Page-KAZU's anthology
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月夜に震える貴女を




 それは単純な事だった。
 在り来たりに言ってしまえば……
 見上げる夜空には冷たい青白い月……
 流れる雲に消える様に隠れて逝く。
 何故そんな事が気になったのだろう?
 見なれているはずなのに涙が溢れてくる。その美しさに……
 優しく吹いているはずの風は曝された肌には冷たい。
 もう自分にはあの月の様な美しさはない。
 在るのは薄汚れた身体と暗く燻り始めた心だけ……
 けれどそれだけで十分だった。
 『それ』が囁きかけるには……
 『それ』の囁きがいかに甘美であろうと過去の自分なら聞こえもしない。
 しかし今はもう自分は自分ではないのだ。
 その甘美な囁きが身体と心を蝕む……いや、悦びとなって染み渡っていく。
 そして『鬼』が産まれた。
 
 
 
 

 角切家と鬼塚家の朝は早い。
 どの位早いかと言うと朝の五時には両家共用の稽古場から怒鳴り声、絶叫、その他阿鼻叫喚……などなどが一時間以上続く。それが終わると家庭の事情から朝食。それがだいたい六時半を少し過ぎたくらいから始まる。
 総勢十一名……だが今は訳あって十二名がこれまた両家共用の居間兼食堂に集まり一斉に朝食。その内訳と言えば、角切家の両親、長男夫妻、次男に夏休みを利用して遊びに来ているその許婚。そして三男の七人。
 鬼塚家は鬼塚家の両親に長女夫妻、そして次女の五人。誰が何処から見ても大所帯。さらに本来ならば角切家の婆様が居るが代を継がせ一番下の孫が中学生になってからは一年の四分の三を旅行と称して家に帰って来もしない。そんな事が三年ほど続いている。
『いただきます』
 そうみんなして声を揃えるのが両家の約束事なのだがその歴史は意外と古いらしく、角切家の婆様が言うには婆様が嫁に来た時には既に両家揃って食事をしていたそうだ。
 それはともかく食事の前の挨拶さえ終わってしまえば、その後はまるで戦場の様になってしまうのがこの角切、鬼塚両家の食卓なのだが何故か今朝は静かだった。
 みんなが大人しく箸を進める中一人だけ全く箸を着けようともしない。それどころか、何処か腹の虫が収まらないのかピリピリとした雰囲気を一人放っていた。
「なぁ……兄貴、真人の奴どうした?今日アイツの誕生日だろ?」
 その空気に耐えられなくなり義姉を挟んで右隣の長男に話しかける次男。見た目は母親に似たのだろうか?細面にやわらかな感じ青年で、髪を背中にまで伸ばし、ゴムで纏めている。そんな姿も馴染んでいて間違いなく二枚目に分類される。だがそんな見た目とは裏腹に名前は『力人』と書いて『りきと』と読む雄々しい名前。
「……たぶん、去年の事を思い出してるんじゃないのかな」
「去年?……俺、去年は帰って来れなかったからな……何かあったのかよ兄貴?」
 そう力人に顔を合わせようともしない……いや力人にではなくたぶんこの場の空気を重くしている張本人にであろう。
 兄貴こと長男の『貴人』は……そう『たかと』は去年の惨事を思い出しながら力人に語る。普段なら頼り甲斐のある凛々しい兄がこの時ばかりはその情けなさに、一体何がここまで貴人を変えてしまったのか、と思わず小一時間ほど考えてみたくなってしまう。
「あったと言うか……無かったと言うべきなのか……」
 貴人は力人に聞こえる程度の小さな声でしか話してないのだが力人の隣の隣は事の張本人である三男の真人……『まさと』が居た。
 つまり兄達の会話は真人に筒抜けで……貴人が全てを話し終わる前に、
――ばんっ!!!――
と派手に食卓が音を立てると、真人の茶碗が宙に浮き、味噌汁がこぼれるがそんな事お構い無しに立ち上がる真人。
 視線が仁王立ちの真人に集まる。それはそうだ。行儀が悪い。いや、そんな行儀とか言う以前の問題だろう……当然、
「真人っ!!」
 父親が怒鳴るが世界中の不機嫌を集めたらきっとそんな顔な感じの真人が眼球だけ動かし父親の方を見る。
「何?父さん……悪いのはオレじゃなくて『そっち』だろ?」
 どう言えばいいのだろう?何処から見ても威厳ある頑固親父に見える父親である『力』……『つとむ』がたじろぐ。よほど真人を怒らせる事をしたんだな、と力人は納得しながら、相変らず不機嫌そうな目で家族を見渡している真人を宥め様と思うが、どうしたものかと悩む。だがそれほど悩む事でもないと気付く。何時も通り、兄として威厳ある態度をとればいいと……
「真人、今のはお前が悪い。父さんに謝れ」
 味噌汁を啜る。
 決まった。これで真人の中にある自分の『兄として』の評価は上がった、と確信する力人だが世の中そんな甘くなく、一瞬で地の底に自分の兄としての評価が落ちた事を知る。
「りき兄ちゃんは何にも知らないくせにっ!!何でオレが悪いって解かるんだよっ!?兄ちゃんなんか大っ嫌いだっ!!!」
 力の限り叫ぶ真人はそう言葉を残すと一人何処かへ行ってしまう。
 頭の中を真人の『大っ嫌いだっ!!!』が何度も響き渡るのを知覚出来た時は力人も何故、力や貴人が何時もと違うのか何となく解かった。今までどんなに真人が怒っても暫らくすると機嫌を直し笑顔を見せてくれたのだが……小さい頃から力人や貴人の後を着いて来た可愛い弟に嫌われたのだ。すぐ真人が機嫌を直したとしてもこれは暫らくはへこむ。
「あらあら……」
 半ば全滅状態の角切家男性陣を苦笑しながら、箸で慎ましやかにご飯を口に運ぶ女性が不思議そうに訊ねる。癖の無い長い艶やかな黒髪が似合う和風美人……と言うよりは愛らしい。まだ二十歳前である筈なのにその落ち着きぶりは角切、鬼塚両家の人間の中で一番。それもそのはず、彼女は両家の人間ではなく、これから成ろうとしているのだから……つまり力人の許婚で、今、夏休みを利用して角切家に遊びに来ている『みかげ あやか』嬢。漢字で書くと『御影 綾日』となる。
「真人君なんかご機嫌斜めですね?みおりちゃんと喧嘩でもしたの?」
「……まーくんと喧嘩なんかしてないもん……もうご飯いらない……」
 食卓を挟んで綾日の斜め左前の少女も何処かご機嫌斜め……年の頃は真人と同じで誕生日もほぼ一緒。明後日には十六歳になる鬼塚家の次女の『みおり』……何故か名前は基本的には平仮名らしい。それは八歳年の離れた姉の『さおり』も同様だった。
 そんな妹の拗ねる様な仕草にさおりはため息を一つ。もう見慣れたのか、諦めたのかは判らないがコトリと茶碗を置く。
「みおり、綾日に拗ねてもしょうがないでしょ」
 良く似た二人。姉妹なのだから当然と言えば当然だと思うのだが中には似てないのもいるわけで……まぁ、この姉妹に関して言えば違いと言えば、みおりはまだ『可愛い』で、さおりは少し涼しめだが間違いなく『綺麗』と他人が思うくらいだろう。
 大きな瞳は何処か猫のを思わせ、鳶色の髪は僅かに癖があるのか柔らかそうに伸びている。その髪をみおりは肩より僅かに長いくらいで、さおりはポニーテイルにしてもその髪が背中半ばまで届いていた。
「ほら、まーにご飯持っててあげるんでしょ?」
 さおりが『まー』と呼ぶのは真人の事。
「……うん。ごめんね綾日お姉ちゃん」
 さおりの言葉に綾日に謝ってから、みおりは台所に向かい、どんぶりを持って帰ってくるとご飯をよそってまた台所に……
「まったく幾つになっても世話が係るわね」
 ぼやくさおり。
「そうですか?みおりちゃんも真人君も案外確りしてますよ」
 そんな綾日の言葉をさおりは笑い飛ばす。
 綾日は何が可笑しいのかと首を傾げ考えるのだが解からない。とりあえず力人の裾を引っ張り、顔を覗き、瞳で『何で?』と聞いていた。
「姉さんから見たら俺だってまだ子供扱いだからそんな深く考えなくてもいいよ綾日さん」
 どうやら何処かに旅立っていた精神が帰ってきたのか綾日に答えながら力人は苦笑。今度はそれが不思議らしく綾日はさおりに、
「本当ですか?」
「当たり前。りきにしろ、たか兄さんにしろ……うちの人間はみおりとまーに甘すぎるのよ。ほんと困っちゃうくらい甘くて、例えるなら無菌室で純粋培養したみたいな……特にまーが酷いわ」
 ため息混じり説明。どうやら名前を略して呼ぶのがさおりの癖らしい。更に言えば両家の子供達は血は繋がってないが兄妹、もしくは姉弟の様に育ってきた。だからお互い本当兄と弟、姉や妹の様に思っているのは確かだった。
 ねっ、とか言ってさおりはばつの悪そうな貴人と力人を見て笑う。それは貴人と力人の二人とも自覚があるだけに何も言い返せない。
 そんな様子を見ながら綾日もさおりの言葉に何処か納得する。始めて二人に会った時から真人とみおりの二人は本当に汚れを知らない……今時珍しいそんな純真さを持っていると感じていたから。それが今も変わらずそのまま育っていると。
「私だってみおりとまーは可愛いのよ。でもね今のまーは良い子な分、頼りなくてちょっと今のままだとみおりは任せられないわね」
「そんな事は無いと思うけど……真人はそれなりにしっかりしてる……いや、きてると思うんですけど、ね、葵さん、正義」
 貴人が話を振るのは中学校時代からの友人兼奥様の『あおい』とさらに長い付き合いのさおりの旦那の『まさよし』の二人。
「そうね。まーくんは大きくなったわよね。初めて会った時は幼稚園通ってたから……私が貴人さんの奥さんになってるのも頷けるわ」
「……相変らずだよな宮部さんは……どこか話しがずれてる。まぁ、それは何時もの事だから良いとして貴さんは真人を甘やかし過ぎだと思うのはさおりと同じだよ。でも昔よりはしっかりして来たと言うのも認める」
 柔らかな栗毛をボブ、かなりの童顔で未だに高校生、酷い時は身長の低さも重なり中学生に間違えられるほどの葵。みおりからも時折可愛いと言われてしまう程なのだ。だが性格が性格なので素直に受け取り喜んでいる困った人。
 逆に正義は幾分彫の深い顔立ちで男らしいと良く言われ、貴人より頭半分背が高い。眼鏡が良く似合う……がその所為か実際の年より多少老けて見える。ちなみに葵の事を『宮部』と旧姓で呼ぶのは学生の頃の呼び方が癖になっているらしい。
 とりあえずそんな二人の事は置いといて、貴人が、
「そうだよ正義。真人も高校生だしね」
 ぱぁ、と明るい笑顔を浮かべる。弟が誉められた事がよほど嬉しいらしい。
「貴さん……俺は昔よりしっかりしてきたとは言ったけどね、あくまで昔よりは……だ。頼りになるとは一言も言ってないぞ」
 眼鏡の位置を直す正義。そんな事を言われ、貴人はそうかな、と首を傾げる。本気で悩んでいる様。この辺りが友人達から『兄馬鹿』とか『ブラコン』とか言われ続けている理由だろう。
「まぁ、俺にとっても真人は弟みたいなもんだから、貴さんが可愛がるのも解かる。だが甘やかしすぎだと思うぞ俺は」
「そうね。私もそう思うわ。貴人さんはまーくんとみおりちゃんに……」
 頷いている葵の言葉をさおりが、
「待って先輩。先輩もたか兄さんの事言えません」
「え〜、何で?」
 葵と正義はさおりの中学高校時代の先輩に当たる。で未だに葵は先輩呼ばわりである。
 ぷんぷん、と怒る葵を横目に力人と綾日に、
「で、まーが怒ってる理由はね……去年の誕生日、まーは元服だったでしょ……」
と説明を始めるさおり。
 理由は後で語るとして、角切家の跡取は長男の貴人ではなく、三男の真人である。その真人が元服を迎えたと言うのと古い家柄……この二つの理由が相成って真人に色々な意味で『嫁』を取らせると言う話しになっていたらしい。本人に内緒で。で、その嫁と言うのがみおりであって……真人とみおりがお互い好きあっているのは誰が見ても明らか。だから問題ないだろうと決め込んでいたのだが誤算が有った。
 思いのほか真人が古いタイプの人間だったと言う事……と言うよりも回りにそう言う具合に育てられてきたのだから仕方がないと言えば仕方がなかったのだが……
「そんなこんなでまーが怒っちゃうわ、みおりは泣くわで大騒ぎ。酷かったわよ……最終的にはまーが家出しちゃうし、みおりはまーに嫌われた、もう生きてる意味がない。死んでやる、とか何とかで」
 ため息しか出てこないのだろう。さおりは特大のため息一つ吐くと力人と綾日を見て、解かった?と訊く。力人にしろ綾日にしろ何となく想像ついてしまう為か苦笑を浮かべて頷いていた。
「それにしても真人が家出ねぇ……何日くらい続いたんだ?姉さん」
「半日」
 あの真人が家出……感心したような、それでいて呆れたような力人の言葉にさおりはあっさりと答えると力人は一変して情けなさそうに、
「ま、そんなもんだろうな」
 一人納得。
「まぁね。まーの行きそうな所ぐらい想像つくわ。だから手当たり次第周って、首根っこひっかまえて引きずって、みおりの前に突き出してやったんだから。あの時のみおりの喜び様ったらなかったわね」
 その場いる全員がみおりが目を潤ませて、真人に抱きついて喜んでいる姿が易々想像できてしまう所がいかにこの両家が家族ぐるみで仲良しだと言う事が知れよう。
 どっちにしろ、二人をある意味『夫婦』にするのは失敗したが、だからと言ってそうなるのはそれほど先の事でもない、とさおりは思うのだがどうしてもあの時激しく楽しみにしていた両家の母親達……それはもうお祭り騒ぎと言っても過言ではなかった。だから真人が怒った時の二人の沈み様はある意味みおり以上だった。
「まったく……母さん達が変な事ばっかみおりに吹き込むし、みおりはそれを鵜呑みにしちゃうし……本当に大変だったんだからね去年は。解かる?」
 去年の事を思い出すとどうしても愚痴っぽくなるさおり。
「いやね、さおりちゃん。まるで叔母さんたちが悪いみたいじゃない」
 面影が何処か力人に似ている女性。真人達の母親の『貴子』さん。
「みたいじゃないじゃなくてその通りなのたかこ叔母さん」
「ねぇ、さおりちゃんが私達の事苛めるわ」
「困ったわね」
 そう言いつつも、まったく困った顔をしてないのはさおりによく似た人で、つまりはさおりとみおりのお母さんの『かおり』である。
「もう、さおりもいいでしょ?過ぎた事なんだから……まったくどうしてこう捻た娘に育っちゃったのかしら?」
「母さんに似たからでしょ」
 不思議そうな顔をしてかおりはさおりを見る……いや見つめる。そしてため息一つ。
「ほんとそっくりね。みおりは素直なのに……」
 残念そうに呟く。そんな自分の母親を見てさおりは今日一番のため息を吐く事になる。
「しかし……どうやって真人の機嫌を直すかだよなぁ……」
 そう母親達のやり取りを見ながら呟くのは情けないお兄ちゃんの一人、力人君です。真人の誕生日だから何か欲しいものでも買ってやればいいと思うのだが力人も貯蓄は幾らかあるとは言えまだ学生……あまり高いものは買ってやれない。明後日にはみおりの誕生日も控えているのだから尚更だ。
 そんな事を考えている内にみおりが皿の上に真っ白なおにぎりを三つ乗せて戻ってきた。
「あら?白いおむすび?」
 海苔すら着いていないそっけないおにぎりに綾日が珍しそうな顔をし、みおりはみおりでそう言われるのに慣れているのか特に気にした様子もなく、
「うん。塩おにぎり。まーくん好きなの」
 食卓の上におにぎりの乗った皿を置くとみおりは別に持ってきた小皿にひょいひょいと真人が手を着けてないオカズを幾つか取るとそのまま真人の食器を片付け始めた。
「みおり、そんなのまーにやらせなさいよ。何時もあんたが片付けちゃうからまーが何もしなくなっちゃうのよ」
「いいのお姉ちゃん。私が好きでやってるんだから。それにおにぎり冷まさないといけないし」
「なんで冷ますの?みおりちゃん」
 この家の事をあまり知らない綾日は少しでも角切、鬼塚の両家の人間に慣れるように……と言っても力人が婿養子に行くのだからあんまり関係ないとは思うのだが、何となく気になるのだろう。
 おにぎりを冷ますのはみおり曰く、真人は『暖かいおにぎりはおにぎりではない』と言いきる為だとか。
「グルメなのね真人君って……」
「違う。偏食家なんだよ綾日さん」
 何となくため息を吐く力人に綾日はそのため息の理由が解かったのか苦笑した。
 
