独り言2



僕と本館の歴史-くすぐりに対する考え(その1)
('99年7月11日)

本館の歴史を振り返って行く上で、僕のくすぐりの好みと言うものを放っておいては話が前に進まないと思います。でも、僕の好みは本館の運営を通じて大きく変わっていったと思うので、今の僕の考え方を正確に伝えるためには、やはり本館の歴史を語った後の方が良いのかも知れません。
前にこういう文章を書こうと思ったときにも、この課題には相当頭を悩ませました。でも、結局よい答えが思い浮かばないのですよね・・・

色々考えたのですが、結局、本館の歴史と僕のくすぐりの好み、この両者を同時進行的に書き進めて行くのが、一番良い様に思えました。どうして今の本館がこういう形態になったのか、それを理解していただくためには、このような方法が最適かと思った訳です。

でもその前に一応、今思っていることを簡単に述べておきましょう。

僕自身は、今、誰かを無性にくすぐりたい!! という願望がほとんどありません。
SMクラブとかに行って(出来るのかどうかどうかは分かりませんが)、そう言うプレイを楽しみたいと思うことも、あまりないのです。
(桃卓の聖子さんに会いに行ったというのは事実ですが、プレイはしてません。)
僕がくすぐりを楽しみたいと思う相手は、くすぐったいという感覚を快楽として受け入れて、互いに戯れ遊ぶことが出来る女性です。ただ、そういう女性ならば誰でも良いと言うわけではありません。あくまでも恋愛の延長、男と女の交わりの一部として、自然に受け入れたいのです。
そういう相手を見つけられる可能性は、普通の生活をしている上では、限りなくゼロに近いでしょう。でも、僕の欲求はその程度のものなのです。この願望が満たされなくとも、それはそれで良いと思っています。本館の運営に僕自身がその様な出会いを望む割合は、5%も無いでしょう。

それでは、今の本館に僕は一体何を望んでいるのでしょうか?

簡単に言うと、次のようなことになると思います。
くすぐりは非常にバラエティーに富んだフェチだと思いますが、それを「フェチ」だと自信を持って認識できない程度でも、潜在的に、くすぐりに対して、ある種のコンプレックスを抱いている人は多いと思います。特にこれは、女性に多く見られると思います。
僕は本館を通じて、そんな方たちに少しでも「安心」を与えることが出来たら良いなと思っています。

僕自身は以前、くすぐりの中には、、ルパンや松下ビデオに出てくるような「苦しい責め」としての要素しか見いだしていませんでした。本館をスタートした時点では、確実に、そのような意識しか無かったと思います。
それが、本館を運営し、色々な方と交流していく中で、大きく変わっていきました。
いや、正確には、本来持っていた感覚に気づいていったと言うべきなのかもしれません・・・

このような僕の気持ちの移り変わりを追うことによって、この独り言を読んでくださっている皆様にも、何かしら感じていただけるところがあれば嬉しく思います。
先日、トゥナイト2で「とら」のレポートをやっていましたが、あれもくすぐりの中の一つの要素。自分自身でもその範囲は限定できませんが、くすぐりの世界はもっと広いと思っています。その究極世界を探求して行くためのとっかかりとしてでも、僕の本館運営記録が役に立てれば良いなと思っています。



チャンス到来
('99年7月8日)

「見なければ良かった」というデータが出てしまってから、色々とリカバリーに手を尽くしたが、ボスとも相談して、結局、他の方向性で一からデータを取り直すことにした。
現在手持ちのデータで国際的な学術雑誌に投稿できるような論文を書くことは、やはり難しいだろうという判断からだ。価値のある論文をあと一つ発表することが、卒業するための条件なのだが、そのためには、遅くとも7月中に、論文を投稿できる形にまでに仕上げなければならない。ものの言える結果が出るまでにはそれなりの時間がかかるから、それは到底無理な話である。

