいでしたら照れたりしませんわよ」
とカヨコ。二人とも厳しい点数。当然百点満点でだ。
 タケオは肩を落とし、
「き、厳しいな二人とも。そうか似てなかったか……まぁ、似てても困るんだがな。それにしても大和の事好きな娘が他にもいるんだ?樺山」
「いるわよ。推測だけど隠れファンもいれて全校生徒の5パーセントくらい」
「ふむ……その一人が神代さんか」
「神代さんは確かに解かりやすいわよね。朝霧君にしては上出来♪上出来♪」
 隣のクラスの女の子の名前がタケオから挙がる。確かにキョウヤと仲が良く、一緒にいるのを良く見掛けるが、タケオはふと思い出す。
「しかし大和は断ったんじゃなかったか?それなのに何で神代さんはまだ大和の事好きなんだ??」
 今日何度目だろう。アキとカヨコは特大のため息を一緒に吐くとカヨコが少し怖い顔をしながらタケオに問い詰める。
「朝霧君は好きな方いますか?」
「あぁ」
とカヨコの剣幕に一歩下がるタケオ。更にアキが追い討ちを掛け、
「ならその娘にごめんねって断られて朝霧君はあっさり諦めれる?」
「……い、いや」
「なら神代さんの気持ちも多少なりとも解かるでしょ」
「はい。すみません」
 何故かタケオはアキとカヨコに謝っていた。それだけの迫力が今のアキとカヨコには十分すぎるくらい備わっていて恐い。
「にしても大和も大和よね。なんて断ったか知らないけど今だ変わらない神代さんの気持ちをわざと気付かない振りして友達でいるんだから。どう思う?」
 プリプリ怒るアキはじっと睨むようにタケオの方を向く。タケオはタケオでそんな事を言われても困る、と言った顔をして、何とか適当に誤魔化そうと思うがカヨコまでじっとタケオを睨んでいる。滅多な事は言えない。本当はキョウヤが睨まれるべきなのになのに今日に限っては損な役が波の様に次々にタケオに押し寄せてくる。
「どうと言われても……大和は神代さんの気持ちに気付いているのか?」
「たぶんそうよ。あぁ見えても大和の奴は朝霧君よりは女心と言うものを知っているわね」
「なら何時か大和達で解決するだろ。私達が今騒ぐ事ではない様な気が……」
「解かってるわよっ!大和達の問題だからあたし達がどうこう言う事じやないって……でもね何時まで経ってもはっきりしないから見てるこっちがイライラするのよ」
「そうですわ。ストレス溜まります。それにサクラさんも同じ目にあうんではないかと思うと心配なんです」
 カヨコまでプリプリ怒り出すのを見て、何となくタケオは今自分がかなりピンチな状態だと言う事に気付く。このままストレスの矛先をキョウヤからタケオに変えられでもしたら、それこそストレスで胃に穴が開くかもしれない。少し前までの冷めた頃のタケオだったら大丈夫かもしれなかったが今はごめんだ。話題を別の方向へ切替える。
「しかし神代さんしろ山吹さんしろいったい大和の何処が好きなんだろうな?と言うかどうして好きになったんだ?」
 アキかカヨコが言うと思っていた答えは意外な所からした。
 不意に背後から、
「それはね大和が何時も全力でその娘の力になってあげるからだよ」
 振り向くとマリエがニコニコしながら立っている。そしてタケオの驚いた顔を見ると、
「アキ達が何時まで経っても男子トイレの前で井戸端会議してるから待ちくたびれちゃったから迎えに来たの。ところで大和は?」
「とっくに帰ったわよマリエ。あ、アキ、アスカは見たいテレビがあるって先に帰るって」
 ミヅキも鞄を持って現れ、アスカに頼まれていた伝言を済まし、また悪態吐く。
「いったいこんな所で何の会議?さっきから男子がトイレは入れなくて何人も外れのトイレに駆け込んでたわよ」
「いや、大和について話し込んでたものだから気付かなかったが悪い事をしたな」
 済まなそうなタケオにミヅキはケラケラ笑いながら、
「別にいいんじゃない。それより大和の何を話してたの?恥ずかしい秘密?」
「違うよミヅキ。どうして大和の事が好きなのかって話だよ」
 マリエがそう言うとミヅキはビックリしたのか慌てて、
「えっ?誰よ誰?その趣味の悪い奴は?アキ?小畑さん?もしかして朝霧?それって禁断の恋ってヤツ?」
『違うっ!!』
 タケオと顔の紅いアキとカヨコは声を揃えてミヅキに向かって否定する。ミヅキは耳の穴に指を入れながら顔を顰め、
「そんな怒鳴らなくていいじゃない。冗談なんだからさ。で、誰の事よ?」
「昨日会ったサクラちゃんとか神代さんよ」
 まだ怒鳴り足りないアキがそう言うとミヅキは急につまらなそうな顔をして興味を失う。しかも腰に両手も当ててしみじみため息まで吐いてくれるオマケ付き。
「なぁ〜んだその二人か。知ってるわよそんな事。サクラはともかくはあんな神代さん見て気付かないのはせいぜいうちのクラスの鈍い男共くらいよ」
 その通りです。すみません、と内心思いながらタケオは誤解しているミヅキにもう一度言う。
「私達が女心に鈍いのはもう十分に解かったから。事は誰が大和を好きかと言う問題じゃなく、どうして大和を好きになるか?と言う事なんだが……」
「それさっきわたしが言ったよ」
「マリエ、何て言ったの?」
 ミヅキがマリエの頬をプニプニ押す。マリエはそんなミヅキの指がくすぐったいのか笑いながら、
「うんっとねぇ〜『何時も全力でその娘の力になってあげるから』って言ったの」
「確かに……時々マリエって核心突く様な事言うわよね。大和って優しいけど不器用で厳しいから……まぁ、何時も一生懸命だからそれに気付いちゃうと以外とコロっと騙される様に惚れちゃうかもね。ま、私達はそんな事ないんだけど……って言うか大和に優しくされた覚えなんてないわ」
 誉めているのかいないのか微妙な自分の台詞に苦笑するミヅキ。アキも苦笑し、
「大和曰くあたし達はあまり女の子と認めたくないんだってさ」
「何で?」
「平然と殴るでしょあたし達。大和の事」
「まぁね。でもそれは子供みたいな悪戯する大和が悪いんだし」
 そんな会話の中、カヨコが一人黙って何か考えて、ふと思い出す。
「そう言われてみれば帆足さんや如月さんの言う通りですわね。大和君は……意外と優しいですわ」
 それは文化祭の事。キョウヤが励ましてくれた事。
 アキもマリエもミヅキもそしてタケオも、そんな事もあったな、と何か感動しているカヨコの方を見ている。カヨコの顔が何故か紅いのは余計な事も思い出したからだろう。
「でも何で大和君はそんなに女の子だけに優しいですの?」
「それは簡単よ小畑さん。大和にとって女の子……違うわね。『全ての女性』と言った方が正解ね。とにかく大和の頭の中にあるのは『男は女を守るもんだ』って言う一つの考えがあるの。だから一生懸命女の子の為に頑張る。それも大和なりの真っ直ぐね。その反動からかな?大和は女の子が男勝りな危ない事すると口うるさいでしょ。でもそれはその娘の為を思ってて言ってるのは解かるんだけどね。あたしはそんな考えかた好きじゃないけど、それもやっぱり大和の優しさだと思うわ」
 アキがそう言うとカヨコを除く全員が苦笑する。
 実際に何時だってキョウヤはそうだった。言葉ではあまり『守る』とかは言わないがキョウヤの行動は常に女の子を守ろうと……いや『守って』いた。まぁ、時々忘れたりするが……
「それに大和は別に女の子だけに優しい訳じゃないわよ。ちゃんと男子にだって気を使っているわ。ね、朝霧」
「そうだな。樺山の言う通りだな。大和はどっか兄貴分な所があって……クラスに馴染めなかった頃の私も他の奴らも随分と振り回された。が悪くはなかったさ」
 何かを思い出したかタケオは笑う。
「まったくみんな大和の事誉めすぎ。それじゃパーフェクト超人じゃない」
 ミヅキは呆れ顔で、苦笑中。
「そだよね。誉め過ぎだよね。大和は子供だから、少しでも目を離すと危なかっしくて。ほんと、わたし達がいなかったら全然駄目駄目だよね」
『うんうん』
 全員がマリエの言葉に納得し、頷く。実際はマリエが言うほどキョウヤが子供と言う訳ではない。キョウヤはキョウヤで自分がまだ年齢的に子供なのだから子供でなくてはならない、とわざと子供を演じているのを回りは何となく解かっている。
「ほんと可愛くないわよね大和って」
「素直じゃないもん」
 クスクスと女子達が笑っているのを見てタケオは確かに微妙にタケオの言う『友達』とは違うんだな、と理解できないまでも感覚で知る。
「で、当の本人は今何処?」
 ミヅキはキョウヤが帰った事は知っているが今何処にいるか知らない。どうせキョウヤの事だから何処かで道草でも食っているのだろう、とぐらいにしか思っていないのだろう。そんな考えが顔に出てる。
「サクラさんの所ですわ」
「そう言えばそうだったよね。忘れてた……」
 カヨコがミヅキにそう言うのを聞いていたマリエは、
「ね、何時までもこんな所で話してないでそろそろ帰ろ。サクラちゃんの事は大和に任せておけば大丈夫だよ」
「そうね。まぁ、不安は残るけど大和なら何とかするでしょ」
「そ、ホントに何とかしちゃうから大和は……不思議とね」
 そう言って女子達は校門で落ち合う事を約束して鞄を取りに行ったり、先に階段を降りたり。
「じゃ朝霧君、トイレ掃除頑張ってくださいね」
 カヨコにそう言われぽっつんと一人残されるタケオ。なんかやるせなさが込み上げてくるが今そんな事を思っても何の解決にもならない。
 ため息一つ吐いて渋々掃除を始め、
「なんか矛盾を感じるが、なんだかんだ言って大和は信用されているな。確かに根拠のない安心感を与えるからなぁ。もしかしたらそれが一番大和の凄い所なのかもしれん」
 一人寂しく床を磨きながら思う。
 そんな根拠のない安心感や全力の優しさで惚れさせてしまうキョウヤにしろ、そんなキョウヤを好きになってしまう女心にしろ……
「とかくこの世の中は謎だらけ……不思議不思議」
 だがそんな自分の独り言とは裏腹にどこか頭の中でない別の部分の感情でキョウヤなら、と納得してしまうタケオ。床を磨く手を止め、
「ほんと……摩訶不思議だな」
 支えにしたデッキブラシに寄りかかり一人タケオは苦笑した。
 
 

