リリカルなのは、双子の静 第八話 1組の老夫婦が、咲き誇る花の香りで満たされた岸辺から静を見ている。 その表情は厳しくも優しい表情をしていた。 老婆の口が「もういいの?」と、そう語っているように見えた直後。 静の意識が覚醒した。 高次空間内、次元空間航行艦船アースラ、病室。 「今のは…」 先程まで見ていた光景に、静はそう呟きながら身を起こす。 辺りを見渡した静は、泣きはらした顔のなのはと視線が合った。 「静ぁっ!」 なのはは目尻に涙を浮かべて静に抱きついた。 『伊勢、チェックを…』 『身体的な問題はありません、精神的ショックにより気絶していました。およそ15分は経過しています』 なのはにきつく抱きしめられながらも、静は自身の様態を確認し、先程まで見ていた物を思い出した。 「大丈夫よ。ただ、会いに行っていただけだから」 「だれにっ!」 「んー、父方の両親かしら。今思えばお父さんに似ているような感じだし…」 真面目に記憶を見当する静に、いつもの静を見いだしたなのはは、落ち着いてベッドの傍らの椅子に腰掛けた。 「後で、写真と見比べておきましょう」 「もう、心配したんだから」 「ありがとう。そういえばお姉ちゃんは、アレは、飲んだの?」 アレと言われて、なのはの身体がビクンとこわばる。 「うっ、ううん。静が倒れた後、クロノ君が毒のチェックをして全部片付けたんだよ。だから…」 「そう…」 静の安堵した様子を見て、なのはも落ち着いた。 そうして話が一段落し、どちらからともなく話しかけようとした矢先、病室の戸が開いた。 「大丈夫のようだね」 入って来たのは、初老の医務官だった。彼は幾つか問診をして、静が全くの健康であることを確認すると、 「災難だったね。艦長はいい人なんだが、極度の甘党でね」 そう申し訳なさそうに言って、病室から出て行った。 「…そ、そんなに凄かったのかな?」 「…そうね、味覚が根本から破壊されるような味だったわ。あれなら、まだお母さんの試食品を延々と食べる方が遙かにましね」 「そんなに!?」 「お姉ちゃん。あれは、あれは知ってはいけない味よ」 静の有無を言わせない真剣な言葉に、なのはは思わず頷いて返す。 「それにしてもリンディさんの味覚なら、日本料理の味は諦めるべきね、細やかな甘さは分からないだろうし、もしかしたらイギリス料理でもだめかと思うわ」 「あはははっ」 日本を回るツアーや、長期の休みの度に高町家にやって来る、イギリス在住のフィアッセ。彼女は来る度に自国料理の不味さを嘆いているだけに、なのはは苦笑いしか返せない。 二人が話している病室の外、エイミィ経由で盗聴していたクロノは、うんうんと首を縦にひときしり振ってから、病室の戸を開くのだった。なぜなら彼も、彼の師匠の主人であるグレアム提督から、イギリス料理のことを聞かされ、賞味したことがあるからだ。 それはそれとして、病室に入った彼は静に頭を下げるのだが。 静は「個人間の問題だから、クロノが頭を下げることはないし、代表である必要もない」と言って、クロノからの謝罪を拒否するのだった。 高次空間内、次元空間航行艦船アースラ、食堂。 クロノの同席で、デブリーフィングを済ませる。 主な内容はなのはの戦闘に対するダメ出しと、対応方法の洗い出しだ。 その後、なのはと静は、管理局側との取り決めを確認する事になった。 管理局が主体としてジュエルシードを回収する、国際救助隊はこれを補佐し管理世界の情報を得る。これが基本的な取り決めである。 なのはと静、そしてユーノはその協力をする事になる。 本来、時空管理局は管理外世界には極力不干渉という方針ではあるが、ネットワークを確保するために特例を使用し、情報交換という主目的で国連管理下の組織と手を取ることになる。 国際救助隊にしても、組織内に旧香港国際警防隊、現特殊警防隊が有るが、上級クラスの魔導師相手では手に余る可能性がある以上、協力しないという手段は無かった。 「そう、そっちは上手くいったのね」 「静の勇気に乾杯だ」 「なら、今度はリスティさんの番ですね」 「う゛っ…」 静が倒れた時の様子を、間近で一部始終を見ていただけに、リスティは自分がアレを飲む時の様子がありありと想像できた。 