リリカルなのは、双子の静 第七話


 海鳴市、藤見台小学校、昼過ぎ。
 学校という物は、静にとって退屈な物だ。
 寡黙で冷徹な印象を周囲に与える静は、学級委員長をいつも押しつけられている。
 その事自体は、大してやることのない役職なので、特に気にはしていない。友人もいるが、学校で良く話をする程度の友人だ。
 基本的に学校での静の時間は、お姉ちゃんと同じ学校に通う、ただそれだけのために費やされていた。
 そして静の授業を無視した学習時間。それは魔法との邂逅から、ジュエルシードの対策を練るという作業も加わった。
 細かいところでは、バリアジャケットと静の武装の設計だけは出来ているのだが、デバイスマスターがいないのでこの点はそれ以上の進展はない。
『今朝の魔法発動の反応は、フェイトの転移魔法だったのよね?』
『はい。検出した転移魔法の微弱な余波が、フェイトのパターンと一致しました』
『とすると… 二人ともいない、どちらかがいない、まだ見ぬ協力者がいない。というところかしらね』
「高町さん、ここの答えは?」
「はい、24です」
 先生の質問に立ち上がって答え、すぐに席に着く。
 授業中いつも二つの事を平行してやっている静にとっては、造作もない事だった。
『伊勢が視覚と聴覚をカバーしてくれるから、前より効率よく作業を続けられるわね』
 そうやって念話を返しながら、算数の授業と、数学と、ジュエルシード対策を行っている。
 この方法、伊勢が内包する魔導師のカリキュラムのうち、マルチタスクという分野から引用した方法を併せてある。
 だが、全体的な処理速度が速くなるとは、静は考えていない。
 ただ単に思考処理を並行して考えることが出来る為に、幾分か効率よく動ける程度の物だと認識している。
 とは言え、幾ら効率が良くなり、処理能力が向上しても、分からないことは分からないし、知らないことは知らないのだ。
 故に静は今後の展望について悩む。このジュエルシードの件が、せめてベターな終わりを迎えて欲しいと願うから。




 高次空間内、時の庭園。
 プレシアは自身の焦りから来る怒りを、鞭を経てフェイトにぶつけていた。
 元々は聡明で比較的子煩悩なプレシアではあったのだが、26年前の事故で最愛の娘を失った。
 その失意から立ち直らせたのは、死者を蘇らせようとする狂気だった。彼女の不幸の始まりはそれが可能性のある事だと思えるほどに、突き抜けた才の持ち主だった事だろう。
 研究は肉体としての人造生命から始まり、中味としての人格の移植という所まで来て、アリシアを蘇らせる事を試みた。
 アリシアとほぼ同じ肉体に、アリシアの記憶を植え付けたソレが、アリシアではない事に気付くまでに時間がかかったのは、プレシア自身がアリシアという幻想に溺れていたからに他ならない。
 その事に気付いた時、ソレはアリシアの名を、彼女が研究していたプロジェクトの名で上書きされた、フェイトと。
 フェイトが作られ、育て上げられるまでの事情を知っているのは、今は亡きプレシアの使い魔リニスと、プレシア自身でしかない。
 そして今、プレシアは病魔に蝕まれた身体で最後の賭に出ていた。
 ジュエルシードを使用した、アルハザードへの転移である。
 ミッドチルダではありふれた理想郷の代名詞であるアルハザード。常人なら、そこへ向かうなど夢のまた夢と一笑に付す夢物語であった。
 だが既に、それに賭けるしかない程に、プレシアに残された時間は少ない。
 だからこそ、プレシアは自らの焦りを、その鞭に、言葉に乗せフェイトに叩き付けていたのだ。
 それが更に自らの身体を蝕むことになろうとも。

