Page - Mr Hajime Haruka does not have a family. Prologue

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Prologue.


 新学期の始まりを彩っていた桜の木が、その花吹雪で見る物を楽しませた日々も過ぎ去り。今の生徒の関心は、来週末に迫りつつあるゴールデンウィークに向 けられ、それぞれに部活や、遊びの計画を色々と練って楽しんでいた。
 そんな時期、そろそろ夏の様相を見せようとしている空を、ゆっくりと飛ぶ物があった。
 それは柄の長い箒に跨っており、濃紺の背の高い唾広の帽子を被り、同じく濃紺の背中で大きく割れたマントを風にはためかせ、学園指定のブレザータイプの 制服を着ている。
 人物の名は弥雨那希亜という。
 音速を優に超えた速度で空を飛ぶ、グエンディーナ系の魔法使いにして、男の子でありながら「魔女の系譜の魔法使い」を名乗る少々変わった少年である。
 実際には魔力である程度遮蔽されてはいる物の、見える者の目には魔法使いが空を飛んでいるようにしか見えない。
 現在彼は昔から使っている、見た目も柄の長いだけの西洋の箒である。彼命名の天津丸に跨って、目的の人物である悠朔のいるだろうその場所へ向かって飛ん でいた。
 悠朔というのは、同じ学園の一年先輩に当たる人物で、今希亜が抱えている問題の中心人物になっていた。
 それはこの春休みに行われた「どよコン」と呼ばれるサバイバルゲームが発端だったらしい。
 らしいというのは、どよコンが終わって数日後、まだ春休みの最中に知らされた物事だったからだ。
 それは始めにオカルト研究部の部長来栖川芹香から、次いで張本人であるボードゲーム部のルミラから聞かされたた事であり、直接希亜の目の前で行われた事 ではなかったからだ。

 あの日、希亜の思い人である綾芽を通じて来栖川芹香に呼び出され、オカ研の小部屋でそれを聞く事になった。
 その時彼は一度だけ言葉を返していた、それも質問によって。
「えっと… 魔女の礼儀により、朔さんを私の下に? なぜですか?」
 希亜も魔女の礼儀が何なのかは知っていた。彼にとってそれは「主に人に憑く魔女たちの間で交わされる、主張などによる独占使用権の取り決め」の事であ り、人に憑くタイプの者ではない希亜には無関係と考えていた。
 だがその取り決めの下に、芹香から希亜へと悠朔の譲渡がなされる。
 困ったことに希亜が感じた悠朔は、金剛の体を持つ牙の長い古い獣、そう形容できる魂の持ち主である。どよコンでその魂の形が多少変わったが、たとえ控え めに見積もっても来栖川芹香以外に自身の所有権を認める事はない、と希亜には断言できた。

 一方のルミラからはその後、漫研へと戻る途中に彼女の用意した結界の中で聞くことになった。
 世界から希亜とルミラだけが切り取られたような、そんなルミラの用意した結界の中で、終始深い笑みを湛えながら、希亜にきっかけとなった出来事を話した のだ。
 それはどよコンの最中に朔の言う「凶の呪」を解く事になり、それによって朔からは感謝された事から始まっていた。
「彼ったらこう言っていたわよ。『お前や魔女と呼ばれる連中は、俺にとっては天敵なんだそうだ。だから耳を貸すなと忠告を受けた。一度心を許せば骨の髄ま で破滅に沈められるぞ』って。 …それで、誰からって聞いたら答えてくれたわ、『自らを魔女の系譜に連なる者と称する、奇人だよ』って」
「あー、私ですねぇ」
 答えながら、昔そんな注意を悠朔に話したような記憶を反芻した。
 ルミラは「そうね」と満足げに笑みをこぼしながら言葉を続けた。
「そう言う訳で、彼がそう主張したのだから、彼の身柄はあなたに預けるわ」
 異存など無いのは当然よね。そう彼女の言葉は物語っていた。
 学園の中で、魔女というワードに該当する人物。その中で比類なき魔力を持つ相手に、希亜が正面から抗うのは、無謀以前の問題である。
「彼、自分に気づいていないから、がんばってね。 …それにしても無知って言うのは、怖い物よね?」
 そう言って去って行ったのを今でも明確に覚えている。
 それが何を意味するのか、彼女が何を求めているのか。いろいろと思案したが、希亜はただ戯れたいのだろうと思うことにした。
 ルミラの表情は終始、母性、嫉妬、悪戯… 人間ならそう感じられる物があった。だが希亜はそれをふまえて、敢えて戯れと捉える事にしたのだ。
 他人の心すら分からぬ人間が、魔族の心など分かるはずもなく、その戯れの中にどんな側面があろうと、それらが誤差の範囲内に収まってくれることを望みな がら、希亜はそう思う事にしたのだった。