どう考えても、口から泡をふいて倒れている自身の姿しか浮かばない。そんなリスティの背中に、嫌な汗がゆっくりと流れ伝う。 気が付くと、コップを持つ手が震えていた程である。 「ま、この話はこれまでね。人物評価には最優先注意事項として盛り込んでおいた方が良いでしょうが」 静の容赦ない言葉に、クロノはあきらめの表情を浮かべるしかなかった。 単純に経緯を述べれば、静を毒殺しようとした疑いが存在する以上、強引な手段は採ることが出来ず。先程までの交渉の場においては、相手からの要求をのまざるを得なかったのである。 もちろん、全てのジュエルシードを回収して、管理局の管理下に置く。という管理局側の要求が通り、相手の要求はあまり問題ないモノだと判断されたからだろう。 だがそれ以上に、高ランク魔導師の候補に対して、管理局のイメージを損なう事を恐れているのではないかと、クロノは思っていた。 「クロノ執務官、お願いがあるのですが」 澄んだ透明感のある女性の声、静のデバイスである伊勢が唐突に発言した。 「伊勢?」 「君のデバイスだな?」 「ええ」 確認したクロノだが、バリアジャケットを纏っている静の何処にデバイスがあるのかは掴めていない。 「魔力回路を強化したいのですが、ご協力をお願いできませんか?」 言葉の直後、クロノの前に、伊勢のデバイスとしてのデータと、静の魔導師としてのデータが表示される。 「なんだこれは、全然足りて無いじゃないか」 概算でランクAAAの静の魔力出力に対して、伊勢のデバイスとして扱える最大値はランクDのもの。 ランクDで動作するインテリジェントデバイス、と言うのもクロノの常識では完全に規格外であり。 第97管理外世界でこれだけの魔力保持者に遭遇というのも、非常識な出来事と言える そしてクロノは思い返す、静は一度の例外を除いて、戦闘に参加してはいない。 それは単になのはとユーノで事が足りているから。かと思っていたが、現実にはデバイスが原因で戦闘空間に進入できないでいるのだった。 驚いたままのクロノは静へと視線を上げた。 「ええ、情報管制のみだったから、そんなに問題はなかったわよ。今まではね」 暗に運が良かっただけと言う静。 「そうだな、見当はさせて貰う」 クロノには権限が全くない、と言うわけではないが、上司にして母親でもある、艦長の意見を聞こうと、即答は避けた。 既にどういう経緯で、伊勢が静のデバイスになったかを聞いているだけに、デバイスと魔導師の不整合の点については、有り得る事だとして驚く事はなかったが、まさかここまでランクの乖離があるとは予想していなかった。 そこまで考えて、ふと、なのはのデバイスになってしまっているレイジングハートについて、クロノは不思議に思った。 少なくとも、データを見る限りでは、かなりの大出力に耐えられるインテリジェントデバイスであり、ユーノが所持していたとは言え、その出自は不明である。 魔導師の中でもランクAAAとなるとその数は非常に少ない。 静に比べれば、巡り合わせが良かったと言えるが、その確立は万に一つかそれ以下か… そこまで思ったところで、こんな事件に巻き込まれる確立の方が遙かに低いことに思い当たり、考えるのを止めた。 それらの思考と同時に、念話で伊勢の申し出をリンディに伝えると、『あの子のデバイスよね、お詫びもかねて受けてあげて』と即答された。 どうやら、自分の母親は、かなり気にしている様子らしい。本場の人間に否定されたのが、それほどショックだったのだろうか。 「艦長の許可が下りた。一度静の魔力特性を計りたいのだが、良いかな?」 直接会って、謝罪すれば早いのだがと、クロノは思う。 それはクロノの謝罪を、個人間の問題として拒否したことを伝え忘れた事もある。 加えて、現在コバヤシ丸の乗組員を回収した直後であり、現在指揮中のリンディは時間が取れないという現実もあった。 「それは、時間がかかる物なの?」 「そうだな… そちらの時間だと1時間くらいはかかると思う」 「今、何時?」 