 やがてプレシアが去り、フェイトが独り残された。
 フェイトの身体にはいくつもの鞭で打たれた跡が浮き上がり、その瞳はここではない何かをじっと見つめている。
 冷たいプレシアの言葉が、幾度もフェイトの心を砕いた。
 どうすれば、元の優しい母に戻ってくれるのか。何度も繰り返した思考の深みへと自身を誘う事で、フェイトは辛うじて精神の平衡を保っている。
 そして何度も繰り返したように、もっとがんばって母さんに喜んで貰わないといけない。と言う結論へと辿り着く。
 それを可能にさせる芯の強さと、自身の魔導師としての強さが、その結論を可能なものと認識させ、同時に彼女が今生存している理由ともなっていた。
 アルフが駆け寄り、フェイトに呼びかける。
 何処かを見つめたまま、ぶつぶつと何かを呟き付けているフェイトに、更に強く呼びかけるアルフ。
 ようやくアルフが呼びかける声に気付き、その瞳がアルフを捉える。
 だがアルフがプレシアを責める言動を叫んでも、フェイトは本心からプレシアを弁護した。
 そのフェイトの言葉が、刃物のようにアルフの心に突き刺さる。
 自分はなんと無力なのだろうか、主人であるフェイトの心の支えにすらなれない。
 そんな思いに、アルフはただ、無力感を募らせてゆくのだった。




 海鳴市藤見町高町家、夜。
「美由希お姉ちゃん、お風呂空いてるよー」
 既に一番風呂から上がり、藤紫色のパジャマを着た静は、道場から戻ってきた美由希に呼びかけた。
「はーい、じゃあ入ってくるわね」
 美由希はそう応えてリビングを横断して行く。
 リビングでは現在、リスティがテレビを占拠して、ドラマを見ている。
 単に現時点でリビングにいるのが、静とリスティの二人だけで、静が本を読んでいるからなのだが、それにしても他人の家なのにごく自然にくつろいでいるのには、知佳も苦笑していた。
 現在、知佳となのはとユーノで、夜の探索に出ている。
「そろそろ時間になるな」
 ドラマを見終え、ニュース番組に差し掛かったところでリスティが呟いた。
「連絡を入れるわね」
『お疲れ様、そろそろ時間よ』
『もうそんな時間なんだ』
『じゃあ今日は戻るね』
『分かったわ』
「切り上げて戻ってくるそうよ」
「じゃ、そろそろおいとまする準備をって、何も持ってきてはいないか」
 身の回りを見渡して、静の方に振り向いたリスティは静の表情が変わるのに気付いた。
「リスティさん、反応ありました。位置は臨海公園」
『静!、臨海公園でジュエルシードとフェイト達を見つけた』
『了解、上空で管制に当たるわ。伊勢、バリアジャケット和装を』
『和装Ver.2.2展開します』
 ユーノからの念話に答えながら立ち上がり、バリアジャケットを纏う。
「出るわ」
「こっちは臨海公園近くの結界の外で知佳と合流、待機しておくよ」
「了解」
 那美の物とはまた違うデザインの巫女服の上に、弓道の装備に身を包んだ静の返事に、リスティは精悍さを感じた。
 可愛いと形容できるなのはとは、相対的にではあるが。
 庭への戸を開いて、そのまま夜空へと飛び出して行く静を見送り、リスティも急いで準備をする。
「あれ? 今日はお帰りですか?」
 玄関に出たところで、美由希に呼びかけられた。
「ジュエルシードの反応があった、家の方は頼むよ」
 そう言って自分の靴を拾い上げた直後、リスティは瞬間移動で、玄関から消え去った。
 突然リスティが消えたことに驚くが美由希だが、正面に立って戦うことになる妹の実を案じて呟かれる言葉だけが、玄関に広がっていった。


 程なく現場上空に到達した静は、周囲を警戒しながら、既に展開しているサーチャーから得られた情報をリンクさせ始める。
『高度3000mののぞきなんて、いないわよね?』
 和装のバリアジャケットは、構造的にタイトなスカートに近いだけに、誰から見られないかと危惧してしまう。
『雲もありますし、問題はありません』
 伊勢からの返答と同時に、洋装だったらスカートだから、空を飛ぶのには向かないと思うのだった。
 無論、リンクした情報にも目を光らせてはいる。
 フェレットのままアルフの攻撃を避け続けるユーノは、リンクから得られる情報を受け取り、余裕を持ってアルフからの攻撃を避けられるようになった。
 アルフにしてみれば、途中から明らかに動きが良くなったように感じたが、それはユーノのウォームアップが終わったのだろうと感じていた。
 ならばと、アルフはユーノの死角からも攻撃するが、その悉くが見ているように避けられる。
「すばしっこいね、少しは観念して当たりなよ!」
 振り返りもせずに攻撃を避けるユーノに、焦りを感じるアルフは、いつしかフェイトとなのはの交戦域から離されてゆく。