 

 そろそろみおり特製塩おにぎりが冷めた頃、既に朝食の片づけが始まっていた。
 葵とさおりが要領良く食器を次々に洗っていく。そんな中、他のみんなは食後のお茶をのんびり飲んでいる。妙に静かな、別に息苦しいと言う訳ではないが、今朝の出来事を考えると少し場の空気が重い。
「そ、それにしてもよく叔父さんがみおりを真人にくれてやる気になったよな」
 去年の出来事をよく知らない力人が話の中心になるらしい。それが墓穴を掘っているとしても……だ。
 誰に言うでも無しに呟いた力人の独り言にちゃんと返事があった。
「反対はした」
 そう答えたのは当然みおりとさおりの父親である。
 名は『あきら』。漢字で書くと『晶』となる。同じ父親と言う立場でも力とは違いどちらかと言うと細身で知的なイメージを受けるが、頑固さと言う点では力に負けてはいない。
「あっ、やっぱり」
「しかし今は真人の嫁にみおりをくれてやってもいいと思っている」
「嘘っ!?何事?叔父さん頭でも打ったのかよ?」
 明らかにうろたえる力人。そう力人がうろたえるくらい珍しい事なのだ。
 たぶん去年の出来事から考えると晶はかおりや貴子に押し切られたのだろう。みおりとさおりの事をもう目に入れても痛くないくらい可愛がっていて、正義が挨拶に来た時はもう……正義が苦い顔をしているのはきっと今の話しからその時の事を思い出しているのだろう。それはまた何時か話す事もあると思う。
 とにかく真人もきっと苦労するんだろうなぁ、と親心ならぬ兄心で思っていたのだが何があったのか晶がみおりと真人の関係を認めている。確かに晶にとって角切家の子供達も息子同様に可愛がってくれてはいたし、みおりが将来的に真人の嫁になるのも何となく望んでいたのも知っている。それはあくまで自立した真人であって『今の真人』ではない。しかし晶は『今すぐでも構わん』と言った態度。一体何があった?と言うのが力人の正直な感想。
「確かに頭を打ったと言えば打った様なものだが……」
 結局去年の事件の後、みおりが泣きながら晶達の前に戻ってきたものだから晶父さんは大激怒。真人の所に怒鳴り込んでいったら、晶以上に大々激々怒していた真人にクロスカウンターを見事に喰らったらしい。
 そして床に崩れる晶に真人は、
『ちゃんと大学出て、公務員になってお給料貰えるようになってからみおりをお嫁さんにして、幸せにするんだから余計な事するなっ!』
と怒鳴ったらしい。
 そしてみおりにも真人がちゃんと一晩掛けて同じ様な事を説得と言う形での説教をしていたらしい。とにかく真相を知っている訳ではないので全て『らしい』と想像するしか力人には出来ない。
「……でだ。真人がその場に流されないでいてくれた事にも感心したし、何よりみおりの事を真剣に考えていてくれた事が嬉しくてな」
「で、今はいいって訳?」
「そうだ力人。別に今晩でも真人の所に忍ばせてもいいと思ってるぞ私は。なぁ」
と力に話しを振る晶。どうやら父親同士でも色々ある様だ。
 それはそうとそれを聞いていた他の者は、それじゃ去年の二の舞だ、と思うが口にはしない。
「俺には飛び蹴りだったけどな。真人の奴、実の父親を足蹴にしやがった」
 その後、晶に言った事と同じ事を力にも言ったらしい。
 でも母親達を殴る事は出来なかった上に言い包められそうになり、結局拗ねて家出。それもさおりの手によって半日で終わっているし、去年の誕生日は散々だった様子。
「ようやく真人が何で怒ってるのか納得がいったよ」
 呆れた顔をして見せる力人に綾日が、
「でも力人さんがその場にいたら、きっと真人君みおりちゃんを一緒にさせ様としたでしょ?」
「そうかな?……そうだな。違いない」
と可笑しそうに笑う二人。
 そんな力人と綾日を見て、みおりが拗ねた様に、
「そんなに私のフラれた話が面白いの?」
「フラれたの?……私には随分と愛されている様に聞こえるけど」
 まるで自分の事の様に嬉しそうな綾日がにっこり笑って見せるとみおりは頬を紅くして、えへへ、と照れて恥ずかしそう。自分以外に面と向かってそんな事を言われた事はあまりないものだから。
「当然でしょ。みおりは私の妹なんだから。どんな男でもイチコロよ」
と振り返ったさおりが偉そうに胸を張る。遠回しに自分の事を誉めているらしい。
「まーくんだけでいいよ」
 姉とは違い随分と控えめなみおり。
 まぁね、と返事をする姉を見て、ふと思い出したのか、
「そう言えばお姉ちゃんだけだよね。『まだ早い』って反対してたの。何で?」
 他の家族全員がグルになっていたと言うのに姉のさおりだけが反対していたのが何となく気になる。いや、確かにさおりの言う事は正論だった訳だから気にする必要はないのだが……それでも大好きな姉だけが反対した事にもしかしたら『いけない事』をしている様な罪悪感を感じたのかもしれない。
「んー、何でって言われたってね困るんだけど。そのまんま言葉通りなんだから」
 自然。
 そう、あまりに自然過ぎる答え。さおりらしくない。そうみおりが思うと同時に、
「それだけじゃないでしょ?」
 楽しそうに。そう待ちに待ったタイミングがやっとやって来た、と言わんばかりの葵。逆に慌てるさおり。何が起こっているのか今一つ解からないギャラリー。
「せ、先輩っ!まっ……」
 葵が何かを言いたそうなさおりの口を手で抑えて、遮ってしまう。
 隙が出来た。ほんの僅かな間だったが、その出来た隙で十分だった。
「あのね、さおりが反対したのはね。みおりちゃんより先に叔母さんになりたくなかったからなのよ」
 さっきの仕返しよ、とバツの悪そうな顔をしているさおりにウインク一つ。真人を甘やかしている、とさおりに言われた事をしっかり根に持っていた様。そんな葵だからこそ未だにさおりの頭が上がらないのかもしれない。
 そして誰が何に呆れたかは解からないが、それぞれ思い思いに苦笑が漏れた。
 
 
 
 

 コンコン。
 軽くノックをし、部屋の中の真人の返事を待つみおり。何時もならみおりから声を掛け、そのまま勝手に入ってしまうのだが今日は真人の機嫌が悪いから慎重。
「んー、だれー?」
 眠そうな真人の声。実際に二度寝でもしていたのだろう。
「私。まーくん、入ってもいい?」
「みおりちゃん?……いいよ」
 鍵が外れる音がし、しっかり許可をその耳に確認してから部屋に入る。エアコンが効いているのか中は随分と涼しい。六畳の和室。そのくせ、部屋の入り口は襖ではなくドアと言うアンバランスさ。その部屋の真中に敷きっぱなしの布団の上、タオルケットに身を包んだ真人が眠そうに目を擦りながらみおりを迎え入れた。
「何?」
 眠い為か随分と短絡的な真人の言葉。みおりは部屋を見渡しながら、
「朝ご飯、全然食べてないでしょ。おにぎり作ってきたよ」
 また散らかってきたかな、と思う。六畳の部屋と言っても押入れがある為結構すっきりした感じに整っている。それもまぁ、みおりが時折真人の部屋を片付けに来る為だが。本当にいいお嫁さんになれる、とみおりが自画自賛してもそれはあながち勘違いでもなさそうだ。
 それに比べ真人ときたら、
「ほんと〜うれし〜」
と頬が緩みぱなし。既に機嫌は治った模様。みおりは一安心。しかし、これがさおり辺りならこめかみに青筋浮かべて、真人にデコピン一発、眠気グッバイってな感じになりそうなものだが、それはそれ。惚れた弱みと言うか何と言うか、みおりは真人の無邪気に喜ぶ姿が見られて嬉しいのだから。
 えへへ、と笑いながら、
「はい、まーくん」
と塩おにぎりとオカズの皿が乗ったお盆を真人の前に置く。真人は、いただきます、と手を合わせてから美味しそうに食べ始める。
 十分も経たない内に、
「ごちそうさま」
「美味しかった?」
「うん。おいしかったよみおりちゃん」
 箸を置く真人とお盆を隅に置くみおり。そう二人きりの時とか寝ぼけている時など真人はみおりの事を『ちゃん』付けで呼んだり、自分の事を『ボク』と言ったりもする。一応人前では大人ぶっているつもりらしい。
 みおりが真人をのんびり眺めている。真人は布団の上に座ったまま幸せそうな顔のまま、真人専用の白と黒のチェックのマグカップに部屋に備え付けた小型の冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出す。もちろんみおり専用のマグカップもこの部屋にあるので一緒に二人分注ぐ。
「はい」
「うん」
 何か言いたそうなみおりはとりあえず白い猫の絵の付いた自分の黒色のマグカップを真人から受け取り、一口。
 よくよく見ればこの真人の部屋には色々ある。貴人が大学時代使っていた物のお下がりが大半だが、
「テレビにビデオ……食器棚にはコップやマグカップ。ついでに電気ポット。果てはツードアの冷蔵庫。もちろん中にはアイスやジュースが常備……」
 確認する様にみおりが呟く。まだ押入れの中にも色々ある。後、表立って見れるものと言えば勉強机……の上にあるノートパソコンとCDとMDラジカセ。横には教科書や参考書の入ったのとゲームソフトやCDの入ったの二つのカラーボックス。更にゲーム機本体も目に入るのだけで三つ……まだ押入れの中に何個かあるはず。みおりの部屋もあまり変わらないが別に冷蔵庫や食器棚がある訳でもない。ゲーム機もみおりと一緒に使うようにと言われているのをただ真人の部屋に持ってきてあるだけ。確かにみおりは自分の部屋より真人の部屋に居る率が高いとは言え……
「甘いのかなぁ……やっぱり」
 朝の姉の言葉を思い出してしまう。そんな独り言呟くみおり。真人は真人で食後のお茶を楽しんでいる。
「どうしたの?」
 今更、目新しい物も無いのにキョロキョロと部屋のあちらこちらをみおりが見てるのが不思議な真人。みおりと一緒に部屋の中をキョロキョロ。
「ん……男の子の部屋ってこんな感じなのかなって。私、男の子の部屋ってまーくんやお兄ちゃん達の部屋ぐらいしか知らないから」
「あんまり変わらないと思うよ。うん」
 真人自身はそう言うが真人の友人達から言わせれば『恵まれ過ぎ』らしい。色々理由はあるが何より許せないのが……
「じゃ、お布団畳むからどいて」
 世話焼きの幼なじみ……しかも可愛い女の子。その辺りの事を真人本人自覚なし。みおりはみおりで自分が良くいる部屋が散らかるのが嫌で片付けをしてるのだけなのだか周りからはそうは見えないらしい……と言うか絶対見えないと友人達に断言されている。しかし真人とみおりは昔からそうだった為、なんでそんな事をいわれるのか良く解からず二人揃って首を傾げるばかり。そんなお子様な二人が周りの友人達……主にクラスメイトをイライラさせている。しかも肝心の二人はそんな事に気付きもしない。ある意味、究極の天然コンビだとクラスメイト達に思われていた。
 それはともかく、お茶を飲み終わったみおりが真人に布団から退く様に言うと、
「やだ。眠い」
とあっさりタオルケットに真人は包まる。
「じゃ、私も」
 真人の隣に寝転ぶみおり。こう言う事が平気で出来る辺りが友人達の神経を逆撫でする事になっていると何時になったら二人は気付くのだろうか。まぁ、周りの見解は一生無理と判断。それはある意味正しいのかもしれない。
 
 