第二章 温もり





 病室のドアが開く音がすると不意に目を覚ます。
 目を覚ましたからと言って世界が見える訳ではないと解かってはいる。光を失った瞳。だから夢の世界の方が彼女にとって明るく美しい世界。よりリアルな世界。だが夢の世界に行く事は彼女にとってもう一つの不安を呼び起こす。
 目を覚ます度にこの不安と安堵が混ざる感覚が彼女を包む。消失感……とでも言えば言いのだろうかそんな感じ。
 風が頬を撫でる。やはりドアが開いたのだ。
 その所為で風通しが良くなったのだろう。ドアの側にいるだろう誰かに向かって彼女は声を掛け、
「誰?キョウヤ君?」
「ん。起こしちゃったみたいだな」
「いいよ別に。一人でつまんなかったから寝てただけだし」
 馴染みある声が聞けた事が素直に嬉しい。上半身だけを起こし、病室の入り口の方へ顔を向ける。だからと言ってやはりキョウヤの姿は見えない。だがこの方がキョウヤの気配を感じやすい。キョウヤがゆっくりと彼女の方へとゆっくり歩いてくる。足取りが何となく何時もと違う足音。なんとなく元気がないのが解かる。何でそんな事が分かるのか不思議に思った時期もあったが、それは光を失った所為で他の器官がより鋭くなっているらしいと担当の医者が昔言っていた。
「どうしたの?何時も元気の塊みたいなキョウヤ君が珍しく元気ないね」
 可愛らしく笑えているだろうか?そんな場違いな事を心配しながら冗談めかして言ってみる。
「……山吹……やっぱ解かる?」
「うん」
 キョウヤが一旦足を止め、苦笑している姿を山吹は……そう山吹サクラは想像して頷いた。
「ほら新しいディスク。何時もの所置いとくぞ」
 目の見えないサクラが楽しめる物……そう言ってキョウヤは音楽や副音声入りのドラマのデータ入りディスクや香りの良い花や美味しいと評判の店のケーキなどを来る度に見舞いと称して持ってくる。現に今花瓶に入っている花もキョウヤが昨日持ってきた物。
「ありがと」
「おうよ」
 これもキョウヤがここに通うようになってからお決まりとなった会話と言うか挨拶みたいなもの。初めは同情か何かだと思いサクラはそんなに気を使わなくていいと言っていたのだがキョウヤが頑として聞かない。三日ほど繰り返している内に本気でキョウヤが薦めたい物だと解かったからサクラの方が折れ、今ではもう諦め、キョウヤの好意に甘える事に。その方がキョウヤも喜んだから。それに実際にキョウヤの持ってくる物は十分にサクラを満たしてくれた。
 そして何時ものやり取りが終わるとベッドの脇の椅子にキョウヤが座り、サクラの楽しみとしている他愛もない会話を適当にするのだが今日は違った。
 キョウヤが椅子を引く音がしない。それどころか、
「今日気分悪いからオレ、ふて寝する」
とか何とか言ってベッドの上のサクラのすぐ脇に潜り込んできた。
 突然の事に驚き、なんか恥ずかしかったがキョウヤだったら別にいいか、とサクラは思うが少し怒った振りをして、
「もう〜、駄目よキョウヤ君。女の子のベッドの中に無断侵入なんかしちゃ。変な事する気でしょ?」
「……そんな事しない。もうオレは寝る」
「何、拗ねてるの?授業中えっちなゲームやってるの先生に見つかって叱られた事?それとも罰掃除の事?」
 キョウヤがどんな顔をしているだろうと想像しながらクスクスとサクラは笑い、キョウヤは憮然とした表情をして、
「何で山吹がそれ知ってるんだ?今日の午後の事だぞ」
「うん。さっきキョウヤ君が来る少し前にアスカちゃんが来て……それだけ言ったらすぐ帰っちゃった。それにしても……やっぱりキョウヤ君も男の子なんだね〜♪」
 何処かからかっているかの様なサクラの楽しげな口調。
 アスカに到っては本当はそれだけではなくもっと凄まじいキョウヤの悪口をマシンガンの弾の様に次々と吐き出していた……サクラがアスカに話しかける暇すらなかったくらい。
「…………いや、その、確かにオレは『男の子』なんだけど……そう言った事に興味はまだない……訳じゃなくて、むしろ津々なんだけど、そのあの時はそんな不順な気持ちはなくて……その聞いてます?サクラさん」
 内心、あのアマ……どうしてくれよう、とかなり真剣にアスカに復讐を誓うキョウヤ。だが実際にそんな復讐が成功した例がないが哀しい所。キョウヤらしいと言えばキョウヤらしい。
「はい。聞いてますよぉ〜。それでも授業中にえっちなゲームをやっちゃいけないんですよぉ〜。サクラこのままキョウヤ君に襲われちゃうのね。恐いわ〜」
「その襲われるに到るまでのドラマが見えないんだがオレには……もういい。オレ寝る」
 なんか本格的に拗ね出したキョウヤに悪ノリしていたサクラは、
「あれ?怒っちゃった?ごめんねキョウヤ君。冗談です」
とちょっぴり反省。隣でもぞもぞしているキョウヤに謝る。キョウヤはキョウヤで聞いているのかいないのか。それとも既に寝入ってしまったのか。もし、そうだとしたら某ネコ型ロボットが登場するアニメに出てくる綾取りと射撃が得意な男の子並である。しかしそんな事は無かった様で、
「怒ってない。別に……」
「ねぇ?何そんなに拗ねてるの今日?今までだって先生に怒られたとか、アキちゃんに叱られたとか、ミヅキちゃんに騙されたとか、アスカちゃんに蹴られたとか色々あったけどいっつもケロっとしてたよね。ほんとどうしたの?」
「……大丈夫さ。たぶん」
 そんな落ち込んだキョウヤを感じて気にならないほうが嘘である。
「ねぇ、大丈夫だったら私に話してよ。私、大した事出来ないけど話を聞いてあげるくらいは出来るよ。それともこんな私に話してもどうにもならない?こんな私だから話したくない?」
 何処か寂しげで自虐的な声で話しかけるサクラ。サクラにとってここ暫らくの間キョウヤが会いに来てくれて、そんなキョウヤの他愛も無い出来事をお喋りをする事だけが楽しみ。そしてそれが自分のつまらない悪戯でそれを無くしてしまうかと思うと哀しく、そんなやり場の無い思いは、不完全な女の子だから相手にされないんだ、どうせ自分の世界はこの狭い病室だけのつまらない娘だから、とサクラ自身に向かい自分を責めてしまう。
 ゴソっとキョウヤが動くのが感じ、何かキョウヤは躊躇っている思うともう一度サクラは言う。
「ねぇ、何か言ってよ。ごめんねキョウヤ君……」
「謝んなよ。別に山吹が悪いわけじゃない。その……オレが落ち込んでる理由ってのが……怒らない?笑わない?」
 まだ言い難そうなキョウヤにサクラは、
「うん。怒んない。笑わないよ」
と約束しキョウヤを安心させてあげると漸くキョウヤは話し出した。
「その……なんだ、今日やってたゲームのラストが辛くて……まぁ、ほかにも納得できない事はあったけどそれはエロゲの宿命だと思っていれば諦められるしなぁ」
「ふ〜ん。どんなエンディングだったの?」
「思い出したくないから言わない」
 キョウヤはそう言うと黙ってしまう。
 サクラはキョウヤの体を……たぶん体を揺すりながら、
「ねぇ、教えてよ〜」
と訴えるが帰ってきたのはキョウヤの寝息だった。
「本当にふて寝しちゃった……悪戯しちゃうよ?いいの?」
 だがキョウヤにそんなサクラの声は届いておらず、目を覚ます気配は無い。
 だからサクラはそっと手探りでキョウヤのそこを探る。ゆっくりとゆっくりと近づいて行き、漸くそこに触れ、指先でその感触を確かめ、
「やっぱり柔らかいね」
 今度は寄り添う様に体を近づけ、両手でそっとキョウヤを起こさない様に触れてみる。形を一つ一つ確かめ、それがどうなっているのかを。
「ここが唇……」
 そう呟いてサクラはその柔らかかった感触を、そしてその位置を覚え、
「ここが鼻でここが目……そっか」
 けして見る事の出来ないキョウヤの顔を想像してみるが結局思い浮かばない。ただそこに顔を形作るパーツがあると言う事だけ。涙が頬を伝う感触だけが暖かく、
「一度でいいからみんなの……キョウヤ君の顔見てみたいな」
 キョウヤが新たに持ってきてくれた歌を聴きながら初めてキョウヤと会ったその時をサクラは思い出していた。
 
 