と言うことで、卒業がまた遠のいてしまった訳である。

生まれつきマイペースな僕は、自分で満足できない行動を起こすことを本能的に避けてしまう。
だからなのだろう、「あぁ、今の自分って、結構無理してるな」と思うことがほとんどない。無理している自分が好きで満足しているのだから、それは無理ではないのだ。
このところ、何かしら手を動かして仕事をしていなければ落ち着けないという日々が続いていたが、そこに充足感を覚えさえしていたのは、このようなナルシスト的な精神構造のおかげなのだろう。

卒業出来ないことを自分自身で認めなくてはならないというのは、もちろん相当にダメージが大きいものである。年齢も年齢だし、それなりに思うところも多い。しかし、リカバリーに奔走していた時とは違って、一応「仕事の期限」がなくなった訳であるから、生来怠け者の僕としては、少し気楽になった面もある。

そんな中、「何か手を動かしていなければ落ち着かない」という緊張感が、快く残っているのを感じている。このように思える時期が訪れることは、僕にとってそう多くはないので、大切にして行きたい。これからも、無理をせずに頑張って行こう。



僕と本館の歴史-くすぐりの館開館
('99年6月20日)

仙台に古くからあるスーパー、「エンドー・チェーン」に買い物に行ったら、渡辺美里のMy Revolutionがかかっていた。懐かしい。
帰宅してからLovin' youをかけてみる。高校生の時にダビングしたテープだ。そう言えば、あの頃おつき合いしていた子が好きだったな。夕食の後、ノスタルジックな気分に浸りながら、本館のメンテナンスを始める。



さて今日は、本館の誕生についてお話ししよう。
僕はよく、「本館の一般公開前」という言葉を使うが、今のようにBIGLOBEのサーバーに公開される前の本館は、一体どういうものだったのだろうか? それを疑問に思う方も多いかも知れない。
ここで、その出生のヒミツを明かそう。


僕がインターネットの世界を知ったのは、大学院に入ってからのことだ。当時はネットスケープ社が設立された直後で、イーサネットにつながったばかりの研究室のパソコンには、ネスケの前身となるモザイクというブラウザが入っていたように思う。

最初は、インターネットという概念が理解できなかったので、しばらくは使わなかった。しかし、学術文献を検索したり、遺伝子配列の相同性を解析したりするのに非常に「使える」ことが分かってくると、自然とインターネットの仕組みも分かってきた。そして、ホームページというもの利用して、様々な情報が飛び交っている現実を知ることになる。

幼い頃からくすぐりに特別な感情を抱いていた僕は、研究室の誰にも気づかれないように注意しながら、夜な夜なくすぐり関係の情報を探すようになった。
しかし、いくら探しても日本にはくすぐり情報を扱ったHPが見つからない。当時、ロボット系の検索エンジンとしては早稲田の「千里眼」や東大の「ODIN」くらいしかなかったが、アダルトやSM系の情報はそれなりにヒットするのに、くすぐりについての情報はなぜか見あたらなかった。

「どうしてなのだろう?」と、不思議に思う。

「ここ(本館)を知るまで、くすぐりが好きなんて私だけじゃないかと思い、悩んでいました」と言って下さる方が結構いるが、僕はその逆で、「自分が好きなんだから、他にも好きな人がいるはずだ!」と思っていた。それにインターネットの世界に触れる前に、僕はすでに「松下ビデオ」の存在も知っていたのだ。

まてよ・・・ビデオと言えば、以前エロ雑誌で「Tied&Tickled」というビデオを紹介していたな。何でも、アメリカの有名なくすぐりビデオらしい。レンタルビデオ店などを探してみてもT&Tは見つからなかったが、インターネットで検索すれば、ひょっとしたら出てくるのでは?
ふとそう思い、海外に目を向けてみることにする。

すると、これがヒットだった。

まず最初に手に入れたのは、アメリカのどこかの大学のgopherに入っていた情報だった。アメリカのくすぐりビデオについて、その紹介文が延々と書かれている。英語のテキストのみだったが、ざっと見ただけでも40位のタイトルが紹介されていた。その中に、Tied&Tickledに関する記事もあった。

