独り言1



そもそも、なぜ改装なのか?
('99年6月13日)

きっかけは5月31日にさかのぼる。僕の元へ一通のメールが届いた。

題名に書かれている「リンク」の文字を見て、「またアダルトサイト-相互リンクのお願いか」と思う。この手のメールは月に一度くらいは届くのだ。本館の内容を吟味した形跡もなく、当たり障りのない文面を一方的に送りつけ、「相互リンクしましょう」、あるいは「サーチエンジンに登録を・・・」の決まり文句をぶつけてくる。
それで本館がより多くの人の目に触れやすくなるのだから、メリットは大きい。しかし、星の数ほどもあるアダルトサイトをただ集めただけのようなページに、こちらからリンクを張る意味はいかほどもないだろう。そう思い、こういうメールは無視し続けてきた。

しかし、この日届いたメールは違った。

「リンクさせていただきました。不都合があるようでしたらお手数ですがご一報ください。」

ああ、なんだ。こんなマニアックなサイトに興味を持ってくれた人がいたんだな。嬉しいことじゃないか。
本館はリンクフリーなのに、ちゃんと通知してくれるなんて、なんと丁寧な人だろう。
ふ~ん、聖子さん、あら? 女の子っぽい名前なのね。こういう女性も出てきたんだ。よしよし♪
ま、ネカマや女装系でないと良いけれど・・・・あれ?

「このHPの事は、先日プレイにいらっしゃったくすぐりフェチのお客さんから教えてもらいました。」

・・・・プレイ? ・・・・お客さん?
聞き慣れない言葉に一瞬戸惑う。
このキーワードから連想されるものは一つ、風俗嬢だ。

現役の風俗嬢がHPを開いているというのか? そんな世界があったのか?
これほどまでにアダルト情報が氾濫しているインターネットの世界に居を構えておきながら、不思議なことに僕はほとんど「正当派」アダルトサイトを渡り歩くことはしていなかった。
くすぐり以外にほとんど興味を持っていなかった自分を再認識する。

これまでの人生において、風俗を体験したことはない。だから、風俗というのがいかなるものなのか、TV番組などで見る以外は全く知らなかった。
こういう僕の「世間知らず」も手伝い、メールの差出人「聖子さん」への関心は急速に高まる。
僕はその夜、聖子さんのHP「桃卓」へとアクセスした。



「桃卓」、正式には、「桃園家の食卓」という。
WM(ウェブ・マスター)の桃園聖子さんは、とある風俗店に勤務する現役の風俗嬢らしかった。
「リンクを張った」というフェチのページには、確かに本館へのリンクが張られている。その近くに、フェチプレイの体験記が置かれていた。「笑う男」という項目を開いてみる。
・・・あった。

これが話に出てきた「お客さんとのプレイ」か。
なるほど。。。それにしても、よく本館のことが話題に上ったものだな。
このお客さんに、僕自身も感謝をしてみる。ネットの世界が現実につながった瞬間だ。

それにしても、この文章には迫力があるな。
実直な筆致で綴られたその体験談には、フェチへの偏見は微塵も感じられない。よく分析・整理されており、かつ読んでいて楽しい。もともと国語に弱い僕は、それだけで畏怖の念を抱いた。
次に「風船フェチ」の話を読んでみる。これが実におもしろい。
僕はそれまで、風船フェチというものの存在すら知らなかった。しかし、そこに描き出されている風船割りプレイは、非常に楽しげだ。読んでいて思わず、にやついた幸せの顔になる。驚く程素直に、風船フェチを受け入れてしまった。

こう書くと、風船フェチの方々におしかりを受けるかも知れない。頭だけで理解できるほど、フェチは簡単なものでないことくらい百も承知であるし、「理解した」とたやすく言えるほど僕も愚かではない。しかし、風船フェチの方が持っているフェチ心の一部を共有できた気がしたことは事実であり、おそらく僕が感じたものも、本当の風船フェチの方の中に多少なりともあるだろうと思う。とにかく、それだけの公平さと説得力とが、聖子さんの文章にはあった。

本当にこの人は風俗嬢なのだろうか?
これは今思うと相当偏見に満ちた表現だが、そのときのストレートな感想である。

こうして僕は、一瞬にして「桃卓のファン」になったのであった。



それにしても、桃卓には自分の知らない世界が広がっていた。
そもそも、風俗という商売に関しては、いままであまり深く考えたことはなかった。
人生経験として体験しておきたいという興味はあったが、商売自体に対して余りポジティブなイメージを持ってはいなかった。自分が今まで生活してきた世界とはかけ離れている。ただ、そう言う印象があるだけだった。