「午後11時34分ね」 「も、もうそんな時間なんですか!」 驚いたなのはの瞼がとたんに重くなる。 「これは、また明日ね。ゴメンなさい、既に子供は寝る時間なのよ」 「分かった」 「そうねこちらの時間で10時間後に、あの公園に集まっておくぐらいで良いかしら?」 「明日の午前9時30分に集合ね、こっちはいいわよ」 静の提案に同意した知佳は、クロノへと視線を向ける。 「10時間後か、分かった」 時間換算して返答したクロノ。 「でも静、学校はどうするの?」 「しばらくは休みね。事が終わってから行くわ」 その言葉を聞いて、皆が静のやる気を再認するが、なのはだけは親友二人の顔が浮かぶのだった。 海鳴市国守山、さざなみ寮。朝。 「耕介だっけ? いいのかい、あたし等みたいなのに朝食まで用意して…」 そう言って、この寮の管理人槙原耕介に訪ねるアルフだが、既に用意された朝食のサンドウィッチをご満悦でほおばっている。 普段なら警戒するところだろうが、味に負けたのか、少なくとも耕介や目の前に用意された食事について警戒することはなくなっていた。 「その辺りは大丈夫さ」 苦笑しながら答える耕介。 神咲那美と久遠によって連れてこられたフェイトとアルフを保護したのが昨夜。 フェイトは手当を受けて、那美の部屋で横になっている。 アルフはフェイトのそばで一晩を過ごし、今朝に至り、現在美味い美味いと朝食を食べているところだった。 彼女たちにとって幸運だったのは、報告の為に時間を取られた知佳とリスティが帰ってきていないと言う点だった。 ふと足音が聞こえ、那美とフェイトが姿を現した。 「フェイト、もう大丈夫なのかい?」 「うん、那美さんに治して貰ったから」 「さ、二人とも座って。朝食がまだだろう?」 ごく自然に耕介は言って、そのまま作っておいた二人の朝食、サンドウィッチを盛った皿と、紅茶を用意する。 「どうぞ」 「いただきます」 「あ、いただきます…」 那美の言葉に続いて、フェイトもそう言って朝食に手を付ける。 「美味しい…」 それはふと零れたフェイトの本心だった。 「よかった、口に合わなかったらどうしようかと思っていたところだよ」 ほっとした耕介の言葉に、フェイトの手が止まるが、 「フェイト、折角美味しいんだからお腹いっぱい食べないと」 そんなアルフの言葉に、再び手を動かす。 一心不乱に食べ始めたフェイトを見ながら、那美もマイペースで手を付けている。 やがて皿の上は空になり。カップの中の紅茶も飲み干された。 フェイトと那美の「ごちそうさま」の声を受けて、耕介が「お粗末様」と返す。 「…さて、あたし等は行くよ」 一瞬の間をおいて、アルフは言った。 フェイトは静かに「うん」と答えて、立ち上がる。 「もう少しゆっくりしていけばいいのに」 ベランダへと向かう二人に耕介の声がかけられるが、フェイトは振り向きもせずに首を横に振り、答える。 「ううん、これ以上は迷惑をかけることになるから」 「いくよフェイト」 術式が始まり、その光景に那美と耕介は思わず見とれてしまう。 「朝ご飯おいしかったです」 その言葉と光の残滓を残して、フェイトとアルフは消えてしまった。 「行っちまったな」 「これで良かったんでしょうか…」 「また会える様な気がするよ、あの二人には…」 不思議と耕介の言葉に説得力を感じつつ、現在の時間が、完全に遅刻である事に気付くまで、那美はあの二人のことを考えているのだった。 海鳴市、海鳴臨海公園、午前9時20分。 集合場所は、公園の中でも樹木に囲まれた場所で、ユーノが人払いの結界魔法をかけ終えた所だった。 「お二人とも、何かお疲れのようですね」 「昨晩は報告書を用意していたからね、家には帰っていないんだ」 「ご苦労様です」 「そっちは、大丈夫だったの?」 昨夜ユーノの件で一悶着あった高町家だが、昨夜からユーノは元の姿で生活し、家族からの理解も得ていた。 「はい、何とか理解してもらいました」 「そう言えば、お姉ちゃんとお母さんは全く気にしてなかったね」 「そうね。