 二週間程前……
 病院臭いとでも言えばいいのか……この匂いは何度嗅いでも慣れないだろうな、と独特の雰囲気を持つ辺りを見まわしながら退屈そうなキョウヤ。回転椅子に座り、くるくる回ってみたり落ち着きが無い。
「キョロキョロ余所見しないでそこで大人しくしてる」
 レントゲンを見ながらため息一つ吐く女医さん。キョウヤが良く世話になるお医者No,2。ちなみにNo,1は……その内話す事もあるだろう。
「だって何処も悪くないって。ただの擦り傷だけだよチヅル先生」
「確かにレントゲン見る限り骨も内臓も何処も悪くないわよ。でも君は今、五十四人の人間を同時に相手にしてかすり傷一つだと言うの?」
 ついでに言えばその五十四人は既にベッドや廊下の上でうめいてる。
「まさか……そんな事は言わないさ。だって傷一つ受けんもん」
「冗談聞いてる暇無いの私。こう見えても……むしろ医者に見えるから忙しいのよ」
「別に冗談じゃないって。五十四人もいたってそんないっぺんに襲って来れないよ。せいぜい同時に四人が限度だから。それを何回か繰り返せば余裕です。残りは攻撃しているつもりで群がっているだけだしね」
 何処かで聞いた事がある様な無いような台詞を吐くと、はふぅ、と欠伸一つ噛殺し、そろそろお暇したいキョウヤはチヅルを急かす。
「ねぇ、先生そろそろ帰りたいんだけどオレ」
「何言ってんのっ!?あんたは怪我人なの……で、いったいそんな沢山の人間と喧嘩して無傷の人間が怪我すんのよ」
 冷たい視線でキョウヤを見ているチヅル。その視線はまったくと言っていいほどキョウヤの言葉を欠片も信じてない。
「あー、えー、信じてない。そう信じないよな普通。でもまっ、いっか。何で怪我したかって言うとさ。喧嘩の後、コイツが……」
 キョウヤの頭の上に大人しく乗っている仔猫を視線だけで見上げ、
「コイツが道路の真中で轢かれたコイツの親の側離れなくて。そのままじゃコイツも轢かれちまうと思って助けてやろうと思ってさ……」
「思って?」
「そう道の真中でコイツを抱きかかえたまでは良かったんだけどトラックが来て……」
「トラックが来て?」
「そうトラックが来て余裕で避け様とした瞬間……」
「瞬間?」
「コイツが暴れて、その所為で……」
「その所為で?」
「トラックに跳ねられてしまいました」
 実際にはキョウヤ自身跳んで衝撃を殺したのだが両手を仔猫に塞がれていて跳んで転がったものだから擦り傷を負ってしまったと言う事である。
「そんなバカな話あるかぁぁぁぁっ!!」
とチヅルは叫ぶが、実際に車に跳ねられたと言う事でレントゲンまで取ったのだからトラックに跳ねられたと言うのは嘘ではないだろう。が……
「トラックに跳ねられてカスリ傷?バカにしないでよ。私はこれでも医者なのよ?そんな事あるわけ無いでしょ?何か奇跡でもあったの?」
 そうでなければ信じられないチヅル。
「無いよ別に。奇跡じゃなくて実力実力。それに知り合いにはオレより頑丈なのいるぞ」
「もういいわ……真面目に相手にしていた私がバカだった。君はそう言う奴だもの。常識で考えちゃ駄目ね」
 チヅルはこめかみを指で抑えながら、う〜ん、と唸り、カルテにサクサクと適当に何か書いている。
「バカにつける薬は有りません……と」
「うわっ、ひでぇ。オレ傷ついちゃうぞ」
「勝手にどうぞ」
とチヅルはキョウヤの方を向きもしない。既に他の患者のカルテを見始め、チラっとキョウヤの方を見たと思ったら、追っ払う様に手を振り、
「世の中にはねまだ私を必要としている人が沢山いるの。君みたいなバカを相手にしてばかりはいられないのよ。さっさと帰れ」
 痛烈なお言葉に怯みかけるキョウヤは、
「く、くそぉ……そんな『胸が小さい』から男にフラれるんだぜ」
 さすがはアメリカ帰りの男。たぶん『懐が狭い』とでも言いたかったのだろうが今ひとつ日本語を理解していないキョウヤ……タケオがいたらちゃんと突っ込んでくれていた筈だ。しかし今日に限ってその相方がいないのが災いした。チヅル本人はそのまま言葉通りに受けったのである。
 ベキっ!
 チヅルのペンが真っ二つに折れたと思ったら何やら不気味に笑い出す。しかしキョウヤはその事にまったく気付いてはいない。
「何で君がその事知ってるの?」
 地の底から声が響いて来る様な雰囲気の中キョウヤは楽しげな話でもしているつもりなのか、
「ん、ナースのねーちゃん達が色々と教えてくれたから」
 正確に言えば忠告されただけである。チヅルが男にフラれて機嫌悪いから変な事言って怒らせちゃ駄目と。
 とにかくそんなおねーさん達の忠告はまったく役に立たなかった訳で……チヅルがにっこり笑ったかと思うと、
「君、一度死になさい。それが世の為、人の為。ついでに私の為よ」
と空気がたっぷり入った注射器の先端をキョウヤに突き出す。
 その時のチヅルの目には既に確実に狂気の光が宿っていたとキョウヤは後日言った。
「あ、あぶねぇ……いくらオレでも血管内に空気が入ったら死ぬってマジで」
 さくっと避けるキョウヤだが気持ちは焦り……なんか不味い事言ったのかなオレ、と悩んでみるも今一つ解からない。とりあえず逃げると言う方向で解決する事にする。
「世の中にはね、君と同じ年で凄く苦しい思いをしている娘だっているのよ。とりあえず死んでその娘に君のバカが付くくらいの丈夫な体から少し健康を分けてあげなさいっ」
「そんな無茶苦茶な」
 逃げるキョウヤを追いかけるチヅル。本気でキレている様子。
 頭に仔猫を乗っけた少年をぶちキレた女医が追いかけると言う何とも間抜けな光景が病院中を駆け巡り、いったいどれくらい追いかけられたのだろうか……普段ならキョウヤについて来れるはずがないのだが……つくづく女を怒らせると恐いな、と一人納得するキョウヤの前に見なれた姿が、
「みぃ〜さぁ〜とぉ〜さぁぁぁ〜ん〜」
 そう言ってキョウヤはミサトの腰にしがみ付き、背後に隠れる。
「人を某ネコ型ロボットみたいに呼ばないでよ。恥ずかしい……で、どうしたの?って言うかアンタ、トラックに跳ねられたんでしょ」
「うん。まぁ……でも今はそんな場合ではないっす。ミサトさんこそどうしてここに?」
 トラックに跳ねられた事がそんな場合ではないとはどう言う事なのだろうかと疑問を感じるミサトだったが、
「ん、マイが来るはずだったんだけど忙しいって言うからたまたま暇だった私が変わりにね」
とそんな会話をしてるとチヅルがキョウヤに追いつき、
「とうとう追い詰めたわよ。覚悟はいいかしら?」
 今にもメスでも投げてきそうな雰囲気。
 思わずミサトが、
「どうしたの?彼女」
「男にフラれたって言ったら追っかけてきた」
「ふ〜ん。アンタ、他に余計な事言わなかった?」
「ん〜特に……せいぜい『胸が小さい』くらいしか言わなかったぞ」
 それを聞いた瞬間ミサトは呆れて言葉も出さずに真っ直ぐ拳をキョウヤの頭に振り下ろす。
「いっ!何すんだよ?」
「キョウヤ、アンタ言葉の意味解かって言ってるの?」
「おぅ。人間が出来てないって意味だろ」
「……違うわよ。それを言うなら『器が小さい』とか『懐が狭い』って言うのよ。たぶんね。だからアンタが言ったのはもしかするともしかするわよ」
「どう言う事?」
「だから彼女、本当に胸のサイズの事で彼にフラれたんじゃないの?」
 そんな事をチヅルに聞こえない様な小声でやり取りするキョウヤとミサト。
 自分が漸く何を言ったのか理解したキョウヤは顔から血の気が引いていく。正直不味い……だから必死でフォローする事を考える。キョウヤが何を考えているのかだいたい想像つくミサトだが今更手遅れではとため息一つ。
「先生、大丈夫だって先生キレーだからちょっとくらい胸が小さくったっていい男がすぐ見つかるよ。何だったらオレが立候補してもいいくらい」
 じっ〜、と這いずり回る様なチヅルの視線を受け、更に言葉をつづるキョウヤ。
「それにデカくたっていいってもんじゃ……胸がデカくてスタイル抜群。その上美人……なのに性格がズボラって言うだけで28にもなって今だ嫁の貰い手どころか男日照りの女の人だっているんだから……78のAだからって先生可愛い性格してるから大丈夫だって」
と言い終えて一安心のキョウヤ。
 ポツリとミサトが、
「その……『男日照りの女の人』って?」
「ん、ミサトさん」
とキョウヤ。
 さらにチヅルが、
「私は78のAじゃなくてBよ」
「しまった。ギリギリBだったのか……触った事ないから見た目で判断したんだが思ったより少し大きかったか……でもどう見てもAだよな」
ともう一度キョウヤ。
 そして次の瞬間……
『死ねぇぇぇぇっ!!!』
 ミサトとチヅルが同時にキレて……再び鬼ごっこが始まる。今度は鬼は二人……しかも速い。普段なら圧倒的な速さを持ってキョウヤがぶっちぎる筈なのだが怒りパワーがキョウヤを殺せと言っているらしい。
 そしてキョウヤはとりあえず手近な病室に隠れ込む事に……
 音もなくドアを開け、その中の暗い病室に入り込む。そして気配を殺し、ドアに耳を当てミサトとチヅルが追ってこない事を確認すると安堵のため息を吐き、
「ふぅ、あぶねぇあぶねぇ。マジであの二人キレてたよな。とっ捕まったら本当に殺されてたかもしれん」
 誰にも聞き取れないくらい小声で呟き、安心したのも束の間、
「誰?」
 そう呼びかけられる。
 正直焦る。
 キョウヤは気配を殺していたのだ。その技術に関して言えばかなりの自信があり、よほど経験を積んだ者ではなくては解からないはずだと。それなのに……
「誰?」
 もう一度同じ声がする。声からするとそれば同世代の女の子の物……つまり女の子に感づかれてしまったのだ。この暗い部屋の中……ちょっぴりショックだが、とりあえず、
「にゃんにゃん」
と猫の真似をしてみる。これもかなりの自信作だったのだが……
「猫さんはそんな風には鳴かないもん」
 一発でバレてしまう。おかしい、と思いながらも仕方ないので頭の上の仔猫に鳴いてもらうと、
「あれ?本当に猫さん?」
 女の子は戸惑う。
 そんな素直に騙されてしまう女の子がキョウヤには可愛らしく、軽く笑った後、
「ごめん。ちょっと追われてたものだから」
「誰に?」
 聞き返してくる女の子に、
「チヅル先生」
「チヅル先生、怒ると恐いもんね。でも駄目だよ注射嫌だからって逃げちゃ」
 そう言う訳ではないのだが女の子がそう納得するならそれでいいだろう、とキョウヤは笑って誤魔化す。
 ともかくキョウヤは女の子の事が不思議と気になった。それが何であるか今一つはっきりと言えないのだが。
「別に注射なんか恐かねーよ」
 そんな事を言いながらキョウヤは女の子の方に近づいて行き、女の子も、
「ふ〜ん……ところで名前なんて言うの?泥棒さん?」
 確かにいきなり忍び込んでくる奴がいれば気にはなるだろう……と言うか警戒するのが当然。どう答えたものか、と考えてみるが別に嘘を吐く理由も何もないので、
「ん。オレ?オレはルパ……いや大和キョウヤ。近くの中学の一年」
「中学一年生?ふ〜ん。私と一緒なんだ。私はね山吹サクラって言うの。よろしくね」
 同じ中学一年生と言う事で気が緩んだのかサクラは何となく友好的。
 まだ明るいがカーテンをしている所為か部屋の中は薄暗く、
「なぁ山吹、カーテン開けてもいいか?」
「山吹って……いきなり呼び捨て?大和君って結構馴れ馴れしいのね」
「そっか?オレは今、山吹と友達になったつもりなんだが……まぁ、オレの事も好きに呼んでいいよ」
 そう言いながらキョウヤはカーテンを開け、近くの椅子に座ると初めて気付く。ベッドの上で上半身を起こしているサクラの視線がキョウヤの方を向いていない事に。どちらかと言うと耳を傾け、キョウヤの声を拾っていると言った感じだろうか。
「いきなりでなんだけどさ、山吹ってもしかして……」
 キョウヤが何を言いたいのか解かったのだろう。サクラは苦笑しながら、
「うん。解かっちゃうよね。私、目が見えないんだ」
「ふ〜ん」
「ふ〜んってそれだけ?大和君」
「それだけ。何で?」
 キョウヤはさほど興味なさげに返事をした。
 むしろサクラの方が意外と言うような顔をしながら何も写さない瞳でキョウヤを見つめ、言おうか言うまいか少し悩んでから、
「……だって、今まで初めて会った人はみんな、私の事ね、『可哀想ね』とか『大変ね』とか必ず言ったから……大和君はそうは思わないの?」
 今度はキョウヤの方がどう答えていいか解からなく、とりあえず思った事をそのまま言葉にする事に……たぶんその方が繕った言葉よりサクラにうまく伝わる様な気がしたから。
「何て言うか、その上手くは言えないけどさ……山吹はまわりに山吹の事、そう言う『可哀想な娘』にされたい訳?それだったらオレは幾らでもそう言う事言ってやるけど?」
 いったんサクラの反応を見るキョウヤ。
 サクラは首を振ってそれを拒否……もしくは否定した。
「それなら別にいいじゃん。正直言えば目が見えないって多少は大変かなって思うけど別に山吹はそれ以外は普通に生活してるんだろ?」
「うん」
「だったら別にオレが何か言う事は無いんだよ。やっぱり……」
 キョウヤはそう言って頭の上の仔猫をサクラの上に置いてやる。仔猫もそこが気に入ったのか気持ち良さそうに丸くなり、サクラはゆっくりと仔猫を撫で始め、
「ちっちゃくてフワフワ……可愛いのかな?」
 どんな仔猫だろう……そんな事を想像しているサクラに仔猫も自分の頭をサクラの指に摺り寄せてくる。それが楽しいのかサクラは嬉しそうに笑う。
「抱いてみたら?」
「ううん。いいよ。止めとく。落としたら可哀想だもん。でもどうして猫さんと一緒なの?」
 キョウヤはそれまでのあらましを簡単にサクラに話し、サクラもそっと仔猫をもう一度撫でると、
「猫さんのお母さん死んじゃったんだ……大和君は優しいね」
 不意にそんな事を言われるとキョウヤの方が戸惑い、
「な、何でさ?」
「ん。何となく……かな」
 それからキョウヤとサクラの二人は最近の流行や出来事などの他愛も無い会話をしながら時間を潰し、どのくらい時間が経ったのだろうか。日の光が赤くなりだした頃、それは……いや、そいつ等は現れた。
「……でさ、その樺山って奴の王子様姿が格好良かったらしくて女子からスゲーモテる様になっちゃってさ」
「うんうん。それで?」
「それで……」
 キョウヤが話を続けようとした時、
『みぃ〜つけたぁ〜』
 地獄からの使者が現れた。
「げっ!ミサトさん、チヅル先生……」
「どうしたの?大和君」
 サクラは病室の入り口の方とキョウヤの方を見えてはいないのだが向いたり向かなかったりオロオロして、何事が起きたのか困惑。
「入り口は塞いだわよ」
 チヅルが、ふふっ、と不適かつ妖艶な笑みを浮かべ、ミサトがジリジリとキョウヤに迫る。
「くくっ、どうする?もう後は無いわよ」
 サクラのベッド越しいるミサトに向かってキョウヤは、
「オレはこうする。それじゃな山吹、そいつ預かっておいてくれ。また明日遊びに来るわ……」
 そう言い残し、キョウヤは仔猫をサクラに託し、窓の外へ。
「こ、ここ五階よ。何考えてんのよっ!」
 そうミサトは窓から上半身を乗り出し下を見る。そしてそのミサトの視線の先には元気良く走っているキョウヤの後姿が映った。
 ……その翌日
 ……コンコン……
 と窓を叩く音するのに気付いた。
 そしてそれと同時に、
「オレだ。山吹、ここ開けて」
 キョウヤの声だった。
 慌てて、と言っても慎重にサクラは窓まで歩くと両手で確認した鍵を開き、窓をゆっくり開ける。正直言葉が無かった。ここは五階なのだ。普通窓から入ってくる様な所じゃない。
「何してるの?大和君」
「何って……また遊びに来るって言っただろ?昨日……遅くなったの怒ってる?」
 既に辺りは暗くなり星が空に見え始めている。
「ううん。そうじゃなくてここ五階よ」
「仕方ないじゃん。チヅル先生に出くわさない様にここに来るには」
「でも危ないよ」
と呆れ顔のサクラにキョウヤはさらりと、
「昨日もここから帰ったから大丈夫さ」
 しかし大丈夫じゃない人間も今回ここにいたりしたりして……
「大和お前がここから飛び降りても平気な事は解かったが私は平気ではない」
 タケオが納得のいかないと言った顔をし、どうして普通に部屋に入れないんだ?と思考中。
「誰なの?大和君」
「ツレの朝霧」
 サクラはそうキョウヤから聞くと、
「あ、女装の好きな……こんばんは」
「今晩は……じゃなくて、大和さっさと部屋に入れ」
 何か違う……そんな事を思っているタケオに急かされしょうがなく部屋に入るとキョウヤはサクラの手を取り、ベッドまでエスコート。サクラにそんな細かい所まで気遣えるならその十分の一でも良いから自分にも向けて欲しいと願うタケオ。
 そしてキョウヤとタケオが病室に入り、一息ついた所でサクラがソワソワし始め、そんなサクラに気付いているのかいないのかキョウヤとタケオは何かゴソゴソし、何かを準備している様。
「あ、あの大和君達、お茶でも飲む?」
 たまらなくサクラが口を開くが、
「オレ、コーラがある。山吹の分もあるぞコーラ」
「私も持参した」
「えっ、あ、そう……自分のあ、あるんだ……コーラ、私飲めないから、ごめんね。と、ところで何やってるの?」
 目の見えないサクラにはキョウヤとタケオがサクラをそっちのけで何かをしているのが気にならないはずが無い。
「ん。ちょっと待って……よし」
 キョウヤがそう言って何かをサクラの耳に着け、そこから何処か懐かしい感じのする外国の歌が流れてきた。
「えっ?これ……」
 サクラが戸惑っているとタケオがサクラの手にしている機械について説明し始め、サクラは何となくタケオの言っている事に頷いている様だった。
「にしても上手く動いたな。MD十年以上前の物だからな」
「まぁな。でもこれが一番動かし方楽だろ。ディスク変えるのも楽だし。裏表何となく解かるし、傷もつきにくい。MDの充電器無かったからSDATの充電器無理矢理改造したし」
 そんな事を話しているキョウヤとタケオにサクラは、
「これ私の為に……」
「大和がどうしても……えっと山吹さんに聞かせたいものがあるって言ってな」
「ん。まぁ、そんなところ」
 そう言ってキョウヤはサクラに一枚のMDを渡し、残りをベッドの横の棚の上に置くと、
「声だけで悪いんだがそれ山吹の聞きたがっていた文化祭の劇」
 サクラは俯き、何か言いたげに肩を震わし、掛け布団が僅かに濡れ始め、
「あ、ありがとう……」
 何と言うかキョウヤとタケオはもっと素直にサクラが喜んでくれると思っていたから、こんな風に泣かれると……
「お、おぅ……気にすんな」
「わ、私は大和の手伝いをしただけだから」
 結局……
「……じゃ、そう言う訳でまた明日来るよ」
 そう言ってキョウヤとタケオはそのまま帰って行った。
 ……そして……
 
 

 この二週間色々あったな、とサクラはキョウヤが起きた事に気付くとヘッドフォンを外し、
「おはよキョウヤ君」
 笑顔を投げかけ、そう言えば何時の間にか『大和君』から『キョウヤ君』に呼び方が代わっていたな、と思いながらサクラはキョウヤに声を掛けた。
「……ん……おはよ」
「チヅル先生も看護婦さん呆れてたよ。ここはホテルじゃないって」
 無言のキョウヤは暫らくそのままでゴロゴロとまどろみながら、棚の上の目覚し時計を見ながらゆっくりと思考を始め、
「……もう七時か……悪かったな山吹」
「別にいいよ。気にしないで。私ずっとコレ聞いてから」
 そう言ってサクラはポータブルのMDプレイヤーをキョウヤに見せ笑う。
 ゆっくりベッドから寝ぼけ落ちる様にキョウヤは出ると靴を履き、欠伸を一つ。
「オレそろそろ晩飯食いに帰るわ」
「うん」
 トントン、とキョウヤがしっかり踵を靴に収めるのが聞こえ、
「じゃ、また明日な。明日は少し遅くなるかもしれないけど。必ず来るから」
「うん。じゃあね」
 キョウヤが去った後のベッドにサクラは触れてみる。まだ暖かい……けれどその温もりがだんだんと失われていく度にサクラは寂しさを感じた。
 それはキョウヤ達と過ごした時間が楽しければ楽しい程、深く切ない寂しさ。だかこの寂しさすらいずれ感じられなくなる事をサクラは知っていた。
 