 それから少し時間が経って朝の九時を少し回った頃……
「朝から人の家に来るなんて随分と暇みたいね」
 さおりがジーパンに白のTシャツ。その上からエプロン。竹箒で玄関を掃いていた手を止め見慣れた顔に嫌味をプレゼント。
 さおりの嫌味にも慣れているのか、
「俺様、学生。今、時代は夏休み。俺達のパラダイス。OK?」
「三食昼寝付きの主婦が何言ってるのよ」
 呆れ顔が二つ並ぶ。
 そしてその呆れ顔がお互いの顔を見つめ……いや、睨むと、
「何でオマエがここに居るんだ?寺沢」
「そっくりそのままその台詞返すわよ佐野」
「俺か?俺は真人と夏休みの宿題をやるんだよ」
「はっ、アンタ達がね。こりゃ一雨来るわね。まぁ、あたしとみおりは日頃の行いが良いからそんな事は無いけどね」
 つまり相手は違うがお互い宿題をやりに来たようだ。自分達の乗ってきた自転車を挟んで睨み合う。
 シルバーのシティサイクルで真人達が通う学校の夏服を着ている寺沢と呼ばれた女の子は『てらさわ ゆみこ』と言う。由美子は学校の花壇に水を撒く当番だったとの事。吊り目がちな瞳。茶色みの強い髪をツインテール。背は低いがその分栄養が胸に行っているような気の強そうな娘。
 それに対して赤色のマウンテンバイクに『海人』とプリントされた黒のTシャツに黒のジーンズ。モスグリーンの堅そうな帽子を後ろ前に被り、由美子より背は頭一つ高く、体付きはしっかりしていていかにもスポーツ少年な佐野と呼ばれたのは『さの てつや』……哲也と由美子は真人とみおりと同じクラスなのだが仲が何故か悪い。同族嫌悪と言う言葉がこれほど良く似合う人間も珍しい。
 とりあえず自転車を止めても睨み合う二人。不意に由美子が、げしっ!と哲也の足を蹴る。
「何だよっ!?おいっ!」
「あたし、男に見下ろされるの嫌いなのよね」
 何時もこんな感じである。が今は場が悪かった。一人忘れている。
「あんた達が何しに来たのかは解かったわ。にしてもあんた達は何時から私にあんな生意気な口が利ける様になったのかしら?ん?」
 微笑むさおり。だがその笑みは限りなく冷たく……その笑みを見た二人は凍りつき、
『さおり姉さんは今日もお綺麗で』
 こう言う所は息が合うらしい。ちなみにその恐怖は由美子は中等部から、哲也は初等部……要は小学生の頃から知っていた。
「今更何を」
 ふっ、と鼻で笑ったさおりは電光石火、両手を突き出し二人にデコピン。
「ぐおおぉ」
「ぃったぁ〜い」
 二人とも殺人的な破壊力のデコピンを喰らい、額を抑えその場に蹲った。
 それを見て満足したのか、さおりは掃除を再会しながら言う。
「真人は自分の部屋。みおりも真人の部屋よ。たぶん。後は勝手にお上がり」
『へへぇ』
と二人揃ってさおりに頭を下げ、玄関に。表札は何時もの通り『角切』と『鬼塚』の二つが掛かっていた。一体どっちが正しいのか?そんな疑問が頭を遮る二人だが、結局どちらでも良いのだろうと勝手に納得した。
 
 

 そして真人の部屋の前……
 部屋の鍵が掛かっている。固まる二人。その頭の中、どんな想像をしているのだろうか?哲也にしろ由美子にしろお年頃。どんどん想像がエスカレート。その加速力は大気圏を突破中のロケットに匹敵。
 とりあえずお互い顔を見合わせてからドアに耳を当て部屋の中を探る。
 ……物音はしない……が何か聞こえてくる。
 それがみおりのくぐもった声だと解かった時、
 ドンドンっ!と由美子が激しくドアを叩く……いや殴りだし、
「みおりっ!角切っ!アンタ達何やってんのっ!?今すぐここを開けなっ!」
 剥きになって怒り始めた由美子を見て逆に冷静になった哲也は一言、
「何やってるって……『ナニ』しかないだろ」
 由美子に突っ込む。
「うるさいっ!」
 哲也の方を向きもせず、由美子の繰り出したパンチは哲也の鼻をクリーンヒット。唸りながらその場でのたうつ哲也……哀れなり。けれど同情してくれる人は誰もいない。
 そんなこんなで廊下で騒いでいるのが功を奏したのか、真人の部屋のドアが開いて、みおりが目を擦りながら顔を出す。
「おはよ……由美子。もう十時?」
 ボケボケっとしたみおりは由美子と対照的。とりあえずドアを開けた事で自分の役目は終わったとばかり出した顔をドアの内側に引っ込めた。
 ばんっ!
 と激しくドアを開き由美子は真人の部屋に入り、『敵』……この際『的』でもどちらでも良いのだが、とにかく『それ』を探す。『それ』は部屋の真中に敷かれた布団の上でまだ夢の中にいるらしい。とりあえず最悪の事態は避けられていたらしいがその事実だけでは不足らしく由美子の怒りは収まらない。
 みおりはみおりで『それ』に向かってトロトロ歩き、それを背中から抱きしめる様に一緒に横になった。
 そのみおりの行動が由美子の怒りを更に煽り、
「みおりっ!『そんなの』と一緒に寝るんじゃないのっ!」
 聞こえているのかいないのか。みおりは『そんなの』、もしくは『それ』、『的』、『敵』……どれでも良いがとにかく真人の事。その真人の背中に顔を埋め、
「ん〜」
と眠そうに唸ってから、背中越しに聞こえる由美子の声に振り向く。そこには仁王立ちした由美子が、ガルルと怒ったドーベルマンの如く威嚇するような声を出していた。
 それだけ騒がしければさすがの真人も目を覚ますらしく、
「う〜」
 寝返りをし、今度はさっきと逆にみおりを抱きしめた所で、パチリと目を覚ます。もちろんそんなアングルから由美子を見上げればスカートの中はばっちり覗けてしまうわけなのだがあんまり気にならないのか、
「おはよう」
 ごく普通に朝の挨拶。何が嬉しいのか……いやみおりが側にいるのが嬉しいのだろう。ニコニコしている真人の顔を遠慮無く由美子は踏みつけた。
 枕にめり込む真人の頭。顔を踏みつけたまま由美子は、
「アンタは何様?あたしのみおりに許可無く勝手に抱き着いてるのよっ!聞いてる?角切っ!」
 聞いてる?と言われても無理だろうなぁ、と寝ぼけ頭のみおりは思う。そして少しづつ頭の中がはっきりしてきたのか、
「スカートの中、覗かれた事怒ってるんじゃないんだ」
 ポツリ呟き、私は由美子のじゃなくて、まーくんのなんだけどな、と改めて思いながら自分の身体に絡まっている真人の腕を見て照れてみるみおり。
 一方由美子はみおりの言葉で初めて真人にスカートの中を覗かれた事に気付き、無言でもう一度真人の顔を踏みなおした。
 五分後……時計の針は九時十五分を示していた。
 半べその真人をみおりが慰めながら、由美子に不機嫌そうな顔を向ける。哲也も哲也で復活し、事の成り行きを見守っていた。
 布団は畳まれ既に押入れの中。変わりに出てきたのがテーブル代わりの布団無しの電気コタツ。普段使っている小さな折畳式のテーブルでは役不足という訳で急遽登場。まぁ、真人の部屋に三人以上集まる時は使われているのだが。
「何で由美子は何時もまーくんを苛めるの?」
 ぷんぷん、と怒っているみおり。だがそれは真人を苛められた事よりも二人きりの時間を邪魔された事の方が理由的に大きい。由美子が邪魔しなかったら後三十分は二人きりでいられたのに、とみおりの顔にはっきり書かれている。由美子と哲也に言わせれば色々理由はあるのだが一番の理由は『ただ暇』だったと言う事らしい。それで何となく早く来た様だった。
「別に苛めているわけじゃないわよ」
 肩を竦めながら由美子がそう言うのに、
「嘘吐くな。寺沢は何時もオレの事苛める癖に」
 みおりの影からコソコソと文句を言う真人。
「あんですとっ!?今何か言ったかしら?す・み・き・り・く・ん」
 鬼の形相の由美子に睨まれた途端、みおりの影に真人は隠れた。どうやら恐いらしい。
 そんなやり取りを見ていた哲也はポツリ、
「相変らず情けない奴」
 呟くが未だに納得の出来ない事の一つ。さおりを恐れるのならば何となく解かる。哲也だって恐いのだから。だがしかし真人が由美子を恐がる理由が未だに解からない。
 まぁ、でも真人の周りは真人を甘やかす人間ばかりなのでたまには由美子の様に真人を苛めるくらいの人間が居ても良いだろう。その方がバランスが良い。結局何時もの答えと言うか、無理矢理自分を納得させた。
 
 

 カリカリ、と部屋の中をある意味珍しい音が支配している。普段ならそんな音は滅多にこの部屋ではしない。
「ところでさ。ナベさんと委員長はどうしたの?てっちゃん」
 ナベさんと委員長……共に真人のクラスメイトである。とりあえずシャープペンを走らせながら哲也に話しかける真人。記憶が確かなら、ナベさんと委員長も今日一緒に宿題をやるはずだった。分担して。そして既に約束の時間である十時を二十分ほど過ぎていた。
「あぁ、アイツ等は逃げた」
「逃げた?」
 哲也の返事を確かめる様に呟く。顔はノートに向かっているがその呟きだけで真人が訝しげな顔をしている事は解かった。
「そう逃げた」
「何で?」
「オマエんちだから」
 そう言われ真人は理由を考える。真人の家だから約束をすっぽかさなければならないだけの理由を。で、思いついた答えを口にしてみる。
「さおり姉ちゃん?」
 真人の方を向いた哲也は無言で頷く。
 そして真人達の会話が一区切りしたのがいい切っ掛けになったのか、みおりも由美子に訊いてみた。
「あっちは終わった様だけど……で、私達の待ち人は?」
「男」
 由美子はつまらなそうに呟く。そんな由美子を見て何となく全てを理解したみおりは確信を得る為、
「デート?」
「そうよ。小雪は友情より愛情を取ったのよ。それにしてもあんな親に扶養されている男の何処が良いのかしら?」
 今ごろ楽しんでるんだろうな、私もまーくんとデートしたいなぁ、と羨ましく思いながらみおりはブツブツと文句を言ってる由美子に苦笑。遠距離恋愛であんまり会えない事は由美子も解かっているので表立って文句は言わないらしい。
 とりあえず宿題を再開。
 だが次の瞬間、
「おっはよ〜ございますっ♪」
 元気な声と共にドアが開け放たれ、一人の少女が登場。天然なのか癖の強い髪を肩に届かないくらいで揃え、背も高いのでジーパンにシャツと言った男の子の様な格好が良く似合っている。
「あ〜、かなちゃんだ」
 いち早く気付いた真人に続き、
「ほんと。香奈だ」
「おはよう香奈ちゃん」
「ん?望月か」
 残りの三人が少女の方を向く。『望月 香奈』と言う少女は屈託なく笑うと、
「頑張ってますね先輩達。宿題ですか?それは丁度良かった」
「何が丁度良いの?」
 何気なくみおりが訊いてみると、香奈は背負ったバックから数冊の教科書とノートを取りだし、
「えっと、宿題を手伝ってもらおうかなと」
 笑顔を崩さず言い放った。
「え〜」
 明らかに不満の声を上げる真人に、
「あ、始めから真人先輩と佐野先輩には期待してませんから良いですよ。わたしが用があるのはみおり先輩と寺沢先輩ですから」
 別に言葉に棘がある訳ではない。ただ長い付き合いからこの位の事は笑って言える仲なだけ。現に笑って見せる香奈。真人はまた別の意味で不満げな声を上げた。
 要はただ宿題の答えを埋めるだけの真人と哲也組に対し、この時期から夏休み開け後の実力テスト対策を兼ね、宿題を解いているみおりと由美子の優等生組。どちらを頼ればいいのか明らかだ。現にそれは成績にも出てきている。
 学年の人数が二百五十名を超える中、みおりはだいたい三十番前後の成績。由美子に到っては十番以内が当たり前の成績。常に真中辺りの成績から下の方を行ったり来たりしている真人と哲也……香奈の態度も納得できると言うもの。
 しかし……
「香奈、夏休みの宿題くらい自力で解きなよ」
 由美子は厳しい。けれど面倒見は良い。そう言う所はみおりと良く似ている。だから気が合うのかもしれない。
「殺生な。そんな事言わないでくださいよ。この炎天下の中、一生懸命自転車をこいでここまで来たのに」
 大袈裟な素振りをしてから両手で顔を覆い、しくしくと泣き真似を始めた香奈。そんな香奈にため息一つ吐いて由美子は、
「別に教えてあげないとは言ってないわ。ただね、少しは自分で解きなさいと言ってるの。あたしは」
「じゃ、教えてくれるんですね?」
 ぱぁ、と笑顔を由美子に見せる香奈。変わり身の早さは由美子譲り。もう一度由美子はため息を吐くと、
「……確信犯が何言ってんのよ。みおりも何とか言ってやって」
 少し間を……そうほんの少しだけ間を呟いた。
 苦笑しているみおりは、
「香奈ちゃん、私も自分の宿題あるからすぐには駄目……」
「え〜」
 明らかな不満を表わす香奈を無視してみおりは言葉を続けた。この辺りのマイペースな所がみおりの強い所。
「だから午前中は自分でやる。お昼食べてから解からなかった所教えてあげるからね。それで良いでしょ?由美子もね」
「あたしもそのつもりだったし」
 どうやら由美子はみおりにうまく代弁させた様。
「えへへ、ありがと先輩」
 香奈は由美子の側まで来ると由美子の頭を撫でながらそう言った。
「こらっ!香奈、その人の頭撫でる癖やめなさいよ」
「何で?先輩ちっちゃくて可愛いですよ」
 170cm近く身長がある香奈に対して由美子は150cm……
「教えてあげないわよっ!」
 怒り始める由美子の隣に平然とした香奈は腰を下ろし、由美子の胸に手を伸ばすと、
「そんな意地悪言わないでくださいよ。胸は相変わらず大きくて良いなぁ羨ましい……65のDかな?」
 ふに、と軽く揉んでみて自分のと比べている。恥ずかしさに顔を紅くする由美子は何か喚いているが香奈は気にする様子もない。それどころか何時の間にか真人の隣に移動して香奈の座れるスペースを確保し様としていたみおりが自分の胸を見ているのに気付いて、
「大丈夫ですよみおり先輩。真人先輩に揉んでもらえば、すぐ大きくなります」
 みおりは香奈の言葉に由美子以上に顔を紅くする。だが真人は、何で大きくなるのかな?とむしろその方が不思議で首を傾げ、それを見た香奈は真人が言葉の意味を理解してないの知るとまた屈託なく笑った。
 不意に、
「おまえ等、男の前だって事解かってるのか?まぁ、俺的にはいいもの拝ませていただきましたが」
 みおり、由美子、香奈に向かって呆れた様に呟く哲也。次の瞬間、由美子のペンケースが哲也の顔面を直撃した。
 