美由希お姉ちゃんは、『やっぱり可愛い』なんて言ってたし、悪い方には行ってないわね」 「これも二人のおかげだよ」 ぞれぞれに昨晩のことについて話していると、空中に一つのウインドウが開いた。 「お早う、早速こちらに転移して貰うけど準備は良いかな?」 「いいわよ」 「ではユーノ。君の結界魔法はこちらで解除する」 「分かった」 ユーノが答えた直後、全員を転移魔法の光が包み込んだ。 アースラに移ってから、知佳とリスティは国際救助隊として、事務的なやりとりをするためになのは達と分かれ、ウインドウ越しにエイミィの案内で艦長室へと向かった。 なのはと静とユーノは、クロノに連れられて、二人の魔力の検査計測のために、医務室で診断を受けた後、訓練室に来ていた。 「ここでは模擬戦をして貰って、その中での魔力を測定する」 「わたしは無理ね。攻撃魔法は何一つ使えないわよ?」 「…どういう事だ?」 静の言葉にクロノは驚きをもって返していた。 「静さんはデバイス無しでの探索、検索、結界、転移魔法の訓練だけをしていました。これは私が静さんの魔力容量およびその特質に安全に対応できないからです」 「訓練と言っても、まだまだ基礎だから私一人では何も出来ないに等しいわ。伊勢と合わせて情報管制が出来る程度なのよ」 「情報管制?」 「そうね、なのはと二度模擬戦をして貰える? 一度目はリンク有りで、二度目はリンク無しで」 「そうだね、あの感覚はやってみないと分からないよね」 「伊勢」 「クロノ執務官、リンクレベルをゆっくり上げて行きます、こちらでも随時調整しますが、レベルの上下はリンクを通して下さい」 伊勢の言葉が終わった直後、クロノは念話を受けている様な感覚を受けた。 それはだんだんハッキリとしたものになり、念話を通り越して、なのはとレイジングハート、クロノ自身と愛用のストレージデバイスS2U、そして訓練室とその控え室の情報がリアルタイムに入ってくる所で、情報量の増加は止まった。 「これで通常値です」 「クロノ君のデバイスってSong to youって言うんだ、よろしくね」 「なっ!」 いきなり、なのはに説明もしていない事を言われて戸惑うクロノ。 情報が丸裸、と言うわけではないが、少なくともちょっと調べれば分かる程度の情報のうち、幾つかが出ている。 「そのまま模擬戦をしてみて、実際に動いてみた方が分かると思うわ」 「分かったやってみよう」 なのはとレイジングハートに、模擬戦のルールの説明をし。スタッフにデータ取りの指示を出して、模擬戦が始められた。 リンクからの情報は随時更新され、クロノにはなのはの様子が見えている以上に入ってくる。 だが戦闘に関わる事では、死角が無くなる程度の情報に利便性を感じつつも、クロノは自分のペースでなのはを良いように翻弄していた。 誘導されている魔力弾を、なのはは比較的一カ所に集めるようにして、Protectionで受け止め、その場から離脱する。 『落ち着いてください、フェイトほど早い訳ではありません』 『それは分かっているけど』 年期の違いがハッキリしているが、なのはは持ち前の防御の厚さで何とかしのいでいた。 対戦ゲームで上級者を相手にしているような感覚を受けるあたり、なのはもそうまでして追い詰められているという感じではない。 クロノと、クロノが放った魔力弾と、なのはの位置関係を一直線にする位置取りで、Protectionの直後からためていた魔力をクロノへと放った。 なのはから放たれた桜色の魔力の塊、Divine Busterを、クロノは避ける。 少なくとも命中すれば、クロノの防御といえどもかなりのダメージを追う程の魔力密度だ。だがそれは一直線に飛び去る為に、回避そのものはそう難しい物ではない。 クロノに比べれば稚拙とはいえ、幾つかの魔力弾と組み合わせてクロノの動きを疎外する行動も取っている。 悪くはない、それが数回実戦をこなした程度の相手ならなおさらだろう。 今回の模擬戦は、なのはと静の魔力を計測する目的もあるので、ある程度相手の魔力面での力を引き出す必要がある。それもあってクロノは言わば勝ちに行ってはいないのだが、そろそろ良いかと、その方針を変換した。 