 そんな事があり、ゴールデンウィークを来週末に控えた今。魔女の礼儀の下に、悠朔の身柄は希亜の庇護下にあった。
 だが希亜は朔が自分の庇護下にある事を、誰に言うつもりもなかった。同時に、朔に何らかの魔力的、呪術的な印を施す事もしなかった。
 朔の魂の形、金剛の体を持つ牙の長い古い獣。そう表現するまでもなく彼の性格を知っている以上、それは自らに刃を向けるような事でしかなかったからだ。
 そして彼の口から、彼が芹香の庇護下にあるという意味を述べる時が来るよう、ゆっくりと事象を傾けるように動き始めるのだが、その後に朔に会った時、憂 慮すべき事項がもう一つ増えていた。
 以前からも注意して観察していれば感じていたのだが、どよコンが終わってからというもの、彼の力が漏出し放題になっていた。
 常時ではないにしろ、時折オカルト現象が発動しかねないくらいの力が、本人の意思とは無関係にだだ漏れになっていたのだ。
 その事は何度か本人に直接言ったのだが、その言葉は一度も悠朔に届くことはなかった。それは以前希亜が朔に忠告した言葉がきっかけだと希亜は自覚してい た。
「私のような魔女と呼ばれる者達や悪魔って言うのは、少なくとも今の様相のあなたにとっては天敵なんですよ。だから心を許す事などしないで下さいね。一度 心を許したら骨の髄まで破滅へと沈みますよぉ」
 それは朔がルミラに言った言葉でもある。以来朔は希亜の言葉を全て疑うようになり、2人の間には表層程度のコミュニケーションしか成り立たなくなってい た。
 希亜にしてみれば、それでも朔が破滅へと落ちていくよりはましだと思った行為だったが、事がこういう事態になってしまうと、それはもう障害でしかなかっ た。