 

 昼は結局真人と哲也が買出し部隊となり近所のパン屋さん兼駄菓子屋さんへ。コンビニでも何処かのファーストフードでも良かったのだが何となく全員の意見が一致したのでパン屋に決定。ちなみにパン代は何故かさおりが出してくれた。やっぱりこう言うところがお姉ちゃんなのだろう。
 二人がパン屋から帰って、さっそくパンを頬張りながら、他愛もないお喋りが始まり、だいたい話すネタも一段落し、そろそろ宿題を再開と言った頃、
「そう言えば先輩達、今日のニュース見ました?」
 ふと香奈がそんな事を聞いた。
「ニュース?」
「そうですよ。殺人事件。それもバラバラなやつです」
 何故興奮しているのか解からないが香奈は力説。
 バラバラ殺人……なんかやだな、と真人は口の中のパンをコーラで流し込む。だからと言って興味が無い訳ではない。香奈がここまで興奮しているからにはそれだけの理由があるのだから。バラバラ殺人と言った猟奇的な物よりもむしろその『理由』の方が真人は気になった。
 何故、気になったと言えば、結局の所珍しくない事なのだ……いや目新しくないと言えば言いのだろうか?バラバラ殺人が起こる事は現実として自体は珍しいかもしれないが、それ以外の非現実の中ではありあふれている。だからそんな珍しくも無いものに香奈が興奮している理由が知りたくなった。
「あぁ、朝からやってたヤツね。確か『北』の奴が犠牲になったとか言ってたわね」
 『北』と言うのは隣の別の高校の事。だいたい学校を略して言うのが学生達の間での常識。それにしても朝からニュースを見る習慣が無い真人にはそう朝からニュースを見ている由美子が偉い人に見えてしまう。感心して、
「偉いね寺沢は」
「別に偉くないわよ。普通よ普通……」
 とりあえずパンを食べ終えた由美子が缶コーヒーを一口。由美子にして見れば真人と同じ理由でそれほど興味を引かなかったのだろう。面白くなさそう。
 しかしその由美子のおかげで何となく香奈が何を言いたいのか真人には解かった。
 つまり地元……しかも近い訳ではないが隣の学校の生徒が犠牲になったのだから、気にならないと言えば嘘だ。
「あ、でもなんで北高の奴だって解かったの?」
「ん〜、制服着てたらしいわよ。まぁ、誰かまではわかってないらしいけど」
 ふ〜ん、と由美子に相づちを打つ真人。北高に知り合いがいないとは言え自転車で三十分も走れば着いてしまう距離だから知り合いが襲われない可能性が無い訳ではないと思う。僅かに心配が顔に出る。
「そんな心配そうな顔すんなよ真人。日本の警察は優秀だからすぐに犯人は捕まるさ」
 僅かな表情を読み取り、苦笑して哲也が真人の心配を和らげようとする辺り、哲也と真人の付き合いが長い事を象徴していた。
「うん。そうだね……」
 何かはっきりしない。そう何かが……
 とりあえず真人はその事を忘れようとするが香奈はそうでもないらしい。
「ところがですね、事はそう簡単じゃないみたいですよ。犠牲者の身元は判明した様ですが、犯人の見当がまったくついてない様ですよ」
 まだ話したりないとばかり、口早に言葉を続け、周りを見る。その顔には、何でも聞いてください、と書いてある。
 しかしみおりが一言。
「ねぇ、香奈ちゃん……宿題いいの?」
 ため息交じりのみおりは、困った後輩ね、と思うが何故か憎めない香奈を見て苦笑。軽く唸る香奈を宿題に促す。
「みおり先輩のいけず……」
 香奈の呟きはみおりの耳には届く事はなく、再びお勉強の時間はやって来た。
 
 

 宿題もかなり進み、時計の針が午後の五時を示した所で、今日はここまでとお開きになった。
 玄関で真人とみおりが見送りする中、香奈が思い出したように紙袋を二つ取り出す。
「おやつの時間に出そうと思ってたんですけどすっかり忘れてました」
 あはは、と自分を誤魔化す様に笑う香奈。
「何それ?」
 みおりは唇の少し下辺りに指を添え、真人と一緒に首を傾げてみる。癖なのか様になっていて可愛らしい、と由美子がみおりを抱きしめ、
「もう、みおり。アンタは何て可愛いの」
 うっとり中。
 ちなみに男にモテると言う意味では由美子の方が人気が高い訳だが性格がきつい為誰もが遠くから眺めているだけ。時折勇気ある奴が告白するらしいが尽く撃沈。かなり強敵らしい。
「暑いよ由美子」
 しがみ付く由美子を両手で引き離す。残念そうな由美子は真人に八つ当たり。
「アンタは似合わないのよっ!」
「そんな事ないですよ先輩。真人先輩って意外と可愛いって中等部ではウケはいいですよ」
 ただみおり先輩が側にいるから誰も手を出さないだけです、と照れてる真人を見ながら香奈は笑う。つまり準備だけは何時でもOKの状態。後はみおりの隙をつくだけ。逆にみおりに関しても狙っている男子生徒は沢山いるが……
 むすっ、と目に見えてみおりの機嫌が悪くなり、明らかにやきもち状態に突入。香奈はもうその事に触れない様にしようと話題を変えようとした矢先、由美子が、
「そうよみおり。角切なんて中等部のお子様か、先輩のお姉さまにくれてやれば。アンタにはもっといい男を見つけてあげる」
「俺なんかどう?」
「冗談は顔だけにしないと殴るわよ」
 由美子は哲也を一蹴。哲也は降参とばかり肩を竦めて、おどけて見せた。
「私はまーくんがいいのっ!」
 拗ね始めたみおり。
「はいはい解かりました。まったく……みおりは磨けばもっと光るんだから角切なんかには勿体無いのよね」
 何時もの事なので慣れてしまったのか由美子はため息一。真人を見て、
「こんなのの何処がいいのよ?」
 本当に理解出来ないと言った表情をし、真人に軽くデコピン。真人も避けずに苦笑。自分でも何処がいいのか良く解かってないから。
「教えてあげない。教えたら由美子までまーくんの事好きなっちゃうもん」
「あはは、それはないわ。あたしは親に養われているガキには興味ないの」
 当然とばかり態度で示す由美子は笑って否定。
「でも強いて言うなら何処が好きなの?角切の」
「全部よ」
 余裕の笑顔で嬉しそうに言うみおりに一言、
『ごちそうさま』
 真人とみおり以外の全員の言葉が重なった。
 落ち着いた所で、
「そろそろ思い出してもらえません?」
 苦笑している香奈が話を元に戻す。
 手には紙袋が二つ。一つをみおりに先に渡して、もう一つを真人に。
「みおり先輩には少し早いですけど、誕生日のプレゼントです。大した物じゃないですけどね」
 それでもみおりと真人は嬉しそう。お互いの顔を見てはしゃいでる。
「ありがと〜かなちゃん」
「ありがと香奈ちゃん。今年は上手に焼けたみたいね」
 喜ぶ真人の横、みおりは中身が何か何となく解かったのか意味ありの台詞。
 香奈も香奈で、えへへ、と恥ずかしそう。
「去年みたいにお約束の失敗はしてませんよ。ちゃんと味見しました」
 去年は砂糖と塩を間違っていたのを思い出した為らしい。
 それで由美子も袋の中身が何か解かったのだろう。思い出した様にポロリと、
「あぁ、塩分取り過ぎ殺人クッキーね。お大事に」
「あ、ひっど〜い寺沢先輩。今年のは自信作なんですからね。何せ調理クラブ部長のこのわたしが作ったんです。甘くて美味しいクッキーです。今年は」
 えっへん、と胸を張る香奈。だが由美子は……今年はって……つまり来年はまた失敗するかもしれないのね、と心の中で突っ込み、
「はいはい。そう言う事にしておいてあげる」
と勝ち誇ったような態度。
「で俺と寺沢には?」
 手を差し出す哲也に、苦笑と照れが混ざったような顔で香奈は言った。
「ほんとはもっと沢山あったんですけど……炭にならなかったのがあれだけだったもので……」
 申し訳なさそうに真人とみおりの持つ紙袋を指差す。なるほど、と哲也は納得。だからおやつの時間に出そうと思ってたんだな、と。けれど鬼コーチの由美子としっかり者のみおりの二人に挟まれ問題を解いていたらそんな事思い出す暇も無かった様だ。
「まったく香奈はあたしとみおりで二年間も鍛えたのに」
 元調理クラブ副部長の呟きに、
「御菓子以外は上手くなりました」
「本当?じゃ、今度味見してあげるね」
 墓穴を掘ったと香奈は天使の微笑を浮かべる先代調理クラブ部長であるみおりの有り難いお言葉に涙するのであった。ちなみに真人と哲也は帰宅部……学校以外の場所で色々していたらしい。
「じゃ、そろそろ帰るか?」
「そうね」
 哲也の言葉に由美子が頷く。香奈も慌てて支度し、二人に着いていく。真人とみおりも割かし広い庭を一緒に歩いて敷地の外まで見送り。
「さて帰るわよ香奈」
「はい先輩。じゃ、みおり先輩また今度……」
 由美子に引っ張られる様に帰る香奈とそんな二人に着いてく哲也。
「佐野、アンタの家こっちじゃないでしょ?」
「馬鹿かオマエは?あんな話聞いて女だけで帰せるか。二人とも送ってってやるよ」
「逆にアンタに襲われそうね」
「言ってろよ」
 昼のニュースの話の所為らしい。哲也のこう言う所は由美子も認めているのか、お互い軽口を叩いている。
「それじゃな真人。また近い内に連絡入れるわ。それにして何時も思うけどさ、オマエんち、神社みたいな寺みたいななんか変な家だよな」
「そうだね」
 これで哲也に同じ事を言われたのは何度目だろう?
 哲也のもっともな感想は慣れてはしまったが真人もそう思った事がある。つい苦笑してまう。
「じゃあねみおり」
「ばいばい〜」
 みおりの方は簡単に終わった様だった。
 走り出した三人の自転車を暫らく眺めていたが真人が、
「お腹すいたね」
 そう言うのみおりは頷いて家へと二人手を繋いで戻り、香奈お手製のクッキーを仲良く食べた。味はと言うと微妙に漕げていて僅かに苦かったが自信作と言うだけあって甘く美味しかった。
 
 
 
 

 時間はもう少しで夜の七時を指そうとしている。角切、鬼塚家の晩御飯の時間。
 で、それまで真人とみおりが何をしているかと言うと、
「やっ!」
 烈迫の気合が乗った掌底が真人の水月目掛けて突き出される。が真人もそれを喰らえば痛いじゃ済まない事を体が解かっているので突き出されたみおりの腕を受け流し、みおりの脇に回り、
「よいしょ」
と気合の篭ってなさそうな掛け声で気合を篭め、みおりの脇腹……レバーの辺りに拳を振り抜くが既にそこにみおりの姿はなく、地を這う様に身を低くしたみおりが真人の出足を払うべく、弧を描く低い後廻し蹴り。真人は僅かに後に下がり間合いを取り直す。みおりも体を半身ずらし、急所を曝す事を避け構えなおす。お互い合気道の様な格好だがやっている事はどちらかと言えば空手や拳法のそれに近い。
 暫らくお互いの動きを探り合うが何分ほぼ産まれた時からの付き合いだ。手の内はお互い解かりきっている。
 真人が前に出る。リーチいっぱいの所でみおりの顔目掛け、三回素早く拳を突く。しかし簡単にみおりはそれを捌く。だが真人の狙いはそれであり、捌く事によって狭くなったみおりの視界……その死角となった胴へと蹴りを放つ。
 がみおりはその蹴りを受け止め、真人の膝を極め、撒き込む。真人もそのままでは足が逝ってしまう為、みおりに逆らわず体を捻るが、それと同時に残った足でみおりのこめかみを狙う。その瞬間みおりは真人の足を放し、お互い転がり間合いを取り直す。こんな攻防が既に二十分近く続けられていた。しかも三度目。お互い決定打を放てぬまま時間だけが過ぎていく。
 そんな時、ガンガンっ!と派手な音がし、
「そろそろご飯よ」
 さおりがお玉とフライパンを持って稽古場に真人達を呼びに現れた。今日の晩御飯の当番はさおりらしい。
「もうそんな時間か」
と真人とみおりの組手を見ていた力が呟く。そう言えば腹の具合が丁度いい。
「飯にするか?」
 同じ様に真人とみおりを見ていた晶も晩御飯には賛成らしい。
 真人とみおりは晩御飯と聞いてさおりにじゃれついていた。
「今日は何?お姉ちゃん」
「何でもいいでしょ。好き嫌いは駄目なんだからね」
「え〜、ピーマン嫌いだよ」
 既に晩御飯は決定らしい。貴人と力人も少し前まで稽古場で真人とみおりに稽古をつけていたがさすがに社会人と大学生……自分の時間を大切にしているのか一足先に上がってしまった。
 大事な話が合ったのだが、仕方がないとばかり重い腰を上げる力と晶。
「じゃ、飯にするぞ」
と言う晶にさおりがお玉とフライパンの柄を差し出し、
「これよろしく。私も少し体動かしてから行くから」
 そんなさおりに真人とみおりは明らかに嫌そうな顔をし、コソコソと稽古場から父親達と一緒に退散しようとするがそれを見逃してくれるほどさおりは甘くなかった。
「何処行くの?せっかく私が稽古つけてあげるって言ってるんだから」
「毎日してるじゃんか」
「そうだよお姉ちゃん。ご飯当番の日ぐらいお休みしようよ」
 真人とみおりがイヤイヤ、と駄々をこねる。
「ん〜、何か少しでも体を動かさないと調子悪いのよね。駄々こねてないで始めるわよ。二人掛りでいいから。七時まで後十分頑張るわよ」
 頑張るのは私達だよ。お姉ちゃん……さおりの言葉を訂正したくなるみおりだった。
 そして地獄の十分間が始まった事は言うまでも無い。
 
 

 稽古の後風呂に入り汗を流し、さっぱりしたはずの真人とみおりなのだが何処か辛そう。そんな二人とは裏腹に生き生きとしているさおりはあの十分の間汗一つ掻いていない。理不尽な思いをしながら真人とみおりは無言で箸を進める。
 そんな対照的な子供達を見て苦笑する力だが、
「真人、みおり、話があるからご飯食べたら稽古場まで来なさい」
 真剣な顔をしなおす。
『は〜い』
と心ここに在らず。そんな真人とみおりの声が重なった。
 