クロノの動きが、静から動へと変わった。静がクロノにそう感じた直後、クロノから幾つかの魔力弾が放たれ、そのうちの二つがなのはの死角からなのはに襲いかかる。 なのははそれをあっさりと避け、さらにクロノに反撃に出たが、その瞬間クロノが距離を詰めた。 慌てて生成した魔力弾の死角にまで入り込み、S2Uをなのはの首筋に当て「チェックだ」と宣言した。 「うわぁ… なのはが全然相手になってない」 「これは全力だと1分持たない可能性もあるわね。私ならそれ以前だけど」 「仕方ないよ、クロノは執務官だからね。でも、静ももう少しで自身が転移する魔法は会得できそうだから、ずいぶん進歩しているよ」 「ありがとう」 静とユーノが模擬戦についての感想を話しているところに、模擬戦を終えたなのはとクロノが降りてきた。 「リンクを切ります」 「了解」 クロノとなのはに供給されていたデータが突然途切れる。 「便利な機能だが、使い勝手が良いとは言えないな」 「基本的に視覚情報の強化なのよ、だから安易にそれに頼るのは危険だわ」 「なるほど」 静の言葉に納得した表情を浮かべたクロノは、少し休憩を取った後、二度目のなのはとの模擬戦をするのだった。 結果はいわずもがなで、クロノが勝利した。 「なのはは自身の隙を把握した方が良い。場数が決定的に足りないのは、これからの訓練で何とかするとしよう」 「はい、お願いします」 「静はこれからデバイスマイスターの所へ行って相談だな。二人はそこで待っていてくれ、模擬戦をしていても構わない」 「分かった」 「うん」 「じゃ行ってくるわね」 訓練室を後にして、通路を歩く。 天井の高い通路が続く辺り、改めて異世界の産物なんだと静は感じていた。 「個人的な意見だが」 「拝聴するわ」 「…ああ。そのデバイスには違和感しか感じない」 「具体的には?」 「デバイスは魔導師の道具だ、ランクに関係なく戦うために出来ている」 「常識を捨てなさい…」 「なっ!」 「そんなに怖い顔をしなくても良いわよ、怒っている訳じゃないわ」 「元々私は戦うことなど考慮されてはいません。情報を取得し、分析分類し、必要なときに役に立てる。それが第一義なのです」 「それに、この子はスクライアの作品なのよ。発掘が第一で、戦闘が第二以下でも驚くことではないわ。 …そうね、データベースや図書館の司書には便利なんじゃないかしら」 「民生用、と言いたいのか?」 「そうね、それが一番しっくり来るわね」 唐突にクロノが立ち止まる。 「着いたよ、ここがデバイスマイスターのいるラボだ。正式にはメンテナンスルームと言うんだが、みんなラボで通している」 二人で部屋の中に入る。静の知らない工具らしき機械が並んでいるが、非常にすっきりした部屋になっている。 「ご苦労様です」 青年のスタッフが、機械の影から出てきてクロノに挨拶をする。 「初めまして、高町静です」 「こちらは、アースラスタッフのデバイスマイスター、ミシェルだ」 「ミシェルと気楽に呼んでくれ、技官なんで堅苦しいのは駄目なのさ。さて始めようか、執務官から話は聞いているし、データも先程受け取った」 「伊勢、準備は良いかしら?」 「はい」 ポケットから袋を取り出し、その中から伊勢を取り出す。 熱か何かで変色した表面を見てミシェルは驚くが、この後更に驚くことになった。 メンテナンス用の装置に入れ、伊勢から提供されたそのスペックは、ミシェルにとって衝撃的だった。 「無限書庫のデータでも入れるつもりなのか? これは」 唖然として呟かれた言葉に、スペックを見たクロノも驚く。そこには天文学的なストレージ容量と、驚愕的な処理能力が表示されていたのだ。 魔力関係においては、逆の意味で驚愕するのではあるが。 「無限書庫?」 「ん?ああ本部にある書庫でね、無限の広さがあるからそう呼んでいる」 クロノの言葉を元に静は想像してみるが、上手く像をなさない。 「想像できないわね…」 「あれは、誰でも驚くさ」 「さて、構造は神懸かり的に整理されているね、すごいよこれは」 映し出されているデータを静とクロノも見ているのだが、二人とも専門的なことは分からず、感動しているミシェルに着いて行けなかった。 