 

 第三章 少女と化け物





 それは唐突だった。
 何となく馴染みある格好をした連中が校庭にチラホラ見え始め、気付くと何時の間にか大人数が校庭を埋め尽くしていた。百人はいるだろうか?手には釘バットなど思い思いの獲物を持った奴も何人かいた。
 放課後の校庭にバイクのエンジンの爆音が響き渡る。幾人かの生徒達は校門から帰ることも出来ずオロオロし、特にこれと言って教師達も出てこない。
「……なぁ」
 タケオがキョウヤに声を掛ける。
「何も言うな朝霧」
 そう言ってつまらなそうに教室から出ていく。
「何や、やっぱりキョウヤの客だったんか」
「この間のアレが不味かったんだろ。たまにはヤラれてやれば良いのに」
 万年黒ジャージ姿のトウジとそばかすメガネのケンスケが呆れ顔で呟く。常識で考えればあの人数を相手にするのは不可能だと言うのにキョウヤが別に手伝いを求めない所を見るとまた一人で何とかするつもりらしい。それが二人を呆れさせ……いや二人だけではなくクラスメイト全員……しかもキョウヤなら何とかなるだろうって気もしている。
 そんな1?Aの視線がほぼ全員校庭に向けられた頃キョウヤはのんびりさを体現しながらやる気の無い足取りで校庭に現れた。
「何の用だ?」
 本気でつまらなそうに且つぶっきらぼうに言うキョウヤに、リーダーらしき男が、
「この間のカリを返しに来てやったぜっ!」
 まだ腕や頭に巻いていある包帯が痛々しい。見まわせば半分くらいは包帯や絆創膏を体の何処かにつけてる。
「飽きないねぇ」
 本当に困った様に呟くキョウヤ。基はと言えばキョウヤがこの辺りで名の知れているのをあっさりKOしてしまったのが原因。それからと言うもの時々キョウヤを倒して名を挙げ様と喧嘩自慢や腕っ節の強いのが現れては倒されていく。そしてそれが噂を呼び……もうどうにでもしてと言う状態である。
 そして招いた結果が『この状態』……
「いいかげんオレは飽きたんだ。仕返しする気も起こらないくらいこっぴどくヤルしかないのか?ん?」
「そんな余裕を言っていられるのも今のうちだっ!こっちには人質がいるんだぞ」
「人質?」
 妙に可愛らしい仕草で首を傾げてみるキョウヤ。とりあえず後ろを振り返り自分のクラスメイトを確認する。
「ひぃ、ふぅ、みぃ………………たぶんみんないるぞ」
「別にお前の学校の奴だとは誰も言ってない」
 そう言ってリーダーの男の側に現れたのは、
「……山吹……」
 サクラは今一つ話が解かってないのか何処か落ち着かない。けたたましい爆音がよりいっそうそれを煽り、不安そう。
「山吹なんでお前がそこにいるんだ?」
 キョウヤに声を掛けられ多少安心したのかサクラは、
「だ、だってキョウヤ君が三輪車から大型トラックに轢かれて、さらにヨシ坊にまで踏まれて大怪我したって……なんか凄そうだったから……」
 嘘だって気付けよ、と内心突っ込むキョウヤだが開くまで自分の事を心配してくれていたのだサクラは。だからその事については今は何も言わない。代わりに、
「じゃあ正直に答えろ山吹。お前こいつ等に何かされなかった?山吹の返答しだいではこいつ等はここで全員死ぬ事になる」
 真面目な顔で言うキョウヤ。そんなキョウヤの顔は見えないが雰囲気で察したのだろうかサクラは、
「……うんとね……美味しいお菓子貰ったよ。でもキョウヤ君が大怪我したって嘘ついたし……」
「なるほどね。良く解かった。オマエら山吹置いて帰っていいぞ。オレは人間が出来てるんだ今日はそれで許してやる」
 犬を追っ払う様に手を振るキョウヤ。
「お前バカか?酷い事はこれからするんだよ」
 リーダーはナイフを取り出しサクラの頬にあてがい、
「お前少しでも動いたらこのこの顔に一生消えない傷がつくぜ」
 そう言った。
 
 

 その頃教室……
「バカねアイツ。大和の奴怒らせるなんて」
 アスカが頬杖をついて呟くのをアキが、
「まったくね。アレってこっちに来たばかりの頃の大和そのものだものね」
と相づちを打つ。
 マリエも何か言いたそうと言うか怒ってるらしい。プリプリと頬を膨らめ、教室を出ていった。
「大和はともかく山吹さんは心配だな」
 タケオも教室から出ていくとそれを見ていたアキが、
「ムサシ君、鈴原君行くよ」
 声を掛け、ため息一つ。
「何でや?」
 今一つ解かっていないトウジに、ムサシが、
「大和を止める奴がいるかもしれないだろ?」
「……そうやな」
 納得したトウジとムサシも席を立ち、教室を出ていった。
 
 

「お前少しでも動いたらこのこの顔に一生消えない傷がつくぜ」
 目の前の馬鹿が何かをほざいたのが聞こえた。
 一瞬心が冷める。限りなく冷たく……辺りに響く爆音がまったく聞こえなくなる。
 目を瞑る。ほんの刹那の間……
 目を開ける。その瞬間……辺りの温度か下がった。
 いや、正確に言えばキョウヤの周りにいる人間が皆そう感じた。だがそれが何なのか解かる人間は居なかった。
「……人質なんて冗談で済ませておけば良かったんだ。今すぐ山吹を無傷で返せ。そうしたら命だけは助けてやる。三秒待つ。三……」
 心の底から本気であるキョウヤは。
 だが普通はそんな事は真面目に受け取らないらしい。
「ふざけんなっ!クソガキっ」
 確かに高校生から見た中学一年生などクソガキそのものかもしれないが……ともかくそんな事を叫んでキョウヤを囲んでいた一人が釘バットを振り下ろす……筈だった。
 キョウヤの左腕が動いた……のだと思う。何故ならあまりの速さに肘から先が誰の目にも止まらなかったから……
「ふごくな……あで……なんでおでうまぐ……」
 上手く言葉が出ない。釘バットを上段に構えたままソイツは視線を自分の足元を見る。一滴、二滴……だんだんグランドを赤く染めていく血……そしてそれがだんだんと自分の喉元を流れ来ていた服すらも赤く染めていく。
 そう右の頬肉が削げ、顎が砕かれていた。
 そしてその場でのたうつ。
「う、動くなって言っただろうがっ!?コイツがどうなってもいいのかっ!?」
 あまりに凄惨な姿にリーダーの言葉も詰まり気味。だがキョウヤはそんな言葉を無視して、
「……二……」
 そう言って何かをリーダーの足元に投げつける。それは今キョウヤの傍らでのた打ち回っている男の頬の肉……
「……一……お前等全員死刑決定……」
 サラリと言い放ちキョウヤは一歩踏み出す。その瞬間、固まっていた周りは動き出す。一斉にキョウヤに向かって襲いかかる……がその前に風が流れた。
 いきなり数人の人間がキョウヤに届く前にぶっ飛ぶ。何と言うか最高のタイミングで横合いから殴りつけたような感じで。
 そこには一人の少女が立っていた。
 マリエだ。
 頬を膨らめプンプン怒っている。かなり機嫌が悪そうだ。
「女の子を人質に取るなんて最低なんだからね。わたし怒ってるんだらかね」
 渾身の蹴りがまた一人木刀ごとくの字にへし折り、辺りを巻き込み暴れ始める。そんなマリエにキョウヤは一瞥くれるとどうでもいいのか黙ったまま更に歩を進め、それを止めようと更にキョウヤに群れが集って来るが、
「死ね」
 キョウヤのただ一言の呟きと同時にそれは起きていた。
 常人の目には何が起こったのか見えなかった。ある者は嘔吐し、またある者は腕や足があらぬ方向に曲がって……いや折れていた。
「間に合った……訳じゃないみたいだな。まだ一応手加減してるみたいだが」
 そんなキョウヤの作った状況を確認する様に声がする。
「……朝霧」
「解かっている。止めるつもりは無いしその自信もない。そんな事より早く山吹さん助けてやれ」
「あぁ」
 更に進むキョウヤに襲いかかる奴等をタケオが手近に落ちていた木刀を拾い、打ち込む。
「私も今不機嫌なんだ。遠慮はしない」
 そう言って道を作るタケオ。キョウヤは何も言わずその道を歩き続ける。
 そして更に、
「大和は何時もの事だけど……マリエも朝霧君も後先考えずにつ突っ込むんだから」
「まったく。後で先生に叱られる俺達の苦労も考えてくれ」
「ほんまや。三人で何とかなると……いやなるけど。わい、あの時みたいにキョウヤ止めんのだけはイヤやで」
 そう言って三銃士……もといアキ、ムサシ、トウジの三人が現れ、キョウヤに群がる連中を蹴散らしていく。この数十秒で百人以上いた有象無象が約半分になっていた。
 真っ直ぐサクラ目指して歩いていくキョウヤにリーダーは、
「止まれっ!今度動いたら傷じゃ済まないぞっ!何なんだお前等?お前等はソイツと関係ないだろうがっ!?」
 ソイツ……つまりキョウヤの事。そしてキョウヤを除く五人がとても正気とは思えなく、サクラの首筋にナイフをあてがう手を震わして叫ぶ。実際傷つける度胸も無いらしい……がこれ以上追い詰めれば何を仕出すかと言った所か。
「アホか……これ以上キョウヤを煽ってどうするつもりなんや」
 手近なのを一人叩き伏せトウジは絶望的に呟く。
「いったい何の為にあたし達が苦労してると思ってんのよっ!」
 リーダーに向かってアキが怒鳴り返す。
「解かるかっ!?」
 それはそうだ自分の仲間を叩き潰している連中がまるで自分達の為にそうしているような言い方なのだから。
「なのねぇ、今の大和はね、手加減してるけどそれは一応でしかなくて、別にあんた達が死んでも構わないのよ。ほんといい加減な手加減なんだから。だからあたし達が死なない程度に優しくしてあげてるのに何で更に大和を煽るのよっ!」
 いったいなんで怒っているのか今一つ謎なアキである。
「本当に刺すぞっ!」
「誰が何を刺すって?」
 リーダーのすぐ側から聞きなれた声がした。
「キョウヤ君」
 サクラが嬉しそうな声をあげ、リーダーの手に力が篭る。
「良く切れそうなナイフだな」
 キョウヤの方を向くリーダー。そのキョウヤの手にさっきまで持っていたはずのナイフが握られていて、そしてキョウヤの拳がリーダーの頬を捕らえた。
「何でお前がここにいるんだよっ!?」
 殴られた頬を抑えながら起き上がるリーダーの目に信じられない光景が飛び込んでくる。たぶんキョウヤが進んできたと思われる場所に今も悶え苦しむ仲間の姿。見ているほうが苦しくなってしまう位の悲惨さ……
「何をしやがったっ!?」
「別に……とにかく山吹は返してもらったからな。樺山、山吹を見ててくれ」
 そう言ってキョウヤはサクラをアキに託し、持っていたナイフをリーダーのすぐ側に放る。
「掛かってこいよ。どうせそのつもりだったんだろ?そのナイフは返してやるよ。ハンデだ。使いな」
 これだけの人数を相手にして無傷の……それどころか返り血さえ浴びない連中……そしてそれを2度もやる化け物が掛かってこいと言っている。だが相手も人間だ。ナイフで刺せば死ぬ……と言うかコイツを殺さなければ自分も辺りでもがき苦しむ仲間と同じ目……いやもっと酷い目に、そう本当に殺されるかもしれない……そう思うとリーダーの覚悟は決まった。
「ヤってやるっ!!!」
 そう言ってナイフを腰溜めに構え、闘牛の様に突進してくる。
 次の瞬間キョウヤの殺気が消えた……いや消えたのではない。還元したと言うのが正解なのかもしれない。今まで青白い冷たい炎の様な殺気がそう……
 まるで真冬の冷たい夜空の大気の様に……
 当たり前の様に周りに有って自然なもの……
 いったいどんな人生を歩んだらこんなにも人を殺す事にこんなにも自然になれるのだろう……
 そうあまりに自然な物だった為、それが殺気だと気付くのにアキ、タケオ、マリエ、トウジ、ムサシの五人は遅れた。だが、
「キョウヤ君っ!!」
 サクラの声が聞こえた。それがブレーキになったかどうかは解からない。とにかくキョウヤの拳がリーダーの心臓を斜め下から突き上げ……その形で二人の動きが止まったかと思うとリーダーの涙腺、鼻、口、耳から血を流し始めその場に崩れた。
「……次は殺す……」
 そう呟き、キョウヤはまだ無事な連中に視線を向ける。そうそれだけで十分だった。蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。そしてそれから数分後パトカー等がやってきてキョウヤ達は巻き込まれたと言う形に話が落ち着いたのだが、生徒指導室でサクラも含め合計七人延々とお説教を食らう。
 ちなみに警察に連絡したのはミヅキと言う事だったらしい。
 