桃卓では、風俗に生きる聖子さんがバサバサとその世界を切り裂く。風俗体験のない僕にも、そこに紡がれる人の歓喜や悲哀が感じ取れるような気がする。しかし何よりも大きな発見は、性風俗が決してネガティブな営みでないというイメージであった。
TVでよくやるように、遊ぶ金ほしさのためだけに親から授かった体を安売りする女性ばかりがひしめいている訳でもない。聖子さんの様に、仕事に誇りを持っている人もいるのだ。また、店に入り浸る男は、だらしないサラリーマンばかりではない。リンクをたどって行き着いた先には、風俗店での遊びをスマートに楽しむかっこいいおじさんのHPもあった。そして形は様々であるが、そこは確かに「男が癒される場」であるようだ。癒される男も、精一杯の愛情を風俗嬢に注ぐ。非常にハイソな世界であると思った。


そして僕は気づいた。
桃卓から広がるインターネットの仮想空間は、非常に現実味があふれている。
HP、掲示板などに登場する人たちは皆、確かにそこに生きている。
不思議なくらいにそれを素肌で感じることが出来るのだ。
性という人間の根元的な欲望が絡むゆえに、本音が飛び出し安いというのはうなずける。
しかし今まで、モニターの向こう側の人たちをこれほどまでに生々しく感じられることは、ほとんどなかったのではないだろうか。本館を通じて知り合い、よく話すようになった何人かの友達を除けば・・・

なぜだろう?

桃卓に初めてアクセスをしてから数日たった頃、この疑問が僕の頭の中に浮かんできた。
答えは単純である。自分の意識の中には、既に聖子さんのイメージができあがっていたのだ。
・・・これだ。

桃卓には、日記をはじめとして聖子さんの生きた言葉が至る所にあふれている。
それは小説などではなく、一人の女性の素直な意見なのだ。HPを読んで行けば、聖子さんがどういうことを考える方なのか、その人間性の一部が自ずと描き出されてくる。その安心感が軸となり、そこに集う人たちまでもが身近に感じられたのだろう。そう言えば、上述した「かっこいいおじさん」も、きちんとしたプロフィールを書かれていた。

これは、本館とは大きな違いだな。
そう思った。



さて、本館をよく覗いて下さっている常連の皆様ならば、くすぐりに対する考え方を初めとして、僕のプライベートに関する情報が全く本館に掲載されていないことにお気づきのことと思う。一度痛い目にあったので、ナメ腐ったオヤジ対策に年齢不詳を装っていたこともあり、親しくなった後に27歳と告げて驚かれることもよくある。
実は、僕が自分のことを書かないのにはそれなりの理由があった。

そもそも僕が本館を作ろうと思ったのは、日本にくすぐりをテーマとしたHPが全く存在しなかったからである。
アメリカで見られるような強力な「くすぐりネットワーク」を構築することが、本館を作った大きな目的である。そのためには、まずは日本におけるくすぐり人口を増やさねばならない。くすぐりに興味のある人ならば、全ての人に本館に参加していただきたいと思った。

初代本館が出来た頃には、自分のプロフィールを載せていた。しかし、色々なくすぐりフェチの方と交流して行くにつれ、「くすぐり」というのが自分も予想しなかったほどに非常に多岐にわたる複雑なフェチであることが分かってくる。そうなると、自分の意見を述べることは、それだけで本館に出入りする人を制限することになりかねないと思うようになった。そこで、公開後1年ほどしてから、自分のプロフィールを削除したのである。

くすぐりは、本当に多彩である。
相手をくすぐるのが好きな者、くすぐられるのが好きな者、そのどちらも楽しみたい者、この好みに対して、男女の要素が加わる。さらには、そう言うシーンをビデオなどで見るのが好き、という者もいる。くすぐり方も実に様々だ。断固として「手」でくすぐることを望む者、羽根や筆を使う者。くすぐりたい・くすぐられたいパーツも細分化され、くすぐりの強弱も個々人で至適の度合いが違う。手足の自由を奪うかどうかも、好みが分かれるところだ。優しい愛撫のようなくすぐりが好きな者もいれば、強制的なくすぐりを好む者もいる。