「それはそれとして、パーツがあるかな。魔力のI/O関係はほとんど一から作ることになるから、かなりのパーツがいると思うんだが…」 「AAAの僕が乗っているから、ある程度のパーツはあると思ったんだが」 「パーツのカタログをいただけますか?こちらで仕様設計までは済ませてあります」 「…分かった。仕様と設計はこっちにも回してくれ、カタログは今渡すよ」 伊勢の申し出に、一瞬驚くミシェルだが、彼はは端末を操作することなく、デバイスを通して伊勢へとデータを送る。 即座にリストが返され、三人の前にまず仕様が表示された。 「えーと… ああ、これはすぐには無理だな」 仕様に目を通してから、次に要求されたパーツのリストに目を通したミシェルは、困ったように呟いた。 静は表示された文字は読めないが、かなりの数に当たる事は理解した。 「現在アースラにあるのはこれだけだ」 文字列の6割が半透明で表示される。 「4割があるだけか」 「パーツ数、多いわよね?」 「そうでもない。最大値でDクラスが使用できる程度だから。静君のデータに合わせると、Sランクデバイスをまるまる一つ作るくらいのパーツがいるんだよ。そう言う意味では、多すぎるというわけじゃないさ。しかもこのパーツ群の構成は出力毎の隔たりもない構成になっている」 「つまりどの出力でも意図したとおりに安定する訳ね?」 「そうだ、インテリジェントデバイスならそう言う処理も楽だが、これはストレージデバイスで、同様の構成を目指した物だな」 「もしかして、無い部品はスクライア関係の物かしら?」 「そこまでは分からないな。メーカーが分かっても技師までは分からないから、そう言うこともあるかもしれない」 「で、ミシェル。出来るのか?」 「艦長からも言われている、パーツが揃い次第かかることになる」 「ありがとうございます」 深々とミシェルに頭を下げる静。 静か頭を上げると、そこには何か思案するミシェルの顔があった。 「パーツを発注する前に、伊勢を作ったというラボにアクセスしてみた方が良いな」 「あ」 「その方が安全に作業できますね」 「そう言う事だ、連絡先は分かるかい?」 「無論です」 「艦長に許可を取った、ここから交信する」 平然と言ってのけたミシェルに、念話なども並行して作業を進めているのだと思い、静はクルーの質の高さを感じていた。 すぐに通信用のウィンドウが開き、異世界の事務員だろう男性が通話に出る。 伊勢はそこで自らの出荷時の型式番号や理由を延べ、責任者へとつないでもらった。 「私が開発責任者の、フォッケだ」 そう言ったのは、初老の時計職人では、と静に思わせる人物だった。 「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンです…」 「用件は受け取った。伊勢と名付けられたか、管理局に直接に渡らなかったのは残念だ」 通信にタイムラグが若干ある為に、フォッケの言葉によってクロノの言葉が遮られた。 「ま、もっとも。管理局では伊勢の意味は分からんだろうがな」 フォッケの言葉に、クロノが反論する前に、静が口を開く。 「初めまして、伊勢の主となりました高町静と言います。現在、私の住む町は事故によってばらまかれたジュエルシードにより、存亡の危機に立たされています。一刻も早く、そして安全にジュエルシードを回収するために、あなたの力を貸してください」 「そのデバイス、返せと言われたら、どうするつもりだ?」 「お返しします。少なくとも私の世界の法律で考えれば、私はただ落ちていたのを拾っただけですから、正当な所有者がいれば返すのは当然のことだわ」 「デバイス、伊勢の意見は?」 「私はお断りします。次元世界の常識に沈んだ魔導師では、私を使いこなす事は出来ません」 伊勢の言葉に、フォッケはニヤリと笑みを浮かべ、その腕で何かを操作した。 「伊勢を頼む。何かあったらまた連絡すると良い」 フォッケがそう言った直後、通信が切れた。 「データは届いている。