独り言3



僕と本館の歴史-初めてのくすぐり体験
('99年7月27日)
先天的なくすぐりフェチの僕が、不二子のきつ~い洗礼を受けて「くすぐり=苦しい責め」という観念をしっかりと脳に刷り込まれたまま、妄想街道を一人爆走してきた経緯は、前の独り言に書いた通りです。

今日は、そんな僕が生まれて初めて実際に「くすぐり」をしたときのことをお話ししましょう。大学2年生の時に、短期間だったけれどもおつき合いしていた彼女との体験です。

「生まれて初めて」という言い方は、まぁ、正確ではありません。誰だって小さい頃、友達同士や家族の中で、こちょこちょしあった経験があるものです。もちろん僕も、そういう遊びはしてきました。今日のお話はそうでなくて、異性をきちんと(?)認められるようなオトナになってからの話です。


ストーブを焚いてコタツに入りながらおしゃべりしていたのを憶えているので、季節は冬だった思います。彼女が僕の家に遊びに来ていました。
テレビを観たり、スーファミをしたりして、適当な時間を過ごしていたのですが、何かの拍子に彼女がいたずらして、コタツの上にあった醤油のビンのラベルをはがしてしまったのです。
これがきっかけとなりました!! 僕は「この~!」って感じで、ここぞとばかりこちょこちょ攻撃を仕掛けてみたのです。これが意外にもヒットで、彼女と一緒に転がりながら、しばらく二人でくすぐりっこをしていました。

すっかり調子に乗った僕は、醤油のラベルをはがしてしまったお仕置きとして、彼女を無防備にくすぐることを提案。「5分間我慢できたら、許してあげるよ。」という事にしました。その場の雰囲気もあったのですが、彼女は「え~っ?」と一度はめらいながらも、すぐに「・・・いいよ」と了解しました。

このときの僕は、なるべく冷静に振る舞おうとしていたのですが、ほんとうの所はもう、あと少しで鼻から脳漿が出てくるのではないかと思うくらいに、とてもつもなく興奮していました。だって、今まで夢に思い描いていたことをついに実現出来るわけですから!! この手でコチョコチョすることが出来るわけですから・・・!!

彼女にはもちろん、僕がくすぐりフェチだと言うことなどは告げていなかったので、ただの遊びとは違う「ヘンな興奮」があることは悟られてはいけません。心臓はばくばくして目は血走りながらも、努めてさりげな~く、彼女をベッドに横たわらせました。そして、手をバンザイの格好に!! 待ち望んでいた無防備のポーズの完成です。

僕は彼女のお腹の上あたりに陣取って、「本当に、くすぐるよ?」ともう一度念を押しました。彼女が小さくうなずくのを確認し、一呼吸おいてから、意を決して、彼女の腋の下やお腹を、こちょこちょこちょと、くすぐりはじめました。
彼女はとてもくすぐったがり屋で、すぐに手を下ろしてしまうのですが、「それじゃ許してあげない!! 罰として、5分延長だよ~」などとムチャなこと言って、ふたたびバンザイさせ、こちょこちょ攻撃をくりかえしました。

こんな感じで、生まれて初めて女性をくすぐったのですが・・・
実際にくすぐってみると、何だか、思っていたのとずいぶん違った感触がするのです・・・
結局このくすぐり、時間にして1分も続きませんでした。

どうしたことか、彼女をくすぐり責めにしている自分の姿が、ぽっかりと宙に浮かびあがり、急に空しく思えてきたのです。僕の手の下では、彼女はまだくすぐったさを必死に我慢しています。
ここで、「まだあと15分もあるよ・・・」と言った僕の言葉に、意外にも彼女は、
・・・・「我慢するっ!」と答えたのでした。

この言葉を聞いた瞬間です。どこからともなく、途方もない悲しみが押し寄せてきて、僕の手が止まりました。
そして気づくと、僕は泣いていました。

くすぐりプレイは、それで終わり。
彼女は、「え~、何で泣くの? 元気出してよ!」と励ましてくれましたが、わき上がってきた悲しい気持ちはすぐには鎮められず、ちょっとしめった空気の中でしばらく会話をした後、彼女には謝ってその日はお別れしました。


これが、僕の生まれて初めてのくすぐり体験です。


夢にまで見ていた「くすぐりプレイ」を実践できたというのに、どうして悲しくなってしまったのだろう・・・

その理由は、自分でも良く分かっていました。僕が妄想していた「くすぐり」というのは、「苦しい責め」そのものだったからです。これまでの妄想活動のなかで、その「苦しさ」は積み重なり、ねじ曲げられ、増幅されて、最終進化形態に達しようとしていました。僕の頭の中で「くすぐり」は、「とてつもなく残酷な責め」に姿を変えていたのです。