 

 そしてようやくお説教が終わり、解放された時タケオが聞いてくる。
「大和……最後のあれ……」
 もしサクラが止めなかったら本当に殺すつもりだったのか?そう言う意味で聞いたつもりだったのだが、
「あぁ、あれか……あれが本当の『3cmの爆弾』の本当の使い方さ。心臓をこう斜め下から突き上げる様に打ってだな、血液を逆流させるっ訳だ。それが……」
 軽く拳を突き出しながら説明するキョウヤはタケオの言葉の意味を理解していなかったらしい。だが既に『あのキョウヤ』ではなく友人であるキョウヤだと解かったからそれで良しとした。
「あぁ、わかったから山吹さん送って行ってやれ」
「解かってるさ」
 そうして学校からの帰り道……キョウヤとサクラは手を繋いで一緒に歩いている。端から見れば微笑ましい光景だが二人の間に会話は無かった。
 学校から病院までの半分くらいまでの距離を歩いた頃、
「ごめんな山吹。恐い目にあわせて……」
 不意に……と言う訳ではなく言い出すタイミングを測っていたようだ。
「……うん。ねぇ一つ聞いていい?」
「何?」
 たぶんそれは一つしかない。だがそれを答える為にはキョウヤも一つだけ確認する事がある。
「何であの恐い人が動くなって言った時、動いたの?私が怪我しても良かった?」
「そんな事は絶対無いっ!山吹を傷つけられて良い訳ないだろっ!……オレも一つ聞いていい?」
「……いいよ」
 サクラがそう返事をするまでに少しの間があり、そしてキョウヤはそれを聞いてから問う。
「山吹さ何であの時なんにもしなかった……いやなんて言うか恐がったりとかしないで落ち着いてられたんだ?」
「簡単だよ。キョウヤ君の事信じてたから。助けてくれるって」
 サクラがキョウヤと繋いだ手に力を込めてくる。
 だからキョウヤもしっかり握り返し、
「そんな気がしてた……だからオレは動けた。山吹を助けるんだって……」
「じゃあ、私が動かないでって言ってたら?」
「動かない。何があっても……」
「うん。信じているよ」
 しっかりと繋がれた手はお互いを信じているからこそなのかも知れない。
 また二人は黙ってゆっくりと歩く。
 学校から病院までは結構距離があり、普段余り外を歩かないサクラは疲れている様だった。
 だから途中にある小さな公園で休憩。
 公園には誰もいない。あるのは一人乗りのブランコと砂場と滑り台とベンチが一つ。
「私、ブランコ乗りたい」
 そう言うサクラをブランコに乗せ背中を押してやるキョウヤ。
「落ちるなよ」
「平気。大丈夫だよ」
 キィ、と音を立て動くブランコを何度か押しているとサクラは自分で漕ぐのを覚え、楽しそうにゆっくりブランコに揺られている。
「あはは、ブランコなんて幼稚園の頃乗っただけだから……久しぶりに乗ると楽しいね」
 キョウヤはブランコを囲っている策をベンチ代わりにしサクラを見て、飽きるのを待っていた。
 そしてだんだんとブランコの揺れが小さくなり止まった時、
「私もう少ししたら死んじゃうんだ」
 それはあまりに唐突なサクラの言葉だった。
 
 

第四章 告白





 それはどう言い表して言いか解からなかった。
 目の前にいる少女はまるで夢か幻か……とにかく急にあやふやな物になってしまった……そんな感じである。
「ねぇ、聞いてる?キョウヤ君」
「変な冗談止せよ山吹。ごめんオレが悪かった」
「何謝ってるの?変なキョウヤ君。別にキョウヤ君が悪いわけじゃないよ。私がもともと身体が弱かっただけなんだから……今だって元気に見えるのは薬の所為なんだから……ごめんね黙ってて」
 再びサクラがブランコを漕ぎ始め、ゆっくりと今までの事を語り出す。
「……私ね小さい時から体弱くてよく入院とかしてたから学校行くのも一年の内半分より少し多いくらいだったの。それがね三年くらい前……小学校の5年生の時にね急に容態が悪化しちゃって……目もその時……ずっと入院する事になっちゃった。その時一回手術して成功したんだけどそれでもまだ元気になれなくてまた何時か手術する事になるだろうってお医者さんは言ってた……」
 キョウヤはただ黙って聞いているしか出来ない。
「でね今度手術するんだけどね。成功率凄く低いんだって……何で私がこんな事知ってるかって言うとね。お父さんとお母さんに私の事で隠し事は無しにしようねって約束してるんだ。だから……お父さんとお母さんかなり迷ったみたいだけどちゃんと話してくれた。始めはね、死ぬ事なんて当たり前の様に思ってた……けどね今は恐いの……」
 淡々と自分の事を語っていたサクラがはっきり『恐い』と告げる。
 キョウヤにもその恐怖は理解出来た。キョウヤも死に直面した時、はっきりとした恐怖を感じ、それを乗り越える事で……いや恐怖を受け入れる事で今ここにいるのだから……だがそれが出来たのはそれまでに色々なモノと触れ合ってきたから。
 しかし目の前の少女はそれをどう扱えばいいか解からずにいる。
「……誰だって死ぬのは恐いよ山吹……」
 一度感じた恐怖を誤魔化す事は出来る。
 だけど無くす事は出来ない。
「うん。でもね恐いって思う様になったのキョウヤ君の所為よ」
「……オレの?」
「そう。だってキョウヤ君は私に色々くれた。美味しい物。いい匂いの物。楽しい物……ほんと色々。そして何より『友達』をくれたの。今更違うって言わせないからね……」
 無理矢理笑顔を作っているサクラ。今にも泣き出してしまいそうなくらい儚い笑顔。
「言わない。山吹はオレの友達だよ」
 見えていないのは解かっている。だが感じてはくれるだろうとキョウヤも笑顔を返す。
「ありがとう。そう言ってくれるって信じてたよ。だから……そんな優しくするから恐くなっちゃたんだからね。お父さんとお母さんはもうずっと前から何時かこんな日が来るんじゃないかって半分諦めてた。だから私も死んじゃうんだって諦めてた。でもキョウヤ君が来て、みんなが来て毎日楽しくて、そんな楽しい毎日が無くなっちゃうと思うと……」
 キョウヤが見えているわけでもないのにサクラはキョウヤの方を真っ直ぐ向いて涙を流しながら、
「……恐いの」
「大丈夫さ。絶対成功するよ」
 何の確信も無いキョウヤの言葉。しかしこれ以外言える言葉は見つからない。だから間違っていない、とキョウヤは思う。
「ううん……駄目なの。だって日本で一番医学の進んだこの街だって成功する確率5パーセントなんだって」
「そんな事無いっ!成功するかしないかの二つしか選択が無いのなら確立は50パーセントだ。だからそんな風に諦めるなっ!」
 無茶苦茶な理屈。
 何時の間にかキョウヤは俯くサクラの目の前に膝立ちし、その細い両肩をしっかり掴んでいた。
「……だって……無理だよ。私の事は私が一番解かるもん」
「違うっ!そんな事は無い。諦めたらそこから前に進めなくなっちまうんだ。だから諦めるな。可能性があるならどんな手を使ってでも成功する確率を上げろよっ!」
 サクラの肩を掴む手に力が篭るキョウヤ。
 どう言葉を紡いでもキョウヤの思いはサクラに通じないのかもしれない。そうキョウヤはキョウヤ。サクラはサクラ……別の人間なのだから。でもキョウヤは諦めない。
「……っ……何でキョウヤ君はそんな事言うの?私だって頑張りたいわよ。でもどうしていいか……解からないの……」
 イヤイヤをする子供の様なサクラ。しかしキョウヤがしっかり肩を掴んでいる為、キョウヤの言葉から逃げれない。
「オレだってどうしたらいいかなんて全ては解からない。でも解かる事、出来る事それぞれ一つずつある……」
「……何?」
「解かる事……それは山吹が『自分は助かる』と諦めない事。山吹が諦めてちゃ駄目なんだ。みんな諦めてしまう。だから信じるんだ。成功するって」
 黙ったままサクラはキョウヤの言葉に耳を傾ける。
「もう一つは世界最高の医者を用意する」
 そう言ってキョウヤは自分の携帯電話を取りだし、アメリカの実家へと。
 どうやら向こうは真夜中もいい所だったらしい。サクラの耳にも怒鳴り声が聞こえてきた。暫らくの間携帯電話の向こうの相手は怒鳴りっぱなしだったがキョウヤがそれをまったく聞いていないと解かったのだろう。いいかげん諦めた様子。
 そしてキョウヤが用件を伝え始め、暫らくするとキョウヤは携帯電話を切り、
「OKだって。ただ山吹……アメリカに行かなくっちゃならなくなったけどな」
 苦笑交じりのキョウヤだと何となくサクラにも解かるがなぜアメリカなのだろう。
「えっ?アメリカ……世界最高のお医者さんって誰なの?」
「ん?姉貴だけど。それが?」
「キョウヤ君のお姉ちゃん?」
 キョウヤの姉が医者だと言うだけならまだしもそれが電話一つでどうこうなってしまうものなのだろうか?
「キョウヤ君のお姉ちゃん何歳?」
「十六だったと思う」
「私の事馬鹿にしてる?」
「まさか」
 しかし十六歳で医者など成れる筈がないと言うのがサクラの常識であり、キョウヤも普通はそう思うが、
「うちの姉貴は俗に言う『天才』って奴だよ。ほんとシャアの声でナレーション入っちゃう某教育チャンネルの海外ドラマの主人公並の学歴の持ち主だからな。本当に医者になっちまった時はオレだってビックリしたさ。しかも腕も超一流らしい。そっちは顔に傷の有る闇医者に匹敵するくらいらしいぞ」
「何かよく解からないけどすごいね」
 キョウヤの説明だけじゃ今一つよく解からないサクラは適当に答えておく。まぁ、キョウヤ自身もよく解かってない様だが……とにかく凄いらしい事はサクラにも伝わった様だから良しとしよう。
「……なんで……」
 不意にサクラの声が小さくなった様な気がした。
「何か言ったか?山吹」
「……何で私なんかにここまでしてくれるの?」
「何でって言われてもな……友達だから……じゃ駄目?」
 キョウヤの答えにサクラは黙ってしまう。
 ただ待つキョウヤはサクラが何を言いたいのか、そして何を望んでいるのか、そしてそれが自分に出来る事なら応えてやりたい。そう思っている。
 けれどサクラの口から出たのはキョウヤの想像を遥かに超えていた。
「私、頑張るから諦めないから……」
「うん」
「だから……」
 一瞬の空白。サクラが真っ直ぐキョウヤの方を向き、はっきり言う。
「……私に勇気をください」
 サクラの言葉の意味は解かった。でもどうやったらサクラに勇気を上げられるのだろう?キョウヤは悩む。
「……どうすればいいの?」
 少しの間を開け、サクラが静かに言った。
「私のカレになって……少しの間でいいの……」
「……えっと、それはオレが山吹の恋人になればいいって事?……」
 何となく確かめてしまうキョウヤ。
「うん……ほんの少しの間でいいの。キョウヤ君だって好きな娘いるでしょ?だって私とは友達だもんね。でもね今だけでいいから……私、キョウヤ君の事が好きだよ……」
 そう言ってキョウヤに微笑むサクラ。その何も映さない瞳は今だけキョウヤの姿を見つめている様だった。
「別に山吹が言う意味での好きな娘なんて今いないよオレ……何をすればいいのかなオレ?」
 キョウヤがそう答えるとサクラは顔を赤くして、そっとキョウヤの耳元で囁く。囁かれたキョウヤもそのサクラのお願いには少し焦り……
「そ、それはちょっと早いんじゃないの?オレ達まだ中一だぜ……」
 オレ達とは言っているがキョウヤの本音はサクラだけなのだが……
「う、うん……早いのは解かってるよ。でも時間は今しかないから……女の子としてやれる事全部やっておきたいの。キョウヤ君ならいいの」
「なんでそんなに焦るのさ?大丈夫だって。元気になった後でもっと大人に成ってからでもいいじゃん」
 珍しく正論を言うキョウヤにサクラは一度頷いてから、
「そうだね。本当はキョウヤ君が言うとおりなんだろうね。でもね恐いの。どんなに凄いお医者さんがいても、どんなに自分を信じても、もしかして……って思っちゃうよ……だから『もしかして』が起きる前に……ね。して」
 キョウヤはサクラに答えるでも無しに、ブランコに座っているサクラの足に背を預け、頭をサクラの太股に。そしてサクラを見上げる。そんなキョウヤの顔を確かめる様にサクラの手がキョウヤの頬を撫でる様に触れている。
「……ごめん山吹……」
 キョウヤの一言。それは拒否。
 だがサクラは何となくキョウヤがそう答えるような気がしていた。
「……理由……話してくれるよね……」
「……あぁ……」
 キョウヤは手近な石を幾つか掴むと近くの茂みに向けて投げ始めながらサクラにポツリポツリ話し始める。それは上手い話し方とは言えない。でもそれが反ってキョウヤの気持ちがサクラに伝わってしまう。
「どう言やいいのかな?……別にそう言う事に興味がない訳じゃないんだ」
「うん。知ってるよ。前に言ってたもん。だから……ね」
「そうだったけ?それはともかく山吹は知ってて言ったんだと思ったよオレも。だけどさオレが言いたいのはそんな事じゃなくて……なんて言うか……こう、まだ何もしてないのにもしもの事とか言って『逃げ』られてもオレは受け止めきれないって言うか、そんなの受け止めたくないんだ……」
 キョウヤの言葉はサクラの想いを否定しているかの様に聞こえる。
「……私、逃げてなんかいないよ。キョウヤ君だから……キョウヤ君は私の事が嫌いなんだ?」
 寂しげな声で呟くサクラにキョウヤは、
「違う」
 即、そう答える。だが納得のいかないのはサクラである。
「じゃあ、何で?嫌なんて言うの?」
「……だって、まるで『最後のお願い』みたいじゃないか……もし今それを叶えちまったら山吹は全てを受け止め……いや諦めてもよくなっちまうと思う。だから駄目なんだ。もっと足掻かないと……そんなの嫌だ。オレはそんな山吹がいなくなる様な……」
 上手く言葉が出てこないキョウヤ。
 そっとサクラの手がキョウヤの頬を撫でて、
「……ゆっくりでいいよ。続けて……」
 ゆっくりと呼吸を落ち着けてキョウヤは続ける。
「あぁ。……だからオレは山吹がいなくなっちまう……そんな事を思っちまう様な事……『最後のお願い』だとかそんなの全て否定したいんだ。オレは山吹にもっと知ってもらいたい事たくさんある。もっと色々バカやって一緒に笑いたい……だから何か生きる目的があるなら、何だっていい……それを目指せばいい……」
 どれくらいサクラにキョウヤの思いが伝わったのかは解からない。けれど、
「……うん。そうだね……当面はキョウヤ君のお嫁さんかな」
 冗談一つ、涙混じりのサクラの苦笑。確かにその思いはサクラに伝わっていた。
 ゆっくりと時間が流れて、キョウヤの頬をサクラの涙が濡らす。
 そしてその涙が乾いた頃……
「ねぇ、キョウヤ君。もう一つだけ教えて……」
 キョウヤは何も言わず黙ったまま。だがサクラはそれは肯定だと何となく解かった。サクラが何を教えて欲しいのかキョウヤはきっと解かっているから……
「もし……もしね。私がもう本当に助からなくてさっきのが本当に『最後のお願い』だったら、キョウヤ君は……」
 それから先はキョウヤが言わせなかった。
 まるで今この時の為だけにその言葉があったかの様にキョウヤは、
「叶えてやる。山吹が何処にいても必ず駆け付けて、オレに出来る事なら何でも絶対叶えてやる」
「ありがとう」
 それだけ……嘘偽りの無いキョウヤの真っ直ぐな気持ち。それだけ解かれば今は十分なサクラだった。
 不意にキョウヤが話し始める。
「この間さ、オレが落ち込んでたの覚えてる?」
「うん。たしかゲーム?」
「そう。ゲーム……何でオレ落ち込んでたかと言うとさ、そのゲームに出てきた女の子、最後に死んじまうんだ。すげーいい娘なんだぜ。ま、設定上オレらよか年上だけどね」
 サクラは黙ってキョウヤの言葉に耳を傾けている。キョウヤが何を言いたいのか、そしてそれがサクラに何かを示してくれるかもしれないから。キョウヤの言葉の中には時々そう言ったものがあった。
「でさその娘が今、山吹が言った様な『お願い』をするんだ。そしてその願いを受け入れちまう。正直納得いかなかったけどその手のゲームのお約束として仕方ないかな思ってた。きっと最後にはハッピーエンドで終わるんだなって。でも……違った。正直かなり堪えた。でも一番嫌だったのは一瞬その娘が山吹と重なって見えたオレ自信だった」
 ため息一つついて、キョウヤの頬に添えられているサクラの手に自分の手を重ね、その確かな温もりを感じる。
「何で私と重なったの?」
「簡単だよ。それは……ただ病院のベッドの上にパジャマ姿でいたからさ。ただそれだけの理由なのに一瞬でも山吹もなんて思ったオレが嫌だった」
「そんな風に言わない。それはキョウヤ君が私の事心配してくれたんだと思うよ。それに……」
 ゆっくりとキョウヤの額を撫でるサクラは笑みを浮かべる。それはキョウヤを安心させる為に。
「それに?」
 キョウヤがそう聞き返すのにサクラは一呼吸置いて答える。
「それに私だってそんなゲームやったらその娘と私の事重ねちゃうよ。だからかな……その娘の気持ちも何となく解かるよ。何でそんな事言ったのか……キョウヤ君は厳しいね」
「オレが?何で?」
 納得いかないと言った顔のキョウヤ。サクラはキョウヤの声から感じ取り、クスクス笑いながら指にキョウヤの髪を絡め、遊びながら、
「うん。厳しいよ……だってやっぱり女の子の方からそう言う事言うのってかなり勇気が要ると思う。それを簡単に嫌って言うんだもん。厳しいよ。でもそんな『お願い』を言うのってキョウヤ君の言う通り、もしもの時、自分を納得させる為なのかもしれないね。でも好きじゃなかったらそんな事言えないんだよ。そこは解かってね」
「……あぁ」
「本当に解かってる?ちょっと心配だな。でもねキョウヤ君は確かに厳しいよ。でもね……本当は優しいんだよ」
「よせよ。恥ずい……」
 触れているキョウヤの顔が少しあったかくなった様な気がするサクラ。
「だってそうでしょ?全部私の為だもん。キョウヤ君は優しいよ」
「違うよ。オレの為だよ」
「キョウヤ君の?」
「そうさ。山吹がいなくなったらオレ寂しいから……だから山吹を頑張らせようとしている……それだけさ」
 再び手元の小石を投げるキョウヤにサクラは苦笑しながら、
「もう意地っ張りなんだから。いいよ私……ううん、きっとみんな解かってるから」
 静かに静かに小さくもう一度微笑んだ。
 それはとても澄んだものにキョウヤには見えた。
「さて行くか?そろそろ」
 照れくささを隠しながらそう言うとキョウヤはサクラの手を取り、
「うん」
 サクラも素直に頷き、ゆっくり立ちあがる。
 そして暖かな夕日を浴びながらゆっくり公園を出た。
 