あれが、フォッケ・スクライア本人とはな」 「ご存じなんですか?」 「いや、聞いたことがあるだけだ。戦闘用ではなく、遺跡探査用を主眼にデバイスを作っている変わり者。と言う程度の話さ」 ミシェルの言葉に静が納得している間に、ミシェルは受け取ったデータに目を通してゆく。 「悪いが伊勢を暫く預かることになるが、いいか?」 「はい、よろしくお願いします」 深々と頭を下げる静。この部屋に入って何度か繰り返される行為に、クロノは静に礼儀正しさを感じつつあった。 「それと、出来上がるまでは、これを使うと良い」 そう言ってミシェルは厚めのカードを静に渡す。 「それは予備の」 「そう、予備のストレージデバイスで、最大値AAAクラスまで安全に使える。アースラじゃ艦長か執務官くらいしかこれを扱えないが、静君なら身を守るくらいには使えるだろう。ただし中にはクロノの基本的な魔法しか入っていない」 「いいのかしら?」 「ああ、デバイスの管理は俺に一任されている。クロノがS2Uを壊さない限り問題はない」 「ミシェル…」 「そう言う事だ執務官殿。俺はこれから伊勢と細かいところを詰めて行く。後は任せてくれ」 「分かった、何があったら知らせてくれ」 「了解」 「では、よろしくお願いします」 「少し待ってください」 クロノと静がその場から動き出す前に、伊勢の声が掛けられた。 「今、静さん用のデータを入れます。よろしいですかミシェル?」 「早いな… だが容量に気をつけてくれ、こいつは伊勢に比べたら容量は無いに等しい」 「了解しました」 「えっとじゃあ」 静は受け取った予備デバイスを、ミシェルに返した。 「中味は一度消してくれて良い。バックアップはちゃんと取ってある」 「分かりました」 ミシェルはそのままメンテナンスの装置に入れ、蓋を閉める。 「処理を開始します」 伊勢の宣言と共にステータス表示のパネルが開かれ、ストレージデバイスの機能チェックから始まり、すぐに内容を消去中のログが表示される。 次いで Barrier Jacket. Protection. Round Shield. Chain Bind. Physical Heal. Transporter. と魔法のデータが詰められて行く。 途中Rapid Laser. Hyper Laser.の表記を見たクロノがミシェルと顔を合わせた。 「この二つは何なんだ?」 「静さんの魔法特性を元にした攻撃魔法です。私では必要な魔力を扱えませんでした」 「なるほど」 既にログにはインプットされた内容のチェックが終わろうとしている事を示している。 「バリアジャケットについては、かねてからの実装予定を全て詰め込み和装Ver.3として収容しています」 「了解」 伊勢の説明に静が答えたところで、ステータスパネルに作業終了の表示が出た。 ミシェルは装置から予備デバイスを取り出すと、再び静に渡す。 「ガンバレよ」 「はい」 ラボから出て、クロノと静は再び訓練室に向かう。 ふとクロノは隣を歩く静の顔が釈然としない物に見えたのか声をかける。 「一応確認しておくが、今は伊勢の所有権は君にある。フォッケ・スクライアの言葉からすれば間違いない」 「管理世界での法律上は?」 「文書にされているわけではないが、譲渡として認められるはずだ」 「いいの? 猿に銃を与えるような物かもしれないわよ?」 「その時はその時だ」 「そうね」 訓練室に戻ると、なのはとユーノは休憩中らしく、二人で話しているところだった。 「あ、お帰り」 「伊勢を預けてきたわ。そして代わりにこれで訓練することになるわ」 そう言って、厚いカード状のデバイスを見えるように差し出した。 「ストレージデバイスなんだね」 「とりあえず、当面はこれを扱えるようにならないといけないんだけど。ユーノ、頼めるかしら? コーチ役を」 「分かった」 「クロノにはなのはお姉ちゃんをお願いしたいんだけど」 「いつも相手を出来る訳じゃないが、了解だ」 快く了承してくれたクロノに、静がありがとうを告げようと思った矢先。一同の耳にお腹の鳴る音が聞こえるのだった。 |