 

 再び稽古場……
 両家の両親が正座して座っている。真人とみおりもそれに習い、それぞれの両親の前に正座して座り、何の話か待つ。真人に到っては去年の話をぶり返そうものなら即家出とそんな事まで考えていた。
 が実際の話はもっと深刻の様な気がした……そしてとうとうその時がやって来た、と思うのだが話を聞いた真人は何処か安心していた。
 で、話というのが、
「事件の事は知っているな?」
 不意に晶が喋り始め、みおりが確認する様に、
「バラバラ殺人の事?」
 訊ねると晶は無言で頷く。
「なら知ってるよ」
 真人もその話ならば知っているとそう言う事らしい。
「だったら話は早い。『鬼』が出た」
 力は真剣な顔をしたままだ。
 これが普通の家庭ならば鼻で笑われてしまうが呆れられてしまう所だろうが角切、鬼塚の両家ではそうはいいかない。つまり『鬼』の存在を理解しているのだから。
 簡単に言ってしまえば角切、鬼塚の両家の血には『鬼』の血が流れている。遥かご先祖様の……つまり角切、鬼塚の両家の源流とも言えるご先祖様が鬼と人の間に生まれた子供。そして両家は『鬼』を奉って現代に到る。
「だから何なの?」
 怪訝そうな顔のみおり……いや父親達が何を言いたいのかは既に解かっているがあえて訊く。自分の考えの確認をとる様に。
「真人も去年元服を迎えたし、そろそろ頃合かと思う」
 睨む様なみおりの視線に耐えながら力が言葉を続け、
「だから今回の件は真人とみおりに任せようと思う。これは両家の決定でもある」
「だったらそんな回りくどい言い方しなくてもいいのに」
「そうよ。何時かはそう言う事になる事ぐらい私達も解かってたんだから」
 面倒臭そうに抗議する真人とみおり。そんな子供達に晶は、そんなものかな?と思いながら、
「でもな二人とも、始めてだからこそ、ちゃんと話さなければならないと思うよ」
 そう、ここ一年ほどはこの二人に任せられそうな『事』はなかった。そして漸く二人に見合ったと言うか始めてに丁度いい『事』が起きた。今回の事を無事に済ます事が出きればこれからは一人前として認められる。だからこそ始めが肝心……いや親心として心配と言うのもあるのだ。つい説教臭くなってしまうと言うのも仕方がない。
「という訳だ。今夜から頼んだぞ二人とも」
 そしてみおりと真人は夜に備えて仮眠した。
 
 

 日が替わる少し前、仮眠を終えた真人とみおりが学校の制服姿で準備をしていた。本当なら始めての儀式、ちゃんとした『正装』の方がいいのかもしれないがそんな時代錯誤の格好で外を出歩くのはおかしいと言う常識を一応持っていたらしく、それ以外でちゃんとした服装と考えた所、学校の制服しか思いつかなかった。
 お互い夏服と言う事もあって幾分涼しそう。だがこれで何かの式に出たとしても可笑しくは感じないだろう。
「みおりちゃん支度出来た?」
「うん。まーくんは?」
 お互い支度は出来た様子。みおりは特に何も持っていないが真人の手には鞘に納められた太刀が一本握られていた。
「終わってる。後はたか兄ちゃんかさおり姉ちゃんに車の鍵借りるだけ。どっちがいい?」
「ん〜、お姉ちゃんの車の方がちっちゃくて運転しやすいからお姉ちゃんのにしよ」
 この二人別に運転免許を持っているわけではない。ただこう言う事態が起きた時やはりものを言うのは機動力。だから親兄弟が寄って集って教え込んだのだ。ちなみにお巡りさんに見つかれば即怒られる事は言うまでも無い。
 しかしそんな事は気にしていないのか二人はどちらが運転するかさっさとジャンケンで決めてしまい……結局真人が運転する事に決定……とりあえず一番最初の犠牲者の出た北高目指して車を走らせた。
 
 
 
 

 震えている。
 じっと見つめた手が……
 目の前には見苦しく滑稽に腰を抜かし一歩でも遠く逃げようとする男が一人……暫らく好きにさせておく。
 それより気になったのだ。
 何故震えるのか……
 昨日の晩もそうだった。
 見つめる手だけではなく、月明かりに照らされる全身が震えていた。
 それはこれから起こる『裁き』に悦び、打ち震えているのか?
 それともこれから起こる『殺戮』に恐怖し、怯えているのか?
 そのどちらでもあり、そのどちらでもない……
 きっとただ一つの正しい答えなど無いのだろう。
 全てが正しくもあり、そうでもなく……
 ただ『鬼』として……
 ただ『人』として……
 そうただ震えているだけなのだから。
 
 
 
 

「結局……こなかったね」
 毎朝の日課である禊をしたはずなのだが眠そうに目を擦るみおりは真人の隣で遅目の朝食を取っていた。
「うん」
 返事をするのがやっとな真人は半分居眠りしながらトーストを齧る。口にした瞬間マーガリンを塗るのを忘れた事に気付いたが面倒なのかマグカップの中のコーンスープにトーストを千切った物を浸して食べた。
 色違いのお揃いのパジャマを着ている二人はもう何も考えずにただ胃に物を流し込んでいたが、
 ドタドタドタっ!
 何やら凄まじい勢いで家の中を走り回っているのがいる様だ。
 ぼんやりとそんな事を考えている真人。だからいきなり部屋のドアが開いた所で別段驚きはしなかった。
「おはっよ〜ございます。真人先輩、みおり先輩……何、貴重な夏休みの午前中をまったり過ごしてるんですか?」
 元気いっぱいの香奈。他人の迷惑も気にせず朝から参上。手には昨日と同じ荷物。味を占めたのかまた宿題をやりに来た模様。
 そんな香奈とは対照的な真人とみおり。香奈の方を見ようともしないでモシャモシャとトーストを齧り、スープを啜り、
「眠いね」
「うん。眠いね」
 夢の世界に片足を突っ込んでいる状態。
「あ〜ん、香奈を無視しないでくださいよぉ〜」
 予想外の反応に香奈は地団駄を踏みながらも次の手を考える。どうも昨日はしゃべり足りなかった。だから今日こそは満足するまでお喋りするのだ、と心の中でファイティングポーズをしっかりと構え、瞳が燃えていた。
 とは言えいくら香奈が心の中では準備万端とは言え、当の聞き手があの様な状態では……チラリと視線を真人とみおりに向けため息一つ。早くも切り札の一枚を使わなくてはならないのかと。しかしそれよりも……
「色違いのお揃いパジャマですか?先輩達なんか新婚さんみたいですね」
 香奈の予想通りにみおりは見事に『新婚さん』と言う言葉に反応する。
 一瞬はっとした顔をし、次に香奈と真人を見る。香奈は半分呆れた様に、真人はまだ夢の中の住人……しかし新婚さんと言われれば嬉しいわけで眠気もぶっ飛び、
「えへへ」
とみおりは照れ笑い。嬉しそうなみおりを見て素直に、可愛いなぁ、と思う香奈だが目的
の半分しか果たせなかった為、
「ちっ」
 小さく舌打。真人を起こすにはどうすれば良いのだろう?だがよくよく考えてみれば話し相手は確保出来たわけで結果オーライ。とりあえずみおりの隣に座り、香奈はみおりのご機嫌を伺う。それほど悪くはなさそうだった。
「ねぇ、みおり先輩、真人先輩の誕生日はそんな楽しかったの?」
「何で?」
「だって……夜遅くまで騒いでたんでしょ?だから眠いんじゃないんですか?」
 じぃ〜とみおりを見つめる香奈の視線は言葉以上の何かを期待している様に見え、何か寒気がみおりの背中を走る。
「違うよ。昨日は色々あって誕生日のお祝いは……」
 自分で言っていてみおりは気付く。
 忘れてた。
 まーくんの誕生日のお祝いすっかり忘れてた。
 ゆっくり真人の方を向くと誕生日と言う言葉で夢の世界から脱出してきたのだろう。真人もすっかり忘れられていた事を思い出し、膝を抱え拗ねていた。
「お祝いは……?どうしました?先輩」
 不思議そうに自分の顔を覗き込む香奈にみおりは苦笑してから、困ったわね、と自問自答。
「忘れちゃった」
 申し訳なさそうに答えるみおりに香奈は、
「あはっ、真人先輩かわいそ〜」
と言葉とは正反対に可笑しそうに笑い飛ばす。真人はそんな香奈に打ちのめされ、モソモソとまだ敷きっぱなしの布団の上で膝を抱えたままゴロゴロ転がる。どうやら真人流の悲しみの表現らしく、慰めて欲しいと全身で語っていた。
 けれど香奈にはまったく通じない。
「とりあえず真人先輩はほっときましょう」
 あっさり無視を決め込む香奈に、
「え〜」
と非難の声を上げる真人。再び布団の上で転がり出す始末。
 確かに昨日の話しですっかりと真人の誕生日の祝いの事を忘れてしまっていた訳だが真人自身も忘れていたのだから仕方がないと言えば仕方がない。でも貴人や力人が真人の誕生日を忘れるはずが無いのでたぶんこの『事』が終わり次第、自分と一緒に祝ってくれるつもりではないだろうか、とみおりは転がる真人を見て思う。
「で、なんで寝不足なんですか?」
「まぁ、色々あって……」
「だからぁ、その色々ってなんです?もしかしてぇ〜♪」
 みおりにしつこく食い下がっていた香奈が急に布団の上で転がっていた真人を両手で押しのけ、布団の上で何かを探し始める。真人は香奈に勢い良く押された為か押入れの襖とごっつんこ。一人、痛い、と呻く。
 香奈が何を探しているのか気になったみおりも一緒になって真人の布団の上を探してみるが特にこれと言って変わった所も無く、香奈が何を探しているのか見当もつかない。
「ねぇ、香奈ちゃん……」
「何ですか?先輩」
「何探してるの?」
 そう問うみおりに香奈はニタリと邪悪な笑みを浮かべ、一言。
「赤い染み」
 首を傾げるみおり。
 赤い染み?……何で香奈ちゃんはそんなもの探してるのかしら。まーくんがケチャップでも溢したのかなぁ、と今一つ香奈の言っている意味が解かっていない。
 きっと説明しなければその時が来るまで絶対みおりには解らない事だろう、と香奈は少しだけみおりをからかう事にした。
「解からないですか?ふ〜ん……きっと昨日の晩、真人先輩のリビドーが限界突破してみおり先輩を襲っちゃったんじゃないかと。そしてさおりさんを追い越して先にお母さんになっちゃんじゃないかと推理した訳ですよわたしは……」
「そ、そんな事……」
 顔を赤くして俯くみおり。さらに香奈は言葉を続け、
「だから証拠を探していた訳です。先輩、初物だからきっとHなマンガとか小説でよく破瓜の時の血がシーツに着くってあるじゃないですか。ホントかなぁと思って」
「か、香奈っ!!!」
 きっと今のみおりから音が出るなら沸いたヤカンみたいにきっとピーっと頭から蒸気を出していると言う表現が一番相応しいのだろうが当のみおり本人はそんな事考えている余裕はなく、とにかく顔を真っ赤にして叫ぶ。そう何時もなら『香奈ちゃん』と呼んでいるのに呼び捨てに成ってしまうくらい混乱中。
 そんな中、二人のやり取りを蚊帳の外で聞いていた真人がふと気になったのか、
「香奈ちゃん、『はか』って何?」
「違いますよ真人先輩。その言い方じゃ『お墓』のはかですよ。わたしか言ってるのは『破瓜』って言って……」
 真人の疑問に香奈が答えている途中、みおりの腕が香奈の首に巻き付き、きゅっ!と締めつけ、あっさり落とす。
「……まーくん」
「はい」
 みおりに呼ばれただけなのだがその視線のプレッシャーに耐えきれず何故か返事をしてしまう真人。やっぱり姉妹なんだなぁ、とこんな時ばかりはみおりとさおりが血が繋がっている事を強く実感する。
 そんなこんなで暫らくして着替え終わった真人とみおりがお茶を飲んでいると香奈が目を覚まし、
「あれ?わたし……」
 どうやらみおりに落とされた事は覚えてないらしい。
「あ、かなちゃんが起きた」
「起きたね。ところで香奈ちゃんは何しに来たのかな?」
 何処と無く、まだボーとしている香奈を真人とみおりはのんびり観察。宿題と言う言葉は既に二人の頭の中には無さそう。
 そんな中、香奈は上半身を起こし、軽く頭を振り、ボーとする意識を振り払いここに来た目的を思い出すと、
「そうだっ!テレビ、テレビです」
 小さな折畳式のテーブルの上にあるリモコンのボタンを押し、テレビの電源を入れると色々チャンネルを変え始め……ニュースだかワイドショーなのかよく解からない番組に辿り着く。
「ほら、またですよ先輩」
 香奈が興奮して今にも暴れかねない雰囲気の中、みおりはテレビの画面を見る。確かに驚いた。また事件が起きていたのだ。
「今度は南高……」
 昨日真人とみおりが張っていた北高とは正反対の方向。大体北高に行くまでの倍以上の時間が掛かるからだいぶ遠い。真人はこれと言って興味無いのか、それともまだ眠いのか特に驚いた様子も無く、ただテレビを眺めていると言った感じでつまらなそう。
「まーくん、ちゃんと見てる?」
「見てない」
 みおりはとりあえず真人をほっとく事にしてテレビに集中する。警察が陣取っていて現場まで見れないがレポーターがあたかもそうであったかの様に推測を事実として力説中。その姿は滑稽だったが何も知らないよりはましかな、とみおりは思う。そんな中、前回の犠牲者と今回の犠牲者が友人関係であったとそのレポーターが言った時、香奈が横槍を入れてきた。
「そうなんですよみおり先輩。知ってます?」
「知らない」
 そっけなく返事をするみおり。
「あぁん。意地悪言わないでくださいよ。これから言おうと思ってたのに……」
「はいはい。ちゃんと聞いてあげるから」
 そんなみおりに嬉しそうに香奈が擦り寄ると、
「あのですね色々友達に聞いたんですけど……」
 香奈が言うには前回の殺人事件の犠牲者と今回の犠牲者はテレビの言うように友人……それもあんまりいい噂を聞かないそんな友人関係。ただその友人関係にはもう一人加わるらしい……
「つまり何が言いたいの?香奈ちゃん」
「つまりですね。昨日の今日で二日連続……しかも犠牲者はそんな関係。だからきっと今夜もその最後の一人が……と言うわけでその最後の一人の学校で張っていればおのずと犯人を捕まえられるはずです」
「捕まえられるはずですって言われても……危ないから止めなさい」
 犯人を見つける気、もしくは捕まえる気まんまんの香奈が自慢気に語る姿にみおりは苦笑。しかし大した手掛かりも無かったのだから、香奈が言うように確かに犯人に近づくにはそれは良い手なのかもしれないとみおりは顔には出さず考えてみる。
「え〜、何でですか〜、明日には香奈は一躍有名人になるはずだったのに〜」
 悔しそうにみおりを睨む香奈。
 みおりはみおりで香奈を納得させる言葉を考えてみるが今一つ思い浮かばない。とりあえず正論で責めてみる事に。
「えっとね香奈ちゃん……そんな事言っても最後の一人ってまだ解かってないんでしょ?学校、高校だけでいったい幾つあると思ってるの?」
「大丈夫ですよ。それなら……ここまで思わせぶりに言っといて最後の一人が誰なのか判ってなかったらお間抜けさんじゃないですか」
「………………ん?と言う事は香奈ちゃんはもうその一人が何処の誰かさんか知ってるの?」
 みおりが訊くと香奈は、当然です、と言って自慢気に胸を張る。だがみおりはそんな香奈の返事より、張られた胸の方が気になり……この子の方が大きい……かな、とみおりは落ち込む。
「どうしたんですか?みおり先輩。まぁ、情報通の香奈にかかればこんな噂の一つや二つ、壁に耳あり障子にメアリーさんですよ」
「ん?」
 何の事なのかよくわからずに首を傾げるみおり。香奈の精一杯の冗談は真面目且つ天然のお姉さんには通じなかった模様。肩を落としながら香奈はもっと腕を磨かなければと明日に誓う。
 そんな香奈は気を取りなおし、
「で調べた所によると、その最後の一人と言うのがうちの高等部の三年生で……」
 調べたと言っても友達から聞いた程度であろう香奈の話は幾つもの憶測が加わって半分夢物語になっていた。しかしみおりは自分達のしている事を世間一般に話してみればそれはそれで空想や妄想の類にしか思われないのかな、とも思う。
「……何せ『鬼』だもんね」
 みおりの小さな呟きはため息交じりで上手くは聞こえず、
「先輩、今何か言いました?」
「ううん、ただその三年生の人、私、知ってるなって」
「えぇ〜!?何で知ってるんですか?みおり先輩」
 何でって言われても……みおりは苦笑し、意外な驚きと先を超されたと思う憤りで興奮する香奈を宥めながら、あの時の話を聞かせ始めた。
「えっとね、高等部に入ったばかりの時ね、その先輩に『付き合ってくれ』って言われたの」
 ふむふむ、と聞いている香奈はそれなら知ってもいる筈と何気なく納得し、
「で、返事はどうしたんです?」
「ん、もちろんその場で断ったわよ。だって私、まーくん好きだし」
 えへへ、と照れ笑いするみおりに香奈は訊いた自分が馬鹿だったと思う。答えは解かりきっていたのだから。
 で肝心の真人はと言うと何時の間にか布団の上で寝息を立てている。そんな真人の側にみおりは寄ると、真人の頭を優しく撫でて、そっと微笑んだ。
 それから暫らく香奈の気が済むまでみおりはお喋りに付き合い、夕方の五時を知らせる鐘が鳴ると、
「また遊びに来ますね」
 香奈はそう言い残し帰って行き、みおりはみおりで今晩はもしかしたら忙しいかもね、とふと思うのだった。
 