 

 ……数日後。
 場所は空港。
 たまたま休日と言う事もあってサクラを知る1?Aのメンバーが集まり見送りに来ていた。
 もちろんその中にはキョウヤもいたがキョウヤ自身サクラに何を言えばいいのかよく解からずに隅の方で珍しく静か。サクラが仲良くなった女子達と楽しげに話しているのを横目で見ながらアメリカンコーヒーを啜る。キョウヤ以外のみんなには『目』の手術を受けに行くと言ってある。それは間違いではない。が少し足りないだけ。こんな時は正直『絵』的にはタバコの方が似合う気もするのだがキョウヤ自身まだ中学生だし、何よりキョウヤはタバコが好きではない。だが今ぐらいはいいのかもしれない、と事実を知っているからこそ、そう思う。どうも、こう言う一時的なものでも暫らく会えなくなる事に少し感傷的になっているらしい。
「何をやってるんだ?大和」
 タケオがキョウヤの横に座り、同じ様に何か飲み物を啜る。
「別に……これと言って何も……」
「そんな事言ってていいのか?ほら山吹さん待ってるぞ」
 正直戸惑ってしまうキョウヤだがやる事が解かっていれば行動は早く、サクラの手を取りエスコート。そろそろ飛行機に乗り込む時間。そんな長い距離ではないがゆっくりと二人並んで歩く。
 そして……
「こっから先はオレは入れないから」
「もう着いちゃったんだ。残念」
 だがサクラの手はキョウヤの手を握ったまま。時間ギリギリまで……できる事ならこのままずっとこうしてても、とサクラは思うが向こうに行く前に聞いておかなければならない事がある。
「ねぇ、キョウヤ君……」
「ん?」
 きゅっ!とキョウヤの手を掴むサクラの力が強くなり、キョウヤの手を離す事無くサクラは向き合う様にキョウヤの正面に立つ。ゆっくりと、そしてしっかり一呼吸。
 何だろう?とキョウヤにはサクラが何を考えてるか今一つ解からない。しかし、何か悪い予感は有ったりもする……
「……もう一度言うね……」
 何処か消えてしまいそうなサクラの声。
「……お、おぅ……」
 よくは解からないが……いや、何度かこんな雰囲気を体験した事はある。しかしそれは……その後には必ず『誰か』が泣いていた。
 正直耳を塞いでしまいたい状況だがそうもいかないキョウヤはただ棒立ち。情けない、と思いながらも逃げる事だけはしないと心に誓う。
「私は貴方が好きです」
 そうサクラがはっきりキョウヤに告げた。
 確かに前にも言われた。だがその時はもっと衝撃的な告白があった為、その事……いや、その『気持ち』に対して何も考えられなかった。
 そしてその気持ちを改めて突き付けられると……
 暫らく棒立ちのキョウヤ。サクラも黙ったまま、ただキョウヤの言葉を待っていた……のだが、キョウヤが固まったまま動かない。
「あの……キョウヤ君……返事は?……あれれ?どうしたの?」
 そうサクラに言われ、ようやく何処か遠くから帰って来たキョウヤの意識。
「えっとな……何て言えばいいのか……ありがとう。嬉しいよ。そう言ってもらえるのは。でも今、オレは答えられないよ」
「……誰か好きな人いるの?」
 サクラにはそう言う意味で取れたのだろう。
「特にいない。だからと言って山吹がタイプじゃないとかそう言う事でもない」
「じゃあ、何でなの?」
「何で……う〜ん、ぶっちゃけて言えばオレ何時死ぬかわからん身だから……かな。別に病気とかじゃないから心配はすんなよ」
 訳がわからないキョウヤの説明。そんな事を言ったらどんな人間だってそうなのだから……しかし、キョウヤの口ぶりからはその確立は人のそれとは違ってかなり高いような感じがするサクラ。
「上手くは言えないんだけどな。ちょっと訳ありでね。だから全てが終わってもうオレが戦う理由がなくなって平和になった時にさ、もし山吹がもう一度同じ事言ってくれるならその時はちゃんとした答えを出すよ。今みたいに中途半端じゃなくて……な」
 もしその時があればの話なのだが、それはどうなるか今キョウヤにはわからない。だけど答えられる時がくればきっと答えを出さなければ成らない事も解かっていた。だからこそ今がどんなにいい加減な事かと言う事も……
「……ずるいよ」
 そう呟くサクラに、
「そうだよな」
 ただ答えるキョウヤ。
「……酷いよ」
 もう一度呟くサクラ。
「解かってるよ」
 だがキョウヤにはそれ以上の言葉は見つからない。それ以上はいい訳にしか成らないから……今までキョウヤに好意を抱いてくれ、その想いを伝えてくれた娘たちには同じ事を言って必ず泣かれ、その後キョウヤは悪い事をしたなとは思う。だが後悔はしなかった。もし簡単に彼女達の気持ちを受け止め、その時が来てしまったらきっと今以上に傷つけてしまうから。だからこれでいいと信じている。
 俯くサクラを見つめ何も言わない……いや、言えないキョウヤ。これから先はサクラが決める事。サクラが決めた事にキョウヤは口出しするつもりはない。
「私は……」
 何かを言い掛けるサクラ。
「諦めないからね。きっとキョウヤ君を振り向かせるくらい可愛くなるよ」
「今でも十分可愛いよ山吹は」
「今のままじゃ駄目なの。貴方が私しか見れないくらいにならないと」
 サクラがゆっくり顔を上げ真っ直ぐキョウヤを向く……いや見つめているのだろう。
「これは私の兆戦なの。誰にでもない私だけの……だからもう行くね。まずは元気にならないと」
 そう言いサクラはキョウヤの手を離す。
 キョウヤも、
「そうだよな。元気にならないとな」
 名残惜しいのか繋いでいた手を何度か握ったり開いたり。
「でも今これ位はいいよね?」
 そう言いながらサクラはキョウヤに体を預ける様に寄り添い、そっと抱きしめる。まだ未発育ながら柔らかい感触がキョウヤに伝わり、キョウヤを戸惑わせる。
 オレはこのまま山吹を抱きしめ返せばいいのか?とそんな事を悩んでいる間にゆっくりとサクラの細い腕がキョウヤの首に絡みつき、そのままそっとキョウヤの顔をサクラの温かい掌が包み、
「……まだお礼も何もしてなかったから……」
 つま先を立てて背伸びしながらゆっくりとその形の良い愛らしい唇をキョウヤのそれに触れるか触れないかそれ位の感触……だが確かに触れた。そんな淡い口付けをするとサクラは、
「行ってきます」
「気をつけてな」
 キョウヤに背を向けて旅立っていった。
 
 