 一方のなのはは、静からのサポートを全て拒否した。
 曰く『正々堂々と、正面からぶつかりたいの』との念話により、現在自身の力のみでフェイトとぶつかっている。
 だが、戦闘において一日の長があるフェイトに対し、火力と防御が勝っているだけのなのはでは、お互いに決定打に欠け、長期戦の様相を見せていた。




 高次空間内、次元空間航行艦船アースラ。
 現在、パトロール航行中に次元震を観測した事が発端で、その発生源である第97管理外世界の間近まで迫っていた。
 次元震とは管理世界の中でも第一級の次元災害であり、大きな物では幾つもの世界を滅ぼす程の物になる。それだけに最優先事項として、その調査に向かう必要に迫られるのだ。
 既に観測した次元震から得られたデータの分析は済み、次元震そのものとは別に、異なる二つの魔力パターンと、それが衝突した形跡が現れていた。
 これに加えて、現地からの距離による時間遅延によって観測される情報の分析が進められ、コバヤシ丸撃沈から、ジュエルシードの引き起こした事件、ジュエ ルシードの暴走傾向、この時点では名前の不明なフェイトとアルフ、なのはとユーノと静の魔導師と使い魔らしき物が関わっている事も確認していた。
 なお、コバヤシ丸の件は、脱出艇から発せられている救難信号を既に受信しており、この後に向かう予定となっている。

 間もなくアースラは、第97管理外世界を直接観測できる位置にまで到達する事もあって、艦内は慌ただしく準備に追われていた。
 転送室には、臨戦態勢で執務官クロノ・ハラオウン及び武装隊が準備を終えたところだった。
 これは、到着直後に何らかの武力的な介入を行わなければならない場合に備えている物だ。
「リアルタイム観測可能空域に到達しました。転送可能空域に入り次第、減速開始します」
「目標座標付近のアリルタイム観測を開始します」
 パイロットの報告に続いて、オペレーターが観測を開始する。
 全て艦長のリンディ・ハラオウンが、あらかじめ命令しておいたとおりの行動だ。
 既にクロノ執務官には、現地での戦闘停止とジュエルシードの回収の、二つの命令が告げられている。
 後詰めとして、現地での本格的な捜査に当たるまで、艦長命令にて武装隊が待機する事になっている。
「結界を確認、二名の魔導師が交戦中。 …待って、同結界内にロストロギア、ジュエルシードを確認!」
 通信主任兼執務官補佐のエイミィ・リミエッタが、後半を叫ぶように告げた。
 彼女はそのまま艦長と、転送ポートで待機しているクロノに、現場のデータや関連データを提供してゆく。
「武装隊はクロノ執務官の転送後、転送ポート上で待機」
「了解、転送ポート上で待機します」
 武装隊の復唱の後、クロノは転送ポートの指定位置上で、観測されている現場の状況を見続ける。
 リアルタイムで送られてくるデータは、二人の少女、なのはとフェイトが戦闘している様子を映し出している。
「…転送可能空域に進入、減速を開始します」
「転送タイミングと座標はこちらが入力する」
「了解、転送ポート制御優先権、回します」
 クロノの立っている周囲に、転送魔法の魔法陣が展開し、静止した。
 なのはとフェイトの戦闘が一瞬硬直を見せ、二人がお互いに激突しようとした時点で、クロノは座標を入力し、転送魔法を発動させた。
 指定位置の上で、クロノが光に包まれ転送されて行く。
 そしてクロノの姿が完全に消えると、武装隊は転送ポート上へと進み、緊急時の転送に備えるのだった。


 海鳴市、海鳴臨海公園、夜。
 なのはとフェイトの二人が、この戦闘で3度目に交錯する直前、クロノはアースラからの次元転送魔法により二人の衝突地点に出現した。
 間髪入れず、自身のデバイスでフェイトのバルディッシュを受け止め。バリアジャケットの一部であるガントレット越しになのはのレイジングハートを受け止め、宣言する。
「ストップだ! ここでの戦闘は危険すぎる」
 フェイトが困惑した視線を返し、なのはは驚きの視線を返す。その様子に一応の戦闘は止まったと判断しクロノは名乗りを上げる。
「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ! 詳しい事情を聞かせて貰おうか」
 その直後、クロノはどこからかため息が聞こえたような気がした。