 
 
 

 何故彼は自分がここに居るのか解からなかった。
 いや、そもそもここに来る理由はなく、むしろ来てはいけないそんな脅迫感みたいなものすら感じていたのに……
 だが彼はここに居た。
 自分でもよく解からず夢でも見ているかの様に自分の足でここに来ていた。
 そう、もし次に狙われるとしたら自分なのだと何処か納得していた。
 ただ不思議なのは誰も自分を止めようとしなかった事……そう自分自身、危険だと解かっていた筈なのに自らここに出向く事を止められなかった。
 見上げる夜空には青白い月が冷たく輝き、汗ばんだ肌に触れる夜風が熱を奪っていく感覚で冷静になる。
 そして月に背を向け、振り向く。
 瞳と瞳が合う。
 ……彼女は静かに彼に微笑む……
 ……鬼は艶やかに彼に微笑む……
 永い夜はまだこれからだと彼は知った。
 
 
 
 

 丑三つ時より少し前……
 真人は縁側でお茶を飲み、真っ白なおにぎりを食べながら考えていた。
 何を、と訊かれるときっと困ってしまう。だが考えていた。
 色々……上手く考えがまとまらない。
 昼間、香奈が話していた程度の事……いや以上の事は夕飯の時には真人とみおりに伝えられていた。
 よくは知らないが警察の上の方にも知り合いが居て、必要な事は教えて貰えるらしい。だがその代償に警察の手に負えない様な『事』は優先的に解決している……持ちつ持たれつとの事だ。
 それが『鬼』であろうとなかろうと。
 ただ鬼以外の怪奇の場合はほぼ分家が片付けてしまう。
 だが今回は誰でもない自分とみおりが事を片付けなければならない。それはもう代え様のない事実であり、その時は迫っていた。確実に……
 血の成せる業なのだろう……
 目を瞑れば『知らない鬼』の気配……いや匂いと言った方が感覚的には近い。とにかくそんな匂いが幽かにする。それは近くに鬼がいるなによりの証。
 出来る事なら自分の片脇に置いてある相棒を抜く事がなければと切に願う。
 だが……相棒を手にし、真人は中庭に進み出た。
 風が吹く。
 まだ散る時期ではない……鮮やかな緑色をしている筈の葉が落ちる。
 僅かの間、真人は目を閉じる。そして再び世界を認識した時、瞳に移るは三枚の落ち葉……刹那、相棒……いや愛刀『月影丸』を、そう遥か昔、角切と鬼塚の両家に流れる鬼の血の祖である鬼神の名を冠した太刀を、
 一閃!
 鞘に納め、鍔鳴りと同時に三枚の落ち葉は倍の数に成り、地に落ちた。
 暫らくすると制服に身を包んだみおりが何時の間にか真人の側で、
「いい?」
「うん。みおりちゃんは?」
「いいよ」
 見上げれば月が夏の暑さを感じさせる事のない涼しげな光を放っていた。
 
 

 ささやかな復讐が終わりを告げる為カウントダウンは始まった。
 ただ見詰め合っていた二人……人と鬼が近づいて行く。
 いや鬼だけが歩を進めていた。
 人は動かない……いや動けない。間もなくすれば自分が殺されるかもしれないと思うとあの二人はどんな気持ちでこの時を迎えたのだろうか?そんな疑問が過る。あの二人は別に仲間でもなければ友人でもない。ただその時その時、お互い側にいただけの存在。ただ退屈だった。あの時も……ただこれから起こる恐怖に怯え、歪む顔を、陵辱され泣き叫ぶ顔を見て笑った。その時だけは退屈を感じないで済んだ。そうただ暇を潰したいだけの行為……それがこんな形になって帰ってくるとは思いもしなかったが……
 まだ冷静の様な気がする。
 だが恐怖は確実に一歩ずつ近づいて来て精神を支配し始め、鼓動がだんだん早くなり、
 ……一歩……
 自然と……いや本能的に足が動いた。確認する為にもう一歩下がる。
 ……動く……
 その事実が……逃げ出す事が出来ると言う事実が恐怖の支配を早めた。
 嫌な汗が溢れる様に全身を包む。冷静と恐怖が均衡し合っている状態。何故あんな冷めた目で自分は冷静でいられたのだろう?このままこの場にいたら確実な『死』が迎えにやって来るはずなのは解かりきっていた。
 一秒と言う間が何時間にも匹敵する感覚。神経、思考さえ麻痺していく。
 静かだった。
 辺りは虫の声すらなく、自分の鼓動が聞こえてきそうな程……鬼は何時の間にか歩みを止め、成り行きを見守り、微笑む。冷たい月の様に……
 それは余裕……解かっている。
 それは鬼も人も……何をしようと結果は変わらない。逃げ切れはしない。そこにあるのはただ絶対の『死』だけだ。
 だが本能が全てに勝り、有るかどうかも解からない望みに、そう生にしがみ付く。駆け出す。鬼に背を向け、力の限り。
「何処に行くの?」
 鬼の声が聞こえた。まったくもってその通りだ。何処に逃げればいい?校舎の中か?それとも警察にか?体と切り離された様に頭だけは妙に冷静な自分が笑えてしまう。だが心は恐怖に満たされていた。
 
 

 いったいどのくらい逃げ回ったのだろうか?
 解かった事と言えば学校の敷地内から出る事が出来ない事と鬼は何処にでも現れると言う事だ。どれだけ引き離そうとも気付いた時には耳元で絶望を甘く囁き、背後から死を優しく抱擁する。神出鬼没とはよく言ったものだ。
 逃げなければと思うが体がもう動かない。見苦しかろうが這いずってでも……しかし地面を掴む指にすら力が入らない。
「もう終わりなの?」
 つまらなそうな呟きが頭上から聞こえた。
 仰向けになり、鬼の顔を覗く。何かを期待している様だがそんな事に応えられる体力も気力ももう無い。曇る……鬼の顔がだ。
「終わりなのね」
 その呟きに死を感じたがどうにもならない。そっとその美しい手を伸ばしてくる。静かに目を瞑り待った。
 そう待った。
 だが死は遣って来ない。ゆっくりと目を開く。目の前で止まっている鬼の手……何故と思い視線を動かす。鬼の顔は他所を向いていた。鬼の向いている方を自分も向く。そこには知った顔があった。
 
 

 どう声を掛けよう……
 そんな事をみおりが悩んでいる内に彼女の手が男の首へと伸びていく。だが届く前に二人に……そうみおりと真人に気付いたのか、その手を止め、彼女がこちらを向いた。
 一瞬、困惑にもいた驚きの表情を彼女は見せたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべ真人とみおりを見つめる。
「間に合ったのかな?」
 真人がみおりに訊く。たぶん間に合ってはいるのだろうがみおりは返事を返さない。それはこの場限りであり、既に彼女にとっては手遅れなのだから。
「こんばんは」
 不意に彼女が真人とみおりに声を掛ける。あまりに不意で、あまりに柔らかな声……だから二人はその声が彼女から発されたと気付くのに少し時間がかかった。
「こんばんは」
 こう言う時素直な性格は得なのだろう。素直に返事を返す真人を見て、彼女にどうやって声を掛けようか悩んでいた自分が馬鹿々々しく思えてしまうみおり。覚悟を決める……と言うほどの事でもないが、一呼吸して、
「こんばんは。私達は……?」
 途中まで言いかけてみおりは首を傾げる。そう彼女がその悩ましい唇にそっと人差し指を添え、まるで静かにとでも言いたげな視線をみおりに送ったから。
「今更お互いの紹介なんていらないでしょ?私はあなた達を知っている。あなた達も私を知っている。それでいいじゃない。ね?」
 僅かな間無言の時。まるで時間が止まったかの様に。静かに静かにゆっくりと流れていた。
「こんな晩くにどうしたの?秘密のデートかしら?」
 優しい瞳。幼い子供を見守る……そんな瞳。それは真人とみおりに向けられていた何時ものと同じモノ……
「違うよ。止めに来たんだ」
「何を……いいえ、『誰』を?」
「ん、『鬼』をだよ」
 静かに交差する視線。お互いの隠している物を全て暴く様に探り合う。ゆっくりゆっくり時間を掛けて。
 不意にみおりが真人より一歩前に出ると、
「本当は何か畏まったちゃんとした言い方があるみたいなんだけど……小難しい上に言い難いから単刀直入で言います」
「何かしら?」
「ちゃんとお奉りするので、今封じられてください」
 みおりの言葉に彼女は少し悩むような仕草をし、少しの間考えてからポツリと返事があった。
「……もし嫌だと言ったら?」
「私の仕事はそこまでです」
 言い切るみおり。つまりそこから先は真人の役割。
 真人が今一番望まない事。それはみおりにも彼女にも解かっていた。
 素直で優しくて汚れを知らない……だからこそ無邪気で残酷。
 まだ真人自身真っ白。これからどんな色にも染まれるそんな状態。けれどみおりも彼女も真人が何かに染まる事の無いまま、今の真っ白なままの彼でいて欲しいと思う。
「そう……でもね、私もまだ止まれないのよ」
 少し寂しそうな瞳をして呟く彼女。そんな彼女に真人は、
「じゃあ終わればいいの?」
 終われば……その意味する所は彼女にも解かった。真人が何を言いたいのか。けれど彼女自身止まれるかどうかは解からない。もう彼女は『彼女』であって『鬼』でもあるのだから。
 だから……ただ一言。
「考えてみるわ」
 そう答えた。
「うん。いいよそれで」
 そう言う真人はゆっくり歩き出し、彼女の傍らで倒れ込んでいる男の側まで行くと無理矢理、男を立たせ、彼女に突き出した。
 男は困惑しながら、真人に叫ぶ。そう思いもよらない事態。少なくとも真人とみおりは男にとって味方までとは行かないものの、少なくとも絶望的な状況中に見えた唯一の希望だったのだから。
「お、おいっ!何すんだよっ!?」
「別に……ただ終わらせるだけだよ」
 何の感情も含まない真人の声が静かに響いた。
 その言葉の意味……それは男の死を表わす。
 当たり前の様に男は足掻き、喚き、憤る。しかし、それは全て無駄だった。真人は表し様の無い表情をし、ただ男を見ていた。
「おまえ等は俺を助けてくれるんじゃないのか?」
 縋るような男に、
「ん……別にそんなつもりは始めから無いよ。ボク達が助けたいのはむしろ……」
 言葉を途中で飲み込み、真人は彼女を見た。
 だがすぐ視線を逸らしてしまう。耐えられなかった。その笑顔を見ているのが……その身に何が起きたのか真人にすら理解出来てしまう。その上で笑っている彼女が痛々しい。ゆっくり一呼吸置いて心の中の整理をつけてから静かに言葉を繋ぎ始める。
「……だからと言って責めるつもりも無いんだ。この世に起きる事は全て『起こりうるからして起こる』んだから。だからボクは助けない」
「何なんだよっ!?それはっ!」
 真人の理屈はいきなり言われても解かり辛いものがあるだろう。だがそれは間違いではない。ただ正解でもないのか知れない。今、真人の中にある答えがそれなだけなのだから。
「解かり易く言う?要は自業自得だろ」
 冷めきった瞳で真人は男を見ていた。
 そしてその瞳が語っていた。
 真人がその考えを改める事が無いと……つまり男を助けてくれる者は居なくなったと言う事を。
「終わったの?」
 話が終わったのか?と言う意味なのだろう。彼女の言葉に頷く真人。
「……そう」
 彼女はそう呟く。
 ……終わったの……
 と彼女は納得すると無造作に腕を振るう。次の瞬間、男の頭と体は離れ離れ。一呼吸の間を置いて先を失った首から鮮血が噴水の様に噴出し始め、体が倒れると共に勢いが弱くなるがまだ辺りを赤く染めていく。真人も彼女もその血を浴びるが眉一つ動かさなかった。
 片手で掴んだ男の頭……いや顔を彼女は覗き込む。そこに何を見たのだろう。真人とみおりには解からなかったが、彼女はため息を一つ吐くと興味を失ったのか掴んでいたその頭を離す。男の頭は地に落ちそのまま二、三度転がり何も言わずに彼女を見上げる様に止まった。
 真人と彼女がお互いを見詰め合う。みおりはそんな二人に、違う彼女に嫉妬を憶える。
「………………いい?」
 少し寂しそうに笑って彼女は真人に一言だけ答えた。
「駄目みたいね」
と。
「どうしても?」
 駄々を捏ねるような瞳で彼女を見つめる真人に彼女は……いや『鬼』は、
「相変らず優しいのね。少しでもその優しさを彼に向けていたら彼は助かっていたのかもね」
 まるで姉の様に真人を諭す様な物言い。
 骨が砕け、肉が潰れる嫌な音がした。静かに転がる男の頭を踏み潰し、真人を見ていた。だがその視線は男が死んだのは真人の所為だと責めているものではなく、ただ真人に分け隔てなく優しい『人』であって欲しいと言う願い。そうかつて『人』であった頃には出来なかった鬼の想い。
「ねぇ……」
 自分の欲しい答えを求め続ける真人に鬼は微笑み、
「さぁ、殺し合いましょ」
と静かに言った。
 