エピローグ





 桜の花があたり一面を柔らかな春の色に染め上げている。
 年中夏だと言うこの地域でも桜の花は忘れずに花開き春と言う季節があった事を語り出す。それは紛れもなく暖かなものだった。
 そんな暖かな淡い桜色に染まった歩道を三人の少女が楽しそうにお喋りしながら帰り道を歩く。そこが春の匂いに満たされている事に気付きもせずに……
「サクラちゃんって帰国子女なの?」
「違うよ。ちょっと家の事情でアメリカの方に行ってただけだよ」
 サクラより頭半分背の高い少女はその答えに満足したのか、ふーんと頷く。だがもう一人のサクラと同じ位の身長で長い髪の女の子が、
「でも山吹さんって英語ペラペラだよね」
「うん。命がかかってたから……日常会話くらいは出来るようになりました」
 辛い事でもあったのだろう。苦笑しながら返事をするサクラ。
「命かかってたって……山吹さんは面白い事言うね」
「アメリカンジョークって奴かな?」
「むぅ……信じてくれないんだ。でもミドリちゃんもアカネちゃんもあの生活を体験してみれば私の言ってる事嘘じゃないって解かるよ」
 ちなみに背が高い方がアカネちゃんで、もう一人がミドリちゃん。
 どれくらい楽しげに話していただろう。不意にアカネとミドリが黙り込む。ある一点を見つめて。サクラも気になり、
「何見てるの?」
 ひょっこ、と顔を出す。そこには特に黙り込むような物はなかった。道を挟んだ反対側、そうそこに居たのは一人の学生……高校生だろうか随分と背が高く感じる。だがその面影は何処かであった様な気もするが、何時の間にかアカネがサクラの前に立ち、その学生からサクラを隠すような形になる。
「サクラちゃん、『アレ』と目を合わせちゃ駄目だからね」
 小声でそう言うアカネは少し震えている様にも感じられた。さらにミドリが、
「そうだよ見た目に騙されちゃ駄目だからね。アカネちゃんの言うとおりだよ。あの人、山中の……んっと同じ学年のはずだから二年生で、この辺りではかなり有名な不良さんなんだから」
「そうなの?背が高いから高校生だと思った」
 そう言ってアカネの影からその同じ学年の『不良さん』を覗き見る。だがサクラにはとても不良には見えなかった。
 誰かを待っているのだろうか?桜の木に背を預け、文庫を読んでいる。その顔も恐いと言うよりも優男と言った方が正しいと思う。
 山中の二年生?この辺りにそんな名前の中学あっただろうか?あるとしたら今サクラが通っている幼稚園から大学まで一貫の私学の女子校くらいしか知らない……まだこの辺りにそんな詳しくないサクラがそんな事を思っている間にもアカネとミドリは『不良さん』に纏わる様々な噂をサクラに聞かせている。
 曰く、
『一人で五十人の不良を半殺しにした』
『目が合うと殴られる』
『お小遣いは全部カツアゲだ』
『警察に三十回以上捕まってる』
等など色々と……サクラは苦笑しながら聞いている。そんなサクラにアカネとミドリは、本当だと力説しているが、どうしてもサクラには目の前の『不良さん』がそんな事をする様には見えなかった。
 とりあえずミドリアカネが隙を見て早く行こうと言い出したので、それに着いて行くサクラ。その時、『不良さん』が視線をサクラ達に向けた。
 その瞬間、ミドリとアカネの身体がビクっと震え固まる。よほど恐いらしい。そのまま視線を合わせようとせず、今すぐ駆け出したい気持ちを抑えあくまで何時も通りを装い歩く。だがサクラは違った。
 視線と視線が重なる。
 そして『不良さん』が笑った。
 微笑む……のとは違う。口をほんの少し動かしてそう見えただけなのかもしれない。けれどその瞳はとても優しく……そうサクラが思った瞬間、『不良さん』はサクラ達と反対の方へと歩いて行った。
 そして『不良さん』が居なくなった瞬間、ミドリとアカネが、
「大丈夫?サクラちゃん」
「恐くなかった?山吹さん」
「うん……大丈夫……だよ」
 何かが引っかかる……何処かで感じたこの感覚。ミドリとアカネが言う『恐い』とは違う。むしろ心地よかった。何より……何処かで会った様な気がするあの笑顔。もう少しで何かが解かる。絡まっていた糸が解けるようなそんな感覚。
「まったく……今日は運が悪いわ。あの『大和』に会うなんて……ね、アカネ」
「そうだよね。同じ山中でも『大和』じゃ、なくてムサシ君か樺山さんだったら格好良くて良かったのにね」
 ミドリとアカネの二人の会話。最後のピースがはまった瞬間。
 サクラは慌てて振りかえる。もう既に『彼』の姿は見えない。
「ねぇ、今の人……もしかして『大和キョウヤ』って名前じゃない?」
 少し震えている自分がサクラは解かった。
 ミドリとアカネは、
「どうだったかな?たしかそんな名前だった様な気がしたけど……」
「そうだよ。確か……前、先輩がそう言ってたもん」
 そう、何処かで見た事のあるあの笑顔。サクラの病気を治してくれたキョウヤの姉と良く似ていた……もし今彼がキョウヤならサクラは伝えたい事……いや伝えなければならない事がある。
「ご。ごめんね。ミドリちゃん、アカネちゃん……私、ちょっと急用が」
 そう言い、ミドリとアカネが呼び止める声も無視したまま全力で彼を追いかけ始めた。
 
 