 静は盛大に、そして深くため息を吐いていた。
「最悪ね…」
 それはクロノと名乗った執務官に対しての、静の率直な感想だ。
 背格好や声からして、ユーノと自分の間ぐらいの年の男の子だろう。
 管理世界では、就業年齢が若い事。自分より少し年上だが発掘の責任者をしているユーノの例を見ても、能力が高ければそれなりの職に就ける事。
 それらを踏まえても、執務官という役職を伊勢の情報から考えると、相当優秀な人物であると考えられる。
 しかし経験という点では、最大に見積もっても経験は数年分だろう。残念ながら地球の基準ではまだまだ素人だ。
 さらには治外法権を振りかざして来るだろうから、こちらの常識は一切通用しない。
 そう考えておく方が良いだろうと、先日ユーノを交えての話し合いで、そう結論が出ていた。その事も静のため息を深くさせる理由になっていた。
 考えても仕方ないと、静が降りようとした矢先。
 隙を突いて襲いかかったアルフが、反撃されつつもクロノの元からフェイトを遠ざけ、使い魔と共にフェイトは逃げ出した。
 クロノも追撃を放ったが、結局は逃げられていた。
 静のサーチからも消えた事と、クロノの苦い表情から、本当に包囲網を敷いていたわけではない事が伺える。
 この事で、静のクロノに対する経験という評価点は更に下がった。
 同時に、観測範囲内であり、泳がせている。という希望的観測も消滅させた。
『周辺空間5k以内に、関係しそうな人物は見あたらないわ。ユーノ、結界を解いてあの二人を呼びましょう。…あ、一応人払いできる結界があればよろしく』
 そうユーノに呼びかけて、静はなのは達のいる場所へと降りて行く。
「伊勢、彼らについては、パッシブ系のデータ収集は続けてくれる?」
『あまり有効なデータはとれませんが、よろしいですか?』
「構わないわ、それとバリアジャケットは展開したままで、パジャマでは失礼に当たるわ」
『了解』
 一気になのはの元へと落下してゆく静。

 フェレット姿のユーノが空を見上げ、釣られてクロノも空を見上げる。
 クロノの目には、二対の光の羽を広げ始めた、こちらの民族衣装らしい紅白の装束を纏った少女が、かなりの速度で落下してきているのが見えた。
 即座にクロノが構えるが、静はそのまま二人の前で急制動をかけて着地した。
「君も関係者なのか?」
「ええ。武力を行使する意思はないわ、武器を向けるのは止めなさい」
 杖を向け刺すようなクロノの視線に、両手を挙げて凛として答える静だが、内心は戦々恐々としていた。
「…大人しくしてくれるなら何もしない」
「ありがとう、助かるわ。それで、あの二人は呼んでくれた?」
 クロノが杖を下ろしたのを見てから、手を下ろした静は、先程から携帯電話とにらめっこしているなのはに訪ねた。
「ちょっと結界の外に出ないと、圏外みたい」
 携帯を振りながら答える。
「分かった、今解くよ」
「何をするつもりだ?」
「こっちにもこういう事態に対処するところはあるのよ、その組織の協力者二人が近くにいるから呼ぶんだけど?」
 静の言葉と同時に、ユーノが結界を解く。同時にむっとして辺りの警戒を始めるクロノ。
 なのはは自分の携帯で知佳に連絡を入れる。
「悪いわね、少しかかるわよ」
「逃げ出さないなら構わないさ」




 海鳴市国守山、八束神社、敷地内。
「ひとまず、逃げ切ったみたいだね」
 眼下に見える、海鳴臨海公園から転移魔法を感じ取り、管理局と彼女たちが転移したのだろうと思い、アルフは一息ついた。
 フェイトが逃げ出す隙を作るためにクロノに襲いかかったアルフだったが、予想外の深手を負っていた。
「ひとまず家に戻ろうか…」
 そう言ってフェイトへと振り返ると、視界の中でフェイトが膝をついていた。
「フェイト! 大丈夫かい?」
 慌てて駆け寄ったアルフは、境内から漏れてくる明かりに照らされた、フェイトの怪我を見つけた。
「さっき、逃げ出すときに…」
「大丈夫だよ、おかげで上手く逃げられたんだから」
 そう言って立ち上がろうとするが、フェイトの身体はまだ先程のダメージを抜けきっていないのか、すぐによろけてしまう。
 アルフが素早くフェイトを支えた直後。
 二人の耳に、木々の間から何かがこちらに近づく音が聞こえた。
 警戒する二人だが、音がする方にはなんの魔力も感じないことから、警戒のランクが下がる。
 そして程なく出てきたのは、一匹の子狐だった。
「くん?」
 子狐は二人の様子を見ると、突然爆ぜた。
「たーいへん、怪我してるー。なーみー!」
 そう叫んで、子狐だった少女が無防備に近づいてくる。
 突然の事にアルフはフリーズしていた。
 彼女が自分の変身する様子を見ているならば、ここまで戸惑う事もなかったろう。だが何の魔力も感じさせずに、アルフにしてみれば明らかに異質な変身に驚いて、警戒する事を完全に忘れていた。
 一方アルフの変身を見慣れているフェイトは、幾分か思考はまともだったが、戦闘のダメージが抜けきらず、ただ近寄ってくる少女を見ている。
「大丈夫?」
 なんの敵意も感じない優しい少女の声に、フェイトは大丈夫だよと答えたところで、意識が落ちた。