このときのくすぐりシチュエーションは、全く切迫したものではありませんでしたが、そう言う残酷な要素を含んだくすぐりを、僕は彼女に対して、「やりたい!」と思いながら実際に「している」のです。こちょこちょをしながら、そんな自分の気持ちがひどく情けなく、空しいものに思えてきました。
そして、彼女が「我慢する」と言った時、自分のあさましさは彼女の優しさによって、一瞬にしてうちのめされました。自分の煮えたぎるゆがんだ欲望を、彼女はゆるし受け止めてくれるというのです。
第三者のフツ~の目から見れば、「くすぐり責め」なんて、どう考えたっておかしなものでしょう。彼女の言葉でふと我に返ったとき、そんな妄想ばかり追い求めていた自分が非常に愚かしく思えてきて、涙が出たのだと思います。


この経験によって、自分は、
「妄想は出来るが、実際に誰かを(責めとして)くすぐることは出来ない人」
なのだという事に、初めて気づきました。
そりゃぁ、くすぐりでなくたって、だれかを本気でサディスティックに責めることの出来る人なんて、そうそう居ないと思います。でもそうではなくて、たとえ手段がソフトなものであっても、それを 「普通の人や、くすぐりの苦手な人」にするのは、やっぱり「責め」と同じに思えるのです。自分の欲望を、一方的に押しつけることになるわけですから。

この彼女とは、普段からコチョコチョの話題がのぼることが多かったし、くすぐりを提案したときにも、「え~? ちゃんとバンザイするの?」などと言っていたので、彼女も結構くすぐりが好きだったのかも知れません。僕も、その隙につけ込んだからこそ、くすぐりを提案したんだと思いますし、実際彼女は、その場を楽しんでいた様にも思えます。でもやっぱり僕の行動は、自己満足意外の何ものでもないように思えました。
流れに任せてその場を楽しんでしまえば良かったのかも知れないのですが、僕はそこまで器用な人間でもなかったのです。


さてこのように、自分の弱点に気づき、意識の中では確実にくすぐりに対するとらえ方が変わってしまった僕なのですが、「妄想したいエネルギー」は依然健在で、その後も「苦しい責めとしてのくすぐり」を求めてゆきます。くすぐりに興味ない人にはくすぐりは出来ないが、「くすぐりが好きな女性ならば、あるいはこの願いが叶うかも・・・」という、最後の望みがあったからなのかも知れません(笑)

この事件から1~2年くらい経ったころ、僕は松下ビデオを知ることになります。
そして、「くすぐり=苦しい」というイメージを持ったまま、本館の開館へ・・・・・

妄想特急は、まだまだ止まりません。


くすぐりの館が開館して、1年程経ったときのこと。
「ルナ」という女性と知り合うまで、この事件のことはほとんど忘れていました。




僕と本館の歴史-目覚め
('99年7月23日)
くすぐりに対して特別な感情を抱くようになった直接的なきっかけというのは、よくよく考えると、「ない」と思います。
小学校低学年の時にテレビで見た「ルパン三世の峰不二子がくすぐられるシーン」に、とても強い影響を受けたのは間違えないのですが、それ以前から僕は、くすぐりを意識していたと思います。

と言うのも、実は、ルパンのシーンを最初に見たとき、僕は不二子が何をされているのかが分かりませんでした。ただ、何だか分からないけれども「苦しい」ことをされているのだなというイメージと、それが「かわいそう」という感覚があるだけでした。

小学校高学年になったとき、友達からたまたま「ルパンTVシリーズの解説本」みたいなのをもらって読み、初めてあのシーンが「くすぐり」だったことが分かったのですが、そのとき僕は、「あぁ、やっぱりそうだったのか!!」と感じたのを憶えています。
つまり、このシーンの意味が分かる前から、「動けないようにされてくすぐられたら、きっと息が出来なくて苦しいだろうな」、ということを考えていたのです。やっぱりこの感覚は正しかったのだ! と、少し安心したくらいでした。

ですから、僕は「生まれつきのくすぐりフェチ」だと言えるかも知れません。
どうしてこんなヘンなことを考えるようになったのか、その原因というのは、よく考えてみても分からないのです。でもそのルーツを自分の意識のなかで探ってゆくと、次のような感覚に突き当たりそうです。


小さい頃、「転んでケガをしても泣かない子はエライ!」って、よく言われませんでしたか?