「本当に良かったのか?声もかけなくて」
 タケオはしょうがないなと言った顔をしながら、ため息を一つ吐く。解かっていた事とは言え、サクラには可哀想な事をしていると思う。
「仕方ないさ。この辺での自分の悪名くらい知ってるからな。お嬢様学校なんだから山吹がオレと友達なんて知られたら困るだろ?」
 苦笑するキョウヤの台詞に、サクラはそんな事は気にしない、とタケオは思うが口には出さない。キョウヤの方がサクラの事を良く知っているのだ。それくらいの事は解かっているだろう。そしてそのキョウヤがそう判断したのだから、タケオが言う事はなにもない……筈なのだ。だが、それでも……と思ってしまう。
「それに山吹はあまり『オレ達』側に入り込んで欲しくない。何も知らずに笑っているほうが幸せさ」
「そんなものか?」
「そんなもんさ……」
 それがサクラの居ない間に考えたキョウヤの答えだった。
 擽る様に風が不意に吹く。ゆっくりと視線を上へと向け、キョウヤは呟く様に独り言。
「綺麗だな……こう風に舞う桜ってのも」
「知らなかったか?大和」
 少し間を置きキョウヤは、
「……オレは『団子』派なんだよ。朝霧」
「知っている」
 タケオは頷く。それ以上何も言わない。サクラの事は既に解決したのだ。サクラが元気になった。それで良し……だけどそれはオレだけなんだよなぁ……きっと他のおせっかいの連中はそうは行かないだろう。だから日を見計らい、プラモを買いに行くと嘘まで吐き、タケオと言うダミーを誘った。実際にプラモも購入してある。一通り考え自分を納得させるキョウヤ。
「……行くか?朝霧」
「ん?もういいのか?」
 それは心の整理はついたのかと聞こえたがキョウヤは何も答えず歩き始める。そんなキョウヤの背中を悪寒が走る。その理由はすぐに解かった。
「やーまーと♪」
 聞き慣れた声がした。キョウヤはそう自分を呼ぶ声に振り向きもせずスタスタ歩いて行く。無視を決め込んだのだ。だがキョウヤを呼ぶ声の主は諦めず呼びかけ続け、駆け足で近づいて来ているらしい。
「えいっ」
 そんな気合の入った声がした瞬間、キョウヤは右に一歩動く。そしてそれまでキョウヤのいた場所にべチャっ、と下手糞なヘッドスライディングの様に倒れ込む。
「いったい何の真似だ?帆足」
 出来るだけ感情を表に出さない様にキョウヤはマリエに話しかける。そうマリエにだ。なぜかここに居る。マリエはマリエでキョウヤが避けると言う発想が全くなかったのだろう情けない声で、
「ふぇ〜、痛いよぉ〜」
 鼻の頭をさすっている。どうやらキョウヤの言葉は耳に届いてない様子。マリエを見下ろすキョウヤは無言で右足の靴を脱ぐとそのままマリエの背中を踏みつけた。
「やっ〜!大和、踏んじゃヤダぁ〜」
 ジタバタと手足を動かし抵抗するマリエだがキョウヤはお構いなし。マリエを踏み付けたまま、
「何しに来た?帆足」
 ピタリと動きを止め、何やら考え……思い出しているらしいがマリエは何故か照れ笑い。どうやら本来の目的を忘れたらしい。マリエらしいと言えばらしいがキョウヤとしては納得がいかない訳で……踏みつけたままマリエを足の裏でサッカーボールの様に前後に転がす。
「あん?帆足。お前なんも意味がなく背後から人を襲撃する癖があんのか?あぁ?」
「ふぇ〜ん。服が汚れちゃうの〜止めてよ〜」
「安心しろ。靴は脱いである」
 そう言う問題ではないと思うのだが相手がマリエだから『これで良し』と一人納得するキョウヤに呆れ返ったような、そんな声が掛けられる。
「……大和、何マリエ苛めてるの?」
「何を言う。遊んでやっているんだ。スキンシップだ。気にするな」
 更に足の裏でマリエを転がすキョウヤ。
「いい加減許してあげなよ」
「悪いな。オレは人に背後から不意打ちを仕掛ける奴を許せるほど心は広くないんだよ」
 振り向きもせずそう言うキョウヤにため息を吐くその相手は、
「そんな姿をサクラちゃんに見せるの?」
 今度はキョウヤが動きを止める番だった。
 視線だけを動かし、
「随分とおせっかいだな?樺山……」
 横目で射る様にアキを睨みつける。いきなり殴られてもおかしくないくらいのキョウヤの雰囲気に、
「目の前の誰かさんのが移ったのよ」
「言いたい事はそれだけか?」
「ん〜?他にも色々あるけど。まずはマリエを踏んづけるの止めなさいって」
 まだ余裕そうのアキはとりあえずそれだけ言う。キョウヤが女の子を全力で殴る事はまずないと解かっているから出来る行動である。ただそれはアキやマリエならで……クラスの気の弱い女子ならばキョウヤに睨まれた時点で目を潤ませていたに違いない。
 とりあえずキョウヤはマリエを解放し、靴を履く。マリエはマリエで置きあがり、パンパンと制服の汚れを手で掃うと口を尖らし、キョウヤを睨む。その姿は子犬の様……アキがその姿を見て苦笑している。
「何で今日だと解かった?」
「別に何となくよ……大和が何時までも会いに行かないつもりだったらあたし達が迎えに行くつもりだったし」
「じゃあ、何でここにいると解かった?」
「マリエのダウジング……ってそんな睨まないでよ。嘘よ。先生に携帯で聞いたの」
 肩を竦めるアキの姿は、冗談も通じない程余裕ないのね、と言っている様だ。
 ふんっ、とキョウヤはつまらなそうに履き捨てると、
「朝霧、帰るぞ」
「おまえも諦めの悪い奴だな大和……まぁ、解かってはいたがな」
 しょうがないな、と顔をアキとマリエに向け、お互い苦笑する。キョウヤはキョウヤでえらく機嫌が悪そうだ。早くこの場から去りたいらしい。
「何がだよ?朝霧……」
「言わなくても解かるだろ?」
「……」
 暫しの無言の後、キョウヤは舌打ち一つ。歩く足を早める。
 そんなキョウヤの後頭部に『パカンっ!』と音を立てて何かが当たる。普段なら余裕で交わしていたはずなのだが、何故か当たってしまう。何処か後ろめたいものがあったのだろう。当たった物を確認する様に振りかえるキョウヤ。そこには靴が片方落ちており、キョウヤの視線の先にはそれが事実である事を伝える様にミヅキがケンケンで近づいてきていた。
「大和っ!何、逃げ様としてんの!?アンタが居なかったら『嬉し恥ずかし涙の再会大作戦』の意味がないでしょっ!?全く解かってん……うきゃっ!」
「うるせえ」
 ミズキの何時まで続くか解からない作戦概要など聞いてられるかとばかり、足元の靴を投げつける。それは見事にミヅキの額へストライク。思わずミヅキは除けり、額を撫でながら投げつけた靴を履きなおす。
「何すんのよっ!!……もう諦めなさいよ。そこまで小畑さんがサクラ連れてきてんだから」
 恨めしそうな視線のミヅキ。だがそれ以上にキョウヤの視線は険しい。
「そんなおっかない目しても駄目よ。アンタが何考えてるかだいたい解かってるつもりだけど……アンタの都合よりサクラの気持ちの方が優先なんだから。でないとあの娘だけ可哀想でしょ。他の娘はみんな、アンタの近くに居るのに」
 それはたまたま同じ学校やキョウヤの行動範囲内に居ると言うだけなのだが、ミヅキ達にしてみればそうは見えないらしい……がキョウヤには関係ない。
「関係ないな……オレの事をどんな風に解かってるつもりかは知らない。それはそっちの勝手だからな。だがな……」
「押し付けるな、とでも言いたいの?」
 厳しい顔をしたアキも会話に入り込んでくる。どうやら数で押し切るつもりらしい。
「……そうさ」
 それ以上言う事は無い、とキョウヤの態度が語っていた。それはここ最近見ることも無かった本気……そんなキョウヤにマリエが一言、
「じゃあ、大和……わたし達が押し付けなければいいのね?サクラちゃん自身が望めばいいのね?」
 何時もの子供っぽいマリエではなく時折見せる大人の顔。たぶんこのマリエにはクラスの誰も敵わない。
 サクラが望めば……マリエの言葉は確かに核心を突いている様にも聞こえる。だがそんな暇を与えるつもりはキョウヤには無かったが……
「……知らねーよ」
 そう履き捨てるのが精一杯。
 そんなキョウヤに追い討ちを掛ける様に、
「……私の事は遊びだったんだ」
 今一番聴きたくなかった声……
 そして一番話したかった相手の声……
「そうさ。『遊び』さ。友達ってのは楽しく遊ぶもんだろ?……にしてもいったい何処でそんな台詞覚えてきたんだ?」
 背中越しに話しかけてきたその相手に顔も合わせようとせずキョウヤは諦めた様に淡々と話す。
「お姉ちゃんだよ。キョウヤ君の……何かあったらそう言っとけばだいたいOKだって言ってたよ」
 あっさり答える素直な相手に内心、そんな事だろうと何処か納得してしまう自分が妙に寂しくなるキョウヤ。それはともかく『今』をどう乗りきるか、その方がキョウヤの中で問題である。
 このまま……はい、さようなら……とはいかんだろうし……そんな風に悩んでいるキョウヤの気持ちを見透かしたのだろうか、
「何でこっちを向いてくれないの?私と会うのそんなに嫌だった?」
 辺りが静かになる。全ての視線がキョウヤに集まり、ゆっくりと時間が過ぎていく。こうなると既に負けだな、と一人空回りしていた自分が馬鹿々々しく自然と苦笑を浮かべるキョウヤ。軽く頭を掻くと、
「っんな訳ないだろ……」
 振りかえり、目の前の女の子を真っ直ぐ見据え、『もう一度』笑って見せた。
「そうだね……私ね。元気になったんだよ。キョウヤ君の顔見える様になったんだよ」
 眩しいくらいの笑顔。以前の儚さは消えていた。
「あぁ」
 そんなキョウヤの返事が気に入らなかったのかサクラは少し拗ねた様な仕草をし、
「嬉しくない?」
「そりゃ……嬉しいけど」
「なんか気持ちがこもってないなぁ」
「そうか?」
「ん〜」
 背中で手を組み軽い足取りでキョウヤに近づくとそのまま下からサクラはキョウヤの顔を覗き込み、小さく笑う。
「何だよ?」
 サクラは何かをする訳でもなく、ただキョウヤの顔を覗き込んだままじっとしている。何がしたいのだろう?と今一つサクラの行動が理解できないキョウヤ。何となく真剣な感じに声も掛け辛い。
……どうすりゃいいんだよ?……
 思わず天を見上げたくなるがサクラの視線がそれをさせてくれない。キョウヤは、今世界中の試練が集まり一つになってここにある。そうに違いない、と滅多に祈りもしない神様に悪態つくが、それは見当違いもいい所であろう。神様もいい迷惑に違いない。
「やっぱり似てるね」
「何がだよ?」
 何が似ているのか……そんな事はどうでもいいのだキョウヤにとって……それよりもサクラの不可解な行動の方が気になってしょうがない。またあんな事をされたら困ってしまう。そんなキョウヤの気持ちを知ってか知らずかサクラはマイペースで、
「ん〜、お姉ちゃんにだよ」
「『お姉ちゃん』って姉貴の事か?」
「ぷぷっ♪『姉貴』だって……無理しちゃって」
 何らかのキョウヤの家庭の事情を知っているサクラはどこか強気。それはキョウヤにとって非常に不味い訳で……ただでさえ複雑な家庭なのだ。余計な事をクラスメイトに知られたくはないが……
「似てたっておかしくはないだろ。姉貴とは従姉弟なんだし……むしろ気にしてるんだ。姉貴に似てる事は……」
「何で?お姉ちゃん綺麗だよ」
「今まで人の顔をあんまり見たことない奴の評価は信用できんが……」
「あっ、そう言う事言うんだキョウヤ君は……酷い……」
 ふ〜ん、とサクラの目が険しくなる。キョウヤも失言だったとは思ったがこれが更に自分の立場を危うくするとは思っても見なかった。
 そんなサクラの態度にキョウヤは、
「いや、その……」
「いいよ。そう言う事言うんだったら私もみんなに言っちゃうから」
 暫らくキョウヤとサクラの間に静寂が訪れ、
「……何を?」
「色々。お姉ちゃんから色々聞いたもん」
 くっ、とサクラから顔を背け、キョウヤは思う。
……姉貴、俺はそんなに可愛くない弟ですか?これからオレに針の筵の様な学園生活を送れと言うのか?……
「た、例えば……」
 もしこの場にキョウヤの望みを叶えてくれる者が居れば、例えそれが神だろうと悪魔だろうと両手で抱きしめキスをするだろう。
「例えば?……ん〜、『ナンシーさん』……とか?」
「すいません。オレが悪かったです」
 情けなさに涙を流し、今更ながらサクラに姉を紹介した事を後悔し始めるキョウヤ。そしてこの場にいる連中が自分をここまで苦しめる事……いや、奴らにして見ればこんな面白おかしい事に反応しない訳がなく……
「誰ですの?その『ナンシーさん』って」
「って、真っ先に反応するのはオマエかぁぁぁっ!!小畑っぁぁ!!!」
 今まで黙っていて気付きもしなかったのだがサクラのすぐ側にカヨコはいた。そして何と言うか意外なと言うかカヨコのらしくない反応にキョウヤは思わず突っ込む。
「だって私も女の子ですわ。こう言うお話興味ありますの」
 屈託無く笑うカヨコに怒る気も失せたキョウヤはとりあえずサクラに視線を戻しどうにか話を逸らそうとする。だがアキにマリエにミズキまで加わり、タケオまでコソコソと申し訳なさそうにサクラに近づき、計五人で矢継ぎ早に根掘り葉掘り聞こうとしていた。
「て、てめぇら……」
 いっぺん死なすっ!!心に固く誓うキョウヤが一歩踏み出した時、
「……でね、あの後大変だったんだよ。大和耳の裏まで真っ赤で固まっちゃって……」
 別の意味で気まずい方向にマリエが話を進めていた。
 あの後……つまりはサクラと空港で別れた後の事。
「そうそう。大和って自分からする分は全然照れたりしないのに、こうさりげなく相手にされちゃうとてんで駄目みたいなのよ。今は平気みたいだけど昔なんかマリエに抱き着かれただけで顔赤くしてたんだから。で、一体あの時大和に何したの?」
 サクラがチラリとキョウヤの方を覗く。それは話していいのかなぁ?と瞳が語っていた。
 当然それは不味い訳であって……ミヅキに迫られているサクラの手を引っ張り自分の腕の中に抱き寄せるキョウヤ。
「――なぁっ!」
 突然の事に顔を赤くするサクラの可愛らしい悲鳴。だがキョウヤにはそんな事を気にしている余裕は無く、ただ腕の中のサクラを抱きしめ、悪友達を睨み殺すかのような視線で牽制する。その姿は自分のおやつを取られまいと必死で守ろうとしている子供の様。
 ――ざっ!――
 そんな音を発ててキョウヤの足は地面に一本の線を引く。
「この線、一歩でも越えたら殺す」
 む〜、と唸りながら自分達を睨めつけているキョウヤに、
「あんな照れ方する大和は久しぶりに見たわ」
 アキが回りに同意を求めると、
「ガキなのよ。ガキっ!!」
 そう唸ってはみるがその場から一歩も動けないミヅキ。
「あ〜、いいなぁ。大和ばっかりサクラちゃん抱っこしてずるい……」
 指を咥えているマリエはなんか微妙に楽しそう。
「ずるいですわ。サクラさんばっかり大和君の弱い所知ってて」
 聞く人が聞く人なら誤解されそうな発言をカヨコ。
「あぁ、もう、あぁ成っては今日はこれ以上は無駄だな」
 何か悟りを開いてるタケオ。
 しっしっ!とタケオ達に犬や猫を追っ払う様に手を振るキョウヤの姿を見て一同はようやく何時ものキョウヤになったと感じ、それならばと、
「大和、サクラちゃんに変な事しちゃ駄目だからね」
 アキがため息混じりの苦笑をして、
「そう言う事だ大和。私は邪魔の様だから帰るぞ」
とタケオはとっとと歩き出し、それに続いてミヅキが意味ありげに微笑うと、
「かんばって♪大和」
 そう言い残す。マリエもニコニコ笑いながら、
「それじゃね♪」
 小さく手を振る。
 そして……
 辺りをキョロキョロ見まわすキョウヤ。本当にあの連中が帰ったのかそれを確認している様だ。
 どうやら居ないらしい。
 ふぅ、と息をついて額の汗をぬぐう。いや汗はかいていないが何となくそんな仕草をしたかっただけ。
「あ、あのねキョウヤ君……」
 申し訳なさそうにサクラが声を掛けて来るがサクラが何を言いたいのか今一つ理解出来ない。僅かにサクラの頬が紅い気もするが大して気にはしない。
「何?山吹」
「何時までこうしてればいいのかなぁ?私……」
 あはは、と照れたようにサクラは笑い、キョウヤから視線を逸らしてしまう。ようやくキョウヤも合点がいったのか、あぁ、と納得し、今更ながらサクラを抱きしめている事に気付く。けれどサクラを放す事はなく、それどころか、
「何時までこうしてたい?」
と笑いかけて、更にサクラの頬が紅くなり、拗ねる様に、
「……いじわる」
 今にも消えそうな声で呟くサクラ。よほど恥ずかしいらしい。そんないじらしく愛らしい姿をされると……キョウヤはサクラを抱いている腕にもう少しだけ力を込め、サクラの反応を楽しむ。予想通り更にサクラは頬を紅くする。正直こんな仕草をされれば、男ならぐっと来るものがある……キョウヤはサクラの耳元でこぼれそうな笑いを噛殺し、そっと囁く。
「可愛いよ……サクラ」
 そう始めて名前を呼んでみた。
「!!!ふにゃっ!」
 もうあまりの恥ずかしさにお目々がグルグルのサクラ。訳のわからない叫び声をあげ、更に足元もおぼつかない。尚更キョウヤに身体を預ける形になってしまう。そしてとうとう恥ずかしさに耐えられなくなったのかジタバタと暴れだし始める始末。渋々キョウヤはサクラを放すと、
「もうっ!何で意地悪するの?前はもっと優しかったのに」
 紅い頬を膨らめ怒るサクラに、
「さっきのお返し……でもほんと可愛かったよ山吹」
 その一言は致命的で火でも着いた様にサクラは顔を赤くした。
「あ〜〜〜」
 何か声を上げまともにキョウヤを見れないサクラをベンチの端っこに促すと、
「ようやく静かに話せそうだな」
「そうだね……あっ!?」
 キョウヤはサクラの太股に頭を預け、ベンチに寝転ぶ。
「なんだよ?今更恥ずかしがる事もないと思うけどね……なんせ同じベッドで寝てた仲じゃん」
 キョウヤを見下ろすサクラの顔はまだ紅いが、そうだね、と頷く。
 どれ位そのままでいたのだろうか。
 僅かな風で、ゆらりと舞って行く桜の花弁……
 その内の一枚がそっとキョウヤの額に……そうまるで優しい口付けの様に、ふわりと乗った。
 それが可笑しかったのだろうか?くすっ、とサクラは小さくキョウヤを見つめたまま微笑う。キョウヤもそれに釣られて微笑う。
「そう言えば……まだだったよな」
「何?キョウヤ君」
 お互いの視線が重なるその瞬間……
「おかえり」
 あっ、そうか……そうなんだ……とその一言でサクラも気付く。
 今、自分が何かを伝えるよりもこの一言が……たった一言が言いたかったのだと……
 ――とっておきの――
 ――とびっきりの――
 ――この瞬間を永遠に忘れられないくらいの――
  晴々した笑顔を浮かべたサクラは言った。
 そうたったの一言……
「ただいまキョウヤ君」
 それは長い長い『暗い冬』が終わりを告げ、暖かい春の日差しの中……
 風が吹き、辺りが、ざぁとざわめき……
 そう……
 全てを埋め尽くすかの様に……
 一面を一色に染める桜の華が舞う中……
 お互い微笑い合えた。
 そしてそんな時間がこれからも続くのだと何気なく思えた。
 そう桜の華が舞う中で……
 

おしまい

 後書き&いい訳コーナー
 って何時の間にかコーナー化してしまったような気がしますが……
 ご無沙汰しております。
 KAZUです。
 いやー、ほんと久しぶりだね。新作は……なんか恐ろしい事に四万字超えてます。今まで書いた中で一番長いとちゃう?まぁ、書いた理由が理由だったんで長くなってしまったような気もしますが……今回は少しばかり心に傷を負っていたのでそれを癒す為にこの話を書いたわけです。はい。
 そこ、ごみを投げない事……
 とりあえず、今回の話しのヒロインはサクラちゃんなんですが……むしろキョウヤの方かな……なんて思ったりもします。
 サクラについてですがあえて容姿を書かないようにしました。自分の好きなサクラちゃんでも思い浮かべていてください。正直始めは見た目は『サナエちゃん』にでもしようかな、と思っていましたが自分で自分のかさぶたを剥す様な真似はしたくなかったので止めました。
 キョウヤについてですが相変らず可愛くないっすね。友人に見せたら『中学生』ぽくないと言われてしまいました。まぁ、自分もこんな中学生は嫌だなと思います。でもサクラはそれなりに可愛く書けてると思うのだけど……その辺りは感想待ちとします。
 にしてもキョウヤは相変らず作者の思いもしない方向に勝手に動いてくれるので困ってしまいますね。次はもう少し早く出せるといいのだけど今書き途中のが幾つもあり……何時になるのでせうか?
 最後ですが何時も通り誤字脱字に関しては笑って許してください。
 では。
 

 2002/8/18   AM 2:29      by KAZU


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