 高次空間内、次元空間航行艦船アースラ、転送ルーム。
 転送が終わり、広々とした空間が広がる。
 あの後知佳達と合流して、自己紹介を行い、全員でアースラにやってきたのだ。
「黒船の中、と言う訳か」
「リスティ」
 どこまでもマイペースなリスティーに呆れる知佳。
 物珍しさが先立っている四人に、クロノは着いてくるように声を掛けて歩き出す。
 先ほどよりも落ち着いたクロノの声に、ここが彼らのテリトリーである事を、静は認識する。
 クロノに引きつられて、一行が重厚な作りの転送ルームから廊下に出た。天井の高い廊下がどちらにも続いている事から、この船の大きさが窺える。
 そうしてお上りさんのように辺りを見渡しているなのはと静に、クロノは優しく声を掛ける。
「…ああ。いつまでもその格好というのも窮屈だろう。バリアジャケットとデバイスは、解除して平気だよ」
「あっ… そうですね、それじゃあ」
 なのはのバリアジャケットが消え、待機モードのレイジングハートをペンダントにした、聖祥の制服姿になる。
 一方の静は単にその様子を見ていた。
「君は、解除しないのかい?」
「ごめんなさい。寝間着では失礼に当たると思うから、このままでいくわ」
「そ、そうか…」
 クロノが振り返って、再びその歩みを進め始めてから、静はほっとしてその後をついて行く。
 静が緊張している事はクロノ以外皆知っているが、その事は誰も口に出さない。 …と言うより、辺りに対しての興味でそれどころではないと言うのが正しいが。
 すぐにクロノはその歩みを止め、ユーノへと振り返った。
「そう言えば… 君も、元の姿に戻って良いんじゃないか?」
「そう言えばそうですね。ずっとこの姿でいたから忘れてました」
 そうさらりと言った直後、緑色の光がユーノを包み込み、なのはや静と同じくらいの背丈の男の子へと変わってゆく。
 その様子を驚きの表情で見つめるなのはとリスティ、唖然としているのは知佳、静に至ってはため息を吐いていた。
「ふう、なのはにこの姿を見せるのは久しぶりになるかな」
 さっぱりした顔つきでそう言ったユーノは、なのはの方を見るが、当のなのはは、隣のリスティと共に驚きの表情を浮かべたまま固まっている。
「初見よ」
「あー、やっぱり…」
 二人の後ろで呟く静と、その呟きに納得する知佳。そしてクロノのため息が聞こえるのは幻聴ではないだろう。
「って、ええぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
「お姉ちゃん、驚きすぎ」
「でっ、でも。ユーノ君って、ユーノ君って、お、お、お、男の子だよ!?」
「そうね」
「なんで静は驚かないの!?」
「これだけ驚いている人がいると、かえって驚けない物なのよ」
「それはそれで酷いよぉー!」
「ま、良いわ。ユーノ?」
「な、なんだい静」
「スクライアの生活習慣は知らないけど、なのはお姉ちゃんや、美由希お姉ちゃんとお風呂一緒に入ってたりしたでしょ? こっちでは年齢的に子供なら女性と 一緒に入っても問題ないと思うけど、疑われるのは避けられないわよ? ユーノは既に立派な仕事を持っているのだから、こっちでは半ば大人扱いなんだし」
「ど、ど、どうしようか」
 ユーノは激しく動揺する。それもそのはず、ここ数日の間に高町家の道場を何度か見学していた事があるのだが、少なくとも地上戦限定の近接距離での戦闘能力は、魔導師を遙かに凌駕するのを目の当たりにしていたからだ。
「最後まで隠し通すか、正直に話すか、どちらもリスクはあるわね。わたしとしては正直に話す方をお勧めするわ」
「そ、そうだよね」
「さて、ごめんなさいね。時間を取ってしまって」
「…こっちだ、艦長がお会いになる」
 何をやっているんだ君たちは、との言葉を呑んで、クロノは再び歩き出す。