 

 その頃、コソコソとそんな真人とみおりの様子を覗う影が二つ。力人と綾日の二人。
「いいんですの?手伝ってあげなくても」
「あぁ、大丈夫……だと思う。まぁ、俺の時も母さんと叔母さんは覗いてただけだったからね」
とは言え、力人の感じから何時飛び出してもおかしくはない雰囲気を綾日は感じていた。
「何が心配です?」
「ん、真人が討てるかどうか……優しいから……それも違う。そういう風に育てた俺達が悪いんだろうけど……」
 力人が何が言いたいのか綾日にも解かる。それは資質を問われていると言う事……この世界に身を置くなら『甘さ』は命取りになりかねない。だからこそ力人は不安なのだろう。真人の『甘さ』を知っているから。綾日もそれは常々思っていた事だ。真人はまだ子供……故に子供の優しさしか知らない。それが『甘さ』となって出てしまう事が。
「でも大丈夫さ。真人は真人なりに考えて答えを出す筈だよ」
 そう力人が言うとおり、その答えは今、真人が出すしかないのだから。
 
 

 月明かりが優しく辺りを照らし出し、夜だと言うのに明かりはいらない。
 なのに優しい月明かりが照らし出していたのは惨劇の悪夢。横たわる死体に対峙する二人。そして二人を……いや少年を見守る少女。
 一陣の風も無い中、烈風が真人を襲う。だが臆する事無く真人は鞘に納めたままの愛刀でそれを受け止めた。目の前には鬼の顔、真人目掛けて振るわれる筈の鋭利な爪は鞘に拒まれ、真人の柔肉を裂く事は叶わない。しかもそれだけではなかった。
 真人は鬼の勢いを殺しながら上体を反らし、背を地に付けると鬼の腹を力任せに足の裏で蹴り上げた。
 人間離れしていた。まるでボールを蹴り上げたかの様に鬼の体が宙に舞う。その高さは地上三階はあろう。
 だが鬼もただ蹴られている訳ではない。中空で体を捩り、遥か天目掛け足を蹴り出す。するとそこに見えぬ壁でもあるのだろうか、それを蹴り勢いを付け鬼は地面に横たわる真人目掛け、指先を揃えた腕を突き刺す……がそこには真人は居なく、鬼の腕は固い地面に肘まで刺さっていた。
 その僅かな隙を作った鬼目掛け、真人は取った間合いを一瞬で詰め、軽い金属音と共に愛刀を抜き放つ。真人の一撃は鬼の皮一枚裂いただけだが、裂かれた鬼自身は戸惑いを隠せない。
 傷ついた……今まで自ら遊び半分で傷つけた以外に血を流すなどと言う事は無かった。
 直らない……そうそんな自らつけた傷でさえ一瞬で直った……
 血が赤く染め上げていく腕を抑え、鬼は笑う。そう不意に可笑しくなって笑ってしまう。解かっていたはず。目の前の少年が太刀を抜いた以上、自分を殺す事は明白だったのだ。なのに何処か殺せないと思い込んでいた。徐々に塞がりつつある傷を見つめながら鬼は笑う。
「随分と危ない物を持っているのね。驚いたわ」
 楽しそうに笑う鬼に真人は不思議そうな顔をし答える。
「月影丸の事?……角切刀って言うの……よく解からないけど『そう言う為』の刀……それより何が可笑しいの?」
「可笑しいわけじゃないの。楽しいのよ」
「どうして?」
「無抵抗なのもいたぶるのは楽しいけど、やっぱり多少は抵抗してくれないとね」
 狩る者の瞳。傷が塞がるのを確認する。完全に直らない訳ではない様だ。ただ直り難い……久しぶりに感じだ痛み……そう言えばそんな痛みを最後に感じたのは何時だったのだろう……そんな事を思いながら、
「今度は手加減しないから……」
「そうだね。そうした方がいいよ。ボクは強いって兄ちゃんちが言ってた」
 自分の強さを言いきる真人と鬼の視線が重なった。
 そんな中、みおりは何をしてるかと言うと自分も真人の手伝いをすべきではないのかと思うが、雰囲気からしてそんな助太刀なんかすると後で真人に怒られる気がしてならない。それはみおりとしては面白くないのでどうするべきか悩んでいる。それにどうしようもない時がくれば見学者二名が何とかしてくれるだろう、と今は結界を張る事に集中しようと何となく活躍のない自分にため息を一つ吐いてみたりした。
 問題はそんな事ではないのはわかっているのだがそれは事が終わった時に考えればいい事。真人を慰めれるのは自分だけしか居ないと勝手に思い込んでいるみおりは何となくやる気が120%を突破している。どんな想像をしているのか?みおりの頬がだんだんと紅く染まっていき、体が勝手にくねり始め、
「ねぇ、あの娘は何をしてるの?」
 そんなみおりが気になったのか結構真剣に鬼が尋ねてくる。そんな鬼に真人も解からないと言った顔をしながら軽く顔を二、三度振り、
「わかんない……時々あぁなるから。みおりちゃんっ!」
 とりあえずみおりに呼びかけてみると、急にはっとし、顔を上げるみおりに真人と鬼の視線が集まっている。状況が今一つ読めないみおりは、
「ごめんなさい」
と呟いて、ありもしない隅の方に小さくなって寄ってみたり。申し訳なさそうに大人しくなり、ふと気が付く。何故自分が怒られなくてはならいのだろう、と頬を膨らます。
 でやっぱり……
「忙しい娘ね」
「だね」
 紅くなったり、大人しくなったり、膨れてみたり……鬼が呆れるのも何となく解かる真人だった。
「仕切り直しね」
 半身反らして、僅かに俯いた顔……その表情が見せる僅かに上目遣いの鬼の視線。今までのが遊び半分だったと言うのが真人に伝わり、自然と真人の顔も険しさを増す。気配が変わった。どちらが先に仕掛けるか?遊びの無くなった気配の中、お互い何か切っ掛けを探り合う……
 真人が先に仕掛けた。
 弾けるっ!!……月影丸を持たぬ左手を鬼に向け突き出す。そこから『何か』球状に近い高圧の物が放たれた。僅かに血の色をした半透明の『それ』は皮一枚削る様に砕き、抉り大地に傷を残しながら鬼に襲いかかる。
 確かに威力は凄まじいものが在るのかもしれない。しかしそれはあくまで当たればの話であり、例えただの人にとって交わす事の出来ぬ早さでそれが放たれていたとしても、鬼となった彼女に交わせないものでもない。避ける、と鬼がそう思った瞬間、真人の左手が月影丸の柄に添えられ、力の限り振り下ろされた。
 そして今度は刀身から三日月状の『それ』が放たれ、先に飛んでいた球状の『それ』の真中を擦り抜けた。
「……『刃重ね』」
 そう呟いた真人の視線の先には太股から鎖骨の辺りまで身体の右側を裂かれ、僅かな肉で繋がった鬼の姿。
 『刃重ね』……読んで字の如く、刃に力を乗せ、三日月状の『力』を放つ技。
 本命は『刃重ね』であり、先にはなったものはあくまで囮に過ぎない。交わせると思い込んだ鬼の心の隙をついた一撃だった。
 だがその一撃も決定的なものではなく、僅かな間にも鬼の体は繋がり始めていた。
「酷い事するのね。この服お気に入りだったのに……」
とは言っても既に血で紅く染まったその服に価値があるとは思えないが、鬼は裂かれた端を摘んでおどけて見せる。そんな鬼の仕草に視線を反らす真人。不思議そうに真人を見やる鬼は少し考えて合点がいった。
 見えているのだ。月明かりに染められて、よりいっそう白く透き通る様に見える肌……そして豊かな胸が。
 何故だろう……真人の仕草が愛らしく思えてしまう。殺し合いをしていると言うのに。思わず苦笑してしまう鬼。
「そんなだからつい甘やかしちゃうのよね」
 真人の耳に鬼の呟きが届く。お互いの視線が真っ直ぐ重なり、
「……だから本当に『殺せなく』なる前に殺しちゃう……次が最後。一撃で決めるわ」
「ん、解かった。次が最後だね。じゃ、ボクも最後にするよ」
 まるで遊びに付き合っていたかの様な物言い……月影丸を青眼に構え、僅かの間、瞼を閉じる。
 そしてゆっくりと開いたその瞳は……
 月明かりの様な銀色の瞳。
 そう両眼とも真人の瞳は変わっていた。
 危険な香りを持つ縦長の瞳孔。
 それは鬼の瞳の様……いや、まさしく鬼の瞳。
 その縦長の瞳孔の周りに小さな瞳孔が一つ一つゆっくり開き始めている。
 この瞳こそが角切、鬼塚の両家が鬼神の血を引く証。
 この瞳こそが鬼神の血が拠り強く表れている証。
 そしてその瞳を両眼に持つものは角切、鬼塚の全ての血筋の中でただ二人しか居ない。一人は初代。鬼神と呼ばれた月影丸と人の娘との間に生まれ、角切、鬼塚の両家を作ったご先祖様。そしてもう一人が時期当主……いや両眼とも『鬼瞳』であったからこそ時期当主に選ばれたと言うべきであろう。つまり角切真人その人。
 鬼にも変化があった。
 右腕の肘から先が明らかに巨大化する。立ったままで指先が地べたに着きそうであった。丸太の様に太い腕、野球のグローブよりも大きい手、鉄骨の様な指、剃刀より鋭い光沢を放つ爪……それらは明らかに醜悪で、まさしく鬼の腕と呼ぶに相応しい。
 そして自分の身体の一部なのだから当然の事なのかもしれないが、その重そうな腕を軽々と振りかぶり、試す……いや馴らす様に腕を掃った様だった。
 『だった』……それはあまりに速過ぎて『今』のみおりには見えなかっただけの事。掃ったと思えたのは二度ほど何かか激しく弾ける音がして、鬼の目の前の地面が爆発した……いや爆発したように見えた。土煙が晴れ、そこに現れたのは碁盤を斜めから見た、そんな模様の様に地面が抉られて……違う。裂かれた大地の傷跡。
「お待たせ。貴方が『普通』じゃないって最初から解かっていたのよね。だったら最初からこうすべきだった。雰囲気に騙されていたのね……」
 右手を閉じたり開いたり……その感触を確認しながら苦笑する。真人は動じた様子も無く、涼しげな瞳で黙ったままじっと鬼を見つめている。
「じゃ、殺してあげる」
 鬼が優しく囁いた。
 鬼の白い姿がふわり、と浮いた様にみおりには見えた。だがそれは錯覚で、常人では三十歩ほどある間合いを瞬き一つの合間に積め……
 必殺の一撃……
 また何かが弾ける音がした。それは音の壁を超えた証でもある。
 間違いなくその一撃は真人の身体を貫く……はずだった。
 感触が無い……
 視界には誰いない……
 そう確かに居た筈の者がそこには居なかった。
 そう避けた訳ではない。それは解かっている。もし避けたのであればそれは鬼の瞳にも写った筈……だが影すら見えない。始めからその場にいなかった様に真人は消えていた。
 不意に鬼の視界に何かが入ってくる。それも背後から。それが真人の持つ太刀の切っ先だと気付いた時にはもう遅かった……遅いはずだった。
 肩を、とんっと峰で軽く叩かれる。
 悪寒が全身を掛け抜け、言い様の無い恐怖が足元を掴む。それを振り払う様に間合いを取り振りかえると真人の反撃に備えた……がそれは無かった。先程と同じ格好。青眼に太刀を構えた真人が鬼を見て呟く。
「最後じゃなかったの?」
 挑発にも聞こえ、ただ呟いた様にも聞こえた。
 
 

 みおりは安堵の息を吐く。
「『渡った』んだ」
 鬼塚、角切の両家で『渡る』もしくは『跳ぶ』と言われる現象があり、それが今、真人がみおりの目の前で遣って退けた『それ』だった。
 神出鬼没……空間を渡る力。瞬間移動、転移、どこでもドア、その他etcetc……色々呼び方があるがいわゆるその類の現象。これも鬼の血が成せる事の一つ。普段は上手く使えないが『鬼瞳』が現れている時は問題なく使える。個人差は幾らかあるが『渡る』事は非常に疲れるらしい。みおりはまだ『渡った』事が無いのでその当たりは実感出来ていないが姉や母がそう言っていた。
 だが真人に疲れた様子は欠片も無く、静かだった。
 何時だか貴人が言っていた事を思い出す。
「真人は『血』が濃いからあまり負担がかからない筈なんだ」
 でもその逆の事もあるとも言っていた。だからあまり無理はさせたくないと心配していた貴人の無力感でいっぱいの背中……
「大丈夫……私が居るから」
 不安を振り払う様に呟く。今、何故そんな事を思い出すのだろう。呟きはみおり自身に言い聞かせるものだったのかもしれない。
 