悠 朔君には家族もいない





 学園の一角に存在する広大な森林、その外れに腰を下ろして空を見上げている生徒がいた。なぜかいつも白衣を着用しているが、彼は化学畑の人物ではない。
「なかなか、上手くいかない物だ」
 確認するように呟いた彼の名は悠朔。彼はまだ初めて半年と経っていないこの修練に焦ることなく、ゆっくりと腰を下ろし休憩を取る事にした。
「何か決定的に足りないのだろうか」
 式神を使役するその術は、最低限の発動を安定して出来る様になってから、余り進歩がなかった。
 どよコンの最中、朔の全人格が現れたときに見せた、あの感覚を思い起こそうとしてやっては見る物の、一行に上手く良く気配はなかった。
「もう一度…」
 呟き立ち上がると、無意識に利き足を半歩踏み出し、呪符の束をどこからとも無く取り出し、意識を集中する。
 呪符が掌から飛び出し辺りを舞う、その中の一枚が炎のように揺らめき、次の瞬間その揺らめきが羽ばたく、飛び上がったそれは一羽の鷹となり空の高みへと 吸い込まれる様に舞い上がって行った。
 それを見届けると、朔は腰を下ろした。
 辺りにそうなるはずだった大量の呪符をまき散らしたまま、意識をその鷹へと移す。
 猛禽類の中で昼間の狩りを得意とするそれは、翼長が1mをゆうに越える大型の鳥である。
 その鷹の感覚が直接朔に入ってくる。
 とは言え朔は空気の底を徘徊する人間であり、鷹はその空気の中を飛ぶ事が出来る鳥類である、その差を埋め尚かつ視覚をはじめとする情報を術者へと送る。 一見すると簡単そうに聞こえるが高度な術である。
 ただ… 朔がねらった物は、本来多数の式神を放ち、それぞれの情報を取捨選択、あるいは総合して情報を得る為の術なので、それをふまえて評価するなら ば、未熟の一言に尽きた。
 なかなか空を飛ぶのは心地よい。と、そう思った矢先、やんわりとした悪寒が思考に混じる。
 その直後、こちらに向かってくる気配を感じた。
 鷹の視界にそれを捉える。
 濃紺の鍔の広い帽子に、濃紺のマント、箒に跨った学園の生徒。それ以上は距離がありすぎぼやけて分からなかった。
 いかに鷹の視力と言えど、限界はある。とは言えこの時点で対象人物は二人に絞られた、該当する格好で空を飛ぶのは、来栖川芹香と弥雨那希亜の二人だ。
 他にも空を飛ぶ者がいないわけではないが、おとぎ話に登場するような、クラシックスタイルの魔女の洋装で飛ぶのは他には該当しない。
 そして次に入って来た相手の明確な気配が人物を決定づけた。
「この…、糸の切れた風船のような、のほほんとした気配はあいつくらいだよなー」
 半ばため息のように紡ぎ出された言葉に、相手が希亜だと断定し、数秒後鷹の視界でもしっかりと人物を確認した。
 丁度鷹の視界では、緩やかに見下ろしつつ、左方向へと逸れるような位置関係にあったが、希亜の箒がゆっくりと旋回を始めた、鷹の位置をほぼ中心とするよ うにして。
「…ばれたかな?」
 一人つぶやく朔に、鷹の感覚を通して増幅された希亜の声が聞こえる。
「こんな所で、上昇気流もないのに鷹を見るなんて珍しいですねぇ」
 なるほどと感心する。つまり大型の鳥類によく見られる、上昇気流を利用しての高度稼ぎ、それに擬態出来なかったと言う事だ。
 今まで気にもとめなかったが、式神の扱いが不自然だったかと反省する。
 やがて視界に入っていた希亜が、ストンと重力に身を任せるように落ちた。
 その先に自分が座り込んでいる姿が見て取れると、朔は慌てて鷹から意識を引き戻す。なぜならばこの術の間、朔は完全に無防備であったからだ。
 自分自身の体から流れ込んでくる人間としての感覚を、先程までの鷹の感覚を排除しながら体に広げる。そして何処にも違和感が残っていないことを確認する と、空を見上げた。
 先程確認した希亜は、こちらに真っ直ぐ向かって来ている。先ほど確認したように、今日は極超音速の箒ではないらしく、普通の箒に跨っている。
 そうしてまっすぐに落ちてきた希亜は、地面に到達する直前で、箒ごと地面に背を向けるように反転して急制動をかけ、いつものようにふわりと浮いたまま朔 の方へと向き直った。

 希亜の注意が朔に向けられる。
 朔の内部から溢れ出た力のなれの果てようなもの、敢えて形容するなら澱み、または濁りとても言うだろうか、それがゆっくりと渦を巻こうとしいている。そ んな力の流れを希
亜は朔に感じた。
(濁っているんですねぇ。これは、あまり良くないですねぇ…)
 放逐された力とも言える澱み、その渦はオカルト現象を引き起こす温床となる事がある。
 だが、それを指摘しても朔は聞き入れないだろう。既に希亜の言葉は朔には届いていないのだから。
 だから、希亜は気を取り直して、箒を持ち替える。