 高次空間内、次元空間航行艦船アースラ、艦長室。
 壁には何段にも重ねられた盆栽の棚。
 部屋の応接空間には、茶室の床部分と鹿威しまでがが再現されていた。
 だが茶室に正座している部屋の主人、リンディ・ハラオウンは洋装。柔和な感じではあるが、どことない隙の無さが、非常にミスマッチしている。
 それが静が抱いた、この部屋とその主に対しての第一印象だった。

 クロノは母親でもあるリンディの横、やや後ろに正座し、その場からなのは達の様子を見て見ぬふりをしている。
 基本的に異邦の文化を真似ると、当の異邦人には滑稽に映ることが多い。しかも今回は、この部屋の文化の地元からの人間達である。
 他人事、と言う事にしておこうとは思うが、正直とても気になっていたのだ。
 なのは達は、部屋の様子に戸惑いながらではあるが、並んで正座する。特になのはと静の正座はごく自然な動作であったことから、普段でも正座をする機会が多いのだろうとクロノは思った。

「あなたが、ジュエルシードを集めてくれていたのね」
 自己紹介が終わり、リンディはユーノへと話を切り出した。
「はい、僕が発掘責任者ですし…」
 ユーノの説明は、コバヤシ丸から避難した所から始まり、途中でコバヤシ丸の乗組員の救助活動中だとも告げられた。
 そうしてなのはと遭遇した所で静に話を振って、ひとまず終わった。
「ここから先は、デバイスからのデータを提供したいのだけど良いかしら?」
「良いわよ」
「伊勢、用意しておいたデータを」
「はい」
 静の胸当ての内部から広がる、澄んだ透明感のある女性の声による返事。
 それがデバイスの返答である事に驚く者はいなかった。
 程なく受け取ったデータのうち、事件のレポートに目を通すリンディ。アースラで収集したデータよりも、部分的には精度の高い情報に満足する。
 そうしてリンディがページを捲ってゆくと、フェイトとなのはと静の魔術師的な側面の、データ比較が目に止まった。
「なるほどね。なのはさんも、静さんも。二人とも高い適性があるのね」
 なのはと静、そしてフェイトのデータについて目を通しながら感心したように言い。リンディは彼女たちの事を、管理世界を入れても、稀に見る適正の持ち主だと理解した。
 途中二三質問を投げかけたリンディに静は答え、話が一段落したところで、リンディは自分の分のお茶に角砂糖を入れた。
 一つ、また一つと、抹茶らしきモノの中へと投入されてゆく角砂糖。
 リンディがティースプーンで混ぜる音にもザラザラという音が混じる。
 この場にいた、リンディとユーノ、そして知佳以外の顔が引きつっていた。
 クロノはなのは達の引きつった顔を見て、自分の母親であるリンディを遠い目をしてみている。
 そのままリンディは、何個かの角砂糖を溶かし込んだ液体の入った茶碗を持ち上げた。
 飲む。
 さも美味しそうに。
 しかも美人と言って差し支えないリンディが、完成された所作で。
 そのあまりにも美味しそうに飲む姿と相まって。何人かは、入れたモノは砂糖ではない「何か」ではないだろうかと、思わず現実逃避に走るほどだ。
 ふと、静とリンディの目があった。
「静さんは、砂糖はどれくらい?」
「普通で結構です」
「普通ね」
 一つまた一つ、何気ない仕草で角砂糖が静の茶碗に投入される。
 そしてザラザラという音と共に、ティースプーンによってかき混ぜられる。
 静は、その様子を唖然として見ていた。同時に、異文化を知りたいという探求心も少しは働いていたのだろう。
 この中で最も静の事を知るなのはにだけは、静が慌てている事が分かった。
 念話で問いかけるが、帰ってきた念話は『これも、異文化を知る為よ』と言う物だった。
「どうぞ」
 笑顔でそう言われ、静は震える手で茶碗を手に取り、口を付ける。
 そして、静は味覚と知識が盛大に齟齬を起こし、静の意識はブラックアウトした。





Ende