 

 真人の呟きははっきりと鬼の耳にも届いていた。
 全身の血が逆流する。
 それは自分が『人間』如き――そう例え人に有るまじき力を携えていたとしても『人』に恐怖を感じた事を認めたくなかったからなのかもしれない。
 獣の如き咆哮と共に音の壁を超えた圧倒的な『破壊の力』が乱撃となって真人を砕くべく包み込む様に四方八方から襲いかかる。
 ……が真人は僅かに身体を反らすだけでその全てを交わしていく。まるで全てが見えている様だった。
「遅すぎるよ」
 ポツリと真人が呟く。
「見えているの?」
「うん」
 鬼の驚きは別に問うた訳ではなく、ただ呟いたそれだけだった。なのに何でも無い事の様に凄まじい乱撃の中、真人は答えた。
 全ては真人の双眸に宿る銀色の瞳……その中に宿る大小合わせて十もの瞳孔。その一つ一つが『瞳』となり、全てが鬼の動きを捉える。必殺の右……いかに速かろうと右腕一本の攻撃は単調過ぎる。そんな単調な動きが十もの瞳から逃れられる事は無い。
 当たらない……
 最後にすると言ってからいったい何度この腕が振るわれたのだろう……焦りとも違う。どちらかと言えば惨めさに近い感情が鬼の中に沸き上がり、それを認めたがらない誇りとぶつかり合い、怒りを産む。
 必殺の一撃……いや既に殺す殺さないではなく、鬼が己の存在を賭けた渾身の一撃を真人目掛け、ただ振り下ろす。
「じゃ、終わりにするね」
 見えた……真人自身が何を、そして何処を『斬る』べきなのかを……そう彼女の中の『鬼』を斬る。
 咆哮と共に振り下ろされる音速の一撃……
 あと僅か……そう髪の毛一本の隙間も無い。その僅かの差さえ埋めれば微動だすらしない真人の頭は風船の様に破裂していた筈。だが鬼の指先があと髪の毛一本の所まで達したその時……その瞬間……その刹那……
 違う……時すら動く間も無く……
 『斬られて』いた。
  鬼の指先から塵と化して逝く。鬼の……鬼が『己を全て篭めた右腕』がさらさらと流れる砂の様に崩れ、真人が近くに落ちていた鞘に愛刀を納めた時には『彼女』しか残っていなかった。
「おっと」
 崩れかける彼女を真人が支え、表情を覗き込む。どうやら意識を失っているらしい。それもそうだろうなと一人、真人は納得する。仮にも『鬼と一緒』に『彼女の一部』も斬り捨てたのだから。
 みおりが駆け寄って来る。
「終わったよみおりちゃん」
「うん……どう終わらせたの?」
「鬼だけを斬ろうとした……でもそれだけじゃ駄目だと思ったんだ。それじゃまた鬼に憑かれる。そして今度はもう復讐する相手もいない。だから……」
「だから?」
「だから少しだけ記憶も斬った。始めから無かった事にすれば消えたのは……自業自得の奴らだけだから」
 貴方はどうなの?
 苦しくないの?
 一人で全てを抱える事が……そう心の中で思いながら、みおりと視線を合わせようともせずに淡々と語る真人の頬を両手でみおりが挟む。ゆっくりゆっくりとみおりは真人を自分に向かせ、真っ直ぐ見つめ……真人は目を閉じていた。
「貴方がそれを選択したのなら間違いは無いの。ううん、違うわ。全ての選択は正しいの。それがどんな結果になろうと。そう貴方がどんなに苦しくて辛くて切なくても……でも忘れないで。私が傍にいるわ。その意味……意味なんて無いかもしれない。けど解かってね。私が貴方を必要としている様に、貴方にとって必要な存在になりたいの私は」
「知ってるよ。何時も傍にいてくれてる事……」
 ゆっくりと瞼を開く真人の瞳はもう元に戻っていた。
「ボクは……誰が何をしようと構わない。けどねそれがボクにとって大切な人達を悲しませるならボクはこの手を血に染める。それが鬼の血だろうが人の血だろうが……」
 鞘ごと愛刀を強く握り締めた真人の手が痛々しく震えている。言葉にしたものの何処か冷静に考えれば割切れない想い……
 震えるその手にみおりは自分の手を重ね、静かに言った。
「お家へ帰ろう」
 そのみおりの手は暖かく優しかった。
 真人は思う……
 そう過ぎてしまった日々はもう戻せない。
 そして終わりを告げた日々ももう始まらない。
 始まるのは新しい日々なのだから……
 鬼が一つ消え終わりを告げて、彼女が新しく始まる……
 ふと真人は振り返る。
 そう確かめる様に……
 月明かりが照らす死体の傍らもう震える『者』は誰もいないのだと。
 そう全ては終わったのだと知った。
 
 
 
 

 楽しい夏休みが過ぎ、新学期の始まる鐘の音が始めて聞こえてきた。三学年一同を無理矢理体育館に押し込み、仰々しい校長先生のお話は退屈を極め、一番以外まともに歌詞を憶えていない初等部から高等部まで同じ校歌は見事なまでにバラバラ。
 そんなこんなで新学期の始業式が無事に終わり教室へ戻ってくる。担任が遣って来るまでの一時はまだ夏休みがそこに在るかの様に騒がしい。夏休みの思い出を訊く者、宿題を忘れた者同士言い訳を考え、ただこれと言って理由も無くふざけあったりで。もちろんそんなグループの一つに真人とみおりもいた。
「くはっ!この裏切り者めっ!」
「自分達だけ宿題を終わらせるとは……もう俺達の間に友情は無いのか?」
「何言ってんのよ?アンタ達一度も宿題の時だけ顔出さなかったじゃない」
と由美子が突っ込むのは天を仰ぐナベさんと腕で目元を隠し、泣いている委員長の二人。まぁ、確かに夏休みの三分の一程顔を会わせてたとは言え、確かに宿題と言う退屈な時間を避けていたのは間違い無い訳であり、その結果がこの有様であるなら仕方がない。必死な顔をしてこの僅かな時間に写しきれなかった宿題をノートに書き込んでいる。
「何でオマエ等宿題の時だけこなかったのさ?」
 呆れ顔の哲也がため息一つ。
「何で?それはこっちの台詞だ佐野」
「そうだ。何で宿題の時だけ会場は真人の家なんだよ?」
「……そんなの決まってんだろ。真人の部屋が俺らの中で一番設備がいいからだ」
 言い切る哲也に非難の声を上げるナベさんと委員長。
 その顔には『オマエ』と一緒にするな、と書かれていたのだが、それを読み取れたものは誰もいない。
「確かに佐野の言う事も解かるが……だからと言って余程の事が無い限り角切んちは二度と行かん」
「そうだ。自殺しに行く様なもんだ」
「酷い言われようだなぁ」
 苦笑を浮かべつつ真人はのんびり机に腰掛けながら足をブラブラ。そんな事無いのになぁ、と一人思うがそれは慣れてしまった者の感覚で……
「馬鹿野郎……始めて遊びに行った人間にいきなりドロップキックをかまし、人をぶっ飛ばすのはオマエの家くらいだ」
「それだけならまだしも……次行った時も何が気に入らんかったのか未だ解からないがあのリンゴを握り潰す手でだアイアンクローは無いだろ?」
『なぁ』
 ナベさんと委員長はお互いの顔を見て、ガシリっ!と握手する。どうやら被害者同盟が成立。
 そんな事もあったなぁ、と自分の姉のした事をしみじみと思い返すみおりは真人の傍を離れず、由美子と小雪お喋りをしながら聞き耳を立てていた。
「俺だってな無傷だった訳じゃないぞ。夏休みの間に単発でデコピンが一発、パンチ二発に裏拳一発。さらに四の字固めと小パンチ、中パンチ、大キック、大パンチからのヘッドロック極めたままでの投げコンボ。あれは死んだジッちゃんが手招きしてた……」
 凄惨な思い出に悲痛そうに顔を背ける哲也。だが話はそれだけでは終わらなかった。いや終わるわけが無かった。
「真人なんて本気で殴り合いの喧嘩になってなぁ……まだ俺がどれだけ手加減されてたか……」
 涙が一筋。
 大袈裟だ、とみおりが思うが哲也のその芝居掛かった話に由美子まで便乗し、
「そうよ。あたしだって佐野ほどじゃないけど……一度踵落とし喰らったわ」
 それは知らないなぁ……でも一度由美子か部屋で伸びてたなぁ。あれかな?と呑気さ極まりない顔でみおりは小雪に話を振ると、ショートボブの大人しそうな子が、
「えっ、わたしは無いわよ。みおりちゃんちのお姉ちゃんに叩かれた事なんて無いよ」
 小雪の言葉を聞いているのかいないのか。被害者同盟は更に拡大中。このまま行けばクラス中を埋め尽くすかもしれない。
 そんな馬鹿話も何時かは終わるもので、不意に教室に入ってきた担任が、
「ほら早く席に着く。二学期は体育祭に文化祭イベント目白押しで忙しいのよ。ほら角切と鬼塚、新学期早々ホヨホヨしてないで……何かいい事あった鬼塚?」
と担任の理解あるお言葉に、えへへとみおりは照れ笑い。担任に向けてスラリと指を真っ直ぐ伸ばして左手の甲が見える様に。薬指の辺りに何かがキラリっと光った。
「んっとね、お誕生日にまーくんに指輪買って貰ったの♪」
 ぴしりっ!
 九月一日と言えどまだ夏の暑さを残した教室中が嬉し恥ずかしのみおりの一言で凍りつく。それを解かってないのは当の本人達だけで……真人は真人でみおりが何で照れるのか良く解かってないし、みおりは照れ隠しの為寄り添う様に真人の傍へ。まぁ、それが火に油を注ぐ行為であるとは気付いていない様子。
 哲也、ナベさん、委員長の三人がアイコンタクトを担任に取る。担任はただコクリと頷くだけ。
 今まで被害者同士と手を組んでいた真人を背後から三人で羽交い締めで、真人を動けなくするとコキコキっと肩を鳴らす由美子をクラス中から期待の視線が集まり、真人には冷たい視線が刺す様に集中。みおりは交互に真人を救うか、由美子を止めるか解からず一人オロオロ。意味が解かって苦笑する小雪。
「まったく……つまらない事思い出させてくれるわね角切」
 思い出させたのはみおりなのだがそんな事はどうでもいいらしく、由美子が確かめる様に適度な間合いを取り、トントンと上履きのつま先で床を小突く。
 何でこんな事になったのだろう、とこの時点でそんな事を一人考える真人に答えなど出る訳も無く……例え出たとしてもそれはそれで結果は変わらないだろう。
「何か言い残す事はある?」
「えっと……」
 確か夏休みにもこれと似たような状況が在った訳で。
 その時は確か……
「またパンツ見えちゃうよ?」
 真人の一言に由美子はため息一つ。落ち着いた声で、
「安心して……今度はブルマを装着済みっ!」
 あの時は右ハイキックだったが今回はさおりを彷彿とさせるソバットが見事真人に決まり、轟沈。そんな真人達を尻目に、
「こっちは二十七になっても一人身だってのに……けっ」
と吐き捨てる担任の姿が哀愁を漂わせ、教え子達の失笑を買う。
 結局その後も席替えで一騒動あったが、みおりはしっかりと真人の横の席をキープ。前や後など言語道断。その為にいったいどれだけの犠牲が出たのかは本人の知る所ではなく、真人の隣だけは譲れないらしい。これは初等部よりずっと続けられてきた事なのだから。真人もみおりが隣にいる事が当たり前になっていたし、もし別の誰かが真人の隣になったらなったでみおりのやきもちが恐い。と言う事で真人の席は大概一番廊下側か窓側に決まっていた。で、今回は窓側。
 そうすると真人の隣は一つしかなく、満面の笑顔でご機嫌なみおりがそこにいて、こうしてクラスの平和が保たれたりしてたりもする。
 そんな真人の隣でみおりが真面目に担任の話を聞いている中、真人は外を眺め、ぼんやり中。ようやく一息つけたかな、と今度は教室の中を見てみる。
 夏休みが始まる前と殆ど変わらない。顔ぶれだけで言ったら日焼けをしているかしていないかの程度で一緒。そう……
 変わっていない……自分の世界は。
 また何時もの通りに始まった日々。
 そう真人は安心する。
 隣には何時もと変わらないみおりの笑顔。
「どうしたの?」
 自分の顔になにかついているのだろうか?とそんな表情をするみおりに、
「ん、何でも無いよ」
 そう答える。
 不意に、
 ――ねぇ――
 呼ばれた気がした。
 窓の外を見る。
 そこには『鬼』がいて、真人を見上げた瞳と瞳が合った……
 目を擦り、もう一度『鬼』のいた場所を見るがもう既にそこには誰もいない。日常に飲み込まれてしまったかの様に何も無く……
 気の所為だとは解かっていた。
 でも真人は嬉しそうな顔を太陽に向ける。
 ――これで良かったのよ――
 幻の鬼はそう優しく微笑んでいたから。
「そうだね。良かったんだよね」
 そう呟いた真人の元通りの日々がまた始まった。
 
 

                                  おしまい
 
 

 後書き&言い訳
 KAZUです。ご無沙汰のご無沙汰ぶりです。最近は事故られたりとかして微妙に身体に優しくない生活をしておりました。
 さて今回の話ですが本来は『格ゲーツクール』を買った為、格ゲーを作ろうと言う事になりその世界観を解かりやすくする為に小話を書こうと言う事になった訳です。だから久しぶりの完全オリジナルだし、話もかなり王道的だね。
 ところが作画担当者が、
「私には四頭身は描けない」
と言い出し……今その計画は凍結中。でもせっかく途中まで書いたので書き上げようとしたら自分の中でテーマと言うか色んな物が重くなっていって予定より丸二月遅れて書きあがりましたと言う事です。
 まぁ、話が話なもので続きとかも考えましたがあまり書くつもりはありません。だってしまぷ(う)氏の所に投稿用として書くと何故だかは知りませんが途中で止まってしまう。けして自分が悪いわけではないのです。何かが邪魔してるのですよ。たぶん……
 それはともかく感想などいただけると非常に有難いです。
 詳しい設定とかはとりあえず考えてはありますが公表する事も無いでしょう。面倒だし……今言っても差支えないのは真人の『月影丸』は切っ先から三分の一くらいは両刃になってますって事くらいかな。
 あと誤字脱字に関しては何時もの様に笑って許してください。
 では。
 
 

        2003/02/01  AM 09:40     by KAZU
 


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Ende