 朔の視線の先の希亜は、こちらに視線を向けたかと思うと、見定めるような視線になり、そしていつもののほほんとした視線に変わった。
 朔には希亜が何を考えているか具体的に分かるわけではないが、朔にとって希亜の側という物は、やんわりとオブラートに包まれたような悪寒を感じるので、 居心地が良い訳はなかった。
 加えて、希亜自身が朔に言った言葉により、朔の精神は自動的に警戒をしていた。
 だが当の本人である希亜は、いつものようにのほほんと箒を片手にすると、
「こんなに散らかして、何をしているかと思えば」
 開口一番に彼はそう言うと、乗ってきた箒で辺りに散らばっている呪符を掃き始めた。よく見るといつの間にかちりとりまで用意されている。
「お前。俺がここにいて、何をしているのか知っているのか?」
「式神の、というよりかは術の訓練でしょ? 綾芽さんが教えてくれましたからぁ」
「あー…」
 そう言えば話したような話さなかったような、と朔は記憶を探る。ほどなく昨日の昼休みに話している記憶に当たった。
「待て、その時はお前も一緒にいなかったか? 昨日の昼休みだったはずだが」
 朔の記憶では、希亜も直接聞いたはずなのだった。
「いましたけど、私は聞いてませんでしたよ」
 希亜の返答に、疑問に対する回答を得た朔は、次の希亜のリアクションを促す。何が目的で来ているのかを知るために。
「そうか。それで?」
「それでとは?」
 希亜がこちらに来た用件を聞こうと思い、話題を振ったつもりだったが、質問で返されてしまった。
 戸惑いよりも、希亜の性格を再確認したのか、朔は問いなおす。
「何の用があって、ここに来た?」
 そう言えば、とでも言うように手を止めた希亜は、ふわりと朔へと向き直り、眼鏡の奥の眠たげに見える碧眼を朔の瞳の奥へと向け、口を開いた。
「元々は試射をしようと思ったんですけどね、力場が悪そうなので止めておきます」
「そうか…。試射というのはあの大砲か?」
 完全に視線を合わせられた朔だが、希亜の言葉に辟易するのを通り越して、無関心なままに適当に相づちを返す。
 本人曰く「Scythe "Soul-Divieder Ver.2.61b" 略称大鎌」の射撃モードが、朔の脳裏に浮かぶ。
 魔力射撃に使えるという話だが、実際に目にしたのはどよコンの前である。
 酒と引き替えに格闘訓練の相手をしたのだが、二刀で臨んだ朔に対し、希亜は長柄の大鎌であるシィアーを機械的にデザインし直し、倍ほどに長くした自作の 得物を用意してきた。
 見た目には小柄な希亜には不釣り合いなバランスすら受けるそれを、自身に質量を感じさせないと言う辺りに、反則じゃないかと思いつつも始めた訓練。
 希亜がいかに間合いで有利なポールウェポンを、自身に質量を感じさせずに扱えるとしても、そこは素人。朔の相手が勤まる物ではなかった。
「大鎌の方です」
 予想通りの希亜の答えに、朔はもう一つの質問をぶつける。
「で、力場が悪いとは?」
 そう質問を続けた直後、希亜の表情が変わった、それは明らかに朔を疑う顔に。
「な…なんだ?」
「どよコンから少々変わったとは言え、所詮あなたであることに代わりはないんですから、分かると思うんですけどねぇ〜」
 深いため息と同時に吐き出される言葉。
「何を言っているか分からないが、分からない物は分からんぞ」
 心当たりがないわけではないが、自分が何をしたのだろうかと思いつつそう返した朔に、希亜は再びため息を一つつき。
「自覚症状が出たら、教えて下さいね」
「お前は医者か!」
 即座に返されたツッコミに、特にボケたつもりのない希亜は、一瞬きょとんとする。
 ややあって、まるで興味をなくしたかのように、希亜は辺りを掃き始めた。
「そう言う返し方をするか?」
「じゃあ、一言。 …何かあったら相談する相手を見つけておくんですよ。特に芹香さん辺りがお勧めです」
 朔の瞳の奥を見通すような視線で、そう言葉を返す。
「なんだよそれ」
「ん〜、忠告ですよぉ」
「また、訳の分からん事を…」
 そう言い捨てた朔に、希亜はふわりと背を向け、箒を動かして辺りに散らばった呪符を掃いて行くのだった。




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