では僕の好みは? と言う話をするのは別の機会に譲るとして、ともあれ、自分の主張を書かないようにしたことは、ある意味で正解だったと思う。事実、本館を運営していく上で、自分の好みも大きく変わってきた。そう自覚できるのは、やはり、色々な「違う好み」の方と交流できたからに他ならない。
様々な好みを持つ人が本館に出入りするようになり、本館は半ば自己発展的にくすぐりコミュニケーションを広げる場として成長してくれた。
僕はその「場」を提供できただけで満足していたと思う。




さて、そうこうしているうちに、待ち望んでいたことが起こる。本館以外にも、くすぐりサイトが立ち上がり始めたのだ。

上に書いたように、くすぐりの好みは、十人十色どころではないほどに非常に多岐にわたる。そもそも、これら全ての好みを満足させられるような単一のサイトを作ることは、不可能であると思っていた。それ故に、色々な側面を持ち合わせた独創的なHPが多数公開されることは、大きな意味を持つ。インターネットという、ある意味で一方的なメディアを通してくすぐりを盛り上げて行くためには、閲覧者が好みによってHPを選べるほどの豊かな土壌が必要であろう。その素晴らしい環境が、着々と整いつつあるのだ。

特に、最近オープンしたくすぐりマニアさんのHPは、非常にインパクトが強い。
適当な言葉が見つからないが、くすぐりの中にあるひとつのストレートな快楽要素を見事に切り離してくれたと思う。掲示板の回転が速いのも、多くの人がそのような世界を求めていたことを端的に物語っているのだろう。

マニアさんのHPが出来たことで、本館を「自己主張のない、何でも受け入れ無責任型」のサイトにする必要もなくなったな、とほくそ笑む。そろそろここで、本来のHPづくりの醍醐味、「自由な自己表現」を、存分に味わう時が来たなと思った。
今まで本館のアップデートが遅かったのは、何も研究生活が忙しいからだけではない。掲示板やチャットの内容をたまにチェックして、本館が意図せぬ方向へ極端に傾いてしまわないように、適当に舵取りする。そしてたまに、皆さんが投稿して下さったリスト情報を、ページに掲載する。そのような、ほとんど受け身的なHP運営に、実はあまり面白みを感じなくなっていたのである。



話を「桃卓」に戻そう。
やる気のない僕のHPと違って、桃卓は非常に生き生きとしていた。
忙しいスケジュールの中、聖子さんは頑張って、そして楽しんでHPを更新してくれている。やはりHPは楽しみながら作るべきだ。当たり前のことではあるが、桃卓を見てしみじみとそう思った。
それから、日記やその他の体験談に勿体ないほどにあふれている聖子さんのキャラクターが、見る者を引きつけて放さない桃卓の魅力なのだと思う。いささか一方的ではあるが、WMとの間にインターネットという仮想空間の介在を感じさせない、現実味あふれるコミュニケーション。それを可能にしているからくりは、こんなに単純なものだったのだ。

「インターネットを介して、信頼できる確かなコミュニケーション・ネットワークを作る」

これは、当初から本館が目指していた理想そのものではないか。
そう思ったときには、「Ticklish!掲示板」に改装予告を書いていた。

マニアさんのHPの公開を見て、本館の改造をおぼろげながら考えていた僕は、桃卓に巡り会って、それを実行に移す決意をする。忙しいのは皆同じである。時は万人に平等なのだ。だが今は、あえてこれに挑戦しよう。堅苦しく考える必要はない。自分のペースで好きなように作って行けば良いのである。

聖子さんには、そう言うちょっとした心のゆとりと、「愛される元気」を分けてもらったような気がする。




ということで、長々と書いてきたけれども、こんないきさつで本館を改装しようという思いに至った訳であります。
本館は、今までのコンテンツを引き継ぎつつ、僕の「エゴ」が少しずつにじみ出てくる様なページになると思います。くすぐりのことだけではなくて、日常のことも書いて行きたいです。僕は少し特殊な価値観を持っている人間だと自分で思っていますから。そうすることによって、皆さんとの距離が少しでも縮まれば幸いに思います。
これからは、「くすぐりの館にアクセス」と言うよりは、「シノンの家に遊びに行く」感覚で覗いてくれると嬉しいです。皆さんも、掲示板やチャットなどで、思いっきり自己主張して下さいね。

それでは、これからもよろしくお願いいたします☆





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