アメリカはここまで進んでいたのか。。。
情報を見つけたうれしさもあったが、文化の違いに愕然としたのを覚えている。
ニュースグループでは、ticklingが一つのfetishとして位置づけられていた。フェチという言葉は知っていたが、くすぐりという形のないものもフェチに分類されることを知って非常に驚いた。しかしこれは、後になってなぜかすんなり納得できるようになったのだが・・・

その他、いくつかのくすぐり関連HPも見つかった。Solefully Yoursや、TJ Productionなどは、古くからあったサイトである。また、Tickle Galなど、女性が運営しているサイトも見つかった。僕にとって海外くすぐりサイトの探索は、まさに驚きの連続であった。
アメリカ最大のくすぐりサイト、「Tickle Central」が誕生したのも、それから間もなくのことである。TCは、現在の「Tickle Town」の前身となったサイトだ。


このような「海外サイト探索」の日々を過ごしているうちに、「秋保窓(あきうまど)」は「窓の杜」に生まれ変わり、Windows95の発売によってインターネットの一大ブームが巻き起こる時代に突入する。
当時、研究室に持ち込んでいた僕のパソコンは、エプソンの白黒液晶ノートであり、CPUはPentiumの前の前の型のi486 SX 33MHz、12MBのメモリという、貧弱なスペックしかなかった(当時はこれでも十分に実用に耐えていたのだからスゴイ!)。それでも、ネットに簡単につなぎたいという強い思いから、DOS/V用のWindows95から半年遅れて発売されたエプソン用のWin95を購入し、むりやりインストールした。ディスク30枚組のソフトなど、今ではお目にかかることなどまずないだろう。

自宅からインターネットに接続する人が急激に増えてきたのは、色々なサイトへのアクセススピードが極端に遅くなってきた事実から容易に想像できた。検索エンジンもつながらないことが多い。プロバイダーも次々と登場し、日本のHPの数も目に見えて多くなっていった様に思う。

海外では、Tickle Centralがどんどん大きくなっていた。そのアートギャラリーに中に、何と、日本人のくすぐりイラストが掲載されているのを発見する。作者はHiro.M。ネットをやっている人の中にも、同じ趣味を持った日本人がいることに歓喜した。
しかし正直言ってこのときは、Hiro.Mという人が本当にくすぐりに興味があるのかどうか、少し自信がもてなかった。あまりにそのイラストがプロっぽかったので、プロのイラストレーターが気まぐれで描いてみたものなのかも知れないと、真面目に考えたのである。

こんなこともあり、日本でくすぐりHPを作って、同じ趣味の人と交流したい! という願望は、自分の中で急速に高まっていった。HPを作るのは夢ではない。誰でも簡単に出来るのである。


しかし、僕には一つの障害があった。それは、自宅にパソコンを持っていなかったことである。
HPを持つためには、母体となるサーバーが必要である。大学のサーバーに「くすぐり」関係のHPを作るわけには行かない。自宅にパソコンを新たに購入し、モデムも買って、プロバイダーと契約して、HPを構築する・・・学生である僕にとって、それは経済的にもムリがあった。


あきらめかけていたとき、ふとしたことから名案が浮かぶ。
そうだ! 大学のLANにつながっている自分のパソコンの中にホームページを作ればいいじゃないか!!


それまで、研究室のパソコンという「共用」のものを使っていた経緯があったので、ネットワークのセキュリティーに関しては、ある程度の知識があった。もともと僕は「仕組みが分からないと気持ちが悪い」質なのである。
大学のLANにつながっている自分のパソコンは、24時間動いている。そこにサーバーソフトを走らせるだけで、自分のHPを持つことが出来るではないか!!

しかし、これにもいくつかの障害があった。まず第一に、サーバーを走らせれば大学のネット管理者にバレバレである。それに、HPを作ったところで検索エンジンなどに登録するわけにも行かない。登録した時点で、自分の人生が終わったも同然であるからだ。くすぐりフェチということだけは、誰にも知られてはいけない。

ではどうするか?
ためしにいくつかインストールしてみたサーバーソフトには、ディレクトリ(フォルダ)ごとにアクセスのパスワード制限をつけることができるものがあった。これを上手く使えないだろうか?
大学の管理者には、「私用のHPを作るから」と言って、サーバーを立ち上げる許可を出してもらい、ダミーで「真面目」な趣味のHPを作る。その裏で、アクセスにパスワード制限を付けて、くすぐり関係のHPを立ち上げるのだ。こうすれば、大学関係の人からは全く怪しまれず、かつ見つからずにすむ。