多少、痛いこと、嫌なことがあっても、我慢してぐっとこらえる。これは、その痛さやつらさを、表面上だけでも克服する事になります。
そう言う「強い男の子」への一種のあこがれからか、僕は、他人がケガをしたりするのを見ると、「自分もケガして同じ痛みを味わってみたい」と思うようになったのです。
そりゃぁ、ケガをするのは嫌ですよ。痛いのも嫌いです。他人が痛みに苦しんでいるのも、かわいそうで仕方ありません。でも、他人が味わっている痛みを自分も感じて、それを克服してやりたい!という、「怖いもの見たさ」的な感覚が、小さいときから僕の中にはあったのです。

痛さやつらさだけでなく、基本的に、「苦労をしている人」は、僕の中では尊敬に値する人なのです。でもこれは、何もマイナスの感覚についてだけ言えることではなくて、たとえばお医者さんとか、ピアニストとか、自分にはないスキルを持っている人に対するあこがれ、尊敬の念とも、相通ずるところがあるように思います。

少し話が逸れましたが、くすぐりに対するイメージも、そう言う「怖いもの見たさ」的な感覚から発展してきたものの様に思えるのです。
「縛られてくすぐられたら・・・」という恐怖のシチュエーションを、ある時ふと想像してしまったために、それをいつか克服しなければ! という感覚が芽生えたのだと思います。

ただ・・・なんでそれが性的な興奮に結びついたのか、その理由というのは今ひとつはっきりしないんですよね・・・
今考えれば、「くすぐったい感覚には、愛撫に似た快感に結びつく要素があるから」と言えると思うのですが、小さい頃の僕は、果たして「くすぐり=キモチイイ」と感じていたのでしょうか? それは今でもナゾです(笑)


こんな感じで、僕とくすぐりの長いつきあいが始まった訳ですが、小学校の低学年の時に強烈な「不二子の洗礼」を受けたので、その後かなり長い間、僕のなかでは「くすぐり=苦しい責め」というイメージが固定されていました。
「苦しさを克服したい!」という思いから、色々なくすぐりのシチュエーションを妄想して行くうちに、「こういう風に女性をくすぐってみたい!」という願望も芽生えてきました。「責め」としてのくすぐりは、現実世界では到底体験することは出来ませんから、ないものは「妄想」するしかないのです。それを形にしようとして、僕はマンガやイラストを描くようにもなりました。
(実はこの「妄想マンガ」がきっかけで、後に僕は、松下さんと個人的なおつき合いをさせていただくようになったのです)

このように「くすぐり妄想人生」を突き進んできた僕が、オトナになってから初めてくすぐりを体験したのは、大学2年生の時。
「彼女をくすぐって、悲しくなり、涙がこぼれた」という経験です。

それについては、この次にお話ししましょう。



ちょっと反省
('99年7月21日)

初体験レポート、実は、その場の情景をあまり具体的に書かなかったのは、思うところがあっての事だったのです。でもそれにとらわれすぎていたせいか、聖子さんのキャラというのが全然出ていないレポートになっていましたね・・・
あれでは本当に「風俗初体験感想文」だよな~。聖子さんを風俗嬢の一人としてしかとらえていない様な書き方になってしまっていることに、今になって気づきました。

いえいえ、そんなことは決してないのですよ。僕は、聖子さんだからこそ、身をかませてプレイさせてもらおうという気になったのですから・・・

やっぱりこれは失礼だったなぁ~、と、深く反省しています。ご免なさい!!

実はこれに気づいたの、「漬け物」がヒントになったんですよね・・・
僕も、まだまだ修行が足りないなぁ。



初体験レポートのつづき
('99年7月20日)

二十歳の夏のこと。
神奈川の実家から仙台まで戻るのに東北自動車道をバイクで走っていたとき、ナナハンライダーのお兄ちゃんと知り合いになったことがある。とにかく話好きのお兄ちゃんで、サービスエリアごとに止まっては色々な話をし、二人でゆっくりのんびりと北に向かっていった。

そのおしゃべりの中で、
「風俗は21までに経験しておかなくちゃぁな!」と言われたのを、ふと思い出した。

何でそんなに中途半端な年なのだろう? 二十歳をこえて間もない微妙な年齢ということで、そのときにならないと解らない独特な感覚があるのだろうか? はたまた、アメリカでは21歳になると大人として認められ全ての社会的責任を負うようになると言うが、それと何かしらの関係があるのだろうか?
不思議に思いながらも、ミョ~に説得力のある話しぶりに、「はあ、そういうものなんですか~」と、適当に納得してしまったのを憶えている。
ちなみにこのお兄ちゃん、当時21歳だった。

あれから7年。大学院で遁世的な研究生活を送っていた僕が、ここに来て風俗初体験をしてしまうとは! 自分でもびっくりである。しかも、明らかにフツーの「入り方」ではない。
まぁ、フェチな時点でもともとフツーでないのだから、仕方がないのかもしれないが・・・

で、初体験をした感想なのだが、やはり風俗は若いうちに体験しておくのが良いだろうと思った。たった一回の体験で利いた風なことを言うつもりはないが、とにかく、普通の生活ではなかなか得られない色々なものを与えてもらえるような気がするからだ。
(僕の場合、それはもう優遇された特別なケースであったことは十分承知している)