あとは、どうやって僕のHPまで人を導くかだ。これはもう決まっていた。
日本にくすぐりHPがないのなら、くすぐりに興味のある日本人は皆、海外へ手を伸ばす筈である。そこで、Tickle Centralが最大のサイトであることはすぐに分かるだろう。つまり、僕が通ってきたのと同じ道をたどってもらうのである。

早速僕は、Tickle Centralの管理者Oblesklkに頼んで、ここからのみ自分のHPへとリンクを張ってもらうことにしたのである。もちろん、リンクの傍らには、アクセスのためのパスワードを書いてもらうことにした。
英語のカベを何とか乗り切りってここまでたどり着くことが出来る人ならば、きっと興味本位の人はいないだろう、みんな本当にくすぐりが好きな人なのだろう、と考えた。この「目の細かい篩」は、僕がこのような形でHPを開くことへの安心感にもつながった。

無論、飛び交っているパケットを一つずつ調べられたら終わりである。しかし、幸いにもうちの大学のネット管理者は、そういうプライバシーには手を出さない良識ある人であった。本来学術目的で使用するはずの大学のネットワークをこのような目的で使用すること自体、本当はもってのほかのことではあったが、そこは明るい「くすぐりの将来」のために目をつぶってもらうことにした。


こうやって、大学のLANにつながっている僕の貧弱な白黒液晶ノートパソコンの中で、初代のくすぐりの館はめでたく誕生することとなる。

1996年、8月18日のことであった。


一般のHPとは異なり、誰でも閲覧できるという訳ではなかったので、僕はこれを「一般公開前の本館」と呼んでいる。1997年の11月に、現在のBIGLOBEへと移転させるまで、1年以上も見つからずに済んだのは、今思えば奇跡かも知れない。
本館にたどり着くにはかなりの労を要したにも関わらず、この間、実に沢山の人たちが本館を訪れてくれた。現在の本館があるのは、公開前から本館に来てくれていた人たちの熱いハートのおかげだと思っている。

さて、初代の本館が現在の形態になるまでには、これまた色々な出来事が間に挟まっている。
そのお話は、また別の機会にすることにしよう。




僕と本館の歴史-序
('99年6月18日)

前からこう言うの、書いてみたいと思っていました。
実は去年の秋、思い立ってこのテーマで書き始めたことがありました。しかし、書き進めて行くうちにあえなく挫折・・・
本館の歴史・・・これは思った以上に奥が深いもので、一つのお話としてまとめるには内容が膨大になりすぎてしまったんですね。
せっかくこうやって、「独り言」として単発的な話を書ける環境ができたので、思ったことを少しずつ、気軽に書いて行くことにしました。


この館を運営して行く過程で、くすぐりに対する僕の考えも大きく変わって行きましたし、本館自体も少しずつその方向性が変化してきたと思います。
くすぐりの館には、なぜ「月の扉」と「光の扉」があるのでしょうね?
こういう難解な本館の構造も、これまでの僕の試行錯誤の結果です。そしてまた、今回の改装も新たな挑戦の一つになるでしょう。

日本のくすぐり文化は、まだまだ発展途上だと思います。
本館の究極の目的は、「インターネットを一つの入り口として、くすぐりに興味を持っている人たちがそれぞれの理想形で自由に交流できるような強力なネットワークを作り上げること」です。少なくとも現時点では、そのように考えています。
こう書くと、「それにしては、矛盾することをいっぱいしてない?」と突っ込まれそうですが、思い当たる事柄は全て、その究極目的に到達するためのいくつかのステップを考えた上で、良かれと思ってしてきたことです。

僕が、どんなことを考えて館を運営してきたか?
それをここに記すことによって、また色々な人のご意見をうかがうことが出来ると期待しています。皆さんと一緒にくすぐりの将来を模索してゆけたらいいですね♪



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