具体的な事柄に言及しようとすると、ボロがでそうなのでやめる。しかし、与えてもらった肉体的・精神的な満足感は、心の糧となり余裕となって、実生活で周りの者に確実に還元されて行くものであるように思う。
そう言う幸せの流れがあることを早いうちに知っておくことは、やはり意味があることだろう。

普通の大学生が、社会に出る準備をし始める少し前。
21歳という年齢設定は、あながち間違えとは言えないかも知れない。



二十七にしての初体験
('99年7月18日)

「生きてりゃいいさ」加藤登紀子バージョンを絞るような声で唄いながらヒジキを大量に煮て、ショパンのバラードの4番モドキを大音響で打ち鳴らしてそのイメージにしばらく陶酔する。

このように、昨晩マジでアブナい人になりかけたのは、掲示板での「松下一夫VS桃園聖子会談、めでたく終了!」の書き込みが原因である。桃卓フェチ&聖子さん信者の一人である僕にとっては、あまりにも羨ましすぎるネタだった。(大げさすぎるってかぃ?)

「明日は忙しいから、ゆっくり休まなきゃ・・・」と思いつつも結局、まんじりとも出来ずに夜を明かしてしまった。
8時に大学に行き午前中かけて実験の仕込みを行なった。いったん家に戻った後、14時7分の新幹線に乗る。

向かった先は・・・東京の池袋。

実は「桃卓東京オフ」がお流れになったので、もう一度お話ししようと、昨日の午前中に聖子さんのご指名を入れておいたのだ。全く以て絶妙なタイミングである。もし予約を入れていなかったらと思うと・・・その後の自分を想像するだけで恐ろしい(笑)

あれこれ色々と考えたのだが、今日は、身も心もすべて、素っ裸にされてみることにした。
真面目にこの独り言を読んでくださっている方の中には、「おやおや~? 11日の書き込みからそんなに日が経っていないのに、何を矛盾することを?」と思われる方がいるかも知れないが、まぁ、許しておくれ! 僕なりに色々思うところがあったのだ。

かくして、生まれて初めての風俗体験をする事と相成ったのだが・・・
こ・れ・が、、、めちゃめちゃ楽しい!!! 前回お話だけしに遊びに来たときも楽しかったが、今回はその何倍も楽しかった!!

僕の中に気恥ずかしさや戸惑いがあったので、聖子さんの絶妙なリードにも関わらず、かなりぎこちなく不器用な展開になってしまう場面も多々あった。しかし、それもまた良しとして、90分の持ち時間の間、聖子さんは実に色々な経験を僕にさせてくれた。
赤いロープで縛り上げ、僕の痩身をエバンゲリオン弐号機の様な姿にしてくれたり、背中と脇腹に弱点を見つけて、そこを滑らかな爪のカーブで流れるようにくすぐってくれたりした。僕はもともとそんなにくすぐられ願望が強い方ではなかったはずなのだが、されるがままに大笑いすると、これが非常に爽快なのである。これほどのバカ面で、心底だらしのない笑い声をあげ続けたのは、生まれて初めてのことだろう。

次は逆に、僕が責めに回る。
といっても、手加減ナシのくすぐりワザをご披露出来るほどのテクも経験もないし、第一、そう言う責めが出来る質ではないことは、僕自身が一番良く知っている。
(僕は初めて女性をくすぐったとき、突然とてつもない悲しさに襲われて、涙がこぼれたことがある。詳細は別の機会に語ろう。)

そう言うわけで、笑わせるというよりは、愛撫に近いくすぐりを楽しんだ。色んな話をしながら、互いにこちょこちょしつつじゃれ合っているのが、とても心地よい。
互いの性癖を理解し合える相手と作るこのような雰囲気こそ、僕が求めているくすぐりプレイのありかたなのだろうなぁと、しみじみ思った。想像はしていたが、実際に体験してみて本当の良さが分かったような気がする。


こういう幸せな感覚を与えてもらえるのが、風俗の魅力なのだろう。
桃卓削除事件のときの聖子さんの日記に、「風俗嬢がいるから日本の性犯罪の発生率が低く抑えられている」という意見が書かれていたと思ったが、それが良く分かったような気がした。肉体的な快楽の他に、僕が与えてもらったのは、精神的な安らぎであった。身近な日常生活の中では癒すことの出来ない精神の疲れというのは、やはり色々とあるのだろう。
フェチの場合は特に・・・。

このようにして、僕も見事に癒され、とても素敵な週末を過ごすことができたのであった。今後の本館の運営においても、この経験から学び取った多くのことを活かして行きたいと思っている。楽しくお相手をしてくれた聖子さんに、ひとかたならぬ感謝をしております。




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